「プロフェッショナルの条件」を 2,024 年 10 月 28 日に読んだ。
目次
- メモ
- pi
- はじめに pv
- 何が産業革命をもたらしたか p6
- 知識の意味が変わった p9
- 産業革命の本質 p11
- p13
- マルクス主義はなぜ失敗したのか p14
- p17
- p19
- p21
- p22
- 知識が経済の中心になった p24
- p26
- 新しい社会を創造する力 p27
- p29
- 組織社会が直面する問題 p31
- 組織は創造的破壊のためにある p32
- 変化のための仕組みをもつ p34
- p36
- p37
- 組織が果たすべき責任 p38
- p40
- 知識労働者は組織に依存しない p41
- p42
- p43
- p46
- 組織の使命に信念をもつ p46
- 資本と技術は生産手段にすぎない p52
- p53
- 「目的は何か」を問うことが重要 p54
- 知識労働は三種類ある p60
- 仕事のプロセスを分析する p61
- 教えるときにもっとも学ぶ p64
- 成果をあげる能力とは p65
- 現代社会の中心的存在 p67
- すべての者がエグゼクティブ p68
- 働く者をとりまく組織の現実 p71
- 組織の存在理由 p74
- 成果を大幅に改善する方法 p76
- p78
- p80
- p81
- p85
- 三つの領域における貢献 p85
- 知識ある者の責任 p88
- 私の青年時代 p97
- 目標とビジョンをもって行動する――ヴェルディの教訓 p98
- 神々が見ている――フェイディアスの教訓 p100
- 一つのことに集中する――記者時代の決心 p100
- 定期的に検証と反省を行う――編集長の教訓 p101
- 新しい仕事が要求するものを考える――シニアパートナーの教訓 p103
- 書きとめておく――イエズス会とカルヴァン派の教訓 p105
- 何によって知られたいか――シュンペーターの教訓 p106
- 成長と自己変革を続けるために p108
- 強みは何か p112
- フィードバック分析から分かること p113
- 仕事の仕方に着目する p114
- 人と組むか、ひとりでやるか p116
- 価値観を優先する p117
- ところをうる p118
- 自分の時間をどのように使っているか p119
- p123
- 時間の使い方を記録する p125
- p131
- p135
- 時間を無駄にしているヒマはない p137
- p141
- 劣後順位の決定が重要 p141
- p144
- p148
- p155
- p159
- p161
- 満場一致に注意せよ p161
- 決定は本当に必要か p164
- 勇気をもつ p167
- 四つの原理 p169
- カリスマ性はいらない p183
- リーダーシップの本質 p184
- 強み重視の人事 p189
- p190
- p191
- 組織の利点 p192
- p194
- 奇跡は再現できない p197
- なすべきこと p198
- なすべきでないこと p201
- 成功するイノベーションの条件 p202
- イノベーターはリスクを冒さない p204
- 第二の人生をどうするか p209
- p213
- 革命的な変化 p214
- 社会の能力を規定するもの p217
- p221
- 知識社会と組織社会 p222
- テクネ――教育ある人間の条件 p223
- 自らの成長に責任をもつ p227
- p231
- 成長するための原理 p232
- 何によって憶えられたいか p234
- p240
- p254
- p260
メモ
pi
一九三〇年代半ばといえば、ヒトラーがドイツを手中にした後、全ヨーロッパの征服に乗りだし、世界を支配すべく準備を進めていた時期だった。
私は、昼は銀行で働きながら、夜はこのヨーロッパ、の社会と文明の崩壊をいかに捉えるかについて考えた。
その成果が、処女作『経済人の終わり』(一九三九年)だった(数年前、新訳がダイヤモンド社によって再刊された)。
はじめに pv
やがて歴史家は、二〇世紀最大のできごとは何だったというだろうか。
二つの世界大戦か。
原爆か。
非西洋の国日本が経済大国になったことか。
それとも、情報技術(IT)革命か。
私の答えは、人口革命である。
量的には、世界人口の爆発的な増加であり、今日の先進社会の高齢化をもたらしつつある平均寿命の爆発的な伸びである。
質的には、さらに重要なこととして、先進社会における労働力人口の中身の変化、肉体労働者から知識労働者への重心の移動である。
二〇世紀初め、労働力人口の九〇%から九五%は肉体労働者だった。
農民、家事使用人、工場や建設現場の単純労働者だった。
彼らの平均寿命、特に労働寿命は、当時年寄りとされていた五〇歳に達するころには、ほとんど働けなくなるほどに短かった。
ところが今日、働く者、特に知識労働者の平均寿命は、今世紀の初めには想像しなかったほど伸びる一方、彼らの雇用主たる組織の平均寿命は着実に短くなっている。
これからは、さらに短くなっていく。
正確にいうならば、雇用主たる組織、特に企業が繁栄できる期間は確実に短くなる。
もともと、そのような期間が長かったことは一度もない。
歴史的に見て、三〇年以上繁栄した企業はあまりない。
もちろん、繁栄できなくなったからといって消滅するわけではない。
しかしほとんどの企業が、繁栄の後に低迷期を迎える。
再起して、再び成長する企業は少ない。
このように、働く者、特に知識労働者の平均寿命と労働寿命が急速に伸びる一方において、雇用主たる組織の平均寿命が短くなっている。
しかも今後、グローバル化と競争激化、急激なイノベーションと技術変化の波の中にあって、組織が繁栄を続けられる期間はいっそう短くなっていく。
これからは、ますます多くの人たち、特に知識労働者が、雇用主たる組織よりも長生きすることを念頭におかなければならない。
第二の人生のために、新しいキャリア、新しいアイデンティティ、新しい環境の用意をしておかなければならない。
今日あらゆる先進国において、最大の労働力人口は、肉体労働者ではなく知識労働者である。
二〇世紀の初め、最先端の先進国でさえ知識労働者はわずかだった。
全労働力人口の三%を越える国はなかった。
だが今日アメリカでは、その割合が四〇%を占める。
二〇二〇年には、ヨーロッパ諸国や日本もそうなる。
このように大量の知識労働者は、歴史上初めての経験である。
彼らは生産手段を所有する。
知識を所有しているからである。
しかも、その知識は携行品である。
頭の中にある。
いついかなる時代においても、一人ひとりの人間には、自らの進路を決める選択の余地はなかった。
農民の子は農民になった。
職人の子は職人になり、職人の娘は職人に嫁いだ。
工員の息子や娘は工場に働きに出た。
階層間の移動の自由は下方にのみ開いていた。
日本では、徳川幕府の二五〇年間、武士が庶民に身を落とすことはあっても、庶民が武士に出世することは稀だった。
同じことは、どの国にもいえた。
もっとも労働力の流動性に富んだ二〇世紀初めのアメリカでさえ、上方への移動は稀だった。
一九〇〇年代初めから一九五〇年までの数字がある。
それによると、経営者や自由業者の九〇%は経営者や自由業者の子供だった。
当時、下の階層とされていた層からあがってきた者は一〇%にすぎなかった。
一八六〇年から七〇年にかけて誕生した近代企業は、たとえわずかであっても、そこに働く者が上方に移動できるという意味で革命的な存在だった。
近代企業が、町や村、ギルドなどむかしながらの秩序を乱したのは、そのためだった。
しかしその近代企業さえ、それぞれがコミュニティたろうとした。
日本独自の価値観を体現するものとして理解されている終身雇用は、その象徴だった。
この終身雇用は、日本でも明治以前、すなわち二〇世紀以前にはなかった。
終身雇用は、欧米にもあった。
アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスでも、大企業で働く日給、時給以外の従業員は終身雇用だった。
彼らは入社するや、自らを社員と位置づけ、会社に完全に帰属した。
アメリカではGEマンであり、ドイツではジーメンス・マンだった。
世界中の大企業の多くが、日本の大企業と同じように、新卒者を雇い、定年まで働くものとした。
何ごとも制度化することの好きなドイツでは、彼らは民間公務員と名づけられた。
社会的には政府公務員よりも下に位置づけられたが、法的には同等に雇用を保障され、同等に終身雇用の身分を与えられ、その全労働寿命を雇用主たる企業に捧げるものとされた。
一九五〇年代から六〇年代にかけて制度化された日本企業の終身雇用といえども、欧米において一九世紀後半に誕生し、二〇世紀前半にそのピークに達した近代企業のコンセプトの体現であって、その完成にすぎなかった。
今日のところ、二〇二〇年ないし二五年の企業の姿がどのようなものになるかは誰にも分からない。
しかしそれが、今日とはまったく異なるものになるであろうことは明らかである。
その原因となるものが、人口構造の中身の変化である。
一九世紀の半ばに至ってさえ、事業の成否はコスト格差、すなわちいかに安くつくるかにかかっていた。
二〇世紀に入って、それは今日のいわゆる戦略の有無に変わった。
このことを最初に指摘したのが、拙著『創造する経営者』(一九六四年)だった。
だがそのころには、すでに事業の成否は、知識の有無に移行しつつあった。
私がこのことに気づいたのは一九五九年だった。
そこから生まれたものが、拙著『経営者の条件』(一九六六年)だった。
知識労働者の重要性が増すことを予感し、一人ひとりの人間と組織にとってのその意味を最初に分析したものだった。
もう一度繰り返すならば、知識労働者とは、他のいかなる者とも二つの点で大きく異なる存在である。
第一に、彼らは生産手段を所有する。
しかも、その生産手段は携行品である。
第二に、彼ら(そしてますます多くの彼女ら)は、雇用主たる組織よりも長生きする。
加えて、彼らの生産手段たる知識は、他のいかなる資源とも異質である。
高度に専門分化して、初めて意味をもつ。
脳外科医が真価を発揮するのは、脳外科に専門分化しているからである。
おそらく、膝の故障は直せない。
熱帯の寄生虫にいたっては、手も出ない。
このことは、あらゆる種類の知識労働者についていえる。
日本企業をはじめ、これまで近代企業が育てようとしてきたゼネラリストは、これからの知識経済ではあまり活躍の場はない。
ゼネラリストといえども、知識労働と知識労働者をマネジメントする専門家にならないかぎり役に立たない。
ということは、今後、組織への献身についての論議がどのようなものとなるかに関わりなく、知識労働者の帰属先は、雇用主たる組織ではなく、自らの専門領域にならざるをえなくなる。
彼らにとって、コミュニティとは自らの専門領域そのものとなっていく。
一九五〇年代、六〇年代のアメリカでは、パーティで会った人に何をしているかを聞けば、「GEで働いている」「シティバンクにいる」など、雇用主たる組織の名前で返ってきた。
当時のアメリカは、今日の日本と同じだった。
イギリス、フランス、ドイツその他あらゆる先進国が同じだった。
ところが今日、アメリカでは「冶金学者です」「税務をやっています」「ソフトウェアの設計です」と答えが返ってくる。
少なくともアメリカでは、知識労働者は、もはや自らのアイデンティティを雇用主たる組織に求めなくなっており、専門領域への帰属意識をますます強めている。
今日では日本においてさえ、若い人たちが同じ傾向にある。
これからの組織、特に企業を変えていくものは、技術や情報やeコマース(電子商取引)の発展よりも、むしろこの意識の変化である。
前に述べたように、私がこの変化に最初に気づいたのは一九五〇年代の終わりだった。
それ以来私は、この変化と一人ひとりの人間にとっての意味を考え続けた。
なぜならば、この変化を捉えて、自らの機会、キャリア、成果、帰属、自己実現に結びつけるべきは、彼ら一人ひとりの知識労働者だからである。
しかも、明日の組織がどのようなものとなり、どのような組織が繁栄するかを決めるのも、彼ら知識労働者である。
企業、政府機関、NPO(非営利組織)のいずれであれ、マネジメントの定義は一つしかありえない。
それは、人をして何かを生みださせることである。
今後、組織の競争力はこの一点にかかっている。
もはや経済学のいう生産資源、すなわち土地、労働、資本からの競争優位は得られない。
たしかに、これらの資源を使いこなせなければ不利を招く。
だが今日では、あらゆる企業が、同一の価格でいかなる原材料も手に入れられる。
資金は世界中から調達できる。
肉体労働者にいたっては、ほとんどの企業にとって、生産手段として重要な存在ではなくなっている。
アメリカでは、製造業のうちもっとも労働集約的なものにおいてさえ、直接労務費は一二~一三%である。
したがって直接労務費の五%のコスト格差は、ニット製品メーカーなど極度に労働集約的な小さな産業は別として、競争上意味をもたない。
今や唯一の意味ある競争力要因は、知識労働の生産性である。
その知識労働の生産性を左右するものが知識労働者である。
雇用主たる組織の盛衰を決めるものも、一人ひとりの知識労働者である。
これらのことが何を意味するかが、本書の主題である。
本書は私の著作のうち、一人ひとりの人間と一つひとつの組織が、知識と知識労働に固有の特性と、そのもたらす機会について理解を新たにし、今日自らに求められていることについて認識を新たにするうえで必須のものを、これらのことに通暁した編者が選択したものである。
すべて初めての挑戦である。
むずかしいことではない。
だが、一人ひとりの人間、一つひとつの組織が成功を続けるうえで不可欠のものである。
これからの数十年にわたって、知識労働者として活躍する人としない人、知識経済において繁栄する組織としない組織の差は歴然となる。
まさに本書は、読者の方々が、成果をあげ、貢献し、自己実現していくことを目的としている。
何が産業革命をもたらしたか p6
一七五〇年から一九〇〇年までの一五〇年間に、資本主義と技術革新は世界を征服し、新しい世界文明をもたらした。
資本主義と技術革新そのものは新しくなかった。
いずれも、あらゆる時代を通じ、洋の東西を問わずあらゆる地域で見られた。
しかし、この一五〇年間の資本主義と技術革新は、その伝播の速度と、文明、階層、地理を超えたその到達度において例がなかった。
まさに、この伝播の速度と到達度こそが、資本主義をまさに資本主義に変え、一つの体制に変え、技術革新を産業革命に変えた。
この転換は、知識の適用によってもたらされた。
東西両洋において、知識とは常に存在に関わるものだった。
ところが一夜にして、それが行為に関わるものとなった。
知識は資源となり、実用となった。
常に私的な財であった知識が、ほとんど一夜にして公的な財になった。
第一の段階として、知識は一〇〇年にわたって、道具、工程、製品に適用された。
その結果、産業革命が生まれた。
同時に、カール・マルクス(一八一八~一八八三年)のいわゆる疎外、階級闘争、共産主義がもたらされた。
第二の段階、すなわち一八八〇年ごろに始まり、第二次大戦の末期を頂点として、知識は装いを新たにし、仕事に適用された。
その結果、生産性革命がもたらされた。
この七五年間において、プロレタリア階級は、上流階級に匹敵した所得を手にするブルジョワ階級となった。
こうして生産性革命が、階級と闘争と共産主義を打ち破った。
第三の段階として、第二次大戦後、知識は知識そのものに適用されるようになった。
それがマネジメント革命だった。
知識は、土地と資本と労働をさしおいて、最大の生産要素となった。
しかしまだ、われわれの時代を知識社会と呼ぶのは尚早である。
傲慢でさえある。
われわれは、いまだ知識経済をもつにすぎない。
とはいえ、われわれの社会が、すでに資本主義社会でないことは間違いない。
知識の意味が変わった p9
原因が一つであったり、その説明が一つですむ歴史上の事件は珍しい。
すでにわれわれは、ヘーゲルやマルクスなど一九世紀の理論、厚顔きわまりない単純論の誤りを知っている。
歴史上の事件は、たがいに関係のない数多くの発展の合成である。
単なる資本主義を体制としての資本主義に変え、技術革新を産業革命にしたものも、たがいに関係のない独立した事象の合成だった。
今世紀初頭、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(一八六四~一九二〇年)は、資本主義をプロテスタントの倫理の落とし子とした。
もちろんこの有名な説は、今日では信憑性を失っている。
根拠がない。
むしろ、巨額の資本を必要とする蒸気機関が動力源となったために、もはや職人が主たる生産手段を自ら所有できなくなり、生産手段の支配権を資本家に譲らざるをえなくなったために、資本主義が生まれたとするカール・マルクスの説のほうが、若干なりとも根拠がある。
しかし、資本主義と技術革新が、世界的な現象となるうえで欠かせない決定的に重要な要件が一つあった。
それは、一七〇〇年ごろかその少し後、ヨーロッパで広まった知識の意味における急激な変化だった。
われわれが知ることのできるもの、及びそれらを知るための方法についての理論は、紀元前のプラトンから、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン(一八八九~一九五一年)やカール・ポパー(一九〇二~一九九四年)にいたるまで、形而上学の理論家の数と同じだけある。
しかしプラトンの時代以降、知識そのものの意味については、長い間、理論は二つしか存在しなかった。
プラトンの伝える賢人ソクラテスは、知識の役割は、自己認識、すなわち自らの知的、道徳的、精神的成長にあるとした。
一方、ソクラテスのライバル、哲人プロタゴラスは、知識の役割は、何をいかに言うかを知ることにあるとした。
プロタゴラスにとって、知識とは論理、文法、修辞、すなわちやがて中世において学習の中核に位置づけられることになった三大教養科目、今日のいわゆる一般教養を意味していた。
東洋においても、知識の機能については、同じように二つの考えしか存在しなかった。
儒教では、知識とは何をいかに言うかを知ることであり、人生の道だった。
これに対し、道教と禅宗では、知識とは自己認識であり、知恵に至る道だった。
このように、東西両洋において知識が意味するものについて二派の対立があったものの、知識が意味しないものについては完全な一致があった。
知識は、行為に関わるものではなかった。
知識は、効用ではなかった。
効用を与えるものは、知識ではなかった。
それは技能だった。
ギリシャ語にいうテクネだった。
中国の儒家が、書物による学習以外のものをすべて徹底的に軽悔したのに対し、同時代人のソクラテスやプロタゴラスはテクネを尊重していた。
しかし彼らにとっても、テクネはいかに尊重すべきものであっても、知識ではなかった。
そもそもテクネは、常に特定の範囲に適用され、一般法則を伴わなかった。
ギリシャーシチリア航路について船長が知っていることは、他に応用できなかった。
しかも、テクネを学ぶ唯一の方法は、徒弟となり、経験を積むことだった。
テクネは、言葉や文字では説明できなかった。
身をもって示すものだった。
西暦一七〇〇年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。
技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。
手本によって示されるだけだった。
産業革命の本質 p11
ところが一七〇〇年以降、わずか五〇年間に、テクノロジー(技術)が発明された。
まさにテクノロジーという言葉そのものが象徴的だった。
それは、秘伝の技能たるテクネに、体系を表わす接尾語ロジーを付けた言葉だった。
この技能から技術への劇的な変化を示す偉大な記録、人類史上もっとも重要な書物の一つが、一七五一年から七二年にかけて、ドゥニ・ディドロ(一七一三~一七八四年)とジャン・ダランベール(一七一七~一七八三年)が編纂した『百科全書』だった。
この書は、技能に関するあらゆる知識を体系的にまとめ、徒弟にならなくとも技能技術者になれることを目指していた。
しかも、紡ぎや織りなどの技能を説明するこの『百科全書』の各項目が、技能をもつ職人たち自身の手で書かれなかったのは偶然ではなかった。
それを書いたのは情報の専門家、すなわち、分析、数学、論理学の能力をもつ者たちだった。
ヴォルテールやルソーが執筆者だった。
『百科全書』の思想は、道具、工程、製品など物質世界における成果は、知識とその体系的応用によって生み出されるとするものだった。
『百科全書』は、一つの技能において成果を生む原理は、他の技能においても成果を生むと説いた。
その説は、当時の知識人や職人にとっては異端の考えだった。
しかし、一八世紀の技術学校の中に、新しい知識の創造を目的としたものは一つとしてなかった。
『百科全書』もそうだった。
科学を道具、工程、製品に適用すること、すなわち技術への適用について論じる者はいなかった。
そのような考えが実現するには、さらに一〇〇年、一八三〇年まで待たなければならなかった。
ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービヒ(一八〇三~一八七三年)が、科学的知識を利用して、人工肥料の製造や動物性蛋白質の保存法を発明するまで待たなければならなかった。
だが、おそらく歴史的には、リービヒの偉業よりも、初期の技術学校や『百科全書』が行ったことのほうが重要だった。
数千年にわたって発展してきたテクネ、すなわち秘伝としての技能が、初めて収集され、体系化され、公開された。
技術学校や『百科全書』は、経験を知識に、徒弟制を教科書に、秘伝を方法論に、作業を知識に置き換えた。
これこそ、やがてわれわれが産業革命と呼ぶことになったもの、すなわち、技術によって世界的規模で引き起こされた社会と文明の転換の本質だった。
この知識の意味の変化こそ、その後の資本主義を必然とし、支配的な存在にしたものだった。
とりわけ、こうしてもたらされた技術変化のスピードのために、職人では賄えないほどの資金需要が生じた。
さらに技術は、生産の集中すなわち工場を必要とした。
技術は、数千、数万にのぼる職人の作業場には適用できない。
技術は、生産が一つの屋根の下に集中されて、初めて適用できた。
新しい技術は大規模な動力源を必要としたが、水力や蒸気力は分散できなかった。
とはいえ動力源の問題は、重要ではあっても二義的だった。
肝心な点は、生産活動がほとんど一夜にして、技能中心から技術中心になったことだった。
こうして一夜にして、資本家が経済と社会の中心に入り込んできた。
それまで、資本家は脇役にすぎなかった。
一七五〇年にいたってなお、大規模な事業体は私有ではなく国有だった。
旧世界において、最初に生まれ、かつ数世紀にもわたって最大規模を誇っていた工場は、ヴェネツィア共和国政府所有の兵器工場だった。
マイセンやセーヴルの磁器工場も国有だった。
ところが一八三〇年には、民間の大資本家が所有する事業が産業の中心となった。
その五〇年後、カール・マルクスが死んだ一八八三年には、民間の資本家が所有する事業が全世界を席巻していた。
p13
マルクスによれば、新しい階級としてのプロレタリアは、疎外され搾取され続けるはずだった。
彼らプロレタリアは、資本家が所有し支配する生産手段に依存せざるをえなかった。
やがて所有は、さらに少数の、より巨大な手に握られ、無力なプロレタリアはさらに窮乏化していく。
しかしついには、それら少数の資本家も、自らの鎖以外に失うべきものがないプロレタリアによって打ち倒され、システム自体が自らの重みで崩壊する。
今日では、このマルクスの予言が間違っていたことが明らかである。
実際には、まったく正反対のことが起こった。
ただし、それは今だから言えることにすぎない。
彼の時代に生きた者のほとんどが、たとえその帰趨についてまでは考えを同じにしていなかったとしても、少なくとも資本主義そのものについては同じ見方をしていた。
反マルクス主義者でさえ、資本主義に内在する矛盾を指摘するマルクスの分析を受け入れていた。
マルクス主義はなぜ失敗したのか p14
それでは、何がマルクスとマルクス主義を打ち破ったのか。
一九五〇年までに、われわれの多くにとって、マルクス主義の人道的な失敗と経済的な破綻は明らかだった。
私自身、すでにこのことを拙著『経済人の終わり』(一九三九年)で指摘していた。
それでもなおマルクス主義は、世界中でもっとも首尾一貫したイデオロギーだった。
それは一見、無敵だった。
たしかに反マルクス主義者はいた。
だが非マルクス主義者、すなわち、今日世界中のほとんどの人たちが知っている意味において、マルクス主義に何らの意味も見出さないという者はいなかった。
社会主義に反対する者でさえ、社会主義が一つの大きな潮流であることを認めざるをえなかった。
それでは、何が、あの資本主義固有の矛盾、プロレタリアの疎外と窮乏化、そしてプロレタリアそのものをなくしたのか。
その答えが、生産性革命だった。
今から二五〇年前、知識はその意味を変え、道具、工程、製品に応用された。
これが今日、ほとんどの人たちにとって技術が意味するものであり、技術系の学校が教えているものである。
しかるにマルクスの死の二年前、生産性革命が始まった。
一八八一年、ひとりのアメリカ人、フレデリック・ウィンスロー・テイラー(一八五六~一九一五年)が、仕事そのものの研究、分析、エンジニアリングに知識を応用した。
仕事そのものは、人類の誕生以来常にあった。
実際、人類のみならず、あらゆる動物が、生きていくために仕事をしなければならない。
ホメロスの叙事詩に遅れることわずか一〇〇年という、ギリシャ第二の古典たるヘシオドス(紀元前八世紀)の詩『仕事と日々』は、農民の仕事をうたっていた。
ローマ時代の佳作の一つ、ヴェルギリウス(紀元前七〇~一九年)の『農耕詩』もまた、農民の仕事を繰り返しうたっていた。
東洋では仕事への関心はあまり多くは見られなかったが、それでも中国の皇帝は、年に一度、田植えを祝って、自ら鋤に手をかけた。
しかし西洋でも東洋でも、仕事は単に抽象的にうたわれたにすぎなかった。
ヘシオドスもヴェルギリウスも、農民の仕事を実地に観察していなかった。
実に有史以来、そのようなことをした者はいなかった。
仕事は長い間、教育ある人たち、豊かな人たち、権威ある人たちの注目に値しなかった。
それは、奴隷のすることだった。
そして、より多くを生産するための唯一の方法は、より長く働かせるか、より激しく働かせることだった。
マルクスもまた、他の一九世紀の経済学者や技術者と同じように、仕事をそのように見ていた。
豊かな家庭に育ちながら、たまたまテイラーは工場で働き始めた。
視力の低下のためにハーバードへの進学をあきらめた彼は、鋳物工場に仕事を得た。
すぐに職長となり、金属加工に関する発明で若いうちに富を得た。
そのテイラーを仕事そのものの分析にとりかからせたのは、一九世紀末を覆いつつあった資本家と労働者の間の憎しみだった。
彼もまた、マルクスが見たもの、ディズレーリや、ビスマルクや、ヘンリー・ジェームズが見たものを見た。
だが彼は、彼らが見なかったもの、すなわち対立が無用であることも見た。
彼は、労働者がより多くの収入を得られるようにするために、その生産性の向上に取り組んだ。
企業のための効率の向上ではなかった。
資本家のための利益ではなかった。
彼は、生産性向上の果実を享受すべき者は、資本家ではなく労働者であるとの考えを貫いた。
彼の動機は、資本家と労働者が、生産性の向上に共通の利益を見出し、知識を仕事に適用することによって、調和ある社会をつくることだった。
今日のところ、この考えにもっとも近かったものは、第二次大戦後の日本の経営者と労働組合だけである。
p17
テイラーはそのような状況に甘んじざるをえなかった。
彼は労働組合を怒らせただけでなく、資本家とも敵対した。
彼らを豚と呼ぶのが口癖だった。
サイエンティフィック・マネジメント(科学的管理法)の最大の受益者は、資本家ではなく労働者でなければならないとした。
資本家にとって腹立たしかったことは、彼の科学的管理法のいわゆる第四原則が、仕事の分析は、対等の立場においてではないにしても、少なくとも労働者の意見を聞いて行うべきであるとしていたところにもあった。
とどめとして彼は、工場における権威は、所有権ではなく知識の優越性に基づかなければならないとした。
言い換えると、今日われわれがプロの経営者と呼ぶものを要求した。
そしてまさに、この要求こそ一九世紀の資本家にとっての異端であり、異教だった。
彼は、扇動家、社会主義者として攻撃された。
信奉者や友人、特に右腕だったカール・バースは、札付きの左翼、筋金入りの反資本主義者とされた。
p19
テイラーが知識を仕事に適用した数年後、肉体労働者の生産性が年率三・五%ないし四%で伸び始めた。
この数字は、一八年で倍増することを意味した。
その結果、あらゆる先進国において、テイラー以降から今日までに、生産性は約五〇倍に増加した。
この前例のない生産性の伸びが、先進国における生活水準と生活の質の向上をもたらした。
それら先進国における生産性の伸びの成果の半分は、購買力の増大、すなわち生活水準の向上をもたらした。
三分の一は、自由時間の増大をもたらした。
一九一〇年に至っても、労働者ははるかむかしと同じように、年間三〇〇〇時間以上働いていた。
今日では、日本でさえ年間二〇〇〇時間、アメリカは約一八五〇時間、ドイツは一六〇〇時間しか働いていない。
その彼らが、一時間当たり、八〇年前の五〇倍以上を生産している。
生産性の伸びの成果は医療や教育にも現れた。
かつてGNPのほとんどゼロ%だった医療費が、先進国では八%から一二%に増大した。
GNPの二%だった教育費が、一〇%以上に増大した。
こうして生産性の伸びのほとんどは、テイラーが予言したように、労働者、つまりマルクスのいうプロレタリアの分け前となった。
ヘンリー・フォード(一八六三~一九四七年)は、一九〇七年、最初の低価格車T型フォードを世に出した。
だが「低価格車」というのは、今日の双発自家用機並だった当時の他の自動車の価格と比べての話にすぎなかった。
七五〇ドルの価格は、諸手当なしの日給八〇セントがかなりの高賃金だった当時の工場労働者にとっても、三年から四年分の収入に相当した。
当時アメリカでは、医者さえ、めったに年間五〇〇ドル以上は稼げなかった。
しかし今日、アメリカ、日本、ドイツにおいて、労働組合に入っている自動車労働者はより短い労働時間で、低価格車八台分の年収を得ている。
p21
ダーウィン、マルクス、フロイトといえば、近代社会をつくった人間としてよく引き合いに出される三人組である。
だが公正さというものがあるならば、マルクスの代わりにテイラーを入れるべきである。
とはいえ、テイラーが正当な評価を受けていないことは、ささいな問題にすぎない。
深刻な問題は、この一〇〇年間における生産性の爆発的な向上をもたらし、先進国経済を生み出したものが仕事への知識の適用だったという事実を、ほとんどの者が認識していないところにある。
技術者は機械のおかげと言い、経済学者は設備投資のおかげと言う。
だがそれらはいずれも、資本主義の時代の最初の一〇〇年間、すなわち一八八〇年以前においても、それ以降今日に至ると同じように豊富に存在していた。
技術や資本に関しては、最初の一〇〇年も、次の一〇〇年もほとんど変わっていない。
ところが最初の一〇〇年間、労働者の生産性はまったく増大しなかった。
その結果、労働者の実質所得はほとんど増加せず、労働時間もほとんど減少しなかった。
あとの一〇〇年間を決定的に違うものとしたのは、知識の仕事への適用の結果だったとしか説明できない。
p22
テイラーが活躍し始めたころ、労働者の一〇人に九人は、肉体労働、すなわち製造業、農業、鉱業、輸送業において、物を作ったり運んだりしていた。
今日でも、物を作ったり運んだりする人たちの生産性は、かつてと同じように、年率三・五%から四%伸びている。
アメリカやフランスの農業では、さらに高率で伸びている。
しかし、この生産性革命も終わった。
四〇年前の一九五〇年代、物を作ったり運んだりする人たちは、先進国においても過半を占めていた。
ところが一九九〇年には、労働力人口の五分の一まで縮小した。
二〇一〇年には、おそらく一〇分の一以下になる。
したがって、製造業、農業、鉱業、輸送業における肉体労働者の生産性の向上は、もはやそれだけでは富を増大させることはできない。
生産性革命は、まさに生産性革命そのものの成功の犠牲となった。
今後問題となるのは、非肉体労働者の生産性のほうである。
そしてそのためには、知識の知識への適用が不可欠となる。
知識が経済の中心になった p24
二五〇年前に始まった知識における意味の変化が、再び社会と経済を大きく変えつつある。
今や正規の教育によって得られる知識が、個人の、そして経済活動の中心的な資源である。
今日では、知識だけが意味ある資源である。
もちろん伝統的な生産要素、すなわち土地(天然資源)、労働、資本がなくなったわけではない。
だが、それらは二義的な要素となった。
それらの生産要素は、知識さえあれば入手可能である。
しかも簡単に手に入れられる。
もちろん、そのような新しい意味における知識とは、効用としての知識、すなわち社会的、経済的成果を実現するための手段としての知識である。
この変化は、それが望ましいかどうかは別として、もはや元に戻すことのできない一つの変化、すなわち知識を知識に適用した結果である。
これが知識の変化の第三段階、おそらくは最終段階である。
つまるところ、成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネジメントである。
しかも今日、知識は、「いかなる新しい知識が必要か」「その知識は可能か」「その知識を効果的にするためには何が必要か」を明らかにするうえでさえ、意識的かつ体系的に適用されるようになっている。
知識はイノベーションにも不可欠である。
知識に関わるこの変化の第三段階は、マネジメント革命と名づけられる。
今日、すでにこのマネジメント革命が、前の二つの変化、道具、工程、製品への知識の適用、及び仕事そのものへの知識の適用と同じように、全世界を席巻しつつある。
産業革命が世界中で支配的な流れとなるには、一八世紀中葉から一九世紀中葉までの一〇〇年を要した。
生産性革命の場合には、一八八〇年から第二次大戦末期までの七〇年を要した。
しかし今度のマネジメント革命は、一九四五年から一九九〇年までの五〇年に満たない期間しか要しなかった。
p26
マネジメントが広範かつ強力に普及していった結果、マネジメントの真の意味が理解されるようになった。
第二次大戦中とその直後、私が初めてマネジメントについて研究を始めたころ、経営管理者とは、「部下の仕事に責任をもつ者」と定義されていた。
換言すれば、ボスだった。
地位と権力を意味した。
今日にいたるも、多くの人が、マネジメントというと、おそらく心に描くであろう定義が、これである。
しかし五〇年代の初めにはすでに、経営管理者とは、「他の人間の働きに責任をもつ者」と定義されるようになっていた。
しかも今日、われわれは、この定義さえ、あまりに狭義であることを知っている。
正しくは、「知識の適用と、知識の働きに責任をもつ者」である。
このような定義の変化は、知識が中心的な資源と見られるようになったことを意味する。
今日では、土地、労働、資本は、制約条件でしかない。
それらのものがなければ、知識といえども、何も生み出せない。
経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。
だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識に対する適用が行われさえすれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。
知識が単なるいくつかの資源のうちの一つではなく、資源の中核になったという事実によって、われわれの社会はポスト資本主義社会となる。
この事実は、社会の構造を根本から変える。
新しい社会の力学を生みだし、新しい経済の力学を生む。
そして新しい政治を生む。
新しい社会を創造する力 p27
社会の重心が知識へ移行していった三つの段階、すなわち産業革命、生産性革命、マネジメント革命の根底にあったものが、知識における意味の変化だった。
こうしてわれわれは、一般知識から専門知識へと移行してきた。
かつての知識は一般知識だった。
これに対し、今日知識とされているものは、必然的に高度の専門知識である。
p29
今や知識とされるものは、それが知識であることを行為によって証明しなければならない。
今日、われわれが知識とするものは、行動のための情報、成果に焦点を合わせた情報である。
その目的とするものは、人間の外、社会と経済、さらには知識そのものの発展にある。
しかもこの知識は、成果を生むために高度に専門化していなければならない。
実は、古代に始まり、いまだに教養科目とされているものが、そのような知識をテクネつまり技能の地位に貶めてきた理由もここにあった。
テクネであったために、それらの技能は学ぶことも教えることもできなかった。
法則もなかった。
具体的に専門化されすぎていた。
学習できるものではなく、経験でしか得られないものだった。
教育によってではなく、訓練でしか得られないものだった。
もちろん、今日われわれが使っている知識はそのような技能ではない。
体系化された専門知識である。
知識と技能に関わるこの変化こそ、知識の歴史における最大の変化である。
体系が技能を方法論に変えた。
エンジニアリングであり、科学的、定量的手法であり、医学の診断だった。
それらの方法論は、個別的な経験を普遍的な体系に変えた。
挿話を情報に変えた。
技能を、教え学べるものに変えた。
このような一般知識から専門知識への重心の移行が、新しい社会を創造する力を知識に与える。
その新しい社会は、専門知識と専門家たる知識労働者を基礎として構成される。
そして、その彼らに力が与えられる。
しかしそのとき、価値やビジョンや信条に関わる問題、すなわち、社会を社会とし、一人ひとりの人生を意味あるものにすることに関わるあらゆる種類の問題が生じる。
さらに、まったく新しい問題が生ずる。
専門知識の社会において、真に教育ある人間の要件は何かという問題である。
組織社会が直面する問題 p31
知識社会では、専門知識が、一人ひとりの人間の、そして社会活動の中心的な資源となる。
いわゆる経済学の生産要素、すなわち土地、資本、労働は、不要になったわけではないが、二義的になる。
それらは、専門知識さえあれば入手可能である。
しかも、簡単に手に入れられる。
とはいえ、個々の専門知識はそれだけでは何も生まない。
他の専門知識と結合して、初めて生産的な存在となる。
知識社会が組織社会となるのはそのためである。
企業であれ、企業以外の組織であれ、組織の目的は、専門知識を共同の課題に向けて結合することにある。
歴史を参考とするならば、この転換期は、二〇一〇年ないし二〇年まで続く。
したがって、現在姿を現わしつつある次の社会について、その詳細を予測することは危険である。
しかし、今後いかなる問題が登場するか、いかなる領域にいかなる課題が存在するかについては、すでにかなりの程度明らかになっている。
特にわれわれは、組織社会がいかなる緊張と課題に直面するかをすでに知っている。
それは、安定を求めるコミュニティと変化を求める組織の間の緊張であり、また個人と組織の間の緊張であり、両者の間の責任の関係である。
あるいは、自律を求める組織のニーズと共同の利益を求める社会のニーズとの間の緊張であり、また組織に対する社会的責任の要求の高まりである。
さらには、専門知識をもつ知識労働者と、チームとしての成果を求める組織との間の緊張である。
これらの緊張は、今後、特に先進国社会で中心的な問題となっていく。
いずれも宣言や決議や法律で解決できる問題ではない。
実際に問題が発生する場所において、すなわち一つひとつの組織において、あるいは事務所において解決しなければならない問題である。
組織は創造的破壊のためにある p32
社会、コミュニティ、家族は、いずれも安定要因である。
それらは、安定を求め、変化を阻止しあるいは少なくとも減速しようとする。
これに対し、組織は不安定要因である。
組織は、イノベーションをもたらすべく組織される。
イノベーションとは、オーストリア生まれのアメリカの経済学者ジョセフ・シュンペーターが言ったように創造的破壊である。
組織は、製品、サービス、プロセス、技能、人間関係、社会関係、さらには組織自らについてさえ確立されたもの、習慣化されたもの、馴染みのもの、心地よいものを体系的に廃棄する仕組みをもたなければならない。
要するに、組織は、絶えざる変化を求めて組織されなければならない。
組織の機能とは、知識を適用することである。
知識の特質は、それが急速に変化し、今日の当然が明日の不条理となるところにある。
新しい組織社会では、知識を有するあらゆる者が、四、五年おきに新しい知識を仕入れなければならない。
さもなければ時代遅れとなる。
このことは、知識に対して最大の影響を与える変化が、その知識の領域の外で起こるようになっていることからも、重大な意味をもつ。
たとえば、グーテンベルクによる活字の発明以降、蒸気機関の印刷機への利用にいたる四〇〇年間、印刷技術には実質上大きな変化はなかった。
鉄道に対する最大の脅威をもたらしたのは、鉄道輸送の変化ではなく、乗用車、トラック、航空機だった。
製薬業は、今日、遺伝子工学や微生物学という、わずか四〇年前には薬学部の研究室では耳にしなかった学問体系から生ずる知識によって大きく変化している。
新しい知識を生み、古い知識を陳腐化させるものは、科学や技術とは限らない。
社会的なイノベーションも同じように重要な役割を果たす。
実際のところ、社会的なイノベーションのほうが大きな役割を果たすことが多い。
一九世紀の社会的機関の中でももっとも誇り高い存在だった商業銀行が、今日、世界的に危機的な状況にある。
その原因となったのは、コンピュータの普及など技術に関わる変化ではなかった。
古くからありながらあまり利用されなかったコマーシャルペーパーが、企業融資に利用できることを他の業界の人間が発見したことだった。
そのため、商業銀行の二〇〇年に及ぶ金融独占における最大の収益源だった企業融資が奪われた。
さらに、この四〇年間における最大の変化は、技術的あるいは社会的なイノベーションが、人に教え学ぶことのできる体系になったことだった。
知識による急激な変化が起こったのは企業に限らない。
第二次大戦後の五〇年間で、アメリカの軍ほど変化したものはない。
軍服や階級こそ変わらなかったものの、一九九一年の湾岸戦争が劇的に示したように、兵器は一変した。
軍事上の教義や概念が変わった。
組織構造、指揮系統、責任の構造も大きく変化した。
学校もこれからの五〇年間で、三〇〇年前の印刷革命を上回る変化を遂げる。
コンピュータ、ビデオ、衛星放送などの新技術が現われたからではない。
知識社会が、知識労働者に対し、体系的な学習を一生のプロセスにすることを要求するからである。
さらには、学習についての新理論が明らかになるからである。
変化のための仕組みをもつ p34
知識のダイナミクスは、組織に対し、一つのことを要求する。
すなわち、あらゆる組織が、変化のためのマネジメントを自らの構造に組み込むことを要求する。
これは、あらゆる組織が、自らが行っていることのすべてを体系的に廃棄できなければならないことを意味する。
数年ごとに、あらゆるプロセス、製品、手続き、方針について、「もしこれを行っていなかったとして、今分かっていることをすべて知りつつ、なおかつ、これを始めるか」を問わなければならない。
もし答えがノーであれば、「それでは今、何を行うべきか」を問わなければならない。
そして行動しなければならない。
「再検討」などと言ってはいられない。
それどころか今後ますます組織は、成功してきた製品、方針行動について、その延命を図るのではなく、計画的な廃棄を行わなければならない。
だが今日のところ、これを行っているのはいくつかの大企業だけである。
組織は新しいものの創造に専念しなければならない。
具体的には、あらゆる組織が三つの体系的な活動に取り組む必要がある。
第一に組織は、その行うことすべてについて、絶えざる改善、日本で言うカイゼンを行う必要がある。
歴史上、あらゆる芸術家が体系的かつ継続的な自己改善を行ってきた。
改善の目的は、製品やサービスを改良し、二、三年後にはまったく新しい製品やサービスにしてしまうことである。
第二に組織は、知識の開発、すなわちすでに成功しているものについて、さらに新しい応用法を開発する必要がある。
アメリカの発明たるテープレコーダーをもとに、次々と新製品を開発していった日本のあるエレクトロニクスメーカーの例に見られるように、今日のところ、日本企業がもっとも成功している。
アメリカでは、教会が、成功のうえにさらに新たなものを築いていく能力を自らの強みとしている。
第三に組織は、イノベーションの方法を学ぶ必要がある。
さらに、イノベーションは体系的なプロセスとして組織化することができるし、まさにそのように組織化しなければならない。
もちろん、これら三つの活動の後は、再び体系的廃棄の段階に戻り、新しいプロセスを最初から始める必要がある。
そうしないかぎり、組織は急速に陳腐化し、成果をあげる能力を失い、同時に、その頼りとすべき高度の知識労働者を惹きつけ、とどめる魅力を失っていく。
p36
企業、病院、学校、その他あらゆる組織が、いかにコミュニティに根を下ろし、コミュニティから愛されていようと、人口構造や技術や知識の変化によって成果をあげるための条件が変われば、自らを閉鎖できなければならない。
これらの変化のすべてが、コミュニティを動揺させ、混乱させ、継続性を断つ。
コミュニティにとっては、それらの変化のすべてが理不尽である。
コミュニティそのものを不安定にさせる。
組織には破壊的な側面がある。
コミュニティに根づかなければならないが、コミュニティの一部になり切ることはできない。
組織に働く者は、コミュニティに生活し、コミュニティの言葉を話す。
コミュニティの学校に子供を行かせ、投票し、税金を納める。
コミュニティを自らのものとする。
しかしそれにもかかわらず、組織自体はコミュニティに埋没することを許されない。
コミュニティの目的に従属することを許されない。
組織はコミュニティを超越する。
組織を規定するものは、組織がその中において機能を果たすべきコミュニティではなく、機能そのものである。
p37
組織の価値観さえ、組織の機能によって決まる。
それぞれの機能によって規定される。
いずれの地であっても、病院にとっては医療が最高の価値である。
学校にとっては、生徒が学習することが最高の価値である。
企業にとっては、財やサービスの生産と供給が最高の価値である。
組織が最高の仕事をするためには、そこに働く者が、自らの組織の行っていることが社会にとって不可欠の貢献であることを信念としていなければならない。
したがって、組織は常にコミュニティを超越する。
組織の文化がコミュニティの価値と衝突するときには、組織の価値が優先する。
さもなければ、組織は貢献を果たせなくなる。
むかしから、知識に境界なしという。
そのため、七五〇年前に大学が生まれて以来、大学と市民との間にはたえず衝突があった。
今後はそのような衝突が、いたるところで見られるようになる。
組織が機能するために必要な自立性とコミュニティからの要求との衝突、組織の価値とコミュニティの価値の衝突、組織の意思決定とコミュニティの利害との衝突が見られるようになる。
組織が果たすべき責任 p38
組織社会では、組織の社会的責任が問題となる。
なぜならば、あらゆる組織が社会的な力をもつからである。
あるいは、もたなければならないからである。
しかも、その力は大きくなければならない。
組織は、採用、解雇、昇進など人事に関わる決定権をもつ。
勤務時間をはじめ、組織が成果をあげるうえで必要な規則や規律に関わる決定権をもつ。
工場の立地や閉鎖に関わる決定権をもつ。
価格の決定権をもつ。
組織の中には、企業よりもはるかに大きな力をもつものがある。
歴史上、今日の大学ほど強大な力を与えられたものはない。
入学や卒業を拒否する権限は、ひとりの人間が仕事や機会を得ることを不可能にする。
同じようにアメリカでは、病院が医師に対し病院の利用を拒否することは、医師が医師としての仕事をすることを事実上不可能にする。
労働組合は、組合員しか雇用をしないクローズドショップにおいて、組合入りの拒否権をもつことによって雇用機会を支配する力をもつ。
もちろん、組織がもつ社会的な力は、政治的な力によって一定の制約を受ける。
それら社会的な力は、正当な手続きのもとに行使されなければならない。
その正当性は、法廷において判断されることもある。
しかし、これら組織の社会的な力そのものは、政治権力によって行使されてはならない。
あくまでも個々の組織によって行使されなければならない。
だからこそ、組織の社会的責任が大きな問題となる。
今日では、アメリカの経済学者フリードマンのように、経済的な業績こそ企業の唯一の責任であると論じても意味がない。
たしかに業績をあげられないことは、社会的に無責任である。
資本のコストに見合うだけの利益をあげられない企業は、社会的に無責任である。
社会の資源を浪費しているにすぎない。
企業にとっては、経済的な業績が基本である。
業績をあげられなければ、他のいかなる責任も遂行できない。
だが、経済的な業績だけが企業の唯一の責任ではない。
同じように、教育上の成果だけが学校の唯一の責任ではない。
医療上の成果だけが病院の唯一の責任ではない。
力は責任を伴う。
さもなければ専制となる。
責任が伴わない力は退化する。
成果をあげられなくなる。
組織は成果をあげなければならない。
組織に対する社会的責任の要求はなくならない。
むしろ大きくなっていく。
幸いわれわれは、概略にすぎないが、すでに社会的責任に関わる問題への答えを知っている。
組織は、従業員、環境、顧客、その他何者に対してであれ、自らが与える影響について間違いなく責任がある。
これが組織の社会的責任の原則である。
加えて、今後社会は、ますますあらゆる組織に対し、すなわち企業だけでなく政府機関やNPOに対しても、諸々の社会の病いに取り組むことを求めるようになる。
ただし、この点に関しては慎重でなければならない。
善意だけで行動することは、社会的に責任あることにはならない。
組織が、本来の目的を遂行するための能力を傷つけるような責任を受け入れることは、無責任である。
能力のない領域で行動することも無責任である。
p40
組織は社会やコミュニティや家族と異なり、目的に従って設計され、規定される。
オーケストラは、患者の治療はしない。
病院は、患者の治療はするがベートーヴェンの演奏はしない。
組織は一つの目的に集中して、初めて大きな成果をあげる。
目的の多様化、分散は、企業、労組、学校、病院、教会のいずれを問わず、成果をあげるための能力を破壊する。
社会やコミュニティは多元的な存在である。
それは一人ひとりの人間にとっての環境である。
これに対し、組織は道具である。
他のあらゆる道具と同じように、組織もまた、専門分化することによって目的遂行の能力を高める。
しかも組織は、それぞれが限定された知識をもつ専門家によって構成される。
したがって、組織の使命は明確であることが不可欠である。
組織の使命は一つでなければならない。
さもなければ混乱する。
それぞれの専門家が、自分の専門能力を中心に動くようになる。
自分たちの専門能力を共通の目的に向けなくなる。
逆に、自分たちの価値観を組織に押しつけようとする。
焦点のはっきりした明確な共通の使命だけが、組織を一体化し、成果をあげさせる。
明確な使命がなければ、ただちに組織は組織としての価値と信頼を失う。
その結果、成果をあげるうえで必要な人材も手に入らなくなる。
しかし、組織への参加は自由でなければならない。
事実、組織がますます知識労働者の組織となっていくにつれ、組織を離れ、他の組織へ移ることは容易になっていく。
したがって組織は、そのもっとも基本的な資源、すなわち能力ある知識労働者を求めてたがいに激しく競争するようになる。
知識労働者は組織に依存しない p41
あらゆる組織が、「人が宝」と言う。
ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。
本気でそう考えている組織はさらにない。
ほとんどの組織が、無意識にではあろうが、一九世紀の雇用主と同じように、組織が社員を必要としている以上に、社員が組織を必要としていると信じ込んでいる。
しかし事実上、すでに組織は、製品やサービスと同じように、あるいはそれ以上に、組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている。
組織は、人を惹きつけ、引き止められなければならない。
彼らを認め、報い、動機づけられなければならない。
彼らに仕え、満足させられなければならない。
p42
労働人口の三分の一ないしは五分の二を占めるに至った知識労働者と組織の関係は、ボランティアとNPOの関係と同じようにまったく新しい状況である。
彼らもまた、組織があって初めて働くことができる。
したがって、組織に依存している。
しかし同時に、彼らは生産手段すなわち知識を所有する。
この点において独立した存在であり、高度の流動性をもつ。
もちろん彼ら知識労働者も生産の道具を必要とする。
知識労働者が必要とする道具に対する投資は、いかなる肉体労働者の同じ投資よりも高額である。
だがそれらの投資は、彼ら知識労働者が所有し、かつ、決して奪い取られることのない知識という生産手段を伴わない限り、生産的とはなりえない。
工場で機械を使って働くブルーカラー労働者は、指示に従って働く。
彼らは、何を行うかだけでなく、いかに行うかも機械によって規定される。
知識労働者もまた、コンピュータ、超音波アナライザー、天体望遠鏡などの機械を必要とする。
しかし知識労働者は、仕事の行い方について機械に指示されることはない。
しかも、知識労働者の財産たる知識なしに、機械は生産的たりえない。
p43
一九八〇年代のアメリカでは、苦痛にみちたリストラの過程で、数十万とは言わずとも、数万人にのぼる知識労働者が職を失った。
彼らの雇用主たる企業は買収され、合併され、解体され、整理された。
だが彼らの圧倒的多数が、数か月後には、自らの知識を生かせる新しい仕事を得た。
彼らの多くにとって、職探しはつらいものだった。
新しい仕事を得た者の半数は所得が減り、仕事も前ほど楽なものではなくなった。
しかし、彼らレイオフされた知識労働者は、自分たちが知識という名の資本を所有していることを知った。
彼らは生産手段を所有していた。
彼ら以外の誰か、すなわち組織が、生産のための物的な道具を所有している。
しかし、組織と知識労働者はたがいを必要とする。
この新しい関係、現代社会における新しい緊張関係の存在は、もはや忠誠心は報酬だけでは得られないことを意味する。
組織は、知識労働者に対し、その知識を生かすための最高の機会を提供することによって、初めて彼らを獲得できる。
ついこの間まで、われわれは労働について論じた。
今日では人的資源について論じている。
この変化は、「組織に対し、どのような貢献をすべきか」「知識によって、どのような貢献をすべきか」を決定する者は、一人ひとりの従業員、特に高度の知識と技術をもつ知識労働者であることを示している。
現代の組織は、知識労働者による組織である。
したがって、それは同等の者、同僚、僚友による組織である。
いかなる知識も、他の上位に来ることはない。
知識の位置づけは、それぞれの知識に固有の優位性や劣位性によってではなく、共通の任務に対する貢献度によって規定される。
現代の組織は上司と部下の組織ではない。
それはチームである。
p46
皮肉なことに、二〇世紀の全体主義、特に共産主義は、たがいに競い合う独立した組織からなる多元主義ではなく、唯一の権力、唯一の組織だけが存在すべきであるとしたむかしの進歩的信条を守ろうとする最後のあがきだった。
周知のように、そのあがきは失敗に終わった。
だが、国家という中央権力の失墜は、問題の解決にはならなかった。
組織の使命に信念をもつ p46
すでに述べたように、企業、大学、病院、ボーイスカウトのいずれを問わず組織に働く者は、優れ仕事を行うために、自らの組織の使命が社会において重要な使命であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念をもたなければならない。
この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う。
今日の先進社会の特性であり、力の源となっている社会の多元性は、単一目的の専門化した無数の組織が機能することによって、初めて可能となる。
それらの組織は、専門化した独立の存在として、社会やコミュニティの全体についてではなく、狭い範囲の使命、ビジョン、価値観をもつとき、初めて大きな成果をあげる。
したがって、われわれはむかしからの問題、しかも一度も解決されたことのない問題に還る。
すなわち、多元社会に関わる問題、「誰が共同の利益の面倒を見るか」「誰が共同の利益を規定するか」「誰が多元社会の諸々の組織間でしばしば対立関係に陥る目的や価値のバランスを図るか」「誰がトレードオフに関わる意思決定を行い、何をもってそれらの意思決定の基準とするか」という問題である。
中世の多元社会は、まさに、これらの問題に答えを出すことができなかったがゆえに、中央集権国家にその座を奪われた。
しかし今日、その中央集権国家が、社会のニーズに応えることができずにいる。
コミュニティの問題にも取り組むことができずにいる。
その結果、かつての政治的な権力に関わ多元主義ではなく、機能に基づく新しい多元主義によってその座を奪われつつある。
まさにこのことこそ、われわれが社会主義の失敗、強力な中央政府への信仰の挫折から考えるべきことである。
われわれが直面する課題、特に民主主義と市場経済のもとにある先進社会が直面する課題は、独立した知識組織からなる多元社会に対し、いかにして経済的な能力と、政治的、社会的な結合をもたらすかという問題である。
資本と技術は生産手段にすぎない p52
われわれが強い衝撃をもって最初に学んだことは、知識労働においては、資本は労働(すなわち人間)の代わりにはならないということである。
技術も、それだけでは知識労働の生産性を高めることはできない。
経済学の用語に従えば、肉体労働については、資本と技術は生産要素である。
しかし知識労働については、もはやそれらは生産手段であるにすぎない。
資本と技術が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って何をいかにするかにかかっている。
仕事の目的や、使う人の技量にかかっている。
三〇年前、われわれはコンピュータが事務要員を大幅に削減すると信じていた。
そのためサービス業におけるコンピュータ投資は、素材加工における機械投資と同じように行われた。
ところが人の数は増えた。
生産性は、実質的にはほとんど向上していない。
p53
医療コストの爆発は、病院の生産性を大幅に向上させることでしか食い止めることはできない。
生産性の向上は、より賢く働くことでしか達成できない。
ところが経済学者や技術者は、生産性向上の鍵として、より賢く働くことに主役の座を与えようとしない。
経済学者は資本を主役とし、技術者は技術を主役とする。
科学的管理法であれ、インダストリアル・エンジニアリングであれ、ヒューマン・リレーションズであれ、効率エンジニアリングであれ、あるいは職務研究(フレデリック・W・テイラー自身が好んだ控え目な呼称)であれ、より賢く働くことこそが生産性向上の主役である。
先進国では、資本と技術は、産業革命の最初の一〇〇年もその後の一〇〇年も同じだった。
より賢く働くことが影響を与えるようになって、初めて肉体労働の生産性が急速に向上した。
肉体労働に関しては、より賢く働くことが生産性を向上させるうえで重要な鍵である。
だが知識労働に関しては、それが唯一の鍵である。
もちろん、知識労働におけるより賢く働くということの意味は、肉体労働の場合とは大いに異なる。
「目的は何か」を問うことが重要 p54
フレデリック・テイラーが、砂のすくい方を通じて後に科学的管理法として結実した研究を始めたとき、彼は個々の肉体労働について、「何が目的か」を問うことなど思いもしなかった。
問題としたのは、「いかに行うか」だけだった。
そのほぼ五〇年後、ハーバード大学のエルトン・メイヨー(一八八〇~一九四九年)が、後にヒューマン・リレーションズと呼ばれるようになった理論をまとめたとき、彼もまた、「何が目的か。なぜ行うか」を考えることはなかった。
ウェスタン・エレクトリック社のホーソン製作所における有名な実験でも、電話機の配線を「いかにもっともよく行うか」について分析しただけだった。
こうして肉体労働については、目的は常に自明のこととされていた。
これに対し、知識労働の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。
手っ取り早く、しかも、おそらくもっとも効果的に知識労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。
特に、行う必要のない仕事をやめることである。
知識労働は三種類ある p60
知識労働は、単なる労働の一言で片づけるわけにはいかない。
それは大きく分けて三種類ある。
それぞれについて、異なる分析と異なる組織が必要となる。
物を作ったり運んだりする仕事については、生産性の向上の焦点は仕事に合わせなければならない。
知識労働の仕事については、成果に合わせなければならない。
第一に、知識労働のいくつかにおいては、仕事の成果は純粋に質の問題である。
たとえば、研究所の仕事である。
量、すなわち研究成果の数は、質に比べればまったく二義的である。
一〇年にわたって市場を支配する年間売上げ五億ドルの新薬一つのほうが、年間売上げ二〇〇〇万ドルの物真似薬二〇種よりも価値がある。
戦略計画についても同じことが言える。
医師の診断、放送や雑誌の編集についても同じことが言える。
第二に、質と量をともに成果とすべき知識労働が幅広く存在する。
デパートの店員の成果がそれである。
顧客の満足は質的な側面であり、定義するのはそう簡単ではない。
だがそれは、売上高や売上伝票の枚数という量的なものと同じように重要である。
建築デザインについては、質が成果の大部分を決める。
製図については、質は全体の成果の一部である。
量もまた成果である。
同じことが、医療技師、工場技術者、証券会社や銀行の支店長、リポーター、看護人、自動車保険会社の請求処理担当者の仕事など、広範な知識労働について言える。
この場合、成果とは常に量と質の双方である。
それらの仕事の生産性を向上させるには、量と質の双方に取り組む必要がある。
第三に、生命保険会社の保険金支払い、病院のベッドメーキングなど、その成果が肉体労働と同種の仕事が多数ある。
それらの仕事の場合、質は前提条件であり、制約条件である。
仕事の質は、成果ではなく条件である。
最初から仕事のプロセスに組み込んでおかなければならない。
組み込んでおきさえすれば、成果のほとんどは量で定義される。
定められたとおりに病院のベッドを一つ整えるのに何分を要するかというように、量で計ることができる。
それらの仕事は、物を作ったり運んだりするわけではないが、作業労働的である。
このように、知識労働の生産性を高めるには、その仕事が、成果に関して、いずれの範疇に属するかを知っておく必要がある。
そうして初めて、何に取り組むべきかが明らかになる。
「何を分析すべきか」「何を改善すべきか」「何を変えるべきか」を決定できる。
さらには、知識労働のそれぞれについて、生産性の意味を明らかにすることができる。
仕事のプロセスを分析する p61
知識労働の生産性を上げるには、目的の定義、目的への集中、仕事の分類という三つのほかにもなすべきことがある。
成果が主として質を意味する仕事については、どう分析すべきかは実のところまだ分かっていない。
しかし分かってはいないが、こう問わなければならない。
「何が役に立つか」。
また、成果が質と量の両方を意味する仕事については、「何が役に立つか」を問うと同時に、仕事のプロセスを一つひとつ分析することが必要である。
作業的な知識労働については、仕事の質の水準を定め、それを仕事のプロセスに組み込むことが必要である。
生産性向上は、作業を分解し、分析し、組み立て直すことによって実現できる。
知識労働の生産性は、このように取り組むならば、容易に向上させられる。
生産性は一挙に向上する。
ただし、おそらく三年か五年おきに繰り返し見直す必要がある。
もちろん事業や組織を大きく変えたときには、必ず見直す必要がある。
これまでの経験によれば、これらのことだけで、科学的管理法、インダストリアル・エンジニアリング、ヒューマン・リレーションズが、物を作ったり運んだりする仕事において実現した生産性の向上と同等のものが得られる。
言い換えれば、われわれが知識労働で必要としている生産性の革命は必ずもたらされる。
ただし、一つだけ条件がある。
肉体労働者の生産性向上について第二次大戦後学んだことを実行することである。
すなわち、知識労働者自身がパートナーとなって生産性の向上に取り組むことである。
仕事の水準、難易度、技能の程度に関わりなく、あらゆる知識労働に生産性と成果に対する責任を組み込む必要がある。
フレデリック・テイラーは、研究対象とした労働者に対して問いかけをせず、指示を与えるだけだったとしてしばしば批判される。
エルトン・メイヨーも問いかけをせず、指示するだけだった。
ジグムント・フロイトもまた、患者に対し、自分の問題は何だと思うかとは尋ねなかった。
マルクスもレーニンも、大衆に問うことは考えもしなかった。
第二次大戦時においてさえ、いかなる司令部も、装備について前線の下級将校や兵士に聞くことは思いもつかなかった。
アメリカ軍においてこれが当たり前になったのは、ようやくベトナム戦争のときだった。
テイラーは、専門家の知恵のみを尊重するという当時の考え方に従っていた。
彼は、労働者どころか経営管理者も無能と見ていた。
その四〇年後のメイヨーは、経営管理者には敬意を払ったが、肉体労働者については、未熟で適応能力に欠けた存在、心理学者の専門的な指導を必要とする存在と見た。
ところが第二次大戦が起きたとき、われわれには選択の余地がなかった。
現場で働く人たちに頼るしかなかった。
工場には、技術者も心理学者も職長もいなかった。
彼らの多くは、軍隊に行っていた。
私自身今も想い出すが、大きな驚きだったのは、働く人たちにいろいろ聞いてみると、彼らが馬鹿でも未熟でもなく、適応能力を欠いてもいないことだった。
彼らは、自らの仕事、その論理とリズム、道具、仕事の質について多くを知っていた。
われわれは、彼らに聞いてみることによって、生産性と品質の問題に着手することができた。
当初、この画期的な発見を受け入れた企業は数社にすぎなかった。
おそらくIBMが最初であり、長い間唯一だった。
やがて一九五〇年代の終わりから六〇年代の初めにかけて、日本企業がこの発見を受け入れた。
戦後、日本企業もまた、戦前の工場体制をとろうとしたが、その試みは混乱とストの中で潰えた。
こうして今日、働く人たち自身の仕事についての知識が生産性、品質、成果を向上させる原点であることが、たとえ一般に実行されるには至ってないにせよ、少なくとも理論としては広く受け入れられるようになった。
しかし肉体労働については、働く人たちとのパートナーシップは最良の方法であるというだけにすぎない。
テイラーのように、彼らに対して指示を与えるだけという方法もある。
それでもかなりうまくいく。
だが知識労働については、働く人たちとのパートナーシップは唯一の方法であって、他の方法はまったく機能しない。
教えるときにもっとも学ぶ p64
あと二つ、テイラーもメイヨーも知らなかったことがある。
第一に、生産性の向上には継続学習が不可欠であるということである。
仕事を改善し訓練するという、テイラーが実践したことだけでは不十分である。
学習に終わりはない。
まさしく日本企業の経験がわれわれに教えているように、訓練の最大の成果は、新しいことを学びとることにあるのではなく、すでにうまく行っていることを、さらにうまく行えるようにすることにある。
第二に、同じく重要なこととして、ここ数年の観察で明らかになったこととして、知識労働者は自らが教えるときにもっともよく学ぶという事実がある。
花形セールスマンの生産性をさらに向上させる最善の道は、セールスマン大会で成功の秘訣を語らせることである。
外科医の成果を向上させる最善の道は、地域の医者の集まりで自らの仕事について語らせることである。
看護婦の成果を向上させる最善の道は、新人の看護婦に教えさせることである。
情報化時代にあっては、いかなる組織も学ぶ組織にならなければならないと言われる。
しかしそれは同時に、教える組織にもならなければならない。
成果をあげる能力とは p65
何かものごとをなすべき者の仕事は、成果をあげることである。
ものごとをなすということは、成果をあげるということである。
企業、病院、政府機関、労働組合、軍のいずれにあろうとも、そこに働く者は常に、なすべきことをなすことを期待される。
すなわち、成果をあげることを期待される。
それにもかかわらず、ものごとをなすべき者のうち、大きな成果をあげている者は少ない。
知力は当然ある。
想像力もある。
知識もある。
しかし、知力や想像力や知識と、成果をあげることとの間には、ほとんど関係がない。
頭のよい者が、しばしば、あきれるほど成果をあげられない。
彼らは、知的な能力がそのまま成果に結びつくわけではないことを知らない。
逆にあらゆる組織に、成果をあげる地道な人たちがいる。
しばしば創造性と混同される熱気と繁忙の中で、ほかの者が駆け回っている間に、亀のように一歩一歩進み、先に目標に達する。
知力や想像力や知識は、あくまでも基礎的な資質である。
それらの資質を成果に結びつけるには、成果をあげるための能力が必要である。
知力や想像力や知識は、成果の限界を設定するだけである。
このことは当然明らかなはずである。
しかしそれならば、ものごとをなすべき者の仕事の一つひとつについて山ほどの本や論文が出ている時代に、なぜ成果をあげること自体についてはずっと放置されてきたのか。
理由の一つは、成果をあげることが、組織に働く知識労働者に特有の能力だからである。
ごく最近まで、そのような立場にある知識労働者は、わずかしかいなかったからである。
肉体労働者は能率をあげればよい。
なすべきことを判断してそれをなす能力ではなく、決められたことを正しく行う能力があればよい。
肉体労働者の仕事は、たとえば靴のように、生産物の量や質で評価できる。
われわれはすでに、それらの方法についてはこの一〇〇年間に多くを学んできた。
その結果、肉体労働の生産性を大幅に向上させた。
かつては、機械工や兵士など肉体労働者が圧倒的な多数だった。
ものごとをなすべき者は少数だった。
すなわち、ほかの者が行うべきことを指示する者はあまりいらなかった。
その数があまりに少なかったため、成果をあげることは、その是非は別として、当たり前のこととしてすまされていた。
そのようなことは、生まれつき素質を身につけているはずの少数の人、すなわち、ほかの人間が苦労して学ばなければならないことを、なぜか生まれつき知っているに違いないと思われる少数の人をあてにしてきた。
しかもむかしは、知識労働者のうち組織に属している者がごくわずかだった。
彼らのほとんどは、せいぜい助手をひとり抱えるだけで、自由業として独立して仕事をしていた。
成果をあげようがあげまいが、彼ら個人の問題であって、彼らだけに関係のあることだった。
現代社会の中心的存在 p67
今日では、知識を基盤とする組織が社会の中心である。
現代社会は組織の社会である。
それら組織のすべてにおいて、中心的な存在は、筋力や熟練ではなく、頭脳を用いて仕事をする知識労働者である。
知識や理論を使うよう学校で教育を受けた人たちが、ますます多く働いている。
彼らは、組織の目的に貢献して、初めて成果をあげることができる。
そのような社会では、もはや成果をあげることを当然のことと思ってはならない。
軽く扱うわけにはいかない。
インダストリアル・エンジニアリングや品質管理など肉体労働者の仕事を測定評価するための手法は、知識労働者には適用できない。
不適切な製品のための美しい設計図を大量生産するエンジニアリング部門ほど、ばかばかしく、非生産的な存在はない。
知識労働者が成果をあげるためには、適切な仕事に取り組まなければならない。
そのような仕事は、肉体労働のために開発した手法では測定できない。
知識労働者を直接あるいは細かく監督することはできない。
彼らには助力を与えることができるだけである。
知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。
自らの仕事を業績や貢献に結びつけるべく、すなわち成果をあげるべく、自らをマネジメントしなければならない。
先日『ニューヨーカー』誌に出ていた漫画がある。
ドアにはエイジャックス石けん会社チャールズ・スミス販売部長とあり、壁には「考えよ」との大きな額が掛かっている。
事務所の中では、男が机の上に足を投げ出し、天井に向かってタバコを吹かしている。
通りがかりの二人の男が、「本当に石けんのことを考えているのか、分からんな」と話している。
知識労働者が何を考えているかは確かめようがない。
だが考えることこそ、知識労働者に固有の仕事である。
考えることが、なすべき仕事の始まりである。
しかもその動機づけは、成果をあげることができるか否かにかかっている。
彼自身がものごとを達成できるか否かにかかっている。
成果をあげられなければ、仕事や貢献に対する意欲は減退し、九時から五時までただ身体を動かしているだけと
知識労働者は、それ自体が独立して成果となるようなものを生み出さない。
溝、靴、部品などの物的な生産物は生み出さない。
知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。
それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。
いかに膨大な知識があっても、それだけでは意味がない。
したがって知識労働者には、肉体労働者には必要のないものが必要となる。
すなわち、自らの成果を他の人間に供給するということである。
靴のように、自らの生産物それ自体の効用をあてにするわけにいかない。
しかも今や知識労働者は、アメリカ、ヨーロッパ、日本など高度の先進社会が、国際競争力を獲得し、維持するための唯一の生産要素である。
すべての者がエグゼクティブ p68
今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。
組織の活動や業績とは、企業の場合、新製品を出すことであり、市場で大きなシェアを獲得することである。
病院の場合は、患者に優れた医療サービスを提供することである。
組織のそのような能力に実質的な影響を及ぼすために、知識労働者は意思決定をしなければならない。
命令に従って行動すればよいというわけにはいかない。
自らの貢献について責任を負わなければならない。
自らが責任を負うものについては、他の誰よりも適切に意思決定をしなければならない。
せっかくの意思決定が無視されるかもしれない。
やがて左遷されたり、解雇されたりするかもしれない。
だがその仕事をしているかぎり、仕事の目標や基準や貢献は自らの手の中にある。
したがって、ものごとをなすべき者はみなエグゼクティブである。
現代社会では、すべての者がエグゼクティブである。
このことは、ベトナムのジャングルにおける若い歩兵大尉へのインタビューからも伺える。
「この混乱した状況でどう指揮しているか」との質問に対する答えである。
「ここでは、責任者は私である。
しかし部下がジャングルで敵と遭遇し、どうしてよいかわからなくとも、何もしてやれない。
私の仕事は、そうした場合どうしたらよいかをあらかじめ教えておくことだ。
実際にどうするかは状況次第だ。
その状況は彼らにしか判断できない。
責任は私にある。
だが、どうするかを決めるのは、その場にいる者だけだ」
このように、ゲリラ戦では兵士全員がエグゼクティブである。
知識労働は、量によって規定されるものではない。
コストによって規定されるものでもない。
成果によって規定されるものである。
部下の数や管理的な仕事の大きさは、知識労働の内容を知る手がかりにはならない。
市場調査の仕事により多くの人間を従事させることによって、そのぶん洞察や想像力や仕事の質を向上させ、企業の発展と成功の可能性をもたらす成果を得られるかもしれない。
そうであるならば、二〇〇人の人間は安いものである。
しかし逆に、その市場調査部門の責任者にとって、その二〇〇人がもち込んでくる雑事や、彼らの間の相互作用によって生ずる問題に圧倒される危険も出てくる。
マネジメントに忙しく、市場調査に必要な意思決定を考える時間がなくなる。
数字をチェックすることに忙しく、「われわれの市場は何か」という基本的な問いかけを忘れるかもしれない。
その結果、ついには企業の衰退を招く恐れのある市場の重要な変化を見逃すかもしれない。
もちろん、スタッフをもたない市場調査の責任者であっても、生産的でありうるし、非生産的でもありうる。
企業を繁栄に導く知識や洞察の源泉となるかもしれない。
逆に、学者たちがしばしば研究と錯覚しがちな脚注的な些事の調査に時間をとられ、何も見ず、何も聞かず、何も考えないかもしれない。
知識を中心とする組織では、ひとりの人間もマネジメントしていないが、実質的にエグゼクティブである人は多勢いる。
もちろん、ベトナムのジャングルにおける部隊のように、組織のメンバー全員が、常に組織全体の死活に関わる意思決定を行う立場にあるという例は稀である。
しかし研究所において、追究すべき研究テーマを決定する化学者は、それによって企業の将来を左右する起業家的な意思決定をしているかもしれない。
その化学者は部長であるかもしれない。
新人ではないにしても、まったくマネジメント上の責任をもたない一研究員であるかもしれない。
あるいはまた、経理上、何をもって製品と規定するかという決定は、ある会社では副社長の仕事であるかもしれないし、新入社員の仕事であるかもしれない。
そのようなことは、今日の大組織では、あらゆる分野において目にする。
今日、企業、政府機関、研究所、病院のうちもっとも平凡な組織にすら、重要かつ決定的な意思決定を行っている人たちがいかに多くいるかということについては、ほとんど認識されていない。
知識による権威は、地位による権威と同じように、正統かつ必然のものである。
彼らの意思決定は、本質的にトップの意思決定と変わらない。
われわれはすでに、多くの人たちが、企業の社長や政府機関の長とまったく同じ種類の仕事、すなわち、企画、組織、統合、調整、動機づけ、成果の測定を行っていることを知っている。
意思決定の範囲は限られた狭いものかもしれない。
だがたとえ狭くとも、その範囲内においてはまぎれもなくエグゼクティブである。
今日あらゆる階層において、意思決定を行う者は、企業の社長や政府機関の長と同じ種類の仕事をしている。
権限の範囲は限られており、組織図や電話帳に地位や名前は載っていないかもしれない。
しかし、彼らはエグゼクティブである。
そして、トップであろうと、新人であろうと、エグゼクティブであるかぎり、成果をあげなければならない。
働く者をとりまく組織の現実 p71
しかし、組織に働く者の置かれている状況は、成果をあげることを要求されながら、成果をあげることがきわめて困難になっている。
まさに、自らが成果をあげられるよう意識して努力しないかぎり、まわりをとりまく現実が彼らを無価値にする。
通常、彼らは、自分ではコントロールできない四つの大きな現実にとりまかれている。
それらの現実は、いずれも組織に組み込まれ、日常の仕事に組み込まれている。
彼らにとっては、それらのものと共生するしか選択の余地はない。
しかも、それら四つの現実のいずれもが、仕事の成果をあげ、業績をあげることを妨げようと圧力を加えてくる。
第一に、時間はすべて他人にとられる。
身体の動きに対する制約を考えれば、組織の囚人と定義せざるをえない。
誰でも彼の時間を奪える。
現実に、誰もが奪う。
このことに抵抗する術は、ほとんど何もないかのようである。
彼は、医者のように、ドアから顔を出して、「三〇分誰も入れないで」とはいえない。
言ったとしても、その瞬間に電話が鳴り、最上の客、市役所の幹部、あるいは直接の上司と話さなければならなくなる。
もはや貴重な三〇分は過ぎた。
第二に、自ら現実の状況を変えるための行動をとらないかぎり、日常業務に追われ続ける。
しかも日常の仕事は、本当の問題点どころか何も教えてくれない。
医者にとって患者の訴えが重要なのは、それが意味あることを教えるからである。
これに対し、組織で働く者は、はるかに複雑な世界に対峙している。
何が本質的に重要な意味をもち、何が派生的な問題にすぎないかは、個々の事象からは知る由もない。
症状についての患者の話が医者の手がかりになるのに対し、個々の事象は、組織の者にとっては問題の徴候ですらないかもしれない。
したがって、日常の仕事の流れに任せて、何に取り組み、何を取り上げ、何を行うかを決定していたのでは、それら日常の仕事に自らを埋没させることになる。
たとえ有能であっても、いたずらに自らの知識と能力を浪費し、達成できたはずの成果を捨てることになる。
彼らに必要なのは、本当に重要なもの、つまり貢献と成果に向けて働くことを可能にしてくれるものを知るための基準である。
だがそのような基準は、日常の仕事の中からは見出せない。
第三に、組織で働いているという現実がある。
すなわち、ほかの者が彼の貢献を利用してくれるときにのみ、成果をあげることができるという現実である。
組織は一人ひとりの人間の強みを発揮させるための仕組みである。
組織は一人ひとりの人間の知識を、ほかの人間の資源や動機やビジョンとして使う。
知識労働者は、まさに知識労働者であるがゆえに、たがいに似ていることさえない。
それぞれの技能も、関心も違う。
税務会計、細菌学、あるいは幹部養成に関心をもつ者もいれば、原価計算の細部、病院のマネジメント、あるいは市条例の執行力に関心をもつ者もいる。
したがって彼らのいずれもが、たがいに同僚の生み出すものを利用する能力がなければならない。
通常、成果をあげるうえでもっとも重要な人間は、直接の部下ではない。
他の分野の人、組織図の上では横の関係にある人である。
あるいは上司である。
それらの人と関わりをもち、自らの貢献を利用してもらい、成果に結びつくようにしなければ、いかなる成果もあげられない。
第四に、組織の内なる世界にいるという現実がある。
企業、政府機関、研究所、大学、軍のいずれにおいてであろうと、誰もが自らの属する組織の内部をもっとも身近で直接的な現実として見る。
たとえ組織の外を見たとしても、厚くゆがんだレンズを通している。
外の世界で何が起こっているかは、直接には知りえない。
しかも外の世界の現実は、組織の中の基準によって咀嚼され、報告書という高度に抽象化されたフィルターを通して知らされる。
しかるに、組織の中に成果は存在しない。
すべての成果は外の世界にある。
客が製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と利益に変えてくれるからこそ、組織としての成果があがる。
組織の中に生ずるものは、努力とコストだけである。
あたかもプロフィットセンターがあるかのごとくいうが、単なる修辞にすぎない。
内部には、コストセンターがあるだけである。
一定の業績を得るために投入した努力が少ないほど、よい仕事をしたことになる。
市場が求める自動車や鉄鋼を生産するために、一〇万人が必要だということは、実のところ、エンジニアリング上の未熟を示すにすぎない。
組織の存在理由 p74
外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は、存在することが目的ではない。
種の永続が成功ではない。
その点が動物とは違う。
組織は社会の機関である。
外の環境に対する貢献が目的である。
しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。
この危険は、コンピュータと情報技術の発達によってさらに増大する。
愚鈍な機械コンピュータは、定量的なデータを処理するだけである。
データを非常な速さと正確さと精密さをもって処理する。
これまで不可能だった大量のデータを提供する。
しかしだいたいにおいて、速く定量化できるデータというものは、組織の中についてのデータである。
コストや生産量、教育訓練の報告である。
外の重要なことは、もはや手遅れという時期にならないと、定量的な形では入手できない。
これは、外のことについての情報の収集が、コンピュータの演算能力よりも遅れているからではない。
それだけが原因ならば、統計的な努力を追加すればよい。
まさにそのような技術的な制約を克服するうえで、コンピュータは大きな助けとなる。
根本的な問題は、組織にとってもっとも重要な意味をもつ外のできごとが、多くの場合、定性的であり、定量化できないところにある。
それらはまだ事実となっていない。
事実とはつまるところ、誰かが分類し、レッテルを貼ったできごとのことである。
定量化のためには、概念がなければならない。
そして、無限のできごとの集積から特定のできごとを抽出し、名称を与え、数えなければならない。
外の世界における真に重要なことは、趨勢ではない。
変化である。
この外の変化が、組織とその努力の成功と失敗を決定する。
しかもそのような変化は、知覚するものであって、定量化したり、定義したり、分類したりするものではない。
分類によって数字は得られるが、そのような数字は現実の状況を反映していない。
コンピュータは論理の機械である。
それが強みであって、弱みである。
外の重要なことは、コンピュータをはじめとするなんらかのシステムが処理できるような形では把握できない。
これに対し、人間は論理的には優れていないが、知覚的な存在である。
まさにそれが強みである。
気をつけなければならないことは、コンピュータの論理やコンピュータ言語で表わせない情報や刺激を、やがて軽視するようになることである。
現実の知覚的な事象が見えなくなり、過去の事象にのみ関心をもつようになることである。
こうして膨大な量のコンピュータ情報が、外の現実からの隔絶を招く。
マネジメントの用具たるべきコンピュータが、やがて外の世界との隔絶を認識させ、外の事象により多くの時間を割くことができるよう、人間を解放しなければならない。
しかし当面は、進行性のコンピュータ病の危険が存在する。
それは、考えられるよりも深刻な病いである。
だがコンピュータは、むかしから存在している状況を浮き彫りにしたにすぎない。
組織に働く者は、必然的に組織の中に生き、仕事をする。
したがって、意識的に外の世界を知覚すべく努力しなければ、やがて内部の世界の圧力によって、外の世界が見えなくなる。
これら四つの現実は変えることができない。
それらはエグゼクティブが存在するための必要条件でもある。
したがってものごとをなすべき者は、成果をあげることを学ぶべく特別の努力を払わないかぎり成果をあげられないことを知らなければならない。
成果を大幅に改善する方法 p76
仕事や成果を大幅に改善するための唯一の方法は、成果をあげるための能力を向上させることである。
もちろん、際だって優れた能力をもつ人を雇うことはできる。
あるいは際だって優れた知識をもつ人を雇うこともできる。
だが、いかに努力したとしても、能力と知識の向上に関しては、大幅な期待をすることはできない。
もはや、これ以上は不可能か、あるいは少なくとも効果のあまりないような限界に達している。
新種のスーパーマンを育てることはできない。
現在の人間をもって、組織をマネジメントしなければならない。
経営管理者に関する本は、明日の経営者像として万能の人間を描く。
それらによれば、分析においても、意思決定においても、非凡な才能をもたなければならないとされる。
同時に、人と協力して働くことに長け、組織や力関係を熟知し、計数に明るく、芸術的な洞察力や創造的な想像力を備えていなければならないという。
つまるところ、あらゆる分野において天才的な才能を発揮できる人を求める。
そのような人は、いつの世にも稀である。
人類の歴史は、いかなる分野においても、豊富にいるのは無能な人のほうであることを示している。
われわれは、せいぜい一つの分野に優れた能力をもつ人を組織に入れられるだけである。
一つの分野に優れた能力をもつ人といえども、他の分野については並みの能力しかもたない。
したがってわれわれは、一つの重要な分野で強みをもつ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織をつくることを学ばなければならない。
仕事ぶりの向上は、人間の能力の飛躍的な増大ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。
知識についても同じことがいえる。
優れた知識を大量にもつ人を大量に手に入れようとしても、そのために必要な費用が、期待できる成果に比べて高すぎる。
p78
万能の専門家が必要なわけではない。
そのような人は、万能の天才と同様に存在しがたい。
われわれに必要なものは、専門分野の一つに優れた人を、いかに活用するかを知ることである。
すなわち、彼らの能力を発揮させる方法を知ることである。
資源の調達を増やすことができなければ、資源の産出を増やさなければならない。
成果をあげる方法を知ることこそが、能力や知識という資源からより多くの優れた結果を生み出す唯一の手段である。
成果をあげる能力は、組織の必要からしても重要である。
同時に、一人ひとりの人間の成果と貢献と自己実現を図る鍵として、さらに重要である。
もし成果をあげる能力が、音楽や絵画の才能のように天賦の才であるならば、悲惨というべきである。
いかなる分野においても、偉大な才能は稀だからである。
そうであるならば、成果をあげる能力に恵まれた若者を早く発見し、最善を尽くして育てなければならない。
だがそのような方法では、現代社会に必要な数を確保することは、ほとんど望み薄である。
成果をあげる能力が天賦の才であるならば、今日の文明は、維持不能とまではいかなくとも、きわめて脆弱となる。
なぜならば、今日のような組織に基盤をもつ文明は、なにがしかの成果をあげる能力をもつ人を大量に必要とするからである。
p80
私は、成果をあげる人間のタイプなどというものは存在しないことをかなり前に気づいた。
私が知っている成果をあげる人たちは、その気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において千差万別だった。
共通点は、なすべきことをなし遂げる能力をもっていたことだけだった。
p81
私が会った成果をあげる人たちの中には、論理や分析力を使う人もいれば、知覚や直感に頼る人もいた。
簡単に意思決定をする人もいれば、何かをするたびに悩む人もいた。
つまり、成果をあげる人もまた、医者や高校の教師やバイオリニストと同じように千差万別である。
彼らは、成果をあげられない人と同じように千差万別である。
しかも成果をあげる人は、タイプや個性や才能の面では、成果をあげない人とまったく区別がつかない。
成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつけるうえで必要とされる習慣的な力である。
企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。
私の知るかぎり、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。
言いかえるならば、成果をあげることは一つの習慣である。
習慣的な能力の集積である。
そして習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。
習慣的な能力は単純である。
あきれるほどに単純である。
七歳の子供でも理解できる。
掛け算の九九を習ったときのように、練習による修得が必要となるだけである。
「六、六、三六」が、何も考えずに言える条件反射として身につかなければならない。
習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。
私は小さいころ、ピアノの先生にこう言われた。
「残念ながら、君はモーツァルトをシュナーベルのように弾けるようにはならない。でも音階は違う。音階はシュナーベルのように弾かなければならない」。
この言葉は、あらゆる仕事に当てはまる。
しかし、おそらくあまりに当たり前のことだったためであろうが、彼女がつけ加えなかったことがある。
それは、偉大なピアニストたちでさえ、練習に練習を重ねなかったならば、あのように弾けるようにはならなかったということである。
どんな分野でも、普通の人であれば並の能力は身につけられる。
卓越することはできないかもしれない。
卓越するには、特別の才能が必要だからである。
だが、成果をあげるには、成果をあげるための並の能力で十分である。
音階が弾ければよい。
p85
「どのような貢献ができるか」を自問することは、自らの仕事の可能性を追求することでもある。
そう考えるならば、多くの仕事において、優秀な成績とされているものの多くが、実は、その膨大な貢献の可能性からすれば、あまりにも小さなものであることがわかる。
「どのような貢献ができるか」を自問しなければ、目標を低く設定してしまうばかりでなく、間違った目標を設定する。
何よりも、自ら行うべき貢献を狭く設定する。
三つの領域における貢献 p85
なすべき貢献には、いくつかの種類がある。
あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。
すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成の三つである。
これら三つの領域すべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐り、やがて死ぬ。
したがって、この三つの領域における貢献を、あらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。
もちろん、この三つの領域の重要度は、組織によって、さらには、一人ひとりの人間によって大きく異なる。
第一の直接の成果については、はっきり誰にでも分かる。
企業においては、売上げや利益など経営上の業績である。
病院においては、患者の治癒率である。
もちろん、直接的な成果といっても、誰にも明白なものばかりとは限らない。
だが、直接的な成果が何であるべきかが混乱している状態では、成果は期待しえない。
直接的な成果は常に重要である、組織を生かすうえで、栄養におけるカロリーと同じ役割を果たす。
しかし組織には、人体におけるビタミンやミネラルと同じように、第二の領域として価値への取り組みが必要である。
組織は常に、明確な目的をもたなければならない。
さもなければ、混乱し、麻痺し、破壊される。
価値に対する取り組みは、技術面でリーダーシップを獲得することである場合もあるし、シアーズ・ローバックのように、アメリカの一般家庭のために、もっとも安く、もっとも品質のよい財やサービスを見つけ出すことである場合もある。
もちろん価値への取り組みもまた、成果と同じように、明白とは限らない。
長年の間、アメリカ農務省は、根本的に相容れない二つの価値観に身を裂かれてきた。
その一つが農業の生産性の向上であり、もう一つが国のバックボーンとしての家族的農場の維持だった。
前者の価値観の目指すものは、高度に機械化された大規模事業としての産業的農業だった。
後者の目指すものは、保護された非生産的な農民による郷愁的な農村だった。
少なくともごく最近まで、アメリカの農政はこれら二つの価値への取り組みの間で揺れ動いてきた。
その結果残ったものは膨大な支出だけだった。
第三に、組織は、死という生身の人間の限界を乗り越える手段である。
したがって、自らを存続させえない組織は失敗である。
明日のマネジメントに当たるべき人間を今日用意しなければならない。
そして次の世代は、現在の世代が刻苦と献身によって達成したものを当然のこととし、さらにその次の世代にとって当然となるべき新しい記録をつくっていかなければならない。
ビジョンや能力や業績において、今日の水準を維持しているだけの組織は適応の能力を失ったというべきである。
人間社会において、唯一確実なものは変化である。
自らを変革できない組織は、明日の変化に生き残ることはできない。
貢献に焦点を合わせるということは、人材を育成するということである。
人は、課された要求水準に適応する。
貢献に照準を当てる人は、ともに働くすべての人間の視点と水準を高める。
新任の病院長が最初の会議を開いたときに、あるむずかしい問題について全員が満足できる答えがまとまったように見えた。
そのときひとりの出席者が、「この答えに、ブライアン看護婦は満足するだろうか」と発言した。
再び議論が始まり、やがて、はるかに野心的な、まったく新しい解決策ができた。
その病院長は、ブライアン看護婦が古参看護婦のひとりであることを後で知った。
特に優れた看護婦でもなく、婦長を務めたこともなかった。
だが彼女は、担当病棟で何か新しいことが決まりそうになると、「それは患者にとっていちばんよいことでしょうか」と必ず聞くことで有名だった。
事実、ブライアン看護婦の病棟の患者は回復が早かった。
こうして病院全体に、「ブライアン看護婦の原則」なるものができあがっていた。
病院の誰もが、「患者にとって最善か」を常に考えるようになっていた。
今日では、ブライアン看護婦が引退して一〇年がたつ。
しかし彼女が設定した基準は、彼女よりも教育や地位が上の人たちに対し、今も高い要求を課している。
貢献に焦点を合わせるということは、責任をもって成果をあげるということである。
貢献に焦点を合わせることなくしては、やがて自らをごまかし、組織を壊し、ともに働く人たちを欺くことになる。
事実、もっともよく見られる人事の失敗は、新たに任命された者が、新しい地位の要求に応えて自ら変化していくことができないことに起因している。
それまで成功してきたのと同じ貢献を続けていたのでは、失敗する運命にある。
貢献すべき成果そのものが変化するだけでなく、前述した三つの領域の間の相対的な重要度さえ変化するからである。
このことを理解せずに、以前の仕事では正しかった仕事の仕方をそのまま続けるならば、新しい仕事では、間違った仕事を間違った方法で行うことになる。
知識ある者の責任 p88
知識労働者が貢献に焦点を合わせることは必須である。
それなくして、彼らが貢献する術はない。
知識労働者が生産するのは、物ではなくアイデアや情報やコンセプトである。
知識労働者は、ほとんどが専門家である。
事実彼らは、通常、一つのことだけを非常によく行えるとき、すなわち専門化したときにのみ大きな成果をあげる。
専門知識は、それだけでは断片にすぎない。
不毛である。
専門家の産出物は、ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果となる。
必要なことは、ゼネラリストをつくることではない。
知識労働者が彼自身と彼の専門知識を活用して成果をあげることである。
言い換えれば、自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするために、それを利用する者に「何を知ってもらい」「何を理解してもらわなければならないか」を徹底的に考えることである。
知識ある者は、常に理解されるように努力する責任がある。
素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、野卑な傲慢である。
大学や研究所の内部においてさえ、残念ながら今日珍しくなくなっているそのような風潮は、彼ら専門家自身を無益な存在とし、彼らの知識を学識から卑しむべき街学に貶めるものである。
貢献に責任をもつためには、自らの産出物すなわち知識の有用性に強い関心をもたなければならない。
成果をあげるためには、このことを知らなければならない。
自らの顔を上に向けることによって、ほとんど無意識に、他の人が「何を必要とし」「何を見」「何を理解しているか」を理解できるようになる。
さらには、組織内の人たち、つまり上司、部下、そして他の分野の同僚に対し、「あなたが組織に貢献するためには、私はあなたにどのような貢献をしなければならないか」「いつ、どのように、どのような形で貢献しなければならないか」を聞けるようになる。
ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、自らの狭い専門知識を、知識の全領域の中に正しく位置づけられる人のことである。
いくつかの複数の専門領域について知識をもつ専門家もいる。
だがたとえ複数の専門領域をもっていても、ゼネラリストとはいえない。
単に、いくつかの専門領域のスペシャリストであるにすぎない。
たとえ三つの領域に通じていても、一つにしか通じていない人と同じように、偏狭でありうる。
自らの貢献に責任をもつ人は、その狭い専門分野を真の全体に関係づけることができる。
もちろん、たくさんの知識分野を統合するなどということは決してできない。
だが彼らは、自らの仕事の成果を活かしてもらうためには、ほかの人のニーズや方向、限界や認識を知らなければならないことを理解している。
貢献に責任をもつならば、多様性の豊かさと興奮を十分に味わえなくとも、学者の傲慢さ、すなわち知識を破壊し、知識から美と成果を奪う、あの進行性の病いから身を守る免疫性を手に入れられるはずである。
私の青年時代 p97
知識によって働く者は、いかにして成果をあげられるようになるか。
いかにして変化を乗り越え、キャリアを通じ、また人生を通じて、成果をあげ続けるようになるか。
これは、一人ひとりの人間にとって最大の問題である。
したがって、私個人の経験も参考になるかもしれない。
私の人生において、成果をあげられるようにし、成長と変化を続けられるようにしてくれた教訓、過去の囚人となることなく成長することを可能にしてくれた七つの経験について紹介したい。
私は一八歳で高校を卒業したあと、生まれ故郷のウィーンを出て、ドイツのハンブルクで綿製品の商社の見習いになった。
父はそのことを喜ばなかった。
家は代々、学者、官僚、弁護士、医師だった。
当然父は、私が大学生として勉学に専念することを期待したが、私は学校に飽きており、働きたかった。
一応、ハンブルク大学の法学部に入ることは入ったが、ほとんど父の手前入ったというにすぎなかった。
当時のオーストリアやドイツの大学は、授業には出なくてもよかった。
それぞれの教授に申告し、サインをもらっておくだけでよかった。
教授のところへ行く必要もなかった。
学部の係に手数料を払えば手続きをしてくれた。
商社の見習いの仕事は恐ろしく退屈だった。
学ぶことはほとんどなかった。
勤務時間は朝の七時半から夕方の四時まで、土曜は昼までだった。
自由時間だけはたくさんあった。
週末には、私と同じようにオーストリアからやってきていた他の会社の見習い二人と、ハンブルク郊外の美しい丘をハイキングした。
夜は、大学生だったので、ユースホステルに無料で泊まれた。
目標とビジョンをもって行動する――ヴェルディの教訓 p98
こうして週に五日間も、たっぷり暇な夜の時間があった。
ハンブルクの有名な市立図書館が勤め先のそばにあった。
大学生には自由に本を貸してくれた。
そこで私は、丸々一年半、毎日、ドイツ語、英語、フランス語の本を次から次へと読んだ。
週一回はオペラを聴きにいった。
ハンブルクのオペラ座はヨーロッパでも最高水準にあった。
私は見習いで給料はわずかだったが、大学生はオペラを無料で聴くことができた。
上演の一時間ほど前に行って並ぶと、開始時間の一〇分ほど前に、売れ残りの安い席の切符がもらえた。
そしてある夜、一九世紀の作曲家ヴェルディのオペラを聴いた。
一八九三年に書いた最後のオペラ『ファルスタッフ』だった。
今日では、『ファルスタッフ』は、ヴェルディの作品の中でもポピュラーなものの一つになっている。
しかし当時は、ほとんど上演されることのない作品だった。
歌手にとっても、観客にとっても、難解すぎるとされていた。
私は圧倒された。
子供のころから音楽に親しんでいた。
当時のウィーンは、音楽がさかんだった。
特にオペラはたくさん聴いていた。
だが、『ファルスタッフ』は初めてだった。
あの夜の衝撃は、その後一度たりとも忘れたことがない。
私は調べた。
信じがたい力強さで人生のよろこびを歌いあげるあのオペラは、八〇歳の人の手によるものだった。
一八歳の私には、八〇歳という年齢は想像もできなかった。
八〇歳の人など、ひとりも知らなかった。
平均寿命が五〇歳そこそこだった七〇年前、八〇歳は珍しかった。
そして私は、すでにワーグナーと肩を並べる身でありながら、しかも八〇歳という年齢で、なぜ並はずれてむずかしオペラをもう一曲書くという大変な仕事に取り組んだのかとの問いに答えた彼の言葉を知った。
「完全を求めて、いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」。
私はこの言葉を忘れたことがない。
心に消すことのできない刻印となった。
ヴェルディ自身は、一八歳のころ、すでに音楽家として名をあげていた。
それにひきかえ、私に分かっていることは、綿製品の商人としての成功などありえないということだけだった。
年の割には未熟なほうでもあった。
経験もなく、実績もなかった。
何を得意とし、何をすべきであるかを知ったのも、一五年ほど経った三〇代初めのころだった。
だが私は、そのときそこで、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決心した。
そのとき、いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこうと決心した。
神々が見ている――フェイディアスの教訓 p100
ちょうどそのころ、まさにその完全とは何かを教えてくれる一つの物語を読んだ。
ギリシャの彫刻家フェイディアスの話だった。
紀元前四四〇年ころ、彼はアテネのパンテオンの屋根に建つ彫像群を完成させた。
それらは今日でも西洋最高の彫刻とされている。
だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は支払いを拒んだ。
「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、請求してくるとは何ごとか」と言った。
それに対して、フェイディアスは次のように答えた。
「そんなことはない。神々が見ている」。
この話を読んだのは、ちょうど『ファルスタッフ』を聴いたあとだった。
ここでも心を打たれた。
今日にいたるも、私は到底そのような域には達していない。
むしろ、神々に気づかれたくないことをたくさんしてきた。
しかし私は、神々しか見ていなくとも、完全を求めていかなければならないということを、そのとき以来、肝に銘じている。
「あなたの本のなかで最高のものはどれか」とよく聞かれる。
そのときには、次の作品ですと本気で言っている。
ヴェルディが八〇歳のときに、それまでずっと取り逃がしてきた完全を追求して、新しオペラを書いたときの言葉通りのことを意味しているつもりである。
すでに私は、ヴェルディが『ファルスタッフ』を書いた歳を超えた。
しかしちょうど今、二冊の本を構想し、実際に書き始めている。
その二冊とも、これまでのどの本よりも優れたもの、重要なもの、完全に近いものにしたいと思っている。
一つのことに集中する――記者時代の決心 p100
その後、私はフランクフルトに移った。
初めは証券会社の見習いとして働いていたが、一九二九年一〇月、ニューヨーク株式市場が大暴落したため、会社がつぶれた。
その直後、ちょうど二〇歳の誕生日に、私はフランクフルト最大の新聞社に金融と外交を担当する記者として勤め始めた。
大学のほうも、フランクフルト大学の法学部に籍を移した。
当時は、誰でも簡単に大学を移れた。
とはいえ、相変わらず、法律にはあまり関心がなかった。
しかし、ヴェルディとフェイディアスの教訓だけは身につけていた。
記者は、いろいろなことを書かなくてはならない。
そこで私は、少なくとも、有能な記者として知らなければならないことは、すべて知ろうと決心した。
新聞は夕刊紙だった。
朝の六時に働き始め、最終版が印刷にまわされる午後の二時一五分に終わった。
そこで私は、午後の残りの時間と夜を使って、何が何でも勉強することにした。
国際関係や国際法、諸々の制度や機関、歴史、金融などについてだった。
やがて私は、一時に一つのことに集中して勉強するという自分なりの方法を身につけた。
今でもこの方法を守っている。
次々に新しいテーマを決める。
統計学であったり、中世史であったり、日本画であったり、経済学であったりする。
もちろんそれらのテーマを完全に自分のものにすることはできない。
しかし、理解することはできるようになる。
すでに六〇年以上にわたって、一時に一つのテーマを勉強するという方法を続けてきた。
この方法でいろいろな知識を仕入れただけではない。
新しい体系やアプローチ、あるいは手法を受け入れることができるようになった。
勉強したテーマのそれぞれに、それぞれ別の前提や仮定があり、別の方法論があった。
定期的に検証と反省を行う――編集長の教訓 p101
私がなぜ長い間、知的な世界において仕事を続けることができたかについて、次に紹介したいのは、勤め先の新聞社の編集長で、当時のヨーロッパでも指折りのジャーナリストだった人から教わったことである。
当時、記者の平均年齢は二二歳前後という恐ろしい若さだった。
その中で私は、間もなく三人の論説委員のひとりに抜擢された。
それほど優秀だったわけではない。
記者として一流だったことは一度もない。
実は、一九三〇年ころの当時、私の地位に就くべき人たち、年でいえば三五歳前後の人たちが、ヨーロッパ全体に払底していたからだった。
第一次大戦で大勢の働きざかりが死んでいた。
そのため、重要な責任ある地位に、私のような若い人間を充てなければならなかった。
太平洋戦争が終わって一〇年後の一九五〇年代の半ばから終わりのころ、私が訪れたころの日本に似ていた。
当時五〇歳くらいだったその編集長は、大変な苦労をして私たち若いスタッフを訓練し、指導した。
毎週末、私たちの一人ひとりと差し向かいで、一週間の仕事ぶりについて話し合った。
加えて半年ごとに、一度は新年に、一度は六月の夏休みに入る直前に、土曜の午後と日曜を使って、半年間の仕事ぶりについて話し合った。
編集長はいつも、優れた仕事から取り上げた。
次に、一生懸命やった仕事を取り上げた。
その次に、一生懸命やらなかった仕事を取り上げた。
最後に、お粗末な仕事や失敗し仕事を痛烈に批判した。
この一年に二度の話し合いの中で、いつも私たちは、最後の二時間を使ってこれから半年間の仕事について話し合った。
それは、「集中すべきことは何か」「改善すべきことは何か」「勉強すべきことは何か」だった。
私にとって、年に二度のこの話し合いは大きな楽しみになった。
しかし新聞社を辞めた後は、そのようなことをしていたことさえ忘れた。
ところがその後、一〇年ほどたって、アメリカでこのことを思い出した。
一九四〇年代の初めのころ、アメリカで大学の教授になり、同時にコンサルティングの仕事をしていた。
何冊かの本も出していた。
そのころ、フランクフルトの編集長が教えてくれたことを思い出した。
それ以来私は、毎年夏になると、二週間ほど自由な時間をつくり、それまでの一年を反省することにしている。
そして、コンサルティング、執筆、授業のそれぞれについて、次の一年間の優先順位を決める。
もちろん、毎年八月につくる計画どおりに一年を過ごせたことは一度もない。
だがこの計画によって、私はいつも失敗し、今後も失敗するであろうが、とにかくヴェルディの言った完全を求めて努力するという決心に沿って、生きざるをえなくなっている。
新しい仕事が要求するものを考える――シニアパートナーの教訓 p103
ものごとを学ぶことについての次の経験は、数年後のことだった。
私は一九三三年にフランクフルトを離れ、ロンドンに渡った。
初め大手の保険会社で証券アナリストをつとめ、一年ほどしてから、小さくはあったが、急速に成長していたある投資銀行に移った。
そこでエコノミストとして、三人のシニアパートナーの補佐役を勤めた。
ひとりは七〇代の創立者で、あとの二人は三〇代半ばだった。
初めのころ、私はいちばん若いシニアパートナーの補佐役の仕事をやらされた。
ところが三か月ほどして、年配の創立者が私を部屋に呼びつけて、こう言った。
「君が入社してきたときはあまり評価していなかったし、今もそれは変わらない。君は、思っていたよりも、はるかに駄目だ。あきれるほどだ」。
二人のシニアパートナーに毎日のように褒められていた私は、あっけにとられた。
その人はこう言った。
「保険会社の証券アナリストとしてよくやっていたことは聞いている。
しかし、証券アナリストをやりたいのなら、そのまま保険会社にいればよかったではないか。
今君は、補佐役だ。
ところが相も変わらずやっているのは証券アナリストの仕事だ。
今の仕事で成果をあげるには、いったい何をしなければならないと思っているのか」。
私は相当頭に血が上った。
しかし、その人の言うことが正しいことは認めざるをえなかった。
そこで私は、仕事の内容も、仕事の仕方も、すっかり変えた。
このとき以来、私は新しい仕事を始めるたびに、「新しい仕事で成果をあげるには何をしなければならないか」を自問している。
もちろん答えは、そのたびに違ったものになっている。
コンサルタントの仕事を始めてから五〇年以上経つ。
いろいろな国のいろいろな組織のために働いてきた。
そして、あらゆる組織において、人材の最大の浪費は昇進人事の失敗であることを目にしてきた。
昇進し、新しい仕事をまかされた有能な人たちのうち、本当に成功する人はあまりいない。
無惨な失敗例も多い。
もちろんいちばん多いのは、期待したほどではなかったという例である。
その場合、昇進した人たちは、ただの凡人になっている。
昇進人事の成功は本当に少ない。
一〇年あるいは一五年にわたって有能だった人が、なぜ急に凡人になってしまうのか。
私の見てきたかぎり、それらの例のすべてにおいて、原因は、昇進した者が、ちょうど私が六〇年以上前、あのロンドンの投資銀行に入ったばかりのころにしていたこととまったく同じことをしていることにある。
彼らは、新しい任務に就いても、前の任務で成功していたこと、昇進をもたらしてくれたことをやり続ける。
そのあげく、役に立たない仕事しかできなくなる。
正確には、彼ら自身が無能になったからではなく、間違った仕事の仕方をしているために、そうなっている。
私は、これまで長い間、クライアントの組織の有能な人たちに必ず、同じ質問をすることにしてきた。
それは「いかにして成果をあげられるようになったのか」である。
事実上、ほとんど答えは同じだった。
私と同じように、「もうだいぶ前に亡くなったむかしの上司のおかげだ」と答える。
かつての上司が、私がロンドンにいたころ、あの老紳士が私にしてくれたこと、すなわち新しい任務が要求するものについて、徹底的に考え抜くことを彼らに教えている。
少なくとも私の経験では、このことを自分で発見した人はいない。
誰かが言ってくれなければ分からないことである。
同時に、このことは一度知ってしまえば、決して忘れることのないものである。
そしてほとんど例外なく、その後は、誰でも新しい任務で成功するようになる。
新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。
それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。
書きとめておく――イエズス会とカルヴァン派の教訓 p105
私は、一九三七年にイギリスからアメリカへやってきた。
そして、あのロンドンでの経験から何年か経った一九四五年ころ、新しい勉強のテーマとして、近世初期、つまり一五世紀から一六世紀にかけてのヨーロッパを取り上げた。
私は、ちょうど当時ヨーロッパで力をもつようになった二つの社会的機関、すなわち南ヨーロッパを中心とするカトリック社会におけるイエズス会と、北ヨーロッパを中心とするプロテスタント社会におけるカルヴァン派の二つの社会的機関が、奇しくもまったく同じ方法によって成長していたことを知った。
この二つの組織は別々に、ただし一五三四年と一五四一年という同時期に創設されていた。
しかも創設時から、まったく同じ学習方法を採用していた。
イエズス会の修道士やカルヴァン派の牧師は、何か重要な決定をする際に、その期待する結果を書きとめておかなければならないことになっていた。
一定期間の後、たとえば九か月後、実際の結果とその期待を見比べなければならなかった。
そのおかげで、「自分は何がよく行えるか、何が強みか」を知ることができた。
また「何を学ばなければならないか、どのような癖を直さなければならないか」、そして「どのような能力が欠けているか、何がよくできないか」を知ることができた。
私自身、この方法を五〇年以上続けている。
この方法は、「強みは何か」という、人が自らについて知ることのできるもっとも重要なことを明らかにしてくれる。
「何について改善する必要があるか」「いかなる改善が必要か」も明らかにしてくれる。
さらには、「自分ができないこと、したがって行おうとしてはならないこと」も教えてくれる。
そしてまさに、「自らの強みが何か」を知ること、「それらの強みをいかにしてさらに強化するか」を知ること、そして「自分には何ができないか」を知ることこそ、継続学習の要である。
何によって知られたいか――シュンペーターの教訓 p106
最後にもう一つ経験がある。
これで自己啓発についての私の話は終わりである。
ちょうど、ニューヨーク大学でマネジメントを教えるようになった一九四九年のクリスマスに、七五歳になっていた父アドルフが、数年前の退職以来住んでいたカリフォルニアから東海岸へ知り合いに会いにきた。
一九五〇年の一月三日、父と私は、父のむかしからの友人であるあの有名な経済学者シュンペーターを訪問した。
当時六六歳ですでに世界的に有名になっていたシュンペーターは、ハーバード大学で教え、アメリカ経済学会の会長として活躍していた。
オーストリア大蔵省の官僚だった父は、大学で経済学を教えていた。
一九〇二年、父は一九歳の秀オシュンペーターと出会った。
二人にはまったく似たところがなかった。
シュンペーターは雄弁で、行動家、自信家だった。
父は静かで落ち着いた謙遜家だった。
二人の友情はずっと続いていた。
すでにシュンペーターは名をなしていた。
ハーバードでの最後の年を迎えていた。
その名は絶頂期にあった。
二人はむかし話を楽しんだ。
いずれもウィーン生まれで、ウィーンで仕事をしていた。
二人ともアメリカに移住してきた。
シュンペーターは一九三二年に、父はその四年後に移住した。
突然、父はにこにこしながら、「ジョセフ、自分が何によって知られたいか、今でも考えることはあるかね」と聞いた。
シュンペーターは大きな声で笑った。
私も笑った。
というのは、シュンペーターは、あの二冊の経済学の傑作を書いた三〇歳ごろ、「ヨーロッパ一の美人を愛人にし、ヨーロッパ一の馬術家として、そしておそらくは、世界一の経済学者として知られたい」と言ったことで有名だったからである。
彼は答えた。
「その質問は今でも、私には大切だ。でも、むかしとは考えが変わった。今は一人でも多く優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」。
おそらく彼は、そのとき父の顔に浮かんだ怪訝な表情を見たに違いない。
というのは、「アドルフ、私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何にも変えたことにはならないから」と続けたからである。
彼は、その五日後に亡くなった。
父が訪ねていったのも、シュンペーターの病気が重いことを聞き、あまり長くないと思ったからだった。
私は、今でもこの会話を忘れることができない。
私は、この会話から三つのことを学んだ。
一つは、人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということである。
二つめは、その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないということである。
成長に伴って、変わっていかなければならないのである。
三つめは、本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることであるということである。
成長と自己変革を続けるために p108
これらのことを紹介したのは、簡単な理由からである。
それは、私が知っている人のうち、長い人生において、ずっと成果をあげてきた人のすべてが、私と同じようなことを、どこかで学んでいるからである。
企業で成功してきた人、学者で成功してきた人もそうである。
軍人もそうである。
医師や教師や芸術家もそうである。
私は、これまで大勢の人たちと一緒に仕事をしてきた。
コンサルタントとして、企業、政府機関、大学、オペラハウス、オーケストラ、美術館など、いろいろな組織の人と会ってきた。
そうしたときにいつも、私は何が彼らに成功をもたらしたかを聞き出してきた。
そして、必ず素晴らしい話が聞けた。
その結果わかったことは、成果をあげるにはどうしたらよいかという問いに対する答えは、「いくつか簡単なことを実行することである」ということだった。
第一に、ヴェルディの『ファルスタッフ』の話が教えてくれるようなビジョンをもつことである。
努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
第二に、私が気づいたところでは、成果をあげ続ける人は、フェイディアスと同じ仕事観をもっている。
つまり神々が見ているという考え方である。
彼らは、流すような仕事はしたがらない。
仕事において真摯さを重視する。
ということは、誇りをもち、完全を求めるということである。
第三に、そのような人たちに共通することとして、日常生活の中に継続学習を組み込んでいることである。
もちろん彼らは、私がこれまで六〇年間行ってきたこと、つまりテーマごとに集中して勉強するという方法をとっているとはかぎらない。
しかし彼らは、常に新しいことに取り組んでいる。
昨日行ったことを今日も行うことに満足しない。
何を行うにせよ、自らに対し、常により優れたことを行うことを課している。
さらに多くの場合、新しい方法で行うことを課している。
第四に、自らを生き生きとさせ、成長を続けている人は、自らの仕事ぶりの評価を、仕事そのものの中に組み込んでいる。
第五に、きわめて多くの成功してきた人たちが、一六世紀のイエズス会やカルヴァン派が開発した手法、つまり行動や意思決定がもたらすべきものについての期待を、あらかじめ記録し、後日、実際の結果と比較してきている。
そのようにして、彼らは自らの強みを知っている。
改善や変更や学習しなければならないことを知っている。
得意でないこと、したがって、他の人に任せるべきことまで知っている。
第六に、成果をあげている人たちに、その成功の原因となっている経験について聞くと、必ずといってよいほど、すでに亡くなった先生や上司から、仕事や地位や任務が変わったときには、新しい仕事が要求するものについて徹底的に考えるべきことを教えられ、実行させられてきたという。
事実、新しい仕事というものは必ず、前の仕事とは違う何かを要求するものである。
しかし、これらのことすべての前提となるべきもっとも重要なこととして、成果をあげ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に自らが責任をもつということがある。
これはおそらく、かなり耳新しい助言と聞こえよう。
しかしこれは、とりわけ日本のような国においては実行がむずかしい。
企業にせよ、政府機関にせよ、日本の組織は、一人ひとりの人間を配属する責任や、彼らが必要とする経験や挑戦の機会を与える責任は、組織の側にあるという前提で運営されているからである。
私の知っているもっとも典型的な例は大企業の人事部である。
あるいは、その手本となった伝統的な軍の人事部局である。
私の知るかぎり、日本の大企業の人事部ほど責任感にあふれた人たちはない。
しかしそれでも、人事部は変わらなければならない。
それは、人事の決定者ではなく、教師、道案内、相談相手、助言者とならなければならない。
知識労働者の啓発やその配属についての責任は、本人にもたせなければならない。
「どのような任務を必要としているか」「どのような任務の資格があるか」「どのような経験や知識や技能を必要としているか」との問いを発する責任は、一人ひとりの人間自身に課さなければならない。
もちろん、人事の最終決定は、本人の事情だけでできるものではない。
組織そのもののニーズとの関係において行わなければならない。
そして、その人間の強みや能力や仕事ぶりについての客観的な判断に基づいて行わなければならない。
しかしそれでもなお、一人ひとりの人間の啓発は本人の責任としなければならない。
配属の責任も、本人の責任としなければならない。
さもなければ、今日のように長い期間働くようになった時代において、知識労働者がいつまでも成果をあげ、生産的であり続け、成長し続けることは到底望みえない。
強みは何か p112
誰でも、自らの強みについてはよくわかっていると思っている。
だが、たいていは間違っている。
わかっているのは、せいぜい弱みである。
それさえ間違っていることが多い。
しかし何ごとかをなし遂げるのは、強みによってである。
弱みによって何かを行うことはできない。
できないことによって何かを行うことなど、とうていできない。
長い人類の歴史において、わずか数十年前までは、自らの強みを知っても意味がなかった。
生まれながらにして、仕事は決まっていた。
農民の子は農民となり、耕作ができなければ落伍するだけだった。
職人の子も職人になるしかなかった。
今日では、選択の自由がある。
したがって、自らの属する場所がどこであるかを知るために、自らの強みを知ることが不可欠となっている。
強みを知る方法は一つしかない。
フィードバック分析である。
何かをすることに決めたならば、何を期待するかをただちに書きとめておく。
九か月後、一年後に、その期待と実際の結果を照合する。
私自身、これを五〇年続けている。
そのたびに驚かされている。
これを行うならば、誰もが同じように驚かされる。
こうして二、三年のうちに、自らの強みが明らかになる。
自らについて知りうることのうち、この強みこそもっとも重要である。
さらに、自らが行っていることや行っていないことのうち、強みを発揮するうえで邪魔になっていることも明らかになる。
得意でないことも明らかになる。
まったく強みのないこと、できないことも明らかになる。
フィードバック分析から分かること p113
フィードバック分析から、いくつかの行うべきことが明らかになる。
第一は、明らかになった強みに集中することである。
成果を生み出すものに集中することである。
第二は、その強みをさらに伸ばすことである。
フィードバック分析は、伸ばすべき技能や新たに身につけるべき知識を明らかにする。
更新すべき技能や知識を教える。
同時に、自らの技能や知識の欠陥を教える。
無能でない程度の技能や知識であれば、よほどのことがないかぎり、誰でも手に入れることができる。
第三は、無知の元凶ともいうべき知的な傲慢を正すことである。
多くの人たち、特に一つのことに優れた人たちは他の分野を馬鹿にする。
他の知識などなくとも十分とする。
ところが、フィードバック分析は、仕事の失敗が、知っているべきことを知らなかったためであったり、専門以外の知識を軽視していたためであったことを明らかにする。
第四は、自らの悪癖を改めることである。
行っていること、あるいは行っていないことのうち、仕事ぶりを改善し成果をあげるうえで邪魔になっていることを改めなければならない。
フィードバック分析では、それらが明らかになる。
第五は、人への対し方が悪くて、みすみす成果をあげられなくすることを避けることである。
頭のよい人たち、特に若い人たちは、人への対し方が潤滑油であることを知らないことが多い。
第六は、行っても成果のあがらないことは行わないことである。
フィードバック分析は、そのよう無駄を明らかにする。
いかなる能力が足りないかを明らかにする。
人には、苦手なものはいくつある。
超一流の技能や知識をもつ者は少ない。
そのくせ人には、並の才能や技能さえもちえない分野がたくさんある。
そのような分野では、仕事を引き受けてはならない。
第七は、努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。
強みに集中すべきである。
無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする。
しかるに、多くの人たち、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命になっている。
資源にしても時間にしても、強みをもとに、スターを生むために使うべきである。
仕事の仕方に着目する p114
自らがいかなる仕事の仕方を得意とするかは、強みと同じように重要である。
実際には、強みよりも重要かもしれない。
ところが驚くほど多くの人たちが、仕事にはいろいろな仕方があることを知らない。
そのため得意でない仕方で仕事をし、当然成果はあがらないという結果に陥っている。
強みと同じように、仕事の仕方も人それぞれである。
個性である。
生まれつきか、育ちかは別として、それらの個性は仕事につくはるか前に形成される。
したがって、仕事の仕方は、強みと同じように与件である。
修正できても、変更することはできない。
少なくとも簡単にはできない。
そして、ちょうど強みを発揮できる仕事で成果をあげるように、人は得意な仕方で仕事の成果をあげる。
フィードバック分析は、不得手とする仕事の仕方も明らかにする。
しかし、原因を明らかにすることはほとんどない。
とはいえ、不得手な仕事の仕方を発見することはむずかしくない。
仕事の経験が何年かは必要かもしれないが、やがて、いかなる仕事の仕方が成果をもたらすか、ただちに答えられるようになる。
いくつかの性癖が、すでに仕事の仕方を規定しているからである。
仕事の仕方について初めに知っておくべきことは、自分が読む人間か、それとも聞く人間かということである。
つまり、理解の仕方に関することである。
世の中には読み手と聞き手がいること、しかも、その両方であるという人はほとんどいないということは知らない人が多い。
自分が、そのどちらであるかを認識している人はさらに少ない。
だが、これを知らないことが、いかに大きな害をもたらすかについては多くの例がある。
もう一つ仕事の仕方について知っておくべきことは、仕事の学び方である。
学び方は、読み手か聞き手かという問題以上に深刻な状況にある。
なぜならば、世界中のあらゆる国のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、それは誰にとっても同じであるとの前提に立っているからである。
ベートーヴェンは膨大な数の楽譜の断片を遺した。
彼自身のいうところによれば、作曲するときにそれらを見ることはなかった。
なぜ楽譜に書くのかと聞かれて、一度書かないと忘れるが、一度書けば忘れない。
だからもう見る必要はないと答えたという。
学び方は何種類もある。
ベートーヴェンのように、膨大なメモをとることによって学ぶ人がいる。
GMのスローンは会議中にメモをとらなかった。
なかには、自分が話すのを自分が聞いて、学ぶ人がいる。
あるいは、実際に仕事をしつつ学ぶ人がいる。
かつて一流の大学教授について調べたとき、かなりの人たちが、学生に教えるのは自分がする話を自分の耳で聞きたいからだ、そうすることによって初めて書けるようになると答えていた。
自らの学び方がどのようなものであるかは、かなり容易にわかる。
得意な学び方はどのようなものかと聞けば、ほとんどの人が答えられる。
では実際にそうしているかと聞けば、そうしている人はほとんどいない。
だが、この自らの学び方についての知識に基づいて行動することこそ、成果をあげる鍵である。
あるいは、それらの知識に基づいて行動しないことこそ、失敗を運命づけるものである。
人と組むか、ひとりでやるか p116
理解の仕方と学び方こそ、最初に考えるべきもっとも重要なことである。
しかし、この二つだけでは十分ではない。
仕事の仕方として、人と組んだほうがよいか、ひとりのほうがよいかも知らなければならない。
組んだほうがよいのであれば、どのように組んだときよい仕事ができるかを知らなければならない。
チームの一員として働くとき、最高の人がいる。
助言役として、最高の人がいる。
教師や相談役として最高の人がいる。
相談役としては、まったく価値のない人もいる。
もう一つ知っておくべき大事なことがある。
仕事の環境として、緊張感や不安があったほうが仕事ができるか、安定した環境のほうが仕事ができるかである。
さらには、大きな組織で歯車として働いたほうが仕事ができるか、小さな組織のほうが仕事ができるかである。
どちらでもよいという人はあまりいない。
GEやシティバンクのような大きな組織で成功しながら、小さな組織に移ったとたん、仕事がうまくいかなくなる人が大勢いる。
逆に、小さな組織では素晴らしい仕事をしていながら、大きな組織に移ったとたんに、途方にくれる人がいる。
さらに重要なこととして、仕事上の役割として、意思決定者と補佐役のどちらのほうが成果をあげるかという問題がある。
補佐役として最高でありながら、自ら意思決定をする重荷には耐えられない人がいる。
逆に、勇気ある意思決定を自信をもって迅速に行う人がいる。
ナンバー・ツーとして活躍していたが、トップになったとたん挫折する人がいる。
トップの座には、意思決定の能力が必要である。
強力なトップは、信頼できる助力者としてナンバー・ツーを必要とする。
ナンバー・ツーはナンバー・ツーとして最高の仕事をする。
ところが、トップの跡を継いだとたん、仕事ができない。
意思決定すべきことは理解しているが、意思決定の重荷を負えない。
これらのことから出てくる結論は一つである。
今さら自らを変えようとしてはならない。
うまくいくわけがない。
それよりも、自らの得意とする仕事の仕方を向上させていくべきである。
不得意な仕方で仕事を行おうとしてはならない。
価値観を優先する p117
自らをマネジメントするためには、強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。
組織には価値観がある。
そこに働く者にも価値観がある。
組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。
同一である必要はない。
だが、共存できなければならない。
さもなければ、心楽しまず、成果もあがらない。
強みと仕事の仕方が合わないことはあまりない。
両者は密接な関係にある。
ところが、強みと価値観が合わないことは珍しくない。
よくできること、特によくできること、恐ろしくよくできることが自らの価値観に合わない。
世の中に貢献しているとの実感がわかず、人生のすべて、あるいはその一部を割くに値しないと思われることがある。
私自身、成功していたことと、自らの価値観との違いに悩んだ。
一九三〇年代の半ば、ロンドンの投資銀行で働き、順風満帆だった。
強みを存分に発揮していた。
しかし、金を扱っても、世の中に貢献している実感がなかった。
私にとって価値あるものは、金ではなく人だった。
自分が金持ちになることにも価値を見出せなかった。
大恐慌のさなかにあって、他に仕事の目当てがあるわけではなかった。
だが、私は辞めた。
正しい行動だった。
つまるところ、優先すべきは価値観である。
ところをうる p118
強み、仕事の仕方、価値観という三つの問題に答えが出さえすれば、得るべきところも明らかになるはずである。
ただし、これは働き始めたばかりでわかることではない。
しかし、やがて得るべきところが明らかになる。
得るべきところではないところも明らかになる。
大組織では成果をあげられないことが分かったならば、いかによい地位が約束されていても断らなければならない。
もちろん、自らの強み、仕事の仕方、価値観が分かっていれば、機会、職場、仕事について、私がやりましょう、私のやり方はこうです、仕事はこういうものにすべきです、他の組織や人との関係はこうなります、これこれの期間内にこれこれのことを仕上げます、と言えるようになる。
最高のキャリアは、あらかじめ計画して手にできるものではない。
自らの強み、仕事の仕方、価値観を知り、機会をつかむよう用意をした者だけが手にできる。
なぜならば、自らの得るべきところを知ることによって、普通の人、単に有能なだけの働き者が、卓越した仕事を行うようになるからである。
自分の時間をどのように使っているか p119
通常、仕事に関する助言というと、計画することから始めなさい、というものが多い。
まことにもっともらしい。
だが問題は、それではうまくいかないことにある。
計画は紙の上に残っているが、やるつもりで終わる。
実際に行われることは稀である。
私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。
時間からスタートする。
計画からもスタートしない。
何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。
次に、時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。
そして最後に、その結果得られた時間を大きくまとめる。
すなわち、時間を記録し、管理し、まとめるという三つの段階が、成果をあげるための時間管理の基本となる。
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。
あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。
それが時間である。
時間は、借りたり、雇ったり、買ったりすることはできない。
その供給は硬直的である。
需要が大きくとも、供給は増加しない。
価格もない。
限界効用曲線もない。
簡単に消滅する。
蓄積もできない。
永久に過ぎ去り、決して戻らない。
したがって、時間は常に不足する。
時間は他のもので代替できない。
ほかの資源ならば、限界はあっても、代替することはできる。
アルミの代わりに銅で代替できる。
労働の代わりに資本で代替し、肉体の代わりに知識で代替できる。
時間には、その代わりになるものがない。
時間はあらゆることに必要となる。
時間こそ真に普遍的な制約条件である。
あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。
しかるに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を当たり前のように扱う。
おそらく、時間に対する愛情ある配慮ほど、成果をあげている人を際立たせるものはない。
しかし一般に、人は時間を管理する用意ができていない。
p123
知識労働は、肉体労働のようには評価測定できない。
そのため、正しい仕事をしているか、どのくらいよくしているかについて、簡単な言葉で聞いたり伝えたりすることができない。
肉体労働者には、「標準は一時間五〇個だが、君は四二個しか生産していない」といえる。
知識労働者については、満足すべき仕事をしているかどうかを知ることさえ容易でない。
彼らとは、何をなぜ行わなければならないかについて、腰を据えて一緒に考えなければならない。
ここでもまた、時間が必要となる。
知識労働者には、自らの方向づけを自らさせなければならない。
何が、なぜ期待されているかを理解させなければならない。
自らが生み出すものを活用する人たちの仕事を理解させなければならない。
そのためには、多くの情報や対話や指導が必要となる。
ここでも時間が必要となる。
同僚にも時間を割かなければならない。
時間の使い方を記録する p125
時間をどのように使っているかを知り、続いて時間の管理に取り組むには、まず時間を記録する必要がある。
熟練、未熟練の肉体労働については、一九〇〇年ごろ科学的管理法が時間の記録をとって以来知られている。
今日では、あらゆる国において、肉体労働の作業時間を測定している。
われわれは、時間の使い方がそれほど重要でない仕事、すなわち時間の活用と浪費の違いが、主として能率とコストに関わる問題であるような肉体労働に、この知識を適用してきた。
しかし、今後重要な意味をもってくる仕事であって、特に時間に関わる問題に対処しなければならなくなる仕事、すなわち知識労働者の仕事については、まだこの知識を適用していない。
しかるに、知識労働者においては、時間の活用と浪費の違いこそ、成果と業績に直接関わる重大な問題である。
知識労働者が成果をあげるための第一歩は、実際の時間の使い方を記録することである。
時間の記録の具体的な方法については、気にする必要はない。
自ら記録する人がいる。
秘書に記録してもらう人がいる。
重要なことは、記録することである。
記憶によってあとで記録するのではなく、ほぼリアルタイムに記録していくことである。
継続して時間の記録をとり、その結果を毎月見ていかなければならない。
最低でも年二回ほど、三、四週間記録をとるべきである。
記録を見て、日々の日程を見直し、組み替えていかなければならない。
半年も経てば、仕事に流されて、いかに些事に時間を浪費させられていたかを知る。
p131
コンサルタントの仕事を始めたばかりのころ、私は製造についての知識がなく、マネジメントされた工場とそうでない工場を見分けられなかった。
だがすぐに、マネジメントが行き届いた工場は静かであることに気づいた。
逆に、産業の叙事詩ともいうべき騒然とした工場は、マネジメントされていないことを知った。
よい工場は、見た目には退屈だった。
混乱は予測され、対処の方法はルーティン化されている。
そのため、劇的なことは何も起こらない。
p135
時間は稀少な資源である。
時間を管理できなければ、何も管理できない。
そのうえ、時間の分析は、自らの仕事を分析し、その仕事の中で何が本当に重要かを考えるうえでも、体系的かつ容易な方法である。
汝自身を知れとのむかしからの知恵ある処方は、悲しい性の人間にとっては、不可能なほどにむずかしい。
しかしその気があれば、汝の時間を知れとの命題には、誰でも従えるはずである。
その結果、誰でも成果と貢献への道を歩める。
時間を無駄にしているヒマはない p137
成果をあげるための秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。
成果をあげる人は、もっとも重要なことから始め、しかも、一度に一つのことしかしない。
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。
いくつかの理由はすでに明らかである。
貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献のほうが多いからである。
行うべき貢献を分析すれば、当惑するほど多くの重要な仕事が出てくる。
時間を分析すれば、真の貢献をもたらす仕事に割ける時間はあまりに少ないことがわかる。
いかに時間を管理しようとも、時間の半分以上は、依然として自分の時間ではない。
時間の収支は、常に赤字である。
上方への貢献に焦点を合わせるほど、まとまった時間が必要になる。
忙しさに身を任せるのではなく、成果をあげることに力を入れるためには、継続的な努力が必要となる。
成果を得るためのまとまった時間が必要となる。
真に生産的な半日、あるいは二週間を手に入れるためには、厳しい自己管理と、ノーといえるだけの不動の決意が必要である。
自らの強みを生かそうとすれば、その強みを重要な機会に集中する必要を認識する。
事実、それ以外に成果をあげる方法はない。
二つはおろか、一つでさえ、よい仕事をすることはむずかしいという現実が、集中を要求する。
人には驚くほど多様な能力がある。
人はよろず屋である。
だが、その多様性を生産的に使うためには、それらの多様な能力を一つの仕事に集中することが不可欠である。
あらゆる能力を一つの成果に向けるには集中するしかない。
もちろん、いろいろな人がいる。
同時に二つの仕事を手がけ、テンポを変えていったほうがよくできる人がいる。
だがそのような人でも、二つの仕事のいずれにおいても成果をあげるには、まとまった時間が必要である。
ただし、三つの仕事を同時に抱えて卓越した成果をあげる人はほとんどいない。
p141
新しいもののために新しく人を雇うことは危険である。
すでに確立され、順調に運営されている活動を拡張するには、新しく人を雇い入れることができる。
だが新しいものは、実績のある人、ベテランによって始められなければならない。
新しい仕事というものは、どこかで誰かがすでに行っていることであっても、すべて賭けである。
したがって、経験のある人ならば、門外漢を雇って新しい仕事を担当させるなどという、賭けを倍にするまねはしない。
よそで働いていたときには天才に見えた人が、自分のところで働き始めて、半年もたたないうちに失敗してしまうという苦い経験を何度も味わっている。
劣後順位の決定が重要 p141
明日のための生産的な仕事は、それらに使える時間の量を上回って存在する。
加えて、明日のための機会は、それらに取り組める有能な人の数を上回って存在する。
もちろん、問題や混乱は十分すぎるほど多い。
したがって、どの仕事が重要であり、どの仕事が重要でないかの決定が必要である。
唯一の問題は、何がその決定をするかである。
自らが決定するか、仕事からの圧力が決定するかである。
何が決定するにせよ、仕事は利用できる時間に合わせて行わざるをえない。
機会は、それを担当する有能な人が存在して、初めて実現できる。
圧力に屈したときには、重要な仕事が犠牲にされる。
特に仕事のうちもっとも時間を使う部分、意思決定を行動に変えるための時間がなくなる。
いかなる仕事も、組織的な行動や姿勢の一部になるまでは、スタートしたことにはならない。
いかなる仕事も、誰かが自分の仕事として引き受け、新しいことを行う必要や、新しい方法を行う必要を受け入れなければ始まらない。
いかにプロジェクトとして完結しているかに見えても、それを誰かが自分の仕事としてルーティン化しなければ完結するに至らない。
時間がないために、それらのことが行われない場合には、それまでの仕事や労力はすべて無駄になる。
だが仮にそうなったとしても、それは単に、仕事の優先順位を決定しなかったことの当然の報いである。
実は、本当に行うべきことは優先順位の決定ではない。
優先順位の決定は比較的容易である。
集中できる者があまりに少ないのは、劣後順位の決定、すなわち取り組むべきでない仕事の決定と、その決定の遵守が至難だからである。
延期とは断念を意味することを、誰もが知っている。
延期した計画を後日取り上げることほど好ましからざるものはない。
後日取り上げても、もはやタイミングは狂っている。
タイミングは、あらゆるものの成功にとってもっとも重要な要因である。
五年前に賢明であったことを今日行っても、不満と失敗を招くにすぎない。
延期は断念であるというこの事実が、何ごとであれ、劣後順位をつけて延期することを尻込みさせる。
最優先の仕事ではないことは知っていても、劣後順位をつけることはあまりに危険であると思ってしまう。
捨てたものが、競争相手に成功をもたらすかもしれない。
p144
集中とは、「真に意味あることは何か」「もっとも重要なことは何か」という観点から、時間と仕事について、自ら意思決定をする勇気のことである。
この集中こそ、時間や仕事の従者となることなく、逆にそれらの主人となるための唯一の方法である。
p148
ヴェイルとスローンの意思決定の特徴は、その新奇性や独自性ではなく、次のようなものだった。
第一に、問題の多くは基本に関わるものであり、原則や手順についての決定を通してのみ解決できることを認識していた。
第二に、決定が満たすべき必要条件を明確にした。
第三に、決定が受け入れられやすくするための妥協を考慮する前に、正しい答えすなわち必要条件を満足させる答えについて徹底的に検討した。
第四に、決定に基づく行動を決定のプロセスに組み込んでいた。
第五に、決定の適切さを結果によって検証するために、フィードバックを行った。
これらが、成果をあげる意思決定を行ううえで必要とされる五つのステップである。
p155
妥協には二つの種類がある。
一つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、一つはソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」という認識に基づく。
前者では、半分は必要条件を満足させる。
パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。
しかし、半分の赤ん坊は必要条件を満足しない。
半分の赤ん坊は、命あるものとしての子供の半分ではなく、二つに分けられた赤ん坊の死骸である。
そもそも「何が受け入れられやすいか」「何が反対を招くから言うべきでないか」を心配することは、無益であって、時間の無駄である。
心配したことは起こらず、予想しなかった困難や反対が、突然、ほとんど対処しがたい障害となって現われる。
換言するならば、「何が受け入れられやすいか」からスタートしても得るところはない。
それどころか、通常、この問いに答える過程において、大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん、成果に結びつく可能性のある答えを得る望みさえ失う。
p159
統計を知る者はこのことを知っており、したがって数字を信じない。
彼は数字を見つけた者を知っているために、あるいは見つけた者を知らないために、数字に疑いをもつ。
したがって、現実に照らして意見を検証するための唯一の厳格な方法は、まず初めに意見があること、また、そうでなければならないことを明確に認識することである。
こうした認識があって初めて、仮説からスタートしていることを忘れずにすむのである。
p161
評価測定のための適切な基準を見つけ出すことは、統計上の問題ではない。
それはすでに、リスクを伴う判断の問題である。
判断を行うために、いくつかの選択肢が必要である。
一つの案しかなく、それにイエス、ノーを言うだけでは判断とはいえない。
いくつかの選択肢があって初めて、何が問題であるかについて正しい洞察を得られる。
したがって、決定によって成果をあげるためには、評価測定の基準についてもいくつかの選択肢が必要である。
それらの中から、もっとも適切な基準を選び出さなければならない。
満場一致に注意せよ p161
選択肢すべてについて検討を加えなければ、視野は閉ざされたままとなる。
成果をあげるには、教科書のいうような意見の一致ではなく、意見の不一致を生み出さなければならない。
満場一致を求めるようなものではない。
相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断の間の選択があって、初めてよく行いうる。
したがって、決定においてもっとも重要なことは、意見の不一致が存在しないときには、決定を行うべきではないということである。
スローンは、GMの最高レベルの会議では、「それではこの決定に関しては、意見が完全に一致していると了解してよろしいか」と聞き、出席者全員がうなずくときには、「それでは、この問題について、異なる見解を引き出し、この決定がいかなる意味をもつかについて、もっと理解するための時間が必要と思われるので、いつものようにさらに検討することを提案したい」と言ったそうである。
スローンは、直観で決定を行うことはなかった。
意見は、事実によって検証すべきことを強調していた。
しかも、一つの結論からスタートし、それを裏づける事実を探すようなことは、絶対に行ってはならないとしていた。
その彼が、正しい決定には適切な意見の不一致が必要であるとしていた。
意見の不一致は、三つの理由から必要である。
第一に、組織の囚人になることを防ぐからである。
あらゆる人が、決定を行う者から何かを得ようとしている。
特別のものを欲し、善意のもとに、都合のよい決定をしてもらおうとする。
決定を行う者が、大統領であろうと、設計変更を行う新人の技術者であろうと変わらない。
それら特別の要請や意図から脱するための唯一の方法が、十分検討され、事実によって裏づけられた反対意見である。
第二に、選択肢を与えるからである。
いかに慎重に考え抜いても、選択肢のない決定は向こう見ずなばくちである。
決定には、常に間違う危険が伴う。
最初から間違っていることもあれば、状況の変化によって間違いになることもある。
決定のプロセスにおいて、他の選択肢を考えてあれば、次に頼るべきものとして、十分に考えたもの、検討済みのもの、理解済みのものをもつことができる。
選択肢がなければ、決定が有効に働かないことが明らかになったとき、途方にくれるだけである。
第三に、想像力を刺激するからである。
問題を解決するには、想像力は必要ないとの説がある。
だが、それは数字の世界だけである。
政治、経済、社会、軍事のいずれであろうとも、不確実な問題においては、新しい状況をつくり出すような創造的な答えが必要である。
想像力、すなわち知覚と理解が必要である。
第一級の想像力は潤沢にはない。
とはいっても、一般に考えられているほど稀なわけでもない。
しかし想像力は、刺激しなければ隠れていて使われないままになる。
反対意見、特に理論づけられ、検討し尽くされ、かつ裏づけられている反対意見こそ、想像力にとってのもっとも効果的な刺激剤となる。
成果をあげる者は、意図的に意見の不一致をつくりあげる。
そうすることによって、もっともらしいが間違っている意見や、不完全な意見によってだまされることを防ぐ。
選択を行い、決定を行えるようにする。
決定の実施の段階で、その意思決定に欠陥があったり、間違ったりしていることが明らかになっても、途方に暮れることはない。
さらに、自分だけでなく、同僚たちの想像力も引き出してくれる。
意見の不一致は、もっともらしい決定を正しい決定に変え、正しい決定を優れた決定に変える。
一つの行動だけが正しく、他の行動はすべて間違っているという仮定からスタートしてはならない。
「自分は正しく、彼は間違っている」という仮定からスタートしてはならない。
そして、意見の不一致の原因は必ず突き止めるという決意からスタートしなければならない。
もちろん、ばかな人もいれば、無用の対立をあおるだけの人もいることは、承知しておかなければならない。
だが、明白でわかりきったことに反対する人は、ばかか悪者に違いないと思ってはならない。
反証がないかぎり、反対する者も知的で公正であると仮定しなければならない。
明らかに間違った結論に達している人は、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと考える必要がある。
「もし彼の意見が、知的かつ合理的であると仮定するならば、いったい彼は、どのような現実を見ているのか」と考えるべきである。
成果をあげる人は、何よりもまず、問題の理解に関心をもつ。
誰が正しく、誰が間違っているかなどは問題ではない。
法律事務所では、学校を出たばかりの新人弁護士に、最初の仕事として、相手側に立って論理を組み立てることを指示する。
これは、依頼人のための論陣を張るうえで賢明なだけではない。
つまるところ、相手側の弁護士も仕事ができると考えなければならないからである。
新人にとってよい訓練になる。
こうして、「こちらが正しい」という前提ではなく、相手側が何を知り、何を捉え、何をもってして勝てると信じているかを考え抜くことからスタートすべきことを学ぶ。
敵味方それぞれの主張を二つの代替案として見ることを学ぶ。
そうして初めて、こちら側の主張の意味も理解できる。
相手側よりも、こちら側のほうがより正しいことを、確信をもって主張できる。
決定は本当に必要か p164
最後に、「意思決定は本当に必要か」を自問しなければならない。
何も決定を行わないという代替案は、常に存在する。
意思決定は外科手術である。
システムに対する干渉であり、ショックを与えるリスクを伴う。
よい外科医が不要な手術を行わないように、不要な決定を行ってはならない。
優れた決定を行う人も、優秀な外科医と同じように、それぞれスタイルは違う。
ある人は大胆であり、ある人は保守的である。
しかし、不要な決定は行わないという原則では一致している。
何もしなければ事態が悪化するのであれば、決定を行わなければならない。
同じことは、機会についてもいえる。
急いで何かをしなければ重要な機会が消滅するのであれば、思い切った変革に着手しなければならない。
楽観的というわけではなく、何もしなくても問題は起こらないという状況がある。
「何もしないと何が起こるか」という問いに対して、「何も起こらない」が答えであるならば、手をつけてはならない。
状況は気になるが、切実ではなく、さしたる問題が起こりそうもないというときは、問題に手をつけてはならない。
このことを理解している人は稀である。
たとえば、深刻な財務の悪化の中で合理化の先頭に立つ役員は、さして意味のないことでも放っておくことができない。
合理化の対象は、営業あるいは物流である。
そこで懸命かつ賢明に、営業部門と物流部門におけるコスト削減を成功させる。
しかし、効率的にうまく運営されている工場で、二、三人の歳とった工員が不必要に雇われていると指摘し、せっかくの合理化努力の成果や自分自身の評判を台なしにしてしまう。
二、三人の歳とった工員を解雇しても、たいした合理化効果はないという意見を、筋が通らないとして退ける。
「みなが犠牲を払っているのに、工場だけが非効率でよいのか」という。
やがて危機が去ると、事業を救ったことは忘れられてしまう。
しかし、歳とった二、三人のかわいそうな工員に無慈悲だったことは、決して忘れられることはない。
当然である。
すでに二〇〇〇年も前に、ローマ法は、為政者は些事に執着するべからずといっている。
このことを学ぶべき意思決定者は、まだ多い。
大部分の問題は、何もしなくてもうまくいくわけではないが、かといって、何もしないと取り返しがつかなくなるわけではない、といったものである。
機会があるとしても、多くは、本当の変革や革新のための機会ではなく、改善のための機会である。
問題にしても機会にしても、かなり規模は大きい。
たしかに、行動しなくとも生き延びることはできる。
だが行動すれば、状況は大きく改善される。
そのような状況下においては、行動した場合としなかった場合の犠牲とリスクの大きさを比較しなければならない。
正しい決定のための原則はない。
だが指針とすべき考え方は明確である。
個々の具体的な状況において、行動すべきか否かの意思決定が困難なケースはほとんどない。
第一に、得るものが犠牲やリスクを大幅に上回るならば行動しなければならない。
第二に、行動するかしないか、いずれかにしなければならない。
二股をかけたり、間をとろうとしてはならない。
扁桃腺や盲腸を半分切除しても、完全に切除した場合と同じように、感染などのリスクがある。
手術は、するかしないかである。
同じように決定も、行うか行わないかである。
半分の行動はない。
半分の行動こそ、常に誤りであり、必要最低限の条件、すなわち必要条件を満足させえない行動である。
勇気をもつ p167
これでいよいよ、決定を行う準備は整った。
すなわち、決定が満たすべき必要条件は十分に検討し、選択肢はすべて検討し、得るべきものと付随する犠牲とリスクは、すべて天秤にかけた。
すべては分かった。
ここにおいて、何を行うべきかは明らかである。
決定はほぼ完了した。
しかし、まさに決定の多くが行方不明になるのが、このときである。
決定が、愉快ではなく、評判もよくなく、容易でないことが急に明らかになる。
とうとうここで、決定には判断と同じくらい勇気が必要であることが明らかになる。
薬は苦くなければならないという必然性はない。
しかし一般的に、良薬は苦い。
決定が苦くなければならないという必然性はない。
しかし一般的に、成果をあげる決定は苦い。
ここで絶対にしてはならないことがある。
「もう一度調べよう」という誘惑に負けてはならない。
臆病者の手である。
臆病者は、勇者が一度死ぬところを、一〇〇〇回死ぬ。
「もう一度調べよう」という誘惑に対しては、「もう一度調べれば、何か新しいことが出てくると信ずべき理由はあるか」を問わなければならない。
もし答えがノーであれば、再度調べようとしてはならない。
自らの決断力のなさのために、有能な人たちの時間を無駄にすべきではない。
とはいえ、決定の意味について完全に理解しているという確信なしに、決定を急いではならない。
相応の経験をもつ大人として、ソクラテスが神霊と呼んだもの、すなわち「気をつけよ」とささやく内なる声に耳を傾けなければならない。
意思決定の正しさを信ずるかぎり、困難や不快や恐怖があっても、決定はしなければならない。
しかしほんの一瞬であっても、理由はわからずとも、心配や不安や気がかりがあるならば、しばらく決定を待つべきである。
私のよく知っている最高の意思決定者のひとりは、「焦点がずれているようなときには、ちょっと待つことにしている」と言っている。
一〇回のうち九回は、不安に感じていたことが杞憂であることが明らかになる。
しかし、一〇回に一回は、重要な事実を見落としたり、初歩的な間違いをしたり、まったく判断を間違っていたりしたことに気づく。
一〇回に一回は、突然夜中に目が覚め、シャーロック・ホームズのように、重要なことは、「バスカヴィル家の犬が吠えなかった」ことだと気づく。
とはいっても、決定を延ばしすぎてはならない。
数日、せいぜい数週間までである。
それまでに神霊が話しかけてこなければ、好き嫌いにかかわらず、精力的かつ迅速に決定をしなければならない。
人は、好きなことをするために報酬を手にしているのではない。
なすべきことをなすために、成果をあげる意思決定をするために報酬を手にしている。
今日意思決定は、少数のトップだけが行うべきものではない。
組織に働くほとんどあらゆる知識労働者が、なんらかの方法で、自ら決定をし、あるいは少なくとも、意思決定のプロセスにおいて積極的な役割を果たさなければならなくなっている。
かつては、トップマネジメントというきわめて小さな機関に特有の機能だったものが、今日の社会的機関、すなわち大規模な知識組織においては、急速に、あらゆる人の、あらゆる組織単位の、日常とまではいかなくとも通常の仕事となりつつある。
今日では、意思決定をする能力は、知識労働者にとって、まさに成果をあげる能力そのものである。
四つの原理 p169
コミュニケーションを改善する試みは、いたるところで見られる。
コミュニケーションの手段も、豊富にある。
組織内のコミュニケーションは、企業、政府、病院、大学、研究所、軍のいずれを問わず、最大の関心事になっている。
にもかかわらず、明らかになったことといえば、コミュニケーションは得体の知れないものであるということだけである。
コミュニケーションについての議論は多い。
しかるに、実際のコミュニケーションは不足したままである。
すでにわれわれは、コミュニケーションについて四つの原理を知っている。
コミュニケーションとは知覚であり、期待であり、要求である。
情報とは違う。
依存関係にはあるが、むしろ相反することのほうが多い。
仏教の禅僧、イスラム教のスーフィ教徒、タルムードのラビなどの公案に、「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」との問いがある。
今日われわれは、答えがノーであることを知っている。
たしかに、音波は発生する。
だが、誰かが音を耳にしないかぎり、音はしない。
音は知覚されることによって、音となる。
ここにいう音こそ、コミュニケーションである。
この答えは、目新しくはない。
神秘家たちも知っていた。
「誰も聞かなければ、音はない」と答えた。
このむかしからの答えが、今日重要な意味をもつ。
この答えは、コミュニケーションを成立させるものは、コミュニケーションの受け手であることを教える。
それはコミュニケーションの内容を発する人間、すなわちコミュニケーターではない。
彼は発するだけである。
聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない。
意味のない音波があるだけである。
これがコミュニケーションについての第一の原理である。
現存する最古の修辞論、プラトンの『パイドン』によれば、ソクラテスは「大工と話すときは、大工の言葉を使わなければならない」と説いた。
コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しない。
受け手の経験にある言葉を使わなければならない。
説明しても通じない。
経験にない言葉で話しても、理解されない。
受け手の知覚能力の範囲を越える。
コミュニケーションを行おうとするときには、「このコミュニケーションは、受け手の知覚能力の範囲内か、受け手は受けとめられるか」を考える必要がある。
あらゆる事物に複数の側面があることを認識することは至難である。
身をもって確認ずみのことでも、他の側面、裏側や別の面があること、しかもそれらの側面の様子が、自分の見ている側面とはまったく違うこと、したがって、それらの側面を見るかぎり、まったく違う理解をせざるをえないことがあることを認識することは至難である。
だが、コミュニケーションを成立させるためには、受け手が何を見ているかを知らなければならない。
また、それがなぜかを知らなければならない。
第二に、われわれは知覚することを期待しているものだけを知覚する。
見ることを期待しているものを見、聞くことを期待しているものを聞く。
事実、組織におけるコミュニケーションについての文献の多くは、期待していないものは反発を受け、この反発がコミュニケーションの障害になるとしている。
だが反発は、さして重要ではない。
本当に重要なことは、期待していないものは受けつけられもしないことにある。
見えもしなければ聞こえもしない。
無視される。
あるいは間違って見られ、違って聞かれる。
期待していたものと同じであると思われる。
人の心は、期待していないものを知覚することに対し、また期待するものを知覚できないことに対抵抗する。
もちろん期待に反しているであろうことをあらかじめ警告することはできる。
しかし警告を発するためには、そもそも知覚することを期待しているものが何かを知らなければならない。
そのうえで、「期待に反している」ことを間違いなく伝える方策、つまり連続した心理状態を断ち切る一種のショックが必要となる。
受け手が見たり聞いたりしたいと思っているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。
受け手が期待するものを知って初めて、その期待を利用できる。
あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックが必要かどうかを知りうる。
新聞では、紙面の余白を埋めるために、ニュースとはまったく関係のない些事についての話を数行埋め草として使う。
ところがこの埋め草がよく読まれ、よく記憶される。
誰も知らないある公爵の城で、左右色違いのくつ下をはくことが流行し始めたなどという記事を、誰が読みたいと思うか。
いわんやそれを記憶したいなど論外である。
あるいは、初めてふくらし粉が使われたのは、いつどこであったかという記事も、読みたいとも覚えたいとも思わない。
しかるに、それらの埋め草は、現実に読まれ、どぎつい見出しの大事件は別としても、きわめてよく記憶される。
それは、読者に何も要求していないからである。
読者の関心とまったく関係がないからである。
第三に、コミュニケーションは常に、受け手に対し何かを要求する。
受け手が何かになることを、何かをすることを、何かを信じることを要求する。
それは常に、受け手それぞれの何かをしたいという気持ちに訴えようとする。
コミュニケーションは、それが受け手の価値観や欲求や目的に合致するとき強力となる。
それらのものに合致しないとき、まったく受けつけられないか、抵抗される。
もちろん、それらのものに合致しない場合でも、コミュニケーションが強力な力を発揮したときには、受け手の心を転向させる。
受け手の信念や価値観や性格や欲求までも変えることができる。
だがそのようなケースは、人の存在に関わる問題であって、きわめて稀である。
人の心は、そのような変化に激しく抵抗する。
聖書によれば、キリストさえ、迫害者サウロを信徒パウロとするためには、サウロをひとたび盲目にする必要があった。
受け手の心を転向させることを目的とするコミュニケーションは、受け手に全面降伏を要求する。
第四に、コミュニケーションと情報は別物である。
両者は依存関係にある。
コミュニケーションは知覚の対象であり、情報は論理の対象である。
情報は形式であって、それ自体に意味はない。
それは人間の関係ではない。
そこに人間的な要素はない。
情報は、感情、価値、期待、知覚といった人間的な属性を除去すればするほど、有効となり信頼性を高める。
しかし、情報はコミュニケーションを前提とする。
情報とは記号である。
情報の受け手が、記号の意味を知らされていないとき、情報は使われるどころか受け取られもしない。
情報の送り手と受け手の間に、あらかじめ、なんらかの了解つまりコミュニケーションが存在しなければならない。
しかるにコミュニケーションは、必ずしも情報を必要としない。
事実、いかなる論理の裏づけもなしに経験を共有するときこそ、完全なコミュニケーションがもたらされる。
コミュニケーションにとって重要なものは、知覚であって情報ではない。
カリスマ性はいらない p183
今日、リーダーシップ論が猛威を振るっている。
私のところにも、ある大手銀行の人事担当副社長が、「どうしたらカリスマ性が身につくかというテーマで、セミナーを開いてほしい」と、大真面目に電話をしてきた。
リーダーシップやリーダーの資質についての本や記事、会議があふれている。
CEOたる者は、軍騎兵隊の将校、あるいはエルビス・プレスリーのごとく振る舞わなければならないかのようである。
もちろん、リーダーシップは重要である。
しかしそれは、今日、リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは大いに異なる。
それは、いわゆるリーダー的資質とは関係ない。
カリスマ性とはさらに関係ない。
神秘的なものではない。
平凡で退屈なものである。
その本質は行動にある。
そもそもリーダーシップそれ自体が、よいものでも、望ましいものでもない。
それは手段である。
何のためのリーダーシップかが問題である。
リーダーシップの本質 p184
それでは、カリスマ性でも資質でもないとすると、リーダーとは何か。
リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである。
これこそ、カエサル(シーザー)、マッカーサー、モンゴメリー、GMを一九二〇年から五五年まで率いたアルフレッド・スローンなどのリーダーに共通することである。
効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。
リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。
もちろん、妥協することもある。
効果的なリーダーは、自分が世界の支配者ではないことを痛いほど知っている。
スターリン、ヒトラー、毛沢東といった似非リーダーだけが幻想に取りつかれた。
リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。
リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。
リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。
政治、経済、財政、人事など現実の制約によって妥協せざるをえなくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。
リーダーが真の信奉者をもつか、日和見的な取り巻きをもつにすぎないかも、自らの行為によって範を示しつつ、いくつかの基本的な基準を守りぬけるか、捨てるかによって決まる。
リーダーたることの第二の要件は、リーダーシップを、地位や特権ではなく責任と見ることである。
優れたリーダーは、常に厳しい。
ことがうまくいかないとき、そして何ごともだいたいにおいてうまくいかないものだが、その失敗を人のせいにしない。
ウィンストン・チャーチルが使命と目標を明確に定義したリーダーの範とするならば、第二次大戦中にアメリカの参謀本部議長を務めたジョージ・マーシャル将軍は、責任を負うリーダーの範である。
ハリー・トルーマンがよく口にした「最終責任は私にある」との言葉も、リーダーの本質を示している。
真のリーダーは、他の誰でもなく、自らが最終的に責任を負うべきことを知っているがゆえに、部下を恐れない。
ところが、似非リーダーは部下を恐れる。
部下の追放に走る。
優れたリーダーは、強力な部下を求める。
部下を激励し、前進させ、誇りとする。
部下の失敗に最終的な責任をもつがゆえに、部下の成功を脅威とせず、むしろ自らの成功と捉える。
リーダーは、うぬぼれの強い人であることがある。
マッカーサー将軍にいたっては、ほとんど病的だった。
逆に控えめな人であることもある。
リンカーンやトルーマンにいたっては、劣等感をもっていたとさえいってよい。
しかし彼ら三人はいずれも、まわりに有能で、独立心のある自信家を集めていた。
部下を励まし、誉め、昇進させた。
この三人とはまったく違うタイプのアイゼンハワーも、ヨーロッパ連合軍最高司令官を務めていたとき、そのようなリーダーだった。
もちろんリーダーといえども、有能な部下はえてして野心家でもあるというリスクを十分知っている。
しかしそれは、凡庸な部下にかしずかれるよりは、はるかに小さなリスクであることを自覚している。
ロシアでスターリンの死後に起きたように、また、あらゆる企業で常に起こっているように、優れたリーダーは、自らの退任や死をきっかけにして組織が崩壊することは、もっとも恥ずべきであることを知っている。
真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することこそが、自らの役割であることを知っている。
リーダーたる第三の要件は、信頼が得られることである。
信頼が得られないかぎり、従う者はいない。
そもそもリーダーに関する唯一の定義は、つき従う者がいるということである。
信頼するということは、必ずしもリーダーを好きになることではない。
常に同意できるということでもない。
リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。
それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。
リーダーが公言する信念とその行動は一致しなければならない。
少なくとも矛盾してはならない。
もう一つ、古くから明らかになっていることとして、リーダーシップは賢さに支えられるものではない。
一貫性に支えられるものである。
これらのことをその大手銀行の人事担当副社長である女性に電話で言うと、しばらく返事がなかった。
やがて彼女は「それでは、経営者の条件として、ずいぶん前から明らかになっていることと変わりませんが」と言った。
まったくその通りである。
強み重視の人事 p189
成果をあげるためには、人の強みを生かさなければならない。
弱みを気にしすぎてはならない。
利用できるかぎりのあらゆる強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを総動員しなければならない。
強みこそが機会である。
強みを生かすことは組織に特有の機能である。
組織といえども、人それぞれがもっている弱みを克服することはできない。
しかし組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。
組織の役割は、人間一人ひとりの強みを、共同の事業のための建築用ブロックとして使うところにある。
成果をあげるためには、強みを中心に据えて異動を行い、昇進させなければならない。
人事においては、人の弱みを最小限に抑えるよりも、人の強みを最大限に発揮させなければならない。
p190
人の弱みに配慮して人事を行えば、うまくいったところで平凡な人事に終わる。
強みだけの人間、完全な人間、完成した人間を探したとしても、結局は平凡な組織をつくってしまう。
大きな強みをもつ人は、ほとんど常に大きな弱みをもつ。
山があるところには谷がある。
しかも、あらゆる分野で強みをもつ人はいない。
人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉大な天才も落第生である。
申し分のない人間などありえない。
そもそも何について申し分がないかも問題である。
できることではなく、できないことに気をとられ、弱みを避けようとする者は弱い人間である。
おそらくは、強い人間に脅威を感じるのであろう。
しかし、部下が強みをもち、成果をあげることによって苦労させられた者などひとりもいない。
アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘に選んだ「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」との言葉ほど、大きな自慢はない。
まさに、これこそが、成果をあげるための処方である。
もちろん、カーネギーの部下たちが優秀だったのは、彼が部下の強みを見出し、それを仕事に適用させたからだった。
彼ら鉄鋼業の人材は、それぞれがそれぞれ特定の分野において、特定の仕事において優秀だった。
もちろん、もっとも大きな成果をあげたのがカーネギーだった。
p191
人に成果をあげさせるためには、「自分とうまくやっていけるか」を考えてはならない。
「どのような貢献ができるか」を問わなければならない。
「何ができないか」を考えてもならない。
「何を非常によくできるか」を考えなければならない。
特に人事では、一つの重要な分野における卓越性を求めなければならない。
強みをもつ分野を探し、それを仕事に適用させなければならないことは、人間の特性からくるところの必然である。
全人的な人間や成熟した人間を求める議論には、人間のもっとも特殊な才能、すなわち一つの活動や成果のためにすべてを投入できるという能力に対する妬みの心がある。
それは、卓越性に対する妬みである。
人の卓越性は、一つの分野、あるいはわずかの分野において実現されるのみである。
強みに焦点を合わせることは、成果を要求することである。
「何ができるか」を最初に問わなければ、真に貢献できるものよりも、はるかに低い水準に甘んじざるをえない。
成果をあげることを初めから免除することになる。
致命的ではなくとも、破壊的である。
当然、現実的でもない。
真に厳しい上司とは、つまるところ、それぞれの道で一流の人間をつくる人である。
彼らは、部下がよくできるはずのことから考え、次に、その部下が本当にそれを行うことを要求する。
組織の利点 p192
弱みをもとにすることは、組織本来の機能に背く。
組織とは、強みを成果に結びつけつつ、弱みを中和し無害化するための道具である。
多くのことに強みをもつ人間は、組織を必要としないし、欲しもしない。
彼らは独立して働いたほうがよい。
しかしほとんどの者は、独力で成果をあげられるほど多様な強みをもっていない。
ヒューマン・リレーションズでは、「手だけを雇うことはできない。手とともに人間がついてくる」という。
同じように、われわれはひとりでは、強みだけをもつわけにはいかない。
強みとともに、弱みがついている。
われわれは、そのような弱みを仕事や成果とは関係のない個人的な欠点にしてしまえるよう組織をつくらなければならない。
強みだけを意味あるものとするよう組織を構築しなければならない。
個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くと重大な障害になる。
だがそのような人も、組織の中にいるならば机を与えられ、外と接触しないですむ。
組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにできる。
これらのことは当たり前といわれるかもしれない。
それでは、なぜこれらのことは常に行われないのか。
人の強み、特に他部門の同僚の強みを生かすことのできる者は、なぜ稀なのか。
リンカーンでさえ、強みをもとに人を選ぶまでに、なぜ三回も弱みをもとに人事を行ったのか。
主たる理由は、目の前の人事が、人間の配置ではなく仕事のための配置になっているからである。
したがって、ものの順序として、仕事からスタートしてしまい、次の段階として、その仕事に配置すべき人間を探すということになるからである。
そうなると、もっとも不適格な人間、すなわちもっとも変哲のない人間を探すという誤った道をとりやすい。
結果は、凡庸な組織である。
そのような事態への対策として、もっとも喧伝されている治療法が、手元の人間に合うように職務を構築しなおすことである。
しかし、きわめて単純な小さな組織を別として、そのような治療は、病気よりも害が大きい。
仕事は客観的に設計しなければならない。
人の個性ではなく、なすべき仕事によって決定しなければならない。
仕事の範囲や構造や位置づけを修正すれば、必ず組織全体に連鎖反応が及ぶ。
組織において、仕事はたがいに依存関係にあり、連動している。
ひとりを一つの仕事につけるために、あらゆる人の仕事や責任を変えることはできない。
上司は部下の仕事に責任をもつ。
部下のキャリアを左右する。
したがって、強みを生かす人事は、成果をあげるための必要条件であるだけでなく、倫理的な至上命令、権力と地位に伴う責任である。
弱みに焦点を合わせることは、間違っているだけでなく、無責任である。
上司は、組織に対して、部下一人ひとりの強みを可能なかぎり生かす責任がある。
何にもまして、部下に対して、彼らの強みを最大限に生かす責任がある。
組織は、一人ひとりの人間に対し、彼らが、その制約や弱みに関わりなく、その強みを通して、ものごとをなし遂げられるよう奉仕しなければならない。
このことは今日、ますます重要になっている。
まさに決定的に重要である。
一九〇〇年ごろ、実際的な目的をもちうる知識分野は、法律、医学、教育、宗教など、いくつかの伝統的な職業に限られていた。
今日では、文字どおり、数百にのぼる知識分野が雇用の場として開かれている。
あらゆる知識分野が、組織、特に企業と政府機関において必要とされている。
したがって今日では、誰でも自らの能力にもっとも合った知識分野を選択し、かつ雇用の場を見つけることができるようにならなければならない。
つい数十年前のように、自らを知識分野や雇用の場に合わせる必要はない。
今日の若者のほうが、将来の選択がむずかしくなっている。
自らについても、機会についても、十分な情報をもたないからである。
だからこそ今日、一人ひとりの人間にとって、自らの強みを生かす場をもてるようにすることに重要な意味がある。
しかも、今日の知識労働の時代においては、強みをもとに人事を行うことは、知識労働者本人、人事を行った者、ひいては組織そのものにとってだけでなく、社会にとっても欠くべからざることになっている。
p194
これは、世渡りの常識である。
現実は企業ドラマとは違う。
部下が無能な上司を倒し、乗り越えて地位を得るなどということは起こらない。
上司が昇進できなければ、部下はその上司の後ろで立ち往生するだけである。
たとえ上司が無能や失敗のために更迭されても、有能な次席があとを継ぐことは少ない。
外から来る者があとを継ぐ。
そのうえその新しい上司は、息のかかった有能な若者たちを連れてくる。
したがって優秀な上司、昇進の速い上司をもつことほど、部下にとって助けとなるものはない。
奇跡は再現できない p197
医者を長くやっていると、奇跡的な回復に立ち会うことがある。
不治の患者が突然治る。
自然に治ることも、信仰によって治ることもある。
奇妙な食餌療法や、昼間眠って夜起きることで治ることもある。
このような奇跡をいっさい認めず、単に科学的でないとして片づけることは愚かである。
それらは現実に起こっていることである。
だからといって、それらの奇跡的な回復を医学書に載せ、医学生に講義する者はいない。
それらのことは、再び行うことも、教えることも、学ぶこともできないからである。
しかも、それらの療法によって回復する者は少なく、多くは死ぬ。
これと同じように、私がイノベーションのための七つの機会と呼んでいるものと関係なく行われてイノベーションがある。
目的意識体系、分析とは関係なく行われる。
勘によるイノベーション、天才のひらめきによるイノベーションである。
だが、そのようなイノベーションは、再度行うことができない。
教えることも、学ぶこともできない。
天才になる方法は教えられない。
そのうえ、発明やイノベーションの逸話集がほのめかすほど、天才のひらめきは存在しない。
私自身、ひらめきが実を結んだのを見たことがない。
アイデアはアイデアのまま終わる。
イノベーションの方法として提示し、論ずるに値するのは、目的意識、体系、分析によるイノベーションだけである。
イノベーションとして成功したもののうち少なくとも九〇%は、そのようなイノベーションである。
目的意識をもち、体系を基礎として、かつそれを完全に身につけて、初めてイノベーションは成功する。
それでは、イノベーションの原理とは何か。
イノベーションに必要な「なすべきこと」「なすべきでないこと」は何か。
そして、私がイノベーションの条件と呼ぶものは何か。
なすべきこと p198
第一に、イノベーションを行うためには、機会を分析することから始めなければならない。
私がイノベーションのための七つの機会と呼ぶものを徹底的に分析することから始めなければならない。
もちろんイノベーションの分野が異なれば、機会の種類も異なる。
時代が変われば、機会の重要度も変わっていく。
①予期せぬこと
②ギャップ
③ニーズ
④構造の変化
⑤人口の変化
⑥認識の変化
⑦新知識の獲得
これら七つの機会のすべてについて、体系的に分析することが必要である。
単に油断なく気を配るだけでは十分ではない。
分析は常に体系的に行わなければならない。
機会を体系的に探さなければならない。
第二に、イノベーションとは、理論的な分析であるとともに、知覚的な認識である。
したがって、イノベーションを行うにあたっては、外に出、見、問い、聞かなければならない。
このことは、いかに強調してもしすぎることがない。
イノベーションに成功する者は右脳と左脳の両方を使う。
数字を見るとともに、人を見る。
いかなるイノベーションが必要かを分析をもって知った後、外に出て、知覚をもって客や利用者を知る。
知覚をもって、彼らの期待、価値、ニーズを知る。
イノベーションに対する社会の受容度も、知覚によって知る。
客にとっての価値も、そのようにして知る。
自らのアプローチの仕方が、やがてそれを使うことになる人たちの期待や習慣にマッチしているかいないかも、知覚によって感じとる。
こうして初めて、「やがてこれを使うことになる人たちが、そこに利益を見出すようになるには、何を考えなければならないか」との問いを発することができる。
さもなければ、せっかくの正しいイノベーションも間違った形で世に出ることになる。
第三に、イノベーションに成功するには、焦点を絞り単純なものにしなければならない。
一つのことに集中しなければならない。
さもなければ、焦点がぼける。
単純でなければうまくいかない。
新しいものは必ず問題を生じる。
複雑だと、直すことも調整することもできない。
成功したイノベーションは驚くほど単純である。
まったくのところ、イノベーションに対する最高の賛辞は、「なぜ、自分には思いつかなかったか」である。
新しい市場や新しい使用法を生み出すイノベーションでさえ、具体的に使途を定めなければならない。
具体的なニーズと成果に的を絞らなければならない。
第四に、イノベーションに成功するためには、小さくスタートしなければならない。
大がかりであってはならない。
具体的なことだけに絞らなければならない。
レールの上を走りながら電力の供給を受けるというイノベーションが電車を生み出した。
マッチ箱に常に(五〇本という)同数のマッチ棒を詰めるというイノベーションがマッチ入れのオートメ化をもたらし、それを行ったスウェーデンのマッチメーカーに対し、半世紀近くに及ぶ市場の独占をもたらした。
あまりに大がかりな構想、産業に革命を起こそうとする計画はうまくいかない。
多少の資金と人材をもって、限定された市場を対象とする小さな事業としてスタートしなければならない。
さもなければ、調整や変更のための時間的な余裕がなくなる。
イノベーションが、最初の段階からほぼ正しいという程度以上のものであることは稀である。
変更がきくのは、規模が小さく、人材や資金が少ないときだけである。
第五に、とはいえ、最後の「なすべきこと」として、イノベーションに成功するには、最初からトップの座をねらわなければならない。
必ずしも大事業にすることをねらう必要はない。
そもそも、イノベーションが大事業となるか、まあまあの程度で終わるかは知りえない。
だが、最初からトップの座をねらわないかぎり、イノベーションとはなりえず、自立した事業とさえなれない。
具体的な戦略としては、産業や市場において支配的な地位をねらうものから、プロセスや市場において小さなニッチをねらうものまで、いろいろありうる。
しかし起業家としての戦略は、何らかの意味において、トップの座を担うものでなければならない。
さもなければ、競争相手に機会を与えるだけに終わる。
なすべきでないこと p201
そしていよいよ、いくつかの「なすべきでないこと」がある。
第一に、凝りすぎてはならない。
イノベーションの成果は、普通の人間が利用できるものでなければならない。
多少とも大きな事業にしたいのであれば、さほど頭のよくない人たちが使ってくれなければ話にならない。
つまるところ、大勢いるのは普通の人たちである。
組み立て方や使い方のいずれについても、凝りすぎたイノベーションは、ほとんど確実に失敗する。
第二に、多角化してはならない。
散漫になってはならない。
一度に多くのことを行おうとしてはならない。
これは、「なすべきこと」の一つとしての的を絞ることと同義である。
核とすべきものから外れたイノベーションは雲散する。
アイデアにとどまり、イノベーションに至らない。
ここでいう核とは、技術や知識に限らない。
市場であることもある。
事実、市場についての知識のほうが、技術についての知識よりもイノベーションの核となる。
イノベーションには核が必要である。
さもなければ、あらゆる活動が分散する。
イノベーションにはエネルギーの集中が不可欠である。
イノベーションにはそれを行おうとする人たちが、たがいに理解し合っていることが必要である。
そのためにも、統一、すなわち共通の核となるものが必要である。
多様化や分散は、この統一を妨げる。
第三に、未来のためにイノベーションを行おうとしてはならない。
現在のために行わなければならない。
たしかに、イノベーションは長期にわたって影響を与えるかもしれないし、二〇年たたなければ完成しないかもしれない。
だが、「二五年後には、大勢の高齢者がこれを必要とするようになる」と言うだけでは十分ではない。
「これを必要とする高齢者はすでに大勢いる。もちろん時間が味方だ。二五年後には、もっと大勢の高齢者がいる」と言わなければならない。
現時点でただちに利用できなければ、レオナルド・ダ・ヴィンチのノートに描かれたスケッチと同じでように、アイデアにとどまる。
われわれのほとんどが、ダ・ヴィンチほどの才能をもたない。
われわれのノートが、それだけで不滅の価値をもち続けることはない。
イノベーションには、長いリードタイムが伴うときがある。
医薬品の開発研究では一〇年を要することも珍しくない。
しかし、今日医療上のニーズが存在していない医薬品の開発研究に着手する製薬会社はない。
成功するイノベーションの条件 p202
イノベーションの成功には三つの条件がある。
いずれも当たり前のことでありながら、しばしば無視される。
第一に、イノベーションは集中でなければならない。
イノベーションを行うには知識が必要である。
創造性を必要とすることも多い。
事実、イノベーションを行う人たちの中には、卓越した能力をもつ人たちがいる。
だが彼らが、同時に異なる分野でイノベーションを行うことはほとんどない。
あの恐るべき才能をもっていたエジソンさえ、電気の分野でしか働かなかった。
金融のイノベーションに優れたニューヨークのシティバンクが、小売業や医療についてイノベーションを行おうとすることはありえない。
イノベーションには、他の仕事と同じように才能や素地が必要である。
だがイノベーションとは、あくまでも意識的かつ集中的な仕事である。
勤勉さと持続性、それに献身を必要とする。
これらがなければ、いかなる知識も創造性も才能も無駄となる。
第二に、イノベーションは強みを基盤としなければならない。
イノベーションに成功する者はあらゆる機会を検討する。
そして「自分や自分の会社にもっとも適した機会はどれか。
自分(あるいは自分たち)がもっとも得意とし、実績によって証明ずみの能力を生かせる機会は何か」を考える。
ここにおいても、イノベーションは他の仕事と変わるところがない。
それどころか、イノベーションほど自らの強みを基盤とすることが重要なものはない。
なぜならば、イノベーションにおいては、知識と能力の果たす役割がきわめて大きく、しかもリスクを伴うからである。
イノベーションには相性も必要である。
何ごとも、その価値を心底信じていなければ成功しない。
製薬会社が口紅や香水で成功することはあまりない。
イノベーションの機会そのものが、イノベーションを行おうとする者の価値観と合っていなければならない。
彼らにとって意味のある重要なものでなければならない。
さもなければ、忍耐強さを必要とし、かつ欲求不満を伴う厳しい仕事はできない。
第三に、イノベーションはつまるところ、経済や社会の変革を目指さなければならない。
それは、消費者、教師、農家、眼科医などの行動に変化をもたらさなければならない。
プロセス、すなわち働き方や生産の仕方に変化をもたらさなければならない。
イノベーションは、市場にあって、市場に集中し、市場を震源としなければならない。
イノベーターはリスクを冒さない p204
一、二年前、起業家精神をテーマにしたある大学のセミナーで、心理学者たちの発言を聞いたことがある。
さまざまな意見がかわされたが、起業家的な資質がリスク志向であるということでは意見が一致した。
ところがまとめの段階で、あるプロセス上のギャップを機会としてイノベーションに成功し、二五年で世界的な事業に育てたある有名な起業家がコメントを求められた。
「私はみなさんの発言にとまどっています。
私自身、大勢の起業家やイノベーターを知っているつもりですが、今まで、いわゆる起業家的な人には会ったことがありません。
私が知っている成功した人たちの共通点はただ一つ、それはリスクをおかさないということです。
彼らはみな、おかしてはならないリスクを明らかにし、それを最小限にしようとしています。
そうでなければ、成功はおぼつきません。
私自身、リスク志向であったならば、不動産や商品取引、あるいは母が希望したように画家になっていたと思います」
これは私の経験とも一致する。
私も成功した起業家やイノベーターを大勢知っているが、彼らの中にリスク志向の人はいない。
通俗心理学とハリウッド映画によるイメージは、まるでスーパーマンと円卓の騎士の合成である。
実際にイノベーションを行う人たちは、小説の主人公ではない。
リスクを求めて飛び出すよりも、時間をかけてキャッシュフローを調べている。
イノベーションにはリスクが伴う。
しかし、スーパーへパンを買いに行くことにも何がしかのリスクはある。
あらゆる活動にリスクが伴う。
しかも昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが、明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。
イノベーションは、どこまでそのリスクを明らかにし、小さくできるかによって、成功の度合いが決まる。
どこまでイノベーションの機会を体系的に分析し、どこまで的を絞り、利用したかによって決まる。
まさに成功するイノベーションは、予期せぬ成功や失敗、ニーズの存在に基づくものなど、リスクの限られたイノベーションである。
あるいは、新知識の獲得によるイノベーションのように、たとえリスクが大きくとも、その大きさを明らかにすることのできるイノベーションである。
イノベーションに成功する者は保守的である。
保守的たらざるをえない。
彼らはリスク志向ではない。
機会志向である。
第二の人生をどうするか p209
歴史上初めて、人の寿命のほうが組織の寿命よりも長くなった。
そのため、まったく新しい問題が生まれた。
第二の人生をどうするかである。
もはや、三〇歳で就職した組織が、六〇歳になっても存続しているとは言い切れない。
そのうえ、ほとんどの者にとって、同じ種類の仕事を四、五〇年も続けるのは長すぎる。
飽きる。
惰性になる。
耐えられなくなる。
まわりの者も迷惑する。
ごくわずかの偉大な芸術家は例外である。
印象派の巨匠クロード・モネ(一八四〇~一九二六年)は、八〇代で名作を遺した。
目を悪くして、なお一日一二時間描いた。
パブロ・ピカソ(一八八一~一九七三年)は、九〇代で亡くなるまで描いた。
七〇代で新しい画風を開いた。
今世紀最高のチェロ奏者パブロ・カザルス(一八七六~一九七三年)は、演奏会のための新曲に取り組んでいるときに亡くなった。
九七歳だった。
だが、彼らは例外中の例外である。
同じ超一流の物理学者でも、四〇代に偉業をなしたマックス・プランク(一八五八~一九四七年)とアルバート・アインシュタイン(一八七九~一九五五年)は対照的だった。
プランクは一九一八年、六〇歳のときに、第一次大戦後のドイツ科学界を再建した。
一九三三年に、ナチによって強制的に引退させられたが、一九四五年、九〇歳近くになって、ドイツ科学界の再建に取り組んだ。
アインシュタインのほうは、四〇代には引退同然で、単なる有名人となった。
今日、中年の危機がよく話題になる。
四五歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。
同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。
学ぶべきことはさしてない。
仕事に心躍ることはない。
製鉄所の高炉や機関車の機関室で働く肉体労働者は、四〇年も働けば、平均寿命どころか定年もまだ先だというのに、肉体的精神的に疲れ果てる。
もう十分である。
平均寿命が七五歳前後になったために、余生は長いが、何もしないで満足である。
ゴルフ、釣り、諸々の小さな趣味で十分である。
しかし、知識労働者には、いつになっても終わりがない。
文句は言っても、いつまでも働きたい。
とはいえ、三〇のときには心躍った仕事も、五〇ともなれば退屈する。
したがって、第二の人生を設計することが必要になる。
p213
知識労働者にとって、第二の人生をもつことが重要であることには、もう一つ理由がある。
誰でも、仕事や人生において挫折することがありうるからである。
昇進しそこねた四二歳の有能なエンジニアがいる。
大きな大学へ移ることが絶望的になった四二歳の立派な大学教授がいる。
離婚や、子供に死なれるなどの不幸もある。
逆境のとき、単なる趣味を越えた第二の人生、第二の仕事が大きな意味をもつ。
四二歳のエンジニアが、現在の仕事では思うようにいかないことを悟る。
だがもう一つの仕事、教会の会計責任者としては頼りにされている。
これからも大いに貢献できる。
あるいは、家庭は壊れたかもしれないが、もう一つのコミュニティがある。
これらのものは、成功が意味をもつ社会では特に重要である。
このような社会は初めてである。
これまで人間は、いるべきところにいられれば最高だった。
ありうる動きは、すべて下方に向かうものだった。
そもそも成功なる概念が存在しなかった。
知識社会では、成功が当然のこととされる。
だが、全員が成功することはありえない。
失敗しないことがせいぜいである。
成功する人がいれば、失敗する人がいる。
そこで、一人ひとりの人間及びその家族にとっては、何かに貢献し、意味あることを行い、ひとかどになることが、決定的に重要な意味をもつ。
第二の人生、パラレルキャリア、篤志家としての仕事をもつことは、社会においてリーダー的な役割を果たし、敬意を払われ、成功の機会をもつということである。
革命的な変化 p214
自ら成果をあげ、貢献し、自己実現するということは、その他諸々の課題に比べて、はるかに簡単に見えるはずである。
答えも、素朴といっていいほど簡単である。
たしかに変革の先頭にたち、あるいはIT革命の主役となるには、複雑かつ高度の能力、仕組み、方法論を必要とする。
しかしそれらのものといえども、本質は進化にすぎない。
しかるに、成果をあげるということは一つの革命である。
一人ひとりの人間、特に知識労働者に対し、前例のないまったく新しい種類のことを要求する。
あたかも組織のトップであるかのように考え、行動することを要求する。
思考と行動において、これまでのものとは一八〇度違うものが必要となる。
そもそも知識労働者なるものが大量に登場し始めたのは、わずか一世紀前にすぎない。
知識労働者なる言葉も、三〇年前の拙著『断絶の時代』(一九六九年)において、初めて使った造語である。
今日、仕事の仕組みや主人の意向によって決められたことを行うだけだった肉体労働者に代わり、自らをマネジメントする者としての知識労働者へと労働力の重心が移行したことが、社会の構造そのものを大きく変えつつある。
これまでの社会は、いかに個を尊重したにせよ、あくまでも次の二つのことを当然とする社会だった。
すなわち、第一に、組織はそこに働く人よりも長命であって、第二に、そこに働く人は組織に固定された存在だった。
これに対し、自らをマネジメントするということは、逆の現実に立つ。
働く人が組織よりも長命であって、そこに働く人は自由に移動する存在である。
すでにアメリカでは、働く人が組織から組織へと動くことは一般化した慣行である。
だがそのアメリカにおいてさえ、働く人が組織よりも長命であって、したがって第二の新しい人生の用意が必要であるなどということは、誰にも心構えのできていなかった革命的な変化である。
退職制度を含め、既存のいかなる制度も想定していなかった事態である。
アメリカ以外では、今日に至るも、働く人は組織を動かないことを前提としている。
それを安定と称している。
ドイツでは、ごく最近まで職業を選ぶ自由は一〇歳で終わっていた。
延ばしてもせいぜい一六歳だった。
一〇歳でギムナジウムに入らないかぎり、大学へ行く可能性は失われた。
そして、一五歳か六歳で入っていく機械工、事務員、料理人などの徒弟制度が、一生の仕事を決定した。
徒弟として身につけた職業から他の職業に変わることは、法律で禁止されてはいないものの、事実上ありえなかった。
社会の能力を規定するもの p217
知識は、通貨のような非人格的な存在ではない。
知識は、本や、データバンクや、ソフトウェアの中にはない。
そこにあるのは、情報にすぎない。
知識は、むかしから人間の中にある。
人間が、教え、学ぶものである。
人間が、正しく、あるいは間違って使うものである。
それゆえに、知識社会への移行とは、人間が中心的な存在になることにほかならない。
そして知識社会への移行は、知識社会の代表者たる教育ある人間に対し、新しい挑戦、新しい問題、さらには、かつてない新しい課題を提起する。
これまでのあらゆる社会において、教育ある人間は飾り物にすぎなかった。
それは、敬意と冷笑の二つのニュアンスが込められたドイツ語のクルツール(文化人)だった。
知識社会では、この教育ある人間が社会の表徴となり、基準となる。
教育ある人間が、社会学で言うところの社会的モデルとなる。
彼ら教育ある人間が社会の能力を規定する。
同時に、社会の価値、信念、意志を体現する。
封建時代の騎士が中世初期における社会の代表であり、ブルジョワが資本主義時代における社会の代表であったとするならば、
教育ある人間は、知識が中心的な資源となるポスト資本主義時代における社会の代表である。
その結果、教育ある人間の意味そのものが変わらざるをえない。
教育があるということの意味が変わる。
教育ある人間なるものの定義が、決定的に重要になる。
知識が中心的な資源になるに従い、この教育ある人間が、新しい要求、新しい課題、新しい責任に直面する。
教育ある人間は、要の存在である。
p221
明日の教育ある人間は、グローバルな世界に生きる。
そのグローバルな世界が、西洋化された世界である。
教育ある人間は同時に、部族化しつつある世界に生きる。
彼らは、ビジョン、視野、情報において世界市民である。
しかし同時に、自らの地域社会から栄養を吸い取るとともに、逆に、その地域文化に栄養を与える存在である。
知識社会と組織社会 p222
資本主義後の社会、すなわちポスト資本主義社会は、「知識社会」であるとともに同時に、「組織社会」である。
この二つの社会は、相互依存の関係にありながら、概念、世界観、価値観を異にする。
教育ある人間の大部分が、すでに述べたように、「組織」の一員として自らの「知識」を適用する。
したがって教育ある人間は、二つの文化、すなわち一方は、言葉や思想に焦点を合わせた知識人の文化と、一方は、人間と仕事に焦点を合わせた組織人の文化の中で生き、働く。
知識人は組織を手段として見る。
組織のおかげで、彼ら知識人は、彼らのテクネ、すなわちその専門化された知識を適用することが可能となる。
他方、経営管理者は知識を、組織の目的を実現するための手段として見る。
いずれも正しいが、両者は対照的である。
対立的ではない。
対極にある。
たがいがたがいを必要とする。
研究者は研究管理者を必要とし、研究管理者は研究者を必要とする。
両者の均衡が崩れると、仕事は行われず、欲求不満が残る。
知識人の世界は、組織人による均衡がなければ「好きなことをする」だけとなり、意味あることは何もしない世界になる。
組織人の世界も、知識人による均衡がなければ、形式主義に陥り、組織人間が支配する無気力な灰色の世界に堕する。
両者が均衡して初めて、創造と秩序、自己実現と課題達成が可能となる。
ポスト資本主義社会においては、多くの人がこの二つの文化の中で生活し、仕事をする。
ますます多くの人が両方の文化で働く経験をもつ。
そうならなければならない。
たとえば、若手のコンピュータ技術者にプロジェクト・マネジャーやチームリーダーを務めさせ、若手の教授に二年間、大学の組織部門で毎日数時間働かせるなど、若いうちに経営管理的な仕事に就かせ、経験をもたせることが必要となる。
ここにおいて、社会セクターの非営利組織における無給スタッフとしての経験が、知識人の世界と組織人の世界の双方について、偏りなく見知り、敬意を払う能力を与える。
ポスト資本主義社会では、すべての教育ある人間が二つの文化を理解できなければならない。
テクネ――教育ある人間の条件 p223
一九世紀の教育ある人間にとって、テクネは知識ではなかった。
たしかに大学で教えられ、体系にもなっていた。
しかしテクネは、教養課程や一般教養の一部ではなかった。
したがって、一般知識ではなかった。
テクネに対する学位はむかしからあった。
ヨーロッパでは、法学と医学に対する学位は一三世紀に遡る。
工学に対する学位も、一八〇〇年の一、二年前にナポレオン治世下のフランスにおいて初めて授与され、間もなく大陸ヨーロッパとアメリカで社会的に受け入れられた。
教育あるとされた者の多くは、それらのテクネを実践することによって生計を立てていた。
弁護士、医者、技術者、地質学者、さらには実業人だった。
実業に就かない紳士に対する敬意が存在したのはイギリスだけだった。
だが仕事や職業は、生計の手段ではあっても、生活そのものではなかった。
彼らテクネを実践する者たちは、職場を離れれば、仕事はもとより専門分野についても話をしなかった。
それは、仕事の話にすぎなかった。
ドイツ人は仕事の虫として鼻で笑った。
フランスではもっとばかにした。
野暮か、礼儀知らずとされ、上流社会の招待者リストからはずされた。
しかし、テクネが専門知識となった今日、それは一般知識として位置づけられなければならない。
テクネは、教育ある人間たるべき条件の一つとならなければならない。
今日、教育ある人間が、大学時代に楽しんだ教養課程を捨ててしまうのは当然である。
彼らは失望する。
裏切りさえ感じる。
そう感じるには、それだけの理由がある。
専門知識を一般知識へと統合できない教養課程や一般教養は、教養ではない。
教養としての第一の責務、すなわち相互理解をもたらすこと、すなわち、文明が存在しうるための条件たる対話の世界をつくり出すことに失敗しているからである。
そのような教養課程は、結合どころか、分裂の原因となるだけである。
われわれは、多様な知識に精通した博学は必要としていない。
事実、そのような人間は存在しえない。
逆に、われわれの知識はますます専門化していく。
したがって、われわれが真に必要とするものは、多様な専門知識を理解する能力である。
そのような能力をもつ者が、知識社会における教育ある人間である。
われわれは専門知識のそれぞれについて精通する必要はないが、それが「何についてのものか」「何をしようとするものか」「中心的な関心事は何か」「中心的な理論は何か」「どのような新しい洞察を与えてくれるか」「それについて知られていないことは何か」「問題や課題は何か」を知らなければならない。
自らの成長に責任をもつ p227
自らの成長のためにもっとも優先すべきは、卓越性の追求である。
そこから充実と自信が生まれる。
能力は、仕事の質を変えるだけでなく、人間そのものを変えるがゆえに重要な意味をもつ。
能力がなくては、優れた仕事はありえず、自信もありえず、人としての成長もありえない。
何年か前に、かかりつけの腕のいい歯医者に聞いたことがある。
「あなたは、何によって憶えられたいか」。
答えは「あなたを死体解剖する医者が、この人は一流の歯医者にかかっていたといってくれること」だった。
この人と、食べていくだけの仕事しかしていない歯科医との差の何と大きなことか。
同じように組織に働く者にとっては、自らの成長は、組織の使命と関わりがある。
それは、仕事に意義ありとする信念や献身と深い関わりがある。
自らの成長に責任をもつ者は、その人自身であって上司ではない。
誰もが自らに対し、「組織と自らを成長させるためには何に集中すべきか」を問わなければならない。
たとえば、ペーパーワークと医師のさまざまな要求に追われている病棟の看護婦は、大勢の外科の患者を見ながら、次のように問わなければならない。
「彼らが私の仕事だ。
他のことは邪魔でしかない。
この本来の仕事に集中するにはどうしたらよいか。
仕事の仕方に問題があるかもしれない。
もっとよい看護ができるよう、みなで仕事の仕方を変えられないか」
自らを成果をあげる存在にできるのは、自らだけである。
他の人ではない。
したがって、まず果たすべき責任は、自らの最高のものを引き出すことである。
それが自分のためである。
人は、自らがもつものでしか仕事ができない。
しかも人に信頼され、協力を得るには、自らが最高の成果をあげていくしかない。
ばかな上司、ばかな役員、役に立たない部下についてこぼしても、最高の成果はあがらない。
障害になっていること、変えるべきことを体系的に知るために、仕事のうえでたがいに依存関係にある人たちと話をするのも、自らの仕事であり、責任である。
成功の鍵は、責任である。
自らに責任をもたせることである。
あらゆることがそこから始まる。
大事なことは、地位ではなく責任である。
責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、成長の必要性を認識するということである。
ときには、辛くても、長年かけて身につけた能力が、まったく意味を失ったことを認めなければならない。
一〇年かけてコンピュータを自在に使いこなせるようになったにもかかわらず、今や学ぶべきは、いかにして人と働くかである。
責任ある存在になるということは、自らの総力を発揮する決心をすることである。
「違いを生み出すために、何を学び、何をなすべきか」を問う。
むかし一緒に働いたある賢い人が、私にこう言ったことがある。
「よい仕事をすれば、昇給させることにしている。しかし昇進させるのは、自分の仕事のスケールを大きく変えた者だけだ」
成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。
責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。
うぬぼれやプライドではない。
誇りと自信である。
一度身につけてしまえば失うことのない何かである。
目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。
p231
日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある「燃え尽きた」とは、たいていの場合、飽きたというだけのことである。
たいしたことでないもののために朝出かけるほど、疲れを覚えるものはない。
ほとんどの仕事は繰り返しである。
喜びは、成果の中になければならない。
石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。
仕事に飽きるということは、成果をあげるべく働くのをやめるということである。
目もまた、石臼を見ているに違いない。
仕事から学び続けるには、成果を期待にフィードバックさせなければならない。
仕事の中で、さらには生活の中で、重要な活動が何かを知らなければならない。
それらの活動において何を期待するかを書きとめておかなければならない。
九か月後、あるいは一年後に、成果とその期待を比べる。
そうすることによって、自分は何をうまくやれるか、いかなる能力や知識を必要としているか、いかなる悪癖をもっているかを知ることができる。
成長するための原理 p232
組織に働くわれわれのほとんどが、驚くほど小さな成果しかあげていない。
私は半世紀以上、いろいろな組織の人と仕事をしてきた。
ほとんどの人が、よく働き、いろいろなことを知っていた。
しかし、十二分に成果をあげている人は少なかった。
成果をあげる人とあげない人の差は、才能ではない。
成果をあげるかどうかは、いくつかの習慣的な姿勢と、いくつかの基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。
しかし、そもそも組織というものが最近の発明であるために、人はまだ、それらのことに優れるに至っていない。
成果をあげるための方法は、かつてのひとりだけの工房の時代と、今日のような組織の時代とでは異なる。
ひとりの工房では、仕事が人をつくりあげる。
組織では、人が仕事をつくりあげる。
成果をあげるための第一歩は、行うべきことを決めることである。
いかに効率があがろうとも、行うべきことを行っているのでなければ意味がない。
しかる後に、優先すべきこと、集中すべきことを決めることである。
そして、自らの強みを生かすことである。
成果をあげる道は、尊敬すべき上司、成功している上司を真似することではない。
たとえ私の本であっても、それに載っているプログラムに従うことではない。
自らの強み、指紋のように自らに固有の強みを発揮しなければ、成果をあげることはできない。
なすべきは、自らがもっているものを使って成果をあげることである。
自らの強みは、自らの成果で分かる。
もちろん、好きなこととうまくやれることとの間には、ある程度の相関関係がある。
また、人は嫌いなことには手間をかけないことから、嫌いなこととうまくやれないこととの間には、さらに強い相関関係がある。
アルバート・アインシュタインのような例外はある。
彼は、「シンフォニーで弾けるぐらいバイオリンがうまくなれるならば、ノーベル賞と取り換えてもよい」といっていた。
その彼が弦楽器の名手として必要な技をまったく欠いていた。
日に四時間弾いていた。
それは彼の強みではなかった。
数学は嫌いだといっていたが、天才だったのはその数学のほうだった。
仕事が刺激を与えてくれるのは、自らの成長を期しつつ、自ら仕事の興奮と挑戦と変化を生み出しているときである。
そのような能力は、自らと自らの仕事の双方を、新たな次元で見ることによって増大する。
指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。
そのとき彼は初めて音楽を聴いたという。
その後彼は、上手に吹くことを越えて音楽を創造するようになった。
これが成長である。
仕事の仕方を変えたのではない。
意味を加えたのだった。
自らの成長につながるもっとも効果的な方法は、自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追求することである。
ところが、ほとんどの人が問題にばかり気をとられ、成功の証を無視する。
報告書も、問題に焦点を当てている。
最初のページには、前期の業績不振についての要約がある。
しかしそこには、当初の計画や予算よりもよい成績を記すべきである。
そこにこそ、予期せぬ成功の兆しが現われる。
最初は無視してしまうかもしれない。
「放っておいてくれ。問題の解決に忙しすぎる」。
だがやがて、予期せぬ成功をフォローすれば、問題は自ずと解決するかもしれないことに気づく。
成長のプロセスを維持していくための強力な手法を三つあげるならば、教えること、移ること、現場に出ることである。
第一に、うまくいったことをどのように行ったかを仲間に教えることである。
聞き手が学ぶだけでなく、自らが学ぶ。
第二に、別の組織で働くことである。
そこから、新たな選択の道が開かれる。
第三に、一年に何度か現場で働くことである。
ある医療管理者が、数年前、ストか何かの流行病のために、病棟看護人のひとりとして、一週間ほど働かなければならなかった。
毎日がドラマだった。
学ばざるを得なかった。
真剣にならざるをえなかった。
今日その病院では、年に一週間、管理者はすべて病棟で働く決まりにしている。
成長のための偉大な能力をもつ者はすべて、自分自身に焦点を合わせている。
ある意味では自己中心的であって、世の中のことすべてを成長の糧にしている。
何によって憶えられたいか p234
私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
先生は笑いながらこういった。
「今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
長い年月が経って、私たちは六〇年ぶりの同窓会を開いた。
ほとんどが健在だった。
あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。
するとひとりが、「フリーグラー牧師の質問のことを覚えているか」といった。
みな憶えていた。
そしてみな、四〇代になるまで意味が分からなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったといった。
今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。
これは、自らの成長を促す問いである。
なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。
運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。
p240
産業革命は、家族にも大きなインパクトを与えた。
それまでは、家族が生産単位だった。
農家の畑や職人の作業場では、夫、妻、子供が一緒に働いていた。
ところが工場は、人類史上初めて、働く者と仕事を家から引き離し、職場へ移した。
家には、工場労働者の配偶者が残された。
産業革命初期のころには、年少者が親から引き離された。
家族の崩壊は、第二次世界大戦後の問題産業革命の問題だった。
それは、産業革命に反対する人たちの懸念どおりに進行した。
p254
「先輩がドラッカーを読めという。何から読むか」「もっとドラッカーを読みたいが、何にしたらよいか。自分で選びたい」「ドラッカーはずいぶん読んだ。読み返したいが全体が見えない。大きすぎる」。
数日前のあるパーティでは、ベンチャー企業の社長や、建築の教授から、別々に同じことを聞かれた。
「『明日を支配するもの』を読んだが、次は何を読んだらよいか」
ジョン・タラント、ジャック・ビーティ、ジョン・フラハティーのものなど、ドラッカーについての本が役に立つかもしれない。
ドラッカーについての本、記事、セミナーは、世界中あらゆる言語のものがある。
しかし実際にこれらの質問を受けてみれば、自信をもって答えられる人はあまりいない。
私自身答えられないし、ドラッカーの日本での出版社ダイヤモンド社の編集者も答えに困るという。
「本屋や図書館でよさそうなのを選んでほしい」というしかない。
このようなことは、世界中で起こっている。
そこで私は、ドラッカーに「何かが足りない」と書いた。
ドラッカーの読者にせよ、これから読もうとしている人にせよ、世界中で大勢の人が次に何を読むかのヒントになり、かつそれ自体が面白いという、ドラッカー自身の手による何かが必要である。
私の考えは、ドラッカーのおもな著作三一点を一冊ないしは二冊にまとめられないかというものだった。
彼自身ができれば、それにこしたことはない。
こうしてドラッカーと私は、ドラッカー読者のための道案内として、エセンシャル・ドラッカー・オン・マネジメント(ドラッカー・マネジメント読本)とエセンシャル・ドラッカー・オン・ソサエティ(ドラッカー社会論読本)の二冊を制作することになった。
具体的には、ドラッカーが見、予告し、生み出してきたものの精髄を理解するうえで必須な著作、章、文節を精選し、これにドラッカー自身が加筆、削除、修正を加えていくことになった。
二人とも、作業がかなり面白いものとなるであろうことを予感した。
ところが作業を始めて間もなく、マネジメントと社会のほかにもう一つ、独立して扱うに値する分野のあることに気がついた。
それが一人ひとりの人間に関わる領域だった。
ドラッカーは、人は、社会として機能する社会を必要とするという。
そして社会は、その構成員たる一人ひとりの人間に「位置づけ」と「役割」を与え、そこに存在する決定的権力が彼らにとって「正統」と納得されているとき、初めて社会として機能するという。
これが六〇年前、当時到来しつつあった産業社会への適用、すなわち「産業社会に関わる特殊理論」の確立を目指して、彼が発展させた「社会に関わる一般理論」の骨格だった。
今日彼は、本書付章の「eコマースが意味するもの――IT革命の先に何があるか」の章末にも明らかなように、第三千年紀の冒頭における「知識社会に関わる特殊理論」の確立に取り組んでいるところである。
この六〇年間ドラッカーが、「見るために生まれ、物見の役を仰せつけられし者」(ゲーテ『ファウスト』)として、社会とマネジメントの二つの世界をときに重ね合わせ、ときに交叉させて書いてきたことは、広く知られている。
しかし彼の世界においては、すべての鍵は一人ひとりの人間にある。
関心の中心は常に、自由で責任ある社会における一人ひとりの人間の位置づけと役割と尊厳にある。
それとともに、社会の機関としてだけでなく、一人ひとりの人間の成果と貢献と自己実現のための道具としての組織の機能にある。
そのようなわけで、私たちは社会とマネジメントに関わるものに加え、エセンシャル・ドラッカ・オン・インディヴィデュアルズ(ドラッカー生き方・働き方読本)をまとめることとし、しかも、人類史上最大の乱気流下にあって、今日進むべき道を模索している一人ひとりの人たちのために、それを最初に世に出すことにした。
本書は、一人ひとりの人間に焦点を合わせている。
とはいえ、稼ぎ方の本ではないし、単なるキャリアアップのためのものでもない。
それは「何をしたらよいか」を越え、「自分を使って何をどのように貢献したらよいか」に答えを出そうとするものである。
実に本書は、「何をもって記憶されたいか」を自問せざるをえなくする。
本書は、ドラッカーの著作一〇点及び論文一点からの抜粋である。
本書によってドラッカーの暖かい激励のメッセージを楽しんでいただければ幸甚である。
p260
こうして本書は、あくまでも一人ひとりの人間とそのあげるべき成果、なし遂げるべきことに徹底的に焦点を絞った。
そのため今回は、本書巻末に示したドラッカーの全著作三一点(小説を含む)のうち、一〇点と論文一点、すなわち膨大なドラッカー山脈のうち三分の一を紹介するにとどまった。
私の愛読書『産業人の未来――改革の原理としての保守主義 The Future of Industrial Man』(一九四二年、日本版新訳一九九八年)、経営戦略の古典『創造する経営者 Managing for Results』(一九六四年、日本版新訳一九九五年)、ソニーのCEO、出井伸之会長がいうように断絶の時代にはまだまだ先があるがゆえに、今後数十年は有効であり続けるに違いない画期的なベストセラー『断絶の時代――いま起こっていることの本質 The Age of Discontinuity』(一九六九年、日本版新版一九九九年)など、重要な作品がもれている。
しかし少なくとも、ドラッカーの著作のうち、一人ひとりの生き方、働き方に焦点を合わせたものは網羅した。
読者各位におかれても、次に読むべきものをご自分で選び、楽しんでいただけるようになることと確信する。
続いて訳者として付言したい。
本書は、ドラッカーの全著作中、個人の生き方、働き方に関わる精髄を抜粋、編纂したものであって、全文ドラッカー自身の筆によるものである。
本書の原題は、三部作“The Essential Drucker”の第一巻“The Essential Drucker on Individuals”である。
心躍るものでないはずがない。
ご一読後は、必ずや、読者にとって大事な方々に一読を勧めていただけることを願っている。
本書もまた、世界各国において刊行されることになっている。
日本版については、全体の流れに沿ってすべて訳し直した。
新訳についても例外としなかった。
オーストリア生まれのアメリカ人、永く歴史に残る世界の巨人の著作を編纂するという大それたことを行い、
さらにはそれを各国で刊行するという構想をともに実現してくれたドラッカー教授、ダイヤモンド社の御立英史さん、中嶋秀喜さんに深く謝意を表する。