「サイコロジー・オブ・マネー」を 2,023 年 07 月 17 日に読んだ。
目次
- メモ
- p9
- お金との賢いつき合い方は、「人間心理」から学べる p11
- p37
- p40
- ビル・ゲイツとケント・エバンス―同じ確率が2人の人生を分けた p40
- p46
- p46
- 「称賛」と「批判」の差は、紙一重 p50
- リスクと運はドッペルゲンガー p52
- 私たちは、ウォーレン・バフェットを目指してはいけない p54
- 何事も、見かけほど良くも悪くもない p57
- p65
- p79
- p83
- p84
- p88
- p92
- 3. 未来に楽観的であれ p100
- p106
- p109
- p112
- p113
- 全体の1%以下の行動が、投資の成否を決める p114
- 半分以上失敗しても、成功できる p117
- p122
- お金が人生にもたらす最大の価値は「自由」 p126
- p133
- p136
- p140
- p145
- 「ウェルス」と「リッチ」はまったくの別物 p146
- 富を築くには、「収入」より「貯蓄率」が大切 p154
- 収入 - エゴ = 貯蓄 p158
- 「目的のない貯金」が最大の価値を生む p159
- 経済学者でさえ、数学的に正しい投資戦略を取れない p171
- p174
- ファイナンスの答えは「過去」にはない p181
- 世界にはサプライズが潜んでいる p187
- 世界の「常識」は、刻々と変化している p190
- p200
- 余裕のある計画が、勝利をもたらす p200
- 「誤りの余地」は攻めの戦略 p205
- p218
- p220
- 1. 極端なファイナンシャルプランは避ける p223
- p228
- 投資の神様は、代償を支払わずにリターンを求める者を嫌う p229
- 投資の代償は「罰金」ではなく「入場料」だと考える p237
- 今日のグーグル株が割安かどうかは人によって違う p243
- 短期トレーダーがつくったバブルに惑わされるな p249
- p251
- p252
- p256
- p256
- p269
- p282
- 市場やビジネスまでコントロールできると思うな p287
- p297
- p306
- 私の「貯蓄」に対する考え方 p308
- 私の「投資」に対する考え方 p314
メモ
p9
なぜファイナンスの世界では、清掃員のリードがトップエリートのフスコーンに負けない成果を出し得るのか?
それは2つの理由から説明できる。
1つは、経済的な成果は、知性や努力とは無関係の「運」に左右される部分が大きいからだ。
これはファイナンスの世界の真実であり、本書でも以降の章で詳しく説明する。
もう1つの理由は(私はこちらのほうがより一般的だと考えている)、
経済的な成功は「ハードサイエンス(物理学や数学などの分野)」では得られない、というものだ。
経済的な成功は、何を知っているかよりも、どう振る舞うかが重要な「ソフトスキル」の問題なのだ。
私はこのソフトスキルを「サイコロジー・オブ・マネー(お金の心理学)」と呼んでいる。
化学や物理学のようなものではなく、複雑で測定が難しい人間の心理や行動が大きく関わっているからだ。
このソフトスキルは、ひどく過小評価されている。金融は数学に基づいた分野だと見なされているからだ。
データを入力すれば数式が自動的に答えを出してくれ、人間はその答え通りに行動すればいいと考えられている。
それは、「半年分の生活資金を用意すべき」「給料の10%を貯蓄すべき」などのアドバイスが溢れるパーソナル・ファイナンスの世界にも当てはまる。
また、金利とバリュエーション(企業価値評価)の正確な相関関係が示されている投資の世界でも、CFO(最高財務責任者)が正確な資本コストを測定できるコーポレートファイナンスの世界でもそうだ。
こうした考えが間違っているわけではない。
しかし実際のところ、ファイナンスの世界では、「何をすべきかを知っていることと、その人が実際に取る行動はまったくの別物」なのである。
過去20年間、金融業界は一流大学を出た優秀な人材を引き寄せてきた。10年前、プリンストン大学工学部で一番人気のある専攻科目は金融工学だった。
しかし、それによって人々の投資の腕は上がっただろうか?
私にはその証拠が見当たらない。
人類は長年にわたる試行錯誤の結果、より良い農業従事者、配管工、化学者になる方法を学んできた。
しかし、同じように長年にわたる試行錯誤の結果、私たちは家計のやりくりが上手になっただろうか?
借金をしなくなり、万一に備えて貯金ができるようになっただろうか?
老後資金を蓄えられるようになり、お金で買える幸せと買えない幸せを区別できるようになっただろうか?
私はこれらを裏付ける説得力のある証拠を見たことがない。
お金との賢いつき合い方は、「人間心理」から学べる p11
私がお金の人間心理について深く考察するようになったきっかけは、10年以上にわたってファイナンスについての記事を書いたことだった。
書き始めたのは、2008年の初め。
ちょうど世界金融危機が起きたところで、世界経済は過去30年間で最悪の不況に見舞われていた。
私は記事を書くために、今、目の前で起きている危機について詳しく知りたいと思った。
だがすぐに、この金融危機について、何が起こったのか、なぜ起こったのか、何をすべきなのかを、誰も正確に説明できていないことに気づいた。
説得力のある説明に対しては、必ず同じくらい説得力のある反論があった。
金融危機について学び、書くほどに、この問題はファイナンスではなく、
心理学や歴史のレンズを通したほうがより良く理解できるという確信を抱くようになった。
私は、フランス人哲学者ヴォルテールの「歴史は繰り返さない。繰り返すのは常に人間である」という名言が好きだ。
この言葉は、人間のお金に対する振る舞いにもよく当てはまる。
人がなぜ借金をするのかは、金利の専門知識を学んでも理解できない。
必要なのは、人間の欲望や不安、楽観主義の歴史を学ぶことだ。
投資家がなぜ下げ相場の底で資産を手放すのかは、将来のリターンの計算方法を学んでも理解できない。
必要なのは、「失敗したら家族を路頭に迷わせてしまうかもしれない」という不安に怯えながら配偶者や子どもの顔を見つめている投資家の心理を学ぶことだ。
p37
だから、老後のための貯蓄や投資に苦手意識を持つ人が多いのも無理はない。
私たちの考え方がおかしいわけではない。私たちはみな、初心者なのだ。
学資ローンについても同様だ。
25歳以上のアメリカ人で学士号を持つ人の割合は、1940年には20人に1人以下だったのが、2015年には4人に1人になった。
そのあいだ、大学の学費は平均で4倍以上にも増えた。
極めて重大な社会変化が、あまりにも急激に起こった。
だからこそ、過去20年間で学資ローンに関して愚かな判断をする人たちがこれほど多かったのだ。
何十年にもわたって経験が蓄積されてきたわけではないため、どれくらい借り、どう返済するかを手探りで考えなければならなかった。
インデックスファンドの歴史も、50年に満たない。
ヘッジファンドも過去25年のあいだに広まったものである。
住宅ローンやクレジットカード、自動車ローンなどの消費者金融が普及したのも、
第二次世界大戦後、「GIビル」と呼ばれる復員軍人援護法のおかげで大量のアメリカ人が簡単にローンを組めるようになったことがきっかけだ。
私たちは、お金に対しておかしなことをする。
それは、誰もがこのゲームにまだ慣れていないからなのだ。
みな、自分独自の経験に基づいて、その時々に意味があると思われる判断をしているだけなのである。
犬が家畜化されたのは1万年も前だ。だが、今でも野生の祖先の本能が残っている。
私たち人類は、20~30年しか経験を積んでいないのに、現代の新しい金融システムに完璧に馴染もうと努力している。
p40
運とリスクはきょうだいだ。
どちらも、「人生は個人の努力を超えた大きな力に左右される」という現実を示している。
ニューヨーク大学教授のスコット・ギャロウェイは、私たちが(自分自身を含めた)人の成功を判断するときに思い出すべき重要な考えについてこう述べている。
「何事も、見かけほど良くも悪くもない」
ビル・ゲイツとケント・エバンス―同じ確率が2人の人生を分けた p40
ビル・ゲイツが通っていたハイスクールには、生徒が自由に使えるコンピューターがあった。
それは当時、世界的に見てもごく珍しいことだった。
その学校、シアトル郊外のレイクサイド・スクールにコンピューターが導入された経緯もドラマチックだ。
第二次世界大戦中に海軍のパイロットだったビル・ドーガルは、退役後、ハイスクールの数学と科学の教師に転身した。
マイクロソフト社の共同創業者である故ポール・アレンはこう回想している。
「ドーガルは教科書だけの勉強では不十分で、実際に手を動かしながら学習できる手段が心配だと考えていた。
またこれからの時代、生徒たちが大学に入ったらコンピューターの知識が求められるようになると見込んでいた。」
ドーガルは1958年、レイクライド・スクールへのコンピューター導入を同校の父母会に発案した。
費用は毎年恒例のバザーで得る収益金でまかない、「テレタイプ・モデル30」の端末を1台リースして、
ゼネラル・エレクトリック社のメインフレームに接続し、タイムシェアリング方式(大型で高価な汎用コンピューターを複数の端末に接続し、ユーザーが同時に使用することで、廉価で使用できるようにする方式)で利用するというものだった。
「タイムシェアリングは1965年に登場したばかりだった。とても先見の明のあるアイデアだった」とゲイツは後に語っている。
p46
“世の中には運とリスクが大きな影響を及ぼしている”と十分に理解したとき、私たちは気づくはずだ。
自分を含む誰かの経済的な成功や失敗は、見かけほど良いものでも悪いものでもないということに。
p46
私たちは本心では、経済的な成功に運がまったく影響していないとは思っていない。
だが、運を具体的な数値で表すのは難しく、誰かの成功を運によるものだと仄めかすのも無礼に当たる。
だから、成功をもたらした原因の一部が運であるという事実を見て見ぬふりしようとする。
「世界に10億人いる投資家のなかで、運だけで億万長者になった者が10人いると思うか?」と尋ねられれば、「もちろんだ」と答える人は多いだろう。
だが、その投資家の名前を、本人の目の前で挙げてみろと言われれば躊躇するはずだ。
私たちは、他人の成功を"運に恵まれたから"と公言することに抵抗を覚える。
たとえそれが事実だとしても、嫉妬深く意地悪な人間だと見なされることを恐れるからだ。
同じく、自分の成功を"単に運が良かっただけだ"と評価することも受け入れがたい。
能力や努力がまったくなかったように感じられてしまうからだ。
経済学者のバシュカー・マズムダーによれば、兄弟間の収入は、身長や体重よりも相関性が高い。
つまり、金持ちで背が高い人がいたら、その弟は長身であるよりも金持ちである可能性のほうが高いのだ。
このことを直感的に理解している人は多いはずだ。
なぜなら人の経済的な豊かさは、両親の社会経済的地位に大きく依存しているからだ。
同じ親のもとに生まれ、同じような教育を受けて人生の機会を得た兄弟は、同じくらいの収入を得るケースが多い。
だが金持ちの兄弟はたいてい、"自分たちにはこの研究結果は当てはまらない”と思っている。
成功と同じように、「失敗」も誤解されている。
破産したときも、目標を達成できないときも、運以外の何かが原因だと考えられがちだ。
会社が倒産したのは、努力が不足していたから? 投資が失敗したのは、十分に考えていなかったから? 仕事がうまくいかなかったのは、怠けていたから?
もちろん、それが当てはまる場合はある。
だが、それが当てはまるのはどの程度だろうか?
それを正確に知るのは至難の業だ。
何であれ、価値あるものを追い求めようとするとき、100%成功するとは限らない。
うまくいかずに、不運に見舞われることもある。
成功した場合であれ、失敗した場合であれ、ある結果がどの程度意図した通りに現実化したものなのか、
どれくらい偶然の要素が混じっていたのかを厳密に理解しようとすると、話があまりにも難しく、複雑になってしまう。
たとえば、買った株の価値が5年後に激減したとする。
その株を買う判断自体が間違いだったのかもしれない。
あるいは、儲かる確率が8割あったのに、たまたま不運な2割を引いてしまったのかもしれない。
どちらが真実なのかを、どうやって判断すればいいだろうか。
自分の判断が間違っていたのか? それともリスクが現実化しただけなのか? それは誰にもわからない。
良い判断をしたものの、たまたま不運に見舞われて資産を失った投資家は、フォーブス誌の表紙を飾ったりしない。
特に優れた判断をしたわけでもなく、ときに無謀な判断をしたにもかかわらず。
たまたま幸運に恵まれて資産を築いた投資家は、当たり前のようにこのビジネス誌の表紙に登場する。
だが、この2種類の投資家は、同じコインの裏表に過ぎない。
どちらに転んだかは、偶然による要素が大きいのである。
危険なのは、このような個々の事例を見て、お金について何がうまくいき、いかないのかを学ぼうとすることだ。
どんな投資戦略が効果的で、どれが効果的でないのか? どんなビジネス戦略が効果的で、どれがそうではないのか?
どうすればお金持ちになれるのか? 貧乏にならないためにはどうすればいいのか?
私たちは個別の成功例や失敗例を見て、「あの成功者がしたのと同じことをしよう」「あの失敗者がしたことは避けよう」というふうに、そこに教訓を見いだそうとしてしまう。
だが、これらの結果のうち、再現性のある部分と、偶然の運やリスクによってもたらされた部分の割合を正確に知ることは、魔法の杖でもなければ不可能だ。
個々の成功例や失敗例を見て、見習うべき特性や避けるべき特性を見極めるのは、恐ろしく難しいのである。
「称賛」と「批判」の差は、紙一重 p50
大成功を収めながらも、その成功の要因が運なのか能力なのかがはっきりとはわからない人物を他にも紹介しよう。
米国史上屈指の富豪として知られる19世紀の実業家コーネリアス・ヴァンダービルトに、こんなエピソードがある。
ヴァンダービルトは、自らが経営する巨大な鉄道事業を拡大させるために、取引先との契約書にサインをした。
すると、側にいた顧問が身を乗り出し、これらの取引はすべて法律に違反していると忠告した。
これに、ヴァンダービルトはこう反論した。
「まさか、ニューヨーク州の法令にきっちりと従いながら、鉄道会社を運営できると思ってるんじゃないだろうな?」
私は初めてこのエピソードを読んだとき、「だから、彼は成功したんだ」と思った。
当時は、新技術である鉄道にまだ法律が対応していなかった。
だからヴァンダービルトは、「かまうものか」という態度で強引に前に突き進んだのだ。
実際、ヴァンダービルトは実業家として大成功を収めた。
だから私たちは、法を法とも思わないような彼の悪名高き姿勢を、賢く知恵を働かせた証だと見なそうとする。
あの肝玉の据わったビジョナリー(先見の明のある人物)は、何にも屈することなく我が道を歩んだのだ、と。
しかし、こうした分析は危険だ。
まともな感覚で判断すれば、法を破ることが企業家にとって重要な資質だと考えるのは間違っているとわかるはずだ。
歴史に「もし」があれば、裁判所の判決次第で、ヴァンダービルトが「法を犯して事業を台無しにしたとんでもない実業家」と見なされることも十分に考えられる。
リスクと運はドッペルゲンガー p52
ベンジャミン・グレアムは、史上屈指の投資家であり、バリュー投資の父、若きウォーレン・バフェットの師としても知られている。
ただしグレアムの投資家としての成功の大半は、ガイコ社の株式を大量に保有していたことによるものだった。
しかもこの株式の保有の仕方は、グレアム本人が認めているように、彼がその有名な著書に記した分散投資のルールには従っていなかった。
グレアムも、ガイコ社の株式が大当たりしたことについてこう書いている。
「幸運と極めて賢明な投資判断。この2つを見分けることはできるだろうか?」
そう、それは簡単ではない。
私たちは、ウォーレン・バフェットを目指してはいけない p54
何が運で、何が技能で、何がリスクなのかを見極める難しさほど、資産形成の最善策を学ぶときに直面する大きな問題もない。
それでも、私たちをより良い方向に導いてくれる指針は2つある。
「誰かを絶賛してこんなふうになりたい」と憧れたときや、誰かを見下して「こんなふうにはなりたくない」と思ったときに気をつけること。
加えて、誰かの成功や失敗の原因が100%、その人の努力や判断にあると思い込むことにも注意が必要だ。
私は、息子が生まれたとき、将来の彼に向けて次のような内容の手紙を書いたことがある。
教育熱心な両親のもとに生まれる者もいれば、勉強以外のことを重視する両親のもとに生まれる者もいる。
起業が奨励される豊かな経済のなかで生まれる者もいれば、戦争や貧困のなかで生まれる者もいる。
パパは君に成功してほしい。
君が自分の力で成功を勝ち取ることを願っている。
だけど、あらゆる成功が努力によるものでもないし、あらゆる貧困が怠惰によるものではないことは知っておくべきだ。
誰かを――自分自身を含めて――評価するときは、このことを忘れないように。
何事も、見かけほど良くも悪くもない p57
ビル・ゲイツはかつてこう言った。
「成功とはいい加減な教師だ。賢い人にも、"自分は負けるはずがない"と思わせてしまう」
物事が順風満帆に見えるときも、自分が思っているほどすべてがうまくいっているわけではないという戒めの気持ちを忘れてはいけない。
無敵な人間などいない。
成功をもたらしたのが運であるのなら、そのきょうだいであるリスクがすぐそばにいて、状況を簡単にひっくり返してしまいかねないことを自覚しておくべきだ。
同じことは逆の場合にも当てはまる。
失敗はいい加減な教師だ。
たまたま運悪くリスクが現実化してしまっただけの場合でも、賢い人に"自分の判断は最悪だった"と思わせてしまう。
失敗にうまく対処するコツは、1度や2度、投資に失敗したり、経済的な目標を達成できなかったりしたとしても、自信を失わないようにすることだ。
必ずいつかは偶然が自分にとって良い方向に働くときが来ると信じながら、プレイし続けるのだ。
成功における運の役割を理解するほど、失敗におけるリスクの役割も理解できるようになる。
そうすれば、自らの失敗を振り返るときも、自分自身を許し、冷静に結果を分析できるようになる。これはとても重要なことだ。
成功と失敗には、運とリスクが大きく影響している。
だから、"何事も、見かけほど良くも悪くもない"のだ。
p65
このジャーナリストは、マドフの会社の不正な取引に気づかずに記事を書いたのではない。
フのマーケットノイキングビジネスは、合法的なものだったからだ。
元スタッフによれば、同社は年間2500万ドルから5000万ドルの利益を上げていたという。
このビジネスは、間違いなく大成功を収めていた。
マドフはそれによって莫大な富を合法的に手に入れた。
それなのに、詐欺を働いたのだ。
なぜクブクとマドフのように数億ドルの資産を持つ人間が、
もっと多くの富を得ようとしてすべてを危険にさらす行為に手を染めたのか。
これは、貧困者がどうしょうもなく手を染める犯罪とは性質が違う。
たとえば、詐欺罪で逮捕された過去を持つあるナイジェリア人は、ニューヨーク・タイムズ紙にこう語っている。
「他人を傷つけることには罪悪感を覚えるが、極貧の生活をしているとこうした痛みを感じなくなる」
だが、グプタとマドフはそうではない。
2人はすでに、すべてを手にしていた――想像を絶する富、名声、権力、自由。
それらすべてを捨てたのは、さらなる欲望に突き動かされたからだ。
彼らには、「十分」の感覚がなかった。
p79
パフェットが本格的な投資を始めたのは10歳のとき。
30歳の時点で、純資産はすでに100万ドル(現在の930万ドルに相当)に達していた。
もし、パフェットが人並みの人生を歩んでいて、たとえば10代や20代は見聞を広めるために世界を放浪し、30歳の時点で純資産2万5000ドルから投資を開始したとする。
そして現在の彼と同じように驚異的な年間収益率(年間22%)で投資を続け、60歳で引退して、後はゴルフを楽しんだり孫と遊んだりする日々を過ごしているとしよう。
その場合、バフェットの現在の純資産はいくらになるのだろうか?
845億ドルではない。1190万ドルである。
現在より99.9%も少ない純資産しか持っていないことになる。
つまり、ウォーレン・バフェットの経済的成功の秘密は、若い頃に経済的基盤を築き、長期間にわたって投資し続けたことにある。
バフェットの投資の技術は優れている。
だが、成功の最大の要因は“時間”だった。これが複利の力だ。
p83
繰り返すが、複利がもたらす大きな変化は直感的には理解しづらい。
だから、賢い人でもその力を見落としてしまうことがある。
あのビル・ゲイツも、2004年に提供が始まったGメールに対し、なぜ1ギガバイトものストレージが必要なのかと疑問を投げかけた。
作家のスティーヴン・レヴィは、「ゲイツは最先端のテクノロジーに精通しているにもかかわらず、
"ストレージには特別な革新は必要ない"という古いパラダイムに根ざした考え方をしていた」と指摘している。
ゲイツのような人物でさえ、何かが急激に成長することに慣れるのは難しいのだ。
p84
景気循環やトレーディング戦略、産業分析に関する本は無数にある。
だが、投資に関する最強かつ最重要のアドバイスが書かれた本のタイトルは、「黙ってじっと待て」であるべきだ。
この本の中身は、長期的な経済成長を示すチャートが1ページにまとめられているだけである。
巨額の投資リターンを得るために必死になっている人を責めることはできない。
直感的には、それがお金持ちになる一番の近道のように思えるからだ。
だが良い投資とは、必ずしも巨額のリターンを得ることではない。
巨額のリターンはたいてい一度限りのものであり、二度と得られないからだ。
良い投資とは、そこそこのリターンを繰り返し何度も手に入れ続けることである。
そのとき、複利が最大の力を発揮する。
p88
裕福になる方法は無数にある。
そのための本も数え切れないほど出ている。だが、裕福さを保つ方法は1つしかない。
それは、倹約と心配性の組み合わせだ。このテーマは十分に議論されていない。
p92
この逸話から得られる教訓は、決して富裕層にだけではなく、あらゆる収入レベルの人に当てはまる。
つまり、お金を得ることと、それを維持することは別物なのだ。
しかし、お金を維持するには、それとは正反対のことが必要だ。
まず、謙虚にならなければならない。
築いた資産があっという間になくなるかもしれないという緊張感を忘れず、倹約に努める必要がある。
自分が稼いだお金の一部は運によるものであり、過去の成功が永遠に繰り返されるとは限らないことを受け入れなければならない。
ベンチャーキャピタルとしては珍しく、40年にわたって繁栄し続けるセコイア・キャピタル社のマイケル・モリッツも、テレビ番組でその成功理由を尋ねられ、こう答えている。
モリッツ「それは、常に倒産を恐れていることだと思う」
司会者「つまり"恐れ"が成功の秘訣だと? "パラノイアだけが生き残る"〔インテル 社元CEOアンドリュー・グローブが語った有名な言葉で、パラノイア(極度の心配性)でなければビジネスの世界では生き残れないという意味〕ということですか?」
モリッツ「まさにその通りだ。(中略)我々は、明日は昨日と同じではないと思っている。成功を手にしたからといって、安穏としているべきではない。慢心は禁物だ。昨日の成功が、明日の幸運につながると考えてはいけない」
3. 未来に楽観的であれ p100
通常、楽観主義とは、「物事がうまくいくと信じること」だと定義されている。だが、これでは不十分だ。
賢明な楽観主義とは、「たとえ途中で不運に見舞われたとしても、長期的に見れば物事は自分が望む方向に進むと信じること」である。
長い道のりを歩もうとすれば必ず浮き沈みがある。
長期的には右肩上がりに成長すると楽観的に考えながら、その途中には地雷がたくさん埋められていることも予め想定しておくべきだ。
この2つは、相反するものではない。
「短期的には失敗しても、長期的には成功できる」という考えはすんなりとは理解しにくいが、この仕組みでうまくいっているものは世の中に無数にある。
経済も、市場も、キャリアも、「損失のなかでの成長」という似通った道筋をたどることが多い。
上図は、過去170年間の米国経済の推移だ。
この期間に何が起こったかをご存じだろうか?
どこから始めればいいかわからないくらい多くの出来事があった。
・大きな戦争が9度あり、130万人の米国人が亡くなった
・創業された企業の約99%が倒産した
・米国の大統領が4人、暗殺された
・インフルエンザの大流行により、1年間で66万5000人の米国人が亡くなった
・30回の自然災害で、それぞれ400人以上の米国人が亡くなった
・33回の景気後退が、累計48年間続いた
・これらの景気後退を予測できた人はほとんどいなかった
・株価が直近の高値から10%以上も下落したことが少なくとも102回あった
・株価が3分の1に暴落したことが少なくとも12回あった
・インフレ率が7%を超えた年が通算20回あった
・グーグルによれば、「economic pessimism(経済的悲観論)」という言葉が新聞に2万9000回以上掲載された
この170年で、米国人の生活水準は2倍になった。だが、悲観的な理由がない日はほとんどなかった。
だが、長期的な楽観主義から得られるメリットを享受するためには、短期的には悲観的な状況を受け入れる必要がある。
p106
ユダヤ系ドイツ人のハインツ・ベルクグリューンは、1936年にナチスの手を逃れて米国に亡命した。
米国では西海岸で暮らし、カリフォルニア大学バークレー校で文学を学んだ。
誰が見ても特別な才能がある若者ではなかった。だが1990年代には、大成功を収める美術品商になっていた。
2000年、ベルクグリューンは、ピカソ、ブラック、クレー、マチスなどの膨大なコレクションの一部をドイツ政府に1億ユーロ以上の価格で売却した。
この額は、ドイツ政府が事実上の寄付とみなしたほど割安だった。
個人取引の場合なら、優に10億を超える値のつくものだ。
1人の人間が、これほど膨大な量の名画を集められるのは驚異的だ。
芸術作品は限りなく主観的なものである。
目の前にある絵画が、将来的にその世紀を代表する作品として評価されるかどうかを見抜くには、どうすればいいのだろうか?
それは「技能」なのだろうか。
あるいは「運」なのだろうか。
おのオライゾン・リサーチは、「技能」でも「運」でもない、3つ目の要因について説明している。
それは、投資家にとってもとても重要なことだ。
「優れた美術品商は、膨大な量の美術品を投資対象として購入する」と同社は書いている。
多くの美術品を長期間保有すると、その一部が優れた投資対象であることが判明する。
その結果、ごく一部の高リターンな美術品により、コレクション全体が黒字になる。
これが、成功する美術品商のビジネスの仕組みなのである」
優れた美術品商は、インデックスファンドのような仕組みでビジネスをしているのだ。
まず、めぼしい作品があれば根こそぎ買う。気に入ったアーティストの作品を集中的に購入するのではなく、さまざまなアーティストの作品をポートフォリオとしてまとめて購入するのである。
そして、そのうちの数点が高く評価される日をじっと待つ。それがすべてだ。
一生をかけて手に入れた作品の99%は価値のないものかもしれない。
しかし、残りの1%がピカソのような芸術家の作品であるのなら、すべての失敗を帳消しにできる。
ほとんどが間違いでも、トータルで見れば大正解だったことになるのだ。
ビジネスや投資など、多くのことがこの仕組みで動いている。
つまり、テールの力だ。
テールとは、結果の分布図の最後尾の部分を指す言葉である。
少数の事象が結果の大部分を占めることがあるファイナンスの世界において、これは莫大な影響力を持っている。
しかし投資家は、「5割の確率で間違っていても、トータルでは大儲けできる」ということを簡単には理解しづらい。
私たちは物事の多くが失敗するのが当たり前であることを見逃しているのだ。だから、失敗に過剰に反応してしまう。
p109
何であれ、莫大な利益を上げたり、特別に有名になったり、巨大な影響力を及ぼしたりするものは、
「テールイベント」(数千~数百万分の1の確率で起こる例外的な出来事)の結果だと言える。
人々の目は、巨大なもの、儲かっているもの、有名なもの、影響力のあるものに向けられる。
つまり、私たちが注目するもののほとんどは、テールイベントの結果なのである。
明白なテールイベント主導型ビジネスもある。たとえば、ベンチャーキャピタルだ。
ベンチャーキャピタルが50件の投資をすると、そのうち半分は失敗し、10件はかなりうまくいき、1件か2件はファンドのリターンのほぼすべてを占める大成功を収めることになる。
投資会社のコリレーション・ベンチャーズは、この件について本格的な調査を実施した。
2004年から2014年にかけて行われた2万1000件以上のベンチャーファイナンスを分析した結果、以下のことが明らかになった。
損失を出したのは65%、リターンが10倍から20倍だったのは2.5%、20倍以上だったのは1%、50倍以上だったのは0.5%だった。
リターンが50倍以上だったのは、全2万1000社のうち約100社というごくわずかな割合にすぎない。
この100社への投資が、業界が得ているリターンの大半を占めている。
「これこそベンチャーキャピタルのリスクだ」と思った人も多いはずだ。
ベンチャーキャピタルに投資する人は、誰もがリスクの高さを知っている。
スタートアップはたいてい失敗するし、大成功を収めるのは一握りの企業に限られる。
「だから、私は安全で、見通しが立ち、安定したリターンを求めて、大規模な上場企業に投資する」と考える人もいるだろう。
だが、テールイベントはあらゆる分野に影響を与えていることを忘れてはいけない。
成功の分布は、上場企業もベンチャーキャピタルと大差はないのである。
株式公開企業のほとんども不発に終わる。
一部は成功し、一握りの企業が株式市場のリターンの大半を占める特別な勝者になる。
p112
上場企業となり、ラッセル3000のメンバーとなること自体、一定の成功を収めていなければならない。
これらは実績ある企業であり、昨日今日できたばかりの新興企業ではない。
それでも、このリストに名を連ねるうちの少なくない企業の寿命は数十年単位ではなく、数年単位だ。
p113
このインデックスファンドの4割の企業は実質的に倒産している。
だが、7%の構成銘柄が極めて優れたパフォーマンスを示したことで、十分に不良品を相殺できたのだ。
美術品商のハインツ・ベルクグリューンにとってのピカソやマチスのように、ラッセル3000にはマイクロソフトやウォルマートがいたというわけだ。
このように、株式市場で得られるリターンの大半は、少数の超優良企業の株が占めている。だがそれだけではない。
これらの企業の内部にも、さらに多くのテールイベントがある。
2018年、アマゾンは「S&P500」のリターンの6%を牽引した。
そのアマゾンの成長の大部分は「アマゾンプライム」と「アマゾンウェブサービス」が牽引したものだ。
この2つは、それ自体が何百にも及ぶ製品・サービスを実験してきた同社にとってのテールイベントだ。
2018年のS&P500のリターンのほぼ7%を占めているアップルの成長を圧倒的に牽引しているのは、
この業界の膨大なテクノロジー製品群において、まさにテールイベントと呼ぶべき「iPhone」である。
全体の1%以下の行動が、投資の成否を決める p114
ナポレオンによる天才的な軍人の定義は、「周りの人間が正気を失っているときに、普通ののことができる者」である。
これは投資においても同じだ。ファイナンスのアドバイスの多くは、「今日すべきこと」が話題の中心となる。
「今すぐにすべきことは何か?」、「今日はどんな銘柄を買うべきか?」などだ。
だがたいていの場合、投資において「今日」何をするかはそれほど重要ではない。
投資家の長いキャリアのなかで、今日、明日、来週に下す決断は、大きな違いをもたらさない。
違いをもたらすのは、周りの人がおかしなことをしているタイミングや、
まれにしか訪れない期間――おそらく全体の1%以下――に下す決断なのだ。
たとえば、1900年から2019年まで、毎月1ドルずつ貯金したとする。
そのお金は、どのように投資するのが有効だろうか。
この1ドルを上げ相場だろうが下げ相場だろうが、とにかく毎月、米国の株式市場に投資するとしよう。
経済学者が、迫り来る不況や新たな下げ相場について声高に警告していても関係ない。
ただ投資を続ける。
この方法で投資する人を「スー」と呼ぶ。
しかし、景気後退時に投資するのは怖いと考える人もいるだろう。
その場合、毎月1ドルを株式市場に投資し、景気が後退したら株式を売却して毎月1ドルを現金で貯金する。
そして景気後退が終わったらその貯金をすべて株式市場に投資する。この投資家を「ジム」と呼ぼう。
または、景気後退に怖気づき、市場に復帰するまでに数カ月かかる人もいるかもしれない。
この場合、基本的に毎月1ドルを株式に投資するが、景気後退になったら6ヵ月後に株式を売却し、景気後退が終わって6カ月したら投資を再開する。
この投資家は「トム」と呼ぶ。
この3人の投資家は、1900年から2019年までのあいだに、どれくらいの資産を築けるだろうか?
答えは以下の通りだ。
・スーは43万5551ドル
・ジムは25万7386ドル
・トムは23万4476ドル
圧倒的にスーの勝ちだ。
1900年から2019年のあいだには1428カ月ある。
そのうち300ヵ月が景気後退の期間だった。
つまり、スーは景気が後退していた、あるいは後退しかけていた全体の21%のあいだに冷静さを保って投資を続けたことで、
ジムやトムよりも4分の3近く多くの資産を築くことができたのだ。
さらに言えば、ある投資家が2008年後半から2009年前半の数ヵ月間(株価が暴落したタイミング)にどのような投資をしたかは、
2000年から2008年前半までに行ったすべての投資よりも生涯リターンに大きな影響を与える可能性がある。
パイロットの世界には、「この仕事は、膨大な退屈な時間のなかで、ごくまれに訪れる恐ろしい瞬間に対処すること」だという冗談がある。これは投資においても同じだ。
投資家として成功するかどうかは、クルーズコントロール状態で悠々と過ごす時間ではなく、恐怖の瞬間にどう対応するかで決まる。
天才的な投資家の定義とは、「周りの人たちが我を忘れているときに、当たり前の行動を取れる人」なのだ。
半分以上失敗しても、成功できる p117
ビジネス、投資、金融の世界では、テールがすべてを動かしている。
その事実を受け入れれば、物事がうまくいかないことは多いし、失敗するのも当然だと理解できるようになる。
銘柄を選ぶのがうまい人でも、正解は半分程度だ。
優れたビジネスリーダーでも、製品や戦略のアイデアを成功させられるのはせいぜい半分だ。
良い投資家は、それなりの成績を上げられる年も多いが、悪い年も少なくない。
有能なビジネスパーソンも、何度も試行錯誤を繰り返した後で、ようやく自分に合った分野で適切な会社を見つけられるだろう。
優秀な人たちでさえ、これほど失敗しているのだ。
p122
ロールモデルとなる成功者が特別な注目を集めるとき、その利益がごく一部の行動から得られたものであることが見落とされがちになる。
その結果、私たちは成功者が完全無欠の存在であるような錯覚に陥る。
そして、自分が失敗したり、損失を出したり、挫折したりしたときに、何か間違いを犯したような気分になって落ち込んでしまう。
だが実際には、私たちはお手本となる人たちと同じように、あるときは正しく、あるときは間違っているだけなのである。
お手本となる人たちは、正しい行動で大きな成功を収めたのかもしれない。
けれども、あなたと同じくらいの頻度で間違っていることも十分にあり得るのだ。
天才投資家として知られるジョージ・ソロスは、「重要なのは、正しいか間違っているかではなく、
正しいときにどれだけたくさんお金を稼ぎ、間違っているときにどれだけ損失を抑えるかだ」と語っている。
そう、半分は間違っていても、大金は稼げるのである。
お金が人生にもたらす最大の価値は「自由」 p126
幸福度の高い人々に見られた一番の共通点は、もっと単純なことだった。キャンベルはこう述べている。
従来の心理学が考察してきた客観的な諸条件のどれよりも、人間に幸福感をもたらす信頼性が高い要因は、
「人生を自分でコントロールしている」というはっきりとした感覚があることだ。
つまり、どんなに高い給料よりも、どんなに大きな家よりも、どんなにステータスのある仕事よりも、
「好きなときに、好きな人と、好きなことができる」生活を送れることのほうが、人を幸せにするのである。
p133
史上屈指の成功を収めた実業家ジョン・D・ロックフェラーは、世俗を嫌い、孤独を好む人間だった。
めったに口をきかず、意識的に人を寄せつけないようにしていた。
一緒にいる誰かが注意を引こうとしても、黙っていることが多かった。
ロックフェラーに仕事上の報告をする機会があったという製油所の従業員はこう述べている。
「彼はいつも他人に話をさせて、自分は何も言わずに座っている」
会議中に黙っている理由について尋ねられたとき、ロックフェラーはよく、次の詩を暗誦したという。
賢く老いたフクロウが ナラの木に住んでいた
フクロウは 見れば見るほど口数が減り
口数が減れば減るほど 相手の話がよく耳に入るようになった
なぜ私たちは この賢い老いた鳥のようになれないのか?
ロックフェラーの仕事は、井戸を掘ることでも、列車に荷を積むことでも、樽を運ぶことでもなかった。
思考し、良い判断を下すのが仕事だった。
彼にとって、仕事で成果を出すために必要なのは、手を動かすことでも言葉を発することでもなかった。
頭のなかで考えたことが仕事の成果物だったのだ。
だからこそ、ロックフェラーは時間と労力の大半を、問題を考え抜くことに費やしていたのである。
周りから見れば、何もせず悠然と時間を過ごしているように見えたかもしれない。
だが、彼は一日の大半を黙って椅子に腰掛けながら、常に頭のなかで何かを考えていたのだ。
これは当時としては異例だった。ロックフェラーの時代、大半の職業は肉体労働だった。
米国の歴史に詳しいロバート・ゴードンによると、1870年時点では全労働者のうち農業に46%、手工業や製造業に35%の人々が従事していた。
手ではなく頭を働かせる職業はごく少数だった。
人々は考えるのではなく、一日中休むことなく体を動かしながら、他人の目にはっきりとわかる形で働いていたのだ。
しかし今日、この割合は逆転している。
現在、全労働者のうち38%が「管理職、公務員、専門家」に分類されている。
これらは意思決定が主な職務内容である職業だ。
また41%は、体を動かすだけではなく思考することも重視されるサービス業だ。
p136
一昔前に比べて、現代人は自分の時間をコントロールできなくなっている。
そして時間を好きに使えないことは、幸福度に大きな影響を与える。
だから、かつてないほど豊かになった人々が、あまり幸せを感じていないのも無理もない。
p140
学生時代、高級ホテルのボーイのアルバイトをしていたときの醍醐味は、見たこともない高級車を運転できることだった。
客はフェラーリやランボルギーニ、ロールスロイスなど、貴族が乗るような車でホテルに乗りつける。
私はその車を、客の代わりに駐車場まで運転した。
いつかこんな車に乗ってみたい――それが私の夢だった。
高級車は、周りの人に「私は成功者だ。頭が良くて、金持ちで、趣味が良く、重要な人間だ。さあ、私のことを見てくれ--」というメッセージを発する格好の道具だ(と、当時の私は思っていた)。
だが皮肉なことに、私は高級車に乗っている人には目もくれなかった。
洒落た車を運転している人を見ても、「あの車を運転している人はかっこいいな」ではなく、
「自分があの車に乗っていたら、みんなにかっこいいと思われるだろうな」と考えていたのだ。
無意識であろうとなかろうと、人はこのように考えている。
彼らは、車に見とれている人たちが、実はドライバーなど見てもいないことに気づかず、自分自身が称賛されると思い、フェラーリを買ったのではないだろうか。
もちろん同じことは、豪邸に住んでいる人にも当てはまるだろう。
宝石や高級ブランドの服もそうだ。
これはパラドックスだ。
人は、「私は他人に好かれ、称賛されるべき人間だ」というシグナルを発しようとし、富を求める。
しかし、富を誇示するような高級品を苦労して身につけても、思ったほど他人から称賛されることはない。
私は息子が生まれたときに、将来の彼に宛てた手紙にこう書いたことがある。
未来の君は、高級車や高級時計、大きな家が欲しいと思っているかもしれない。
でも、君が本当に求めているのは、他人からの尊敬と称賛だ。
そして君は、高価なものを身につければそれが得られると思っている。
だが、高級品を身につけても決して人から尊敬されたりはしない――特に、君が尊敬してもらいたい人からは。
私は、豊かさの追求を放棄すべきだと言いたいのではない。
高級車に価値がないとも思わない。私自身、どちらも好きだ。
だが、金に物を言わせて高級品を買っても、本人が思っているほど他人からの尊敬や称費は得られない。
これは、簡単には理解できない人生の機微である。
尊敬や称賛が目的なら、その求め方には注意しよう。
馬力の大きなスポーツカーを買うより、謙虚さや優しさ、共感があるほうが、多くの尊敬を集められるはずだ。
p145
人は、目に見えるものから誰かの豊かさを判断しようとする。
それが、目の前にある唯一の情報だからだ。
他人の銀行口座の中身や、証券会社の取引明細書を見ることはできない。
だから、誰かの経済的な成功を測るとき、外見に頼ることになる。車、家、インスタグラムの写真--現代の資本主義は、
人が「成功を手に入れるまで、成功しているフリをする」ことそれ自体を、一つの立派な産業にしている。
しかし実際には、真の富とは目に見えないものだ。
富とは、購入しなかった高級車であり、買わなかったダイヤモンドである。
身につけていない時計、着ていない服、乗らなかったファーストクラスの座席である。
富とは、目に見えるものに変換されていない金融資産のことなのだ。
しかし、私たちは富をそうとらえてはいない。目に見えないお金を想像するのは簡単ではないからだ。
「ウェルス」と「リッチ」はまったくの別物 p146
私たちは「ウェルス(富)」と「リッチネス(物質的豊かさ)」の違いを明確にしなければならない。
これは単なる言葉の意味の違いの問題ではない。
この違いを知らないことが、数え切れないほどのお金の判断ミスにつながっているからだ。
リッチとは、現在の収入が多く、それを使って贅沢な買い物をしていることだ。
10万ドルの車に乗っている人は、たいていは高収入だ。
ローンで購入していたとしても、月々の支払いをするにはある程度の収入が必要になる。
大きな家に住んでいる人も同じだ。リッチな人を見分けるのは難しくない。
リッチな人は、わざわざ自分からお金持ちだとアピールする場合も少なくないからだ。
だが、富(ウェルス)は目に見えない。
それは、使われていない収入のことだ。
富とは、後で何かを買うための、まだ取られていない選択肢だ。
その価値は、将来的に今よりも多くのものを買う選択肢や柔軟性、成長をもたらすことにある。
誰もが、心の底では富を築きたいと思っている。
富がもたらす自由で柔軟な生き方を実現したいと考えている。
だが金融資産を増やして富を築くには、手持ちのお金を使い切ってはいけない。
にもかかわらず、「お金持ちとはお金を使うことだ」という考えが身に染みついている。
だから、富を築くために必要なのが自制心だということに気づかないのだ。
富を築くには、「収入」より「貯蓄率」が大切 p154
まず念頭に置くべきは、シンプルだが軽視されがちな、
「富を築くには収入や投資リターンはほとんど関係なく、貯蓄率が大きく影響する」という考えだ。
収入 - エゴ = 貯蓄 p158
一定の生活レベルが満たされたとき、それ以上に何かが欲しくなるのは見栄や他人との比較が原因である。
誰でも生きていくために最低限必要なものがある。
それが満たされると、それよりもさらに快適な生活レベルがある。
さらにそれよりも快適で、楽しく、世界が広がるような生活レベルもある。
とはいえ、生きるために必要なものを十分に満たすレベルを超えた支出は、収入に応じて大きくなるエゴの表れだと言える。
つまり、自分がお金を持っている(あるいは持っていた)ことを他人に示すための支出ということだ。
貯蓄を増やすためには、謙虚になることも大切なのだ。
収入からエゴを引いたものが貯金だと考えれば、それなりの高給取りなのに貯金がほとんどない人がなぜこれほど多いのかがわかる。
彼らは日々、精一杯見栄を張り、他人に負けないようにしたいという本能に突き動かされているのだ。
パーソナル・ファイナンスで成功している人は、高収入だとは限らない。
富を築く人には、他人の目を過度に気にしないという傾向がある。
つまり、貯金の能力は、あなたが思っている以上に自分でコントロールできる。
貯蓄は、支出を減らすことで生み出せる。
欲望を抑えれば、支出を減らせる。
他人の目を気にしなければ、欲望を抑えられる。
本書でも何度も見てきたように、お金の問題にはサイコロジー(人間心理)が大きく関わっているのだ。
「目的のない貯金」が最大の価値を生む p159
住宅や車の頭金、あるいは老後のためにお金を貯める人がいる。
もちろん、それは素晴らしいことだ。
しかし、特定の目的がなくても貯金はすべきだ。
貯金自体が目的であってもいい。
むしろ、そうすべきだ。誰もが、そうすべきなのだ。
特定の目的のためにだけ貯蓄するのは、すべてが予測可能な世界では意味があるかもしれない。
しかし、私たちの世界はそうではない。
人生では、最悪のタイミングで予期せぬ出来事が起こり得る。貯蓄は、そのリスクに対する備えなのだ。
誰でも、お金で得られるモノは知っている。だが目に見えないリターンの価値は理解しにくく、その存在に気づきにくい。
お金がもたらす無形の恩恵は、私たちがふだん貯蓄の目的にしている有形のモノよりもはるかに価値があり、幸福度を高めてくれるものなのに。
目的のない貯金をすれば、選択肢と柔軟性が手に入る。貯金があれば、待つべきときはじっと待てる。チャンスがきたら飛びつくこともできる。
考える時間もつくれる。自分の意思で人生を軌道修正できるようになる。
私たちは少額の貯金をするたびに、誰かに所有されていた自分の未来を少しずつ奪い返しているのだ。
銀行口座に預けているお金は、転職や早期退職など、選択肢というリターンを与えてくれる。
このリターンは、計り知れないほど大きなものだ。測定できないので、私たちはその価値を見落としがちになる。
第7章で紹介した「時間をコントロールできる」というのも、目的に縛られずに貯蓄することで得られるメリットだ。
考えてみてほしい。もし時間をコントロールできなければ、目の前に現れたどんな不運も受け入れざるを得なくなる。
だが時間的な余裕があれば、良いチャンスが巡ってくるのを待つことができる。
これも、貯金の目に見えないリターンだ。
金利が0%の銀行預金だとしても、給料は安くてもやりがいのある仕事に就けたり、蓄えのない人は手が出せない投資のチャンスを待ったりする柔軟性をもたらしてくれる。
貯 蓄には、実はとてつもなく大きなリターンがあるのである。
経済学者でさえ、数学的に正しい投資戦略を取れない p171
金融学では、計算上で最適な投資戦略を数理的に追求する。
だが、人が現実世界で求めているのは、そうでない。
人々が求めているのは、夜に安心してぐっすり眠れる、合理的な投資戦略だ。
リスクとリターンのトレードオフの関係を数学的に解明し、ノーベル賞を受賞した経済学者ハリー・マーコウィッツは、
自らの資産をどのように運用しているのかと聞かれ、この数式モデルを開発した1950年代の自身のポートフォリオ配分をこう説明した。
私は、自分が株を持っていないときに株式市場が大きく値上がりした場合に感じるであろう後悔と、
自分が株を持っているときに株式市場が大きく値下がりしたときに感じるであろう後悔について想像してみた。
そこで、将来の後悔を最小限にするという意図でポートフォリオを組むことにした。
結果として、債券と株式に半分ずつ投資している。
「将来の後悔を最小限にする」というのは計算できるものではない。
そう、マーコウィッツは数理的にではなく、合理的に考えていたのだ。
その後も彼は、この投資戦略を変更して分散投資を行うようになったという。
このときにインタビューを行ったジェイソン・ツヴァイクは、後にこう振り返っている。
私の考えでは、人間は単に理詰めで考えた通りに行動しているのでも、何も考えずに行動しているのでもない。
我々は人間なのだ。必要以上に考えるのは好きではないし、投資以外にも考えるべきことは山ほどある。
こう考えると、現代ポートフォリオ理論の先駆者が、最初のポートフォリオをつくったとき、
自らの研究成果をほとんど顧みなかったとしても何の不思議もない。のちに彼がそれを調整したということも、驚くには当たらない。
2008年には、イェール大学の研究者2人が、「若者が老後資金をつくるために株を買う場合、
2対1の割合で借入をして(自己資金1ドルに対して2ドルを借金する)レバレッジをかけ、多くの資金を投入すべきだ」とする研究を発表した。
同時に、年齢を重ねるごとにレバレッジの割合を減らしていくことも提案した。
これにより、市場の上下動に対応できる若いときには多くのリスクを取り、年齢が上がり市場の変化に対応しにくくなったときにはリスクを減らすことができる。
この研究は、もし若いときにレバレッジを使って出資金をすべて失ったとしても(2対1の割合でレバレッジをかけた場合、市場が5割下落すると何も残らない)、
その翌日から再び同じ計画に従って2対1のレバレッジをかけた口座で貯蓄を続けていれば、長期的には良い結果が得られることを示していた。
たしかに、計算上ではその通りだ。
これは数理的思考に基づいた投資戦略だと言える。
だが、この戦略はまったく合理的ではない。
普通の神経を持つ人なら、老後資金がすべて蒸発するのを目の当たりにした直後に、平気でその投資戦略を続けることなどできないだろう。
すぐに計画を中止し、別の選択肢を探すはずだ。この投資戦略を勧めたファイナンシャルアドバイザーのことを、訴えるかもしれない。
研究者たちは、このレバレッジ戦略に従った場合、「退職後の資産は、一般的なライフサイクルファンドに比べて9割多くなる」と主張している。
だがこの戦略は、合理性という意味ではライフサイクルファンドにはるかに劣っているのだ。
p174
投資資産に思い入れを持たないことは、投資家にとって冷静で理性的であることの証明だと見なされ、名誉なことだとも思われている。
しかし、採用している戦略や保有している株式銘柄に思い入れがないと、困難に陥ったときに簡単に手を引きやすくなる。
合理的な投資家は、理詰めで考えれば欠点があるような戦略を好む。
そのため、困難な状況でもその戦略を簡単には放り出さない。それが結果的に、長い目で見れば優位に立てるのである。
前述したとおり、不況時にも同じ戦略を貫くことほど、長期的に投資のパフォーマンスを上げる要因はない。
リターンの割合も増えるし、一定期間にそれを獲得できる確率も高まる。
過去の実績に基づけば、米国市場で利益を上げられる確率は、1日なら50%、1年なら68%、10年なら88%、20年では(現在のところ)100%になっている。
ゲームに参加し続けるほど、はっきりと勝率は上がっていくのである。
ファイナンスの答えは「過去」にはない p181
物事は時間とともに変化する――これは、経済学の基本中の基本となる考えだ。
なぜなら、経済学の祖と呼ばれるアダム・スミスが提唱した「見えざる手」は、何かが良すぎる状態に留まり続けることも、悪い状態に留まり続けることも好まないからだ。
投資家のビル・ボナーは、変動する株式市場を擬人化した「ミスター・マーケット」が行動する原理を、
「彼は"資本主義が稼働中"と書かれたTシャツを着て、手には巨大なハンマーを持っている」と表現している。
このように投資の世界では、何かが同じ状態を長く続けることはほとんどない。
だからこそ、歴史家を予言者とは見なせないのだ。
お金に関して人間をもっとも強く突き動かす、人々が信じているストーリーや、モノやサービスに対する嗜好も、ずっと変わらないわけではない。文化や世代によっても変わる。
それは常に変化しており、今後も変化し続けるものだ。
人はお金に関して、ある時代を生き、そこで何かを経験した人の話を過大評価してしまいがちだ。
だが、何らかの出来事を経験したからといって、次に何が起こるかを予測できるとは限らない。
むしろ、その経験は将来を予測する能力を高めるより、自信過剰につながりやすい。
世界にはサプライズが潜んでいる p187
将来の投資リターンを考えるときに、世界大恐慌や第二次世界大戦のような過去の出来事を、
これから起こり得る最悪のシナリオの基準だと見なす人は多い。
だが、よく考えてみてほしい。
これらの歴史的な大事件は、発生当時、前例がなかった。
つまり、過去の最悪(または最良)の出来事が、未来の最悪(または最良)の出来事と一致すると仮定するのは、歴史に従った予測とは言えない。
歴史は前例のない出来事によってつくられる。
未来には前例のある過去と同じような出来事が起こるというのは、誤った思い込みにすぎないのである。
作家のナシーム・タレブはその著書「まぐれ――投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」(望月衛訳、ダイヤモンド社)のなかでこう書いている。
ファラオ時代のエジプトでは(中略)書記官がナイル川の高波の歴史を調べ、過去最高の高波の位置を、将来の最悪のシナリオに備えるための基準にしていた。
同じことが、2011年に津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた福島の原子力発電所にも当てはまる。
福島原発は、過去の最悪の地震に耐えられるように建設されていた。
設計者は、それ以上の事態を想像しておらず、前例のないサプライズが起きることを理解していなかった。
これは分析の失敗ではなく、想像力の失敗だ。
「未来は過去と同じようにはならない」と肝に銘じておくことは、金融予測の世界ではあまり評価されていないが、極めて価値の高いことなのである。
2017年、私がニューヨークで催されたディナー会に参加したとき、同席していたダニエル・カーネマンが、
「予測が間違っていたときに投資家はどう対応すべきか」という質問を受け、こう答えた。
何かに驚いたとき、人はたとえ自分の過ちを認めたとしても、「ああ、もう二度と同じミスは繰り返さないぞ」と言う。
しかし実際には、予期せぬ事態が起きて失敗したときに「世界で起きることを予測するのは難しい」ということだ。
私たちが学ぶべきなのは、つまり、私たちが驚くべき出来事から学ぶべき正しい教訓は、「世界にはサプライズが潜んでいる」ということなのだ。
そう、私たちは、例外的な驚くべき出来事から、「世界にはサプライズが潜んでいる」という教訓を学ぶべきなのだ。
過去の驚きは、将来に起こり得る出来事の上限値の指針ではなく、「将来、何が起こるかはわからない」という真理を忘れないための教訓にすべきなのである。
未来に起こる最大の経済的出来事、つまり最大の影響を及ぼし得る出来事は、歴史が何の手がかりも与えてくれない出来事だ。
それらは前例のない出来事であり、前例がないため、それに対する備えもできない。
だからこそ、それが引き起こす衝撃も大きくなる。
これは不況や戦争のような恐ろしい出来事にも、イノベーションのような素晴らしい出来事にも当てはまる。
私はこの予測に自信を持っている。
なぜなら、「巨大な影響を及ぼす前例のないサプライズは必ず起こる」という予測は、歴史を振り返れば、あらゆる時点に当てはまるものだからだ。
世界の「常識」は、刻々と変化している p190
これまでに起きたいくつかの大きな変化について考えてみよう。
米国の確定拠出型の年金制度「401k」は、42年前に誕生した。
個人年金制度の「ロスIRA」はそれよりも後の1990年代につくられたものだ。
そのため、老後資金へのアドバイスや分析は、1世代前には有効だったものでも、現代ではその意味合いが変わってきている。
人々は新しい選択肢を手にしており、状況が変わっているからだ。
未上場企業にハイリターン、ハイリスクの投資を行う「ベンチャーキャピタル」についても同じことが言える。
25年前、このような投資会社はほぼ存在していなかった。
だが今では、当時のベンチャーキャピタル業界全体よりも大きな規模のベンチャーキャピタルファンドが数社も存在している。
ナイキの創業者フィル・ナイトは、回顧録のなかで、ビジネスを始めたばかりの頃のことをこう振り返っている。
当時は、ベンチャーキャピタルというものは存在しなかった。
志を持った若い起業家が資金繰りのために頼りにできる場所はごくわずかしかなかった。
その場所はすべて、想像力の乏しい、極端にリスク回避型の門番たちによって守られていた。そう、銀行員だ。
p200
お金に関する賢明な行動モデルは、思いもよらない場所で見つかる。
たとえば、ラスベガスのカジノだ。
「カードカウンティング」と呼ばれるテクニックを実践するごく一部のブラックジャック・プレイヤーから、「誤りの余地」を残しておくことの重要性を学べる。
これは、私たちがお金を管理するうえでとても大切な考え方になる。
余裕のある計画が、勝利をもたらす p200
ブラックジャックのカードカウンティングの基本は簡単だ。
・ディーラーが次にどのカードを引くかは、誰にも確実にはわからない
・しかし、すでに配られたカードを頭のなかで覚えておけば、デッキにどのカードが残っているかは割り出せる
・そうすれば、ディーラーがあるカードを引く「確率」を計算できる
プレイヤーは、欲しいカードが出る確率が高いときに賭け金を増やし、低いときに賭けらすことができる。
その詳しい仕組みの説明はここでは割愛する。
重要なのは、ブラックジャックでカードカウンティングをする人は、「確実性」ではなく「確率」のゲームをしていると自覚していることだ。
ある手札を持っているとき、プロのプレイヤーは自分が正しい可能性も、間違っている可能性も十分にあることを知っている。
その職業からすると奇妙に聞こえるかもしれないが、彼らの戦略の基本は「謙虚さ」にある。
つまり、次に何が起こるかを正確に知っているわけではなく、知ることもできないので、それに合わせてプレイするということだ。
プレイヤーはカードをカウントすることで、胴元であるカジノに対する勝率をごくわずかだが上げられる。
だが、勝率が自分に有利だからといって、そこで大きく賭けすぎると、プレイし続けられないほどの損失を被ることもある。
つまり、目の前のチップをすべて賭けられるほど自分が正しいと思える瞬間はない。
世の中はそんなに甘いものではない(例外的なケースもまれにはあるが)。
だから、「誤りの余地」を残しておかなければならない。
計画通りに進まないことも想定して、計画を立てなければならないのだ。
この考え方については、マサチューセッツ工科大学の学生たちが優秀な頭脳を活かしてカジノでの大儲けを企てた実話を描いた書籍『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』(ベン・メズリック著、真崎義博訳、アスペクト)にも登場するカードカウンティングの達人、ケヴィン・ルイスが詳しく書いている。
カードカウンティングの効果は統計的に証明されてはいるものの、あらゆる手札で勝てるわけではない。
ましてやカジノに行くたびに勝てる保証もない。
だから、不運に見舞われても問題がないように、十分な資金を用意しておかなければならない。
たとえば、カードカウンティングによってカジノに対して約2%の優位性を持っていると仮定しよう。
それでも、まだ49%の確率でカジノが勝つことになる。
このため、不運が続いてもそれに耐えられるだけの資金が必要になる。
目安は、最低でも100回分賭けられるように賭け金を用意しておくこと。
資金が1万ドルなら、100ドルを100回賭けるようにする。
これで、余裕を持ってプレイできる。
歴史を振り返ると、せっかくの良いアイデアが、一度の失敗で大きな損失を出してしまい、悪いアイデアと区別がつかなくなったケースがごまんとある。
誤りの余地を残しておくこととは、不確実性、無作為性、偶然性などの「未知数」の存在を常に認めることだ。
不確かなものに対処する唯一の方法は、「こうなるだろう」と考えた出来事の範囲と、実際に起こり得る出来事の範囲のあいだに余地を設けて、失敗してもまた挑戦できる余力を残しておくことなのである。
「誤りの余地」は攻めの戦略 p205
誤りの余地をつくることは、リスクをあまり取ろうとしない人や、自分の考えに自信がない人のための消極的な方法だと思われがちだ。
だが、誤りの余地を適切に使えば、まったく逆の効果が得られる。
誤りの余地を残しておくほど、どんなことにも耐えやすくなる。
この耐久力があるからこそ、時間を味方につけ、長期間にわたって勝負を続け、低確率の結果からしか得られない最大の利益を手に入れやすくなるのだ。
最大の利益を手にする機会はめったに起こらない。
なぜなら、そもそも発生する頻度が少ないし、複利の効果が生じるには時間がかかるからだ。
たとえば、現金を十分に保有することで誤りの余地を残しておき、別の資金で株式投資をするとしよう。
この場合、ある戦略(現金)で余裕をつくっているので、別の戦略(株式)で厳しい状況が続いてもそれを途中で投げ捨てることなく、長く持続できる。
一方、誤りの余地を設けていない人は、株で失敗するとそれに耐えられず、ゲームオーバーになってしまう。
このことをよく理解していたビル・ゲイツは、マイクロソフトの創業期を振り返り、
「当時は、極端に慎重なアプローチを考えていた。たとえ売上がまったくなくても、従業員に1年分の給与を払えるだけのお金を銀行に預けておきたかった」と語っている。
ウォーレン・バフェットも2008年、自らが経営する投資持株会社のバークシャー・ハサウェイの株主に対して同じような考えを示した。
「私は、株主のみなさんや格付け機関、私自身に、バークシャーを常に十分すぎるほどの現金で運営することを約束しています。(中略)無理に儲けようとして、みなさんの安眠を妨げるようなことはしません」
p218
私の幼馴染みに、家庭環境に恵まれていたわけでもなく、生まれつき特に頭が良かったわけでもないが、誰よりも努力家だった男がいる。
10代の頃の彼の人生の使命と夢は、医師になることだった。
だが、ありきたりの表現では言い表せないほどの大きな壁が、目の前に立ちはだかっていた。
当時、周りの人間は誰も、彼が夢を叶えるとは思っていなかった。
だが、彼は努力した。
そして、同級生より遅れること10年。ついに医師になった。
何もないところからスタートして、ブルドーザーのように目標に向かって邁進し、医学部のトップに上り詰めた。
あらゆる困難を乗り越え、医師という尊い職業を掴み取ったときには、どれほどの充実感を得られただろうか。
数年前、彼と久しぶりに会った。そのときの会話の内容はこんな感じだった。
私「久しぶりだな! どう? 元気に...」
彼「医者の仕事は最悪だよ」
私「おい、どうした?」
彼「とにかくひどい仕事なんだ」
こんな感じの会話が、10分ほど続いた。ストレスと長時間労働が彼を蝕んでいた。
15年前、夢に向かって突き動かされていた頃と同じくらいの強烈さで、今の自分に失望しているようだった。
心理学では、人は将来の自分を予測するのが苦手だとはっきりと示されている。
目標を想像するのは簡単だし、楽しい。
だが、実際に目標を達成するには、ライバルとの競争に打ち克たなければならず、大きなストレスにもさらされる。
それを前提として、それでも目標に向かうのは、単に夢を持って目標を立てるのとはまったく別物だ。
p220
多くの人が、同じような軌跡をたどりながら人生を歩んでいる。
米連邦準備銀行によると、大卒者のうち専攻に関連した仕事に就いているのは27%に過ぎない。
専業主婦の29%も大学の学位を持っている。
もちろん、大学に入ったことを後悔する人はほとんどいない。
とはいえ私たちは、「18歳のときには想像もつかなかった人生の目標を、30代には考えているかもしれない」という現実をもっと認識すべきだ。
1. 極端なファイナンシャルプランは避ける p223
極端な低収入でも満足できると仮定したり、極端な高収入を求めて延々と働くことを選択したりすると、将来的に後悔しやすくなる。
人は、たいていの状況に適応してしまう。
極端に質素な生活のシンプルさや、欲しいモノはなんでも手に入れられるというスリルにもすぐに慣れてしまう。
ゆえに、経済的に極端な生き方で感じられるメリットも次第に薄れていく。
だが、この両極端な計画のマイナス面、つまり、老後の生活費を捻出できなかったり、お金を追い求めてばかりの人生を振り返ったりすることは、生涯消えることのない後悔になる。
特に、それまでの計画をあきらめ、失われた時間を取り戻すために倍の速さで別の方向に進まなければならなくなると、後悔はさらに大きくなる。
複利は、何年、何十年もかけて成長させると最大の効果を生み出す。
これはお金だけでなく、キャリアや人間関係にも言えることなのだ。
鍵を握るのは持続性だ。人間は時の経過とともに変化していく。
だからこそ、人生のあらゆる局面でバランスをとることが、将来の後悔を防ぎ、投資を長く続けるうえでも最善の戦略になる。
現役時代に、貯蓄、自由時間、勤務時間、家族と過ごす時間などをすべて適度にすることを目標にすれば、
極端な場合よりも、計画を継続しやすく、後悔もしにくくなる。
p228
2004年、ゼネラル・エレクトリック(GE)社は世界最大の企業だった。時価総額は3000億ドル以上。
それまでの10年間、毎年、時価総額ランキングの1位か2位に名を連ね、資本主義社会の企業貴族を代表する一社だと見なされてきた。
だがほどなくして、すべてが崩壊した。
2008年の金融危機により、GEの利益の半分以上を生み出していた金融部門が大混乱に陥った。
最終的に、同部門は破格の安値で売却された。
その後、失地回復を期して石油やエネルギーの分野に投資をしたが、この賭けは大失敗に終わり、数十億ドルもの損失を出した。
GEの株価は2007年の40ドルから2018年には7ドルにまで下落した。
2001年からCEOとしてGEの経営の手綱を握ってきたジェフ・イメルトは、厳しく糾弾された。
リーダーシップの不味さや買収の失敗、減配、従業員の解雇、そしてもちろん株価急落などが批判の的になった。
これはある意味当然だ。景気が良いときに王朝のような栄華を誇った者は、景気が悪くなれば当然責任を負うことになる。
イメルトは2017年に責任を取って退任した。
ただしイメルトは、身を引く際に洞察に満ちた言葉を残している。
「GEがすべきことは明らかだったのに、イメルトはことごとく打つ手を間違えた」という批判に対して、後任者にこう伝えたのだ。
「自分でやってみるまでは、どんな仕事も簡単に見えるものだ」
競技場で闘っている者が直面している試練は、観客席にいる者からは見えにくい。
肥大化する組織、短絡的な投資家、規制当局、労働組合、凝り固まった官僚主義などからの相反する要求に対処するのは単に難しいだけではなく、
自身で直接それに対処するまでは、問題の深刻さに気づくことさえ難しい。
イメルトの後任者もそれを肌身で痛感し、結局、1年2カ月でその職を辞した。
投資の神様は、代償を支払わずにリターンを求める者を嫌う p229
何事も、理論より実践のほうが難しい。
それはたいてい、成功のために支払わなければならない代償を見極められず、それを払うことができないからだ。
2018年までの50年間で、米国の代表的な株価指数「S&P500」の値は119倍に増えた。
この事実だけを見れば、何もせずにただじっとしていれば、複利で資産を増やすのは簡単に思える。
だが、うまくいく投資とは、傍目からは簡単に見えるものだ。
投資の世界には、「株は長期的に保有すべし」という格言がある。たしかに、これは良いアドバイスだ。
しかし、株が暴落しているときに長期的な視点を持ち続けるのは、とても難しい。
価値あるものがすべてそうであるように、投資の成功にも代償が必要だ。
しかし、その代償はお金で支払うものではない。
投資の代償とは、ボラティリティや恐怖、疑念、不確実性、後悔などに耐えることだ。
これらは、実際に投資を始めてリアルタイムでさまざまな問題にぶち当たるまでは、その存在に気づかないものばかりだ。
「投資で成功するには代償が必要である」という認識がないと、タダで何かを手に入れようという心理が働く。
それは万引きと同じだ。
投資の代償は「罰金」ではなく「入場料」だと考える p237
なぜ、車や家、食事、休暇などに代償を支払うことを厭わない人たちが、優れた投資リターンへの代償を必死に避けようとするのだろうか。
答えは簡単だ。
投資で成功するために必要な代償は、わかりにくいからだ。
目に見える値札はついておらず、請求書を提示されても、良いものを手に入れるために支払うべき料金のようには感じられない。
むしろ、何か間違ったことに対する罰金のように感じる。
人は料金を支払うことには抵抗を覚えないが、罰金は嫌う。
だから先回りして、できる限り罰金を避けようとする。
自分の資産が減っていくのを罰金のように感じている人は、自然と投資の代償も避けようとする。
些細なことだと思うかもしれないが、市場の変動性を、「間違った判断をしたことに対する罰金」ではなく
「将来的に利益を得るために支払わなければならない手数料」と考えることは、
長期的な視野で投資をし、利益を得るためにはとても重要になる。
「2割の含み損が出ても大丈夫」と言える投資家は少ないだろう。
2割レベルの損失を経験したことのない、投資を始めたての人にとってはなおさらだ。
しかし、ボラティリティを「手数料」と捉えれば、事情は変わってくる。
今日のグーグル株が割安かどうかは人によって違う p243
金融の世界には、一見すると無害に思えるが、計り知れないダメージをもたらす思い込みがある。
それは、「投資の目的や投資にかける時間は人それぞれ違うのに、投資資産に唯一絶対の価格がある」という考えだ。
今日、自分はグーグルのをいくらで買うべきだろうか?」と自問してみてほしい。
その答えは、「あなた」が誰であるかによって決まる。
30年という長期的なスパンで投資を考えている人なら、グーグルの今後30年間の割引キャッシュフロー〔DCF:将来のキャッシュフローの予測に基づいて算出した投資資産の現在価値を冷静に分析すれば、価格を見極められる。
10年以内に売却したいのなら、IT産業の今後10年間のポテンシャルやグーグルの幹部が同社のビジョンを実行できるかどうかを分析することが、妥当な価格を割り出すのに役立つだろう。
1年以内に売りたいのなら、グーグルの現在の製品販売サイクルや、下げ相場になる可能性に注目すべきだ。
デイトレーディングをしている人なら、長期的な視点での賢明な価格など「どうでもいい」ことになる。
今この瞬間からランチタイムまでのあいだに起こる変化から、わずかな差額を搾り取ろうとしているだけだからだ。
儲かるのであれば、どんな価格でもかまわない。
どんな資産クラスでも、投資をする人によって、目的や時間軸は異なる。
そのため、ある人にとっては馬鹿げた価格でも、別の人にとっては意味のある価格になる。
人によって、何を重視するかは違うからだ。
短期トレーダーがつくったバブルに惑わされるな p249
ここからが話が面白くなるところであり、問題が始まるところでもある。
バブルは、長期的な投資家が、自分たちとは別のゲームをしている短期的なトレーダーを参考にして投資をし始めたときに有害になる。
シスコの株価は1999年に300%上昇し、1株当たり60ドルになった。
この株価だと同社の時価総額は6000億ドルという常軌を逸した額になる。
シスコにそれほどの価値があると思っていた人は少なかった。
だが、デイトレーダーは単に目先の利益を得るために同社の株を売買した。
経済学者のバートン・マルキールは、この評価額でシスコがこのまま成長した場合、20年以内には米国経済全体よりも大きくなると指摘した。
しかし、1999年に長期投資をしていた者にとって、シスコの株を手に入れようとすれば60ドルで買うしかなかった。
そして実際に、多くの長期投資家がこの価格で同社の株を購入していた。
周りを見渡し、「他の投資家たちは、きっと私が知らない情報を知っているに違いない」と思い、それに従ってシスコの株を買った人も多かったはずだ。
「シスコの株を買った自分は賢い判断をした」と感じていたかもしれない。
しかし、シスコ株の法外な価格に影響を与えていた短期トレーダーたちは、長期的なトレーダーとは別のゲームをしていたのだ。
1株600ドルは短期トレーダーにとっては妥当な価格だった。
なぜなら、彼らはその日の終わりに株の価格が高くなれば売ろうと考えていただけだからだ。
だが、長期的なトレーダーにとっては、600ドルでのシスコ株の購入は大失敗になる。
p251
だが、他人が車や家、服、旅行にどれだけお金をかけているかはわかっても、その人の目標や不安、願望はわからない。
一流の法律事務所でパートナー弁護士への昇進を目指している若手弁護士は、お金をかけて身なりをしっかりと整える必要がある。
だが、スウェットパンツ姿で在宅作業ができるライターの私が、彼に憧れて同じように高級な服を身につけたとしても、キャリアアップにはほとんど役立たない。
これはファッション感覚の違いの問題というより、プレイしているゲームの違いの問題だ。
p252
私自身の資産運用の方法については第20章で詳しく説明するが、私は何年か前、自分の投資に対する方針を次のように紙に書き出したことがある。
「私は世界が長期的に経済成長を遂げることを楽観視し、インデックスファンドを中心に投資をするパッシブな投資家であり、
今後30年間、経済成長による恩恵が自分の投資先にもたらされると確信している」
古くさい方法だと思うかもしれない。
だが、こんなふうに投資の「ミッション・ステートメント(行動指針)」を書き出すことで、自分にとって不要なものがよくわかるようになる。
私にとって、「今年の市場はこれからどうなるか」「来年は景気が後退するのか」といった短期的な情報に常に注目し続けることは「自分のゲーム」ではない。
だから、私はそれに特別な注意を払う必要もないし、誰かに説得されて無謀な投資をする危険性もないのである。
p256
楽観主義を信じることが最善策になる場合は多い。
ほとんどの人にとって、世界は良い方向に向かっているからだ。
だが私たちは、悲観主義に特別な何かを感じてしまう。
悲観主義は楽観主義よりも知的な響きがあるからだ。
世の厳しさを知らないような楽観主義に比べて、相手の知的好奇心をくすぐり、注目も集めやすい。
話を進める前に、まずは楽観主義とは何かを定義しておこう。
楽観主義とは、「すべてがうまくいく」とたかをくくることではない。それは慢心である。
真の楽観主義とは、「たとえ途中で挫折することがあっても、長期的に見れば良い結果が得られる確率が高いと信じること」だ。
これは、「朝起きて、世の中を悪くしてやろうと一日を始める人はめったにいない。人はたいてい、世の中を良くしようと一日を始める」というシンプルな事実に基づいた考えだ。
統計学者の故ハンス・ロスリングはこれを、可能性を真剣に信じることだと表現している。
もちろん、楽観主義が常に正しいわけではない。
ただほとんどの人にとって、ほとんどの場合、それは正しい考えになる。
p256
2008年、環境保護活動家のレスター・ブラウンはこう書いた。
「2030年には、中国で日量9800万バレルの石油が必要になる。
世界の石油生産量は現在8500万バレルであり、それ以上は生産できないだろう。
このままでは、世界の石油が枯渇してしまう」
たしかに、このシナリオに従えば、世界の石油は枯渇するはずだった。
だが、市場はそのような仕組みで動いてはいない。
経済学には、「需要と供給が予測困難な方法で適応するため、極端に良い状況も極端に悪い状況も長くは続かない」という鉄則がある。
p269
しかし、ライト兄弟がつくった世界初の飛行機は、驚くような道筋を辿ることになる。
2人は初の飛行機での飛行を成功させたが、誰にも相手にされなかったのだ。
歴史家のフレデリック・ルイス・アレンは、1952年に刊行された米国史に関する著作のなかでこう書いている。
1905年にデイトン(オハイオ州)でライト兄弟が飛行機の有人動力飛行を成功させた。
それを見た人々は、「人間が空を飛ぶのは不可能だ」と頑なに信じていたので、自分たちが目にしたものは何かのトリックに違いないと考えた現代でいうところの、「テレパシーの実演」のようないかがわしい何かだと見なしたのだ。
ライト兄弟の初飛行から約4年半後の1908年5月、ようやくまともな記者が2人の活動を取材するために派遣され、
まともな編集者が記者の興奮した報告を全面的に信用して記事にしたことで、世界はようやく人類の初飛行が成功したという事実に目を覚ましたのである。
しかし、人々は機械が空を飛ぶという事実に驚愕した後も、何年も飛行機の可能性を低く見積もっていた。
飛行機はまず、主に軍事兵器だと見なされた。
次いで、金持ちのおもちゃだと見なされた。
そしてようやく、一握りの人間を運ぶための道具として使われることになった。
ワシントン・ポスト紙は1909年にこう書いている。
「商業用の空中貨物輸送機など、未来永劫実現しない。
重たい貨物はこれからも、ゆっくりと忍耐強く、地上を引きずられ続けるだろう」
世界初の貨物機が離陸したのは、そのわずか5ヵ月後のことだった。
このように、世間が「人間は飛行機で空を飛べる」という考えに楽観的になるためには何年もの時間が必要だった。
それに対し、企業の倒産や大規模な戦争、飛行機の墜落事故などの悲劇的な出来事は、世間の注目をあっという間に集める。
事実、ライト兄弟の飛行機が初めて世間の大きな注目を集めたのは、1908年に陸軍中尉のトーマス・セルフリッジがデモ飛行中に死亡事故に巻き込まれたときだった。
成長は複利によって大きくなるが、その実現までには時間がかかる。
一方で、破滅はわずか数秒で起こる。
単一障害点や、一瞬で起こる信頼の喪失によって生じる。
p282
投資は、毎日大きな利益を得るチャンスがある、数少ない分野だ。
だから怪しい天気予報は信じない人でも、ファイナンスに関する怪しい予想は信じてしまう。
来週の株式市場の動向の予想が当たることで得られる報酬は、天気予報のそれとは別次元のものだからだ。
それゆえ、投資の世界では普通ならあり得ない判断がなされてしまう。
たとえば、2018年までの10年間、米国におけるアクティブ型の投資信託の95%が、ベンチマークとなるインデックスファンドを運用利回りで下回っている。
この状況は数十年にわたってほぼ変わっていない。
「これほどパフォーマンスが悪いサービスを提供する業界は、他では考えられない。
今後もこのビジネスが存続するのは難しいだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかし、これらのファンドには毎年5兆ドル近くが投資されているのだ。
ウォーレン・バフェットのように投資ができるチャンスだと言われ、何百万もの人がそれを信じ、老後の蓄えを注ぎ込んでいる。
誰もが、この複雑な現実世界を理解したいと思っている。
だから、自分の知らない世界とのギャップを埋めるために、都合よく、独自のストーリーをつくり上げてしまうのだ。
市場やビジネスまでコントロールできると思うな p287
人は市場予測がとても苦手だ。
市場が毎年、過去の平均値通りに上昇するというごく単純な予測の精度は、
ウォール街の大手銀行で働く市場分析の専門家上位20人が出す年間予測の平均値よりも優れている。
予期せぬ出来事が大半を占める世界において、未来の予測はやはり至難の業なのだ。
一方で、人はこれを直感的に知っている。
私は、市場予測全体が正確かつ有用であると純粋に信じている投資家に出会ったことがない。
それでも、予測に対する需要は依然としてとても大きい。
なぜか? 心理学者のフィリップ・テトロックはこう述べている。
「我々は、自分たちは予測とコントロールが可能な世界に住んでいると信じたいので、その欲求を満たしてくれる権威ある人物に目を向ける」
コントロールできるという幻想は、不確実な現実よりも説得力がある。
だから私たちは、結果を自分でコントロールできるというストーリーに執着するのだ。
これには、正確な予測が可能な分野と、不確実な要素が大きな分野を混同していることも関係している。
p297
私もこの本で、あなたに自分のお金で何をすべきかは指図できない。
なぜなら、あなたのことを知らないからだ。
私はあなたが何を望んでいるのかわからない。
いつ望むのかも、なぜそうしたいのかもわからない。
それを前提としたうえで、この章では、これまで本書で紹介してきたお金についてより良い判断をするための普遍的な教訓をまとめた。
物事がうまくいっているときには慎重に、うまくいかないときには寛容に
なぜなら、何事も見かけほど良くも悪くもないからだ。世界は巨大で複雑だ。
運もリスクも現実に存在し、その影響を見極めるのも難しい。
だから、自分や他人を評価するときは、「何事も、見かけほど良くも悪くもない」と肝に銘じよう。
運とリスクの存在を認めれば、自分がコントロールできることだけに集中しやすくなる。
適切なロールモデルを見つけるチャンスも増えるだろう。
エゴを減らせば、豊かになれる
貯金とは、「収入からエゴを差し引いたもの」である。富は、目に見えない。
つまり富とは、将来、より多くのものや選択肢を手に入れるために、今買うものを抑えることで生まれるものなのだ。
どれだけ稼いでも、そのお金を今日、今この瞬間を楽しむことばかりに使ってしまえば、富は築けない。
「夜、安心して眠れること」を優先してお金の管理をすべし
これは、巨額のリターンを目指すべきだとか、収入の一定割合を貯蓄すべきだとかいう話ではない。
巨額のリターンを得なければ眠れない人もいれば、安全重視の投資をしなければ安眠できない人もいる。
つまり、お金に関する考え方は人それぞれだ。
重要なのは、「この方法で投資をすれば、私は安心して眠れるだろうか?」と自問することだ。
それは、お金についてのあらゆる判断における最高の指針になる。
投資で結果を出すための最大の秘訣は、時間軸を長くすること
時間は、投資における最大の武器である。時間は小さな積み重ねを大きく膨らませ、大きな失敗を風化させる。
運やリスクをなくすことはできないが、時間をかければかけるほど望む結果が得やすくなるのは確かである。
うまくいかないことがあっても問題ないと考える。半分は間違っていても、資産は増やせる
なぜなら、結果の大部分をもたらすのはごく少数の投資だからだ。
投資対象を問わず、うまくいかないことが多くてもかまわないと考えるべきだ。それが世の中なのだ。
個々の投資ではなく、常にポートフォリオ全体を見て成果を測ること。
うまくいかない投資がたくさんあり、かなりうまくいっている投資がごくわずかだけあるという構成になっていてもかまわない。
通常は、それが最良のシナリオになるからだ。
個々の投資の結果に一喜一憂していると、うまくいっている投資は実際よりも素晴らしく見え、うまくいっていない投資は必要以上に惜しいと思えるものだ。
自分の時間をコントロールするためにお金を貯め、使う
自分の時間をコントロールできないことほど、幸せを強力に妨げるものはない。
ファイナンスの世界がもたらす最高の配当は、好きなことを、好きなときに、好きな人と、好きなだけできることだ。
他人に富を見せびらかさず、誠実に人と接しよう
どんな高級品を持っていても、あなたが思うほど他人を感動させたりはしない。
高級な車や腕時計が欲しいと思っている人が本当に望んでいるのは、尊敬と称賛ではないだろうか。
だが、もしそれらが欲しいのであれば、馬力の大きなスポーツカーや派手なメッキの腕時計よりも、優しさや謙虚さのほうが効果的である。
貯金をする。ただ貯金する。貯めるのに特別な理由は必要ない
車を買うため、大きな買い物の頭金にあてるため、万一の医療費のためなどに貯金に励むのは素晴らしいことだ。
だが、予測も定義もできないもののためにお金を貯めることほど優れた貯蓄の理由はない。
誰の人生も予期せぬ出来事に満ちている。
人生では、最悪のタイミングで予期せぬ出来事が起こり得る。
目的のない貯蓄は、そのリスクに対する備えとなる。
成功のために必要な代償を見極め、それを支払う準備をする
価値あるものはタダでは得られない。
お金を増やすうえで生じる代償、すなわち不確実性や疑念、後悔などには、目に見える値札がついていない。
これらは支払う価値があるが、罰金(避けるべきペナルティ)ではなく、手数料(支払う価値のある代償で、代わりに素晴らしいものが得られるもの)と見なさなければならない。
「誤りの余地」を何よりも大切にする
将来、自分の望み通りになるとは限らない。
何が起こるかわからないと想定しておくことで、予想外の出来事に耐えやすくなる。
この耐久力があるからこそ、時間をかけて資産を運用でき、魔法のような複利の効果を享受できるようになる。
誤りの余地をつくっておくことは、臆病なタイプの人が取りがちな安全策のように見える。
だがこれは、ゲームに長く参加し続けるための重要な手段だ。
ゲームに長く参加し続けられるからこそ、そうしない場合に比べて何倍ものリターンが得られるのである。
極端な経済的判断は避ける
目標は、望みや時間の経過とともに変わる。
だから、過去に極端な判断をすると、自分の考えが変化するにつれて、後悔しやすくなる。
リスクを好きになること。リスクは、時間の経過とともに利益を生む
ただし、身を滅ぼすようなリスクには細心の注意を払うべきだ。
立ち直れないほどのダメージを負ってしまえば、長期間で得られるリターンのためのリスクをそれ以上取ることができなくなる。
自分がしているゲームを明確にする
自分とは別のゲームをしている人に影響されないように気をつけること。
多様な意見を認める
賢く、情報に精通し、理性的に思考する人々でも、お金の問題については意見を異にすることがある。
ファイナンスに関しては、唯一の正解はない。
自分にとって有効な答えがあるだけだ。
p306
コンサルティンググループ「ファースト・マンハッタン」を設立したビリオネアの投資家サンディ・ゴットマンは、
自社の投資部門の採用面接で、「あなたはどんな資産を保有しているか? その理由は?」と質問する。
「どの株が割安だと思うか?」「不況に陥りやすそうな国は?」といった質問ではない。
シンプルに、「自分のお金で何をしているのかを説明せよ」と尋ねるのだ。
私はこの質問が気に入っている。
誰でも「自分が理にかなっていると思っていること(相手に勧めること)」と「自分にとって正しいと思うこと(自分が実際に行っていること)」のあいだには、大きな隔たりがあり得るという事実を浮き彫りにしてくれるからだ。
私の「貯蓄」に対する考え方 p308
投資持株会社バークシャー・ハサウェイの副会長、チャーリー・マンガーは、
「私は金持ちになるつもりはなかった。単に、経済的に自立したかっただけだ」と語ったことがある。
私のお金に関する最大の目標も、常に「経済的自立」だった。
私は巨額のリターンを追い求めることにも、資産を運用して贅沢な生活を送ることにも特に興味がない。
どちらも周りに自分の豊かさを見せつけるための行為に思えるし、そこには大きなリスクが潜んでいるようにも感じられる。
私が望んでいるのは、毎朝、「今日も、家族と私は、自分の好きなことを好きなようにできる」と実感しながら目覚めることだ。
私たち家族はこの望みの実現を最大目的にして、お金に関する判断を下している。
私の「投資」に対する考え方 p314
私は、個別株投資から投資を始めた。
当時、保有していたのは、バークシャー・ハサウェイやプロクター・アンド・ギャンブルなどの大企業株を中心に、格別に割安だと見込んだ小型株を組み合わせたものだった。
20代の頃は、25銘柄ほどの個別株を保有していた。
個別株投資家としての力量がどうだったかはわからない。
優秀だったのかと尋ねられれば、そうだとは言い切れない。
市場に挑んでいた多くの投資家と同じく、私も良い成績は残せなかった。
いずれにしても、私は今では考えを変え、低コストのインデックスファンドだけを保有するようになった。
個別株をアクティブ運用することに反対するわけではない。
市場の平均値を上回ることができる人もいると思う。
ただしそれは、一般的に考えられているよりもはるかに難しい。
私の投資に対する哲学を一言で表すなら、「投資では、自分の目標を達成できる確率がもっとも高い戦略を選ぶべきだ」となる。
そして私は、低コストのインデックスファンドにドルコスト平均法で投資することが、ほとんどの人にとって長期的に成功する確率がもっとも高い投資法だと考えている。
一般的に、投資業界はどちらか一方の意見に凝り固まる傾向がある。
特に、アクティブ投資に激しく反対する人が多いように見受けられる。
実際、統計によると、2019年までの10年間で、大手投資会社のアクティブ運用型ファンドの95%がS&P500に勝てなかった。
一方で、インデックス投資が必ず成功するとは限らないし、誰にとっても最善の投資方法になるわけでもない。
同じく、アクティブな個別株投資が必ず失敗する運命にあるわけでもない。
それでも私は、長年の試行錯誤の末に、「低コストのインデックスファンドに数十年かけて一貫して投資し、
下手にいじることなく複利で運用すれば、私たち家族の経済的目標をすべて達成できる可能性は高い」と考えるようになった。