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「小さなチーム、大きな仕事」を読んだ

投稿時刻2024年4月5日 16:49

小さなチーム、大きな仕事」を 2,024 年 04 月 05 日に読んだ。

目次

メモ

p9

僕たちは会社を大きくせずに、小さな企業やグループが楽に仕事できるようなソフトウェアを開発している。
世界中で三〇〇万人以上の人たちが僕たちの製品を使っている。

三人だけのウェブデザインのコンサルティング会社として一九九九年にスタートした 
僕たちは、二〇〇四年に、業界で使われているプロジェクト管理ソフトに不満を感じて「ベースキャンプ」を作った。
このオンラインツールを顧客や同僚たちに見せると、みんな同じことを言った。
「うちにもこれが必要だ」と。
五年後、ベースキャンプは年間数百万ドルの利益をあげるようになった。

今では他のオンラインツールも売っている。
コンタクト管理ソフトでシンプルなCRM(顧客管理)ツールの「ハイライズ」は、数万の小さな会社で使われていて、指示や取引を記録し一〇〇〇万件以上の連絡先を管理している。
イントラネットの知識共有ツールである「バックパック」には、五〇万人を超える人たちが登録した。
ビジネス用のリアルタイムチャットサービス「キャンプファイア」では、一億件以上のメッセージがやりとりされている。
また「ルビー・オン・レイルズ」というオープンソースのプログラミングフレームワークを開発して、ウェブ2.0を大いに推進している。

僕たちをインターネット企業とみなす人もいるが、これにはうんざりだ。
インターネット企業は、強迫観念のように人を雇い、でたらめに浪費し、はなばなしく散るというのが相場だ。
僕たちは小さく(この本の出版時点で一六人)、質素で、利益をあげている。

計画は予想にすぎない p23

占い師でもない限り、長期のビジネスプランは幻想だ。
マーケットの状況、競合他社、顧客、経済などの手におえないたくさんの要素があるのに、計画を作っただけで、実際には制御できないものをコントロールした気になる。

なぜ計画ではなくもっと実状にあった言葉、「予想」と呼ばないのだろうか。
ビジネスプランをビジネス予想、財務プランを財務予想、戦略プランを戦略予想と名前を変えてみよう。
気を揉んだりストレスに感じたりする必要はなくなる。

予想を計画に変えたとたん、危険な領域に入り込むことになる。
計画は、過去に未来の操縦をさせる。
目隠しをするのと同じだ。
「前からこうすると決めていたんだから、こうするんだ」。
しかし、計画は身軽さとは相容れない。

あなたは臨機応変に振舞わなければならない。
やってくるチャンスをつかまえられなければならない。
ときには「今からこの方針でいこう。このほうが今の状況に合っている」と言う必要がある。

長期計画を立てる時期も間違っている。
何かをしているときこそ、最も情報が豊富なときだ。
する前ではない。
だとしたら計画はいつ立てるべきなのか?
たいていの長期計画は何かを始める前に作るが、重大なことを決定するのにこれ以上悪いタイミングはない。

未来について考えるなとか、やがてくる障害にどう立ち向かうか熟考するなと言っているのではない。
それは有意義な作業だが、それを記録したり、たえず心配したりする必要はないということだ、壮大な計画を作っても、どうせ見直したりしない。
二〇ページもある計画は、ファイルキャビネットの化石になるのがオチだ。

予想をたよりにしてはいけない。
今年ではなく、今週することを決めよう。
次にやる最重要課題を見つけだして、取り組むのだ。
何かをするずっと前ではなく、直前に決定を下そう。

計画なしに仕事をするのは恐ろしく思えるかもしれない。
しかし現実と折り合わない計画にしたがうのは、もっと恐ろしいことだ。

会社の規模なんて気にしない p26

「会社の規模はどのくらいですか?」とよく聞かれる。
ただの世間話だが、期待されている答えは小さくない。
大きな数ほど印象的で、プロフェッショナルで、パワフルだと思われるようだ。
一〇〇人以上の社員がいると答えると、「それはすごい!」と言われる。
小さな会社だったりすると、「えーと……いいですね」となる。
前者はほめ言葉のつもりで、後者は礼儀として言っている。

なぜだろう。
規模とビジネスにはどんな関係があるのだろうか。
なぜいつも拡張が目標なのだろう。
うぬぼれ以外に「大きさ」に引き寄せられる理由は何だろう(「スケールメリット」よりましな答えが必要だ)。
ちょうどよい大きさを見つけて、それに満足してはいけないのだろうか?

ハーヴァードやオックスフォードを見て、「もっと手を広げ、たくさん姉妹校を作って、何千人もの教授を雇って、グローバル展開して、世界中にキャンパスをオープンしたら、すごい学校になるのに」なんて言うだろうか。
もちろん言わない。
それが大学の価値を測る方法ではないからだ。
ではなぜビジネスでは規模で測られるのだろう?
あなたの会社に最適な規模は五人かもしれない。
四〇人かも。
二〇〇人かも。
もしかして、あなたとラップトップが一台あればいいのかもしれない。
どのくらいの規模にするかをすぐには決めないことだ。
ゆっくり成長して最適なサイズを見つけよう。
あせって人を雇うのは多くの企業にとって致命傷となる。
身の丈に合わない急激な成長にも気をつけよう。

小さいことは通過点ではない。
小さいことは、目的地でもあるのだ。

小さな企業はもっと大きければと願っているのに、大企業は身軽で柔軟であることを夢みていることに気づいているだろうか?
正しいやり方はない。
そして、一度大きくなってしまうと、社員を解雇したり、士気を下げたり、ビジネスのやり方を根本的に変えたりしない限り、縮小することは非常に難しい。

右肩上がりがゴールである必要はない。
社員数の話だけをしているのではない。
経費、家賃、ITインフラ、備品についても、これはあてはまる。
これらは偶然ふりかかってくるのではない。
自分で引き受けるかどうか決めるのだ。
拡大すれば、頭痛のタネも増える。
経費がかさむようになると、複雑なビジネスを作らざるを得なくなる。
管理が難しく、ストレスに満ちたものを。

小さなビジネスを目指すことに不安を抱かなくていい。
持続的で、利益の出るビジネスを行っていれば、それが大きかろうと小さかろうと誇るべきことなのだ。

世界にささやかに貢献する p35

大きな仕事をするには、何かを良くしているという感覚が必要だ。
世界にささやかに貢献している、あなたは重要なものの一部である、という感覚だ。
これはガンの治療法を発見しなければいけないという意味ではない。
自分の努力に価値があると感じる必要があるということだ。
顧客に「私の人生を良くしてくれた」と言ってもらいたいはずだ。
していることをやめたら、みんなに気づいてほしいはずだ。

これは緊急の課題である。
時間は永遠ではない。
これは人生の仕事なのだ。
どこにでもあるような製品をもう一つ作りたいのか、それとも革命を起こしたいのか。
成し遂げたことが自分の遺産になる。
ブラブラと時間を過ごして、誰かがやってくれるのを待っていてはいけない。
違いを生み出すには大きなチームが必要だと思い込んではいけない。

昔ながらの案内広告を滅ぼした「クレイグスリスト」(特定の都市・地域限定の不動産、求人、イベントなどの情報が掲載されたコミュニティサイト)を見てみよう。
ほんの数十人の社員で、この会社は数千万ドルの収入を生み出し、インターネットで最も人気のあるサイトのひとつになり、新聞の広告モデルを完全に崩壊させた。

マット・ドラッジの「ドラッジ・レポート」は、一人の人間によるシンプルなページにすぎない。
しかしこれはニュース業界に大きなインパクトを与え、新しい話を見つけるのに頼りになる場所として、テレビのプロデューサー、ラジオのトークショーのホスト、新聞記者などがくりかえしアクセスしている。

何かをするなら、重要なことをしよう。
彼らは少人数で、どこからともなくやってきて、何世紀も続いた古いモデルを破壊した。
あなたも自分の業界で同じことができる。

p40

自分で欲しいものを作れば、自分で作っているものの品質を、すばやく、直接、代理を通さずに評価できる。

メアリー・ケイ・コスメティクスの創立者であるメアリー・ケイ・ワグナーは、彼女のスキンケア製品がすばらしいと知っている。
なぜなら彼女は自分で使っているからだ。
彼女は、地元の美容師が友人や親戚や患者に売っていた自家製の処方箋を使っている。
その美容師が死んだとき、ワグナーは遺族から処方箋の権利を購入した。
その製品のよさを知るのに、フォーカスグループも調査も必要なかった。
ただ自分の肌を見ればよかった。

なんといっても、この「自分自身の問題を解決する」アプローチでは、作り手が自分の作っているものを愛するようになる。
問題を知っているだけでなく、その解決にどれほどの価値があるかもわかっている。
これは何ものにも代えがたい。
しまいには、何年も(願わくば)このために働くことになる。
もしかすると残りの人生ずっと。
だから本当に関心のあることにしたほうがいい。

まずは作り始めよう p42

「イーベイと同じことを考えていたんだ。やってれば億万長者だったのになあ!」などと言う友人が一人はいるだろう。
この論理は痛々しい妄想だ。
イーベイのアイディアと、実際にイーベイを作り上げることとはなんの関係もない。
何をしたかが重要なのであって、考えたり、言ったりすることが重要なのではない。

あなたのアイディアにはそんなに価値があるだろうか。
売ってどれだけの儲けになるか試してみることだ。
たぶん、そんなに儲けはないだろう。
作り始めるまであなたのすばらしいアイディアはアイディアにすぎない。
それはみんな持っているものだ。

スタンリー・キューブリックは、映画監督の卵たちに「カメラとフィルムを持ち出して、なんでもいいから映画を撮れ」とアドバイスする。
キューブリックは、不慣れなら作り始めることが必要だと知っている。
一番重要なのは、始めることだ。
だからカメラを手にとり、録画ボタンを押し、撮り始めなければならない。

アイディアなんて安いし、いくらでもある。
最初の売り文句になったアイディアは、ビジネスの中ではほとんど無視できるぐらいに小さい。
核心は、一体どうやって成し遂げるのかにある。

一線を画す p46

前進する際に、なぜそれをしているのかを常に念頭に置いておこう。
すばらしいビジネスは単なる製品やサービスではなく、「視点」を持っている。
何かを信じなければならない。
気骨が必要だ。
何のために戦うのかを知り、それを世界に示す必要がある。

いかにスーパーファンをひきつけるか、それが強力な足場となる。
彼らは、あなたに注意を向けて、あなたを守ってくれる。
どんな広告よりも広範囲に、熱心に、あなたたちを宣伝してくれる。

顧客の意見はいいことばかりとはかぎらない。
何人かは追い払うことになるだろう。
彼らは、傲慢で高飛車だとあなたを責めるだろう。
それも人生だ。
愛してくれる人がいれば、憎む人もいる。
誰もあなたの言うことに腹を立てないのなら、おそらく押しが足りないのだ(たぶんつまらないのだろう)。

多くの人が、僕たちの製品は競合他社より機能が少ないといって嫌っている。
彼らのお気に入りの機能をいれるのを拒否すると、彼らは侮辱されたと思う。
しかし僕たちは、自社の製品がやっていないことを、やっていることと同じぐらい誇りに思っている。

僕たちは製品をシンプルにデザインした。
多くのソフトウェアは、機能が多すぎ、ボタンが多すぎ、曖昧で、複雑すぎると考えたからだ。
だから正反対のソフトウェアを作った。
僕たちの作ったものがすべての人に合っていなくてもいい。
残りのみんなが僕たちの製品を大好きになってくれるなら、僕たちはすすんで顧客の一部をすてる覚悟を持っている。

信じているものが何かをわかっていなければ、すべてが議論の対象になってしまう。
すべてに議論の余地がある。
しかし何か拠って立つものがあれば、決断は明らかになる。
たとえば、ホールフーズ(オーガニック・スーパーマーケット)は最高級の自然食や有機食材を売るという信念に立脚している。
彼らは何がいいかと考え続けて時間を無駄にしたりしない。
誰も「この人工香味料入りの商品を売るべきか?」なんて尋ねない。
話し合いの余地はない。
答えは明白だ。
これがこの店でコーラやスニッカーズを買えない理由だ。

この信念により、ホールフーズの食品は他より高価なものになる。
これをひどく嫌う人々はこれをぼったくり呼ばわりし、ここで買い物をする人たちをバカにする。
しかしそれがなんだ?
ホールフーズはとてもうまくやっている。

もう一つの例は、僕たちのシカゴのオフィスから通りを下ったところにあるヴィニーズ・サブ・ショップだ。
彼らは完璧な自家製のバジルオイルをサンドイッチにかけてくれる。
でも早めに行ったほうがいい。
閉店時間をきけば、カウンターの女性は「パンが売り切れたら閉店です」と答えるだろう。

本当に?
「はい。私たちは通りを下ったところのベーカリーから朝早く焼きたてのパンを買ってきます。
パンが売り切れてしまうと、これはだいたい二時か三時ですが、店を閉めます。
午後にパンを仕入れることもできるのですが、朝の焼きたてのパンのように美味しくはありません。
パンがよくなければ、少しばかり余分にサンドイッチを売っても意味はありません。
少しのお金は、自慢できない食べ物を売ることの埋め合わせにはなりません」

普通のチェーン店より、こういうところで食べたいとは思わないだろうか?

p57

もうおわかりだろう。
いずれ実際に大金のかかる道を行く必要があるとしても、それは今ではない。

質素でも何の問題もない。
最初の製品をリリースしたとき、僕たちは安上がりにやった。
自分たちのオフィスはなく、他の会社と共有していた。
サーバーも一つしかなかった。
広告は打たず、オンラインで僕たちの経験を共有することでプロモーションした。

顧客のメールに答える人を雇わずに、僕たちが自分で返事した。
すべてがうまくいった。

偉大な企業はいつもガレージからスタートしている。
あなたの会社にもできる。

新興企業ではなく企業を始めよう p59

新興企業。
これは企業の特別な種族で、たいへんな注目を浴びる(特に技術系の業界では)。

スタートアップとは不思議な場所だ。
そこでは経費は他人の問題だ。
そこでは、収入という煩わしいことは問題ではない。
そこでは、自分で稼ぐ方法を見つけるまで他人の金を使わせてもらえる。
そこでは、ビジネスの論理は関係ない。

この不思議な場所の問題は、それがおとぎ話の世界だということだ。
すべてのビジネスは、新しかろうが古かろうが、マーケットの力と経済のルールに支配される。
収入があり、支出がある。
利益を出せなければ、去るだけだ。

スタートアップはこの現実を無視しようとする。
スタートアップは、避けられないこと(すなわち彼らのビジネスが成長して利益を上げ、本物の持続可能なビジネスにならなければならないこと)をできるだけ後回しにしようとする人々によって経営されている。

ビジネスに対して「利益を上げる方法は将来見つける」なんて態度をとる人は話にならない。
ロケットを建造するのに「とりあえず重力はないことにしましょう」と言って始めるようなものだ。
利益にいたる方針のないものはビジネスとは言わない。
それは趣味だ。

だからスタートアップというアイディアに頼ってはいけない。
そのかわり、本物のビジネスを始めよう。
ビジネスは、請求書や給与のような現実のことがらを相手にしなければならない。
現実のビジネスは、一日目から利益を気にかける。
「問題ないよ。我々はスタートアップなんだ」などと言って深刻な問題を無視しない。
実際の企業として振舞えば、より成功に近づくだろう。

制約を受け入れる p67

「私には十分な時間もお金も、人脈も、経験もない」と嘆くのはやめよう。
少ないことは良いことだ。
制約は見方を変えれば武器である。
資源が制限されると、それでなんとかしなければならなくなる。
そこには無駄の余地はなく、創造性が求められるのだ。

囚人が石鹸やスプーンで作った武器を見たことがあるだろうか?
彼らは手に入るものだけで目的を果たす。
誰かを刺すべきだなんて言っているのではないが、創造性を持つことで驚くべき結果を得られるだろう。

作家は常に創造力を発揮するために制約を利用する。
シェイクスピアは、ソネット(弱強五歩格の一四行の抒情詩)の制約をふんだんに使った。
俳句やリメリックにも創造性を高めるような厳しい制約がある。
アーネスト・ヘミングウェイやレイモンド・カーヴァーのような作家は、単純でわかりやすい言葉を作品に使うルールを自分に強いることで、作品に最大のインパクトを与えることを心得ていた。

サウスウエスト航空は、様々な航空機を持つ他の航空会社とは異なり、ボーイング737の航空機のみを使っている。
それによって、サウスウエスト航空のパイロットや客室乗務員、地上勤務員は、どのフライトにも対応できる。
さらに、飛行機の部品は他のどの飛行機にも流用できるので、そうしたことがコストの削減や、経営のシンプルさにもつながっている。

僕たちがベースキャンプのサービスを立ち上げた当初も、多くの制限があった。
僕たちの会社には既存のクライアントの仕事があったし、主要メンバーの時差(デイヴィッドはデンマークでプログラミングをしていたが、残りのメンバーはアメリカにいた)、チームの規模の小ささ、外部の資金調達がないという状況があった。
そうした制約により、僕たちのサービスはシンプルにせざるを得なかった。

以前に比べると最近は使える資源もスタッフメンバーも増えたものの、僕たちはまだみずからに制約を課している。
一度にサービスに携わる人間は、一人もしくは二人だけにしているのだ。
そして、常にサービスの機能は最小限にとどめている。
このように自身に制約を課すことで、曖昧な形のサービスを生み出さないようにしているのだ。

あれがない、これがないと嘆く前に、今自分ができることは何なのかを考えてみよう。

芯から始める p72

まったく新しいことを始めるとき、様々なことに引き裂かれる。
できること、やりたいこと、そしてやらなければならないこと。
やらなければならないことからとりかかるべきだ。
芯からスタートしよう。

たとえば、ホットドッグの屋台を始めるなら、香辛料、カート、名前、デコレーションと、いろいろ心配することがあるだろう。
しかし、まず一番に考えるべきことはホットドッグだ。
ホットドッグこそが芯の部分。
他の部分は後で考えればいい。

芯の部分を見つけるには、「もしこれを手放しても、自分が売るものはまだ残っているか?」と自身に問いかけることだ。
ホットドッグ屋台は、ホットドッグがなくてはホットドッグ屋台ではない。
玉ねぎや調味料、マスタードなども取り除くことはできる。
中にはトッピングのないホットドッグは嫌いだという人もいるかもしれないが、まだホットドッグ屋台と言える。
だが、ホットドッグがなければホットドッグ屋台は絶対に成り立たない。

芯の部分を見つけ出すのだ。
どの部分が削ってはいけないところなのか?
これやあれがなくてもやり続けていけるのであれば、それらの部分は芯ではない。
それを見つけたとき、「これだ」と思うだろう。
そうしたらその部分を最大限に引き出すべく、エネルギーをすべて注力するのだ。
あなたのすることはすべて、その原則に基づいていなくてはならない。

初めのうちは詳細を気にしない p74

建築家は、階の設計が終わるまでシャワーにどのタイルを使うか、また台所にどのメーカーの食器洗浄機を置くかなんてことは気にしない。
そうした細かなことは後で決めたほうがいいと彼らはわかっているのだ。

アイディアに関しても同じアプローチが必要だ。
細かな部分から違いは生まれる。
だが、そこにあまりに早い段階で本腰を入れると、意見の不一致が生まれ、会議が頻発し、そして計画に遅れが生じる。
問題ではないところに気を取られてしまい、結局は変化していくようなことに対する決断に無駄な時間を費やすことになるのだ。
しばらくの間は細かいことは気にしないことだ。
まずは根本的なところを固めて、特殊なところはあとで考えればいい。

僕たちが何かをデザインするとき、普通のボールペンを使わずに、「シャーピー」という大きな太線のマーカーを使ってアイディアを描く。
なぜか?
普通のペンでは、あまりに細すぎて、はっきりと映りすぎるのだ。
影を完璧にしないといけない、点線を使うか破線を使うかなど、まだ気にしなくてもいいようなことにも気がいってしまう。

ウォルト・ディズニー・スタジオの作画指導担当だったウォルト・スタンチフィールドが、アニメーターにまず推奨していたのが「ディテールは忘れろ」ということだった。
その理由は一つ。
初期の段階ではディテールから得られるものがないからである。

実際に作り始めるまで、本当に大切なディテールに気づけないことは多い。
そのときこそ、何に注目すべきか考えるときだ。
本当に足りないのは何かを知ることができるそのときこそ、ディテールに目を向けるときなのだ。

決断することで前に進む p77

はっきり決断しないと、仕事は山積みになってしまう。
そうした山は、無視されたり、急いで処理されたり、放り出されたりする。
そして結局、そうした山の各々の問題は、解決されないままになるのだ。

できるだけ「これについて考えよう」ではなく「これについて決断を下そう」と思うことだ。
決断する姿勢を持つことだ。
完璧な解決を待たず、決断して前進するのだ。

決断に決断を重ねる流れに入ると、勢いが生まれ、モチベーションも高まる。
決断は進歩だ。
あなたが決めた一つ一つのものは、あなたの土台の一部となる。
「あとで決める」を積み重ねていくことはできないが、「決断したこと」を積み重ねていくことはできるのだ。

問題が起こるのは、後に完璧な答えが得られるだろうと期待して決断を先延ばしするときだ。
完璧な答えはやってこない。
明日決断するも今日決断するも同じだ。

僕たちの例を出してみよう。
長い間、僕たちは自分たちのサービスにアフィリエイト・プログラムのサービスの導入を避けてきた。
「完璧なソリューション」はあまりに複雑に見えたからだ。
支払いの自動化、小切手の郵送、海外のアフィリエイトのための海外の税制の理解など、多くのことを考えなければならなかった。
そんな状況を打破したのは、僕たちがこう自問したことだった。
「自分たちが今簡単にできることは何だろうか」。
答えは、現金ではなく、ポイント還元のサービスだった。
僕らはそれにしたがった。

しばらくそのアプローチでやっていたが、やがて現金のサービスに変えた。
一回決めたことは永遠ではない。
間違えたのなら後でやり直せる。

どれほど計画しても、間違ってしまうことはある。
あまりに分析しすぎて、進みだす前に先送りしてしまい、事態を悪化させるようなことをしてはならない。

長い期間のプロジェクトでは、モチベーションが下がるものだ。
開発に時間がかかればかかるほど、それはリリースしづらくなる。
モチベーションが高く、勢いがある間に、決断し、前進しよう。

やることを減らす p82

料理人ゴードン・ラムゼイの番組『キッチン・ナイトメア』を見てみよう。
失敗するレストランのメニューには、あまりに多くの品が載っている。
店主は、あらゆるメニューを用意すれば、レストランは広く知られるようになると思ったのだろうが、実際には(メニューを見て頭痛を起こすような)魅力のない食べ物に見えてしまう。

だから、ラムゼイはいつもメニューの品を少なくすることから始める。
たいてい三〇以上のメニューを一〇まで減らすのだ。
考えてみよう。
現状のメニューをよくすることが最初ではない。
まずはメニューを減らすところから始める。
そして、残ったものを磨いていくのだ。

物事がうまくいかないと、人はその問題にさらに多くの人、時間、資金をつぎ込もうとする。
だが、そうすると問題が大きくなってしまう。
進むべき正しい道は逆の方向、すなわち減らすことだ。

やることを減らすのだ。
減らしても、あなたのプロジェクトは想像するほど深刻な事態にはならないはずだ。
最終的にはさらに良いものを作るいい機会でもある。
何が本当に重要か徹底的に見極めよう。

締め切りを延ばし予算を増やしたところで、きりがない。

変わらないものに目を向ける p85

多くの会社は「次の大きなこと」に目を向けている。
人気が急上昇しているもの、新しいものに金をつぎ込み、最新のトレンドや技術に飛びつくのだ。

それは愚かな戦略だ。
ものそのものではなく、流行という常に変わり続けるものだけ焦点を絞ることになる。

ビジネスを立ち上げるなら、その核は変わらないものであるべきだ。
人々が今日欲しいと思う、そして一〇年後も欲しいと思うもの。
そうしたものにこそ力を投入すべきだ。
アマゾン・ドットコムは、迅速な(無料の)配送、選び抜かれた品々、安心な返品の仕組み、そして手ごろな価格に焦点を置いている。
こうしたものにはいつも高い需要がある。

日本の自動車会社もまた、その根本の方針としては信頼、手軽さ、実用性といった変わらないものを追求している。
人々はそうしたものを三〇年も前から、今も、そして三〇年後も欲しているはずだ。

俺たちの会社が焦点を当てているものは、早さ、シンプルさ、使いやすさ、わかりやすさだ。
それらは、ずっと変わらない要望だ。
一〇年後、「使いにくいソフトウェアが欲しい」という人はいないし、「もっと遅いアプリケーションがあればなあ」という声も聞かないだろう。

流行は去り行く、という事実を忘れないでほしい。
変わらない機能に焦点を当てれば、時代遅れなんて言葉はまったく関係がなくなるはずだ。

p88

ビジネスの世界では、本質的な問題から目をそむけ、ツールや、ソフトウェアの細かなテクニック、スケールの問題、高価なオフィス空間、豪華な備品といったどうでもいいことに心酔する人があまりに多すぎる。
本当に重要なのはどのように顧客を増やし、利益を増やすかということなのに。

副産物を売る p90

何かを作るとき、実は何か別のものも生まれている。
決して生まれてくるものは一つではないのだ。
どんなものにでも副産物がある。
すぐれた洞察力を備え、創造的なビジネス・マインドを持った人は、こうした副産物に注目し、チャンスを見出すのだ。

材木業界は、かつて捨てるだけだったおがくずや、チップ、細かな木々を売り、かなりの収益をあげている。
こうした副産物は、暖炉の薪や、コンクリート、接ぎ木、パーティクルボードや燃料など、様々なところに見られる。

だが、あなたは製造関係に携わっていないかもしれない。
そのような状況では、副産物に焦点を当てるのは難しい。
材木業者は無駄にしていたものが目の前にあった。
自身のおがくずを無視できなかったのだ。
だが、あなたにはそれに気づくどころか、見つけるのさえ難しい。
おそらく副産物を生み出していることすら考えないだろう。
だが、それでは視野が狭すぎる。

僕たちがこの本以前に出版した『ゲッティング・リアル』はまさに副産物だった。
知らず知らずのうちに本を執筆していた、と言ってもいい。
会社を立ち上げ、ソフトウェアを作ったのも、日々の実務から出てきたものだった。
僕たちは、その知識をまずはブログの投稿で、そしてワークショップの連載で、そしてPDFファイルに、最終的に本に書きつづったのだ。
その副産物として、直接的に一〇〇万ドル以上、またおそらく間接的にはさらに一〇〇万ドル以上が会社に入ってきた。
今読まれているこの本もまた副産物なのだ。

ロックバンドのウィルコは、レコーディングの段階で価値ある副産物を見つけた。
彼らは、アルバム制作を映像に残し、『ウィルコ・フィルム』というドキュメンタリーをリリースしたのだ。
そこには、バンドの制作過程と葛藤があますところなく映し出されていた。
彼らは、その映像から収益を得ただけでなく、その映像がさらに多くのファンを獲得する布石となったのだ。

ヘンリー・フォードは、T型自動車の製造に使った木の切れ端を再利用して豆炭を生産するプロセスを開発した。
彼は、炭の工場を設立し、フォード・チャコール社が誕生した(のちにキングスフォード・チャコール社と改称)。
今日でも、キングスフォードは、アメリカの炭製造の主要企業である。

ソフトウェア会社は普段、本を書くことなど考えない。
バンドは普通、収録の過程を撮影しようとは考えない。
自動車製造会社は普通、炭を売ろうなどと考えもしない。
おそらく、売れるかもしれない何かをあなたも作っているだろう。

p106

あなたはひとりきりモードに入らなければいけない。
ひとりだけの長い一続きの時間にこそ生産性は最も高くなる。
タスクを行き来して集中を切らさなくともよければ、多くの仕事を終えることができるのだ(インターネットに繋がっておらず外部に気を散らせるものがない飛行機の中だと、どれだけ多くの仕事ができるか気づいたことはないだろうか?)。

このモードに入るには時間がかかるし、邪魔が入るのを避ける必要がある。
それはレム睡眠のようなものだ。
すぐにレム睡眠に入れるわけではない。
まず最初に寝てからレム睡眠への準備が整う。
少しでも中断があれば最初からやり直しとなる。
レム睡眠中に魔法のような効果が現れるように、ひとりきりモードこそ生産性の魔法の効果が現れるときだ。

ひとりきりモードは真夜中や早朝でなければいけないわけではない。
半日はひとりだけの時間のために取っておくという仕事のルールを設定することもできる。
午前一〇時から午後二時は(昼食のときを除いて)誰も他の人と話してはいけないことにする。
あるいは一日の前半または後半をひとりだけの時間とする。
あるいはカジュアルフライデーのかわりに、ノー・トーク・サーズデーを試す。
とにかく生産性が損なわれないように、この時間帯は必ず連続した時間とすること。

そしてそれを徹底的に行うこと。
「ひとりきりモード」の成功は、コミュニケーション依存症からの脱却を意味する。
この間は、インスタントメッセージ、電話、メール、そして会議を断念すること。
ただ黙って、仕事に取り組む。
どれだけ多くの仕事が達成できるかに驚かされるだろう。

小さな勝利を手に入れる p115

仕事の「はずみ」はモチベーションの燃料だ。
それはあなたを動かし続けてくれる。
それがなければ、あなたはどこにもたどり着けない。
あなたが取り組んでいることによってモチベーションが生まれていなければ、あまり良い結果にはならないだろう。

あることを成し遂げ、次に進むことによって仕事のはずみが生まれる。
誰もゴールがない終わりの見えないプロジェクトに張りついていたくはない。
九ヵ月間現場にいて披露するものが何もないのは本当に興醒めだ。
最終的にはあなたは燃え尽きる。
仕事のはずみを保ちモチベーションを上げるには、目標に向かって小さな勝利を達成し続ける習慣をつけることだ。
たとえ小さな改善でも、いいはずみを与えてくれる。

時間がかかればかかるほど、それを終わらせるのはより困難になる。
そして終わらせたとしても、それが良いものになるとは限らない。

興奮は、あることを行い、それを顧客に届けることによって生まれる。
一年ぶんのメニューを作成するのはつまらない。
新しいメニューを出し、飲食物を提供し、フィードバックを得るのは刺激的なことだ。
だからあまり長く待たないように。
そんなことをすれば自分の中のひらめきを消してしまう。

もし絶対に長期間のプロジェクトに取り組まなければいけないのだとしたら、一週間のうち一日(または隔週ごとに一日)は熱中を生じさせる小さな勝利を経験することに専念するようにしよう。
小さな勝利によって、良いニュースを出せるようになる。
定期的に良いニュースを生み出し続けたいだろう。
隔週ごとに新しく発表することがあれば、あなたは自分のチームに士気を吹き込み、顧客には熱中させるものを与えることができる。

だから二週間で何ができるか、自問してみよう。
それからそれを実行する。
表に出し、人にそれを使ってもらい、味わってもらい、遊んでもらう。
より迅速に顧客の手にわたればわたるほど、あなたも楽になるだろう。

創造性の枯渇 p121

創造性は睡眠をとっていないと最初に失うものの一つである。
普通よりも一〇倍効率的な人とそうでない人を分けているのは、効率的な人たちが一〇倍懸命に働いているからではない。
彼らは一〇分の一の労力しか必要ない解決策を思いつくのに創造性を使っているのだ。
睡眠をとっていないと、このような解決策を思いつくことがなくなる。

長すぎるTo Doリストは終わることがない p126

To Doリストもより短くするようにしよう。
長いリストにはゴミが集まる。
長いリストに書かれたことをすべてやり遂げたことがあるだろうか。
最初のいくつかのタスクは終えたかもしれないが最終的にはそのリストを放棄したはずだ(もしくは本当はちゃんと行っていないのにチェックをつけたかもしれない)。

長いリストは罪悪感を抱かせる。
完了していない項目のリストが長くなればなるほど、あなたの感情はネガティブなものになるだろう。
そしてある時点で、嫌な気分になり、あなたはそのリストを見るのをやめてしまう。
それからあなたはストレスでイライラし、すべてが台無しとなる。

もっといい方法がある。
その長いリストを、いくつものより小さなリストに分解するのだ。
たとえば一〇〇項目の一つのリストを一〇項目の一〇のリストへと分解する。
これはリストの中の一つの項目を終えたときにリストの一パーセントではなく一〇パーセントを完了したことを意味する。

確かに、あなたにはまだ同じ量だけやることが残っている。
でもあなたは小さな世界を見て、満足やモチベーション、そして進捗を得ることができる。
これは巨大な世界を見つめてゾッとし、モチベーションを挫かれるよりもはるかにいい。

問題を素早く扱うことができるように、可能な限り小さな要素へと分解するのだ。
再整理という単純なことで生産性とモチベーションは驚くほど上昇させることができる。

そして優先順位付けについてアドバイス。
数字やラベルで優先順位を付けてはいけない。
「これは優先順位が高くて、これは優先順位が低い」と言うのは避ける。
同様に「これは三、これは二、これは一、これは三」と言ってはいけない。
そのようにすると必ずといっていいほど、優先順位が高いタスクが山ほど生まれるはめになる。
これは優先順位付けではない。

そのかわり、視覚的に優先順位を付ける。
最も重要なことを一番上に配置する。
次に重要なことはその下。
こうすれば、最も重要なことは一度に一つだけだ。
それで十分だ。

小さな決断をする p129

大きな決断をするのは難しいし、変えるのも難しい。
そして一度大きな決断をすると、たとえそうではなかったとしても自分は正しい決断をしたと信じ続ける傾向がある。
客観的ではなくなってしまうのだ。

一度エゴとプライドが出てくると、悪びれずに考えを変えることは難しい。
体面を保ちたいという欲求が、正しい選択をしようという欲求をしのぐ。
それから惰性もある。
一つの方向に進むために労力を注げば注ぐほど、進路を変えるのはより難しくなる。

そのかわりに、一時的に効率が上がる小さな選択をしよう。
小さな決断であれば大きな間違いをすることはない。
小さな決断なら、変更の余地がある。
失敗しても大きなペナルティはない。
ただそれを修正するだけだ。

小さな決断をするということは、大きな計画を立てたり、大きなアイディアを考えたりできないということではない。
大きなことを達成する最善の道は、一度に一つの小さな決断をすることだと信じるということなのだ。
大きくて遠いゴールと壮大な実行計画の問題は、モチベーションを殺してしまうということだ。
それはあなたを失敗に導く。

極地探検家のベン・ソーンダースは彼の単独の北極探検(約二〇〇〇キロを七二日間ひとりで)の間、「大きな決断」については考えてみるのもゾッとするほどで、日々「目の前の数メートルの小さな氷にたどり着くこと」だけを考えたという。

このような達成可能なゴールは一番いいゴールだ。
実際にあなたが達成し、積み上げていくことができるゴールである。
「やり遂げた。完了!」と言えるところまでたどり着いたら次へと進むのだ。
これは決して行き着くことがない非現実的なゴールよりもはるかに満足いく方法である。

商品をありふれたものにしない p132

あなたが成功しているなら、人々はあなたがしていることを真似しようとするだろう。
それが世の中というものだ。
しかし、あなたをそんなマネっこから守るすばらしい方法がある。
それはあなた自身を製品やサービスの一部にすることだ。
製品にあなたのユニークさを注入するのだ。
製品をありふれたものではないものにする。
他の人が提供できないものにするのである。

一〇億ドル規模のオンライン靴販売業であるザッポス・ドットコムを見てみよう。
ザッポスのスニーカーは他の小売店のスニーカーと同じものである。
しかしCEOトニー・シェイのカスタマーサービスへの情熱により、他とは違ったものとなっている。

ザッポスでは、カスタマーサービスの従業員は対応マニュアルを使用せず、顧客と長時間話すことが許されている。
コールセンターと本社は海を隔てているのではなく、同じ場所にある。
新入社員は(あとでどこに配属されるにしろ)まずカスタマーサービスでの電話の応対と倉庫での作業に四週間を費やす。
カスタマーサービスへの入れこみがザッポスの存在をユニークにしているのである。

もう一つの例はジョエル・サラティンが所有する、環境に優しいヴァージニアの農場、ポリフェースである。
サラティンは強い信念を持ち、それに沿って経営をしている。
ポリフェースでは、大企業ではできないことをする、というのが売りだ。
コストはかかるが、牛にはトウモロコシではなく草を食べさせ、抗生物質は決して与えない。
ポリフェースは決して食品を外に出荷しない。
客は誰でもいつでも農場を訪れることができ、農場内のどこにでも行くことができる(典型的な食肉処理工場ではそんなことはできない)。
ポリフェースは鶏肉を販売しているだけではなく、考え方を売っているのだ。
そして顧客はそれが理由でポリフェースを愛している。
家族のためにクリーンな肉を手に入れるべく二五〇キロ離れたところから定期的に車を飛ばしてくる顧客もいるほどだ。

あなた自身を商品、そして商品のまわりにあるものすべてに注ぎ込もう。
どのように販売するのか、どのようにサポートするのか、どのように説明するのか、そしてどのように提供するのか。
競合相手は製品の中にあるあなたまでをコピーすることは決してできない。

真似てはいけない p135

美術の学生が美術館の絵を模写したり、ドラマーがジョン・ボーナムの「モビー・ディック」ドラムソロをコピーするように、真似をすることは時には学習のプロセスの一部となり得る。
学び手にとって、このような模倣は自分自身の表現を発見するための有効な手段だ。

残念ながら、ビジネスの世界でのコピーは通常もっと邪悪なものである。
もしかしたらそれは今日僕らがコピー&ペーストの世界に住んでいるからかもしれない。
あなたは他の人の言葉、画像、またはコードを一瞬にして盗める。
そして、真似ることによってビジネスを立ち上げたいという誘惑に駆られるかもしれない。

だがこれは失敗の方程式である。
模倣することによる問題とは、理解を飛ばしてしまうことだ。
理解とはあなたが育てるべきものである。
なぜあることが機能しているのか、またはなぜあることがそういう仕組みになっているのか、あなたは理解しなくてはいけない。
ただコピー&ペーストすると、それが抜けてしまう。
表面下にあるすべてを理解するかわりに表面だけを再利用しているだけである。

最初の創作者が商品に注入した多くの仕事は目に見えない。
表面の下に埋もれているのだ。
模倣者にはなぜその商品がそういう見た目や感じになっているのか、なぜそう書かれたのかがわかっていない。
模倣は偽の仕上がりである。
それは理解をもたらさず、未来の決断の礎にもならない。

それに模倣する側は、オリジナルにいつまでも追いつけない。
模倣者は常に受動的な立場にある。
先導することなく、常に後塵を拝している。
すでに時代遅れになったものを生み出すだけで、それはオリジナルよりも劣るただの類似品なのである。
そんな生き方でいいわけがない。

他の人を真似しているかどうか見分けがつくだろうか?
他の人が仕事の大部分を行っているとしたら、あなたは真似をしているのである。
大いに影響を受けよう。
でも盗んではいけない。

けんかを売る p138

もし競合相手が最低だと思ったらそう言おう。
そうすれば、あなたに同意する人があなたの側に集まってくるのがわかるだろう。
アンチでいることは、あなた自身を差別化し、人を惹きつけるのに非常に良い方法だ。
敵を持つことは顧客に伝えるためのすばらしいストーリーをもたらしてくれる。
態度を表明することは常に目立つ。
人々は対立によってかき立てられる。
彼らはどちらか一方の側につく。
情熱に火がつく。
そしてこれは人々の注意を引くのにとても良い方法である。

p145

あなたの製品やサービスがより少ないことしかできないからといって恥じてはいけない。
それを強調しよう。
それを誇りにしよう。
競合相手が多様な機能リストを売りにするように、それを積極的に売り込もう。

競合相手が何をしているのかなんて気にしない p145

結論として、競合相手に対して注意を向ける価値はあまりない。
なぜなら他社について心配することはすぐに強迫観念に変わってしまうからだ。
彼らは今何をしているのだろう?
彼らは次にどこへ向かうのだろう?
僕らはどのように対応したらいいのか?

どのような小さな動きも分析しなければいられなくなる。
これはひどい考え方だ。
それではストレスと不安に圧倒されるようになる。
そんな精神状態は、何を育てるにもひどい土壌となってしまう。

それに無意味な動きでもある。
競争の状況は常に変化している。
今日の競合相手と明日の競合相手は完全に異なっているかもしれない。
あなたにはなすすべがない。
あなたの手に負えないことを心配することに何の意味があるだろう?

かわりに自分自身に焦点を当ててみよう。
ここで起こっていることは、向こうで起こっていることよりずっと重要である。
他人のことを心配するのに時間を費やしていると、その時間をあなた自身の向上に費やすことができない。

競合相手にあまりにも注目しすぎていると自分自身の洞察力が希薄になってしまう。
他の人々の考えを自分の脳に与え続けていると、すばらしいことを思いつく機会が減少していく。
あなたは先見の明を持った人となるのではなく、反動的な人となる。
行き着くところは、競合相手の製品を異なった包装であなたが提供するということだ。

もしあなたがiPod潰しの商品、または次のポケモンを生み出すことを企画しているとしたら、すでに失敗している。
あなたは競合相手が特色を強めるのを後押ししているも同然だ。
あなたはアップルよりもアップルらしくすることはできない。
彼らはゲームのルールを握っているのだ。
そしてルールを作っているものを打ち負かすことはできない。
あなたは少しだけ良いものを作るだけでなく、ルールを再定義しなくてはいけない。

自分自身にアップル(またはあなたの業界の大企業)を打ち負かせるかどうか尋ねてはいけない。
それは間違った問いだ。
これは勝つか負けるかの戦いではない。
競合相手の利益とコストは彼らのものだ。
あなたの利益とコストはあなたのものだ。

あなたが他の人たちとただ同じようになるのであれば、なぜあなたが別にやる必要があるだろう?
もしあなたが単に誰かをそっくり真似ているのだとしたら、あなたの存在には何も意味がない。
たとえ敗北に終わったとしても、単に他を真似るのではなく、あなたが信じていることで戦うほうがいいのだ。

p150

顧客との衝突は彼らを不快にさせるので、多くの人は「ノー」と答えるのを避ける。
しかしそのかわりの選択がいいものだとは言い切れない。
物事を長引かせて複雑にし、あなたが信じてもいないアイディアに取り組むことになるのだ。

それは恋愛関係のようなものだ。
付き合いをやめるのは難しいが、それを恐れすぎて付き合い続けるのはさらにまずい。
短時間の不快を味わってでも長期間の後悔を避けるのは大事だ。

p151

だからと言って「ノー」とばかり言う嫌な奴になってはいけない。
ただ正直でいるのだ。
顧客の要求に譲歩したくないのであれば、礼儀正しくその理由を説明しよう。
あなたの立場を時間をかけて説明すると、人々は驚くほど物わかりがいい。
彼らをあなたの考え方に賛同させることさえできるかもしれない。
それができなかったとしたら、より良い解決策を持つ競合他社を推薦しよう。
人々があなたの製品を使って不満を抱くよりも、他社の製品を使って満足してもらったほうがいい。

あなたのゴールは製品があなたにとって正しいものであり続けることだ。
誰よりもあなたがそれを信じなくてはいけない。
だからこそ「僕はこれが気に入っているから、君もこれが気に入ると思うよ」と言うことができるのだ。

顧客を(あなたよりも)成長させよう p153

このようなシナリオを聞いたことがあるかもしれない。
ある会社に多額の支払いをしている顧客がいる。
その会社は可能な限りの手段でその顧客を喜ばせようとしている。
そこでこのひとりの顧客の要望で製品に手を加え、変更したために、その製品の本来の顧客基盤が離れていってしまう。

それから、ある日この得意先が去ることになり、この会社には問題だけが残される。
その問題とは、もはや存在しない人のための製品である。
そしていまやこの製品は他の誰にも適応していない。

既存の顧客にこだわり続けていると、新たな顧客を自社から切り離してしまう。
あなたの製品やサービスは既存の顧客にあまりにも最適化されており、新たな顧客には魅力的でなくなってしまう。
このようにしてあなたの会社は傾き始めるのだ。

僕たちの最初の製品が出回った後しばらくして、僕らの最初からの顧客たちから批判がいくつか届き始めた。
彼らが成長したことでそのアプリケーションが合わなくなってきていると言うのだ。
彼らのビジネスは変化しており、新たな複雑さや要件を反映させるために製品の仕様を変えることを望んでいた。

僕らは「ノー」と答えた。
その理由は、そもそも顧客が僕らの製品をモノにできないよりも、むしろ顧客には僕らの製品を追い抜いてほしいと考えていた。
何人かを満足させるために上級者向け機能を加えることは、まだ慣れていない人たちを怖気付かせてしまう。
新規顧客を恐れさせて遠ざけてしまうことは、昔からの顧客を失うことより悪いと僕らは考える。

顧客があなたを追い抜けるようにすると、ほとんどの場合、基本的な製品に行き着くだろう。
それで構わない。
小さくて、シンプルで、基本的なものへのニーズは不変だ。
まさにそれを必要としている顧客の供給は際限なくある。

そして常に、あなたの製品を使っている人よりも使っていない人のほうが多く存在する。
こうした人たちが使い始めることができるように簡単になっていることを確かめよう。
そこに継続的な成長のカギが眠っている。

人も状況も変化するため、全員に対してすべてを提供することはできない。
あなたの会社はニーズがころころ変わる特定の個人よりも、あるタイプの顧客に忠実である必要がある。

熱意を優先順位と混同するな p156

すばらしいアイディアを思いつくと高揚がもたらされる。
可能性と利益を思い描き始める。
そしてもちろん、それらをすべてすぐに得たいと思う。
そのため、他に行っているすべてのことをやめ、最後に思いついた「一番すばらしい」アイディアを追い求め始める。

これはへたなやり方だ。
新しいアイディアへの熱意は、そのアイディアが持つ本当の価値の正確な指標ではない。
たった今、確かなひらめきが生まれたように見えたものも、次の朝にはただの「あってもいい考え」に格下げとなっていることがある。
そして「あってもいい考え」には、他のすべてのことを延期するほどの価値はない。

僕らは常に新しいアイディアを持っている。
それに加え、毎日顧客から何十もの興味深いアイディアを受けとる。
確かにこうしたアイディアがどこに導いていってくれるかをすぐに試してみるのは楽しい。
だからと言っていちいち実践していたら仕事にはきりがなくなり、どこにもたどり着けなくなってしまうだろう。

だからまず「すばらしいアイディア」はしばらく棚に上げておこう。
多くの「すばらしいアイディア」を思いつくことはいいことだ。
ひらめきに刺激され興奮するのもいい。
だが、瞬時の熱意に押されて行動してはいけない。
アイディアを書き留めて、何日か棚に上げておこう。
落ち着いてから、そのアイディアの優先順位を評価してみるのだ。

自宅でも良いもの p158

こんなふうに感じたことがあるだろうか。
店に行き、いくつかの異なった商品を比較して、一番お得に見えるものを買う。
最も機能が多く、最もかっこよく見える。
パッケージもおしゃれだ。
箱には刺激的なキャッチコピーが書かれている。
すべてがすばらしいように思える。

しかしそれを家に持って帰ると、思っていたほど使い勝ってがよくない。
あなたには必要のない機能が多すぎる。
ついには騙されたように感じる。
あなたが本当に必要としていたものは得られず、大金を支払ってしまったことに気づく。

あなたは「店頭で良い製品」を買ってしまったのだ。
それは実際に使ってみたときよりも店で見たときに興奮させられる製品である。

逆に、かしこい企業は「自宅でも良いもの」を作る。
「自宅でも良いもの」とは、家に持って帰ってからどんどん好きになっていくものだ。
そして自分の友達にもそれを薦めたくなる。

「自宅でも良い製品」を作るには、店頭での受けの良さは犠牲にしなくてはならないかもしれない。
基本的な要件が美しく満たされている製品は、オプション機能満載の競合品ほど魅力的には見えないかもしれない。
いくつかすばらしい点がある商品は、たいてい遠目には華やかではないものだ。
それでいい。
あなたは一夜限りの関係ではなく長期間の関係を目指しているのだから。

店頭で見るパッケージやディスプレイについてのみならず、広告においても同じことがいえる。
僕らはみんなテレビで、「人生を変える革命的な道具」のCMを見る。
でも実際の製品が届くと、それは失望へと変わる。
メディアで見栄えがすることは、実際に自宅でも良いものであることほど重要ではない。
悪い経験を良い広告やマーケティングで塗りつぶすことはできない。

顧客の声を書き留めてはいけない p160

顧客が求めているものをどのように追跡し続ければいいのだろうか?
しなくていい。
顧客には耳を傾けるが、そのあとは人々が言ったことは忘れてしまうほうがいい。
これはマジな話。

スプレッドシートやデータベース、ファイリングシステムは必要ない。
本当に気にかけるべき顧客の要求は、あなたが繰り返し聞くことになるものだ。
しばらくすると、それらを忘れられなくなる。
あなたの顧客があなたの記憶となるのだ。
彼らは指摘し続けてくる。
彼らはあなたが本当は何を気にしなければいけないのかを示してくれるのだ。

あなたがいつも忘れているなら、それは重要ではないというサインだ。
本当に重要な物事は消えてしまったりはしない。

無名であることを受け入れる p163

今、あなたが誰なのかを知る人はいない。
それでいい。
無名であるのは、すばらしいことだ。
日陰にいることを幸せに思おう。

この時こそ、世間にあれこれ言われずにミスすることに使おう。
欠点をつまみ出し、思い立ったアイディアを試してみよう。
新しいことに挑戦してみるのだ。
誰もあなたを知らないのだから、失敗しても大きな問題ではない。
無名であれば、プライドを失うことも自信を失うこともないだろう。

小売業者は、いつもテスト販売をしている。
ダンキンドーナツは、ピザやホットドッグ、あつあつのサンドイッチなどを売ることを考えたとき、一〇の地域で商品をテスト販売した。

ブロードウェイもまたいい例だ。
彼らもアイディアを試すときには、まず小さなステージから始める。
ニューヨークで公演する前に小さな町で必ず試験的な公演を行うのだ。
小さな町でテスト公演することで、俳優は(ショーが評論家や専門家のより手厳しい評価を受ける前に)観客から生の評価を手に入れることができる。

はじめて何かをするときに世界中に見守ってほしいだろうか?
今までスピーチをしたことがないとしたら、一万人の前で話をするのと一〇人の前で話をするのと、どちらがいいだろうか?
ビジネスを始めるときもみんなに見てもらいたいとは思わないはずだ。
もしみんなに見てもらえるような準備がまだ出来上がってないのなら、みんなに見てもらうのは得策ではない。

そして、心に留めてほしいのは、一度規模が大きくなって人気が出てきたら、必然的にリスクは小さくしなければならないということだ。
成功すれば、先を見据えて一貫した行動を続けなければならなくなる。
今以上に保守的になる。
そうなるとリスクをとるのは難しくなる。
もろもろのことは形が定まっていき、変化を起こすことが難しくなるのだ。

もし何万人もの人が商品を使っているなら、一つ一つの変更がとても大きな影響を及ぼすことになるだろう。
以前は、何かを変更しても一〇〇人ぐらいにしか影響を及ぼさなかったかもしれない。
今では数千人が戸惑う。
一〇〇人ぐらいの人には何かあっても謝って説明することができるかもしれないが、一万人の顧客が怒るとなると、それ相応の武装はしていないといけない。

こうした初期の無名の状態は、後の顕微鏡の監視下にいるような状況に比べると楽なものだ。
今こそ恥をかくことを心配せずにリスクをとれるときなのだ。

観客をつくる p166

どの会社も「顧客」を持っている。
中には「熱狂的なファン」のいる幸運な会社もある。
だが、一番幸運な会社には「観客」がいるのだ。
観客は秘密兵器にさえなりうる。

多くのビジネスは、人々に訴えかけるために莫大な金をかける。
何かを伝えたくなったら、信じられないほどの予算を使って、広告をあちこちに振りまく。
だが、このアプローチの欠点は金がかかり、当てにならないことだ。

今日、時代の先端を走る会社は、もっとよい方法を知っている。
人々のところへ行くのではなく、人々に来てもらうようにするのだ。
観客というのは、時々あなたのところに自分から舞い戻ってくる。
これが、一番理解ある顧客であり、一番の見込み客と言えるだろう。

一〇年以上にわたり僕たちはブログ「シグナルVSノイズ」で、毎日一〇万人以上の読者、つまり観客を築いてきた。
毎日、彼らは僕たちの伝えたいことを見に戻ってくる。
僕たちは、デザインやビジネス、ソフトウェア、心理学、ユーザビリティ、僕たちの業界について広く意見を述べている。
それがどんなものかはともかく、一〇万人以上の人がもっといろいろ聞きたいと戻ってくるほど興味を持ってくれているのだ。
そして、もし彼らが僕たちのメッセージに共感してくれるのであれば、きっと僕たちが売る物にも共感を示してくれるはずだ。

昔ながらの方法で一〇万人に毎日連絡するにはいくら金があっても足りない。
何万ドル?何百万ドル?実際どういうアプローチを使うのだろうか?広告?ラジオのスポット?ダイレクトメール?

観客をつくるということは、彼らが興味を持ってくれるということであって、人々の注意を買うのではない。
これは非常に大きな利点だ。

だから観客を「つくる」のだ。
話す、書く、ブログを書く、ツイッターでつぶやく、映像を作る、何でもいい。
価値ある情報を共有し、ゆっくりと、だが確実に忠実な観客を獲得するのだ。
そうすれば、何か言いたいときにも、しかるべき人たちがすでに聞いてくれている。

競合相手に「教える」 p169

広告を出す。セールスマンを雇う。イベントのスポンサーになる。
だが、他社も同じことをやっている。
同じことをやって他より目立つことはできるだろうか。

競合を意識してより広告費やセールスマンを増やし、より多くのスポンサーになるのではなく、より多くを「教える」ようにするといい。
「教える」なんて競合他社は考えつかないはずだ。
多くのビジネスは、営業とサービスに力を注いでいるが、彼らにとって教えることはいまだ考えてもみない領域だ。

ヘフラー・タイプ・ファウンドリーは、タイポグラフィー・ドットコムでデザイナー向けに書体について教えている。
ハンドメイド品のオンライン・ショップであるエッツィーは、ウェブサイトで通信販売を行っているユーザー向けに「ベスト・プラクティス」と宣伝のノウハウを説明する起業系ワークショップを開いている。
大規模なワインショップを経営するゲリー・ヴェイナーチャックは動画サイトのワインライブラリーTV(毎日何万人もの人が視聴している)でワインについて教えている。

教えることで、従来のマーケティング戦略では不可能だった新しい関係を築くことができるだろう。
雑誌やバナー広告を使って人々の興味を引くのも一つの手ではあるが、教えることにより顧客の忠誠度を高め、まったく違ったつながりが作られるのだ。
信頼も増し、尊敬さえしてもらえるだろう。
たとえ彼らがあなたたちの製品を使わなくても、ファンでいてくれるだろう。

さらに、この戦略は大きな競合他社ではなかなかできない、僕たちのような個人や中小企業の大きな武器なのだ。
大きな企業は、スーパーボウル中継にCMをドンと打つことができるが、あなたには無理だ。
でもあなたは「教える」ことができる。
大企業はノウハウや戦略を秘密にするほうが利益につながると考えている。
大きな企業が同じようなことをやろうとすると、弁護士のチェックが入り、面倒くさい手続きをくぐり抜けねばならない。
教えることには、彼らと十分に戦えるチャンスが潜んでいる。

料理人を見習う p172

エメリル・ラガーシやマリオ・バターリ、ボビー・フレイ、ジュリア・チャイルド、ポーラ・ディーン、リック・ベイレス、ジャック・ペピンといった名前を聞いたことがあるだろう。
彼らは偉大な料理人たちである。
だが、すばらしい料理人というのは他にも大勢いる。
では、なぜ彼らの名だけがそれほど知られているのだろうか?
それは、彼らが自身の知っていることをすべて公にし、みんなと共有しているからだ。
彼らは自身のレシピを料理本に掲載し、自身の技術を料理番組で披露している。

経営者としても、彼らを見習うべきである。
これは普通ビジネスの世界ではタブーである。
ビジネスとなるとみんなが秘密主義に走り出す。
自身のノウハウは特権的で、競合他社へのアドバンテージになると考えるのだ。
まあ、うまくいくこともあるかもしれないが、たいていはそうはいかない。
だから、そんなことは考えないほうがいい。
共有することを恐れてはいけない。

レシピは、ビジネスよりもずっと真似しやすい。
マリオ・バターリは、そのことを恐れるだろうか?
なぜ彼はテレビ番組に登場し、自身の行っていることを見せているのだろうか?
なぜ彼は、誰もが購入でき、同じように作れる料理本に自分のレシピすべてを載せているのか?
なぜなら、そうしたレシピやテクニックだけでは、彼を凌駕するのに十分ではないのを彼は知っているからだ。
彼の料理本を買って、隣にレストランを開き、彼のビジネスをまわらなくするような人はいないだろう。
そんなふうには絶対にできないものだ。
だが、ビジネスの世界では、もし競合他社が自分たちのノウハウを知ってしまったら追い越され会社はつぶされる、と考えている。
その不安を乗り越えるのだ。

著名な料理人を見習おう。
彼らは料理し、料理本を書く。
あなたは?
あなたの「レシピ」、あなたの「料理本」とは?
教える価値があり、プロモーションにもなるネタとは何だろうか?
この本が僕たちの料理本だ。
ではあなたのは?

舞台裏を公開する p174

人々に舞台裏へのパスを渡して、あなたのビジネスの仕組みを見せよう。
誰かがあなたのビジネスについてリアリティー・ショーを作りたがっていると想像してみよう。
共有するものは何だろうか。
もうよその誰かを待つのはやめよう。
あなたが行動する番だ。

誰も気にしない?
そんなことはない。
一見つまらなそうな仕事もきちんと見せれば、魅力的に見える。
漁業やトラック輸送など、いかにもつまらなそうだ。
だがディスカバリー・チャンネルやヒストリー・チャンネルは、これらの職業を題材にして『ベーリング海の一攫千金』や『アイスロード・トラッカーズ~北極圏を走れ!~』といった人気の高い番組を作った。

危険な仕事である必要はない。
人はどんな種類のビジネスにでも秘密を見つけることが好きだ。
たとえ朝食のシリアルの小さいマシュマロをどうやって作るか、でも。
だからこそランチボックス用のスナック、清涼飲料、ムーヴィーキャンディなどの秘密を解き明かす番組がここまで人気だったりするわけだ。

人は、ものがどう作られているかについて興味津々だ。
だから、工場見学や、映画の舞台裏のドキュメンタリーが好きなのだ。
セットの組みかた、アニメーションの作りかた、監督のキャスティングのしかたまで、いろいろ見たいと思っている。
彼らは、他の人がどのように、そしてなぜそうしたのか知りたいのだ。

人々を舞台裏に導くと新しい関係が生まれる。
彼らはつながりを感じ、顔の見えない企業ではなく、あなたを人間として見てくれるようになる。
彼らは、製品やサービスに捧げられた汗と努力を見るだろう。
そして、彼らはさらに深い理解や評価をしてくれるはずだ。

造花が好きな人はいない p177

ビジネスの世界には、スーツに身を包み、完璧に見せようとしている「プロフェッショナル」がたくさんいる。
だが実際には彼らはお堅く退屈な存在に見えるだけである。
誰もそんな人間には親しみを感じない。

欠点を見せることを恐れてはいけない。
不完全さはリアルであり、人はリアルなものに反応するのだ。
だから、僕たちはいつまでも変わらないプラスチックの花より、しおれてしまう本物の花が好きなのだ。
どのように思われるか、どのように振舞うべきか、あれこれ心配する必要はない。
すべてありのままの本当の自分を世界に見せればいい。

不完全の美しさ。
日本の「ワビサビ」のエッセンスでもある。
ワビサビの価値は、見た目の美しさを超えた特徴と個性にある。
物にあるひびや傷も否定されるものではないと考える。
それはまたシンプルさでもある。
いろいろな物を取り除き、自分自身の持ち味を使うのだ。
ワビサビについての本の著者、レナード・コーレンはこう言う。
「本質だけになるまで削ぎ落とす。だが詩を取り除いてはいけない。余分なもののない、清潔な状態を保つが、不毛にしてはいけない」

作るものに「詩を残す」とはいい言い回しだ。
簡潔にすぎると魂が抜け出てしまい、ロボットのようになってしまう。

だからあなたらしく語ろう。
他の人が話題にしたくないようなこともはっきりと見せるのだ。
欠点を隠さず、出来上がっていなくても、今取り組んでいるものの一番新しい形を見せるのだ。
完璧でなくても大丈夫。
「プロフェッショナル」に見えないとしても、それ以上に本物に見えるのだ。

プレスリリースはスパム p179

誰かに効果があるだろうと、多くの見知らぬ人たちに無差別に送りつけられるものを何と呼ぶか知っているだろう?
スパムだ。
プレスリリースもそうだ。
誰かが記事にしてくれることを期待して、名も知らない何百もの記者に見境なく送っている。

プレスリリースの目的について、あらためて考えてみよう。
プレスリリースを送るのは、人に知ってもらいたいからだ。
新しい会社、製品、サービス、告知などをマスコミに取り上げてもらいたいからだ。
彼らがものすごく興味を持って、あなたについての記事を書いてくれることを望んでいる。

だが、プレスリリースは、そうした目的を果たすにはひどい方法だ。
うんざりするし、ありきたりだ。
わくわくさせるようなものは何もない。
記者のもとには一日何十ものプレスリリースが届く。
それらは結局、誇張された見出しやCEOのいかにもな言葉ばかりだ。
どれもこれも、驚異的、革命的、画期的で、驚くべきと書かれている。
気が遠くなる。

もし注目を集めたいのなら、他の人とまったく同じことをやっても意味がない。
目立つ必要があるのに、なぜ他と同じようなリリースをするのか?
もう記者の受信トレイは他の人のスパムで埋め尽くされているのに、なぜあえてさらにスパムを送りつけなくてはならないのか?

そもそも、プレスリリースはあまりに大ざっぱすぎる方法だ。
文面を作って、それを無数の人に送る。
こちらは相手を知らないし、相手もあなたを知らない。
しかも他のみんなに送ったのと同じ曖昧な書き出しでいいのか?
そんな第一印象を作りたいのか?
そんなものでは、あなたのストーリーは伝わらない。

プレスリリースは忘れて電話をかけよう。
もしくは個人的に手紙を書こう。
もし似たような企業や製品の記事を見つけたら、それを書いた記者に連絡を取り、自分の情熱や興味を伝えるのだ。
有意義なことをし、自分を目立たせ、忘れられない存在になる。
それこそが最も価値ある記事につながる。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』は忘れよう p182

『タイム』、『フォーブス』、『ニューズウィーク』、『ビジネスウィーク』、『ニューヨーク・タイムズ』に『ウォール・ストリート・ジャーナル』といった大新聞、大雑誌は忘れよう。
そんなところの記者への売り込みは不可能に近い。
運よくアプローチできたとしても、彼らはたぶん気にもとめないだろう。
あなたは記事にするほど大物ではないのだ。

それよりも、業界紙やニッチなブロガーなどに焦点を絞って話を持っていったほうが早い。
こうしたところのハードルはそう高くはない。
メールを送って、その日のうちに返事(あるいは記事の投稿)を期待することもできる。
記事の方針にうるさいお偉方やPR担当もいない。
メールを審査するプロセスもまったくないのだ。

それに彼らは実際、新鮮なネタに飢えている。
彼らは、新しいものを見つけて、ムーブメントのきっかけを作り、流行の仕掛け人になることに意味を感じる人々が。
現に多くの大手の記者も新しい情報を見つけるのにこれらの小さいサイトを利用する。
小さな記事からのスタートであっても、あっという間にメインストリームに出ることができるのだ。

僕たちも『ワイヤード』や『タイム』といった大手雑誌に記事を書かれたことはあるが、より効果的だったのはむしろ、マックのマニア向けサイト「デアリング・ファイアボール」や、仕事術についてのサイト「ライフハッカー」に掲載されたときだった。
そうしたところからのリンクは、結果僕たちのサイトの訪問数やセールスに多大な影響を与えた。
大手の記事はそれなりにすばらしいのだが、直接的で瞬間的な効果は期待できない。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』に記事が載れば、エゴは満たされるかもしれないが、おそらく期待しているような結果は得られないだろう。

ドラッグの売人の方法は正しい p185

ドラッグの売人は、抜け目のないビジネスマンだ。
彼らは、自分の商品がすばらしいことを知っているので、先に少量を無料で提供する。
あとで初期投資以上のものが(現金で)戻ってくるとわかっているのだ。

この姿勢を真似てみよう。
自分の商品を、無料で少し使ってもらっても後で現金で回収ができるほどいいもの、熱中してもらえるもの、「手放せないもの」にするのだ。

こう考えると、商品のミニ版があるほうが有利だ。
売ろうとしているものにお試しキットが必要になる。
人々が金や時間を使わずに、試せるようなものだ。

ベーカリーやレストラン、アイスクリーム店は、この仕組みを長年うまく使っている。
車のディーラーは、車を買う前に試乗させてくれる。
ソフトウェア会社も、無料トライアルや機能制限版を用意している。
他の分野でも、どれほど多くの企業が、このドラッグの売人のモデルから利益を得てきただろうか?

無料で提供することを怖がっていてはいけない。
自らが提供しているものを信頼しよう。
人々はそれ以上のものを求めて戻ってくる。
そう信じられなければ、まだ十分に質の高い製品を作っていないということだ。

「一夜にして成功」はない p189

大きな成功はすぐには生まれない。
急に金持ちになることもない。
あなたはみんながすぐに注目するような特別な存在ではない。
誰もあなたを気にかけない。
少なくとも今は。
そんなものだ。

一夜にして成功したという話を聞いたことがあるだろう。
それは話のすべてではない。
深く掘り下げてみると、たいていその大きな成功を得るために長年懸命に働いてきた人たちを見つけるだろう。
まれに成功が突然やってきても長くは続かない。
それを支える土台がないのだから。

一夜で成功をつかむ夢は諦めて、ゆっくりとした、確かな成長を考えよう。
つらいが、我慢強く待つしかない。
コツコツと努力を重ねることだ。
良識ある人に評価してもらうには長い時間がかかるものだ。

PR会社を雇えばプロセスを早くすることができると思っているかもしれない。
惑わされないこと。
まだそんなことをするにはタイミングが早すぎる。
まずPR会社は高くつきすぎる。
一流のPR会社になると月に一万ドルはゆうにかかってしまう。
今の段階では、それは金の無駄遣いでしかない。

あなたは無名で、誰も聞いたことがない製品を売ろうとしているのだ。
誰がそんな奴の記事を書くだろうか?
誰が気にかけてくれるだろうか?
一度、いくばくかの顧客がつき、会社の歴史を刻み始めたのなら、人に話せるようなストーリーができあがるだろう。
だが、ただ立ち上げただけでは、いいストーリーにはならない。

覚えておいてほしいのは、偉大なブランドはいつも、PRキャンペーンなしで立ち上げられたということ。
スターバックス、アップル、ナイキ、アマゾン、グーグル、スナップル。
どの企業も、時間とともに一流のブランドになったのだ。
最初から大規模なPR戦略を行ったわけではない。

まずは観客を得ることから始めよう。
あなた自身の言葉に興味を持ってくれる人たちを見つけるのだ。
そして、地道にそれを続けよう。
そのうちあなたの「一夜にして成功」の話をしている人たちを見て笑える日がくるだろう。

まずは自分自身から p193

まず自分自身でやってみるまで、誰かを雇ってはいけない。
まず自分で、仕事の本質を理解しよう。
うまくいく仕事とはどういうものか。
どんな事業計画書を書くか、また面接でどんな質問をすべきかもわかるだろう。
人をフルタイムで雇うか、パートタイムで雇うか、外注するか、それともやはり自分でやってしまうのか(できればこれが望ましいが)がわかるだろう。

前にしたことのある仕事なら新しい人たちのマネジメントもうまくできる。
いつ注意し、いつサポートすればよいのかもわかる。

37シグナルズでは、メンバーの一人が自力で多くのサーバーのセットアップにひと夏を費やした後、初めてシステム管理者を雇った。
最初の三年は、メンバーの一人が顧客対応をすべて一人でやっていた。
その後ようやく専任の担当者を雇ったのだ。
僕たちは、人に託す前にできる限り自分たちでやってきた。
このように、一度やったことがある仕事にはどういう人が必要なのかわかるのだ。

時には畑違いを痛感するかもしれない。
全然うまくできなかったとくさることがあるかもしれない。
それでもいい。
その感覚を自分で学びながら克服するのか、他人を雇って克服するかの違いだ。
まずはやってみること。
最初の試みを後で諦めることになっても、得た知恵は何倍もの価値となって戻ってくる。

それにビジネスの全面に密に携わるべきだ。
でなければ、他人の手に自身の運命を預けることになる。
それは危険なことだ。

限界で人を雇う p196

喜びを得るために雇うのではない。
苦しみを消すために雇うのだ。
もし誰かを雇わなければどうなるか、と自問してみることだ。
負担になっている時間外の仕事は本当に必要なのだろうか。
ソフトウェアを一つ導入することで、またはやり方を変えることでその問題を解決できないだろうか。
単にしなくていいことなのではないか。

同様に、誰かが抜けることになってもすぐに代役を立てないことだ。
その人、そのポストがいなくて、どれくらいやっていけるのか試してみるのだ。
あなたが思っているほどの人数は必要ないと気づく場合もある。

人を雇うのによいタイミングは、定められた期間内であなたの限界を超えた仕事があるときだ。
もはや自身では手がつけられないものもある。
品質の低下が目立ち始める。
それが限界の時だ。
その時こそ人を雇うのであって、その前の段階ではない。

会社を「知人のいないパーティー」にしない p200

知り合いのいないパーティーへ行っても会話もはずまず退屈だ。
天気やスポーツ、テレビ番組など、たわいもない話にとどまり、深い話や議論をする気にはならない。

だが、昔からの友人同士の小さくて親密な食事会となると話は別だ。
本当におもしろい会話や熱い議論がある。
夜の終わりには得したいい気分になるはずだ。

短期間に多くの人を雇うと「知人のいないパーティー」になってしまいがちだ。
いつも新しい顔があるのでみんなが常によそよそしくなる。
みんなが対立や劇的な反応を避ける。
「そんなアイディアはダメだ」とは誰も言わない。
さしたる反対もなく、ただ平穏に事が進められるのだ。

そうした状況から会社に問題が生じてくる。
物事が厳しくなったときにみんなが率直に自分の意見が言えるような環境が必要だ。
それがないと、人の感情は傷つけないが誰にも愛されない商品を作ることになる。

だから少しずつ雇う。
これが唯一「知人のいないパーティー」の様相を避ける方法だ。

経験年数は意味がない p205

よく「五年の経験が必要」という求人条件を見かける。
それは、数字こそ示してくれるが、それ以外のことはまったくわからない。

もちろん、人を雇うときにある程度の経験が指標になることもある。
半年から一年の経験がある人を雇うのは確かに意味がある。
専門用語に慣れ、物事がどう動くかを学び、関連するツールを理解するにはそれくらいはかかる。

だがその後、成長曲線は平行になる。
驚くべきことに半年の経験のある人と六年の経験のある人は大差ない。
本当の差は、応募者自身の熱意や個性、知性に表われる。

それをどのように測るのか?
五年の経験とは何を意味するのだろうか?
もし数年前から、週末に個人的に勉強していたら、それは経験のうちに入らないのだろうか?
しかし会社はそれを確かめようがない。

経験の長さは過大評価されている。
大切なのは、どのくらい質の高いことをしていたかなのだ。

全員が働く p210

小さなチームでは、人に仕事を振る人間ではなく、働いてくれる人間が必要だ。
全員が何かを生み出さなければならない。
結果を出さないといけないのだ。

つまり、他人にこれをしてと言うばかりの仕切り屋を雇ってはいけないということだ。
彼らは、小さなチームのお荷物だ。
彼らはどうでもいい仕事を引っ張ってきては、チームのプロジェクトを妨げる。
割り当てる仕事がなくなると、どれほど必要かも考えずに、さらに新しい仕事を作ろうとするのだ。

人に仕事を任せる人は、まわりを会議に巻き込むのも好きだ。
実際、会議は彼らの大親友だ。
会議では彼らが重要に見える。
一方、出席する他の人たちは、実際の仕事をする時間が削られてしまう。

「セルフマネジャー」を雇う p212

自分をマネジメントできる人は、自身の目標を設定し、それに向けて行動する人だ。
彼らは、あれやこれやと指示を必要とせず、毎日の細かなチェックも必要としない。
彼らは、管理職がやること(歩調を合わせて、仕事を割り当て、仕事に必要なものを決める)を、自分で自分のためにする。

彼らと働くのは楽だ。
彼らは、自分の方向を自身で打ち出す。
彼らを放っておくと、いかに彼らが仕事をこなすかに驚くだろう。
彼らは、必要以上の指示やマネジメントを必要としない。

そういう人たちをどう見つけるか?
彼らのバックグラウンドを見てみることだ。
彼らは仕事にどのように取り組むかいろいろ試行錯誤したはずだ。
彼らは何かを独力で行ったはずだ。
何かプロジェクトを立ち上げたはずだ。

雇うべき人というのは、ゼロからプロジェクトを立ち上げてやり遂げられるような人だ。
そうした人がいれば、プロジェクトチームのほかのメンバーは今以上に仕事が進み、管理すべきことも少なくなるのだ。

文章力のある人を雇う p214

もし、選考の過程で誰を雇うか決めかねているときには、文章力の有無は一つの大きな選考基準になるだろう。
マーケターでもセールスマンでも、デザイナーでも、プログラマーでも、どんな職種でも、文章力は大きな要素となる。

文章力がある人はそれ以上のものを持っている。
文章がはっきりしているということは、考え方がはっきりしているということだ。
文章家は、コミュニケーションのコツもわかっている。
物事を他人に理解しやすいようにする。
他人の立場に立って考えられる。
彼らは、何を省けばいいかもわかっている。
そんな能力こそ必要なはずだ。

それに社会的にも、最近また文章力は見直されている。
今や、電話よりもメールや文章でのやり取りのほうが圧倒的に多い。
IMやブログでのコミュニケーションも増えている。
今日、文章というのは良いアイディアを導く通貨なのだ。

最高の逸材はどこにでも p215

近くに住んでいないからといって、理想の人材を雇わないのはバカげている。
技術も発達して、オンラインで人をまとめるのがはるかに簡単になった現代では特にそうだ。

僕たちの本拠地はシカゴにあるが、チームの半分以上がシカゴ以外のあちこちに住んでいる。
スペイン、カナダ、アイダホ、その他の場所に住む人を雇っている。
仮に雇い入れる人間をシカゴだけに絞っていたら、今いるすばらしいメンバーの半分以上には出会えなかったのだ。

場所の離れたメンバーどうしで確実に連絡を取り合うには、少なくとも一日のうち数時間、全員の労働時間がリアルタイムで重なるコアタイムを作ることだ。
時差の都合で仕事の時間がまったくかみ合わないのは厳しい。
そんな状況になったら、同じ時間を共有できるよう、誰かが少し遅く(または早く)始業して、時間を調整する必要がある。
八時間すべてを合わせる必要はない(実際、僕たちも完全に時間を合わせないほうがいいと気づいた。一人の時間も大切だ)。
二時間から四時間ほど合わせられれば十分だ。

また、直接会う機会を作ることも大切だ。
少なくとも二、三ヵ月ごとに会うべきだろう。
僕たちも最低年に二、三回はメンバー全員が集まるミーティングを行う。
そういうときは、今までの仕事を振り返り、良かったことや悪かったことを議論し、先のことを計画する。
また、お互いのことを個人的に知るのにも最適だ。

地理はもはや重要な問題ではない。
どこに住んでいるかではなく、最高の逸材を雇うのだ。

社員をテストドライブする p218

面接だけでは十分ではない。
プロっぽく話す人が実際働くとプロには程遠いこともある。
必要なのは、今から何ができるかを評価することであって、過去に何をしたかという彼らの話ではないのだ。

一番良いのは、実際の仕事ぶりを見ることだ。
二〇時間から四〇時間程度でもいいので、小さなプロジェクトに実際に入ってもらう。
そうすればその人の判断力がわかるし、一緒にやっていけるかどうかもわかる。
彼らがどんな種類の質問をするのかもわかる。
彼らの言葉ではなく行動から判断することができるだろう。

これは模擬プロジェクトでもかまわない。
BMWは、サウスカロライナの工場にシミュレーション用の組み立てラインを作り、そこで実際の仕事に沿った様々な作業を九〇分間、求職者に行わせるのだ。

航空機メーカーのセスナは、マネージャー候補に実際のマネージャーの仕事を疑似体験させるロールプレイングの仕組みを採用している。
候補者は書類の処理や、クレーム対応、その他の問題の対処を行う。
セスナはこのシミュレーションを使って、一○○人以上の人間を雇ってきた。

こうした企業は同じことに気づいた。
実際の仕事の環境に入れば本質が見えてくるということだ。
履歴書や面接では見えない一面が、実際に一緒に働くことで見えてくる。

文化はつくるものではない p236

即席でつくった文化は人工的だ。
ミッション・ステートメント、宣言、ルールからなるビッグバンみたいなものだ。
わざとらしくて、醜く、見せかけだけだ。
即席の文化は絵の具のようなもので、本物の文化は緑青のようなものだ。

文化はつくるものではない。
自然に発達するものである。
だからこそ新しい会社には独自の文化がないのである。
文化とは普段の振舞いの副産物だ。
わかち合いを奨励している会社では、それが文化に組み込まれる。
信頼を重視すれば、それが組み入れられる。
もし、顧客を大事にしているなら、それが文化になる。

文化とは方針ではない。
社内のサッカー整や、社員の信頼を深める研修、クリスマスパーティーやピクニックでもない。
それらはただの物や行事で、文化とは程遠い。
スローガンでもない。
文化とは行動であり、言葉ではない。

無理に文化をつくろうと考えないことだ。
上等のスコッチのように、熟成には時間がかかるのだ。

決定は一時的なもの p238

「もしかしたら」
「これが起こったとしたら」
「この場合のためのプランも考えなくては」

まだ起こっていない問題を作ってはいけない。
現実に問題になってから考えれば良いことだ。
多くの「もしも」は起こらない。

今日の決定は永遠ではない。
良いアイディア、面白そうな方針、価値ある実験は、長持ちするだけのつまらない案に簡単に置き換えられがちだ。
小さなビジネスにおいては、そうであってはいけない。
状況が変わればあなたの決定を変えればいい。
決定とは一時的にそうしようということにすぎない。

この時点で、あなたのコンセプトが五人から五〇〇〇人(あるいは、一〇万人から一億人にまで)に通用するかどうか心配するのはバカげている。
製品やサービスをスタートするだけで大変なのに、他の問題を作る必要がどこにあるだろう。
とりあえず最適化し、未来に起こることは未来に任せるのだ。

小さいチームの大きな利点は方針をすぐ変えられることだ。
大きな会社と違い、素早く動けるのだ。
だからこそ、「今日」に視点を合わせ、明日のことは明日考えればいい。
そうしなければ、時間やエネルギーを起こりえない問題に注ぐことになってしまう。

ロックスターは環境がつくる p240

多くの会社が「ロックスター募集」とか「忍者を求む」、というような求人広告を出している。
くだらない。
あなたの社にグルーピーや手裏剣が必要なら別だが。

できるだけ多くのロックスターを部屋に押し込むのではなく、その部屋自体を見てみることだ。
人はダメな仕事も、普通の仕事も、すばらしい仕事もする。
それは考えている以上に環境によるところが大きい。
環境にこそ目をつけるべきだ。

だからと言って、みな平等に創られているのだからロックスターの環境に入り浸っていれば全員ロックスターになるとは限らない。
ただ、はっきりしない方針や指示、複雑な官僚制度のために見えなくなっている才能はたくさんある。
バカげた制度を取り除けば、人はすばらしい仕事をするだろう。

これはカジュアルフライデーや、ペット同伴デーみたいなことではない(もしそんなに良いものならば毎日やっている)。

ロックスター環境とは信頼と自律と責任から生まれるものだ。
彼らにプライバシー、仕事場、必要なツールを与えた結果である。
良い環境は働いている人を尊重している証拠だ。

従業員はガキではない p243

人を子供扱いすれば、子供のような仕事しかしない。
だがこれが多くの会社、多くの管理職の人の扱い方だ。
従業員は何をするにも上司の許しがいる。
ほんの少しの出費にもいちいち許可が必要だ。
クソをしに行くのに許可証が必要でないのが不思議なくらいだ。

何にでも許可を必要とする環境は「何も自分で考えない文化」をつくる。
上司対部下の構造を生み、そこに信頼関係などない。

仕事中にSNSをチェックしたり、ユーチューブを見たりするのを禁止して何になるというのだろう。
そうしたところで部下は必ず他の気晴らしを見つけるだけだ。

そもそも、あなたはみっちり一日八時間の仕事を従業員からは得られない。
八時間の就業時間かもしれないが、それは八時間の仕事ということではない。
人には気分転換が必要だ。
ちょっとフェイスブックやユーチューブを見たところで問題はないはずだ。

その上、そんなことにあなたが費やす時間と費用を考えてみよう。
監視ソフトのコストは?
本当に価値ある仕事のかわりに他の社員を監視している社員のムダは?
誰も読まないルールブック作りに何時間かけているだろうか。
換算してみると、社員と信頼関係をなくすことはかなり不経済だと気づくだろう。

大げさに反応しない p247

まずいことが起こると、新しい規則を作りたくなるかもしれない。
「誰かが短パンをはいてきた?服装規定が必要じゃないか!」。
いや、そうではなくて、短パンをはいてきた奴に忠告すればいいだけの話だ。

規則とはそんなに起こらない状況に会社が大げさに反応した傷痕だ。
一人の間違いに対するみんなへの罰だ。

こうやって官僚制度は生まれる。
誰かがそれを望んだわけではないが、いつの間にか社の一部となっている。
一つ一つの規則とともに。

だから大げさな反応はやめなくてはならない。
ただ一人の間違いから規則を作らないことだ。
規則とは何度でもあり得る状況を想定して作るものだ。

あなたらしく話す p249

ビジネスに携わる人はよく偉そうにする。
堅苦しい言葉遣い、格式ばった発表、不自然なうわべだけの親しさ、難解な法律用語など、なんとかならないものか。
それを読むとロボットが書いたみたいなものばかりだ。
こういう会社はあなたに語りかけていない。
ひたすらあなたに宣伝しているだけだ。

見かけだけのプロ精神なんてバカげている。
わかりきっていることだ。
なのに、いまだに小さな会社はそれを真似ようとする。
自分たちをプロフェッショナルに見せて、大会社の仲間入りをしたと思っているらしい。
これは単に滑稽だ。
さらに、小さな所帯であるがゆえのメリット、つまり、単刀直入に言いたいことをはっきり言える立場を犠牲にしている。

あなたらしくていけないことはない。
正直であることもスマートなビジネスにつながる。
言葉は第一印象だ。
なぜ嘘から始める必要がある?
自分自身であることを恐れてはいけない。

これはメール、郵便物、インタビュー、ブログ、プレゼンテーションなど、言葉を使うあらゆる場面で同じことがいえる。
顧客と話すときには友人と話すようにしてみよう。
隣に座っているかのように説明しよう。
専門用語や美辞麗句も無用だ。
流行語だって必要ない。
「マネタイズする」とか「透明性を保つ」ではなく、「儲ける」や「正直でいる」というふうに。

それから、メールの終わりに「このメールは機密情報を含みうるので受取人以外への転送・回覧はご遠慮ください」なんて文言を社員に付けさせてはいけない。
会社のメールすべてに「あなたを信用していません。文句があるなら裁判所で会いましょう」とメッセージを入れるも同然だ。

読まれるために書くのであって、書くためだけに書くのではない。
何かを書いたら、朗読してみよう。
人と話しているときのように読めるだろうか?
どうしたらもっと会話調にできるだろうか?

書き物は格式がなければいけないなんてことはない。
誰があなたの性格を押し殺した書き方をしろと言った?
規則なんて忘れて、コミュニケートするのだ。

あなたの言葉を読むであろう人たち全員のことを考えながら書いてはならない。
一人のことを考え、その人のために書こう。
多数の人のために書くと大雑把でギクシャクした文になってしまう。
ターゲットを定めれば、言いたいこともまとまってくるだろう。

「なるたけ早く」は毒 p255

「なるたけ早く」と連呼してはいけない。
そんなことはわかってる。
みんな何でもできるだけ早くやってもらいたいものだ。

どんな要請の終わりにもいちいち「なる早で」と付けていたら、すべての要請が最重要だと言っているのと同じだ。
もしすべてが最重要であるのならば、何も最重要ではないということになってしまう(何を優先するか考えてみるまではすべてが最も重要だなんて不思議な話だ)。

「なるたけ早く」はインフレを起こす。
「なるたけ早く」と記されていないものの価値を下げてしまう。
いつの間にか、やらなければならない仕事すべてに「なるたけ早く」が付けられる。

大多数のものは、これほどのヒステリーを起こすに値しない。
今すぐにその仕事が終わらなければ人が死ぬわけでもない。
誰もクビにされるわけでもないし、会社が大出費するわけでもない。
「なるたけ早く」の多用は余計なストレスを生み、社員の燃え尽きやもっと悪い事態につながりかねない。

本当の緊急時以外には急がせる言葉は控えることだ。
今何かしなければ最悪の事態につながるときだけ。
それ以外のときにはリラックスしていればいい。

ひらめきには賞味期限がある p258

みんながアイディアを持っている。
アイディアは不死身だ。
アイディアは永遠だ。

一方、ひらめきは永遠に持続できるものではない。
果物や牛乳のように賞味期限がある。

何かしたいことがあれば、今しなければいけない。
しばらく放っておいて二ヵ月後に取りかかるというわけにはいかない。
「後でやる」とは言えない。
「後で」ではそんなにやる気満々でもないだろう。

もし金曜日にひらめいたら、土日を返上してプロジェクトに専念するのだ。
インスパイアされている間は二四時間で二週間分の仕事ができるものだ。
そういう意味ではひらめきはタイムマシンだ。

ひらめきとは不思議なものだ。
生産性を高め、やる気をあおる。
だが、待っていてはくれない。
ひらめきとは「今」のものだ。
もし、虜にされたなら、逆に仕事に専念することだ。

p261

この本を読んでくれてありがとう。
あなたたちが刺激され、自分の仕事を見直してくれることを祈る。
あなたたちがどう変わったかは rework@37signals.com まで知らせてほしい。