コンテンツにスキップする

「運動脳」を読んだ

投稿時刻2024年11月25日 15:13

運動脳」を 2,024 年 11 月 22 日に読んだ。

目次

メモ

精神科医としてベストな処方、それは「運動」 p2

これは私の作り話などではない。
数十年にわたる神経科学の研究が導き出した答えだ。
運動が認知機能に作用することを立証する論文が、次から次へと発表されている。

だが、精神科医である私が何より引きつけられたのは、心の状態と幸福感への影響だ。
運動は不安障害やうつ病のリスクを減らすだけでなく、それらを治療する手段として抗うつ剤やセラピーに匹敵する効果があり、その事実はもはや動かしようがない。

それを重くとらえて、私はよく、運動するよう患者に指示する。
もちろん薬の処方やセラピーも行ってはいるが、科学的な裏づけによる観点から、運動を重要な治療法と考えている。

2年かけて「科学」「事実」「知的興奮」をぎっしり凝縮 p4

本書を書きあげるのに、ほぼ2年を費やした。

私は、この本を科学と事実がぎっしり詰まった読みものにしたいと思った。
同時に、わくわくしながら楽しんで読めるものにしたいとも思った。
何度も何度も書き直し、読者のみなさんに講義するのではなく語りかけるように、知識がすんなり頭に入るように書いたつもりだ。

心理学や神経科学に興味がある人だけでなく、万人が理解できることを目指した。
運動が脳の働きを高めるメカニズムや、そうした恩恵にあずかるにはどの程度の運動が必要かを伝えたいと思った。

さらには、読者が進化の観点から運動について深く考え、それがどのように脳に作用するかだけでなく、なぜそうなるのかについても知ってもらいたいと思った。
人間の身体は動くためにできている。
そして、運動はスポーツを上達させるためだけのものではない。

私が言いたいのは、たとえば通勤するときは車を使わずに自転車をこぐ、テレビばかり見ていないで庭いじりや散歩をする、そういったことだ。
身体を動かすのであればどんなことでも有効であり、その一歩一歩が脳にとって価値がある。
いつ、どこで、何をするかは大した問題ではない。

p10

脳の研究が進んだことにより、人間の個性が生物学的にいくらか解明されていることは事実だが、だからといって、その人がどのような人生を送るかまで決まるわけではない。
脳は思いのほか柔軟であることが様々な研究によって明らかにされており、それは子どものみならず大人にもいえるという。

脳のなかでは絶えず新しい細胞が生まれ、互いにつながったり、離れたりしている。
あなたが何かをするたびに、それどころか何かを考えるだけでも、脳は少しだけ変わる。

たとえるなら、それは固まらない粘土のようなものだろう。

では、どうすればこの「粘土」を、あなたにとってベストな形に変えられるのだろうか。

じつは身体を動かすことほど、脳に影響をおよぼすものはない。
これが本書のテーマであり、とりわけ効果の高い身体の動かし方とそのメカニズムをお伝えすることが、この本のねらいだ。

運動をすると気分が爽快になるだけでなく、集中力や記憶力、創造性、ストレスに対する抵抗力も高まる。
そして情報をすばやく処理できるようになる。
つまり思考の速度が上がり、記憶のなかから必要な知識を効率的に引き出せるようになる。

また特別な「脳内ギア」を入れることで、混乱した状況下で意識を集中させ、心が乱れていても平常心を取り戻すことができる。
運動によってIQ(知能指数)が高くなるという説さえある。

トーマス・エジソンの「身体の主たる機能は、脳を持ち運ぶこと」という言葉は、言い得て妙といえるだろう。

第1章 現代人はほとんど原始人 p28

あなたに関する、知られざるとっておきの秘密

「身体の主たる機能は、脳を持ち運ぶこと」
トーマス・A・エジソン(偉大なる発明家)

あなたがタイムマシンに乗り込んだとしよう。
操縦席に座り、行き先を紀元前1万年前に合わせ、マシンを始動させた。
マシンが音を立てて揺れはじめたかと思うと、いきなり猛スピードで1万2000年もの時空を超え、あなたは一瞬にして過去の時代に移動している。
おそるおそるカプセルから出てあたりを見まわすと、獣の皮を身にまとった人間たちが立ちつくし、こちらを見て仰天している。

そんな人間たちを目の当たりにして、最初に何を感じるだろうか。

「どう見ても“原始人”だ。
獲物を追いつめて仕留めることはできても、高度な思考力があるようにはとても見えない」

そんな印象を受けるだろうか。

そう結論づけてしまうのは何ともたやすいが、じつのところ彼らは、あなたとほとんど変わらない。

もちろん、話す言葉や経験してきたことはまったく違う。

それでも身体の機能は、頭からつま先まで何一つ変わらない。
認知機能や感情も、そっくり同じものが備わっている。

じつは、私たち人類は1万2000年前からほとんど変わっていないのである。

運動で脳は「物理的」に変えられる p29

いっぽう生活習慣は、ここ100年だけを見ても激変した。
まして1万2000年前と比べれば、信じられないほどの変わりようだ。

現代に生きる私たちは、物に囲まれて快適に暮らし、原始時代の人々が想像すらできないようなテクノロジーを駆使した道具を使っている。

社会環境もまるで違う。
おそらく、私たちは彼らが一生かけて出会う数の人間に、たった1週間で出会っているはずだ。

あなたの生活習慣と目の前に立っている原始時代の人々の生活習慣には、もう一つ根本的な違いがある。
原始時代の人々は、あなたよりもはるかによく動くという点である。

長い歴史を振り返れば、それは1万2000年前にかぎらない。
何百万年もの間、私たちの祖先は、現代人よりもはるかに活発に動きまわっていた。

理由は単純だ。
人類の歴史において、ほとんどの時代、身体を動かさなければ食料を手に入れることも、生き延びることもできなかったからだ。
そのため、私たちの身体は動くのに適したつくりになっている。

そして、脳も例外ではない。

100年でも長いと感じるのだから、1万2000年となれば永遠のような気がするに違いない。
だが生物学的な見地に立てば、それはほんの一瞬でしかない。
どんな種も、進化の過程においては、大きな変化が起こるまでに途方もない年月がかかるという。

それは人類も同じ。
つまり、私たちの脳は100年経っても1万2000年経っても、さほど大きく変化していない。

生活習慣は一変し、その結果、もともと身体が適応していた生活からはますます遠ざかってしまったが、あなたや私の脳は、今もまだサバンナで暮らしている。
そして、私たちが活発に動くことに、脳は何より敏感に反応する。

もはや食料を調達するために狩りに出かける必要はなく、インターネットで注文までできる時代だ。

それでも、ほんの少し祖先の生活に近づけば――つまり身体をもっと動かせば、私たちの脳は、今よりもずっと効率よく働いてくれることだろう。

「脳のアップグレード」が実現可能な科学的根拠 p32

私はこれまで、何千という研究論文を読んできた。
そのなかで何より興味を引かれ、医学や健康にかぎらず人生に対する考え方まで変わるきっかけとなった論文がある。

それは、60歳の被験者およそ100人の脳をMRI(磁気共鳴断層撮影装置)で調べた研究について書かれたものだ。

MRIは、脳の研究者にとってはまさに奇跡の技術といえる。
なぜなら、この機器は私たちが別世界に足を踏み入れるための扉を開けてくれたからだ。

MRIの恩恵により、身体にメスを入れずに頭蓋骨の蓋を開け、画像を通して頭蓋内を覗き、人間が思考したり作業に取り組んだりしているときに脳がどのように働くのかをリアルタイムで調べられるようになった。

この100人の脳の調査の目的は、加齢が脳におよぼす影響を解明することにあった。

皮膚や心臓や肺と同じく、脳も老化する。
では、どのように老化するのだろうか。
老化を遅らせる手立てはないのだろうか。
ひょっとして定期的に身体を動かせば、老化という流れを変えられるのではないだろうか。

研究者たちがこうした疑問を抱いたのは、ある動物実験がきっかけだった。
ケージで飼育されているマウスのうち、回し車をこいだマウスは脳の老化が遅いことがわかったのである。

これらの疑問に答えを出すため、研究者は60歳の被験者たちを2つのグループに分けた。
一つは週に数回の頻度でウォーキングを1年間続けるグループ。
もう一つは、同じ頻度で心拍数が増えない程度の軽い運動を続けるグループだ。
実験に先立ち、ウォーキングのグループと軽い運動のグループはどちらもMRIによる脳の検査を受け、1年後にもう一度チェックを受けた。

脳の働き方を調べるため、被験者は各種の心理テストを受けながらMRIによって脳を観察された。
その画像によって、脳の領域が個別に活動することや、側頭葉が後頭葉や前頭葉と複雑に連携しながら(脳内でいろいろ連携しながら)活動していることが明らかになった。

だが何より大きな発見は、2つのグループがまったく異なる結果を示したことである。

ウォーキングを1年間続けた被験者たちは健康になったばかりでなく、脳の働きも改善していた。
MRIの画像は、脳葉の連携、とくに側頭葉と前頭葉、また側頭葉と後頭葉の連携が強化されたことを示していた。

簡単にいえば、脳の各領域が互いにより協調しながら働いていたということだ。
脳全体の働きが1年前より向上していたのである。
身体を活発に動かしたこと、つまりウォーキングが、何らかの作用によって脳内の結合パターンによい影響を与えたのだ。

ウォーキングで「認知機能」が向上した p34

この60歳の被験者のデータに加え、若い被験者の実験データも取られたが、やはり同様の結果が得られた。
身体をよく動かした被験者の脳は、明らかに若返っていたのである。

1年間、加齢がまったく進んでおらず、それどころか生物学的にも強化されており、とりわけ前頭葉と側頭葉が強く連携していた。
確かに、その領域は加齢の影響を最も受けやすいといわれている。
そこに改善が見られたということは、加齢の進行が食い止められたといっていいだろう。

収穫はそれだけではなかった。
おそらく、こちらのほうが重要である。

それは定期的なウォーキングが、実生活にもプラスの効果をおよぼす脳の変化をもたらしたことだ。
心理テストの結果、「実行制御」と呼ばれる認知機能(自発的に行動する、計画を立てる、注意力を制御するといった重要な機能)が、ウォーキングのグループにおいて向上していたことがわかったのである。

要するに、身体を活発に動かした人の脳は機能が向上し、加齢による悪影響が抑制され、むしろ脳が若返ると判明したのだ。

ここで一旦、これまで読んだことを振り返り、もう一度じっくり考えてほしい。

ランニングで体力がつく、あるいはウェイトトレーニングで筋肉が増強できることは知っているはずだ。
それと同じく、運動によって脳は物理的に変えられる。

脳の変化は、現代の医療技術で測定することができるので、そのことは確認済みだ。
脳を変えれば、認知機能を最大限まで高められることもわかっている。

脳を変える話についてはのちほど詳しく述べるとして、まずは運動で脳が変わる根を探るために、脳の「仕組み」から見てみよう。

100兆もの「脳内連携」をフル稼働させる p36

脳は、これまで考えられていたよりはるかに変化しやすいことがわかっている。

よく「脳はパソコン」といわれるがとんでもない。
あなたの頭のなかにあるものは、あらかじめ発達するよう遺伝的にプログラムされた、最先端の技術を搭載したコンピュータではない。
それとは比べものにならないほど複雑にできているのだ。

そこには、およそ1000億の細胞がひしめいている。
そして、それぞれの細胞が、ほかの何万個もの細胞とつながっている。

そうなると、つながりの総数は少なくとも100兆はあることになる。
銀河系や、ほかの星雲の星の1000倍以上の数だ。

それどころか生頭のなかに宇宙があるというと、ニューエイジ的な思想のように聞こえるかもしれない。
だが脳は、まさに内なる宇宙にほかならないのである。

脳内では絶えることなく、古い細胞が死に、新しい細胞が生まれている。
細胞と細胞がつながり、その回路が使われなくなると、つながりも消滅する。
そしてつながりの強さは、脳がどのように構造を組み替えるかによって変化する。

脳は絶え間なく変わりつづける、この上なく複雑な生態系と考えていい。
子どものころや、何か新しいことを学んだときだけでなく、変化は一生を通して続く。
あらゆる感覚、あらゆる思考……何かを経験するたびにその痕跡が刻まれて、ほんの少しずつあなたは変わる。

今日の脳は、昨日の脳と同じではない。
脳は、永遠に開発途中の未完成品なのである。

脳がスムーズに機能する条件 p37

脳細胞の数や脳の大きさで頭のよし悪しが決まると信じる人がいる。
だが、それは誤りだ。

最もわかりやすい例として、アルベルト・アインシュタインを挙げてみよう。
アインシュタインの脳は、平均的な脳より大きくも重くもなかった。
重さは1230グラムで、男性の脳の重さの平均値1350グラム(平均的な女性の脳の重さはそれより約100グラム軽い)よりも軽かった。

また、かなり長い間、私は脳の働きのよし悪しは脳細胞のつながりの数で決まると考えていたが、それも誤りだった。

2歳児の脳細胞のつながりの数は、大人のそれよりもはるかに多い。
そして成長するにつれてその数は減っていく。
この「刈り込み」と呼ばれる過程により、2歳から青年期までは1日で200億近くのつながりが消えるという。
脳は使わない回路を切断しながら、新たに信号を伝えるための場所を空けているのだ。

そして、少し難しくなるが、脳科学的にいうと「同時に発火した神経細胞(ニューロン)同士が結合する」ことにより、新たな回路が生まれる。

だが、もし脳細胞の数や、そのつながりの数で脳の働きのよし悪しが決まるのでないとすれば、いったい何によって決まるのだろうか。

それは、私たちが様々な動作をしているとき(たとえば自転車に乗ったり、本を読んだり、夕飯に何を食べようかと考えていたりするとき)に脳が使う“機能ネットワーク”と呼ばれる「プログラム」によって、である。

あなたの脳には、「泳ぐためのプログラム」や「自転車に乗るためのプログラム」、「署名するためのプログラム」が保存されている。
あらゆる動作がこの機能ネットワークによって制御され、基本的に、すべてのネットワークは脳の細胞同士のつながりの集合体で構築されている。

一つのプログラムだけでも脳の様々な領域の細胞が関わっており、プログラムがスムーズに実行処理されるためには――つまり、スムーズに泳いだり、自転車に乗ったり、署名したりするためには、脳の各領域がしっかりと連携しなければならないのだ。

同じ動作を繰り返すほど滑らかになる理由 p39

たとえば、あなたがピアノで簡単な曲を弾くとしよう。
そのためには、脳のたくさんの領域が協調して働かなくてはならない。

まず、あなたはピアノの鍵盤を見る。
すると、電気信号が目から視神経へと伝わって、後頭葉の一次視覚野と呼ばれる部分に運ばれる。
それと同時に運動皮質が指令を出して、手と指を動かす。
ピアノの音が鳴ると、今度は聴覚皮質が音の情報を処理して、側頭葉と頭頂葉にある連合野へと信号を伝える。
そして、信号が最後に届くのは、意識と高次脳機能をつかさどる場所「前頭葉」だ。
あなたは自分が弾いた音を聴いて、音が間違っていれば弾き直すことに……。

つまり、簡単な曲を弾くだけでも、これだけのことが必要なのだ!

視覚と聴覚をつかさどる全領域と運動皮質、頭頂葉、前頭葉は、曲を演奏するプログラムのなかで、それぞれ役目を果たしている。
練習すればするほど演奏はなめらかになり、脳のプログラムもスムーズに流れるようになる。
プログラムがスムーズになることで動作のぎこちなさも修正されていく。

最初のうちは、弾いてもつかえてばかりで四苦八苦するだろう。
プログラムの流れがぎこちなく、情報をすんなり処理できないため、脳の各領域は全力で目の前の作業に取り組まなくてはならない。
練習したてのころ、鍵盤を弾くために苦労しながら極限まで意識を集中させる必要があるのは、そのためだ。

それでも練習を重ねるうちに、少しずつ楽になってくる。
何度も繰り返していると、やがて別のことを考えながらでも弾けるようになる。

これは、曲を演奏するための脳のプログラムが、よどみなく情報を処理できるようになったからだ。

つまり「同時に発火したニューロン同士が結合」した――信号が同じネットワークを繰り返し通ることで、つながりが強化された――のである。
いずれは、いちいち考えずにメロディーを弾けるようになるだろう。

「曲を演奏するためのプログラム」によって各領域の細胞が活動するとき、これらの領域はプログラムをうまく処理するために、固く連携していなくてはならない。

たとえば脳を、すべての部品がきちんとつながったコンピュータだと考えてみよう。
部品同士の接続が悪いと、内蔵された部品のひとつひとつが正常に機能していてもコンピュータは作動しない。

つまり機能的にすぐれた脳とは、細胞がたくさんある脳でも、細胞同士がたくさんつながっている脳でもなく、各領域(たとえば前頭葉や頭頂葉)がしっかりと連携している脳なのだ。
それがプログラムをスムーズに実行処理するための前提となる。

そして、ここが肝心なのだが、身体を活発に動かせばその連携を強化できる。
運動によって脳に好ましい効果が数多くもたらされるのも、様々な領域が強く連携していることが基本条件なのだ。
それについて、これからお話ししよう。

あなたの頭脳は「プラス」か「マイナス」か p42

脳の領域の連携が強い、あるいは弱いなどという話は、いささか耳慣れないかもしれない。

しかし研究によれば、人によって認知能力に差があるのは、それが理由だという。
近年、この分野の研究において、興味深い事実が発見された。

数百人の被験者の脳を最先端の技術によって検査した結果、プラスの特質――たとえば「記憶力がすぐれている」「集中力がある」「教育水準が高い」「飲酒や喫煙に対する自制心が強い」などの特質を備えた被験者は、脳の各領域がしっかりと連携していた。

いっぽう、「かっとなりやすい」「過剰な喫煙」「アルコールや薬物への依存」など、マイナスの特質を持つ人々には正反対のパターンが見られた。
脳内の連携がよくなかったのである。

プラスの特質の多くが脳に同じパターンの痕跡を残し、マイナスの特質はそれと逆のパターンの痕跡を残していた。

いってみれば、私たちは生活習慣によって、プラス・マイナス軸上のどちらに脳が属するかが決まるのである。
この研究チームは、「脳の連携パターンを見れば、その人がどのような生活を送っているか、ほぼわかる」と考えている。

では記憶力や教育水準の高さ、飲酒に対する自制心のほかにも、このプラス・マイナス軸のプラス側に属する特質はあるのだろうか。

もちろん、ある。
身体のコンディションだ。

あなたが考え、行うことが脳を作る p43

ここで一息。
こんな研究は独断的、あるいはエリート主義的だと思うだろうか?
確かに、プラス・マイナス軸の話を持ち出すだけでも、人間にある種の優劣をつけていると思うだろう。
そう解釈したくなるのもよくわかるが、それは誤解だ。

第一に、生まれ持った性質で脳の連携パターンや、軸のどちら側に属するかが決まるわけではない。
それを決めるのはあくまで生活習慣だ。
私たちはみずからの選択によって、これまで考えられていたよりもはるかに基本的なレベルで脳の機能を変えることができるのだ。

脳が一方的に、何を考え、何を行うかを決めるのではない。
私たちが考え、行うこともまた脳を変え、その機能を変えるということだ。

脳を操作しているのは私たちであって、脳が私たちを操作しているのではない。
だから、脳の各領域の連携を強化するには、脳の仕組みを理解したうえで、定期的に運動することが何より重要なのだ。

そして、それによって身体が健康になることも、軸のプラス側に属することにつながるのである。

大人の脳が持つ可塑性――柔軟で変形する p45

「子どものころに楽器を習っていればよかった。今からじゃもう遅すぎる」

多くの人が一度や二度、こんな思いを抱いたことがあるのではないだろうか。

事実、子どもの脳は驚くほど柔軟で、言葉でも運動技能でも、あらゆるものをたちどころに身につける。

とはいえ、なぜ子どもの脳は短期間でこれほどまでに多くのことを、しかも一見大した努力もせずに習得できるのだろうか。

子どもは、この世界で生きる術をすばやく身につける必要がある。
そのとき脳内で見られるのは、脳細胞が互いに結合するだけでなく、それを切り離す「刈り込み」という驚異的な能力だ。
そしてお気づきのとおり、のちの人生では決して戻らないような速さで、それは起きている。

変化という脳の特性は、脳科学の専門用語で「神経可塑性」というが、これは脳の最も重要な特質といっていい。
なぜなら、子どものころほどに柔軟ではないにしても、その特質が完全に失われてしまうことはないからだ。
今でも、それはそこにある――大人になっても、80歳になっても。

科学が「最も信頼できる」とした方法で行う p54

脳の可塑性の研究においては、身体を活発に動かすことほどに脳を変えられる、つまり神経回路に変化を与えられるものはないことがわかっている。
しかも、その活動を特別に長く続ける必要はないという。
じつをいえば、20分から30分ほどで充分に効果がある。

ランニングによって脳を変えるメカニズムには、GABA(ギャバ、ガンマアミノ酪酸)と呼ばれるアミノ酸が関係している。

GABAは脳内の活動を抑制して変化が起こらないようにする、いわば「ブレーキ」の役目を担っている。
しかし身体を活発に動かすと、そのブレーキが弱まる。
運動によって、GABAの脳を変えまいとする作用が取り除かれるのだ。
そうなると脳は柔軟になり、再編成しやすくなる。

脳を「固まらない粘土」と考えるなら、GABAのブレーキ作用が抑えられることで、粘土がより軟らかく、成形しやすくなるということだ。
運動を習慣にしていれば、あなたの脳は「子どもの脳」に近くなっていくのである。

緊張すると「ドキドキ」するのはなぜ? p63

ストレスに立ち向かうためには、まずストレスとは何か、それがどういった影響力を持つのかを理解しておくべきだろう。

まずあなたの身体には、「HPA軸(視床下部・下垂体・副腎軸)」と呼ばれるシステムが備わっている。
HPA軸は脳の深部にあるH(hypothalamus)つまり視床下部から始まっている。
そして、脳が何らかの脅威(たとえば、誰かがあなたに向かって叫び声を上げる)を感じると、視床下部がホルモンを放出してHPAのPである下垂体(pituitary)を刺激する。
すると下垂体が別のホルモンを放出し、そのホルモンが血流によって運ばれ、HPAのAである副腎(adrenal gland)を刺激する。
それを受けて副腎は「コルチゾール」というストレスホルモンを放出し、そのために動悸が激しくなる。

この一連の反応は、一瞬のうちに起きる。
叫び声が聞こえてから血液中のコルチゾールが増えて心拍数が上がるまで、ほんの1秒ほどしかかからない。

こんな場面を想像してみよう。
あなたは大勢の同僚の前に立ち、それまで熱心に取り組んできたプロジェクトのプレゼンテーションを始めようとしている。
動悸が速くなり、たった今コップの水を飲んだばかりなのに、口のなかはもう渇いている。
手も、そして持っている原稿もかすかに震え、誰かにそれを気づかれはしないかと心配になる。

このとき、あなたの体内ではHPA軸が活性化し、血中のコルチゾールの濃度が増加している。
同僚は決してあなたの命を脅かしているわけではないが、あなたの身体は危機に直面したものと解釈する。

これは何百万年にもわたる進化の過程で受け継がれてきた、強力な生物学的メカニズムだ。
それが今、「闘争か逃走か」の反応を引き起こしているのだ。

この場合、あなたの身体にとっての「闘争」は、プレゼンテーションを見事にやり抜くことであり、同僚たちに襲いかかることではない。
しかし生物学的な見地では、疑いの余地はない。
あなたの身体は、コルチゾールによって戦闘の準備をしているのだ。

コルチゾールの血中濃度が上がると、脳も身体も厳戒態勢に入る。
自分の命を守るため、闘争あるいは逃走の準備が整うと、筋肉がたくさんの血液を必要とするために、動悸が激しくなる。
つまり心拍数が増加する。
脳は意識を集中させ、わずかな変化にも敏感になる。
聴衆の誰かが小さく咳でもしようものなら、たちまち、その音に反応してしまう。
緊張すると身体が反応してしまうという事態の犯人はコルチゾールというわけだ。

ストレスには、神経を研ぎ澄ませ、集中力を高める役割もある。
普通に考えれば好ましい反応だが、その反応が過剰になる場合もあるということだ。
集中力が高まるどころか、かえって思考が混乱してしまうのである。

そうなると自制心は失われ、押しつぶされそうな苦しみにとらわれる。
そういう場合、HPA軸は制御不能の状態に等しい。

ストレスが「次のストレス」を生む p66

ここでもう一度場面を巻き戻して、ストレスが脳内で始まるところを見てみよう。

あなたのプレゼンテーションを待つ同僚を危険とみなす「警告」は、おおもとを辿ればじつはHPA軸が発したものではなく、HPA軸を動かす動力源である「扁桃体」が発したものだ。

扁桃体は、側頭葉の奥深くにあるアーモンド形の部位である。
扁桃体は2つあり、脳の左右に一つずつ備わっている。
進化の過程で保持された扁桃体は、多くの哺乳動物の脳に共通して存在する。

扁桃体が原始の時代から受け継がれてきたのは、人類やほかの種の生存に欠かせないものだからだ。
これは、しごく道理にかなっている。
生存の可能性を増やすものがあるとすれば、それは危険な状況に出くわしたときに、ただちに逃走を促す、すぐれた警報システムだ。
扁桃体の機能が、まさにそれである。

扁桃体はこの警報システムのなかで、じつにユニークな働き方をする。
ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けるのである。

つまり、こういうことだ。
扁桃体が危険を知らせ、それに反応してコルチゾールの血中濃度が上がると、扁桃体がさらに興奮する。
ストレスがストレスを呼ぶという悪循環だ。

扁桃体の興奮が治まらず、HPA軸が制御不能の状態になれば、そのうちに本格的なパニック発作が起きる。
パニック発作は非常に辛いだけでなく、発作を起こしたが理性を失った行動に出がちで、いい結果に終わることは少ない。

私たちの祖先がサバンナで猛獣に出くわしたときに、パニック発作を起こしたら生き延びるのは難しい。
そのような切迫した状況では、むしろ冷静で明晰な思考が生存の可能性を増やすはずだ。

そのため体内には、ストレス反応を緩和して、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルがいくつか備わっている。
その一つが「海馬」だ。

海馬は記憶の中枢といわれるが、それ以外にも、感情を暴走させないためのブレーキとして働いている。
海馬はストレス反応を抑制することで、ストレス反応を引き起こす扁桃体の働きを相殺しているのである。

この状態は、ストレスが生じる状況以外でもずっと続いている。
扁桃体と海馬は常にバランスを保ちながら、互いに綱引きをしているのだ。

要するに、扁桃体がアクセルを、海馬がブレーキを踏んでいる状態である。

イライラで「海馬」が縮小、物覚えが悪くなる p69

プレゼンテーションの話に戻ろう。
発表は終わり、あなたはほっと一息ついている。
あなたが緊張していたことに、同僚が気づいた様子はない。
あなたの内面に吹き荒れていた嵐を、かすかにでも感じ取った人はいないようだ。

やがてあなたのストレス反応は収束していく。
脳と身体は、もはや脅威は去ったとみなし、警戒態勢を解く。
扁桃体が鎮まり、コルチゾールの分泌量が下がる。
身体が武器を置いた状態だ。
気持ちも穏やかになってくる。

重要なのは、ストレスを生む状況が去るとすぐにコルチゾールの分泌量が減るという点だ。

闘争、あるいは逃走しなくてはならない重大な局面では、エネルギーが余計に必要となるためコルチゾールが増えることは役に立つ。

しかし、長時間その状態で歩きまわると、非常に危険だ。
じつは、海馬の細胞は過度のコルチゾールにさらされると死んでしまう。
そのため、慢性的にコルチゾールが分泌されると――それが何か月も、あるいは何年も続くと、海馬は萎縮してしまうのだ。

控えめにいっても、これはあまりよい知らせではない。
記憶に直結する問題だからだ。

何しろ海馬は記憶の中枢であるため、この章の冒頭で紹介した患者のように、ストレス反応がいつまでも治まらないと、短期間の記憶が損なわれることが少なくない。

重いストレスを抱えた状態が長く続くと、言葉がうまく出てこなかったり、場所の認識ができなくなったりする。
海馬は空間認識にも関わっているため、自分の居場所や方向がわからなくなる可能性も高くなるのだ。

「扁桃体」が暴走、ストレスは慢性化し脳に損傷が p71

おそらく、ちょっとした物忘れよりも、海馬が萎縮してストレス反応に歯止めが利かなくなることのほうが深刻だろう。

扁桃体が長期にわたってストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。
そして、アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。
こうして、ストレスがストレスを生むという悪循環に入る。

これが、ストレスが長引いたり慢性化したりするメカニズムである。
長期的なストレスによって脳が損傷を受けるのは、この悪循環によるものだ。

重いストレスや不安を抱えている人の脳を調べると、実際に海馬が平均よりわずかに小さいことがわかる。

おそらくコルチゾールによって、ゆっくりと蝕まれてしまったためだろう。

運動でストレス物質「コルチゾール」をコントロール p72

ストレスにうまく対処するのに、コルチゾールが脳におよぼす影響を減らすことが有効なのは間違いない。

ここで、いよいよ運動の出番だ。
あなたがランニング、あるいはサイクリングなどの運動をすると、それを続けている間はコルチゾールの分泌量が増える。
なぜなら肉体に負荷がかかる活動は一種のストレスだからだ。

筋肉を適切に動かすためには、より多くのエネルギーや酸素が必要なので、血流を増やそうとして心臓の鼓動は激しくなる。
そして心拍数と血圧が上昇する。
この場合のコルチゾールの働きは正常であり、身体を動かすために必要な反応だ。

しかし運動が終われば、身体はもうストレス反応を必要としないので、コルチゾールの分泌量は減り、さらにランニングを始める前のレベルにまで下がっていく。
ランニングを習慣づけると、走っているときのコルチゾールの分泌量は次第に増えにくくなり、走り終えたときに下がる量は逆に増えていく。

さあ、ここからがおもしろいところだ。

定期的に運動を続けていると、運動以外のことが原因のストレスを抱えているときでも、コルチゾールの分泌量はわずかしか上がらなくなっていく。
運動によるものでも仕事に関わるものでも、ストレスに対する反応は、身体が運動によって鍛えられるにしたがって徐々に抑えられていくのだ。

つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないように身体をしつけるのである。
単に運動をしたために「全般的にいくらか気分がよくなっている」だけでなく、身体を活発に動かしたことでストレスに対する抵抗力が高まるのである。

「前頭葉」が働き、冷静に p76

海馬はストレス反応のブレーキとして働き、そのブレーキペダルは運動によって強化される。
とはいえ、脳内のブレーキは海馬だけではない。
額のすぐ後ろにある「前頭葉」もまた、ストレス反応を抑制している。

その前頭葉の前の部分「前頭前皮質」と呼ばれる領域は、高次認知機能をつかさどっている。
たとえば衝動を抑えたり、抽象的思考や分析的思考を行ったりする、文字とおり「高尚な場所」である。
ストレスを感じているとき、前頭葉は感情が暴走しないように、また理性を失った行動に出ないように働いているわけだ。

たとえば、あなたが飛行機に乗っているとき、ふいに乱気流に巻き込まれて、「ああ、墜落する」と思ったとしよう。
そのとき扁桃体は、一瞬にして全身に厳戒態勢をしく。
あなたは「闘争か逃走か」の態勢に入り、心拍数が増加して不安になり、最悪の場合パニック発作に見舞われる。

だが、このとき前頭葉が論理的な思考を促して、そういった感情を鎮めようとする。

「機体がエアポケットに入っただけだ。こんなことは前にもあったじゃないか。あのときは墜落なんかしなかったし、今度だって大丈夫に決まってるさ」

扁桃体と前頭葉も、大きなストレスを感じたときだけでなく、いつでも綱引きをしている。
扁桃体と海馬がバランスを取っているように、扁桃体と前頭葉もまたお互いに影響を与え合いながらバランスを取っているのである。

「心配」するたび前頭葉は小さくなる p77

なぜ、「ブレーキが2つある」といったややこしい話をしたかというと、ストレスによって萎縮するのは海馬だけではないからだ。
前頭葉も、やはりストレスによって萎縮する。
そして実際に、極度の心配性の人は前頭葉の各部位が小さい。

そうなると、まさに踏んだり蹴ったりだ。
ストレスが長引けば長引くほど脳はみずからを蝕み、歯止めはさらに利かなくなる。
慢性的なストレスの苦痛を抑えるために欠かせない海馬と前頭葉が、適切に機能しなくなるのだ。

扁桃体がやたらと警告を発し、前頭葉がそれを打ち消すことができなければ、ほんの些細なことにも大袈裟に反応するようになる。

「今朝、上司に挨拶したとき、彼女の返事は何だかそっけなかった。ぼくのことが嫌いなのかもしれない。きっと、仕事で何かまずいことをやらかしたんだ。使えないやつだと思われているに違いない」

もし前頭葉が適切に機能していれば、状況をより正確に判断することができたはずだ。
「上司は今朝、ちょっと機嫌がよくなかったのかもしれない。でも、誰にだってそういうことはあるさ。たぶん、よく眠れなかったのだろう」

前頭葉が活発化すると、気持ちが穏やかになりストレスは減る。
扁桃体がつくり出した不安をはねのける力がつく。
ストレス反応をまるごと抑え込むため、「磁気による刺激を前頭葉に与えて活動を促す」療法も実在するほどだ。

要するに、ストレスを抑えたければ脳の「思考」領域、つまり前頭葉の機能を促せばよいのである。
本書の主旨は運動が脳におよぼす影響についてなので、あなたはもう運動が海馬だけでなく前頭葉も強化するとお気づきのことと思う。

この2つの部位――海馬と前頭葉は、ともに身体を活発に動かすことで何より恩恵を受ける部位なのだ。

「長時間1回」より「短時間数回」のほうが断然いい p79

運動をすると、なぜ前頭葉は強くなるのか。
理由は様々ある。

まず身体を活発に動かすと脳の血流が増える。
前頭葉にたちまち大量に血液が流れ、機能を促進する。
さらに、運動を長期にわたって続けると、やがて前頭葉に新しい血管がつくられ、血液や酸素の供給量が増え、それによって老廃物がしっかり取り除かれる。

しかし、血流の増加と新しい血管の生成は、ほんの始まりに過ぎない。
今では定期的に運動をすれば、前頭葉と扁桃体の連携も強化されることがわかっている。
そうなると、前頭葉はさらに効率よく扁桃体を制御できるようになる。
いってみれば、教師が離れた場所から生徒を監督するのではなく、教室にいて直接指導するようなものだ。

それだけではない。
定期的に運動を続ければ、期間は長くかかるものの、前頭葉は物理的に成長までする。
この発見は、この分野の多くの研究者を驚かせたが、単なる仮説ではなく、正真正銘の事実だ。
1時間程度の散歩を習慣にしている健康な成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していたという。

歩くと前頭葉が大きくなる。
まったく信じられないような話である。

運動によって筋肉量が増えることを知らない人はいない。
だが、その筋肉よりもはるかに複雑な脳という器官もまた、運動によって大きくなるのだ。

とはいえ無条件で大きくなるわけではない。
辛抱強く続け、途中であきらめないことが肝心だ。
たった一晩では、前頭葉が扁桃体をうまく制御できるようにはならない。

それでも、ストレスが和らぐうえにこのような効果まであるとしたら、がんばって続ける甲斐はあるだろう。

ストレスは「火種」から消す p82

GABAは、ストレスがかかっている状況下では脳の活動を鎮め、脳細胞の興奮を抑える「消火器」として働くアミノ酸だ。

ひとたび脳の活動が鎮まれば、ストレスの感覚は消える。
ちょうど酒や抗不安薬を飲んだときのように、すばやく効果的にストレスを和らげてくれるのがGABAというわけだ。

ありがたいことに、GABAの抗ストレス作用は飲酒や薬の摂取のほか、動くこと、つまり運動によっても活発化する。
ウォーキングでも効果はそれなりに見込めるが、最も効果があるのはランニングやサイクリングだ。

今では持続的な肉体の鍛練によって、主に大脳皮質下でGABAの働きが促進されることがわかっている。
その領域こそが、ストレスを生みだす源である。

その場所でGABAの作用が活発になるということは、運動がストレスのおおもとを直撃することにほかならない。

南米の研究「“理由なきイライラ”を鎮めるベストな策」 p88

ここ数年、ストレスや不安に悩まされて精神科を訪れる思春期の子どもたちは増えるいっぽうだ。
生物学的に見れば、この時期の子どもたちが不安に悩まされてしまうことは当然といえる。

前頭葉や前頭前皮質など、ストレスを抑える脳の部位は、最後に完成する。
10代では、まだ発達途中の段階で、じつをいえば、25歳ぐらいになるまで完成しない。
いっぽう扁桃体のようなストレスを生み出す部位は、17歳でほぼ完成する。

不安を引き起こす部位は充分に発達していても、それを抑える部位が未熟となれば、思春期の子どもたちが感情の起伏が激しく、衝動的で、いつも何かしら悩みごとを抱えているのも無理はない。

そして、こういった思春期の子どものストレスや不安に対しても、運動は絶大な効果をもたらす。

ある研究チームが南米チリで行った調査がある。
首都サンティアゴの貧困地域で暮らす200人の健康な9年生を対象にしたものだ。

チリではちょうど、糖尿病や心臓、血管の病気など、西欧諸国に多い疾患が増えはじめていた。
科学者たちは、生活習慣を変えることで、その傾向を変えられるかどうかを調べようとしたのである。
また、定期的な運動が子どもたちの幸福感や自信に影響をおよぼすかも調査された。

10週にわたる運動のプログラムが終わると、子どもたちが健康になり、自信や幸福感も増したことが明らかになった。
やめて自宅で。

だが何より研究者の目を引いたのは、運動プログラムのおかげでストレスや不安が大幅に緩和されていたことだ。
運動によって、思春期の子どもたちの心が穏やかになり、不安感も治まり、自信も増していたのである。

フィンランドの調査「“週2回”がボーダーライン」 p89

とはいえ、あなたのストレスは、思春期の子どもの不安とは別物だと思うだろうか?

フィンランドでは、3000人を超える被験者の協力を得て、生活習慣を調べる研究調査が行われている。
「なぜ心臓発作を起こす人がいるのか、またストレスがそれにどう関わっているのか」を探る研究である。

その結果、週に2回以上運動をしている人は、ストレスや不安とほぼ無縁であることがわかった。
これはチリの調査で得られた結果と同じである。

また、運動をしている人は攻撃的な面が少なく、シニカルな態度も見られなかった。

では、これが、運動をすればストレスや不安が軽減することの確たる証拠といえるのだろうか。
いや、そうともいいきれない。
ストレスに強く、悩みごとも少ないフィンランド人がいたからといって、それが本当に運動のおかげかどうかはわからない。
悩みごとが少ない人は、運動量も多かったという事実を示しているだけに過ぎない。

フィンランドとチリの調査結果だけで結論づけるのは性急だ。
研究結果を考察するときは真に受ける前に、より慎重な態度で臨むべきだろう。

とはいえ、この調査以外の研究成果もすべて総合してこの2つの調査結果を見れば、結論は疑いようがない。
子どもでも大人でも、運動はストレスや不安に劇的な効果をおよぼすのである。

p96

危険な動物やホラー映画を見せる実験が終わったのちも、数年にわたってその女性の調査は続けられた。
結果は、疑いようがなかった。
この女性は、やはり扁桃体が損傷を受けたことで恐怖心を感じなくなっていたのである。

だが、恐怖以外の感情は正常そのものだった。
状況に応じて喜びや興奮、悲しみを感じることができた。
映画の映像を見ている間、恐怖以外の感情が一つとして損なわれていないことがわかったのである。

映画には、ぎょっとするような場面のほかにもコメディ風の場面や、感動を呼ぶ場面が数多く紛れていた。
そういった映像を目にしたとき、この女性はごく普通の反応を示した。
笑いを誘う場面では笑い、子どもが棄てられた場面では悲しみを見せた。

つまり、扁桃体が機能しなくても、一切の感情が失われてしまうわけではなかった。
奪われたのは、恐怖(すなわちストレス!)を感じる機能だけだったのである。

まったく羨ましいかぎりだ。
この女性のように、恐れや心配ごとが何もなく、何が起きても楽天的に構えていられればどんなにいいだろうか。

とはいえ彼女の場合、ことはそう簡単には済まなかった。
なまじ恐れがないために、かえって深刻な問題を抱えていたのだ。

彼女は、みずから危険な状況に飛び込むようなことを何度も繰り返していた。
そのために、ナイフや銃を向けられて金品を奪われたり脅されたりしていた。

普通なら、そういった経験をすれば恐怖心が芽生えて、用心深くなるものである。
不審者に声をかけられたり、刃物で脅されて物を盗られたりした場所は、避けるのが普通だろう。

だが、彼女はすぐに事件から立ち直り、それまでの習慣を変えることなく同じ行動を取りつづけた。
貧困層の多い、麻薬や暴力がはびこる地域で暮らしながら、夜遅い時間でも平気で危険な場所に出かけていったのだ。
物騒な環境にいながら、危険を回避することをまったく学んでいないとしか思えなかった。

脳が「ハイジャック」される事態 p98

サルとこの女性の実例は、脳のストレス反応が無効になることや、危険に遭遇したときに扁桃体が警告を発し、ストレス反応のエンジンとして働くことを裏づけている。

扁桃体の作用は強力で、一瞬にして心臓や身体に行動の準備をさせ、その行動の結果について考える余地など与えない。
脳に備わったブレーキペダル、たとえば海馬と前頭葉は、物事を熟考して先を見通すように促すが、扁桃体が重大な脅威とみなした状況ではまったく勝ち目はない。
要するに、扁桃体の作用が強すぎて、ブレーキ役が手も足も出ない状態になるのである。

私たちの進化が始まったころの環境、つまりサバンナで暮らすには、扁桃体の作用が強力であることが必須条件だった。
猛獣に出くわしたときに瞬時に決断するには、扁桃体がしっかり働く必要があったからだ。

「どうしよう。攻撃したほうがいいかな。でも丸腰だし、ここは逃げたほうがいいんじゃないかな」

こんなふうにメリットとデメリットをぐずぐず考えていたら、取り返しがつかなくなる。
それよりも扁桃体が主導権を握り、脳のほかの部位を支配し、攻撃するにも逃げるにしても、すばやく行動を起こさなくてはならない。

とはいえ、このメカニズムは現代社会ではあまり必要とされない。
すみやかに決断を下さなくてはならない、生死に関わる状況など、めったにないだろう。

そんな社会では、扁桃体の力はさして脅威とはいえないものにも向けられ、私たちは極端に感情的な行動に出てしまうこともある。

1990年代の半ば、「扁桃体ハイジャック」という言葉が生まれたが、これはアメリカの心理学者ダニエル・ゴールマンによる造語である。
この言葉は、扁桃体がある出来事をとてつもない脅威とみなしたために、感情が暴走する状態を表している。
扁桃体が脳を「ハイジャック」して、強引に「闘争か逃走か」態勢をしくと、理性など簡単に吹き飛んでしまうのだ。

そうなると、扁桃体にハイジャックされるだけでは済まされない。
その反応は一瞬にして起きるため、あとで思いきり後悔するはめになる。

最もわかりやすい例として、ゴールマンはボクサーのマイク・タイソンが試合中にイベンダー・ホリフィールドの耳を噛み切った事件を挙げている。
タイソンは瞬時に、おそらく反射的に相手の耳を噛んだのだろうが、その行動はこの上なく後悔するような結果を招いたのである。

世間の批判にさらされて面目を失ったことはさておき、そのひと噛みでタイソンは何百万ドルという罰金や裁判費用を払うはめになった。
ゴールマンによれば、これは「扁桃体ハイジャック」の典型的な例だという。

賢くストレス・不安を解消する p100

扁桃体とストレス反応のシステムがいかに強力かを理解できれば、私たちの生活かストレスを完全になくすことはできないというのも納得してもらえると思う。
このシステムは脳の深部に根づいているため、絶対に取り除くことはできないのだ。

深刻なストレスの原因となるものを回避することはできる。
だが、ストレスがまったくない生活を望むのなら、森のなかでたった1人で暮らすしかない。
ただ、そうすると今度は、世間から隔絶されたことに対してストレスを感じてしまうだろう。

となれば、ストレスがゼロの生活を送ることは、まず無理だ。
それよりもストレスに対する抵抗力を高めるほうが、はるかに賢明といえよう。
そして、それこそが運動のもたらす恩恵なのである。

運動をしたからといってストレスを根こそぎ取り除くことはできないが、うまく制御できるようにはなる。
運動を習慣づければ、脳のブレーキペダルが強化され、「闘争か逃走か」モードに入りにくくなるからだ。

たとえば、あなたが決められた期日までに仕事を終えられず、叱責されたとしよう。
普通なら心拍数が増えて血圧は上がり、思考が混乱して挽回するどころかパフォーマンスは低下する。
しかし、運動を習慣にしていればそういったことも減っていく。
困難な状況にうまく対処できるようになり、身体も心も過剰に反応しなくなるのである。

忙しくて運動する時間がない人にこそ、誰よりも運動が必要なのはあなただと伝えたい。
仕事が多すぎて運動している暇はないというのなら、こんなアドバイスはどうだろう。

運動する時間をつくれば、気分が爽快になってストレスが減るだけではない。
この時間の投資は、仕事の質を向上させてくれる。
ときどき、仕事の時間を30分ほど運動にまわせば、その日の残りの時間はかえって仕事がはかどること間違いなしである。

少なくとも、私はそう実感している。

「食欲調整」にも運動が効く p102

それでも運動に乗り気でない人のために、とっておきの切り札を出すとしよう。

ランニングやジム通いを始める人の大きな理由は、健康になることでも、気分をリフレッシュすることでも、またストレスにうまく対処することでもない。
それは、彼らが鏡のなかに見ているものだ。
たいていの人は体重を減らしたい、あるいは筋骨たくましい肉体を手に入れたいといった理由で運動する。

では、ここで耳寄りなニュースをお知らせしよう。
運動してストレスに対する抵抗力が高まれば、その効果は体重計にも現れるのである。

そのわけは、コルチゾールの「身体の脂肪の燃焼を妨げる作用」にある。

コルチゾールの血中濃度が増えると、腹部に脂肪が蓄積する。
そのうえ、食欲が増し、高カロリーのものが食べたくなる。

もし、あなたが多くのストレスを抱えていてコルチゾールの血中濃度が上がったままの状態が続いていたら、ウエストのまわりにますます脂肪がつき、甘いものが無性に欲しくなることだろう。

だが、運動によってストレスにうまく対処できるようになればコルチゾールの血中濃度は下がり、やがては食欲が収まって、蓄積された脂肪も減り、そのいっぽうでかロリーの燃焼量は増えていく。
結果は、体重計とウエストを見れば一目瞭然である。

ウォーキングとランニング、どちらが有効か p103

ストレスと不安は、簡単に切り離すことはできない。
つまるところ、ストレスと不安は、同じ回路(HPA軸や扁桃体など)によって引き起こされるためだ。

そしてこれまで述べたとおり、運動はストレスに目覚ましい効果をもたらすが、不安にも絶大な効果があるのは発生源が同じだからである。

ある実験において、不安による疾患を抱えたアメリカの大学生たちが、くじ引きでウォーキングかランニングのどちらかを選び、それを疲れない程度に週に数回、20分ずつ2週間にわたって続けた。

ウォーキングにしてもランニングにしても、それほど大層なプログラムではない。
しかし、ウォーキングをした生徒もランニングをした生徒も、不安感が軽減したのである。
その効果は運動した直後に実感でき、その後も消えることなく、まる1週間続いた。

だが、どちらの生徒が、より高い効果を実感しただろうか。
答えはランニングをした生徒たち。
不安を軽減したい場合は、肉体にある程度の負荷がかかるほうが効果は高いのだ。

よくよく考えれば、これは当然の結果だろう。

不安は脳のストレス反応が過剰になることによって、また危険がなくても扁桃体が警告を発することによって起きる。
だが運動をすると、脳のブレーキペダルが強化されて前頭葉と海馬が扁桃体の興奮を鎮め、それによって不安は抑制されるのだ。

心拍数を上げて脳に「予行演習」させる p105

不安障害の症状が始まると、心拍数と血圧が上昇する。
脳は何か悪いことが起きるはずだと解釈して、心臓の鼓動が激しくなり、身体が「闘争か逃走か」の態勢を整える。

これが不安やストレスに身体がさらされたときの一連の流れだ。

だが、もしあなたがジョギングに出かけて何事もなく走り終えたとしても、やはり動悸は激しくなる。
ところが走り終えたときに気分は穏やかになり、脳内でエンドルフィンとドーパミンと呼ばれる物質が放出されて快感を覚える。

つまり身体を動かすことで「心拍数や血圧が上がっても、それは不安やパニックの前触れではなく、よい気分をもたらしてくれるものだ」と運動が脳に教え込むのである。

これが、アメリカの不安障害の大学生たちが、ウォーキングやランニングによって体験した効果である。
ランニングをした生徒たちは、心拍数が上がっても不安に襲われなくなった。
ランニングを始める前、生徒たちの脳は心拍数の上昇を不安の発作が始まる前触れだと思っていたが、その後、彼らの身体は「心拍数が上がることは恐ろしいことではなく、好ましいことだ」と解釈して適応したのである。

この効果は、ウォーキングのグループには見られなかった。
彼らの脳は依然として、「心拍数が上がること=危険」だと解釈していたと思われる。
この結果の違いは、不安や悩みごとを克服するには、身体をより活発に動かすべきだとはっきりと伝えている。

以前は、不安や悩みごとで深刻な症状のある人は、運動を禁じられていた。
今では、それがむしろ間違いだったことがわかっている。
本来は、そういった人こそ運動すべきなのだ。

しかし、ここで警告しておかねばならない。

あなたがこれまで一度でもパニック発作を起こしたことがあれば、慎重に始めなくてはならない。
いきなり激しく走り込むのは危険だ。
脳がパニック発作の前触れだと解釈し、発作が起きる可能性がある。

そのため、最初のうちは身体に負荷をかけないようにゆっくりと走ることを心がけ、身体が慣れるにしたがって徐々にスピードを上げていくといいだろう。

抗ストレス体質を培うプラン p108

ストレスや不安から逃れるには、具体的には何をすれば最も効果があるのだろうか。

じつのところ、研究で裏づける具体的な運動量や時間を示した絶対的なプログラムというものはまだ存在しない。
運動の効果は人によって幅がある。
体系的な比較調査が実施されていないのはそのためだ。

万人に効く究極のプログラムはないものの、科学的な研究にもとづいた目安をここに挙げておく。

まずはランニングやスイミングなどの有酸素運動をお勧めしたい。
ストレスの緩和が目的なら、筋力トレーニングよりも有酸素運動のトレーニングのほうが効果がある。
少なくとも20分は続けてみよう。
もし体力に余裕があれば、30~45分続けよう。

それを習慣にしよう。
長く続ければ、さらなる結果が期待できる。
海馬と前頭葉、つまり脳内のブレーキペダルが強化されるには少し時間を要する。

また、週に少なくとも2、3回は心拍数が大幅に増えるような運動をしよう。
たとえ動悸が激しくなっても、脳はそれが恐怖から来るものではなく、プラスの変化をもたらすものであることを学習する。
深刻な不安障害やパニック発作の症状がある場合は、とくに効果があることを強調しておきたい。

もし何らかの理由で心拍数を増やせない、あるいは増やしたくないのであれば、ただ散歩に出かけるだけでもよい。
より活発に身体を動かしたときほどではないにしても、ストレスを抑える効果は望める。

たった一つのことに集中する p114

結論はさておき、まずは順を追って説明しよう。

集中力を高める効果がある、といわれるものがあり、その効果を確かめたい場合、集中力そのものが測定できなくてはならない。
だが、どうやって測るのだろう。
「あなたは集中していますか」と聞けばいい話でもない。
科学の実験には、もっと客観的な指標が必要だ。

そこで「エリクセン・フランカー課題」の出番である。

「エリクセン・フランカー課題」とは、モニター上に5つの矢印が表示されるテストだ。
被験者は、5つの矢印のうち真ん中の矢印が左右どちらを指しているかを、即座に回答しなくてはならない。
5つの矢印すべてが同じ方向を指している場合は(<<<<<)、簡単だ。
だが、真ん中の矢印以外のすべてが反対を指しているときもある(>><>>)。
コツは、真ん中の矢印以外は無視することで、画面は瞬時に切り替わり、表示時間はわずか2秒だ。

見るべきものを即座に選んで焦点を合わせ、残りの情報、つまり真ん中以外の矢印を見ないようにするには、脳が要らない情報を遮断しなくてはならない。
これを「選択的注意」という。

何の変哲もないテストのようだが、じつはこのテスト、私たちが周囲の環境に気を取られずに物事に集中する力を正確に示してくれる。
「選択的注意」は、意識を集中するには欠かせない能力であり、現代の社会において、この能力が高いことはおおいに強みになる。

たとえば、オフィスで仕事をしているときの様子を思い浮かべてほしい。

あなたはパソコンの前で作業を進めているが、すぐ近くでは2人の同僚が雑談に花を咲かせている。
また、プリンターの前で文書をプリントアウトしている人もいる。
スマホからは常にSMSやメッセージの通知音が聞こえる。

このすべてのなかで、あなたは仕事をしなければいけないのだ。
きちんとやり遂げるためには、目の前のことだけに集中し、周囲の雑音にいちいち気を取られてはいけない。
これが「選択的注意」の能力である。

そしてエリクセン・フランカー課題は、その能力を測定するためのテストなのだ。

被験者たちがこのテストに取り組んだ結果、運動によって選択的注意力と集中力が改善することがわかった。

研究チームは、被験者たちの健康状態も調べていた。
そして健康状態が万全な被験者は、テスト課題もうまくこなせることがわかった。
つまり、選択的注意の能力がすぐれていたのである。

だが、ここで話は終わりではない。

被験者たちがテストを受けている間、彼らの脳もMRIで観察されていた。
その画像によると、健康な被験者のほうが、頭頂葉(脳の中央頂部)と前頭葉が活発化していたのだ。
その領域は、意識を集中して、その状態を維持する機能をつかさどっていることは興味深い。

「いくら「気合い」を入れてもダメ p117

とはいえ、「健康だから選択的注意力が高い」といいきることはできない。
運動したために体調が改善して集中力が高まったというより、もともと集中力の高い人がたまたま運動を楽しむ傾向にあり、そのために健康だったとも考えられる。

そういうわけで、調査は次の段階に移った。
新たな被験者の協力を得て、彼らが運動して体調がよくなり、その結果、選択的注意力が改善するかどうかを調べたのである。

被験者は2つのグループに分けられた。
一つは週に3回、45分、トレッドミルでウォーキングを行うグループ。
もう一つは、身体にあまり負荷のかからないストレッチやヨガを行うグループで、活動の頻度と時間はウォーキングのグループと同じだったが、このグループは一つだけ条件が異なっていた。
心拍数が増えないように身体を動かしたのである。

半年後、双方のグループともエリクセン・フランカー課題に取り組んだ。
選択的注意力が改善しているかどうか、また両者の脳に目立った違いがあるかどうかを調べるためである。

結果は予想どおりだった。
ウォーキングのグループはテスト課題をうまくこなし、選択的注意力が改善するとともに前頭葉と頭頂葉が活発化していた。
つまり、その領域が活発化したことによって、選択的注意の機能が高まったのである。

この傾向は、ウォーキングをした被験者だけに見られた。
習慣的にウォーキングを行う、つまり誰にでもできる簡単な活動を半年続けただけで、脳が大きく変わって、選択的注意力が高まったということだ。

では、その理由は何だろう。

可能性としては、ウォーキングをしたことで、前頭葉の細胞同士のつながりの数が増えたことが考えられる。
そのおかげで脳が外からの情報を扱いきれなくなったときに、前頭葉の機能を簡単にパワーアップできるようになったのだ。

いってみれば、周囲に気を取られそうになったときに、あたかも自動車のギアをトップに入れるように、脳がとっておきの「集中ギア」を入れて注意力を高めたということだ。
それによって、不要な情報を的確にふるい落とすことができるようになる。

この最終的な結果を見て、研究チームはそれ以外の可能性などありえないほどの確固たる結論に至った。
「脳の働きが活発になると可塑性が促進され、周囲の環境に対処する注意能力も高まる」というものだ。

なぜ集中しても「続かない」のか? p121

3つの問題を抱えていると、ADHDの診断が下る。
「注意散漫」「衝動性」「多動学校で、片時もじっと座っていられない男の子がクラスにいなかっただろうか。
その子は、まるでピンボールマシンのボールのように教室中を動きまわり、教師が黒板に書くもの以外、ありとあらゆるものに目を向けていたはずだ。
とにかく気の向くままに行動するのである。
その子が注意散漫で、衝動的で、多動であることは誰の目にも明らかだ。
ADHDの診断基準にすべて当てはまる。

しかし私たちにも、この子のようにADHDという診断が下るだろうか。

私たちの誰もが、ときには目の前のことに集中できなくなる。
だからといって、ADHDだといえるのだろうか。

注意力は、睡眠不足やストレス、時間帯、まわりの状況に左右されることが多い。
そのうえ、時間が経つにつれて気が散りやすくなる。
衝動や多動も同じである。

では、ごく一般的な集中力の低下とADHDは、どこで線引きできるのだろうか。
控えめにいっても、なかなか難しい問題だ。

ADHDかどうかは、血液検査やレントゲン検査ではわからない。
診断の手がかりは、ADHDの基準に当てはまるかどうかを調べるチェックリストだ。

だが、ただ注意力や衝動性、多動性の問題を抱えているというだけでは診断は下せない。
そういった問題が日常生活に支障をきたしている場合のみ、ADHDとみなされる。

また学校にいるときだけ問題行動が起きる場合は、単に学習環境が劣悪なせいかもしれないので、それだけでも判断できない。

あくまでも学校と家庭で、あるいは職場と家庭で同じ問題が起きることが条件だ。
また子どものころからそういった問題を抱えていることも判断の基準になる。

ADHDは一過性の風邪のようなものではない。
生涯にわたって続く問題なのだ。

注意力や衝動性の制御において大きな支障がないかぎり、ADHDの診断は下せない。
これはいったい、どう解釈すればいいのだろうか。
たとえ注意力が散漫でも、大学を卒業できればADHDではないといいきれるのだろうか。

あえて繰り返すが、答えは一つではない。
ほかの多くの病気と違って、ADHDはグレーゾーンがかなり広い。

比較としては不適当かもしれないが、たとえばHIVの場合なら、医師は「いくらかHIVの傾向がありますね」とは絶対に言わない。
HIVに感染しているかしていないかのどちらかだ。
しかし、「いくらかADHDの傾向がありますね」と言うことは充分にありうる。
診断は白黒つけがたく、症状は人によって千差万別だ。

にもかかわらず、ある日突然、それが病気なのか健康なのかを決めるために名前を与えるのである。
要するに、集中力に悩む私たちの誰もがADHDの要素を持ち、多少なりとも診断基準に当てはまる兆候を示している。
そういった兆候が、とくに強く現れる人もいるということだ。

思考を一点に絞る「フォーカス・メカニズム」 p124

私たちの大半がADHDの問題と無縁だといいきれないのであれば、薬以外の対処法を考えるのが賢明だろう。
ADHDと診断されるほどでなくとも、気が散りやすい傾向があればなおさらだ。

ここで、運動とトレーニングの登場である。
運動と集中力の関係は、思いがけないところに端を発する。
おいしい物を食べたり、友人と交流したり、仕事で褒められたりしたときに快感を与えてくれるところ、「報酬系」である。

人間の集中力を決める生物学的要素 p125

脳の「報酬系」は驚くほど強力なシステムで、いうなれば私たちを、ある種の行動へと駆り立てる動力源だ。

報酬と関係のある脳の部位はいくつかあるが、通常は「側坐核」が報酬中枢といわれている。
この側坐核は、脳内の様々な領域とつながっている細胞がたくさん集まったもので、大きさは豆粒ほど。
この場所から「報酬」をもらうと、あなたは心地よい気分になる。

何を隠そう、あなたを動かしているのは、この側坐核なのだ。

脳には、細胞から細胞へと情報を伝えるための物質がいくつかある。
専門用語でいう「神経伝達物質」だが、なかでも最も知られているのが「ドーパミン」だ。

おいしい物を食べたり、社会と交流したり、また運動や性行為などをすると、側坐核でドーパミンの分泌量が増える。
ドーパミンがたっぷり放出されるとポジティブな気分になり、その行動を繰り返したくなる。
脳が、また同じことをしろと催促するのだ。

では、なぜ脳は、あなたに食事や人との交流、運動、性行為をさせたがるのか。

答えはごく単純だ。
進化の見地では、そういった行動が生存確率を上げ、遺伝子を次の世代へと手渡すことになるからだ。
人生における純粋な生物学的欲動とは、生存して遺伝子を残すこと、つまり子どもをつくることである。

そして脳は、それを指針とするようにプログラムされている。
生きるためには食べなくてはならない。
社会との交流は、人類のように、集団生活を営む生物が生き延びるには欠かせない。
また、性行為は、生殖を通じて遺伝子を残すことができる。

では、運動はどうだろう。
なぜ、運動すると心地よい気分になるのか。

それは、私たちの祖先が、狩猟や住み処を探すときに走っていたためだと考えられている。
どちらも生き延びるための行動であり、そのために脳が報酬を与えてくれていたのである。

彼らは私たちとは違い、楽しんだり体重を落としたりするために走っていたのではない。
生存の可能性を増やすために走っていたのだ。
そのため、私たちが運動をすると、今でも脳が「ご褒美」を与えてくれるのである。

これは脳が何万年もの間、変わっていないことを示す証拠の一つである。

あなたは「正常」「異常」どちらでもない p129

現代の脳科学は分子レベルでの研究が進み、報酬中枢の働きがなぜ人によって違うのかという問題も解明されはじめている。

報酬中枢でドーパミンが放出されて快感を得るためには、細胞膜の表面にある受容体とドーパミンが結合しなくてはならない。
ドーパミンが受容体に取り込まれると、脳細胞がそれに反応して快感が引き起こされる。

しかしドーパミンを取り込む受容体がなければ、この反応は起きない。
興味深いことに、ADHDの特性を持つ人は報酬中枢におけるドーパミンの受容体が少ないという。
これは報酬系がうまく働かず、快感を得るには通常よりも多くの報酬が必要ということだ。

要するに、報酬中枢を活発化させるには、生まれつき普通よりも多くの刺激が必要な人たちがいるということだ。
彼らは、「正常な」報酬中枢を持つ人が興味を持って集中できるもの――仕事、テレビの連続ドラマ、教師が黒板に書いているもの――では、充分な刺激が得られない。
そういったものでは、報酬中枢が活発に働かないのである。

そうなると退屈してしまい、無意識のうちにより刺激的なものを探しはじめ、集中力が失われる。
その結果、仕事や、教師が黒板に書くものに集中できなくなる。

ここでもう一度言おう。
私たち全員が、程度の差こそあれADHDの要素を持っている。
つまり、報酬中枢は「正常」か「正常でない」かのどちらかではない。
私たちのほとんどがその間のどこかにいるのである。

「ドーパミン」が雑音を消す p134

たとえば、あなたがカフェにいて、本を読んでいるとしよう。

まず、あなたは周囲の人々の話し声で店内がざわついているのを感じ取る。
だが、そのざわめきは少しずつ遠のいて、自分が今読んでいる本に集中できるようになる。

もう、ざわめきは聞こえていないが、脳にはあいかわらず、その音が入ってきている。
もし店内で、誰かがあなたの名前を呼ぼうものなら、あなたは自発的には聞いていなかったのにその声に反応する。
自覚していなくても、脳の一部は聞いていたのである。
あなたは、その声の方向に注意を向ける。
もちろん、その反応は無意識のうちに起こる。

これは脳の驚くべき力だ。
私たちが気づかないうちに、おびただしい数の情報を処理し、重要だとみなしたものだけを知らせて注意を促すのだ。

感覚中枢から伝えられた雑音のボリュームを下げ、目の前のことに集中するためには「ドーパミン」が必要だ。
ドーパミンは単に「報酬の脳内物質」であるだけでなく、非常に重要な役割を果たす、集中力を保つためには絶対に欠かせない物質なのだ。

ドーパミンが不足すると周囲の音に気を取られ、目の前のことに集中できなくなり、苛立ってくる。
誰でも、そんな経験があるはずだ。
心が乱れ、神経質になり、上の空になる。
睡眠不足や二日酔いなら、なおさらである。

奇妙に思うかもしれないが、じつは頭のなかでは別の雑音も鳴り響いている。
それは感覚中枢から伝わってくるものではなく、もとから脳内に存在する唸りのような音だ。
誰でも聞き覚えがあるものだが、それが聞こえたからといって別に正気を失っているわけではない。

その音は、脳細胞が自発的に活動するたびに生じると考えられている。
この雑音は決してやむことはないが、通常はドーパミンがその情報をふるい落としているため、私たちが気づくことはない。
しかしドーパミンのシステムがうまく働かないと、感覚中枢から伝わる外部からの雑音と同じように、その音が聞こえてしまう。

神経科学の研究調査によれば、ADHDの人の場合はこの脳内の雑音が大きく、それがうるさくて集中できないという。
そして内部の雑音が聞こえれば聞こえるほど、集中することが困難になる。

だが興味深いのは、ドーパミンの分泌量が増えると、この単調な唸りの音も止まることだ。
感覚中枢から伝えられる雑音(たとえばカフェのざわめきなど)と、もともと脳内にある雑音の両方が消えるのである。

たとえばどの局の周波数にも合わせていないラジオからは、耳障りなノイズが聞こえる。
ドーパミンは、そのボリュームを下げて消してくれると考えればいい。
わずらわしいものが消えてなくなり、ようやく目の前のものに意識を向けることができるの

集中物質「ドーパミン」を総動員する p137

ドーパミンの分泌量が減ると、あるいはうまく調整されないと雑音が発生する。
そしてドーパミンが取り込まれないために集中力自体も低下する。

となれば当然、集中力を改善するための治療をすることになる。
人工的な手段によってドーパミンの分泌量を増やして安定させるのである。

ADHDを薬で治療する理論は、たいていこれにもとづいている。
薬によってドーパミンの分泌量を増やし、集中力を改善させるのである。
ADHDと診断された人の多くが、薬の服用によって感覚が鋭敏になり、頭がすっきりしたと言っている。
おそらく雑音、つまり脳内の音と外界からの雑音の両方がやんだためだろう。

しかし薬を服用しても、すべての人に効果があるわけではない。
それに、薬を飲みたくない人はもっと多い。
ADHDの症状が少なくても、気が散りやすいことで悩んでいる人もいる。

では、薬に頼らずにドーパミンの分泌量を増やす方法はないのだろうか。
ある。
そう、身体を動かすことだ。

ドーパミンが増える「条件」は解明済み p138

なぜ運動が、ADHDの傾向のあるなしにかかわらず集中力を改善するのか。
その最も大きな理由はおそらく、運動によってドーパミンの分泌量が増えると、注意力と報酬系のシステムがうまく調整される(報酬中枢の側坐核にドーパミンが行き届いて、「今やっている行動は続ける価値がある!」と判断する)ためだろう。

今では、運動をした直後にドーパミンの分泌量が増えることがわかっている。
運動を終えた数分後に分泌量が上がり、数時間はその状態が続く。
そのため運動後には感覚が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、心が穏やかになる。
頭のなかがすっきりして、物事に難なく集中できるようになる。
そして、唸りのような雑音も消えるのだ。

加えて、身体に与える負荷が多いほど、ドーパミンの分泌量も増えるようだ。
そのため、ドーパミンの量を増やすには、ウォーキングよりもランニングのほうが適している。

初めてランニングやサイクリングをしたときに、すぐに気分がよくならなかった、あるいは集中力が改善されなかったからといって、あきらめてはいけない。
ドーパミンは、運動時間が長くなるにつれて増えていくからだ。

脳は、徐々にドーパミンの量を増やしていくと考えられている。

そのため、トラックを回る回数を増やせば増やすほど、報酬としてドーパミンがたっぷり放出される。
また、ドーパミンには幸福感をもたらす効果もあるため、運動を終えるたびに心地よい気分になる。
すると、集中力もさらに高まる。

いいかえるなら、運動は集中力の改善にすぐれた効き目を発揮する、副作用のまったくない薬だ。
しかも運動の時間が長ければ、それだけ効き目もはっきりと現れる(だからといって無理は避けるべきだが)。

自分をコントロールして最後までやり抜く p149

それにしても、なぜ身体を動かすと集中力が高まるのだろうか。
その答えは、過去を振り返れば見つかる。
それは私たちの祖先がサバンナで暮らしていたことに関係している。

私たちは気分をリフレッシュさせるため、健康のため、また体重の増加を抑えるために走る。
だが祖先には、そんなことはどうでもよかった。
彼らが走ったのは食料を手に入れるため、そして危険を避けるためだ。
いずれにせよ、注意を怠ることは命取りだ。

背後にライオンが忍び寄ってきたとき、またレイヨウを仕留めようと構えているときに、ミスは絶対に許されない。
そういった環境で生存するためには、精神を集中することが武器となる。

生存の可能性は、脳が集中力を高めることによって増える。
私たちの脳は、祖先がサバンナで暮らしていた時代からさほど進化していないため、現代でも、とくに運動しているときに同じメカニズムが働く。
身体に負荷を与えると、脳はそれが生死を分けるほど重要な行動だと解釈するのである。
そして結果的に集中力が高められるのだ。

「あきらめるとき」と「粘るとき」 p150

私たちは、注意力が極端に欠如していることやADHDの症状を好ましくない特性と考えがちだ。
確かに、こういった特性は医師の診断が下る前に問題視されることが多いので、それも無理からぬ話だ。

しかし、衝動や多動という特性は、強みにもなる。
結果が出るのをじっと待っているのが苦手な人たちが多くのことを成し遂げられるのは、じっくり腰を据えて結果を待つ忍耐力を持たないためでもある。
成功したビジネスリーダーや起業家の多くに、ADHDの特性が見られるのは決して偶然ではない。

ケニア北部の砂漠で生活しているアリアール族は、ADHDが決して好ましくない特性ではないことを教えてくれる好例だ。

この部族は今でも、何千年も前と同じように水や食料を求めて家畜とともに移動する生活を続けている。
しかし数十年前に、この部族は2つの集団に分かれた。
一つは1か所に定住して農業を営むようになり、もう一つはそれまで同様、遊牧民として狩猟採集生活を続けた。

科学者たちは、このアリアール族から血液を採取し、遺伝子を分析した。
何より興味を引いたのは、脳における「ドーパミンの働きに不可欠な遺伝子の存在」だった。

この「DRD4」という遺伝子は全人類が保持し、集中力の機能に欠かせないものだ。
DRD4にはいくつかの多様体(バリエーションがあるということ)があり、その一つがADHDの人に共通して見られる。
もとよりADHDを引き起こす唯一の遺伝子というものはなく、またDRD4自体がADHDを引き起こすわけでもない。
とはいえ、DRD4はADHDと最も関連性の高い遺伝子の一つとされている。

科学者が調べたところ、このアリアール族のなかに、DRD4のうちでADHDと関連性の高い多様体を保持する人たちがいることが明らかになった(ADHDは単一の遺伝子によって起きるわけではないが、ここからはそれをおおざっぱに「ADHD遺伝的多様体」と呼ぶことにする)。
それ以外の人たちは、ADHDとは関連性のないDRD4の多様体を保持していた。

これは予期されていたことだ。
だが科学者を驚かせたのは、「ADHD遺伝的多様体」を保持する遊牧民のほうが、関連性のない遺伝子を保持している遊牧民より栄養状態がよかったことである。
いいかえれば、狩猟採集生活を営む遊牧民のなかで「ADHD遺伝的多様体」を持っている人のほうが、ない人よりも食料を多く調達できるということだ。

だが、農耕生活を営むアリアール族の集団では、その状況が逆転していた。
「ADHD遺伝的多様体」を保持する農民は、それを持たない農民と比べると栄養状態が劣っていたのだ。

となれば、「ADHD遺伝的多様体」は狩猟民族にとっては有利に働くが、農耕民族にとっては不利になると考えられる。

同じ遺伝子が、ある環境で暮らす人にとっては強みとなり、別の環境で暮らす人では弱点になるのである。

この調査から導き出せる一つの結論は、私たちがADHDの症状だと考える特性、つまり衝動性や多動性は、迅速な決断が必要な活動的な環境で暮らす狩猟民族にとっては有利になるということだ。

いっぽう農耕民族は、すばやく行動する必要はない。
彼らの環境では、長期的な目標に向かって精神を集中し、忍耐強く作業に取り組むことのほうが重要であり、そこではADHDの特性が障害となってしまうのだ。

p159

科学の研究は、本当に効果のある「精神を集中するためのギア」はサプリメントでも、脳トレ用のアプリでもなく、身体を動かすことだという事実を明らかにした。
後述するように、脳トレには効果がないことは確認済みなのだから。

たとえ私たちの社会が、もとより身体が適応していた時代からどんどん遠ざかってしまったとしても、よく動きさえすれば、今でも身体は昔と同じように反応する。
それを踏まえて、運動やそれが集中力に与える影響について考えるべきである。

この章を読んだら、ぜひ身をもって実感してほしい。
もっと身体を動かせば、物事に集中できるようになる。
あなたがADHDであってもそうでなくても、また子どもでも大人でも。

集中力を脳に戻すプラン p159

歩くよりは走ろう。
身体に負荷がかかればかかるほど、脳はドーパミンやノルアドレナリン(集中物質)をたっぷりと放出する。
理想的な心拍数の目安は、最大心拍数(220から年齢を引いた数字)の70~75%だ。
たとえば、あなたが40代であれば、1分あたり130~140回を目標にするとよい。
50代ならば、少なくとも1分あたり125回には上げたい。

運動は朝にしよう。
集中力を高めたければ、日中の早い時間、少なくとも午前中に行えば、その後もしばらくは効果が続く。
運動してから数時間経つと、効果は徐々に薄れていく。
一般的に集中力が必要なのは昼間であって、夜ではない。

可能であれば30分続けてみよう。
少なくとも20分は続けたいが、30分のほうが充分な効果が期待できる。

そして、運動を習慣にしよう。
集中力が(ストレスや全般的な健康状態でも)改善される効果が定着するまでには、しばらくかかる。
だから途中であきらめないでほしい。
成果を手にするためには、「集中力」を発揮して忍耐強く続けなくてはならない。

「気分のムラ」は92%抑えられる p175

世間をあっといわせるような成果を出しながらも、ブルーメンソールは満足しなかった。
4か月以降も運動の効果が続くかどうかを見きわめるため、被験者たちの調査を続けた。
それには根拠があった。
うつ病から抜け出したように見えても完全には治癒しておらず、患者自身もそれに気づかない場合があるからだ。

気持ちが晴れやかになると治ったと思いがちだが、うつ病は再発することが多い。
足下の氷は、考えているよりもはるかに薄いのである。

そして半年後、3つのグループに分かれた被験者を観察すると、じつに興味深い事実が明らかになった。

そのときのグループは強制的に分けたものではなく、被験者が自分で選んだものだった。
運動、セラピーセッション、抗うつ剤というように、みなが思い思いの手段を選んだ。

そのうちの何に最も効果があっただろうか。
いうまでもなく、「運動」だ。
運動したグループには、うつ状態がぶり返した兆候はほとんど見られなかった。
半年後にうつ病を再発したのは、割合でいうと10人のうち1人にも満たず、わずか8%だった。

いっぽう、抗うつ剤を服用したグループでは、再発は3人に1人を超え、グループ全体では38%だった。
となれば、運動は抗うつ剤と効果が同じという表現は正確ではない。
薬よりも強力というべきだろう。

走ることが、莫大な開発費用をかけ、飛ぶように売れている抗うつ剤と同じ効き目があるといわれても、にわかには信じがたい。
しかも抗うつ剤よりも効き目が長いとなれば、本当かと疑いたくなるだろう。
だが真実なのだ。
これは、科学の実験が立証した事実である。

まさに驚愕の事実だったため、新聞各社が報道した。
ところが、世間は抗うつ剤のときほどに騒がなかったのではないか――そのとおりである。
新しいタイプの抗うつ剤ほどには、いや、まったく比べものにならないほど注目されなかったのだ。

新薬のマーケティングには、莫大な費用がかけられる。
それに比べて、運動が抗うつ剤と同じ効き目があるという情報を広めることに、どれだけの費用がかけられるだろう。
さして多くないはずだ。
当然ながら市場では、そういったものに抗うつ剤と同じ商品価値があるとはみなされない。

莫大な利益をもたらす薬のマーケティングには際限なく費用がかけられても、運動がうつ病に効くなどという情報にビジネス的な興味を持つ人はいないのである。
運動がうつ病におよぼす効果があまり知られていない理由は、そこにある。

こうして「あなたの気分」が決まる p178

セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンは、専門用語で「神経伝達物質」と呼ばれる脳内の物質で、細胞から細胞へと信号を伝えている。
それが、私たちの感情に影響をおよぼしている。

うつ病は、この3つの神経伝達物質が欠乏することと密接に関わっていると考えられ、抗うつ剤による薬物療法の多くは、これらを増やすものだ。
世界中で最も一般的に処方される抗うつ剤のタイプは、先ほど登場した「SSRI」で、セロトニンの濃度を高める作用がある。
同じように、ドーパミンやノルアドレナリンの濃度を高める薬もある。

セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンは感情を左右するだけでなく、ほかにも多くの働きを有している。
人格形成において重要な役割を果たし、集中力や意欲、意思決定などの認知能力にとっても欠かせない物質だ。

セロトニンには鎮静作用があり、それが脳の活動をも調整している。
興奮した脳細胞を鎮めて脳全体の活動を抑制し、悩みや不安を和らげる。
また心を落ち着かせ、冷静な判断や強い精神力をも促す。
そのためセロトニンが欠乏すると、機嫌が悪くなったり、不安になったりする。

ノルアドレナリンは、やる気や注意深さ、集中力を促す。
これが足りないと疲労を覚えたり気持ちが滅入ったりするが、逆に多すぎると、興奮したり過活動になったり、落ち着きを失ったりする。

ドーパミンは脳の報酬系で中心的な役割を果たし、意欲や活力を促す作用があることは第3章で述べたとおり。
集中力や意思決定にも関わる、貴重な相棒だ。

うつ病になるのは、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンが少ないせいだと結論づけて薬で補えるのであれば、どんなにいいだろう。
だが悲しいかな、ことはそれほど簡単ではない。

たとえば、脳がセロトニンとノルアドレナリン、ドーパミンでつくった「神経伝達物質のスープ」だと考えてみよう。
そのスープの材料の一つ、あるいはいくつかが欠けているとうつ病になる、という考えはいささか単純すぎる。
ある人の脳でセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンのうち、何がどれだけ不足しているのかを正確に知ることは不可能なのだ。

その理由として、この3つの物質は脳の仕組みのなかで互いに連携しているものの、その3つだけで働いているわけではないことがある。
ほかの多くの物質にも影響をおよぼしながら、心と身体の健康を保っているのである。
この仕組みは非常に複雑にからみ合っているため、科学が全容を解明するまでにはまだまだ長い道のりがある。

いうなれば、脳は3つの材料が混ざり合ったスープではない。
3つの具材が見えないほど様々な領域が互いに影響を与えながら活動する「発達したネットワーク」なのである。

確かに仕組みは複雑だが、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンすべてが、私たちの感情に直接作用していることは確かだ。
そして、この3つとも薬や運動で、その量を増やすことができる。

運動の場合、効果はたいてい運動を終えたときに感じられ、その状態は1時間から数時間続く。
定期的に運動すれば、分泌される量も徐々に増えていく。
そして、効果も運動後の数時間にとどまらず、丸1日続くようになる。

運動は抗うつ剤と変わらず、それどころか「ノーリスク」でセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンを増やせるというわけである。

最強の脳物質「BDNF」を分泌する p181

抗うつ剤の投薬治療には、いまだに深い謎がある。
「脳内で起きている現象」と「実感」との間に若干のタイムラグがあるのだ。

うつ病の人が抗うつ剤を服用すると、たいていは脳内のセロトニンやドーパミンの濃度はすぐに上がるが、患者自身がその効果をすぐに実感することはない。
気分が楽になるまでに数週間かかることが多く、それは運動でも同じだ。
初めてランニングをした直後からセロトニンやドーパミンは分泌されるが、定期的に走りはじめてから症状が改善されるまでには、やはり数週間かかる。

セロトニンやドーパミンが私たちの感情に深く関わっているのなら、その効果はすぐにでも実感できるはずだが、そうではない。
投薬であろうと運動であろうと、この2つの物質が増えることは、脳内で「別の何かが生まれる現象への第一歩」でしかないからだ。

じつは、うつ病の症状を最終的に取り除いてくれるものは、この「別の何か」だ。
近年、神経科学の分野の研究者たちは、この奇跡ともいうべき物質にますます注目している。
「BDNF(脳由来神経栄養因子)」だ。
これこそ、この章の主役、脳内最強とも呼べる物質である。

BDNFは、主に大脳皮質(脳の外層部)や海馬で合成されるタンパク質だ。
医学の研究者たるもの、奇跡の物質なる言葉をむやみに使うことは慎むべきだが、このBDNFはその言葉に充分に値するほど、脳に計り知れないほどのすばらしい恩恵を与えてくれる物質である。

意欲減退を防ぐ、科学が「奇跡」と呼ぶ物質 p183

BDNFは、脳細胞がほかの物質によって傷ついたり死んだりしないように保護している。

通常なら、酸素やブドウ糖を取り込めなかったり、有害な物質の攻撃を受けたりすると、脳細胞が損傷するか壊死してしまう。
だが、その前にBDNFを受け取っていれば、そういった損害を避けられるのだ。

脳は、たとえば脳卒中や頭部を強打するなどして損傷を受けると、みずからを守るためにBDNFを放出するといわれている。
BDNFは脳の損害を最小限に抑えるための、いわば救助隊だ。
その働きは、白血球が細菌と戦うために抗体をつくることや、血小板が凝固して傷口を止血することによく似ている。

このように、様々な場面でBDNFは脳細胞を守っている。
だが、BDNFの仕事はそれだけではない。
新たに生まれた細胞を助け、初期段階にある細胞の生存や成長を促す役目も果たしている。
また脳の細胞間のつながりを強化し、学習や記憶の力を高めている。
さらには、脳の可塑性を促して細胞の老化を遅らせる働きもしている。

このほかにも挙げればきりがないほどのメリットがある。
要するにBDNFは、脳の天然肥料なのだ。

大人でも子どもでも、また高齢でも、BDNFは脳の健康にとって欠かせない物質である。

それが、うつ病とどう関係するのだろうか。

じつはBDNFは、うつ病とも密接に関わっている。
うつ病を患っている人は、BDNFの分泌量が低い。
実際に、自殺した人の脳を調べるとBDNFの値が低いことがわかる。

うつ病の人が抗うつ剤を服用すると、BDNFの濃度は上がる。
うつ状態から回復して精神状態が安定するにつれ、BDNFがつくられる量も増えていく。

それだけではない。
BDNFの値は、単にうつ病と関わっているだけでなく、私たちの人格形成にも影響をおよぼしている。
実際に、神経症の患者はBDNFの値が低い傾向にあるといわれているのだ。

BDNF生成に運動ほど効果的なものはない p185

さて、ここで問題である。
いったいどうすれば、この奇跡の物質を増やせるのだろうか。

錠剤にして飲めばいい?
残念ながら答えは「ノー」だ。
口から入れても胃酸で溶けてしまう。
それに、たとえ胃酸から保護できたとしても、血液脳関門という脳のバリアを通過するのは難しい。

また、BDNFをじかに血管に注射しても同じだ。
血液脳関門を通れないため、脳に到達できない。
頭蓋骨にドリルで穴を開け、そこから脳に注入することは理論上は可能だが、実際に行うには無理がある。

ところが、BDNFを増やせるごく自然な方法がある。
それは―─さあ、ドラムロールをどうぞ――運動である!

じつのところ、BDNFの生成を促すのに、運動ほど効果的なものはないといっていい。
動物実験では、マウスやラットが運動すると脳がたちまちBDNFをつくりはじめ、運動をやめても数時間はその状態が続くことがわかっている。
心拍数がある段階まで増えると、BDNFが大量に生成されるのである。

たとえ、初めて運動をしたあとですぐにBDNFがつくられなかったとしても、あきらめずに運動を習慣づけてほしい。
定期的に運動をすれば、そのたびにBDNFの生成量も増えていくのだから。

たとえば週に2回、30分ランニングをするとしよう。
長時間続けたり、速く走ったりする必要はない。
ランニングを1回するごとに、BDNFの生成量は少しずつ増える。
ランニングをやめても、一旦増えたBDNFの値はすぐには下がらず、2週間ほど経ってからやっと下がりはじめる。
BDNFを増やすことにかぎっていえば、1日も休まずに運動しなくてもよいということだ。

BDNFを増やせる活動は、有酸素運動だ。
筋力トレーニングでは、同じ効果が得られないといわれている。
BDNFを大量に増やしたければ、定期的に活発に身体を動かすことが好ましく、有酸素運動のうちでもとくに「インターバル・トレーニング」が適している。

インターバル・トレーニングとは、「60秒激しく動いて60秒休む」を1セットとし、それを10回繰り返すようなトレーニングで、ケガのリスクを考えればランニングよりサイクリング(フィットネスバイクなど)がおすすめだ。
もっとも肝心なのは心拍数を増やすこと。
毎回そこまで運動量を上げられなければ、ときどきでもよい。

p190

フィンランドや日本、南アフリカで実施された実験によって、定期的に運動をする人には皮肉っぽい気質や神経質な性格の人が少ないことがわかった。
また、運動する人は、周囲の人たちとも互いに理解し合えていると感じているようだった。
オランダで2万組近い双子の実験を行ったときも、これと同じ結果が見られた。
週に二度以上の運動を行っている人は、より社交的で、神経質な面が少なかったのだ。

もちろん、何が先なのか――ニワトリが先か卵が先か――はわからない。
運動は、皮肉屋や気難しい人を素直な性格にするのかもしれない。
だが、皮肉屋で気難しい人はそもそも運動をあまりしないということも考えられる。

しかし、科学の研究では、人間の性格に影響をおよぼす分子の役割が徐々に解明されており、これは運動が性格にも影響をおよぼすことを裏づけている。

セロトニンとドーパミンが感情を左右していることに加え、これらの量が人によって違うことも性格の違いに関わっている。
たとえばドーパミンは、好奇心や、何か新しいことを進んで試そうとする気持ちを促す作用がある。
いっぽうセロトニンは、手に譲歩する柔軟さを生むが、神経質な側面につながることもある。

人間の性格を、分子や脳内の化学反応のみから語ることは難しい。
性格や感情を生物学的に説明すると、非常に込み入った話になる。

だが、生物学とはそういうものだ。
この2つの物質だけでは人間の性格を説明できないにしても、それらが性格に影響を与えていることは確かだ。
そして短期的にも長期的にも、運動がセロトニンとドーパミンの濃度を高めることも事実である。

このことを踏まえれば、運動が性格に影響をおよぼすという説がまったく道理に合わないわけではないと理解できるだろう。

合法的に「違法レベル」になる p192

アヘンが痛みを消し去って陶酔感をもたらすことは、紀元前のころから知られている。
ローマ帝国時代、このケシの実から採取した液体を乾燥させたものは薬品として使われ、大衆は麻薬としても愛用した。

19世紀初頭に、ドイツの科学者がアヘンの有効成分であるモルヒネを取り出すことに成功すると、それは医療現場で使われるようになり、主に負傷兵のための鎮痛剤として重宝された。
その薬の効き目には目を見張るものがあった。
たとえば両腕と両足を失った負傷兵でも、わずか0.2~0.3グラム服用すれば、痛みはほぼ完全に消えたのである。

アルコールにも鎮痛効果があるが、これと同じ効果を得るためには数百倍の量が必要だった。
そのため、わずかな量でも高い効果が見込めるモルヒネは、まさに夢の薬だったのである。

1970年代の初めに、脳細胞の表面にモルヒネと結合する受容体があることがわかると、なぜモルヒネの作用がそれほど強力なのかという疑問に答えが出た。
だが、そこで新たな疑問が生まれた。

「いったいどうして人体にモルヒネを取り込む受容体があるのか?」

自然界は、人類をモルヒネ依存症にでもしようというのか。
ありえない話だ。
最も理にかなった答えは、脳が自家製のモルヒネを合成することができて、その未知なる物質を取り込むために受容体があるということだ。

世界中の科学者たちが、こぞって「脳の自家製モルヒネ」の正体を突き止めようとしたが、その努力はたちまち実を結ぶ。

1976年、豚の脳内で放出される未知の物質が発見されたのである。
その物質は豚の脳そのものが合成していると考えられ、分子構造はモルヒネとよく似ていた。

同じ年、子牛の脳を調べていたアメリカの科学者が、やはり似たような物質を発見した。

豚と子牛から発見された未知の物質は互いに分子構造が似ていたため、どちらも「自家製のモルヒネ」だという結論が下された。
人間の身体にも存在するこの物質は、体内で合成されることから「体内性モルヒネ(エンドジーナス・モルフィン)」と名づけられ、名称は略されて「エンドルフィン」と呼ばれるようになる。

エンドルフィンには、モルヒネと同じように目覚ましい鎮痛作用がある。
そしてモルヒネと同じように多幸感をもたらす。

だが、なぜ脳がみずからにそんな物質を与えるのか。
なぜ体内には、そのようなメカニズムがあるのか。
また、脳はどんなときにその物質を放出するのか。
それは、人間が薬品や麻薬を使うことなく苦痛を消し、同時に多幸感を得ることが必要な環境と関係がある。

アメリカ人の長距離ランナー、ジェイムズ・フィックスは、ベストセラーとなった著書『奇蹟のランニング』(クイックフォックス社、1978年)のなかで、その体験を語っている。
彼は長距離を走ったときに、何度かこの上ない多幸感に包まれて苦痛が緩和されたというのだ。
フィックスは、それを「ランナーズハイ」と呼んだ。

だが、その「ランナーズハイ」を体験していたのは彼1人ではなかった。
有酸素運動のスポーツのアスリートたちが、同じ体験をしたことを次々に明かしたのである。

それは「どんな現象」か p195

ジェイムズ・フィックスの著書は、1970年代のマラソンブームのさなかに出版された。
「ランナーズハイ」という言葉はたちまち流行語となり、エンドルフィンという新たに発見された物質が、その効果をもたらす張本人だという話が広く知れわたった。

いまや「ランナーズハイ」という言葉を知らないランナーはまずいないが、実際にそれを体験した人はさほど多くない。
その感覚は並外れたもので、いくらか爽快だという程度ではない。
運動が私たちの精神におよぼす様々な影響のなかで、「ランナーズハイ」は群を抜いて強烈な感覚なのである。

私自身は二度、体験している。
それは魔法としかいいようがなかった。
運動を終えたときに感じる爽やかな達成感とは完全に違う。
あらゆる苦痛が消え去り、この上ない幸福感に包まれ、頭のなかは冴えわたり、疾風のように速く、どこまでも永遠に走っていられるような気分になるのだ。
その感覚はあまりにも鮮烈なので、一度経験したら忘れられない。

もし自分が感じているものがランナーズハイといえるのかどうか確信が持てなければ、それはおそらくランナーズハイではない。

なぜ「ウォーキングハイ」は起きないのか p198

ランナーズハイをもたらす物質として、ほかに考えられるものは「内因性カンナビノイド」だ。
これもエンドルフィンのように体内で合成され、鎮痛作用もあるが、エンドルフィンよりも分子が小さいために脳に難なく到達できる。
また、脳にはエンドルフィンと結合する受容体とは別に、内因性カンナビノイドと結合するための受容体が備わっている。
この受容体は中毒性の高い薬物とも結合する(マリファナの有効成分が結合するのは、この内因性カンナビノイドの受容体だ)。

内因性カンナビノイドがランナーズハイに関係しているという指摘は、フランスの研究チームの実験によって、にわかに信憑性を増した。
彼らは遺伝子を操作して内因性カンナビノイドの受容体が欠けているマウスをつくったが、そのマウスの運動量に変化が見られたのだ。
通常のマウスなら、ケージ内の回し車を自分から進んでこぐ。
だが、遺伝子を操作されたマウスは回し車に興味を示さず、通常のマウスの半分しか走らなかったのだ。

マウスがどれだけ走れば高揚感を覚えてランナーズハイになるのかを知ることはできないが、人間が走ったのちに内因性カンナビノイドがどのくらい増えたかを調べることは可能だ。

そしてこう報告されている。
ただ歩くだけでは、内因性カンナビノイドは分泌されない。
内因性カンナビノイドが分泌されるには、ランニングを1回につき少なくとも45分から1時間は続ける必要があるという。
この条件は、まさにランナーズハイが起きる条件と同じである。
そして当然ながら、ウォーキングではランナーズハイは体験できない。

「プチ・ランナーズハイ」で意欲を高めるプラン p203

うつ病とまではいえなくても疲労感が抜けない、あるいは気がふさいで仕方がないといったことはないだろうか。
それなら外に出て走ろう。
ランニングなどの心拍数が増えるような運動を定期的に長く続ければ、すばらしい効果を実感できる。
その際、次に挙げる条件を目安にしてほしい。

30~40分のランニングを週に3回行うこと。
運動の強度は、最大酸素摂取量が少なくとも70%になるようにしたい(用語集参照)。
速度は「普通」が適しているが、息が上がる程度には負荷をかける必要がある。

ランニングの代わりにサイクリングなど、ほかの有酸素運動でも同じ効果がある。
重要なのは運動の種類や場所ではなく、強度や時間だ。

その活動を、3週間以上は続けよう。
初回の運動で気分が改善するのを多くの人が実感しているのは事実だが、運動の直後だけでなく、丸1日快調に過ごすためには、定期的に数週間続ける必要がある。
モチベーションを上げたいなら、初めの1、2週だけで多くの結果を期待してはいけない。

海馬が2%大きくなった被験者たち p211

アメリカの研究チームが、120名の被験者を対象に、1年の間隔を空けて2回、MRIで脳をスキャンして海馬の大きさを測った。

実験に先立ち、被験者たちは無作為に2つのグループに分けられ、異なるタイプの運動を行うように指示された。
いっぽうは持久力系のトレーニング、もういっぽうは心拍数が増えないストレッチなどの軽いエクササイズだ。

1年が経過すると、持久力系のトレーニングを行ったグループは、軽い運動のグループより健康状態が改善していた。
それ自体は驚くようなことではない。

問題は海馬だ。
軽い運動を行ったグループのほうの海馬は、1.4%縮んでいた。
とはいえ、海馬は1年で約1%縮むのだから、これも騒ぐほどのことでもない。

それよりも研究者たちの目を引いたのは、持久力系のトレーニングを行った被験者たちの海馬が、まったく縮んでいなかったことである。
それどころか、成長して2%ほど大きくなっていたのだ。
いなかったばかりか、なんと2歳も若返っていたのである。

効果はそれだけにとどまらない。
運動によって健康状態が改善した人ほど、海馬もよく成長していた。
健康状態が大幅に改善された人たちは、2%以上も海馬が大きくなっていたのだ。

なぜ、このようなことが起きたのか?
理論的には、脳の肥料であるBDNF(運動するほど生成量が増える)が、海馬の成長を促したと考えられる。

「BDNFが脳の細胞同士のつながりを強化し、それによって記憶力も強化される」というくだりを覚えているだろうか。
この実験は、まさにそれを物語っている。

被験者のBDNFの量を調べてみると、それが増えている人ほど海馬が大きくなっていたのだ。

では、わずか1年で脳の重要な部位を若返らせ、成長まで促すことができた奇跡の運動とは、いったい何だったのだろうか。
被験者はフィットネスバイクを猛スピードでこいだのだろうか。
それとも、過酷なインターバルトレーニング(激しく運動しては休み、また激しく運動しては……を繰り返すトレーニング)でも行ったのだろうか。

いや、どちらも違う。
彼らが取り組んだのはフィットネスバイクでも、ランニングでもなかった。
じつは、週に3回、40分、早足で歩いただけだったのである。
つまり、週に数回ほど早足で歩いたり走ったりするだけで脳の老化が食い止められ、むしろ若返り、おまけに記憶力まで強化できるということだ。

とはいえ、こういった論文を読むときには安易に結論を下すべきではない。
これはあくまでも実験であり、現実とは違う。

もし海馬が老化から救われ、「若返って」成長することもできるなら、それは実生活においてどんな意味があるのだろうか。
そして本当に、ただ運動するだけで記憶力がよくなるのだろうか。

一言で答えるなら「イエス」だ。
過去に行われた数々の実験によって、それはしっかりと裏づけられている。

運動すれば短期記憶と長期記憶がともに改善され、加齢による海馬の萎縮にストップがかかり、それどころか海馬は成長さえするのである、と。

「暗記できる単語の数」が実際に増えた p216

では、具体的にはどのような運動をすれば、記憶力がよくなるのか。
やはり何か月も続けなければならないのだろうか。
あるいは、すぐに効果が現れるのか。
運動は、何かを覚える前に行うべきか、それともあとか。

じつのところ、効果はわりと早い段階で実感できる。
実験では、持久力系のトレーニングを定期的に3か月続けた場合、単語を暗記する能力がかなり上がるという結果が出た。

また忍耐強く続ければ続けるほど、その効果も増大するという。
なぜなら、どれだけ記憶力がよくなるか――つまり単語を暗記できる数は、体力と比例しているためだ。

健康状態が良好な被験者は、記憶力も大幅に改善していた。
健康なほど海馬も成長することを考えれば、これは非常に理にかなった結果といえるだろう。

3か月は長すぎると思うだろうか。
心配は無用だ。
効果はそれよりも早く現れる。

定期的にフィットネスバイクをこいだ健康な被験者のグループと、何もしなかった同年代の被験者のグループを比較した実験データがある。
実験に先立ち、被験者全員がいくつもの記憶力のテストを受けたが、双方のグループに成績の差はなかった。

だが、実験が始まっていくらも経たないうちに、フィットネスバイクのグループは、健康面でも記憶力の面でも、何もしないグループに優るようになった。
6週間後に行われた記憶力のテストでは、フィットネスバイクのグループの成績は、何もしなかったグループをさらに大きく引き離していた。

実験の期間が長くなるにつれて、その差はさらに大きくなった。
フィットネスバイクのグループの記憶力は上がりつづけたのに対し、何もしないグループは健康面でも記憶力の面でも変化がなかったのである。

フィットネスバイクをこいだ被験者たちの脳をMRIでスキャンしたところ、記憶の中枢である海馬の血流量も増えていることがわかった。
記憶力が改善されたのはそのためだろう。
血流がよくなると海馬の働きがよくなる。
それにともない記憶力がよくなったというわけだ。

「動きながら覚える」と定着率が段違いによくなる p218

あなたが私のようにせっかちなら、とても6週間は待てないと思うに違いない。
じつは、運動をすれば記憶力はたちどころに改善するという。

実験では、記憶力のテストで一番よい成績を挙げた被験者たちは、テストの直前に運動をしていた。
身体のコンディションが万全とはいえない被験者でも、テストの直前に運動をした場合、ほぼ全員が前もって運動をしなかったコンディションのよい被験者よりもよい成績を挙げた。

つまり運動すると、すぐに記憶力が上がると考えられる。

だが、もし暗記力を最大限に上げたいのであれば、運動と暗記を同時に行うことをお勧めする。
たとえば、トレッドミルの上で歩きながら暗記するのである。
もちろん、いつもできるとはかぎらないが、そのことを心に留めておくといいだろう。

運動と暗記を同時にすれば効果が上がる理由は、まだはっきりとはわかっていない。
おそらく身体を動かすと筋肉の血行がよくなるように、運動すると脳の血流もよくなるためだろう。
身体を動かすと、たちまち血流量が増える。
そして脳にたくさん血液が流れ込むことで記憶力も上がるという仕組みだ。

むしろ暗記力が下がる運動 p219

運動によって記憶力がよくなるという事実をお伝えしたが、これは決して科学の実験現場のみの話ではない。
あなた自身がこの恩恵にあずかれるのだ。

テストのために単語を暗記する場合、運動しながら(あるいはしてから)暗記すると、何もせずに暗記した人よりも、覚えられた単語が20%増えたというデータがある。

となると、試験勉強や仕事の関係で何かを覚えるときには、「散歩に行ってる暇はない」と決めつけないほうがいいだろう。
その散歩の時間は、思いのほか有益なものになるはずだ。

暗記にかぎっていえば、ウォーキングや軽いジョギングに最も効果が期待できる。
疲労を覚えるほど運動すると、かえって逆効果になるからだ。
疲れると筋肉がさらに血液を必要とするため、脳に流れる血液の量が減り、記憶する力が損なわれてしまう。

また激しく身体を動かすと、脳は覚えようとしているものではなく、動作そのものに集中する(望まない方面に集中力が発揮される)。
覚える内容を聴きながら速いペースで走ると、脳は聴いている内容ではなく、走るという動作に集中してしまうのだ。

p222

では、なぜ運動で動作の習得がしやすくなるのか。
その理由は、次のように推測される。

新しく習得した技術を数分で忘れることなく24時間後でも覚えているためには、記憶が固定されなくてはならない。

記憶の固定とは、ドイツ語の単語を覚えたり、ピアノで曲を演奏したり、コンピュータゲームをプレイしたりするときに、覚えたものが短期記憶から長期記憶に切り替わることだ。

たとえば、あなたが簡単なピアノの曲を何回か弾くとしよう。
それから1分ほど休憩して、また同じ曲を弾く。
たぶん、まだ弾き方は覚えているだろう。
短期記憶として保持されているためだ。
しかし、次の日になっても同じように弾けるだろうか?
それは学習した内容が長期記憶としてしっかり刻みつけられ、固定されたかどうかによる。

海馬は、記憶が短期から長期へと切り替わる過程で大切な働きをしている。
運動をすると海馬の細胞がBDNFを分泌し、それによって脳の細胞同士のつながりが強化されることはすでに説明した。
そのため、何かを習得する前に運動をすれば、その記憶が短期から長期へと切り替わる段階でBDNFが分泌されるはずだ。
海馬でBDNFが増えることで、短期記憶は長期記憶の貯蔵庫に転送されやすくなるのである。

つまり、ピアノを弾くときは、おそらく運動してから練習をすれば上手に弾けるだろう。
また、ゴルフのスウィングを上達させたければ、ゴルフ場に行く前にランニングやサイクリングをすればよい。

ピアノ演奏やゴルフのスウィングのほか、あなたが学びたいと思うどんな技術でも、事前に運動をすれば、BDNF分泌の恩恵を受けて、学んだことが長期記憶になる段階でしっかり固定される。
つまり脳の細胞同士のつながりが強くなって、離れにくくなるのである。
覚えたいことが言葉であれ動作であれ、等しくその恩恵を得ることができる。

ただし、短期記憶は何かを習得しても数分で長期記憶には切り替わらない。
少なくとも24時間はかかる。
これはコンピュータゲームの実験結果とも合致する。
運動の影響は、何かを習得してから1日後に現れるということだ。

ただし走りすぎると忘れっぽくなる p224

運動はすればするほど脳にとって常に恩恵となるのだろうか。
あるいは、度が過ぎると逆効果になることもあるのだろうか。
たとえば、トライアスロンのように参加者が10~12時間もかけて競い合う過酷なレースに出た場合も、脳の働きや記憶力は向上するのだろうか。

今の時点での科学者たちの見解は、過酷な運動は脳や記憶力少なくとも短期記億という点では、プラスよりもマイナス面のほうが多いという方向に傾いている。

アメリカの研究チームが、たくさんのマウスから走るのが好きなマウスを選んで交配し、走るのが何よりも好きなマウスをつくり出した。
そのなかからさらに、一番よく走るマウス同士を交配して、さらに次の世代の一番よく動くマウス同士を交配した。

このように交配を重ね、とうとう普通のマウスのほぼ3倍もの距離をみずから走るマウスが誕生した。
この「ウルトラマウス」は、人間が20~30キロ走るのに等しい距離を1日で走ることができた。

科学者たちはこのマウスの記憶力を調べるために、迷路に入れた。
普通なら、よく走るマウスは新しい空間を早く把握することができる。
運動によって記憶力が向上するためだ。
しかし、このマウスは、普通のマウスよりも迷路を抜けるのに時間がかかった。
記憶力が悪く、ストレスホルモンのコルチゾールの血中濃度も高かった。

コルチゾールは身体のストレス反応において重要な働きをするが、たいていは運動したあとで濃度が低下する。
だから、普段からよく走るウルトラマウスは、ストレスも少なくコルチゾールの濃度も低いと思われた。

ところが実際はその逆で、慢性的にストレスにさらされている様子が見られたのである。

これが人間にも当てはまるかどうか、まだ立証はされていない。
とはいえ、どうやら脳が恩恵を受ける運動量には限度があるようだ。
その限度を過ぎると、ストレス反応が抑えられるどころかむしろ強く作用して記憶力の低下を招くのだろう。

今の時点では、運動がストレスとなる限界点がどのあたりかは解明されていないが、個人差はあると思われる。
一ついえるのは、脳を鍛えたり記憶力を向上させたいなら、ウルトラマラソンなどの過酷なレースに参加するべきではない。
逆効果になるからだ。

脳の機能を向上させるには少し長めに歩いたり、30分走ったりするだけで充分。
何時間も走り込む必要はない。

これで「ニューロン増殖率」が2倍になる p237

研究でわかったことは、一生の間、海馬で新しい細胞がたくさん生まれつづけていることだけではない。
細胞の新生は記憶力を向上させるだけでなく、目視できない私たちの心の健康にとっても重要だということも判明した。

研究者の多くが、うつ病は神経細胞が新たに生まれないことによって起きる病気で、新しい神経細胞が足りないとうつ病を発症すると考えている。

この見解は、抗うつ剤によって脳の細胞が増えることに由来している。
そのため、抗うつ剤を服用しても脳で新しい細胞が生まれる働きが阻害されると、薬の効果はなくなりうつ病の症状は消えない。
これは脳細胞の新生が私たちの幸福感や、うつ病から回復する力にとって不可欠であることを意味している。

脳細胞をつくる働きが損なわれれば、気持ちが落ち込み、うつ病になり、記憶力も低下する。
それとは逆に、身体を活発に動かせば、脳細胞の新生は2倍に増えることがわかっている。
これは健全な精神をキープするうえできわめて強力な作用といえるだろう。

「飽和脂肪酸」の取りすぎで新細胞が減る p241

運動、セックス、(栄養不良にならない程度の)低カロリーの食事、プレーンチョコレートなどに含まれる「フラボノイド」はすべて、脳細胞の新生を促す効果がある。

だが新しい細胞は、ストレスや睡眠不足、過度の飲酒、高脂肪の食事、とくにバターやチーズに含まれる飽和脂肪酸の取り過ぎによって減少することも、ぜひ覚えておいてほしい。

本書は主に身体を動かすことに主眼を置いているので、食べることに関しては大まかな提案にとどめておくが、身体の資本となる食事もぜひ気にかけよう。

「暗記力」を高めたいならランニング p242

記憶は脳全体に転送されるが、保管される場所は「記憶の種類」によって違う。

前頭葉と海馬には、「ワーキングメモリー」が保管される。
ワーキングメモリーとは、たとえば電話をかけるときには番号を覚えてボタンを押すが、そういった一時的な記憶のことをいう。
また、「場所の記憶」も海馬に保管されている。

側頭葉には、「エピソード記憶」が保管されている。
「エピソード記憶」とは、たとえばクリスマスイブにどんなことがあったか、また何をしたかといった記憶だ。

そして、ほとんどの記憶はそれが使われる場所に転送されて保管される。
たとえば視覚的な記憶なら視覚野、といったように。

おもしろいのは、運動が影響をおよぼす脳の領域が、運動の種類でそれぞれ異なることだ。
そのため、記憶も運動の種類によって影響を受ける種類が異なる。

たとえば「暗記の能力」は、筋力トレーニングではなくランニングによって高められることがわかっている。
だが、「連想記憶」は、筋力トレーニングで高まるという。
「連想記憶」とは、たとえば顔と名前を一致させるときの記憶だ。

また、カギをどこに置いたかを思い出すというような記憶は、ランニングと筋力トレーニングの両方に影響を受けるという。

運動が記憶力におよぼす影響について詳しく調べると、2つの結論にたどり着く。
一つは――これは最も重要な点であるが、記憶力を高めたいのであれば、何かしら運動をすべきだということ。
どんな運動をするかはさして重要ではない。

もう一つは、物の置き場所から言葉の暗記まで、あらゆる種類の記憶力を高めたければ、様々な運動、つまり有酸素運動と筋力トレーニングの両方を取り入れるとよいということだ。
だが、もしどちらかを選ぶなら、記憶力向上に最も有効なのは、有酸素運動といえる。

運動で海馬と前頭葉がともに強化されるという事実は、運動が様々な種類の記憶力を高めることを意味する。
ほとんどの研究は短期記憶におよぼす運動の効果を調べたものだが、短期記憶と長期記憶のどちらにも有効、ということだ。

それが今朝の出来事だろうと20年前に起きた出来事だろうと、難なく思い出せるようになるのだ。

「脳トレ」では頭はよくならない p244

グーグルで「認知トレーニング(cognitive training)」という言葉を検索すると、1000万件以上ヒットする。
そのほとんどは、脳の機能を高めると謳うアプリやコンピュータゲーム、そのほかの商品の広告だ。
そして、どれもみな効果がありそうなものばかりだ。

誰だって、できることなら脳の働きをよくしたいと思っている。
短時間で脳が鍛えられるという名目の商品を扱うビジネスは、巨大産業に成長した。
いまや、脳トレ関連のコンピュータゲームの売上げは、年間で100億ドル以上にものぼるという。

近年、そういった脳トレ関連のゲームやアプリに実際に宣伝どおりの効果があるのかを確かめるべく、スタンフォード大学とマックス・プランク研究所の主催により、世界の名だたる神経科学者と心理学者70名が立ち上がった。
そして専門家たちの手で、認知トレーニングの分野に科学のメスが入り、「コンピュータゲームが本当に脳の認知能力を高めるのか」という問いに答えが出たのである。

その答えは、容赦なく否定的なものだった。
コンピュータゲームやアプリが提供する様々な認知トレーニングは、確かにゲームそのものは上達しても、とくに知能が高くなったり、集中力や創造性が改善されたり、あるいは記憶力が向上したりといった効果はないことがわかったのである。
単に、そのゲームがうまくなるだけだ。

また、やはり脳を鍛えるといわれるクロスワードパズルも同じだった。
クロスワードパズルを解いてもパズルが得意になるだけで、それ以上の効果はないという。

そのいっぽうで、運動があらゆる認知機能を強化できることは、多くの研究が繰り返し立証している事実である。
運動vs脳トレの勝負は、運動が圧勝したのである。

何でも覚えてしまう具体的プラン p246

理想的な方法は、有酸素運動(持久力系のトレーニング)と筋力トレーニングの両方を取り入れることだ。
ほとんどの研究は、有酸素運動が海馬に与える影響を対象にしたものだが、記憶の種類によっては、筋力トレーニングのほうが効果的な場合もある(たとえば、顔と名前を一致させるなど、関連性を想起する連想記憶力)。

何かを暗記するときには運動してから、あるいは運動しながら覚えると効果が上がる。
この場合、決して全力で行う必要はない。
ウォーキングか軽いジョギングでも充分に効果がある。

効果が最も上がるのは、トレーニングをしてから1日から数日後であることも忘れずに。

何より運動を習慣づけよう。
もちろん、一度でも記憶力は向上するが、認知機能の多くがそうであるように、記憶力も数か月にわたって忍耐強く運動を続ければ、さらなる効果が期待できる。

第6章 頭のなかから「アイデア」を取り出す p251

最新リサーチが実証した「運動後、ひらめく力」

「私が足を踏み出したその瞬間から、あふれ出るように思考が湧き上がる」
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(アメリカの作家、思想家)

村上春樹は世に広く知られる日本人の作家で、その著作は世界中でベストセラーとなっている。
また、世界の名だたる文学賞を数多く受賞し、ノーベル文学賞の候補者としても再三、名前が挙がる。
いったい彼はどこから作品の着想を得るのだろうと不思議に思うなら、2007年に出版された回顧録の題名『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を見れば、その疑問はたちどころに氷解するはずだ。

この本のなかで、村上は創作のプロセスを詳しく語っている。
作品の執筆中は毎朝4時に起床し、午前10時まで仕事をする。
昼食を取ったのちに10キロのランニングを行い、それから水泳をする。
そのあとは音楽を聴いたり、読書をしたりして過ごす。
そして夜の9時ごろには就寝する。

一つの作品を書き上げるまでの半年間、村上は毎日こうした生活を送っているという。
彼の創作のプロセスには、芸術的な繊細さと同じくらいに、運動でつちかった体力が何より欠かせないのである。

運動が創造性に計り知れない影響をおよぼすことを知っているのは、彼だけではない。
作家、ミュージシャン、俳優、アーティスト、科学者、起業家など、多くのプロフェッショナルたちが、創造性を高めるために運動していると口を揃えるのだ。

p253

それは「突然」降ってくる?
運動によって創造性が増すことは、それに恵まれた多くの人が身をもって証明している。

アルベルト・アインシュタインは、自転車をこいでいるときに相対性理論を思いついた。

人類史上、最も偉大な作曲家ともいうべきベートーヴェンは、40代のころには完全に聴覚を失っていたにもかかわらず、それ以降も交響曲を3曲生み出している。
日中、彼はたびたび仕事の手を休め、着想を得るために長い時間、散歩をしたといわれている。

また、チャールズ・ダーウィンは「ダウン・ハウス」という名で知られる屋敷のまわりの散歩道彼はそれを「思索の小径(thinking path)」と呼んだ――を何時間も歩いて過ごした。
革新的な著作『種の起源』は、おそらく進化生物学において最も重要な文献だが、その着想を発展させた時期こそが、ここを散歩していたころだという。

近年の例としては、アップルの共同創業者でCEOを務めたスティーブ・ジョブズはしばしば歩きながら会議を行ったことで知られている。
彼は会議室のテーブルを囲んで話し合うよりも、歩きながら意見を出し合うほうが成果があると考えた。

ジョブズのやり方には、フェイスブック(現在メタ)創業者のマーク・ザッカーバーグや、ツイッター創業者ジャック・ドーシーら、シリコンバレーの多くのビジネスエリートたちが共感を覚え、この「ウォーキング・ミーティング」を取り入れている。

「創造性」とは何か p255

これらのエピソードは、運動が創造性を高めることを雄弁に語りはするものの、決してその効果を科学的に実証するものではない。
となれば、運動が「既存の枠組みにとらわれない思考」を促すことや、そのためには具体的に何をすればいいのかをお伝えする前に、まず創造性とは何か、そして、それを見極める方法についてお話ししよう。

「創造性がある」と評価するためには、その対象が斬新さと意義を兼ね備えていなくてはならない。
他人の成果を真似ても、創造とはいえない。
また創造されたものは、何らかの目的や役割を果たさなくてはならない。
無意味な発明も、やはり創造とはいえない。

創造性の研究において、この能力は2つの思考の枠組みで分類されている。
「発散的思考」と「収束的思考」だ。

「発散的思考」は、いわゆる「ブレインストーミング」のことだ。
多角的で相関性のある答えをできるだけ多く想起することである。

発散的思考力を測るテストで代表的なものは、「用途の代案課題(Alternative usestask)」と呼ばれるものだ。
これは、与えられた言葉の持つ用途を、どれだけ多く想起できるかが尺度になる。
たとえば「レンガ」という言葉なら、決められた時間内でレンガの様々な用途――壁や家屋の建材、ペーパーウェイト、ドアストッパーなど、思いつくかぎり回答する。

ここで重要なのは、回答の数はもちろん、その内容が具体的で、すべてが完全に別個のものであることだ。
また、独創的で、ほかの被験者の回答と重複しないことも望まれる。
だが、「宇宙ロケットをつくる材料」といった、非現実的な回答はカウントされない。

単純なテストに思えるかもしれないが、このテストで被験者の創造性のレベルをかなり正確に測ることができる。
また時間制限があるため、これがなかなか難しい。

このテストの大きな利点は、知能指数に関係なく創造性のみが測れることだ。
IQが高くても、人よりうまく回答できず、言葉につまる人も少なくないのである。

いっぽう「収束的思考」は、発散的思考とは相反するタイプの思考だ。
様々な答えを想起するブレインストーミングとは違い、唯一の正解にすばやくたどり着くための思考である。
つきつめていうと、与えられた情報の本質的な要素を見抜くことだ。
たとえば3つの言葉を与えられたときにすばやく共通点を見つけられることは、この思考による。

「ヴァーサ号博物館」「グローナルンド遊園地」「ストックホルム市庁舎」の共通点は何かと問われたら、答えはスウェーデンのストックホルムの観光地であることだ。
いいかえれば、たった一つ、あるいはわずかしか正解がないのである。
それ以外の回答は正解ではない。

収束的思考は、発散的思考よりも速さと論理性が求められるため、脳の負担はこちらのほうが大きい。
それでも収束的思考は、「突拍子もない、非現実的な発想に飛ばない」という点で創造において重要な思考だ。
科学においても芸術においても、創造には欠かせない頭の働きなのである。

ひらめくには走るべきか、歩くべきか p261

スタンフォード大学の研究では、被験者は大学の屋内外を歩いたが、創造性を増すための最適な活動とは何だろうか。
歩いたほうがいいのか、それとも走ったほうがいいのか。

断定はできないが、ウォーキングよりもランニングか、もしくはそれと同じような活動により効果があるといわれている。
身体にある程度の負荷がかかる活動のほうが、創造性においても効果が高いのだ。

そして、少なくとも30分は取り組む必要がある。
創造性は、主に運動のあとに高まるが、それはじつに合理的だ。
ブレインストーミングなら歩きながらでもできるが、走りながら考えごとをするのは難しいだろう。

では、運動をしたあとで高まった創造性は、どのくらい維持できるのだろうか。
効果は一生続くのだろうか?
残念ながら答えは「ノー」である。

創造性が高まる効果は、あくまでも短時間だ。
創造力の上昇は1時間から数時間で、その後は徐々に消えていく。
もう一度インスピレーションを得たければ、また歩くか走るよりほかないだろう。
あの村上春樹も、日常的にランニングをしている。

だが創造という観点では、全力を出しきって疲れてしまうことは勧められない。
それでは創造性は高まらない。

これは実験でも裏打ちされている。
運動をがんばりすぎた被験者は、そのあとの創造性のテストで成績が芳しくなかったのである。

では、なぜ効果は長続きしないのか。
そして、なぜ疲れるまで運動すると逆効果になるのか。
今の時点ではまだ解明されていないが、可能性として次のようなことが考えられる。

前述したように、運動すると脳に流れ込む血液が増える。
それによって脳の働きが促進され、認知能力が向上して創造性も増す。
だが疲れるほど運動すると、脳の血流量は逆に減る。
血液が脳から筋肉へと流れを変えるためだ。
筋肉が最大限の力を発揮するためには、その筋肉により多くの血液が必要になる。

脳の血流量が低下すると、脳自体の効率も落ちるといわれている。
あなたも、疲れているときに思考力が鈍るのを経験したことがあるだろう。

とはいえ、疲労にともなう創造性の衰えは、あくまでも一時的なものだ。
激しい運動をしたために創造の力が損なわれても、その状態が長引くという実験データは今のところ上がってはいない。

才能vs努力 p264

モーツァルトは、現存する書簡のなかで、自分の作曲の手法について語っている。
それは、まさに神業だ。
この伝説的な作曲家は、楽器にまったく手を触れずに傑作を完成させたという。
すでに完成した交響曲が頭のなかで鳴り響き、彼はただそれを紙に書き写したに過ぎないというのである。

のちに、その曲をオーケストラが演奏したとき、最初に頭のなかで聞いたとおりの、すばらしい出来栄えだったと彼は書いている。

この天才的な芸術家に備わった、とてつもない創造の力に、私たちはただ圧倒されるばかりだ。
このようなエピソードは、創造の天才といわれる人々の脳が、私たち凡人には想像もつかない働き方をする例として、よく引き合いに出される。

だが、この書簡に書かれていることは真実ではない。
実際には、モーツァルトはそのようなやり方で交響曲をつくらなかった。

あらゆる資料は、彼が仕事とじっくり向き合い、既存の作曲法や音楽理論を取り入れて曲づくりを行ったことを伝えている。
また納得がいくまで調整や修正をかぎりなく繰り返し、完璧なものに仕上がるまでに途方もない時間をかけたという。

モーツァルトが生んだ数々の傑作は、神からの贈り物などではなく、懸命に努力してつくり上げた作品にほかならない。

ニュートンが万有引力の法則を思いついたときのエピソードも、これと同じである。
あの、木の下に座っているときにリンゴが頭に落ちてきたという話だ。

この話には、詳しく語られていない部分がある。
このアイデアがひらめく前から、彼が何十年もの間、数学や物理学に取り組んでいたこと。
そして、ようやく法則を証明できたのは、リンゴが落ちてから20年も経ってからだったことだ。

もちろん、モーツァルトにもニュートンにも、「これだ!」と叫ぶような瞬間はあったかもしれない。
だが、彼らのひらめきは偶然に生まれたものではなく、長い時間をかけて勤勉な努力を重ねた結果であったことを、あらゆる記録が示している。

だからといって、努力すれば誰でもモーツァルトのように不朽の名作を書き上げられるわけでも、ニュートンのようにその道の先駆者として科学史に名を残せるわけでもない。

だが、この2人の天才は、私たちの誰もが努力を重ねれば創造の力を高められることを教えてくれている。

そして身体を動かしながら努力を重ねれば、なおのことその可能性は高まるといえよう。

「視床」がキー情報を選出する p269

脳では、膨大な数の情報が絶え間なく選別されている。
たとえば、今この瞬間、私たちが目にしているものや聞こえているもの。
腕や脚の位置関係。
部屋のなかは暖かいか寒いか。
呼吸するたびに肺に空気がたまる感覚。
心臓の鼓動の速さ。

そういった情報を、脳は昼夜を問わず、四六時中受け取っている。
そのなかには、私たちが意識している情報もあれば、意識していない情報もある。
通常は呼吸や脚の位置などを意識することはないが、それは機能的に正常である。
情報が何もかも意識に上ったら、何にも集中できなくなってしまう。

視床は、私たちが情報の波にのまれてしまわないよう、意識のフィルターとして働いているのだ。

視床は脳内で、ちょうど自転車の車輪のスポークが集まるハブのように位置していることはすでに書いたとおり。
この視床が、脳の中心部にあることは決して偶然ではない。
情報は脳の様々な領域から(たとえば視覚情報なら、視覚の中枢から)視床に集められる。
すると、視床はどれをシグナルとして意識に送るかを選別する。

いわば秘書が、上司――この場合は大脳皮質と意識――が出席すべき会議と出席しなくていい会議を選別するようなものだ。
視床が正常に機能しないと、大脳皮質は情報であふれてしまい、本来の働きができなくなる。
判断力のない秘書が、会議を片っ端から手配したために、上司は会議に出るばかりで自分の仕事にとりかかれないのと同じである。

天才の条件 p270

現代の科学では、このように脳内で情報があふれてしまう現象は、「統合失調症」の症状だと考えられている。
現実から乖離し、妄想にとらわれ、視覚や聴覚による幻覚におそわれてしまうのだ。
つまり脳が一度に大量のイメージを受け取ってしまうため、現実の世界が認識できなくなるのである。
そして無意識のうちに、現実に取って代わる別の世界をつくり出してしまう。

事実、統合失調症の患者には、しばしば奇抜な思考パターンが見受けられる。
私自身も、普通ならとうてい思いつかないような奇想天外な妄想にとりつかれた患者を診察することが時折ある。

だが、物事には得てして2つの面があるものだ。
視床があらゆる情報を素通りさせたからといって、必ずしも弱点や精神疾患にはつながらない。

これも、やはり創造性と関係がある。
思いもよらないアイデアがひらめく、あるいは既成概念にとらわれずに物事を考える、といったプラスの面にもつながっている。
情報のシグナルが大量に大脳皮質と意識に送られると、独特の発想を得たり、普通の人とは違った視点で物事が見えたりするようになるのだ。

思いつく「確率」を上げる p271

実際には、どのようなメカニズムなのだろうか。

視床のフィルターが正常に働くためにはドーパミン(ここでも、ドーパミンは重要だ)が必要だ。
だが、量は多すぎず少なすぎず、あくまでも適量でなくてはならない。
適量でない場合には、視床は情報をきちんとふるいにかけられず、脳内は情報過多になる。
それが、プラスにもマイナスにも働くのである。

いってみれば、視床のドーパミンの量が適正でないと創造性が高まる可能性も、精神を病む可能性もあるということだ。
これは、実際の実験でも裏打ちされている。

神経科学者で、スウェーデンのカロリンスカ研究所の教授も務めるフレドリク・ウレーンが行った実験では、発散的思考の創造性テストにおいて、抜群の成績を挙げた被験者は視床のドーパミンの受容体が少なく、ドーパミンの値が適正ではなかった。

そのため、彼らの視床のフィルターは通常よりも多くの情報を通過させ、結果的に思考の創造性が増していたのである。

興味深いことに、テストで成績のよかった統合失調症の患者にも、これと同じ作用が働いていた。
統合失調症の場合も視床のドーパミンの受容体が少ないといわれるが、この場合は創造的な思考ではなく精神病を招いている。

では、「精神疾患」と「創造の天才」を分岐させるものは、いったい何か。

今の科学ではまだ明確な答えは出ていないが、脳のほかの機能が正常であれば、たとえ情報量が多すぎても病気にならず、「創造性」という恩恵だけを受け取るのではないかといわれている。
過剰な情報にうまく対処して、仮想の世界をつくらない強靭な脳である。

脳が強靭であれば、たとえドーパミンの量に問題があっても精神病にはならず、むしろ独創的で創造性に富み、自由な発想がもたらされるのだ。
これに対して、脳が適切に機能しない場合は、情報の洪水に溺れて精神を病み、現実の世界を認識できなくなる。

要は、正しく意図して創造性を上げるには、脳内のあらゆる部位にアプローチできる「運動」が最適というわけである。

脳については、白黒をはっきりつけるのが難しく、一つの特徴があるかないかという二択ではない。
たいていの場合はグレーゾーンが非常に広く、そのなかのどこかに特徴が当てはまるとしても、程度も様々である。

また、視床が大量の情報を通すからといって、創造の天才か精神病のどちらかに必ずなるわけでもない。
その両者の間には、かなりの開きがあるのだ。

そのなかで、脳が扱いきれないほど大量の情報に対処しながら悲鳴を上げている状態の人がいる。
そういった人は、人生のある時期には精神病に近い状態になるかもしれず、ある時期には脳がしっかり対処して、凡人にはとうてい思いつかない何かをつくり上げるのかもしれないということだ。

「ノーベル賞級の発見」に共通するパターン p274

創造的な才能と精神疾患がいかに隣り合わせであるかを示してくれる例は、歴史上にも数多く存在する。
そのなかでも有名なのが、画家のフィンセント・ファン・ゴッホと哲学者フリードリヒ・ニーチェである。
両者とも、類いまれな創造性に恵まれながらも、人生のある時期に精神病を患っていた。

近年の例では、ノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュが、やはり人並みはずれた創造性に恵まれながらも深刻な精神の問題を抱えていた。
アカデミー賞に輝いた映画『ビューティフル・マインド』のなかでラッセル・クロウがその役を演じたナッシュは世界的な数学者だったが、統合失調症を発症した。
そして、幻聴や妄想にとらわれ、自分が尾行や脅迫を受けており、陰謀に巻き込まれていると思い込んでしまった。

ナッシュは、この病気が恩恵と災いの両方の面を持つことを自覚していた。
「もし正常に物事を考えることができたら、こんなにもすばらしい科学的な発想は一つとして思いつけなかったでしょう」

彼はみずからの類いまれな創造の力について、そう語っている。

人並みはずれた創造力を持つ人の多くは精神病ではないが、家系にその痕跡が見られることも少なくない。
アインシュタインには、統合失調症の息子がいた。

博学者で、哲学者、作家、政治家など複数の顔を持っていたバートランド・ラッセルには、統合失調症の親族が多い。

音楽界で数十年に1人といわれた逸材、デヴィッド・ボウイには統合失調症の兄がいた。

これを説明する理由として、次のようなことが考えられる。

こういった人はみな、視床のフィルターが膨大な情報量を通し、そのために人並みはずれた独特の思考が促された。
そして脳が過剰な情報量に対処できた人(運動をすれば、少なくともあなたもこちら側に入る可能性が高まる!)は、その状態を活かすことができた。
その場合は天才的な能力を発揮し、いっぽう脳が過剰な情報を扱いきれなかった人は精神病を患ってしまったのだ。

創造性を発揮するプラン p278

創造性を増やすために最も効果がある活動はランニング、またはそれと同じような活動だ。
ウォーキングにも効果はあるが、走ったほうがより効果は大きい。

できれば20~30分は走ろう。
走り終えてから、創造の力が高まるのが実感できる。
その効果は2時間ほど続くだろう。

疲れきるまで走らないこと。
また、無理をしすぎると、そのあとの数時間は逆に創造の力が衰える(しかし長期的に衰えはしない)。

そして、習慣的に身体を鍛えておこう。
創造性を高める運動の効果が絶大になる。
運動すると、主にブレインストーミングの能力が向上するが、その程度には個人差があることもお忘れなく。

p285

では、なぜ子どもが運動すると、数学や国語の学力が上がるのだろうか。

記憶力に関する章で述べたとおり、大人が運動すると海馬(記憶の中枢で感情の制御もしている部位)が成長する。
どうやら子どもでも、これと同じことが起きるようだ。

10歳児の脳をMRIでスキャンしてみると、体力のある子どもは海馬が大きいことがわかった。
つまり、子どもでも身体を鍛えれば、脳の重要な部位である海馬が大きくなるということだ。

これは、体力のある子どもが記憶力のテストで高得点を取ったという調査結果とも一致する。
つまり身体のコンディシヨンが良好だと海馬が成長し、さらに子どもの記憶力をはじめとする学力が向上するのである。

この分野において、とくに興味深いことがある。
それは、試験の内容がもっと難しくなると、体力的にすぐれた子どもと体力のない子どもとの差がさらに開いたことだ。
簡単な記憶力の試験では、両者の得点にそこまでの差はなかった。
だが、難しい試験になると、体力的にすぐれた子どもが大差で上まわっていたのである。

「たった一度」「4分」の運動でいい p287

大人の脳がたちどころに運動に反応するように、子どもの場合でも運動すると、たちまち脳の働きがよくなって理解力が増す。
9歳児が20分運動すると、1回の活動で読解力が格段に上がったというデータがある。
たった一度の運動で、子どもの学力に変化があったのだ。

とはいえ、そのメカニズムはまだ詳しくは解明されていない。
だが子どもが運動をした直後に、物事に集中できる時間が長くなることは立証されている。
つまり、「運動によってどれだけ子どもの集中力が上がったか」が、学力向上の謎を解くカギだろう。

では、子どもの集中力を維持するには、最低どのくらい運動をすればいいのだろうか。
それを探る調査が実際に行われている。
結果は、まさに驚くべきものだった。

10代の子どもたちが12分ジョギングしただけで、「読解力」と「視覚的注意力」がどちらも向上したのである。
そして、その効果は1時間近くも続いた。

それだけではなく、たった4分(これは目の錯覚ではないので、ご安心を)の運動を一度するだけでも集中力と注意力が改善され、10歳の子どもが気を散らすことなく物事に取り組めることも立証された。

運動で高まる能力は、注意力や記憶力だけにとどまらない。
今の時点では、4歳から18歳までの子どもが運動すると、ほぼすべての認知機能が高まることがわかってい複数の作業を並行して行うことや、ワーキングメモリー、集中力、決断力――こういった能力がすべて向上するのである。
これが学校なら、算数、読解、問題解決の能力に関する科目の成績が伸びることが目に見えてわかるだろう。

“頭がよくなる”は「どこ」が「どうなる」ことか p293

科学は、運動によって大人の脳の機能が向上することを立証し、また、子どもの脳でも同様の変化が起きることも証明した。

そしてさらに、「学習脳」の仕組みも明らかにしている。

脳は、主に「灰白質」と「白質」に分けられる。

「灰白質」は外側の層で、大脳皮質ともいわれる。
厚さは数ミリほどで、実際は灰色というより、ややピンクがかった淡い色をしている。
これは、血液を供給する血管があるためだ。

脳のとてつもなく複雑な営みの舞台こそが、この灰白質。
情報の選別や記憶の保管は、この場所が行っている。

そういった「魔法」が繰り広げられることを思えば、灰白質が相当なエネルギーを消費することもうなずける。
何しろ灰白質は、脳内で占める容積の割合は40%ほどでありながら、脳全体が必要とするエネルギーの90%を消費しているのである。

いっぽう「白質」は、灰白質の内側に層をなしている。
あらゆる情報は、ここから各領域に伝えられる。

白質は、神経細胞から伸びる「軸索」という長い線維が集まってできている。
神経細胞は、この軸索を使って情報を伝え合っている。
いうなれば灰白質がコンピュータで、白質はいくつものコンピュータ同士をつないでシグナルを伝えるケーブルといったところだろうか。

この軸索は、「ミエリン」という物質(ケーブルのカバーだと思ってほしい)で何重にも取り巻かれている。
ミエリンは絶縁体として電気信号がショートするのを防ぎ、情報が混ざり合うことなくスムーズに細胞に伝わるように助けている。

灰白質と白質のどちらが欠けても、私たちの身体は正常に機能しない。
灰白質が主要な仕事を一手に引き受けていることは確かだが、もし軸索が適切にシグナルを伝えられなければ、脳は正常に機能しないのだ。

この関係は、非常に筋が通っている。
コンピュータの電子回路がすべて正しくつながっていなければ作動しないのと同じだ。

「理系科目」を伸ばす p296

それでは、運動をした子どもの脳でとくに変化が見られたのは灰白質だろうか、それとも白質だろうか。
じつは、どちらにも変化が見られたのである。

科学者たちが最初に気づいたのは、海馬の灰白質が成長していることだった。
海馬は灰白質の一部である。
とはいえ白質も、やはり運動やトレーニングによって強化される。
子どもたちが運動を定期的に行った場合、白質にも変化が見られたのだ。
灰白質と同じく、白質も組織が密集して厚みを増していた。
つまり機能性がより高まったということだ。

白質が複数のコンピュータをつなぐケーブルだとすれば、子どもたちの脳内のデータ転送を行うケーブルの働きが運動によって強化されたということになる。
つまり、情報が領域から領域へと効率よく伝わるようになり、脳全体の働きがよくなったのだ。

認知機能が灰白質で処理されていることは確かだが、白質も決して無関係ではない。
白質は、とりわけ子どもたちの学力に関わっていると考えられている。

小学校に通う子どもたちの脳をDTIという最先端の医療機器でスキャンした結果、脳の左側の白質が「数学的な能力」に関わっていることがわかった。
算数を含む学力が上がった理由が、運動で白質の働きが強化されたためだと断定はできないものの、それを信じるだけの根拠は充分にある。

興味深いことに、運動が白質におよぼす影響、つまり脳のケーブルの働きが強化されるという効果は、決して子どもにかぎらない。
運動やトレーニングをすると、年齢を問わず白質の機能が強化されるという。
とりわけ大人の脳の白質と運動量は、かなり関係があると考えられている。

だが、白質の機能を高めるために、激しい運動をする必要はない。
座ってばかりいないで、毎日をできるだけ活動的に過ごす。
これだけでも、かなりの効果がある。
長距離マラソンをする必要はここでもないのである。

立って勉強すると脳が効率よく働く p297

スウェーデンではいまや、オフィスで立ち机を使うことが流行のようになっている。
立って仕事をする人のほとんどは、仕事をしながらでもカロリーを消費できるという理由で立ち机を使っているだろう。
実際に、座っているときよりも立っているときのほうが、エネルギーの消費量は2倍近く(!)に増える。
だがじつは、カロリーの消費など比べものにならないほど、すばらしい効果が脳にもたらされる。

学校でも職場でも、立って作業をすると脳が効率よく働くのだ。

ある研究チームが、7年生を対象に、認知機能を測る各種のテストによって子どもの学力調査を行った。

それによると、教室で子どもたちが立ち机を使うようになってから、集中力やワーキングメモリー、認知制御(142ページ参照)の能力が増したという。
この認知機能のテストでは、読解力や記憶力、段階を経て問題を解決する力など、学力にそのまま反映する能力を調べることができる。
そして立ち机を導入する前と後では、このテストの結果にかなりの差があった。
立ち机を使うと、テストの結果が平均で10%も上がっていたのである。

もちろん科学者たちは、このような認知テストの結果だけでは満足しない。
彼らは、生徒たちの脳をMRIでスキャンすることも忘れていなかった(もう、こういった調査の手順はおわかりだろう。
最初に能力を測るテストをしてから、MRIで脳をスキャン)。
結果は、ご想像のとおり。
立って授業を受けた子どもたちの前頭葉が活発化していたのである。
そこはワーキングメモリーや集中力にとって重要な部位だ。

つまり、立って授業を受けた子どもたちにも、ウォーキングやランニングなどの運動をした大人や子どもと同じ効果が見られたということだ。
前頭葉が活発化して、ワーキングメモリーの能力と集中力が高まったのである。

結論はいうまでもないだろう。
立ったほうが思考力は高くなる。
立って授業を受けた子どもは集中力が増し、勉強の内容も頭に入りやすくなるのだ。
家庭学習などで早速取り入れてみてはいかがだろう。

親が絶対に今すぐ「やったほうがいい」こと p304

私はこれまで、おびただしい数の研究論文を読んできたが、当初はこのようなテーマを扱う研究に出くわすたびに、拒否反応を起こしていた気がする。
その内容を、真に受けようとしなかった。
たとえば子どもが毎日15分遊べば、読書や勉強をしなくても読解力や計算力が上がるなどという話を知ると、あまりにもできすぎだと感じたものだ。

あなたも同じ思いを抱いているのなら、ぜひこの章で読んだ内容をじっくり検討してほしい。
そして、その意味をよく考えてほしい。
すべて理解すれば、子どもが運動すると学力が上がるだけでなく脳全体の機能も向上するという、にわかに信じがたい話にも納得がいくはずだ。

身体をよく動かせば、ちょうど筋力トレーニングで筋肉が鍛えられるように、灰白質と白質の働きが強化される。
したがって運動をすれば、子どもでも大人でも知能が高くなる。

嘘のような話だが、これは正真正銘の真実だ。
だとすれば、今すぐ子どもたちに言おう。
タブレット端末やスマホを置いて、もっと身体を動かそう、と。
わが子の頭がよくなることを願わない親などいないはずだ。

あなたは、この章で紹介した事実に面食らっただろうか。
じつは、私もそうだった。

あまりの驚きに何度か読み返し、自分が読み違いをしていないかどうか確かめもした。
いったいなぜ、このことが一般的に知られていないのか。
その理由は、運動がうつ病におよぼす効果の場合と同じく、やはりこの一言につきる。
「お金」である。

もし薬やサプリメントに運動のような効果があれば、買う人はあとを絶たず、1人としてそれを知らぬ者はいなかったはずだ。
子どもでも大人でも、運動をすれば脳にこんなにすばらしい効果がある。
これを知らない人がいること自体、不思議であり残念なことだ。

薬やサプリメント、コンピュータゲーム、認知トレーニングとは違い、遊びやウォーキング、ランニングのような活動には費用がかからない。
そして、どんなサプリメントもかなわない、たくさんのすばらしい効果が“ついでに”得られるのである。

IQを高めるプラン p306

脳に効果をおよぼすには、何より心拍数を上げることが重要だとされている。
脈拍を1分間に150回前後まで上げることを目安にしよう。

肝心なのは、運動の強度だ。
また、活動は必ずしも「運動」でなくていい。
ただ身体を動かして遊ぶだけでも効果はある。
大人と同様、重要な点は子どもたちが何をして身体を動かすかではなく、とにかく身体を動かすことだ。

最大の効果を得るためには、子どもたちが少なくとも30分、活動を続けることが望ましい。

短い時間でも効果はある。
12分間身体を動かしたことによって、学童期や思春期の子どもたちの読解力や集中力が増している。
ジョギング程度の活動を、わずか4分するだけでも物事に集中しやすくなる。
そのため学校の休憩時間には、ほんの数分でも外に出て遊ぶことが大切だ。

10~40分の運動をたった何度かしただけで、ワーキングメモリーや読解の能力が向上し、注意力も持続するのなら、やらない(あるいは、やらせない)手はないだろう。

第8章 健康脳 p310

認知症、高血圧、高血糖……あらゆる病と無縁な「長生き」の秘訣

「私は、よく身体を動かします。毎日、4時間は歩いたり、ジョギングやランニングをしたりして過ごします。そのおかげで、心と身体はいつも撥刺としています」
フォージャ・シン(1911年生まれ、世界最年長のフルマラソン完走者)

常日ごろ、私たちは「加齢」が脳にどのような影響を与えるかを教えてくれる実例を山ほど目にしている。
加齢の影響は、記憶力だけではない。
思考も遅くなり、集中カやマルチタスキングの能力などの認知機能も衰える。

ではなぜ、このように若者と高齢者で、様々な能力に差が出るのだろうか。
近年、脳の働きの研究によって、その理由が解明されはじめている。

「ストループテスト」と呼ばれる、色の名前がそれとは別の色で書かれたものを見て、その色のほうを答えるというテストがある。

たとえば「あお」という言葉が赤い色で書かれているとする。
回答者は、即座にその色を答えなくてはいけない。
この例でいうと、文字どおりに「あお」と読まず、「あか」と答えるのが正しい。

たいていは色名を読んでしまいそうになるが、それを抑えるには集中力と意思決定の能力が必要になる。
このテスト課題に取り組んでいる被験者の脳を調べると、前頭葉の前の部分、つまり前頭前皮質が活動していることがわかる。
これは驚くには当たらない。
その部位は意思決定や集中力、衝動の制御をつかさどる場所だからだ。

高齢者がこの課題に取り組むと、正答率はたいてい若者よりも低くなる。
色ではなく、つい文字を読んでしまうのだ。

興味深いのは、このテストを受けている最中の若者と高齢者の脳の機能の差異だ。

若い被験者がこの課題に取り組むと、前頭前皮質の一部しか使わず、たいていの場合は左脳のみが活動する。
だが、70歳の被験者が課題に取り組んだとき、前頭前皮質が左右ともに、広い範囲で活動していた。
おそらく高齢者がこの課題をこなすためには、脳がより多くの労力を必要とし、広い範囲を使わなければならないのだろう。
屈強な若者は片手で椅子を持ち上げられても、力の弱い老人は両手を使わないと持ち上げられないのと同じ理屈である。

科学者は、この「脳の両側を使う」状態を、「HAROLD」(Hemispheric asymmetry reduction in older adults 高齢者における大脳半球の非対称性減少)と呼ぶ。

だが不思議なことに、体力のある70歳の被験者には、この傾向が見られなかった。
彼らが課題に取り組んだとき、前頭前皮質の活動範囲はさほど広くなく、しかも活動していたのは片側のみだったのである。
若い被験者と同じだ。

つまり健康な高齢者は、脳の片側しか使わずにストループテストの課題をこなせたのである。
筋骨たくましい70歳が片手で椅子を持ち上げられるのと同じだ。

また正解率でも、体力のある高齢者はほかの70歳を上まわっていることがわかった。

「脳の老化」をストップする方法 p313

この70歳を対象にしたHAROLDの研究も、運動に脳の老化を食い止める絶大な力があることを示唆する数多くの研究調査の一つに過ぎない。

前に述べたように、運動を習慣にしている人の海馬は萎縮せず、むしろ成長する。
脳の司令塔である前頭葉も同じで、前頭葉も加齢とともに縮み、知的な能力が少しずつ損なわれていく。
だが、これも運動によって食い止めることができる。

じつのところ加齢による前頭葉の萎縮の進み具合は、カロリーの消費量と密接に関わっている。
よく動いてカロリーをきちんと消費する人は、加齢による前頭葉の萎縮の進行が遅くなるというのである。

脳が3歳若返る「20分」の使い道 p313

前頭葉は「思考」の領域であり、高次認知機能をつかさどる場所だ。
運動をすればその部位の老化に歯止めがかかる。
それに対し、あまりカロリーを消費しない人、つまり座ってばかりいる人は、萎縮の進行が逆に速くなる。

これは、ほんの少し走るぐらいでは抑えられない。
何年も、いや何十年もかけてかロリーは消費しつづけなくてはならないのだ。
年を取ってから「たまに近所を軽くジョギングする」といった程度では、前頭葉の萎縮は食い止められない。

医学の研究を行うときは、誤った結論を避けるために、被験者の数はできるだけ多いほうが望ましい。
ある研究では、およそ2万人もの70~80歳の女性を対象にし、20年以上にわたって調査が行われた。

それによると定期的に運動している女性は、座っている時間が長い女性よりも、過去の出来事をよく覚えていたという。
集中力や注意力も、運動をしている人のほうが上まわっていた。
その差は一目瞭然で、運動をしている女性は脳が機能的に3年分若かった。
つまり知的な能力が、生物学的におおむね3年若返っていたのである。

この場合も、やはり過酷な運動は必要ないとされ、毎日20分ほど歩くだけで充分だと考えられている。

意識して歩くと、「認知症」発症率が40%減 p319

いっぽう、科学者たちは製薬会社よりもはるかに少ない予算で、何か認知症を防げるものはないかと探っていた。
あるとき、彼らは驚くべき事実を発見した。

数年ほど前に、毎日、意識的に歩くと認知症の発症率を40%減らせることを突きとめたのだ。
まさに仰天するような数値である。
この発表に、マスコミがあまり関心を寄せなかったことは、かえすがえすも残念だ。

仮にこれが薬なら、あっという間に世界中に広まって飛ぶように売れ、抗生物質の登場以来の革新的な発明としてもてはやされたに違いない。
また、それを開発した研究者たちにはノーベル賞が贈られたことだろう。
その薬の名を知らぬ者はおらず、大勢の人が自分や家族が認知症にならないように、われ先にと処方箋をもらいに走ったはずである。

ところが科学者が見つけたものは、ただ「歩く」という単純なものだった。
しかもしっかり歩くのは毎日ではなく、週に5日で充分だという。

この重要な発見を見過ごしたのは、マスコミだけではない。
医師も同じだった。
多くの医者や科学者は、まったく違う研究に目を向けていた。
たとえば、「認知症のなかで最も多いアルツハイマー型認知症の遺伝子を発見する」といった研究だ。

科学者にとっては確かに、遺伝子の研究は魅力的だ。
そしてもちろん、アルツハイマー型認知症には遺伝的な要因もある。
もし身内に認知症の患者がいれば、なおさらその方面の研究に精を出すだろう。

だが、じつはほとんどの場合、親から受け継いだ遺伝的要因は、身体をあまり動かさないという問題ほど重要ではない。
認知症のことを本当に心配したほうがいいのは、祖父母や両親に認知症患者がいる人よりも、あまり身体を動かさない人のほうなのだ。
それは科学の研究で、はっきりと証明されている。

だが、残念なことに多くの人は、たとえ家系に認知症の患者がいても運動に関心を示さない。
どのみち認知症になるものとあきらめているのだ。
これは非常に嘆かわしいことだ。

こういった人には、何をおいても身体を動かしてほしい。
定期的に運動すれば、たとえ認知症になる可能性が高くてもそれを回避することができ、それ以上の効果も得られるのだから。

認知症の一番の薬は、「歩くこと」なのだ。

「血圧」「血糖値」「体内の炎症」も改善する p321

では、なぜ歩くことが、認知症を防ぐ最適な方法になるのか。
単純に考えれば、認知症を防ぐなら脚ではなく、脳を鍛えるべきだ。
そのためのクロスワードパズルや数独、様々な脳トレのゲームが出まわっている(前述のとおり、効果は望めないが)。

ところが研究によって、歩くことは毎日クロスワードパズルを解くよりはるかに効果があり、認知症を防ぐだけでなく、認知機能すべての衰えを防げることが立証されている。

私たちが歩くとき、脳は決して休んではいない。
それどころか、歩いたり走ったりすると、脳内では様々な領域が協調しながら活動しているのである。
あらゆる視覚情報が同時に処理され、運動皮質は身体を動かすために広範囲で忙しく働いている。
また自分のいる場所を認識するために、脳の広い領域が活動する。
テニスの試合のような複雑な動作のときには、さらにたくさんの機能が活発に働く。
これに対し、クロスワードパズルを解くときに使われる領域は、ほぼ言語中枢にかぎられる。

紙の前に座っているときよりも、動きまわっているときのほうが、脳の活動量はずっと大きいのである。

また、脳は頭蓋骨のなかで真空パックにされているわけではない。
栄養分を豊富に含み、脳を保護し、老廃物も除去するという、じつに万能な液体に浸かっており、これが脳の働きに多大な影響をおよぼしている。
この「浴槽」が脳に最適な環境を提供するには、まず血圧が安定していなくてはならない。

また、血中のブドウ糖や脂質のバランスも整っていなくてはならない。
ガンの原因にもなるフリーラジカルの生成量や体内の炎症─―体内では常に何らかの炎症が起きている――の数値も増えてはならない。

そして、今の科学では、そういった問題も、身体をよく動かせばすべて改善することがわかっている。
つまり運動をすれば、脳の環境を最良の状態に保てるのだ。

身体と脳は、2つに分かれた別々の器官ではない。

まず、身体を動かすと、身体そのものにも多くの好ましい影響がおよぼされる。
たとえば血糖値が安定し、フリーラジカルの増加が抑えられる。
それが脳の働きを強化することにもつながる。
また心臓が丈夫になれば、脳に血液を、必要なエネルギーとともにたっぷりと送り込める。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言は、いかに言い古されようとも真理なのである。

筋トレより歩く・走るほうが効く p323

では、認知症になるリスクを減らすためには、どのような運動をすればいいのだろうか。

研究では、ウォーキングか軽いジョギングを週にトータルで150分、あるいは30分ずつ週に5回行うのが望ましいとされている。
20分のランニングを週に3回行っても、同じく効果がある。

また、ジムで筋肉を鍛えるよりは、歩いたり走ったりするほうがいい。
筋力トレーニングと認知症の関連性については、まだ研究途中の段階であるため、結果が出るまでは、効果があると立証された方法にしたがおう。
つまり歩く、もしくは走ることだ。

運動が記憶力に影響をおよぼすのは、認知症の場合にかぎらない。
誰でも、年を取るにつれて記憶力は衰える。
海馬が縮み、脳に流れる血液が減り、様々な領域同士の結合が弱くなるからだ。

だが身体をよく動かせば、この進行を劇的に遅らせることができる。
認知症であるなしにかかわらず、脳の老化に歯止めをかけ、記憶力を改善できるのだ。

長寿地域「ブルーゾーン」の小さな運動 p326

世界には、オルガ・コテルコと同年代、あるいはもっと年上の世代の人口が非常に多く、彼女と同様に認知症とは無縁の地域がいくつかある。

この謎に満ちた、世界でも類を見ない地域は「ブルーゾーン」(幸福かつ健康に長く生きられる地域として、人口統計学者のミシェル・プーランとジョバンニ・ペスが名づけた)という名で呼ばれている。
ブルーゾーンは、イタリアのサルデーニャ、日本の沖縄、コスタリカ、そしてスウェーデンのスモーランド地方にあるという。

では、その秘密は何か?
なぜ、たくさんの人が100歳まで生きられて、しかも認知症にならないのか。
これらの場所の共通点を見つけようとした研究チームは、おもしろいことに気がついた。

まず、ブルーゾーンはどれも大都市ではなく、小さなコミュニティか離島だということである。
住民たちは強い絆で結ばれ、何世代かが同居していることも珍しくない。
1人で暮らす人はほとんどいないのだ。
また飽食はせず、栄養不足にならない程度に低カロリーの、質素な食事をしている。

そのほかの共通点として、ブルーゾーンの住民は非常によく身体を動かしている。
といっても厳しいトレーニングをしているわけではなく、ごく日常的な活動によって動かしているのだ。

科学では、この地域で暮らす人々が長寿で認知症にならない理由は、まだ解明されていない。
おそらく複数の要因がからみ合っているのだろう。
興味深いことに、科学的見地では教育水準が高いほうが認知症になる率は少ないといわれているが、ブルーゾーンは概して高等教育を受けた人が少ない。
やはり、身体を動かすことが長寿と健康につながっていると考えるのが自然だろう。

また、住民たちがとくに運動らしい運動もせずに、その効果――つまり、長寿で認知症にならない生活を楽しんでいることも注目に値する。
日常の範囲で身体を動かすことが、病気を寄せつけない秘訣なのだ。
毎日歩く、いつも階段を使う、目的地の一つか2つ手前のバス停で降りる、といった小さなことの積み重ねがもたらした結果だろう。

脳の老化に抗うプラン p328

あらゆる活動に効果がある。
脳の老化に立ち向かうには、一歩一歩の積み重ねが大切だ。

脳の老化を予防するなら、毎日か、少なくとも週に5回、20~30分歩こう。
または週に3回、20分ランニングをしよう。
それと同等の運動強度であれば、水泳やサイクリングでもよい。

筋力トレーニングは身体機能を維持するのに役立つが、脳の老化を食い止める効果についてはまだわかっていない。
効果が証明されるまでは、有酸素運動をお勧めする。

脳の最も重要な仕事は「移動」 p336

基本的には、移動する生物だけに脳がある。
植物は移動しないため、脳はない。
初めてこの世に脳細胞が出現したのはおよそ6億年前で、主な機能は原始的な生物の動きを制御することだったと考えられている。

つまり、地球上に初めて現れた脳細胞の最も大切な仕事はその生物を移動させることだったのである。
そのころの脳細胞は、「集中力を発揮する」といったような複雑な仕事ではなく、もっと単純で本能的な仕事のために働いていた。
栄養分を摂り入れるために、その生物をほうぼうに移動させていたのである。

人類も同じだ。
最も大切な脳の仕事は「動きの制御」だったと考えられ、今の時代でもそれは変わっていない。

そう考えれば、もし身体を動かさなかったら、脳が影響を受けないはずはない。
脳なくして身体は動かせない。
そして身体を動かさなければ、そのためにできている脳も機能できないのである。

「移動距離」と脳の大きさは比例する p337

人間の脳は、身体の大きさに比べて大きい。
容積は約1.3リットルから1.4リットルある。
いっぽう、60キログラムの哺乳動物の脳の容積は、平均で0.2リットルだ。
要するに、私たちの脳の容積はほかの動物のおよそ6倍もあるのだ。

ある研究チームが様々な動物の脳の容積を調べてみたところ、おもしろい相互関係が見つかった。
高い持久力を有する動物、つまり遠くまで走ることができる動物の脳は大きいことがわかったのだ。
人間と同じく持久力のあるラットやイヌも、体重に比べて脳が大きい。

これは、おそらく運動によって生成されるBDNFが脳を成長させ、脳細胞の新生を加速させた結果だと思われる。

私たちの祖先のなかで最もよく活動した者が、食料を豊富に調達して絶滅から逃れ、遺伝子を残すことができた。
そして、活発に動くとBDNFが大量に生成されるため、脳が大きくなる。
彼らの子どもは生まれながらに少し脳が大きく、そのなかでもとくに活動的な者のみが生き残った。
ここでも、BDNFのおかげでさらに脳が大きくなったのだ。

こうして脳は、身体活動によって進化し、発達してきたのである。
身体を活発に動かしていたことは、私たちが知性を手に入れた大きな要因といえるだろう。

「50%減った歩行距離」をどう補うか p340

こういった変化によって、私たちが身体を動かす機会は大幅に減った。
現代において活動的な人でも、200年前の人間の平均的な活動レベルに比べれば、その度合ははるかに低いはずだ。
では、私たちはいったいどれだけ動かなくなったのだろうか。

それを正確に測ることは困難だ。
祖先が歩数計をつけていたはずもない。
だが、今でも狩猟採集生活や農耕生活を営んでいる人々は実在する。
その人たちの活動度合を調べれば、かなり近い数値が得られるはずだ。

東アフリカ・タンザニアの北部に、ハッザ族という部族がいる。
人数は1000人ほどで、そのうちの半数近くが狩猟採集生活を営んでいる。
家畜を飼わず、土を耕さず、永住の地を持たない暮らしである。
彼らは狩りをして食料を手に入れ、夜は急ごしらえの簡単なつくりの住居で眠る。
話す言葉はほかの言語とかけ離れていて、おそらく地球上で最古の言語の一つに違いない。
基本的に、ハッザ族は彼らの私たちの祖先の1万年前と同じ生活をしているのである。
地球最後の狩猟採集民の一種族である彼らは、生活様式という点において、人類の祖先とたくさんの共通点があるに違いない。

では、その活動の度合は実際にはどれくらいなのだろうか。
ハッザ族の人たちに歩数計をつけて生活してもらったところ、男性は1日に8~10キロ歩いていた。
歩数では1万1000歩から1万4000歩だった(女性はこれよりも、やや少ない)。
狩猟採集民だった人類の祖先も、やはり同じぐらい歩いていたと考えていいだろう。

では、農耕生活はどうだろうか。
それを知るには、今も200年前と同じ農耕生活を営む、アメリカのアーミッシュというコミュニティの生活が参考になる。

アーミッシュは近代文化の快適な暮らしを拒み、テレビを観ず、インターネット回線を使わず、電気も引いていない。
このアーミッシュの人々も、私たち一般人に比べてかなり身体を動かしている。
男性ならば1日に1万歩以上、女性はハッザ族の女性と同じか、それよりもやや少なかった。

いっぽう、アメリカとヨーロッパの一般人の1日の平均的な歩数は6000歩から7000歩だ。
となると、ハッザ族やアーミッシュの人たちは、近代的な生活を送る欧米人たちの2倍近く歩いていることになる。

つまり、古代の狩猟採集生活から現代のデジタル社会へと世の中が変遷するなかで、私たちの活動量は少なくとも半分に減ったのである。

放っておくと「すぐ」に「たくさん」を求めてしまう p345

脳と身体が、今をはるかにしのぐ活動量に対応するために進化したことは動かしようのない事実だ。

だが、矛盾はある。
私たちが怠惰になったことである。
外に出て歩いたり走ったりすることにそれほど多くのメリットがあるなら、なぜ、私たちはカウチに座ってポテトチップスをほおばることに快感を覚えるのだろう。

それは人類が歴史の大半を通して、エネルギーやカロリーの欠乏に見舞われてきたからだ。
サバンナで狩りをしていたころの祖先は、高カロリーの食事などめったにしたことはなかった。
だから、食べ物があれば、誰かに横取りされないうちにさっさと平らげていた。

私たちが高カロリー食品をとてもおいしく感じる理由も、そこにある。
エネルギーをたっぷり蓄えておくために、脳が「すぐに食べてしまえ」と命令するのである。

たとえば、サバンナで暮らしていた祖先が、甘くて栄養たっぷりの果物がたわわに実った木に出くわしたら、どうするだろう。
1個だけもぎ取って、残りは明日のために取っておくという考えは、決して賢いとはいえない。
チョコレートがたくさん入った箱を差し出されても、一つしか取ってはだめだと教えられてきた私たちとは違うのである。

サバンナの祖先にとって、貴重なカロリー源があれば絶対に逃さず、すぐに食べ尽くすことが生き延びるための戦略だった。
もし翌日までぐずぐず引き延ばしていたら、果物は一つ残らずなくなっているだろう。
ほかの誰かに取られてしまうからだ。

おいしい物は全部食べたいという衝動のメカニズムは、今でも私たちの身体に残っている。
そのため、チョコレートの箱が目の前にあったら、脳はこう命令する。

「今すぐ平らげろ。一つでも残したら、誰かに取られてしまうぞ。
ひょっとしたら明日は何も食べる物が手に入らないかもしれない。
だから今のうちに栄養を蓄えておくんだ」

私たちが、箱のチョコレートを残らず食べたくなる理由は、これなのである。

エネルギーを備蓄するにあたっては、溜めるばかりでなく、使う量のことも考えなくてはならない。
決して無駄遣いせず、食料難に備えて腹まわりにいくらか蓄えておくことが非常時の切り札となる。

これは生存本能であり、労力を節約してエネルギーを溜め込もうとする衝動が、食料難を乗りきることにつながる。

だから、カウチに寝そべってテレビを眺め、ランニングやウォーキングをさぼる言い訳をあれこれ考えているとき、「狩猟採集民の脳」はそのまま座っているように命令する。
「動かないでエネルギーを節約しておけよ。食べ物がなくなったときは、そのエネルギーが役に立つんだから」というわけだ。

科学が示す「現時点で最新の結論」 p348

脳は、身体を活発に動かすとドーパミンを放出して気分が爽快になるようにプログラムされている。
それは、狩りが生存の可能性を増やすからだ。
そのほか危険な猛獣から逃げたり、住みやすそうな場所を探したりすることも、生存の可能性を増やす。

脳は1万年前からほとんど進化していないため、現代の私たちにも、このメカニズムが残っている。
そのため、祖先の生存の可能性を増やした行為と同じことをすれば、脳はそれを繰り返させようと快感を与えてくれる。

私たちがランニングやウォーキングをして家に戻ると、脳は食べ物や新しい住み処を探していたのだと解釈し、報酬として多幸感を与えてくれる。
運動が身体によいと書かれた雑誌やこの本を読んだからといって、ドーパミンやセロトニン、エンドルフィンは放出されない。
幸せな気分になれるのは、生存の可能性を増やす行為をしたときだけだ。

座りがちでいると調子が悪くなる「お仕置き」をされることも、それで納得がいく。
1日中座ってばかりいれば獲物は捕まえられず、新しい住み処も見つからない。
座ってばかりいると生き残れない。
多くの現代人が心や身体を病んでしまう理由は、「脳」と「私たちの環境」の矛盾、そこにある。

こうして考えれば、運動によってほかの様々な機能を強化できることも理解できる。

サバンナで祖先が狩りをするときは、集中力を保つことが必須だった。
獲物を仕留めるには精神を集中して忍び寄り、わずかな動きも見逃さず、すばやく行動する必要があった。
あなたや私が運動をすると集中力が高まるのは、そのためである。

運動は記憶力も高める。
それはなぜか。
祖先にとって、動きまわることは新しい住み処や環境を探すことでもあった。
座ってばかりいて動かないと、脳は新しい体験をしていないと解釈して、記憶力を高める必要はないと考える。
それに、スマホやパソコンを通して新しい経験をするために、脳は進化してはいない。
座って画面を眺めていても、脳はそれを新しい経験だと考えない(覚える必要なしとみなす)ので、記憶力は高まらないのだ。

医学の父・ヒポクラテスの進言 p350

もし、私がこの本の読者だったら、今ごろこんなことを考えているだろう。

「本当に運動が脳にいい影響をおよぼすなら、もうとっくに、みんなが気づいていて当然じゃないのか」

喫煙は健康を害する。
コーヒーには興奮作用がある。
こういったことは周知の事実だ。
私が思うに、昔はみな運動が脳によい影響をおよぼすことを知っていたが、200年の間にすっかり忘れてしまったのではないだろうか。

「人間には歩くことが何よりの妙薬となる」。
これは健康雑誌でよく見るお決まりの文句などではなく、医学の父、ヒポクラテスの言葉だ。
はるか2500年前、近代の医療技術とは無縁の時代に、ヒポクラテスは身体を動かすことが、肉体的かつ精神的な健康のためには欠かせないことを知っていたのだ。

驚異的な医学の進歩により、ワクチン、抗生物質、MRI、分子標的薬にいたるまで、多くの革新的な発見や発明がもたらされた。
とはいえ、そういった進歩によって、それまで当然と考えられてきたものはみな、脇に追いやられてしまった。

私たちは忘れてしまったのだ。
脳と身体にとって、身体を動かすことが最良の薬であることを。
願わくば、多くの人に思い出してもらいたい。

近年、医学の研究は古代のヒポクラテスの格言にようやく追いつき、その言葉が正しいことが立証された。
だが身体を動かすことの重要性や、脳がアップグレードされ具体的なメカニズムは、まだ完全には解明しきれてはいない。

ある意味で、これは歴史のしっぺ返しといえるのかもしれない。
最新の医療技術であるMRIによって導き出され、私たちが見直したもの――それは、何ということはない。
ただ「運動すること」だったのだから。

身体を動かせば心身が健康に、脳の働きは強化される p351

ここ最近、大衆の健康志向はぐんと高まっている。
ニューススタンドには健康誌がやたらと目につくし、クロスカントリースキー大会のヴァーサロペットやストックホルムマラソンのチケットは数時間で完売になるというあり様だ。
そのいっぽうで、こういった熱狂ぶりを歓迎しない、あるいは加わりたくないと感じている人も多い。

私には、その気持ちが充分にわかる。
マラソンや健康誌のことは忘れてもいい。
ただ、何かしらの運動は絶対にしたほうがいい。

運動といっても、何かの選手になったり、腹筋が6つに割れるまでトレーニングをしたりしなくてもいいのだ。
要するに、これは脳が存分に性能を発揮できるようコンディションを整えようという話なのである。

脳トレのアプリは、いまや数十億ドルもの巨額の利益を生んでいる。
だが、それは忘れていい。
効果はないからだ。
脳に目覚ましい効果があると謳うサプリメントや種々の「奇跡のメソッド」も無視していい。
これも、やはり効果はない。

それよりも、脳の働きを強化することが科学によって現時点できちんと証明されたもの、つまり身体を動かすことに時間をかけるべきだ。
これには費用もかからない。
どんな運動をするか、どこで運動をするかは重要ではない。
重要なのは、とにかく運動することだ。

身体を動かせば、たちまち心と身体が健康になり、脳の働きもよくなる。
そして運動を習慣にして長く続けるほど、その効果のすばらしさが実感できるだろう。

もしカウチでポテトチップスをほおばりながら連続ドラマを観て過ごすことが脳の健康のためにできる最善のことであれば、私は誰よりも喜ぶに違いない。

常に感覚が研ぎ澄まされ、気持ちが晴れやかになり、集中力を保てる認知トレーニング法やサプリメントがあればどんなにいいだろう。

だが残念ながら、そんなものは幻想に過ぎない。
科学がそれをはっきりと証明している。

私の脳は動くためにできている。

そして、あなたの脳と同じように、動けば存分にその性能を発揮してくれることだろう。

第10章 運動脳マニュアル p354

どんな運動をどのくらい?

様々な研究成果を通して、運動が脳にいかに影響をおよぼすかについて語ってきたが、結局のところ、脳に最も効果的な運動量とはどれくらいなのだろうか。
また最大限の効果を得るには、どのような運動をすればいいのだろうか。

くどいのを承知のうえで、あえて言おう。
それに対する明確な答えは出ていない。
だが実験データにもとづく、いくつかの条件や目安はお教えできる。

まず何よりも重要な点。
それは、たとえわずかな1歩でも脳のためになる、ということだ。
もちろん5分よりは30分のほうがいいが、5分でもまったく価値がないわけではない。
あなたが楽しいと思える活動からしてみよう。

より高い効果を望むなら、最低30分のウォーキングをしよう。

脳のための最高のコンディションを保つためには、ランニングを週に3回、45分以上行うことが望ましい。
重要なポイントは、心拍数を増やすことだ。

そして、有酸素運動を中心に行おう。
筋力トレーニングも脳によい影響をおよぼすが、どちらかといえば有酸素運動のほうが望ましい。
あなたが筋力トレーニングのほうを好むとしても、持久力系の運動をぜひ取り入れてほしい。

インターバル・トレーニングは肉体維持の観点ではすぐれたトレーニング法だが、脳におよぼす効果はかぎられる。
疲労が激しいため、運動後にすぐに得られる効果はあまり期待できない。
即効性は乏しいといえるだろう。
もっと負荷の軽い運動、たとえば通常の速度でランニングをすると、運動を終えてから数時間にわたって創造性が増す効果がある。
だがインターバル・トレーニングには、そのような効果は見込めない。

とはいえ、このような負荷の大きい運動も、長期的に見ると脳のためになると考えられている。
激しい運動をすると、BDNFの生成量が大幅に増えるためだ。
要はきついトレーニングは習慣にできれば心強いが、なかなかハードルが高いというわけである。

根気よく、決してあきらめず、とにかく続けよう。
脳が再構築されて構造が変化するまでには時間がかかる。

たまにでも走ったり歩いたりすると、すぐに脳の血流が増えるのは確かだが、新し細胞や血管が形成されたり、領域同士の結合が強化されたりするまでには、ある程度の期間が必要だ。
数か月、あるいはもっとかかるかもしれない。
ただし、週に数回の運動を半年ほど続ければ、目覚ましい変化を実感することだろう。

おわりに――ただちに本を閉じよう p357

あなたの頭蓋骨のなかには、宇宙で最も複雑な構造物がある。
それは、あなたが生まれた日から息を引きとる最後の日まで、休むことなく活動している。

その器官こそ、あなたである。
脳とは、あなた自身なのだ。

ところで、なぜ私はこのような本を書いたのか?
それは、私たちが脳のために――つまり私たち自身のためにできる何より大切なことは身体を動かすことだという事実を、現代の神経科学が教えてくれたからだ。
これを語らずして、いったい何を語ればいいだろうか。

だが一般読者に向けて、このような脳科学の本を執筆することは、決して容易ではない。
つまるところ、私たち科学者が解き明かそうとしているものは、人知がおよばぬほど精緻きわまりない器官であり、その働きを完全に理解することなど、ほぼ不可能である。

目下、神経科学は光速ともいうべき速さで進歩している。
そして毎年、10万もの脳に関する科学論文が発表されている。
これは年間を通して4分ごとに1本発表されている勘定になる。
私たちの知識は文字どおり、分単位で増えつづけているのだ。

それにもかかわらず、脳を解明することにおいては、まだほんの入口に立っているに過ぎない。

科学者たちは、小さな線虫の脳の活動を解明するまでに、40年の年月を費やした。

この線虫は、脳の基礎的な研究において頻繁に使われる生物の一種だ。
それを脳と呼んでいいのかわからないが、この微小な線虫には約300個の脳細胞があり、800ほどの細胞同士のつながりがある。
これに比べて人間の脳には1000億もの細胞があり、つながりの数は100兆にもおよぶ。

要するに脳の働き、とくに運動がおよぼす影響については、いまだ未知のメカニズムが無数に存在するのである。

本書では、今の時点において神経科学が立証している事実を解説した。
脳が運動によって強化されるメカニズムはまだ完全には解明されていないが、この先、科学者たちが山ほどの新事実を明らかにしてくれることだろう。

とはいえ、本書のテーマが10年後、あるいは50年後には通用しなくなるという心配はまったく無用である。
運動が脳にもたらす恩恵は、私たちの想像をはるかに超えるほど大きいのだから。

神経科学は、単に脳の疾患の原因や治療法を探るためのものではない。
私たちが自分自身を理解する助けとなる学問でもある。

時として研究は、人間には他者との交流が欠かせないことや、アルコールが脳の機能を低下させるといった自明の事実を立証しようとしてきた。
そういった発見が、実際に私たちを驚かせることもあった。

運動をすれば気分が爽快になることは、わざわざ研究が証明しなくても知らぬ者はいない。
だが、運動が認知能力(たとえば創造性、ストレスに対する抵抗力、集中力、知能など)に具体的にどのようにして絶大な影響を与え、またなぜ私たちに欠かせないものなのかといった理由については、あまり知られていない。
事実、これに気づいている人は、ほとんどいないといっていい。