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「商売の原則」を読んだ

投稿時刻2023年4月23日 06:40

商売の原則」を 2,023 年 04 月 23 日に読んだ。

目次

メモ

p24

私は、かねてから「借金の利息の払えない投資はしない」という戒めを自分に課していました。
ですから、こうした話にも、「すみませんが、金利を払える自信がありませんから」と言って、大して迷うこともなくお断わりをしてきたのです。

この原則は、時代がどう変わろうと通用する商売の大原則の一つだと、私は思います。
別に特別な思いつきでもなんでもありません。
奢らず、謙虚になって商売を考えれば、だれにでも思いつく原則のはずです。
商売のしくみとか、自然の流れを考えて、失敗をしないようにと思えば、当然出てくる原則だと言えます。

p31

もっとも、自分が商売に向いているかどうかを自分で判断するのは、たいへんむずかしい。
中国の俗なことわざに、
「女は自分が不美人であることをなかなか理解しない。
男は自分がバカであることをなかなか理解しない」というのがあります。

要するに、男も女も、うぬぼれが強い。
自分のことを棚に上げて、人のことはツベコベ言いたがるんです。
私の周囲でも若い女の子が、だれぞれさんは醜男だといったりするので、「おまえ、鏡を見て、自分の顔と相談してみろ」とよく言います。
男にもよくいるでしょう。
自分は大した仕事もしていないくせに、上役の悪口をいうのだけは一人前以上だったりします。

p34

二十三歳から三十歳くらいまでは、一種の試用期間のように考えるほうが正しいのではないか。
それがいちばん実情に合っているのですが、日本の企業は、そういう考え方を受けつけない。
結局、就職した側が、自分で試用期間を決めるしかないんです。

私の考えでは、サラリーマンが自分の職業をどの方向に持っていくべきかを選ぶ第二のチャンスは、二十七歳から三十五歳のあいだにあるとみています。
そこで方向転換するのは、かなり勇気のいることですが、このチャンスを逃すと、それ以後は、もう引き返せません。

振り返って考えてみると、事業家になって成功した人たちは、だいたい二十七歳から三十五歳までのあいだに、脱サラをしています。
小林一三さんは、たしか三十六歳だったと思いますが、ギリギリに近い年齢から出発して、あれだけの大事業家になったのは、ちょっと珍しい例です。

その意味でいえば、四十歳はラストチャンスです。
限度といってもいいでしょう。
四十歳以上の人が私のところに相談にきたときは、たいていやめるようにすすめています。
五十を超えた人もきますが、その年まで一つの会社にがまんして勤めていたというのは、商売をやる才能がない証拠でもあるんです。

ですから、私は、がまんのしついでに、定年まで勤めたらどうですかとおすすめするんです。
よほどの例外をのぞいて、四十を超えたら、新しく商売を始めるのは無理と思っていいでしょう。

”商い”は”飽きない”、最初にうまくいくと、ロクなことはない p37

また、商売を始める時期をしきりに計算する人もいます。
一年のうちで、十二月がいちばんお客がはいるから、十一月ごろに始めるのがいいとか、
あるいは、十月ごろ始めて、十二月のピークに合わせるようにすべきだとか、いろいろ考えたがるんです。

しかし、私に言わせれば、「商い」というからには、一年じゅう「飽きない」でやらなきゃいけないんです。
いつがいいとか、何があるからいいとか、そのときだけを狙うのは、まちがいだと思います。

オリンピックがあるから、あるいは、万博があるからホテルを建てる。
ホテルは、オリンピックや万博が終わったあとでも、残っています。
そのときだけお客さんがきても、商売にはなりません。
そんなお祭りとは関係なく、客がこなければいけないんです。

商売でいちばんたいせつなのは、それが将来、見込みのあるものかどうかであって、始める時期は本質的な問題ではありません。
見込みのある商売なら、いつ始めてもいいのです。

商売を始める “きっかけ” をどうつかむか p40

一人の人間にできる仕事の範囲は、たいして広くはありません。
孫悟空が十万八千里を飛んでも、結局、釈迦如来の掌から出ることができなかったという話があるでしょう。
それと同じようなところがあって、世の中にはいろんな商売があるように見えるけれども、案外、遠くへ行けないものなんです。
神さまから見たら、小さな枠のなかを動いているだけなんですね。

雑貨の問屋に就職した人は、その周辺をウロウロしているし、いっぺん工作機械の仕事をした人は、そこから簡単には抜け出せない。
電算機でも、自動車でも、みんな同じです。
これは、人間そのものの弱点ともいえるのですが、商売を始めるには、やっぱり、"きっかけ"が必要なんです。
何をやるにしても、一つのきっかけから発展していくわけですから、そんなに遠くへ行くことは、まずないといっていいのです。

では、そのきっかけをどこでつかむか。一つは、自分がそれまでにやってきた仕事の周辺に、仕事があるかどうかを考える。
もう一つは、それまでの取引先に、べつの品物を売り込むことができるかどうかを考える。
脱サラをした人には、こういう展開の仕方が多いんです。

それとはべつに、人間関係からも、きっかけが生まれてきます。
新しく事業を始めようとする人に誘われることが多いのです。
相手は、同じ会社の先輩だったり、取引先の社員だったり、親類の人だったりする。
バーで知り合った人に誘われて、会社をやめることもあるでしょう。

商売に、あせりは禁物 p46

三年後か五年後と言いましたが、商売というのはおもしろいもので、始めたからといってすぐうまくいかないのがふつうです。
どんな商売でも、かならずモタモタするんです。

たとえば食べもの屋の場合、最初はワーッと客がくるけれども、すぐこなくなります。
いったいどうなるのかと心配しながら商売をつづけているうちに、
今度は、レンガを一枚一枚積み上げて塀ができるように、すこしずつお客がついてくるものなんです。

ところが、あるとき、また客が減る。
しばらくすると、またジワジワとふえてくる。
それを何回かくり返すうちに、だんだん、これはなんとか、商売として成り立ちそうだなあとわかってきます。
最初のうちは五里霧中だから、何もわかりません。
浮き沈みを何度か経験すると、要領をおぼえてくるわけです。
また、ものごとには、法則みたいなものがありますから、だんだん商売の骨組みができあがってくる。
それには、だいたい三年から五年ぐらいかかると考えたほうがいいでしょう。

p49

もともと、アイデアはあるけれど、コネがないから紹介してくれと頼むこと自体がまちがっているんです。
名もない人間が飛び込みでデパートの担当者を訪ねても、追っ払われるのがオチだと尻込みしている。
しかし、ほんとうにいいアイデアなら、未知の人だろうがだれだろうが、説き伏せる自信がなくてはならないんです。

商売の資金だって同じです。
資本家のほうも真剣ですから、そうそう簡単にはお金を出しませんけれども、向こうも儲けるのが商売です。
これは、お金を出すに値するアイデアかどうかは、ちゃんとわかってくれるんです。
アイデアに魅力があれば、お金もゾロゾロついてきます。

だから、私は、いつもいうんです。
お金があるから商売が始まるんじゃない、お金が儲かるタネさえあれば、商売は始まる、と。

p51

ベンチャービジネスの本を読んでも、成功者のほとんどが、
最初は、自宅の車庫を事務所にしたとか、親戚や友人の事務所の机だけ借りたとか、そんな程度なんです。
つまり、お金がきちんとそろってから商売を始めた人は、まずいないんですね。
将来、見込みのある仕事を見つけるのが先であって、お金はあとまわしなんです。

たしかに、アイデアさえ優れていれば、お金はついてくるけれども、自己資金ゼロというのも困るんです。
絶対ダメといってもいいでしょう。
ゼロの人は、だれも信用してくれないんです。
そこが商売のむずかしさでもあります。
かりに三千万円の資金が必要な場合、全部を自己資金でまかなえれば、いちばんいいんですけれども、なかなかそうはいきません。

そば屋のツケをためる人には、誰もお金は貸さない p57

中国では、友人同士でお金の貸し借りをするとき、ほとんど借用証をつくらない。
そんなものがあっても、本人に返す意思がなければ同じだという考え方なんです。

一、二回は催促しますけど、相手が返しそうもないとわかったら、もうあきらめてしまう。
告訴するぞ、なんておどかしたりしないんです。
相手が約束を守れない人間であることを見抜けなかった自分が悪いんだ、あんな男とは二度とつき合うまいと考える。

その次に相手と会っても、面罵したりしない。
そのかわり、知人に、あの男は約束を守らないとふれまわる。
借金した男は、いたく信用を失墜するわけです。

ある意味では、面罵するより陰険な仕返しといえそうですが、
口約束を守ることで成り立っている社会秩序を維持するためには、必要な手段なのかもしれません。

甘い計算が失敗のもと p64

商売を始めるときは、だれでも計画を立てるわけですが、その立てぐあいによって、
私などから見れば、この人は堅実な人か、自信過剰な人かがわかります。
はっきりいえば、成功する人か失敗する人かさえもわかることがあるのです。

みんなお金を儲けたいから、商売を始めるわけでしょう。
夢を持つのはけっこうなんですが、つい計算が甘くなるのが問題なんです。
たいせつなのは、うまくいくことを計算するのではなくて、うまくいかなかったことを計算しておくことだと思います。

p72

だんだん経験を積んでからは、やはりパートナーになるような人の選び方があるんだなということがわかってきました。
いろいろな事業を広げて成功した人を見ていると、自分の子分みたいな人がいっぱいいて、
何か事業をするときは、そのうちのだれかに任せていることが多い。
中国のことわざに、「兵を養うには十年かかるけれども、使うのは一時期」というのがあります。
仕事のパートナーも同じで、ふだんから、養っておかなければいけないんです。

p73

商売を始めるにあたって、経営コンサルタントと称する人のところへ相談に行くのは、金と時間のムダと考えていいでしょう。
理屈は知っていても、実際の商売については、ほとんど知らないからです。
知っていれば、実行して儲けているはずです。

p77

そういう意味では、その商売を経験して成功している人の意見には、耳を傾けるべきだと思います。
自分の目で見て、この人はよくやっている人だとか、尊敬できる人だとか、
この人のいっていることには賛成できるとか、そういう人がいれば、いちばんいいですね。

しかし、その人の意見を全面的に信用してはいけないんです。
私は、新しい仕事を始めるときに、いままで、その仕事をしてきた人の話を多少は聞きますが、その人のいうとおりにはやらないんです。
そのとおりにやれば、同じことをやるわけですから、独創性がないでしょう。

いまの世の中は、どんな商売も過当競争をしている。
そこへ割り込んでいくには、いままでになかった新しいアイデアでやるか、
新しい販売ルートを築くか、いままでになかった新しいサービス方法を編み出すか、
要するに、新機軸を発揮しなければダメなんです。

その新機軸は、その道の先人が持っているはずがない。
持っていれば自分でやっていますよ。
だから、私はなるべくシロウト流でいこうという考え方なんです。

何をやるにも、二〇パーセントの創意工夫が成功のキメ手 p79

大ざっぱにいって、何をやるにしても、全体の八〇パーセントぐらいまでは、既成の常識が役に立つんです。
残りの二〇パーセントは、自分が考えるしかない。この二〇パーセントの創意工夫が、成功するかどうかのカギを握っているわけです。
そこがひじょうにたいせつなんですね。

そのへんをしっかり認識したうえで、弟子入りして勉強するのは必要なことだと思います。
たとえば、喫茶店をやりたい。
自分が考えている喫茶店に似ている店があったら、夕ダでもいいから働かせてくれと頼みに行く。

p86

なぜ美人がいけないかといいますと、美人であると、人にチヤホヤされやすいので、つい自分の力を過信してしまうんです。
また、美人はスポンサーがつきやすいから、男のいいなりになるおそれがある。
もう一つ、美人というのは、ほかの女の人に嫉妬されるんです。
女の人相手の商売をする場合、これがてきめんにひびいてきます。

不美人なら、色気で商売しようなんてことは考えないから、自分の持てる力を出しきって、一生懸命働くしかない。
こういうと怒られるかもしれませんが、商売に成功した女の人は、みんな不美人ですよ。
水商売でも、美人はダメなんです。
サービスされるのが当たりまえと思っているから、客にサービスしなくなるんです。

p122

このように宣伝のやり方にもいろいろありますが、商品や業種によって、その方法は変えていかなければなりません。
また、宣伝だけが先行して内容のともなわない商品や商売はけっして長つづきはしません。
その意味でお客さんは正直なものです。
自分が納得できないものは絶対に支持してくれません。
逆にいいとなれば、こちらが頼まなくても宣伝してくれる。
いわゆるクチコミというやつです。

ほんとうは、最高の宣伝がこのクチコミなんです。
クチコミ以上に強力で効果のある宣伝はありません。
私の考えでは、最初から派手にアドバルーンをぶち上げるよりも、クチコミによってジワジワと客がふえてくるほうが商売としては健全だと思います。
必要以上に宣伝などに神経を使わず、商売の中身を充実させること、実力をつけることに全力を傾けるほうがたいせつだといえるのです。

社員を雇うポイントは、能力よりも忠誠心 p124

人を雇う場合のポイントですが、経営者になった以上、従業員に全部やめられても何とかやっていくだけの覚悟が必要です。
大企業はともかくとして、私たちが始めるような中小企業では、従業員の定着率がひじょうに悪いのが現実です。

私の知っている喫茶店の経営者も、ラーメン屋のオヤジさんも、同じように頭を痛めているのは人が居つかないということなんです。
私の経験からいっても、いまの若い人はすこししんどい目にあうとすぐにやめてしまう。
二、三日でやめてしまうのは論外だとしてだいたい七ヶ月から一年ぐらいがヤマです。
この時期にやめていく人がたいへんに多い。
逆に、三年間やめないでいてくれた人はかなり長つづきするんです。

それから、年齢的には三十歳ぐらいが一つの節目になる。
三十歳をこせば定着率は高くなりますが、二十代の前半はいつフラリとやめられてしまうかわからない。
だから、経営者は急に従業員にやめられても、ショックを受けないだけの心の準備が必要なんです。

私は人を採用するとき、頭のよさや能力のあるなしより、忠誠心が強いかどうかという点を重視します。
人はだれでも、最初から、将来自分の片腕になるような人材をとれるわけじゃない。
どんなに頭のよい人間でも、仕事ができる人間でも、入社させてから教育する必要があります。
それならば、変に色がついている人間よりも、白紙の人のほうが教育のしがいがあると考えるのも無理はありません。

銀行の信用を得るための第三のポイント生活を質素にすること p139

銀行とうまくつきあう最後のポイントは、自分が質素な生活をしていることを銀行に十分納得させることです。
これはかなり瑣末なことのようですが、たいへん重要で、また基本的なことなんです。
というのも、あまり派手な生活ぶりを見せると、相手は、融資金の元手のほうにも食いこんでいるんじゃないかと心配しますよ。

以前、私は、自分の車をトヨタからジャガーに乗り換えようと考えたことがあります。
そのとき、ある銀行の業務部長をしている友人に、「それはやめたほうがいい」と忠告されたことがあります。
「私はつねづね支店の連中に、でっかい車に乗ってくるやつには金を貸すなといっている。
そんな連中にかぎって大口を叩くくせに、きちんと金を返さないものだ。
金を貸すのは、ちゃんと質素に身分相応の生活をしている人だけにしろ」

その後、私はロールス・ロイスに乗り換え、もうこれで四台目になりますが、
一般的にいえば、彼の言い分は正しいといえるでしょう。

p141

信用金庫は、自分の"ふるさと"を持っているんです。
地元ということですね。
これは、地域に密着しているということでしょう。
具体的にいえば、その金融機関の人間が、地元の人たちと、
商工会議所なり、商工会なり、法人会あるいは、ライオンズクラブやロータリークラブを通じて親密につながっている。
ですから、キメの細かいサービスも期待できるんです。

p144

これを逆にいうと、親から商売を受け継いだ子どもは、むしろ親とちがったことをしなくてはいけないということになります。
経営方法一つとってみても、親のやり方をそのまま踏襲するばかりでは、いずれ時流に合わなくなります。
いまの世の中はことに動きが激しいですから、旧来のやり方オンリーではなかなか通用しないのです。

その意味で、後継者たる者は、親から受け継いだ商売を守るというのではなく、
つねに発想の転換というか、攻撃的な姿勢を打ち出す必要があるでしょう。

近ごろは、地方都市へ行ってみても、昔からの商売を守って成り立っている店はひじょうに少なくなった。
いま生き残っているのは、親とは別の商売を始めたとか、経営方法をまったく新しいスタイルに切り替えていったとか、そういう店がほとんどです。

そもそも、地方都市の商売にはつねにある一定の原則が働いているのですが、
その一つは、地元で商売をやって大金持ちになる人間は少ないということです。
金持ちは、みんなよそ者なんです。
ちょうどホステスやトルコ嬢などと同じで、自分の生まれ故郷でガツガツ金を稼ごうとはだれも思わない。

というのも、商売には"恥をしのんで"という面もあるし、また競争関係に立って、お互いに気まずくなる面もあるからです。
私の経験でも、土地の成功者に会って「この町のご出身ですか」とたずねると、たいてい「いいえ」という返事がかえってきます。

この成功者が次の子どもの代になると、今度はまたよそから一獲千金の志を持ったライバルがはいってくるので、
土地の人間である二代目はひじょうに商売がしづらくなる。
結局、親の代からの商売を捨てて、新しいことを始めた人がかろうじて残っているのです。

昔ながらの商店街が衰退したのは、冒険心がなくなったからだ p145

たとえば、日本でもっとも古い伝統をもつ商売といえば、造り酒屋であり、材木屋であり、
宿屋、しょう油屋などでしたが、それが今日では、ガソリンスタンドなり、土建業なり、結婚式場なりに形を変えて生き残っています。

親の代まで材木屋だった人が、その町の市会議員だったりすると、
役所に対して発言力があるというので土建屋を始めたり、広い土地を持っているからというのでホテル業を始めたりするわけです。
また、町の人間がみんな車を持つようになれば、酒よりはガソリンのほうが売れますから、
酒屋がガソリンスタンドの経営を始めたりするんです。

息子に、自分の跡を継がせようと思うな p147

二代目、三代目の経営がむずかしいというのは、なにも小規模な商店経営にかぎった話ではありません。
何百人、何千人の社員をかかえる中企業、大企業についても、これと同様のことがいえると思います。
大型倒産として、当時大きな話題になった永大産業なども、規模としては立派な大企業ですが、
やはり、親から子への経営のバトンタッチがうまくいかなかったことが、悲劇の原因です。
それよりは自分勝手にやらせることです。
どうせ、大望を抱いて世の中に出ていろいろ仕事をしてみたって自分の思いどおりにいくはずはなく、
いつかきっと壁に突き当たるんですから、いっぺん思いきり壁に頭をぶつけさせればいいのです。
そうすれば、息子のほうもだんだんあきらめの境地になって、親父の仕事を継いだほうがまだ飯が食えるかなと、考え始めるかもしれない。
そんなとき、「おまえ、跡を継がんか」とちょっと声をかければ、けっこううまくいくものなんです。

p152

こうなると、むかしの繁華街で商売をしていた人たちは当然苦境に追い込まれます。
人通りもガクンと減るし、売る商品にしても、いまではスーパーに行けばなんでもそろっているからいっこうに売れない。
また、店を他人に貸そうとしても、地価が高くなっているので、安い家賃というわけにもいかず、これも思うにまかせない。

そこで、何かほかにいい商売はないものかと考えていた矢先に、「いまこんな商売が大当たりしている」という話を耳にする。
すぐ、それに飛びついてしまうのも人情というものです。
なかでも弁当屋などは、十坪もスペースがあればすぐに商売が始められますから、
われもわれもと店を出し、ハッと気がついたら、もう通りに十軒も並んでいたなんてことにもなりかねません。

p156

日本にも、むかしから"のれん分け"というチェーン店みたいなシステムがありました。
そばの更科に勤めていた職人が一人前になると、
主人が、おまえもそろそろ一本立ちしないかといって、同じ更科というのれんで店を出させてやる。

その場合、資金の援助はしてあげるけれども、勘定も仕入れも全部べつで、
店が繁盛するもしないも、その独立した人の才覚に任せます。
儲けの上前をはねたりはしません。

そのうちに、もう一つ、べつの方式が出てきました。
一軒店を出したら成功したので、もう一軒出して、主人がいちばん信頼している従業員に新しい店を任せる。
そこが成功すると、また、もう一軒出す。
会社の支店と同じです。
支店だから、勘定は本店が統轄するし、仕入れの面倒もみる。
鮒忠なんかは、わりあい早くこの方式で店を広げていきました。

マクドナルドのようなアメリカ式チェーン店は、こうした日本式のチェーンとはちがいます。
店を経営するのはだれだろうが、同じノウハウでハンバーガーを売ることができるんじゃないか、
その売上げからピンハネすればいいという発想が基本になっています。

p158

本場のアメリカにくらべて、日本側に軍配が上がるのは、サービス面だと思います。
どこのチェーン店も、お客さんに対するサービスについてはかなり熱心に訓練するんです。

すかいらーくの社長なんかは、「うちは教育産業です」と言っていました。
やめた従業員も入れれば、何万人も人を使っているけれど、サービス教育ばかりやってきた。
うちは、ものを売る商売なのか、店員を教育するのが商売なのかわからないというわけです。

p189

いずれにしろ、デパートでも街でも、人の流れの変化をつかむには、問題意識を持って足まめに出かけることです。

しかし、いつも同じ街、同じデパート、同じレストラン、同じ喫茶店というのでは、見えるものも見えてきません。
三回に一回は、ちがった街、ちがった店を新規開拓しなければ、新鮮さがなくなります。
そうしているうちに、しだいに人の流れを敏感に察知するアンテナができてきて、
売れる商品を先取りする商売感覚が身についてくるんです。

p191

世の中が変わっていくなら、その変化をうまく利用して、
新しい商品や新しい商売のやり方を先取りしていくのが、成功できる商売感覚というものです。
そのためには、世の中のどのへんに目をつけていればいいのかということになりますが、基本は"商売はサービス業だ"という発想だと思うんですね。

サービス業という言葉で、これまでのいわゆる既存のサービス業を連想してはいけません。
極端にいえば、農業や工業に従事している人をのぞいた残りは、全部がサービス業といっていい。
農業は現在、日本の就業人口の一割前後。
工業にしても、就業者の数はこれからどんどん減っていくでしょう。

シルバーランチは、なぜ大当たりしたか p194

三番目にたいせつなことは、目先のことよりも、
もっと高所から、世の中がこれからどういう方向に変化していくかに目をつけることです。

商売のやり方を、世の中の大局的な流れを見定めたうえで、変化していく方向に合わせていくことが肝心なんです。

いま、日本の国は、一つは成熟化社会、一つは老齢化社会、もう一つは国際化社会というところに動いています。
日本の国を洗っている三大潮流といっていいと思います。

この三大潮流の中の一つに合っても商売ができるし、二つに合ったらもっといい商売になる。
三つ合えば、たいへんなアイデア商売が生まれるのではないでしょうか。

早い話が、そういう世の中の大きな流れに棹をさした形で商売ができるような商品なり商売のやり方が見つかれば、財をなします。

あるデパートのレストランでは、"お子さまランチ"だけじゃなくて、老人向けの"シルバーランチ"を置いたら、それが大当たりした。
ひとむかしまえだったら、老人などお客のうちにはいらなかったんですから、やはり、老齢化社会がだんだんと世の中に浸透しつつある証拠だと思います。

じつは私も、十何年かまえにある本の中で、成人病を患っている人のためのレストランなりメニューなりをつくったらいいと書いたことがあります。
たとえば、糖尿病の人とか胃かいようの人なんかは、ランチを食べようと思っても、自分の体の具合に合うメニューはなかなかない。

丸の内とか銀座、虎ノ門といったビジネス街で食べられる昼飯といえば、丼物やそば、定食といった類いがほとんどで、
コレステロールや塩分に対する配慮はまったくない。
いまはどこでも自然食や健康食品を売っていますが、レストランでそういう専門店に類するものはまだできていません。

”二匹目のドジョウ”の狙い方 p197

"二匹目のドジョウ"という言葉は、ふつうあまりいい意味には使われませんが、
成功するための商売感覚という点では、二匹目のドジョウを狙うやり方は、バカにできないと思います。

私の台湾のビルの一階にはカフェテリアで結構繁盛している店があるんですが、そこに台湾でも有名なお店の社長がお客のような顔をしてやってきた。
コーヒーを飲みながら、ポケットから巻き尺を取り出して、テーブルの高さや椅子の大きさを測っては、一生懸命にメモするんです。

それから何ヶ月かして、別のところに新しいカフェテリアが開店したのですが、
驚いたことには内装やテーブル、椅子のつくりや大きさまでそっくりなんです。
「これはまずかったかな」と思っていた部分まで、瓜二つにマネているのには苦笑させられました。
しかし、それでも結構繁盛していましたから、つねに独創的でなければならないということはありません。

ただ、一般的にいえば、二匹目のドジョウはよいとしても、
三匹目になると、つかまえたいという人のほうが、ドジョウの数より多くなりますから、つかまえられない人のほうが多くなる。
小僧寿司がヒットしたときに、似たようなチェーン店ができましたが、
一時的に本家本元をしのぐような勢いを見せても、最終的には過当競争に生き残れませんでしたからね。

p203

似たような発想をしていけば、意外性のある商売の新機軸がどんどん生まれてきます。
小は八百屋、美容院から、大はスーパー、商社まで、商売の大小にかかわらず、異業種に学ぶというやり方は、だいじなポイントになります。

ちょっとしたヒントが大きくふくらんで、業界の既存の商法にとって脅威となることだって多々あります。
異業種の業界の動きにたえず気をつけておくこと、友人を持つ場合でも、できるだけ多くの異業種の友人を持つことを心がけるべきでしょう。

”有無相通じる”のところに商売は成り立つ p223

多くの金儲けのチャンピオンが、一生かかっても使いきれないだけの財産をつくっても、
なお金儲けをやめようとしないのは、金儲けに推理小説を読むような、あるいは麻雀をやるようなスリリングな楽しみがあるからなんです。

金儲けのおもしろさとは、その果実を得ることだけではなくて、そのプロセスにあるということだと思うんです。

もちろん、世の中には自分の財産や事業そのものを巨大化することを目標にしている人もいます。
一生、金儲けを目的として、せっせと稼いで、何十億円、何百億円のお金をつくる。
しかし、いくら金が貯まったからといって、世界中の金を全部集められるわけではなし、
苦労して貯めたお金も、現代の税制のもとでは、本人が死ぬと同時に再分配されて、霧消してしまうのがオチです。
だから、いくら金を儲けたとか、いくら儲けるまでやめないとかいった、
いわば"守銭奴"的発想は、現在、それだけでは人生の目的たりえないと思うんです。

商売のことを"有無相通ずる"ことと解釈することができます。
たとえば、米や野菜は 
農村にはあり余るほどあって安い。
町には欲しい人がいくらでもいるのに、ものがないので高い。
そこで、あるところのものをないところに持っていって売る。
それが商売でした。

この考え方は、じつは、いまもむかしと基本的には変わっていません。
ただ、"有無相通ずる"といったときの距離感が、いろいろな交通機関の発展とともに、だんだんと広がっていったと思うんです。

いまではどこの国も世界的スケールで商売をするようになりましたから、
世界的に"有無通ずる"というのが、一つの商売として成り立つようになった。
商社などはその代表的なものだと思います。

もう一つ、むかしの商売といまの商売の大きな違いは、付加価値の創造が商売を成功させる大事なポイントになってきたということです。
もともと、商売というものには、ほかの職業に比べて、プラスアルファの要素が大きかった。
よくいえば知恵を働かせる余地が多かったし、悪くいえば悪知恵を働かせて、人から金を巻き上げることもできたわけです。

その典型が問屋で、問屋はものを仕入れて小売り屋に卸すだけなんですが、
メーカーに対しても、小売店に対しても、"そうは問屋が卸さない"という言葉に象徴されるように、絶対的な権力を持っていました。

ところが、いまでは大手スーパーが問屋よりも力を持っている。
問屋を介さないで製造から販売まで直結するという商売が成り立っている。
製造も流通も販売も、顧客に対するサービスも、すべてが商売ですが、どこまでが工業でどこからが商業だといった、伝統的な区分がなくなりつつあります。

金儲け全体が一つの流れで、その流れの中で一番おいしい部分というのがあるんですね。

ですから、今日の商売には、ますます知恵を働かせる部分がふえています。
それだけ金儲けのタネは尽きないということです。

しかし、同じものに目をつけても、儲かる人と儲からない人がいる。
そのちがいは、金儲けのコツみたいなものを心得ているかどうか、というちがいから出てくると思うんです。

お客を喜ばせられなかったら、 商売はうまくいかない p225

金儲けがうまい人は、どんな商売をやれば人から感謝されるか、また歓迎されるかを本能的に知っています。
実際、ある商品がよく売れるという現象の背景には、
お客の気持ちの中にこれを買うと役に立つ、得になる不便を片づけてもらえる、楽しい、というようないろいろな要素があります。

どれ一つをとっても、みんなに満足感を与えます。
でなければ、だれもお金なんか払ってくれませんよ。

ですから、商売とは何かというのを別の面から見ると、
みんなに感謝されること、みんなから「助かった」「不便を解決してもらった」といって喜ばれること、
そういったことを提供することによって、報酬を得ることではないかと思うんです。

最近では、金の儲かったことが、社会に貢献したバロメーターみたいになって、
「あの人お金儲かっていいなあ」というやっかみがある一方で、
「あの人も相当世の中のために頑張ってるな」という気持ちが、隣り合わせみたいな感じであるのではないでしょうか。

商売でお金が儲かるということは、一種の社会奉仕の報酬みたいなものです。
金儲けをしようと思ったら、お客さんを喜ばせることがいちばんなんですね。

おもしろくなければ、商売ではない p226

しかし、お客さんだけが喜んでも、商売をしている当の本人が楽しんでいなければ、本物ではありません。

私の場合、商売人というよりは、どちらかというとプランナーとか、
プロデューサーという立場なんですが、実業界における新しい方向づけをやったり、
どういう商売が金儲けになるかということを追っています。
そういうことについて、人の相談にのるのが私のコンサルティングであり、
本に書くのが私の著作活動であり、テストプラント的にやってみたのが私の事業なんです。

ですから、これは金儲けというよりも、楽しみなんですね。

世の中には、「金儲けは生きていくための必要悪だ。おもしろくもないけれど、やむな働くんだ」という考え方をする人もいます。
そういう人は、働くのが苦痛で、五時近くになると五分ごとに時計を見るということになります。

こういう人では、脱サラはとてもできません。
脱サラをすると、収入は倍になりますが、仕事量はサラリーマンのときの三倍になります。
だから、金儲けをしよう、三倍も仕事をしようというんだったら、仕事そのものがおもしろくなければやっていけないんですね。

私は、これからをしようという人に、「毎日自分が使っている時間が短く感じられるようなきがしなさい」と忠告しています。

「これはほんとうにおもしろい」と夢中になって、ふと時計を見たら、もう真夜中になっていたといった仕事を見つけることです。

そういう仕事であれば、自然に創意工夫が発揮できて、商品もよく売れて金も儲かる。
金が儲かるからますますおもしろくなって、ますます仕事に馬力がかかる。

これが儲かる商売のパターンなんです。
仕事というものは、自分でつくっていくのでなければとても大きくなりません。
とにかく、これから商売をやろうという人も、現に商売をやっていて、
もっと儲けたいと思っている人も、「商売と金儲け」を、以上のように考えてやっていけば成功するチャンスは広がると思います。