「悲劇的なデザイン」を 2,025 年 01 月 09 日に読んだ。
目次
- メモ
- ジェニーを殺したインターフェイス p15
- デザイナーの役割と責任 p19
- 失礼なテクノロジーは自分勝手である p77
- Xbox の無神経なアップデート p77
- Google カレンダーのイベントリマインダー p78
- 失礼なテクノロジーはぐうたらである p79
- セルフレジ p80
- 失礼なテクノロジーは食い意地が張っている p82
- iTunesのこっそりダウンロード p82
- 失礼なテクノロジーはユーザーにかまってほしがる p83
- 礼儀正しいテクノロジー p85
- ユーザーの「Dribbble化」 p111
- 自責の念と屈辱感 p117
- 「パワーユーザー」向け機能 p117
- ショートカット p117
- わかりやすい設定にする p119
- 誰にも理解できないオプション p119
- 10. 世界をもっと暮らしやすい場所にするために、デザインにできることはなんでしょうか? p144
- インターネットへのアクセスは人権だという考えを持つ p160
メモ
ジェニーを殺したインターフェイス p15
ひどいデザインのインターフェイスやモノ、体験が人の命を奪った話は多くある。
今回は、その中でも特に悲しいものを紹介しよう。
犠牲になった人物を、ここではジェニーと呼ぶことにしよう。
ジェニーはがんと診断された少女だった。
何年も入退院を繰り返し、やっとのことで病院を出られたのだが、すぐに病気がぶり返した。
それでも、非常に有望な薬を使った新しい治療を始めることになった。
薬はとても強いもので、治療の前後3日間は、点滴を使って体内の水分を増やす必要があった。
点滴のあとには、ナースが必要なデータをチャート作成ソフトウェアに入力し、ソフトウェアが算出した患者の状態に従って、適切に対応する形になっていた。
担当のナースたちはソフトをこまめに使い、またほかのすべての面ではジェニーのケアも毎日ていねいに行っていたが、点滴のあいだに致命的な情報を見逃してしまった。
その結果、治療の翌日、ジェニーは薬の毒性の強さと脱水症状が原因で命を落とした。
経験豊富なナースたちが致命的な間違いを犯した原因は、ソフトウェアの使いづらさだった。
使っていたソフトのスクリーンショット(図1-1参照)を見ると、怒りがこみ上げてくる。
ソフトはユーザビリティに関するシンプルな基本ルールをいくつも無視していて、ナースが混乱したのも無理はない。
まず、表示されるデータが多すぎて、大切な情報をぱっと判別できない。
次に色の選び方もひどく、見づらいのはもちろん、重要な情報をハイライトできていない〔訳註:さまざまな色が多用されている〕。
さらに、命に関わる治療や薬の情報は絶対に見逃してはならず、とりわけ慎重に扱う必要があるのに、このインターフェイスではそれができない。
最後に情報の記録、通称「チャーティング」が非常に面倒で時間がかかるため、入力を手際よく行えない。
プロのデザイナーとして、こうした話を聞くたびに胸が締めつけられる。
命に関わる、人間の命を扱う業界で、どうしてこんなとんでもないソフトが採用されることになったのか。
人間の命や幸福に関わる業界では、優れたデザインの採用に適切なリソースを注ぐべきではないのか。
自分がデザインのプロセスに関わっていれば、違う結果になっていたかもしれない。
デザイナーであれば、そう思わずにはいられないはずだ。
アメリカの医療は危機に直面している。
1999年に発表された「人は間違う」という画期的な論文*1によると、アメリカでは年間170~290億ドルの費用をかけながら、毎年4万4000〜9万8000人が医療ミスで命を落としているという。
その後に発表された別の研究では、医療ミスによる死者は10~40万人と試算されている*2。
一部を引用しよう。
ある意味で、PAE(Preventable Adverse Effects:防げたはずの悪影響)にともなう死者が10万人なのか、それとも20万人か、40万人かは大きな問題ではない。
人数がどうであれ、はっきりした行動が必要であることに変わりはないからだ。
残念ながら、ジェニーの話はあまり知られていない。
しかしこうしたことは、アメリカに限らず、世界中で毎日のように起こっている。
それでも、大切なのはナースのせいにしないことだ。
そうでなければ、深刻なミスにつながった全体の状況を見逃してしまう。
医療の分野には、事故の原因に対する「スイスチーズモデル(Swiss Cheese Model)」という考え方がある。
このモデル(図1-2参照)では、人間が関わるシステムを、穴の開いたチーズを何枚も重ねたものに例えて考える。
システムにはいくつかの層があり、ミスがシステムの穴をすべて通過してしまったとき、患者に直接の悪影響が及ぶ。
医療システムの「層」はいくつか考えられる。
医師の書く処方箋、調剤した薬剤師、薬の保存方法、準備して投与したナース、そして投与の手順……。
各層にはそれぞれ穴(予防策の欠陥)があるが、重ね合わせればミスの影響が患者に及ぶ確率は減らせる。
ジェニーの例で言えば、ナースは最後の砦だからミスの原因を押しつけられやすい。
しかし本来は、最後の層はインターフェイスのデザインでなければならない。
優れたデザインのインターフェイスが採用されていれば、タスクを終えるまでの「認識負荷」、つまり使う人の考える負担を減らし、ミスを減らすほうに意識を振り向けられる。
しかし残念ながら、今の医療業界では、穴を減らすどころか増やすデザインが使われている。
「認識容量(cognitive capacity)」という言葉がある。
これは、ある瞬間に脳が情報を保持できる許容量を指す。
量には限界があって、増やすことはできない。
ジェニーの事例では、ソフトが発信する情報が、ナースの認識容量を超えていた可能性が非常に高い。
ナースたちは、インターフェイスを使ってどうやって患者のケアをチャート化し、正しい順番に並べればいいかを理解するほうに、容量の大半を使ってしまった。
ナース(というよりすべての医療従事者)は、自分たちの足を引っ張る環境やツールに囲まれて働いている。
そして毎年数えきれないほどの医療ミスが起こっている以上、これが到底無視できない問題なのは明らかだ。
システムは破綻していて、デザインの面でも見直しの余地がある。
もちろん、インターフェイスを改善しただけで、問題が一気に解決するわけではない。
それでもデザインを仕事にしている以上、私たちはその役割を考え、インターフェイスの層をできる限り穴のないものにする必要がある。
医療業界でも、テクノロジーとデザインがミスに対する防衛ラインにならなくてはいけない。
ところがジェニーの事例では、テクノロジーが悲劇的なミスの大きな要因になってしまった。
デザイナーの役割と責任 p19
10人のデザイナーに「あなたの役割はなんですか?」と尋ねたら、全員ばらばらの答えが返ってくるだろう。
UXデザイナーのジャレド・スプールは、デザインとは「意図の描写」だと簡潔に述べている*3。
確かにとても正確で、筋が通っていて、コンパクトな定義だが、UXデザイナーとしては、ひとつ大切な要素を見落としている。
それは人だ。
私たちはデザインを、とりわけ人間が使う製品やソフトウェアのデザインを「プロダクトと人とのインタラクションを設計すること」だと考えている。
いいデザインは、わかりやすく、楽しく、そして便利だ。
逆に言えば、ひどいデザインは、人の行動を邪魔したり、行動にうまく馴染まなかったりするものが多い。
エンドユーザーのことを考えずに(あるいは、ユーザーはお客だという意識が薄いまま)ものを作れば、ほぼ間違いなくひどいデザインのものを作ることになる。
ひどいデザインのプロダクトは、クリエイター(あるいはスポンサー)が第一で、ユーザーは二の次だ。
いいデザインは、想定ユーザーを理解しようとして作られているから、ユーザーのニーズを満たす体験を生み出す。
優れたデザインには価値がある。
ユーザーに負担を強いるのではなく、ユーザーの生活をなんらかの形で前よりもいいものにする。
ありがたいことに、いいデザインは善意や楽しさの結晶というだけでなく、お金にもなる。
デザインにリソースを注ぐことは、意味のある投資なのだ。
専門家の中には、ユーザー体験に1ドルを費やすごとに100ドルの見返りがあるとまで言う人もいる*4。
クリエイター・ファーストで作られたプロダクトと、カスタマー・ファーストで作られた競合プロダクトがあったら、お客はまず間違いなく後者を選ぶ。
今のテクノロジー業界の状況を考えれば、プロダクトの機能で差を付け、多数のユーザーを抱き込むのは難しい。
だからこそこれからは、アクセシビリティの高いユーザー中心のデザインこそが差別化のポイントになる。
失礼なテクノロジーは自分勝手である p77
失礼なテクノロジーは、ことあるごとに前へしゃしゃり出てくる。
おそらくこれは、失礼なテクノロジーの最も典型的な特徴だろう。
人同士の交流では普通、まずは相手に話してもらい、自分の話はあと回しにするのが礼儀だとされているが、これはソフトウェアにも当てはまる。
ツールは常に、自分のニーズよりもユーザーのニーズを優先しなくてはならない。
ユーザーの事情を考えないソフトウェアは、間違いなく失礼とみなされる。
Xbox の無神経なアップデート p77
Xbox のユーザーは、本体のスイッチを入れるたび、定期的にソフトウェアのアップデート待ちを強いられる。
更新は「必須」で終わらなければホーム画面すら表示されない。
ときにはアップデート内容が膨大で、ダウンロードとインストールに膨大な時間がかかることもある。
システムによる更新の確認が終わらなければユーザーは遊ぶこともできないし、急いでいたり、忙しかったりしてすぐにインストールしたくないときに「スヌーズ」する、つまり更新をあと回しにするという選択肢も用意されていない。
ユーザーにできるのは、更新するかスイッチを切るかのどちらかだけ(図3-1参照)。
機械の側は、アップデートは最終的にユーザーのためになる大切な作業だと主張するが、その実、アップデートがすぐに必要な場面はそう多くない。
Google カレンダーのイベントリマインダー p78
Google カレンダーでは、ブラウザ上でカレンダータブを開いていて、ユーザーが忘れてはいけない予定のリマインダーを設定していた場合、今行っている作業を邪魔するかのようにポップアップが表示される。
ポップアップはOKを押さなければ消えず(図3-2参照)、非常にフラストレーションがたまる。
職場であれば、ユーザーは1日にいくつもミーティングの予定が入っているのが普通だから、ミーティングが近づくたび、カレンダーに作業を邪魔されて集中力を削がれることになる。
ある研究によれば、人はいったん集中力が途切れると、仕事のスムーズな流れを取り戻すのに最大で23分を要するという*2。
Google カレンダーがユーザーのためを思ってポップアップを出しているのはわかるが、ユーザーが何かしなくても消え、作業の邪魔になりにくい通知のほうがはるかに礼儀正しい。
失礼なテクノロジーはぐうたらである p79
失礼なテクノロジーは、ユーザーに必要以上の労力を強い、それでいて見返りは少ない。
人間の脳と違って、ソフトウェアは場所や設定、好みなどを記憶しておくのを非常に得意としている。
そうした強みは、ユーザーを助け、余計な負担を減らすために使わなくてはならない。
たとえば、携帯電話のアプリケーションでは多くの場合、承認が求められる(マイクやカメラへのアクセス許可など)。
そんなとき私たちが目にするのが、「設定を変更して許可してください」という素っ気ない文言だ。
なぜユーザーの側が、自分で設定ページを探して変更しなくてはならないのか。
なぜ自分ですべてやらなくてはならないのか。
こうした作業はユーザーではなくソフトウェアの側で行うべきだ。
そうでないと、頭を使う作業が無駄に増えるだけでなく、ユーザーは時間を取られる。
こうしたアプリは、設定の正しい格納場所と常にリンクしていなければならない。
Facebook のアプリ Messenger for iPhone はそのとてもいいお手本だ(図3-3参照)。
ぐうたらなテクノロジーの例をもうひとつ紹介しよう。
セルフレジ p80
90年代に開発されて以来、セルフ清算用の機械はどんどん浸透している。
考え方はシンプルだ。
お客がレジの仕事、つまりバーコードを読み取って代金を払う作業を自分でやってくれれば、お店はレジ係の給料を節約できる。
セルフレジ方式には問題点もあるが、お店とメーカーは難点を軽視しがちだ。
彼らは、機械のほうが作業が早く終わるし、お客とも積極的に触れ合っていあると主張する。
しかしテレビ局CBCの記者が行った実験で判明したのは、お客が自分で清算を済ませたほうが時間がかかるだけでなく、ミスも増えるという事実だった。
レジ係がいたほうが支払いは早く済み、問題も少ない。
印字がずれたバーコードをセルフレジの機械がうまく読み取れなかったせいで、お客が10ドルの芽キャベツに70ドルを請求されたこともあった*3。
時間がかかるだけでなく、失礼な指示を繰り返す点でも、この機械は極めつけの怠け者だ。
人間のレジ係が「台の上に商品以外のものを載せないでください!」とか「カードをどけてください!」とか叫ぼうものなら、お客から苦情が出るのは必至だろう。
人にやられてイヤな行動を、機械にやられて受け入れられるはずがない。
そして最後に、失礼なサービスに共通の特徴として、このテクノロジーは結局のところ導入する企業のためにもならない。
セルフレジ機はあまりに横暴で、導入したスーパーの売上が落ちることもあるのだ。
イギリスのレスター大学の犯罪学者2人が行った実験によれば、アメリカやヨーロッパの各地にあるセルフレジ機能による経済的損失は、約4%に達するという*4。
平均的なスーパーの利益率が3%前後なのを考えれば、これは壊滅的な数字だ。
最大の要因は、機械にフラストレーションをためた人が商品を万引きするケースが増えたことだった。
5人に1人が商品をくすねたことを認めたが、調査の結果わかったのは、常習化するのは持ち去っても大丈夫だと気づいたあとで、そして多くの人が、最初は機械がうまく動かないから盗んだと話していた。*5
この結果を補強する別の調査も行われている。
それによると、調査した人20%が、セルフレジのお店で万引きをしたことを認め、そしてそのうち60%が、理由としてバーコードが読み取れなかったことを挙げた*6。
失礼なテクノロジーは食い意地が張っている p82
失礼なテクノロジーは、まるでディナーパーティーであとの人のことも考えずに皿のチーズを食べ尽くすお客のように、デバイスの限られたリソースを好き勝手に無駄遣いする。
そうした「どか食い」は裏で続けられ、(データや回線容量、RAM、デバイスのスペレースといった)リソースを奪っていく。
ユーザーが操作したわけでもないのに、音楽を流したり、広告を表示したりすることもあれば、大容量のダウンロードやアップデートを実行して、裏で何が起こっているかわからないユーザーのことなどお構いなしに、インターネットやコンピュータの動作を遅くする。
iTunesのこっそりダウンロード p82
Appleのメディア・ライブラリであるiTunesは、ユーザーが別のAppleデバイスで何かを買うと、その商品をすぐにダウンロードする。
たとえば、AppleTVで高解像度の大容量の映画を買うと、iTunesがMacBookにダウンロードしようとする。
そのこと自体はありがたいが、やるならアクティブになっているソフトウェアの動作を妨げてはならない。
この仕様はどう考えても無効にする選択肢が必要だと思うのだが、それにはユーザーの側でいくつか作業をこなさなくてはならない。
まず、インターネットが重くなっている理由がiTunesにあることを突き止め、次に設定画面を探して設定を変更しなくてはならない。
こうした更新や同期、ダウンロードはどれも、ユーザーが意識的に無効にしない限り、アイドルタイムに勝手に実行される。
失礼なテクノロジーはユーザーにかまってほしがる p83
失礼なテクノロジーは、まるで3歳の子どものように、いつでもユーザーの邪魔をし、お知らせをし、何かを要求する。
最近では、ほとんどありとあらゆるウェブサイトが、訪れるたびに「登録してニュースレターを受け取りましょう!」と叫びかけてくる。
コンテンツを読み、登録してみようかという気が起こりもしないうちからだ。
作業の途中に「投票したいですか?」と訊いてくるアプリ。
ネットショップサイトで商品を比べているときに「アンケート対象に選ばれました」と邪魔をしてくるダイアログボックス。
こうした例は枚挙にいとまがない。
子どもがやったらお仕置き間違いなしの振る舞いを、私たちは機械だからという理由で黙ってがまんする。
礼儀正しいテクノロジー p85
これとは反対に、礼儀正しいソフトウェアとはどういうものかを見ていこう。
1. 何かを実行していいか、ユーザーに許可を求める
ごく当たり前に思えるかもしれないが、実はこうした機能が実装されていないことへの苦情は非常に多い。
アプリやソフトウェアは、アップデートを実行し、リソースの使用率を追跡し、ユーザーの情報を共有し、初期値として設定にする前に、簡潔で明快な言葉でユーザーに許可を求めなくてはならない。
二重否定を使った表現(「~を望まない場合は、チェックボックスにチェックを入れないほうを選び……」)はユーザーを混乱させる。
そして、たとえユーザーのためを思った仕様だったとしても、ユーザーの同意を得ないアクションは失礼で、ダークパターン(これについてはあとで解説する)に危険なほど近い。
ユーザーの利益を考えた仕様であっても、必ず許可を求めるソフトウェアの好例がChromeだろう。
インストールを終えると、Chromeは、クラッシュの報告と使用率の統計をGoogleに送ってもいいか、承認を求めてくる(図3-6参照)。
2. 別の選択肢を提示する
ツールが「これからなんらかのアクションを起こします」とユーザーに知らせること自体はいい。
しかしただ伝えるだけでは十分ではなく、ユーザーがアクションを実行するかの選択肢も示さなくてはならない。
一方的な宣言の一番悪い例が、アプリケーションのアップデートだろう。
必須のアップデートであれば、スヌーズの選択肢を常に示す必要はない。
しかしアップデートがセキュリティやパフォーマンス絡みのものであれば、たとえば夜中のうちに済ませるなど、あとで実行する選択肢を示さなくてはならない(図3-7参照)。
3. すべての選択肢と設定について説明する
選択肢と設定は、すべてはっきり表示するだけでなく、すべてのユーザーが正しい判断を下せるよう、十分な情報を添えなければならない(図3-8参照)。
4. できる限りユーザーのニーズを先取りする
レストランでは、グラスが空けばウェイターが水を注ぐのが良識だと考えられているが、同じことはデザインにも言える。
たとえば、別の国からアクセスしてきたユーザーがいた場合、ウェブサイトの側から別の言語や通貨のオプションを提示すれば、ユーザーはおそらく感謝するだろう。
Google検索の「次の検索結果を表示しています」機能もいいお手本だ。
Google検索では、仮にミスタイプがあっても、検索エンジンの側が正しい表記を予測して検索結果を表示する(図3-9参照)。
5. ユーザーの決断を尊重する(そして記憶する)
ユーザーのニーズを予測するのと、決断を強制するのとはまったく違う。
たとえば、カナダに住む人がアメリカのECサイトを訪れた場合、カナダドルを使えることや、サイトのカナダ版があることを知らせるのはユーザーのためになる。
しかし、ユーザーが必要ないという選択をしたなら、次のページ、あるいは次回の訪問で同じことを訊いてはいけない。
同じように、テクノロジーは、ユーザーがその選択をあえてしたという事実を尊重しなくてはならない。
その操作が取り返しのつかない事態を招くのでない限り、機械はユーザーがわかってやっているということを信用しなくてはならない。
Amazon.comは、そのあたりを実に賢くこなしている。
カナダの人がAmazon.com、つまりアメリカ版のサイトを訪れた場合、AmazonはAmazon.caバージョンがあることを知らせ、同時にその知らせがあと何回表示されるかも知らせてくる(図3-10参照)。
6. 言葉づかいに気をつける
「本当にあなたは、保存しないで終えてもあなたは大丈夫ですか?」というダイアログが表示されたら「なんだその訊き方は?」と感じずにいるのは難しい(「本当に」保存しないで終えても大丈夫?)。
ユーザーのためを思った指示と、お節介な指示とのあいだのバランスを取るのは難しいが、大人が子どもに言い聞かせているように見えたら、言葉づかいを考え直したほうがいい。
お節介に見えるのを避けるには、まず二人称を減らすことだ。
ユーザーに直接話しかけているトーンを出すのはいいことだが、「あなた」が同じ文に2回も出てくるのはやりすぎだ。
世界の言語の中には、フォーマルな場で単音節の二人称を使うのは絶対にNGというものもあるから、そうした言語ではその点は特に大切になる。
自分の側にどんな動機があろうと、助言を与えたり手を貸したりするときは、まず助けが必要かを尋ねよう。
不要な救いの手はお節介で恩着せがましいと思われかねない。
尋ねずにいきなり助けるときは、差し迫った理由があることをあらかじめ伝えよう(図3-11参照)。
ユーザーのためになる助け方をするのも大切だ。
ユーザーが「こうしてほしい」と思っている助け方と、自分がやってほしい助け方が同じとは限らない。
7. おまけ: 必要な場合は礼儀正しいふりもする
礼儀正しいふりをするやり方も、場合によっては有効だ。
言葉当てゲームのアプリについて調査したあるチームは、ユーザーが答えを間違ったときにただ「不正解」と表示するより「すみません、ヒントの出し方が下手だったようです」と表示したほうが、ユーザーの満足度が高くなることを発見した*7。
ミスが起こったときに、ユーザーではなく状況のせいにするのはいい方法だ。
同じように、ユーザーがニュースレターの登録を解除したなら「お会いできなくなるのが残念です」という言い方が効く。
とはいえユーザーに罪悪感を抱かせてはいけないから、こうした言葉を表示するのは(登録解除などの)操作の前よりもあとにするのが礼儀だ。
人ではなく状況を責めるインターフェイスのいい例としては、メール配信ツールMailChimpのログイン画面が挙げられる(図3-12参照)。
ユーザーの「Dribbble化」 p111
なんらかの体験を生み出そうとするとき、私たちデザイナーは、ユーザーに喜びや楽しさ、価値を実感してほしいと考える。
つまり、常に目標は、明るい感情を抱いてもらうことになる。
だからデザイナーは、前向きな姿勢で仕事に臨まなくてはならない。
しかしそうした姿勢で仕事をしていると、実際のユーザーや彼らの実生活に即した、ユーザーの失敗を想定したデザインをできなくなる。
そのことは、DribbbleやBehanceといったデザイナーの作品とそのコンセプトを紹介した人気のウェブサイトを見ればすぐわかる。
デザイナーは、インターフェイスのサンプルを笑顔のモデルや壮大な入り口、エキゾチックな背景の大きくて鮮明な画像で埋め尽くすところが、アプリを開いたユーザーがそうしたものを使うことは実際にはほとんどない。
現実には、ユーザーのプロフィール画像は遠くから撮った小さな姿だったり、ぼやけていたりする。
背景はにじんでいるし、コンテンツもこちらが用意した派手で理想的なサンプルと違って地味なものだったりする。
プロダクトを発売し、ユーザーがアプリを使い始めてようやく自分たちの失敗に気づくのは、デザイナーにありがちな過ちだ。
同僚と「自分たちはユーザーじゃないぞ」と常に言い聞かせながら仕事をしていても、気づけば自分たちのためでもなければユーザーのためでもない、自分たちの頭の中の理想のペルソナのためだけのデザインをしてしまっていることがよくある。
ニーズと行動が、企業側のビジネス目標と奇跡的にマッチしている人物を頭の中に作り上げてしまうのだ。
ユーザー中心のデザイン(User-centered design、 UCD)が効果的なのは、まずはユーザーをよく理解し、その上で何かをデザインするというやり方が体に染みつくからだ。
ユーザーのニーズや行動原理を理解してはじめて、解決策を考えることができる。
最初にプロダクトをデザインし、ユーザーのニーズと商品の機能が一致していることを期待するやり方は、まずうまくいかない。
ユーザーのことをしっかり知れば、現実の人生にはいくつもの浮き沈みがあり、大冒険もあれば退屈な午後も、楽しみも悲しみもあるとわかる。
それなのにデザイナーは、どうしてもユーザーは理想的で前向きな、善意を持った人物だという虚像に囚われがちだ。
ユーザーは昼ドラの登場人物ではないし、出番が終われば人生を歩むのをやめるわけでもない。
その事実を忘れてしまうことは、デザイナーが最初に犯しがちな過ちと言える。
自責の念と屈辱感 p117
プロダクトに対するフラストレーションは、自責の念と屈辱感という形で、ユーザーの心の一番深い部分を傷つける。
ユーザーは、製品がうまく使えないのは自分がミスをしたから、あるいは自分の使い方が下手だからだと思い込む。
そうした小さな傷がユーザーの心に積み重なり、やがて大きなダメージになるということに、私たちデザイナーはなかなか気づけない。
こうした自責の念が原因で、ユーザーはテクノロジーを遠ざけたり、他人の前で使うのを避けたりするようになる。
ユーザーはたいてい1人でプロダクトを使う。
どれくらいうまく使えているかをほかの人と比べる機会はなく、たくさんの人が使えているのだから、問題があるのは自分のほうだと思い込む。
思い込みは疎外感につながり、やがて使い方がわからないつらさや屈辱感を味わいたくないと、テクノロジーを自分から避けるようになる。
痛みや不快感、フラストレーションを味わうくらいならと、孤立するほうを選ぶ。
「パワーユーザー」向け機能 p117
はじめてプロダクトを使う人が、疎外感を抱かないようにするための方法はいくつかある。
まず大切なのは「新入り」の利益よりも「パワーユーザー」、つまり熟練ユーザー向けの機能を優先しないことだ。
こうした機能は、どんなに優れていても、初心者向け機能を犠牲にして搭載してはならない。
ショートカット p117
ショートカットを使わなければ、あるいはアイコン表示しかない(文章が付いていない)操作をしなければたどりつけないオプションには注意が必要だ。
見つけ出すのにどれだけ手間が要るかを考えてほしい。
ツールチップは非常に便利だが、カーソルがなければ機能しない(携帯電話やタブレットでは役に立たない)。
この問題にはいい解決策がひとつある。
「ヘルプ」メニューの直下に検索機能を置くやり方で、macOSの多くのアプリケーションがこの方式を採用している(図4-2参照)。
こうしたアプリでは、単に入力語にマッチした検索結果を表示するだけでなく、ユーザーに、次に探すときはどこへ行けばその機能が見つかるかを教えてくれる。
すべての項目にショートカットキーが付いているのもポイントで、これも新規ユーザーを考慮したやり方だ。
欲を言えば、⌥や⇑、^といったシンボルはなかなか理解できない人も多いだろうし、キーボードに印字されているとも限らないので、きちんとAltキーやOptionキーといった形で表記してほしかった。
この点はGoogleドキュメントのほうが優れている(図4-3参照)。
わかりやすい設定にする p119
新しい設定を加えるときは、複雑さに見合った価値があるかを自問しよう。
その上で、どれも必須なのであれば、複雑で使用頻度の低いものを隠したり、まとめたりすることを検討してほしい。
もっといいのは、設定ページに使い方の実例をビジュアルの形で直接貼り付けることだ。
そうすれば外国のユーザーも喜ぶだろう。
デザイナーは誤解しがちだが、ユーザーはプロダクトのことを隅から隅まで理解できるわけではない。
デザイナーはよく、理解力の低いユーザーを助けるのは手間だと考え、彼らの存在を最初から無視し、いなくなっても引き留めようとしない。
自分たちが相手にしているのは「パワーユーザー」や「モダンユーザー」、あるいは「若い人」だと思っている。
しかし実際には、そうしたユーザーが問題に出くわさないわけではないし、誰でも簡単に使えるプロダクトをデザインしないのは、手に入るお金を逃しているのと同じだ。
誰にも理解できないオプション p119
これから紹介するのは、シンシアがあるゲームデザイナーのグループを対象にワークショップを行ったときの話だ。
先日、あるテレビゲーム会社でワークショップを開いた。
集まった面々に、自分は「ゲームマニア」だと思うかと訊くと、ほとんどがそう思うと答えた。
その証拠に、私がプレゼンで、いろいろなゲームの画面のスクリーンショットを表示して「これはなんというゲームですか」と訊くと、彼らはゲームのタイトルをひとつ残らず言い当てた。
ほとんど聞いたことのない、インディーズのゲームもだ。
そのあと私は、大人気ゲーム「ディアブロ3」のゲームプレイのオプションをいくつか示し(図4-4参照)、「垂直同期(vertical sync)」と「クラッター密度(clutter density)」の意味を尋ねた。
会場がしんと静まりかえった。
私は常々、こうしたオプションの正確な意味も知らないようでは、自分もまだまだゲームマニア(パワーユーザー)とは言えないなと思っていた。
ところが今私の目の前にいるのは、ゲーム開発者とゲームデザイナーの集まりなのだ。
彼らなら当然、こうしたことはよく知っているはずだと思っていた。
ところがこの2つのオプションの具体的な意味を説明できなかった。
ならなぜ、このオプションはどのプレイヤーにも見える場所に置いてあるのか。
新規プレイヤーに疎外感を与えないだろうか。
詳細設定はまとめられないか。
説明を加えるべきではないか。
いや、それよりもいいのはわかりやすい実例を示すことではないのか。
10. 世界をもっと暮らしやすい場所にするために、デザインにできることはなんでしょうか? p144
デザインは問題を解決するためにある。
「デザイン」という言葉はラテン語の「デ・シグナーレ(de signare)」から来ている。
「作り出す」という意味だ。
デザイナーには、アイデアを具体的な形状や行動に昇華させる力がある。
新しいアイデアで古い問題を解決することで、私たちはこの世界を作り変えていく。
デザイナーには、サンドイッチのレビューアプリを作ることも、人々の生活の改善に取り組むこともできる。
選ぶのは自分だ。
私たちの意識がサービスや生きる目的、人間性の問題の解決にシフトしていけば、デザインは世界をもっといい場所に変えられる。
デザイナーは翻訳し、コミュニケーションを取り、シンプルにし、人々の目標達成を助けることで、世界を救っている。
デザイナーとして社会で積極的な役割を果たすには、次のような疑問を持ってほしい。
・使う市民にとって、そのツールやサービスはどんな意味があるか
・世界が直面している問題に対して、自分ができることは何か
・世界をもっといい場所にするために、これまで何をしてきたか
仮にこの国がよくない方向へ進んでいると感じるのであれば、それは我々デザイナーの責任だ。
インターネットへのアクセスは人権だという考えを持つ p160
今の私たちは、仕事、教育、政府サービス、娯楽、買いもの、健康などなど生活のあらゆる面をテクノロジーに支えられている。
障害のある人を見捨てない社会を実現するためにも、私たちはアクセシビリティの高いインターネットをデザインしなければならない。
脊髄損傷で体が麻痺した俳優のクリストファー・リーヴは、以前こんなことを言っていた。
そう。
(インターネットは)不可欠なツールだ。
障害のある人の多くにとって、まさしく命綱と言える。
私はDragon Dictationという音声入力アプリを使っている。
リハビリの最中に使い方を身につけ、今ではそれを通じて友人や見知らぬ人とのコミュニケーションを楽しんでいる。
障害のある人の多くがひとりぼっちで長い時間を過ごしている。
音声動作式のコンピュータは、孤独感を払拭するコミュニケーション手段だ。
国連は、インターネットへのアクセスは人権だと宣言している。
インターネット(Internet)は、今や頭が大文字の固有名詞であり、パブリックドメインだ。
インターネットの構築は、街の都市計画と同じくらい大切なものになっている。
体に障害のある人が暮らしにくい街を作らない(少なくとも作ってはいけない)のと同じで、一部の人しか入れないウェブも作ってはいけない。
建築の世界では、一部の人のアクセスが制限される建物を「有害な建築(hostile architecture)」と言う。
私たちもみんなで、有害なウェブを作らないようにしよう。