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「最高の体調」を読んだ

投稿時刻2024年1月13日 22:30

最高の体調」を 2,024 年 01 月 13 日に読んだ。

目次

メモ

p14

狩猟採集民の食事に近づくべくジャンクフードやスナック菓子のような加工食品をやめ、パンや白米といった精製穀物の量もできるだけ削減。
代わりに野菜と魚の量を増やし、間食はゆで卵で代用し、食物繊維が豊富なサツマイモを主食にしました。

すると、2ヶ月ほどでビールと酒で肥えた腹は引き締まり、それまで昼過ぎには睡魔に襲われていたのが、夕方過ぎまで集中力が保つようになったから驚きです。
生来のハウスダストアレルギーも改善し、QOLは大きく改善しました。

気を良くした私は、さらに運動を取り入れました。

1日に最低1時間は早歩きのウォーキングを始め、心肺機能が改善したところで筋トレもスタート。
現在は自然のなかで1日2~3万歩のウォーキングを目標にしつつ、週3のペースで筋トレを続けています。

運動がもたらした変化もまた、劇的でした。
腹はうっすらと6つに割れ、いくら寝ても取れなかった疲労感が消え、血液検査ではコレステロールの改善が確認され、仕事の生産性も向上したのです。

「文明病」が心と体を蝕んでいく p20

1995年、ワシントン州の牧師、ボブ・ムーアヘッド氏は、「現代の矛盾」というエッセイを発表しました。

『私たち人間は、長大なビルを作りあげたが、いっぽうで気は短くなった。
道路を広くしたわりに、視野は狭くなった。
お金を使っても身につくものはなく、ものを買っても楽しみは少ない。
家は大きくなったが、家族との関わりは小さい。
便利になったのに、時間はない。
専門家が増えても、それ以上に問題も増えた。
薬は増えたのに、健康な人は減った。

私たちは、酒を飲みすぎ、タバコを吸いすぎ、時間をムダに過ごし、
少しか笑わず、毎日を急ぎすぎ、怒りすぎ、夜更けまで起きすぎ、目覚めたらすでに疲れている』(一部を抜粋して要約)

p23

もっとも典型的な例は「肥満」です。
アメリカ疾病管理予防センターによれば、1950年代の肥満率は10%を下回るレベルだったのが、2010年代には35%まではね上がっています。
さらに1890年代までさかのぼれば、この時代は肥満そのものが珍しかったため、相撲取りなら小結ぐらいの体型でも「異常者」として扱われ、見世物小屋で働かされたとの記録もあるほどです。
ここまで肥満が普通になった理由は、もちろん社会が豊かになったからに他なりません。
食料の大量生産と価格の低下により、現代人はかつてないレベルのカロリーを摂取しています。
この点に疑問の余地はないでしょう。
しかし、ここで思考を止めてしまえば問題は解決しません。
「食べ過ぎは止めよう」「運動でカロリーを使おう」といった、月並みの対処法にたどりつくだけです。

p25

進化医学から見ると、「肥満」は次のような解釈になります。

第一に、古代の環境には食料の保存や流通のシステムがないため、カロリーはもっとも貴重な資源です。
そのなかで進化した人類は、自然と高カロリーな食事を好むように脳を作り変えてきました。

肥満研究の第一人者であるブルース・キング教授は、2013年のレビュー論文にこう記しています。

「人間の消化器系・感覚(味覚と嗅覚)・脳の食欲中枢は、およそ200万年前に発達した。
これらの機能は、古代の狩猟採集民たちが暮らした環境に適応している。
ほとんどカロリーが低い食品しかなく、食事にありつけないことも多かった時代だ。
そのため、私たちの脳の報酬系は、できるだけカロリーの高い食べ物を探すように進化した。
ところが、現代の先進国に住む人間は、食料の豊富な『肥満環境』に生きている」

人類に備わった生存システムが現代の豊かな環境ではうまく働かず、古代ではあり得なかった「肥満」という現象が現れた、というわけです。
この人類の進化と現代のミスマッチが進化医学の根幹になります。

残念ながら、この知見から「肥満」の明確な解決策が生まれるわけではありません。

しかし、もともとヒトはハイカロリーな食事を好むように設計された物なのですから、少なくとも意志の力だけで「肥満」に立ち向かうのが時間のムダだということはハッキリするでしょう。
「環境」をどのように変えるかは各自の判断によりますが、正しい方向を目指すコンパスにはなるはずです。

p27

実験に参加したヒンバ族は、いまも狩猟採集の暮らしを送る伝統的な部族です。
2000年前からライフスタイルが変わっておらず、牛の放牧や根菜類の収穫をしながら生活しています。

リンネル博士がチェックしたのは、集中力と認知コントロール能力の2つ。
心理学の実験では定番の「フランカー課題」などを使い、いかに不要な情報に気を取られることなく、ひとつの対象に意識を向け続けられるかを調べたのです。

その結果は、長らくナミビアで調査を続けてきたリンネル博士も驚くほどでした。
ヒンバ族の集中力は、ロンドンの若者にくらべて約40%も高かったのです。
心理学の集中力テストで、ここまでの差が出るケースは多くありません。

その理由についてリンネル博士は、「都市に住む者は扁桃体が過敏になるからだろう」と推測しています。

扁桃体はヒトの脳に備わった警戒システムで、身の回りに危険が迫ると活性化し、緊急事態に備えるよう体に指令を出します。
緊張やストレスのせいで神経が過敏になるのは、扁桃体のアラーム機能によるものです。

この警戒システムは、およそ600万年前のサバンナで形作られました。
遠くから聞こえる猛獣の声、目の前の茂みに潜む謎の生物、他の部族による不意の襲撃など、古代の環境に特有の危機に対応するために進化してきた年代物のシステムです。

おかげで私たちの扁桃体は、しょっちゅう誤作動を起こします。
サバンナにはなかった高層建築やテクノロジーにおびえ、夜も輝き続ける灯りにとまどいを覚え、狩猟採集の暮らしではあり得ない大量の情報に混乱を起こす……。

現代人の扁桃体はつねにスイッチがオンの状態であり、その結果として、どうしても集中力は分散してしまいます。

その代表的な例が、2017年にテキサス大学が行った実験です。
研究チームは520人の学生に単純な作業を命じると同時に、目の前に電源を切ったスマホを置いたグループと、スマホを視界から遠ざけたグループの2つにわけ、どちらのほうが集中力が持続するかを確かめました。

結果は、スマホを近くに置いたグループの惨敗でした。
完全にスマホの電源は切った状態だったにも関わらず、もうひとつのグループにくらべて、学生の集中力は半分に減ってしまったのです。

p33

そのころの私は、とある出版社の社員として、ほぼ不眠不休の暮らしをしていました。
月の残業は100時間を超え、家には週1で帰れれば良いレベル。
会社に寝袋を持ち込んで明け方まで作業を続け、近所のコンビニで店屋物を食べながら30代に入ります。

当然ながら体はブクブクで、体調も仕事のパフォーマンスも下がっていくばかり。
年収が200万円台まで下がったうえに、生まれつきのアレルギーも悪化を続け、月に一度は高熱で病院のお世話になっていました。
この時に何もしなければ、いまごろはジリ貧状態だったでしょう。

が、ここから私は進化医学をもとにライフスタイルを変えていきました。
ここでベースになったのは「パレオダイエット」です。

パレオダイエットは「旧石器時代の食事法」という意味で、進化医学のアイデアを使ってライフスタイルを組み替えていくテクニックです。
近年ではプロバスケの世界などで実践者が増えた以外にも、ミーガン・フォックスのようなハリウッドスターやビル・クリントンのような政治家にまで裾野が広がっています。

p46

いっぽうで、狩猟採集民の炎症レベルはどうでしょうか?
1989年、人類学者のスタファン・リンデベリ氏は、パプアニューギニアで暮らすキタヴァ族のフィールドワークを行いました。
キタヴァ族は、漁獲とイモ類の栽培で暮らす伝統的な部族で、いまの地球上でもっとも旧石器時代のライフスタイルに近い暮らしをしています。

調査の目的は、キタヴァ族の健康状態を調べることでした。
1960~70年代に行われた先行研究のデータから、「先進国よりも狩猟採集民のほうが健康ではないか?」という仮説が提唱されていたからです。

そこで220人のキタヴァ族に血液検査を行ったところ、果たして仮説どおりの結果が得られました。

キタヴァ族が脳卒中や動脈硬化にかかるケースはなく、糖尿病の発症率はおよそ1%ほど(日本の発症率は15%)。
80代の高齢者が認知症にかかることもなく、癌の割合もほぼゼロに近い状態でした。

この他のフィールドワークでも、伝統的な部族には慢性炎症に由来する病気がほぼ存在しないと報告されています。
狩猟採集民たちは、まことにうらやむべき健康体を維持しているようです。

現代の日本人と狩猟採集民の違いをまとめると、次のようになります。
・狩猟採集民=外傷や感染による短中期的な炎症がメイン。激しい発熱や嘔吐など周囲から見てすぐにわかるような症状が出る。
・現代の日本人=体内で延々とくすぶる長期的な炎症がメイン。誰にでもわかるような症状は表に出ず、少しずつ不調が進行する。

それにしても不思議です。
いかに人種が違うとはいえ、基本的に現代の日本人と狩猟採集民の体は遺伝子的に大差がありません。
にもかかわらず、なぜ私たちの体は炎症レベルが高いのでしょうか?
いったいどのような要因が、知らないうちに私たちの心と体を蝕んでいるのでしょうか?

ここで役に立つのが、ハーバード大学の古代人類学者ダニエル・リーバーマン氏が提唱したフレームワークです。
リーバーマン氏は、古代と現代のミスマッチが起きるパターンを3つの枠組みでとらえました。

多すぎる:
古代には少なかったものが、現代では豊富すぎる

少なすぎる:
古代には豊富だったものが、現代では少なすぎる

新しすぎる:
古代には存在していなかったが、近代になって現れた

この分類を使うと、複雑だった問題の見通しがよくなります。

たとえば、「多すぎる」の代表的な例は「カロリー」です。
先進国のデータを見ると、この30年で1日の摂取カロリーは増大を続けており、70年代からおよそ400kcalも増大しています。
同時に肥満率も増加を続け、過去にはなかったレベルで糖尿病や高血圧の発症率も上がっています。

600万年の歴史のなかで、人類はカロリーが足りない環境に適応するために進化してきました。
そのため、私たちの脳と体は「低カロリー」には上手く対応できますが、「高カロリー」を処理するようには設計されていません。

高カロリーの状態が続けば、あまったエネルギーは皮下脂肪や内蔵脂肪として貯蓄され、先に述べた炎症サイクリにはまり込んでいきます。
つまり、「多すぎる」は炎症につながるのです。

「トランス脂肪酸」と「孤独」 p51

最後に「新しすぎる」の事例も見ておきます。
近代の発明は山ほどあるものの、なかでも、人体への影響が大きいのは「トランス脂肪酸」でしょう。

トランス脂肪酸は、植物油に水素を付加して作られた人工の油です。
安価で保管が簡単な性質を持ち、パンや揚げ物などに使われています。

その害はほぼ実証済みで、総摂取カロリーのほんの1%をトランス脂肪酸に入れ替えただけでも、悪玉コレステロールの数値は激増します。
2005年のハーバード論文でも摂取量が多い人ほど体内の炎症レベルが高いことがわかっており、いまやトランス脂肪酸の害に反対する専門家はいません。

トランス脂肪酸がここまで体に悪いのは、肝臓の働きを乱すからです。
大半のコレステールは脂質・糖質・タンパク質をもとに肝臓で作られますが、トランス脂肪酸は人体にとって「新しすぎる」せいで上手く材料として使えず、結果として悪玉コレステロールが製造されてしまいます。
いわば肝臓がパニックを起こしたような状況です。

p59

さらに現代に特有なのが、コミュニケーションの不安です。
SNSのおかげで交流できる人の数は飛躍的に増えたものの、匿名の傘に守られた安心感のせいで必要以上に攻撃的な言葉を吐いてしまったり、
不用意な書き込みに対して無数のユーザーからバッシングを受けたりと、その心理的なダメージの質と量は、古代の世界とは比べものになりません。

対して狩猟採集民のコミュニティは最大でも200人程度がリミットで、見知らぬ相手とコミュニケーションを取るケースはまずありません。
数が少ないぶんだけ人間関係は親密かつ濃厚で、たとえ浮気やケンカなどのトラブルが起きた場合でも、長老による裁定や部族間ルールなどで解決が図られ、対人関係の不安が長々と続くケースはまれです。

p70

そして、農耕がもたらした変化のなかでも、もっとも現代人への影響が大きいのが「時間感覚の変化」です。

農耕を効率よく進めるには、長期的なタイムフレームが欠かせません。
秋から初冬にかけて種をまき、変化のない冬を耐えて待ち、ようやく初夏に収穫する……。
1年も先のことを考えて行動する習慣は、それまでの人類にとってまったく未知のものでした。
ここにおいて、人類は初めて「遠い未来」を思い描かねばならなくなります。

ところが困ったことに、人類の遺伝子には「遠い未来」に対応するシステムが備わってらず、「不安」という短期用のプログラムを駆使しながら、どうにかやりくりしていくしかありません。
天体の運行をもとに時計やカレンダーを編み出したのも、システムの不備を補うための発明だったのでしょう。

アフリカ人には未来という感覚がない p71

もちろん、私たちに原始人の時間感覚まではわかりません。
化石や出土品を見ても彼らの感覚までは調べようがなく、「農耕による未来の出現」は、あくまでもっともらしい仮説のひとつです。

が、ここにひとつ興味深い事例があります。
ケニア出身の牧師であるジョン・ムビティ氏によれば、「アフリカ人には未来の感覚が存在しない」というのです。

1970年の著書『アフリカの宗教と哲学』に、彼はこう書いています。

「アフリカ人の伝統的な観念によれば、時間は長い『過去』と『現在』とをもつ二次元的な現象であり、事実上『未来』をもたないのである。
西洋人の時間の観念は直線的で、無期限の過去と、現在と、無限の未来とをもっているが、アフリカ人の考え方には実際上なじみのないものである。
未来は事実上存在しない。
未来の出来事は起こっていないし、実現していないのだから、時間を構成しえないのである」

ムビティ氏はケンブリッジ大学で博士号を得たエリートであり、あくまで西洋的な時間の考え方も熟知したうえで「アフリカ人には未来の感覚がない」と言い切っています。
いまの日本人には、想像もつかない感覚でしょう。

言われてみれば、いかにも狩猟採集民に「未来」の感覚は薄そうです。

たとえばナミビアで暮らすブッシュマンは、朝は必ず同じ時間に起き、男は獲物を探して草原に向かい、女は木の実や果物を集めに森の中へ入って行きます。
食料を探す時間は1日に4時間ほどで、あとは日陰で仲間と談笑したり、子供とゲームをして遊ぶのが平均な日常です。

その暮らしぶりにはほとんど変化がなく、1年先はおろか明日の計画を立てて動くようこともありません。
狩猟採集民の時間感覚は最大でも1日が上限で、あとは同じようなタイムフレームのくり返しと言えるでしょう。

p90

身の回りを整えたところで、いよいよケンカ別れした腸内細菌を迎え入れましょう。
手軽で効果が高いのは「発酵食品」です。

納豆、キムチ、ヨーグルトなど、人類は大昔から数々の発酵食品を作り、微生物との仲を深めてきました。
ハーバード大学のエヴァ・セルフープは、古代の食生活に関する先行研究を次のようにまとめています。

「旧石器時代の人類は、知らずのうちに発酵食品をたくさん食べていたはずだ(ハチミツ、フルーツ、ベリー類など)。
微生物の知識こそなかったが、わたしたちの祖先は、発酵食品や発酵飲料の風味と保存性、さらには精神の高揚と鎮静作用に気づいていた。
人類が発酵食品を作り始めた時期はよくわからないが、新石器時代の出土品を分析した結果によれば、1万年前にはフルーツや米などを発酵させた酒を飲んでいた可能性が高い」

古代の人類は、地面に落ちて発酵したフルーツの汁や、微生物が自然に分解した野菜などを食べ、文明が興るよりもはるか前から発酵食品と触れ合ってきました。
その意味で、進化医学的にも正しい食品のひとつと言えます。

一例として、ロンドン大学の観察研究を見てみましょう。
このなかで研究チームは、約4500人の男女を10年にわたって追いかけ、チーズやヨーグルトなどの消費量と全員の健康状態をくらべました。
すると、普段から発酵食品をよく食べる者ほど心疾患や糖尿病にかかりにくく、早期死亡率も低いことがわかったのです。

さらに、同時期に行われたカリフォルニア大学の研究では、発酵食品で脳機能が改善したとの結果も出ています。
こちらは女性の被験者に乳製の発酵食品を4週間ほど食べ続けてもらった実験で、やはり有意に脳の活動が活性化し、感情や注意力に関わる機能に向上が見られました。
ほかにも、キムチ、ぬか漬け、納豆、味噌、ザワークラウトといった食品にも似たような報告があり、発酵食品の凄さは疑いようがありません。
科学が認めた数少ないスーパーフードのひとつです。

毎日の食事に取り入れる発酵食品は、あなたが好きなもので構いません。
納豆でもキムチでもザワークラウトでも、発酵食品であれば腸内環境に良い影響をあたえます。

が、ひとつ注意して欲しいのは、特定の食品ばかりを食べないことです。
納豆やヨーグルト、キムチなど、すべての発酵食品は、それぞれに特有の細菌を持っています。
ヨーグルトならサーモフィラス菌、味噌ならハロフィラス菌、キムチならラクトバチルス・プランタルム菌といった具合です。

同じものばかりを食べると、腸内細菌の多様性が限られてしまいます。
できるだけ幅広 ジャンルの発酵食品を取り入れてください。

p93

そこで使うべきが、「プロバイオティクス」です。
ビフィズス菌や乳酸菌といった腸内細菌を使ったサプリのことで「ビオフェルミン」や「ラクトーンA」といった商品もプロバイオティクスの一種。
日本では整腸剤として販売されるケースがほとんどですが、ここ数年で様々な可能性が認められてきました。

たとえば、アレルギー症状の改善です。

フロリダ大学の実験では、花粉症に悩む男女173名がプロバイオティクスを8週間飲み続けたところ、目のかゆみと鼻水の量が減っていました。
アレルギー症状は炎症の一種なので、腸内環境が整ったおかげで自然と鼻水やかゆみがやわらいだようです。

近年はメンタルの改善効果も確認されれており、プロバイオティクスを4週間飲んだ者は攻撃的な思考が減り、落ち込んでからも早く立ち直れるようになったとの事例が報告されています。
いわゆる「レジリエンス」の能力が向上したわけです。
これらのデータはまだ初期段階ですが、科学界がプロバイオティクスに期待をかけているのは間違いありません。

p100

私たちの腸内細菌は、加工食品が大の苦手です。
なかでも高脂肪で食物繊維が少ない食品(ファストフードなど)や、精製糖の多い商品(スナック菓子や清涼飲料水など)の摂取量が増えるほど、腸内細菌が死にやすくなることがわかっています。
絶対に食べてはいけないとは言いませんが、せめて全体の食事量の1~2割までに抑えてください。

食生活を“再野生化”して腸を守る p100

2016年、ロンドン大学のティム・スペクター氏は、研究のためにハッザ族の村で3日ほど彼らと食生活を共にしました。
バオバブやコンゴロビといった果物を大量に食べてからロンドンに戻った教授は、そこで自分の体内に思わぬ変化が起きていたのを発見します。

「ロンドンに帰った私は、自分の便サンプルをラボに送って解析してもらった。
すると、その結果には明確な違いが出た。
腸内細菌の多様性が20%も増えていたのだ。
残念なことに2~3日も過ぎると腸内細菌は旅行前の状態に戻ってしまったが」

住む環境や食事を変えれば、私たちの腸内は3日でも多様性を取り戻すようです。
腸内環境の悪化に悩む現代人には吉報でしょう。

p103

発酵食品:
納豆、ヨーグルト、キムチなどを1日に40~50グラムずつ食べ、3週間でお腹の調子が良くなったかを確認します。
発酵食品が苦手な場合は、軽く水洗いした生キャベツでもOK。
キャベツの葉には天然の乳酸菌が付いています。

疲れたらマッサージ?もっといい方法がある p110

数ある環境のミスマッチのなかから「自然」と「友人」の2つを選んだ理由は他でもありません。
多くのデータにより、その影響が突出して大きいことがわかっているからです。

まずは「自然」の影響度から見ていきましょう。
自然の効果を示すデータで有名なのは、2016年にダービー大学が行ったメタ分析です。
研究チームは「自然とのふれ合いはどれだけ体にいいのか?」を調べるために、過去のデータから871人分をまとめて大きな答えを出しました。

その結論をひとことで言えば、「自然とのふれ合いにより、確実に人体の副交感神経は活性化する」というものです。
副交感神経は気持ちが穏やかなときに働き出す自律神経で、日中にたまった疲れやダメージを回復させる働きを持っています。
つまり、自然は人体の疲労を回復する働きを持つわけです。

p113

ところが、都市の暮らしでは、おもに「興奮」と「脅威」のシステムだけが活性化しやすくなります。

その極端な例といえば、古代ローマ帝国でしょう。

当時のローマは、イタリア半島の属州から莫大な富が本国内に流れ込んでいたため、ローマ市民には食料と娯楽がタダで提供されました。
世界史にいう「パンとサーカスの都」です。

快楽の追求はエスカレートを続け、やがてローマ人たちは、食べたものをいったん吐き出した後、胃袋が空になったところでまた食事を行うようになります。
鳥の羽で喉の奥をくすぐって嘔吐を繰り返しては、キジの脳やフラミンゴの舌といった珍味を貪るのです。
いっぽうで、ローマの暮らしは脅威にも満ちていました。
人口が密集したせいで伝染病に弱くなり、町中に腸チフスやマラリアが蔓延。
蚊が多い7~8月には大量の遺体が路上にあふれ、当時のローマでは夏を「死の季節」と呼ぶほどでした。

p116

もうひとつ興味深いのが、ハーバード大学が行った「成人発達研究」です
これは1939年からスタートした研究で、約80年間にわたって724人の人生を記録し続けたもの。
全員が10代の学生だったころから調査を始め、定期的に体調や幸福度を尋ねるのはもちろん、かかりつけの医者からカルテを手に入れたり、家族との会話をビデオで収めたりと、膨大な労力が注ぎ込まれました。

参加者の行く末は幅広く、弁護士や医者になった者、サラリーマンや工場労働者になった者、ポストンのスラム街でホームレスになった者まで様々。
彼らの多様な人生をすべてパッケージ化したうえで、「人間の幸福にとって最も大事なものとは?」の答えを数字で割り出したわけです。

研究のリーダーであるロバート・ウィルディンガー教授は言います。
「彼らの人生から得られた、何万ページにもなる情報から明らかになった事は何でしょう?
それは富でも名声でもがむしゃらに働く事でもありません。
私たちの体を健康にし、心を幸福にしてくれるのは『良い人間関係』です。これが結論です」

考えてみれば当然でしょう。
いくら富や名声を得ようが、病気にならない完璧な肉体を持とうが、人類の3つの感情システムは最適化されません。
身近な人たちとの関係が悪ければ「満足」の機能は活性化されず、手に入れたものはすべて無に帰すはずです。

もしあなたが薬よりも宿や名声を追うタイプの人間だったとしても、良い友人の重要性は変わりません。
「成人発達研究」のデータでは、人間関係が悪い人にくらべて、良い友人が多い人は3倍も仕事で成功しやすく、年収も高い傾向が見られたからです。

再びウィルディンガー教授の発言を引きましょう。
「良い人間関係は私たちの脳も守ってくれます。
周囲との良い関係を50代までキープできた人や、何か困ったときに助けを求められる相手がいる人は、はっきりした記憶を長く持ち続けられます。
しかし、困ったときに頼る相手がいないと、早い段階で記憶力が低下し始めるのです」

孤独から来る炎症で体調が崩れ、さらには脳の機能まで衰えてしまうのだから、仕事のパフォーマンスが下がっていくのは当たり前の話。
幸福、富、名声、健康は、すべて人間関係の土台があってこそです。

最新の科学からみれば、「自然を大事に」や「友人を大切に」といったフレーズは、古臭いお説教などではありません。
遺伝と環境のミスマッチが起きた現代においては、「自然」と「友人」への投資こそが、もっとも費用対効果が高い行為なのです。

p120

このような現象が起きる理由には諸説あるものの、1998年のデータでは観葉植物の近くで働くオフィスワーカーは肌荒れが減ったとの報告も出ており、
やはり副交感神経の活性化によって体内の炎症が治まったのが大きいようです。

さらに嬉しいことに、観葉植物には幸福度や集中力を上げる効果も確認されています。

350人のオフィスワーカーを対象にしたある実験では、観葉植物を前にしながら作業をした被験者は幸福感が47%アップし、作業の効率が38%も上がったそうです。
これは、観葉植物のおかげで作業中の緊張がやわらいだために起きる現象で、心理学の世界では「注意回復理論」と呼ばれます。
これほど手軽で生産性が上がるテクニックも珍しいでしょう。

身近に置く観葉植物の種類はなんでも構いません。
多くの実験ではポトスやドラセナを使うのが定番ですが、基本的には自分が好きな植物を選べばいいでしょう。

p123

クイーンズランド大学が2016年に行った研究では、
1538人のオーストラリア人を対象に、全員が1年のあいだに公園などで自然と触れ合った量を調べたうえで、鬱病や高血圧の発症率とくらべました。

そこでわかったのは、思ったよりも簡単に自然のメリットが得られるという事実です。
具体的な数字を紹介しましょう。

鬱病の場合は、週に1回30分ほど自然のなかにいれば、自然とのふれ合いがない人にくらべて発症リスクが37%も低下する
高血圧の場合は、週に1回30分のラインを超えたあたりから症状が改善していく

これらの数値は自然の接触時間とほぼ連動しており、公園に行けばいくほど心と体は改善していきます。
エビデンスの質はさほど高くありませんが、当面は「最低でも週1で30分は公園に行く」のベースラインにしつつ、少しずつ接触時間を増やしていくのがいいでしょう。
公園で軽く運動をするもよし、のんびり読書にいそしむもよし。
1日のリラックスタイムの数分を公園で過ごしてみてください。

p124

ちなみに、公園や森林は、腸内フローラの改善にも重要な役割を果たします。
緑が多いエリアには、空気中に有用な微生物が漂っているからです。
83ページでも紹介したグラハム・ロック博士の言葉を再び引きましょう。

「自然の大気には大量の微生物がふくまれており、空気中で代謝と増殖をくり返している。
花粉のような微粒子が微生物を運んでいるからだ。
大気中の微生物は、わたしたちの呼吸器から体内に入って腸へ向かい、免疫システムに影響をあたえる」

自然の大気を吸い込むだけでも、わたしたちの腸内環境は改善していきます。
自然のなかで過ごすと体調が良くなるのは、腸内環境が正常化したおかげも大きいのでしょう。
まさに公園こそ、科学的に正しい「パワースポット」なのです。

p138

そう言われると、「相手に与えられるようなものがない人間はどうすればいいのか?」といった疑問がわくかもしれません。
そこまで利益の相互提供が大事なら、財力も特技もない者にはなすすべがないのではないか、と。

それは、大きな間違いです。
というのも、どんな人でも、生まれつき最強の贈り物を必ず持っているからです。

私たちが他者に与えられる最強のプレゼントは「信頼」です。

相手に「こいつは絶対に自分を裏切らない」と感じさせれば、そこには必ず強固な同盟関係が生まれます。
マーク・トウェインが残した「彼は人を好きになることが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった」という一文は、科学的にも正しいのです。

相手に信頼感を抱かせるには向こうに好意を伝えるのが第一ですが、心理学で重視されているのが「セルフディスクロージャー」です。
これは自分の悩みや秘密を隠さずに打ち明ける行為を意味しており、相手に対して「私はあなたのことを信頼しているからここまで話せるのだ」というシグナルとして働きます。

p141

デジタルの自然を増やす:
PCやスマホの壁紙を山や海を写した画像に変更。
可能であれば、作業中はノイズキャンセリングヘッドホンを使い、川や鳥の音を聞くようにしてください。
また、1日に1回はネットで大自然の動画に触れてみましょう。

観葉植物:
NASAが推奨する観葉植物を参考に好きなものを選び、いつもの作業場や自宅のリビングなど、つねに目に入る場所に置いてください。
観葉植物は多ければ多いほど効果は高くなりますが、何もないよりは、鉢植えを1個だけでも置いた方が格段にメンタルへの影響が違ってきます。

公園の活用:
2日に1回は公園に出かけ、木々の中で最低10分は過ごしてください。
余裕があれば、1ヶ月あたりの自然との接触時間を150分以上にまで伸ばすように意識してみると、さらに大きなメリットが得られます。

太陽:
最適な太陽光の摂取量は住む場所に大きく左右されるので、最低でも1日に6~20分は陽光を浴びる。
夏場は肌が痛むぐらいの日焼けはしないように注意。

アウトドア:
年に3~4回はキャンプや山登り、魚釣りなどに行く時間を持ちましょう。
できれば2週間に1回は大自然に身を置くことを心がけ、可能な限り摂取時間を増やしていってください。

p154

そこで参考になるのは、スタンフォード大学が行った系統的レビューです。
過去に出た277の研究をまとめた労作で、「良質な睡眠を客観的に把握するにはどうすればいいのか?」という問題について、信頼に足る結論を出しています。

専門家の意見が一致した「良質な睡眠」のサインは次のようなものです。
・眠りに落ちるまでの時間が30分以内
・夜中に起きるのは1回まで
・夜中に目が覚めた場合は20分以内に再び眠ることができる
・総睡眠時間の85%以上を寝床で使っている(昼寝や通勤電車内での居眠りなどの合計が15%を超えない)

p160

狩猟採集民の世界でも、昼寝で体力の回復を計るのは普通のようです。

現時点では昼寝の最適量まではわかっていませんが、多くのデータでは1回15~30分ほどでリフレッシュ効果が得られています。
狩猟採集民も1回15分の昼寝で済ますケースが多いため、まずはこのレベルから試してみてください。

最初のうちは「20分だけ眠るのは難しい」といった感想が出るかもしれませんが、心配はいりません。
ある実験では、快適なイスに座りつつ目を閉じて15分休んだだけでも睡眠時と似たような脳波が現れ、記憶テストの結果も向上したとの結果が出ています。

昼寝が苦手な人でも、とりあえず10~15分だけ目を閉じて何もしない時間を作ってみましょう。

近年では、昼寝のリフレッシュ効果を高める方法として、「コーヒーナップ」というテクニックも開発されています。
やり方は簡単で、15~20分の昼寝の直前に1杯のコーヒーを飲むだけです。

コーヒーと昼寝の組み合わせは意外なように思えますが、その効果にはいくつかの実証研究があります。

具体的には、疲れ気味の被験者に15分のコーヒーナップを試した実験では、普通に昼寝をしたグループよりもドライブシミュレーターの成績がアップ。
日本で行われた研究でも、昼寝前に200mgのカフェイン錠を飲んだ学生は疲労感が減り、記憶力テストの成績も上がりました。

このような現象が起きるのは、カフェインが脳に達するまでに20分かかるからです。
そのため、コーヒーを飲んでから20分後に目を覚ますと、昼寝のリフレッシュ作用にカフェインの刺激が組み合わされて相乗効果をもたらします。
昼寝の効果を高めたい方は、試してみてください。

p175

ウォーキング:
週に2~3日のペースで2分以上の早歩き(時速6km以上)を行うのが最低ライン。
可能であれば、週に150分以上のウォーキングができるように頑張ってみましょう。
日が沈んだあたりから心地よい疲れを感じるぐらいが、睡眠の質をあげる最適の運動量です。

デジタル断食:
メール、LINE、ツイッター、フェイスブックなどは、事前に使用時間を決めておきましょう。
「13時になったら30分だけメールチェック」「18時から10分だけLINEを見る」といったように、細かい時間を指定するほど効果が高まります。

1日に1時間以上をSNSに使っている人は、PCでは「Self Control」のようなサイトのアクセスブロッカーを使い、スマホは専用のアプリを消しましょう。
できれば周囲の人に「これから1週間は返信できない」とあらかじめ伝えた上で、しばらく完全にSNSを使わない生活に取り組んでみてください。

ぼんやりした不安を解消するたった1つの方法 p178

本章から不安対策に入っていきますが、具体的な方法論に入る前に、ここからの基本的な戦略を概観しておきましょう。

第2章では、農耕によって生まれた「未来」が現代人の「ぼんやりとした不安」を生むメカニズムを説明しました。
古代と違って未来の感覚が遠くなったため、先の見えない不安が生まれるわけです。

いっぽうで狩猟採集民の未来は1日単位なので、先行きの不安は生まれません。
彼らにとってはすべてが現在であり、時間を超越した感覚を持っているからです。
しかし、すでに未来という概念を構築してしまった現代人が、いまから原始の感覚にもどるのは不可能です。
そう考えると、私たちが取れる戦略はひとつしかないでしょう。

すなわち、「未来を今に近づける」のです。

ここでいう未来とは、実際の時間の流れを意味しません。
未来の自分と現在の自分の心理的な距離が、どれだけ近いかを問題にしています。

たとえば、「5年後の自分を想像してください」と言われたとき、あなたの内面にはどんな感覚が生まれるでしょうか?

5年後のあなたは、いまのあなたと変わらないぐらいの存在感を持った存在でしょうか?
それとも、まったく見知らぬ人のように遠い存在でしょうか?
もし前者なら未来との心理的距離は近く、後者なら心理的距離は遠いと考えられます。
これは、心理学で「自己連続性」と呼ばれる考え方です。

p180

そこでわかったのは、未来との心理的距離が近い者ほど不安に強く、セルフコントロール能力も高いという事実でした。
実際、自己連続性が高い者は貯金額が25%も多いとの結果も出ています。
つまり、自己連続性が高い者は、目の前の誘惑に負けない強いメンタルを持っているのです。

ナットソン博士は言います。
「(自己連続性の高さとは)未来の自分の身になって考えられるということだ。そのため、現在の決定が未来におよぼす影響を実感できるようになる」

未来に目的があれば迫害すら乗り越えられる p182

ナチスの強制収容所で4年を過ごした精神科医のヴィクトール・フランクル氏は、『夜と霧』にこう記しました。
「強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。
被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの的を射た格言だろう。
『なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える』。

したがって被収容者には、彼らが生きる『なぜ』を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な『どのように』に、
つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない」

フランクル氏は、生涯を通して人生の意味の問題を追い続けた人物です。
アウシュビッツでも生き延びる態度を崩さなかった彼はやがて、人間はむしろ人生から「価値観」を問われているのであり、それに責任をもって答えなくてはならない、との境地にいたりました。
明確な「価値観」は、ナチスの迫害すら耐え抜くモチベーションを与えてくれるというのです。

原始人にとって生きる意味は単純だった p184

なぜ価値観で不安感は減るのでしょう?
ぼんやりとした不安が将来への心理的距離によって起こるのなら、価値観には「未来を今に近づける」働きがあるのでしょうか?

ここで、いったん狩猟採集民の「価値観」について考えてみましょう。
人類学のデータによれば、彼らが生涯にわたって持つ人生の目的はシンプルで、ひとことで言えば「生きる産む育てる」の3つだけです。
狩りをしながら日々の糧を稼ぎ、部族内のパートナーと子を産み、愛する我が子の成長を死ぬまで見守れば、人生の目的は達成されてしまいます。

すべての生物は遺伝子による「産めよ増やせよ地に満ちよ」という命令に従って行動します。
その点ではヒトも例外ではなく、あなたの喜びも悲しみも生きがいも、すべては種の保存のために備わった機能のひとつに過ぎません。
人生に哲学的な目的などあろうはずがなく、それゆえに原始人にとって人生の意味はいまよりも単純でした。

ところが、ライフサイクルが複雑化した現代では、「生きる産む育てる」の他にも、私たちは様々な行為に価値を見出すようになりました。
「有名になる」「金持ちになる」「良い会社に入る」「好きなことをして生きる」……。

価値観の多様化といえば聞こえはいいですが、定期的に新しいライフスタイルや人生の意味が提示され続ければ、どうしても迷いや不安が生まれてきます。
新しい商品が出て楽しい気分になったものの、どれも選べなくなり、逆にストレスを抱えたようなものです。

価値観の多様化が問題なのは、私たちの未来像を、ぼんやりとしたものに変えてしまうからです。

狩猟採集民のように「生きる産む育てる」だけを目的にすれば、その時点で未来の姿は100%確定し、もはや次の行動に思い悩む必要はなくなります。
いっぽうで現代のように選択肢が豊富な社会では、未来の姿はいくつにも分岐をくり返し、決してひとつに定まることがありません。

あいまいな将来は私たちのなかで明確な像を結ばなくなり、結果として未来との心理的距離は遠くなっていきます。
これが、価値観のブレによって不安が起こる理由です。

この問題を解決するには、いったん分岐した未来をまとめるしかありません。
自分のコアとなる価値観を絞り込み、未来を今に近づけるのです。

ミシシッピ大学の「価値評定スケール」とは? p189

あなたの真の価値観を探り当てるには、どうすればいいのでしょうか?

現時点でもっとも科学的に正当性が高いのは、ミシシッピ大学のケリー・ウィルソン氏が開発した「価値評定スケール」です。
いまも多くの臨床現場で実際に使われており、鬱病や不安障害などの治療に大きな効果を発揮しています。

このスケールは人生の重要な領域を12種類にわけたもので、それぞれのジャンルについて、あなたがどのように行動したいかを1~2行の短い文章で書き込んでいきます。
たとえば「キャリア・仕事」であれば「困った人の役に立ち自分も成長する」でもいいですし、「余暇・レジャー」であれば「自然のなかでリラックスしながら過ごす」でも構いません。
直感で重要だと思ったものだけを記入していってください。

その際には、自分に次の質問をしてみると、答えを思いつきやすくなります。

「価値評定スケール」 p191

1 家族
どのような父/母、息子/娘、兄弟/姉妹、叔父/叔母でありたいか?
家族のなかでどのようにふるまいたいか?
家族とどのような関係性を築きたいのか?
もし今のあなたが「理想の自分」だとしたら、家族に対してどのように接するか?

2 結婚・恋愛
親密な相手に対してどのような夫/妻/パートナーでありたいか?
相手とどのような個性を育てたいか?
どのような関係性を作りたいのか?
もし今のあなたが「理想の自分」だとしたら、結婚相手や恋愛相手にどのように接するか?

3 子育て
どのような親になりたいか?
子供とどんな関係を結びたいか?
子供と接するなかでどんな個性を育てたいか?
もし今のあなたが「理想の自分」だとしたら、子供にどのように接する子供からどのように見られたいか?

4 友人・対人関係
どのような友情を育てたいか?
人関係のなかに自分のどのような特徴を活かしたいか?
自分が相手にとって最高の友人だとしたら、どのようにふるまうか

5 キャリア・仕事
自分は仕事のどういった点に重きを置いているか?
仕事をもっと興味あるものにするにはどうすればいいか?
いまの暮らしが理想の状態だったとしたら、自分のどのような資質を仕事に活かしたいか?
職場や仕事のパートナーなどのような関係を築きたいか?

6 自己成長
もっと知りたいことはなにか?
学習や教育について、自分はどんな点に重きを置いているのか?
してみたい新しいスキルはなにか?
自分が成長するためにどんな資質を活かしたいか?

7 余暇・レジャー
どんな趣味や遊びをしてみたいか?
自分がリラックスできるのはどのようなことか?
どんなときに一番楽しい気分になるか?
新たに参加してみたい活動はあるか?

8 スピリチュアリティ
宗教、大自然、宇宙のような「人智を超えたもの」に対してどのような関係を築きたいか?(もちろん無信心の場合は、「宗教」は無視して構いません)
どのような哲学的な疑問に興味があるか?

9 コミュニティ社会生活
どのようなコミュニティの一員でありたいか?
地域社会にどのように貢献したいか?(チャリティやボランティアなど)
自分の居場所をどのように作りたいか?

10 健康
身体の健康について何に重きを置いているか?(疲れない体作りや正しいライフスタイルなど)
自分の身体をどのようにケアしたいか?(食事、睡眠、運動の改善など)

11 環境
地球の環境について何に重きを置いているか?(公害や大気汚染など)
環境の改善について貢献したいことはあるか?

12 芸術
絵画、音楽、文学、アートとどのような関係を築きたいか?
どのような芸術に触れていたいか?
参加してみたい芸術活動はあるか?

「価値」と「目標」はどこが違うのか? p192

注意したいのは、自分の価値観を考えたつもりが、気づかずに人生の目標を書いてしまう人が多い点です。
価値観と目標には、明確な違いがあります。

目標は未来に達成すべきゴールのことであり、いったんクリアすればそこで終わり。
成功することがあれば、失敗することもあります。

しかし、価値はつねに現在のプロセスなので、どこまで行っても終わりはありませんし、成功も失敗も存在しません。
「クリエイティブな仕事につく」は目標ですが、「クリエイティブな人間でいる」なら価値、「結婚する」は目標ですが、「好きな人と楽しく暮らす」なら価値になります。
価値の裏づけがないと、目標は不安の原因になります。

弁護士になりたいと考えて猛勉強を始めた人がいたとしましょう。
この時点で彼の中には「試験に受かる」と「試験に落ちる」という2つの未来が生まれ、将来があいまいになったぶんだけ現在との心理的距離は広がり、不安も悪化していきます。

ところが、弁護士という目標の向こうに、「弱い人を救う」や「新たな知識を学ぶ」といった価値観があったらどうでしょう?
その瞬間から司法試験の勉強は「他人を救うための実践のひとつ」か「新たな情報を学ぶ喜び」に変わります。
遠くてあいまいだった未来が、価値観のおかげで現在進行系のプロセスに切り替わったのです。

このように、価値にもとづく行為は時間の心理的距離を“いまここ”に収束させ、未来への不安を消し去ります。
長期的な目標を抱えた人ほど、価値観のメリットは大きくなっていくでしょう。

p194

そんなとき、このエクササイズは、人生の行き先を指し示すコンパスとして働きます。
たとえば、あなたが家を買うかどうかを迷い始めたとしましょう。
その裏には、どのような価値観があるでしょうか?

もし「子供を幸せにするため」という価値観の重要度が高かったなら、仕事量を減らして時間を作り、子供と遊んであげたほうが幸福の総量はあがるかもしれません。
もし「精神的な安心を得たい」のほうが重要だったなら、インデックスファンドに投資して8%の年利を稼いだほうが生活は安定するかもしれません。

人生に完全な正解を出すのは不可能ですが、少なくともあなたにとって満足感の高い選択を可能にしてくれるのは間違いないでしょう。
かつてドイツの文豪ゲーテも言ったとおり、「どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまで行けるものではない」からです。

幸福感が高まるのは「貢献した」とき p203

先にも述べたように、本当の価値観を見つけ出す作業は難しいものです。

それゆえに、「価値評定スケール」や「PPA」などのツールを駆使しても、自分がしっくりくるような価値が出てこないケースは多々あります。
そもそも「価値観の明確化」がヒトの生理に反した行為なので、何も浮かばなかったとしてもしかたありません。

そんなときは、いったん「最大公約数の価値観」に従ってみるといいでしょう。
多くの人に共通する価値観をとりあえず採用して、自分の不安感がやわらぐかどうかを確かめるのです。

p204

いずれも納得の要素ですが、このなかで飛び抜けて影響が大きいのは「貢献」です。
自分の行動が他者に良い影響を与えていると確信できたときほど、私たちの幸福感は高まりやすくなります。

かつてキング牧師が聴衆に語りかけた「人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、『他人のために、いまあなたは何をしているか』である」という言葉は、定量的なデータでも裏付けられた事実なのです。

もし未来の選択に不安を感じたら、試しに「誰かの役に立つ行動はなにか?」を考えてみてください。

その瞬間にあいまいだった未来は“いまここ”に収束し、不安が情熱に変わります。
価値観に沿った行動を取る限り、あなたの未来には、もはや失敗がありえないからです。

p205

価値評定スケール:
パーソナルバリューリストをもとに、「12種類の人生のジャンル」に記入してみましょう。
手間がかかる作業なので、最低でも2時間をかけて取り組みます。
ただし、1回の記入で本当の価値観がわかるケースは少ないので、1ヶ月おきに見直してみるのをオススメします。

死を想うことでより良い生き方を選べる? p208

「17歳の時にこんな言葉を読みました。
『毎日を最後の日であるかのように生きなさい。いつか必ずひとかどの人物になれる』。
私は感銘を受けました。
それから33年間、毎朝鏡を見て問いかけました。
『今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?』
答えがノーであるときはいつも何かを変える必要があるとわかります」

1998年にスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業スピーチで語った、あまりにも有名な一説です。

「メメント・モリ」の例を引き合いに出すまでもなく、古来から多くの賢人が「死を想え」という警句を残してきました。

2000年も前にストア派の哲学者セネカは「生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである」と書き残し、
紀元前23年にはローマの詩人ホラティウスが「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」と歌い、聖書にも「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」との語句が登場します。
「死を想え」は、世界最古のライフハックのひとつと言えるでしょう。

しかし、ジョブズ氏や聖書がすすめる戦略には、狙ったとおりの効果があるのでしょうか?
生の有限さを想うことで、私たちは本当により良い生き方を選べるようになるのでしょうか?

社会心理学の研究によれば、その答えはイエスでもノーでもあります。

たとえばフロリダ州立大学のマシュー・ガイリオットは、「死を想うと人間は他者に優しくなる」と主張しています。
2008年に博士が行った実験では、墓場の前を通るように指示された被験者は、すれ違った人が落とした荷物をひろってあげる確率が40%もアップしたそうです。
2010年の追試でも同じ現象が確認されており、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになりました。

p210

第一に、自分の死について考えた者は、己のはかなさをあらためて認識。
そこで生まれた不安に対処すべく、より確かなものにすがりつきたい気持ちが芽生え始めます。

ここで何を頼りにするかは、人によって異なります。

国家、宗教、人種、自然環境、権威者、民主主義、地元の仲間……。

そのスケールはさまざまですが、自分よりも大きな構造や物語であれば何でも構いません。
とにかく当人が安心できるようなサイズ感が重要になります。

いったん頼れるものが見つかると、私たちはその対象に投資をするようになります。
先の実験でいえば、恵まれない人への寄付を行い、見知らぬ人の落とし物を拾うことで、「自分はより大きな集団の一部なのだ」との意識を手に入れ、どうにかして死の恐怖をやわらげるのです。

p216

もちろん狩猟採集民が完全に死の不安と無縁なわけではありませんが、彼らがおびえる対象は、あくまで猛獣の襲撃や謎の疫病といった目の前の脅威がメイン。

そのいっぽうで現代人は、いつ訪れるかもわからない「遠い死の予感」に対して無意識の不安を募らせます。
これまで積み上げた富や地位、愛する人々との関係性などが、未来のどこかで急に奪い去られてしまう可能性への恐れです。

ただし、仮にいくら狩猟採集民が死の不安に強いとしても、現代でそれに習い心から輪廻転生を信じられる人は少ないでしょう。
私たちが死の恐怖を乗り越えるには、さらにひとひねりが必要になります。

その点でもっとも使えるのが、原始仏教が示した解決策です。
紀元前5世紀にインドで生まれたゴータマ・ブッダは、菩提樹の下で悟りを開いたあと、人類の不安に独自のソリューションを提供しました。
ひとことで言えば「すべての欲望はフィクションだと気づきなさい」というものです。

当然ながら、人間社会はさまざまな欲望で動かされています。
美味しいものを食べたい、ビジネスで成功したい、好きな異性と結ばれたいなど、いずれも社会を前に進めるためには欠かせないガソリンです。

ところが、そのいっぽうで、欲望は果てしない不満も生みます。
美味しいものを食べれば食欲が増し、よい車を買えば傷や汚れが怖くなり、大きな会社に入ったら周囲の社員に嫉妬が生まれたりと、
その果てに待つのは、ローマ帝国の滅亡をもたらした「パンとサーカスの都」だけでしょう。

ここでブッダは、すべての欲望は無だと言い切りました。

人類の欲望は遺伝子の生存プログラムにもとづいており、周囲の環境に応じてつねに変わり続けます。

暑ければ冷たいものが飲みたくなり、寒くなれば厚手の衣服が欲しくなり、周囲が豪華な暮らしをしていれば自分も同じ生活レベルに憧れを抱く……。

すべては外部の刺激に対する反応であり、そこから生まれた欲望が、なにか特定の形や永遠の構造を持つことはありません。
仏教でいう「無常観」とはこのことです。

さらにブッダは、「自分という存在」すらフィクションだと喝破しました。
もちろん“いまここ”で行動をする主体は存在しますが、結局のところ、私たちは遺伝子を残すために生まれた巨大なシステムの一部でしかありません。
「自分」とはあくまで環境とのやり取りのなかに生じる自然現象のひとつであり、なにも変化しない絶対的な自己は存在しえません。

ありもしない自己に執着心を持つからこそ、不安が生まれるのだとブッダは言います。
「人間のうちにある諸の欲望は、常住に存在しているのではない。
欲望の主体は無常なるものとして存在している。
束縛されているものを捨て去ったならば、死の領域は迫ってこないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない」 (ウダーナヴァルガ 中村元訳)

これが、仏教で言う「悟り」の基本的なアイデアです。
確かに、欲望と自己をフィクションだと認識できれば、そこに不安は生まれようがないでしょう。
なんといっても、死の際に消えてしまうはずの自分がもともと存在すらしないのですから、輪廻転生のシステムに頼る必要もありません。
その意味では、初期仏教こそが間違いなく究極のソリューションだと言えます。

ただし、原始仏教の解決策は一筋縄ではいきません。
ヒトの欲望は遺伝子に書き込まれた基本プログラムであり、ブッダのアドバイスを忠実に実践しようと思えば、私たちの脳のOSを入れ替えるぐらいの作業が必要になるでしょう。

実際、ブッダも「すべての欲望を離れるためには出家をするしかない」と教えており、現代人が日常で実践していくのは不可能です。
そもそも、すべてをフィクションとして認めるためには、第6章で述べた「自分が生きる価値」すら解体しなければならず、そこには大きな苦痛がともないます。

そのため、現代を生きる私たちは、狩猟採集民とブッダが編み出したアイデアをミックスさせつつ、できる範囲で死の不安を減らしていくのが現実的です。

そのためのキーワードは、「畏敬」と「観察」です。

p220

心理学でいう「畏敬」とは、なにか自分の理解を超えるような対象に触れた際にわきあがる、鳥肌が立つような感情を指します。

その対象はなんでもよく、極地で壮大なオーロラを目の当たりにしたとき、
オリンピックでランナーが新記録を出す瞬間を見たとき、まったく新しい発想のアートに触れたときなど、心の底からすごいと感嘆できれば、それは「畏敬」です。

カリフォルニア大学の研究チームは言います。
「畏敬の念には、炎症物質を適切なレベルに保つ作用がある。
自然のなかを歩いたり、素晴らしいアートに触れたりといった活動は、いずれもポジティブな感情を引き起こし、健康や長寿に大きな影響を持つ」

実際、科学の世界では「畏敬」の不思議な効果が次々と明らかになっています。

スタンフォード大学の実験では、壮大な海や山を映した動画を鑑賞した被験者は人生の満足度が上がり、チャリティなどへ寄付を行う気持ちも増加しました。
さらには主観的な時間の感覚が長くなり、「以前よりも仕事に使える時間が増えた気がする」と答える者が増えたというからおもしろいものです。

自然、アート、偉人、感嘆するのはどれ? p222

ニューヨーク市立大学のロバート・J・リフトン氏は、このような意識のあり方を「自然的超越」と呼んでいます。
自分を自然や宇宙という大きな存在の一部だと認識し、死の不安をやわらげる戦略のことです。

宗教の世界では、古来から意図的に自然的超越を採用してきました。
カトリックの大聖堂や天井壁画、イスラム教のコーランの調べ、チベット仏教の曼荼羅などは、いずれも見る者に畏敬の念を起こさせ、永遠と一体化したような時間感覚をあたえる「安心感ジェネレーター」です。

事実、信仰心のメリットをあきらかにした研究には事欠きません。

約7万5千人を10年にわたって調べたハーバード大学の調査では、週に1回のペースで礼拝に参加した女性は、まったく教会に行かない女性にくらべて、その後16年間の死亡率が33%減少する傾向がありました。
ほかにも、信仰心が高い者ほど自殺率が下がる現象が確認されていたり、特定の宗派やスピリチュアルを信じる者ほど癌患者の予後が向上していたりと、もはや宗教のメリットは疑いようがありません。

第二に重要なのが「アート」です。 p225

音楽、映画、絵画、演劇など、高度な創作性を持つものは、すべて私たちに人間を超えたかのような感覚をあたえ、時間を超越したかのような意識をもたらします。

アートがもたらす畏敬の念は、おもに「大きさ」と「新奇さ」の2つの要素に左右されます。
ロン・ミュエックの巨大なリアリズム彫刻や、全長97メートルにもおよぶナスカの地上絵など、大きな人工物はそれだけで私たちのなかに畏敬の念を生みます。
ギリシャ神話やバガヴァッド・ギーターのように、壮大な世界観を描いた物語でもよいでしょう。

芸術作品に限らず、巨大なダムやスタジアムのような建造物でも構いません。
人類の偉業を示すものであれば、何でも畏敬をもたらす触媒になります。

もうひとつの「新奇さ」は、どれだけ私たちに新鮮な感動をもたらし、こちらの世界観が揺さぶられるかどうかを意味します。
たとえばモネの睡蓮は、あえて混色を避けて色彩を分割することで光の表現を変え、私たちの自然の見方を大きく更新しました。
南米の作家ガルシア=マルケスは、日常的なシーンに幻想的な描写を溶け込ませる手法を使い、まるで読み手の現実感が崩れるかのような印象を与えてきます。

「マインドフルネス」は効果があるのか? p227

先に説明したとおり、ブッダは人間の欲望も自己もすべてはフィクションだととらえ、その事実に気づくように主張しました。
そこで具体的なテクニックとして提唱したのが、「瞑想」を使った自己観察です。

ブッダが示した「悟り」までのロードマップは、おおまかに次のようなものです。

最初のステップでは、呼吸のような特定の対象に意識を向ける瞑想をくり返し、集中力を極限まで磨き上げます。

次に、その集中力を使って自分の内面をひたすら眺め、心のなかに何が起きているのかを観察する瞑想をスタート。
「いま自分は退屈を感じている」「「退屈だ」という思考が浮かんだ」「頭のかゆさが気になっている」など、自分の思考と感情の変化にリアルタイムで気づく作業を何万回とくり返していきます。

すると、やがて大きな変化が起きます。
さまざまな内面の移り変わりを観察するうちに、自分のなかに「いかなる現象も刻一刻とうつろうフィクションに過ぎない」という確信が生まれ、どのような欲望や感情にも巻き込まれなくなるのです。
ここにおいてブッダの「悟り」は達成され、人生の苦しみは消え失せます。

p229

データによれば、1日に30~40分の瞑想を8週間ほど続ければ薬物治療と同じレベルで不安と鬱をやわらげるのだとか。
そのうえ副作用も認められなかったと言いますから、まことに優秀な方法です。

ただし本書では、あえて瞑想法の詳細には踏み込みません。

マインドフルネスといえば瞑想のイメージが強いですが、これはあくまで手段のひとつです。
極端なことをいえば、いっさい瞑想をしなくてもマインドフルネスは向上しますし、逆に言えば「自己観察」の考え方をつかまずに瞑想だけを行っても、ただなんとなく座っているだけの状態になりかねません。

事実、マインドフルネスを使った心理療法でも、いきなり瞑想のトレーニングを指示されることは少なく、初期の段階では「自己観察とはどのようなものか?」を体験してもらうケースがほとんどです。

重要なのは、瞑想のトレーニングで得たマインドフルネスの感覚を、日常の生活でも保ち続けながら生きることです。
そのためには、瞑想のテクニックにこだわるよりも「そもそもマインドフルネスとはどのような感覚なのか?」を深掘りしていくほうが実りは多いでしょう。

p235

いったん「自己観察」の感覚がつかめると、日常のあらゆる状況がマインドフルネスのトレーニング場に変わります。

たとえば、「皿洗い」も立派なトレーニング法のひとつです。

2015年にユタ大学が行った実験では、研究チームはベトナムの高僧ティク・ナット・ハンの文章を読むように被験者に指示しました。
「ともかく、皿を洗うときは皿を洗うことだけをするべきです。
つまり、皿を洗っていることにしっかり心をとめながら皿洗いをする、ということです。
皿を洗うことができなければ、おそらくお茶を飲むこともできないでしょう。
お茶を飲みながら他のことばかり考えて、手にしたカップなどほとんど気づきもしないからです。
このように、わたしたちは未来に心を奪われ、このひとときを本当に生きることができずにいるのです」

続いて、被験者に「水の温度や洗剤の泡の感覚に意識を向けながら皿洗いをしてください」と伝えたところ、全員の内面に大きな変化が起きました。
たった6分マインドフルに皿を洗っただけで、不安や神経症のレベルが27%下がり、逆に新しいアイデアを思いつく確率が25%も上がったのです。

もともと禅の世界では「一掃除二信心」とまで言うほど家事を重視しますが、その正当性が、少しずつ科学でも裏付けられ始めています。
雑巾がけ、歯磨き、炊事、洗濯など、すべての家事をマインドフルに行うだけでも、あなたの不安は減っていくでしょう。

また、食事を瞑想の場に使うのも有効です。
テレビやスマホを見ながらの食事を止め、口の中に入れた食品や液体を味わう作業だけに集中すれば、それはやはり瞑想と同じ行為になります。

p236

非常にシンプルなトレーニングですが、ACTやメタ認知療法などで実際に不安障害の治療に使われるほど効果は高く、一般に「マインドフルイーティング」と呼ばれています。
具体的な実践法は次のようなものです。

1 触覚・視覚・嗅覚で味わう…
まずは食品に指で触れて硬さや柔らかさを確かめます。
触れない食品の場合は、表面をじっくりと眺めて素材のテクスチャーをチェック。
続けて鼻を近づけて匂いも楽しんでみましょう。
これらの作業を、最低でも5分は続けます。

2 自分の感覚を観察する…
食品の見た目や香りによって、自分のなかにどのような変化が起きたかを観察します。
ツバがわいたり、空腹感が増したり、過去の記憶がよみがえったりと、さまざまな感覚の変化を5分かけて観察していきましょう。

3 食品を口に入れる…
この段階で、ようやく食品を口に入れます。
このとき、あわてて食品を噛まず、まずは舌の上で転がしながら触感を調べ、続いて再び自分の感覚にどんな変化が起きたかを観察しましょう。
目を閉じて口のなかの感覚だけに意識を向けるとやりやすいでしょう。

4 噛んで飲み込む…
最後に食品を噛んで飲み込みます。
この段階では、食品の味わいは当然のこと、歯や喉の感覚の変化も観察し続けます。
すべてのステップを終えるまでは、だいたい10~15分ほどかかります。

これは臨床現場で行われる正式な作法なので、実際はひとくちの食事に10分もかける必要はありません。
たんに「ながら食い」を止めて、いつもよりゆっくり味わいながら食べるだけでもマインドフルネスの感覚は成長します。

禅僧が到達した死を超越した境地 p240

人間は死にます。
その後は意識も失われ、あなたの存在は無となります。

この事実は誰にも避けられないものの、「畏敬」と「観察」という2つの武器を使えば、遠い未来の不安を減らすことはできます。
「畏敬」で永遠の時間と同期しつつ、同時に「観察」でいまの時間を生きればいいのです。

江戸中期の禅僧・白隠は、晩年に「人間、死ぬときは死ぬのがよい」との境地に達しました。
そこまでの達観に至るのは困難でしょうが、それでも死の超越に挑んでみる価値はあります。
死の不安が少しでも減ったとき、私たちは初めて「死を想え」というアドバイスを活かせるようになるでしょう。

p259

これは、ソフトウェア工学における「アジャイルソフトウェア開発」のなかから生まれた技法のひとつ。
念入りな計画と設計を行いながらプロダクトを生み出すのではなく、短期間で小さなプロジェクトのサイクルを何度も回すことで、最終的な仕上がりを向上させていくという考え方です。

アジャイルソフトウェア開発の世界には「プロジェクトは変わるもの」という前提があり、タスク管理にも柔軟性が欠かせません。
それゆえに、「3のルール」では、以下の点だけを徹底します。
・今日やりとげたいことを毎朝3つ書き出して実践
・今週やりとげたいことを週の頭に3つ書き出して実践
・今月やりとげたいことを月初めに3つ書き出して実践
・今年やりとげたいことを年始に3つ書き出して実践
・毎週末にレビューを行い、うまく行った点を3つ、改善できる点を3つ書き出す

実際に運用するときは、まずその日に集中したいことを朝のうちに3つだけ紙に記入します。
そして、やるべきことを書いた紙をつねに目の前に置き、あとは決めた作業をこなしましょう。

これ以上ないほどシンプルなルールです。

「3のルール」が効果的なのは、そもそも人間の脳は、一度に「4±1」種類の情報しか処理できないからです。

たとえば「リンゴ・トマト・にんじん・白菜・かぼちゃ・キャベツ・ナス」といったリストを見せられた場合、特定の記憶術を使わない限り、9割の人は3~5つまでの野菜しか覚えられません。
かつては「人間が短期的に記憶できるのは7個まで」と言われましたが、2001年にミズーリ大学のネルソン・コーワン氏が厳密な実験を行い、現在では「4±1」が限界だと判明しています。

p269

もうひとつ、フィードバックに効果的なのが、オハイオ州立大学の藤田健太郎氏が考案した「アカウンタビリティチャート」です。

こちらもシンプルなメソッドで、次のように行います。
1 ノートの真ん中に区切り線を引く
2 右側に1日の作業時間を90分区切りで
3 左側に実際にこなした作業内容を書く

藤田博士の実験によれば、この作業を続けた被験者はセルフコントロール能力が上がり、目標の達成度が有意に向上しています。

その理由は、第一に「やりとげた作業を書き残す」という行為が、自分へのフィードバックとして働く点です。
プロジェクトの進捗が記録として残るため、チャートをながめるだけでも脳は満足感を得られます。

第二に、「実際の作業にかかった時間」を記録していくことで、少しずつ時間の見積もりがうまくなっていく点。
記録を続けるほど正確な所要時間を出せるようになるため、そのぶんだけ未来の姿はクリアになっていきます。
フィードバックの効果を得ながら、同時に現在との心理的な距離も縮めてくれるわけです。

ここでは1ブロックの時間を30分ごとに区切っていますが、「50分の作業→10分の休憩」といったインターバルを使っても構いません。
自分の好きなインターバルで取り組んでください。

p278

ドイツの哲学者カール・グロースは、1901年の著書『人間の遊戯』のなかで、
ほかの哺乳類の幼児期にくらべて人間の子供のほうがよく遊ぶという事実に触れ、
「人類は他の種よりも複雑な生存スキルが欠かせないため、大人になっても遊びを通して認知機能を発達させ続けねばならないのではないか?」と推測しました。

この仮説がどこまで正しいかはわからないものの、狩猟採集民の多くが老人になっても遊び心を保ちながら生きているのは事実。
おそらく私たちは、生涯を通じて遊び続けねばならないのです。

p286

つまり、本書の内容を完璧にやりとげたとしても、あなたが幸せになれるとは限りません。
ここで示したのは幸福への道筋ではなく、あくまで遺伝のミスマッチが引き起こした「不要な苦しみ」を減らすための方法論です。

その結果として幸福感が増すケースはよくありますが、これはあくまでオマケのようなもの。
遺伝子に刻み込まれた根源的な不満や苦しみを消し去ることはできません。

ブッダが「悟り」を究極のソリューションとして提示したのは、この限界に気づいていたからです。
そもそも人体が幸福を目指して設計されていないのなら、そのシステムの外に出るしか真の満足を得る道はありません。
いわばゲームから完全に降りてしまったうえで、ゲームマスターのように生きる道です。

が、残念ながら「悟り」は大半の人にとって現実的な解ではありません。

ゲームから降りるためには、600万年の歴史を持つ進化のルールを破らねばならず、そのためには、やりがいのある仕事や温かい家族といった人並みの幸せすら手放す覚悟が必要になります。

しかし、幸いにもブッダは、「悟り」のほかにも、ゲームのなかで幸福を最大化する方法を提案しています。
それが、「抜苦与楽」です。
これは「悟り」と並ぶ仏教の基本テーマで、文字どおり「万物の苦しみを取り除き、安楽を与えること」を意味します。
要するに、自分はもちろん他人のために生きよ、とブッダは説いたわけです。

何度も見てきたように、この主張は定量的なデータで裏づけられた事実です。

他者への貢献こそが普遍的な人類の価値観だと明らかにした、ミシガン州立大学のメタ分析。
幸福への唯一のカギは「良い人間関係」だと結論づけた、ハーバード大学の成人発達研究。
患者との交流によりモチベーションを取り戻したミッドウエスト病院の清掃チーム。
そして、つねに平等を掟としながら仲間に尽くす狩猟採集社会。

それぞれの立場は違えど、遺伝子が定めるルールのなかで幸福を最大化させるには、「抜苦与楽」が最適解なのでしょう。
もし本書の「文明病」というアイデアであなたの問題が改善したら、次は友人を助け、さらに周囲の人まで広げていってください。

かつて学生から「人間は何のために生きているのか?」と質問されたアインシュタイン博士は、こともなげに答えました。
「他人の役に立つためです。そんなことがわからないんですか?」

みなさまのご多幸をお祈りしています。