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「プロセスエコノミー」を読んだ

プロセスエコノミー」を2025年08月23日に読んだ。

目次

メモ

はじめに p3

今、“良いもの”を作るだけではモノが売れない時代になりました。

インターネットによって一瞬で情報が行き渡って、一瞬でコピーできるようになったので、どれもこれも似たり寄ったりの機能、性能になりやすいです。

テレビや冷蔵庫を買うときに、シャープでも東芝でもそう大きくは変わらない。

気づけば、便利で安価なんだけれど、似たような製品・サービスにあふれ、新製品の発表に昔ほどワクワクしない。

どこかが新技術を開発しても新興国の後発メーカーがすぐに台頭してきて、安売り競争でヘトヘトになる。

これは個人のクリエイターでも同じです。
世界中の人がすぐに真似ができてしまうので、YouTubeやInstagramのスタイルはひとたびはやると、どれも似たようなものであふれてしまう。

もはや完成形で差をつけるのってしんどい。
そんなことを感じたことはありませんか?

このような人もモノも埋もれる時代の新しい稼ぎ方が、プロセス自体を売る「プロセスエコノミー」です。

なぜならプロセスはコピーできないからです。

自分のこだわりを追求する姿、様々な障壁を乗り越えながらモノを生み出すドラマはその瞬間にしか立ち会えません。

本当に自分がやりたいことをやって、作りたいものを作って生きていくために、プロセスエコノミーは強力な武器になります。

このプロセスエコノミーは私が考えた言葉ではなく、クリエイターの制作現場をライブ配信する「00:00 Studio」(フォーゼロスタジオ)を立ち上げた「けんすう」さんが初めて言語化しました。

プロセスエコノミーという聞きなじみのないカタカナ言葉を、どこかとっつきにくい、難しいと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、この本を手に取り読んでくださっている皆さんも、きっと生活のどこかにプロセスエコノミーを取り入れているはずです。

プロセスエコノミー的な考え方はこれからを生きるすべての人に関係がある話で、特別な人にだけ必要な概念ではないのです。

はじめに、けんすうさんがプロセスエコノミーについて最初に書いたnoteを参考にしながら説明しましょう。
「プロセスエコノミー」をわかりやすく理解するために、まず逆の概念を考えてみましょう。
これを仮に「アウトプットエコノミー」とします。

アウトプットエコノミーは、「プロセスでは課金せずに、アウトプットで課金する」というものです。
たとえば、
―音楽を作っているところではお金は稼がず、できた音楽を売る
―映画を作っているところではお金は稼がず、できた映画を売る
―料理を作っているところではお金は稼がず、できた料理を売る
などです。

売り方は、お客さんから直接課金するケースもあれば、テレビのように広告モデルにするなど両方がありますが、どちらもアウトプットで稼いでいるという点では同じです。

このように、アウトプットエコノミーとは、普通の人が考える、極めて一般的な商売の仕方です。

では、アウトプットエコノミーでは何が大事でしょうか?
それは、製品の品質や流通価格、マーケティングなどがポイントになります。
要は、いいものを作って、安く提供して、適切に知ってもらい、適切に届ける、ということです。

なので、みんな、いい製品を大量に作って、値段を手頃に抑えて、広告や口コミなどを通じて認知を広げ、流通などをしっかりと固めてちゃんと届ける、ということをやります。

そして、そのアウトプットエコノミーで何が起きているかというと、すべての水準が上がり続けているという状況です。
品質もいいし、値段も手頃だし、流通もしっかりしていてちゃんと届きます。

そして、水準が上がりきった結果、差が小さくなっているというのが今の状況です。

たとえば、20年くらい前の飲食店は、おいしくないところも結構ありました。

なので、無難なチェーン店とかに行ってたんですが、今はどの店に入っても外れがないんです。

その理由は2つあると思っています。

1つ目は、ネットを通じて飲食店の運営方法や、おいしい料理の作り方の情報などが流通し尽くし品質が上がっていること。
品質を上げるための情報が手に入りやすくなっています。

ヨーヨーの世界チャンピオンのBLACKさんという方が友だちなのですが、彼が言っていたのは「YouTubeが普及してから、世界中の子どもたちのレベルが桁外れに上がった」ということです。

それ以前は、ヨーヨーを学ぼうと思っても、狭いコミュニティ内でしか知識の流通がないので、そこまでレベルが上がらなかった。
しかし、YouTubeで、一気に世界レベルのテクニックを誰でも見られるようになって、ぐんと視座が上がり、またスキルの流通もされた、ということです。

そんなこんなで、音楽でも、アマチュアの曲を聴いてもかなり高レベルだな……ということが増えましたし、Twitterでアマチュアのマンガ家さんでもすごい画力だったりする、みたいなことが起きていて、アウトプットの質がどんどん向上しているというのがあります。

そして、もう1つは、口コミが広がるスピードの速さです。

たとえば飲食店なら、食べログなどのレビューサイトで、おいしくない店がすぐわかるようになって、ユーザーが避けるようになり、割と早めに淘汰されます。

これは他の分野でもそうで、変なことをする人やダメなプロダクトの口コミが広がりやすすぎて、「マーケティングや流通などをがんばっても、製品が悪いと淘汰される」ということが起きているんじゃないかと思っています。

ということで、この2つの要因によって、「だいたいどの分野でもクオリティが高くなっている」という感じになっています。

つまり、ちょっとやそっとのクオリティでは、差別化が難しくなっているのが現状だと考えています。

その結果……、品質の高さによって、マーケティングや流通の差を逆転させる!みたいなことが起こりにくくなっています。

品質にそこまで差がないなら、マーケティングや流通、ブランディングにお金をかけられるほうが強くなります。
結果として、格差が広がっているんじゃないかと思っています。

勝ち組のプロダクトはより勝っていき、そうでないプロダクトは、たとえ良いものでも、陽の光を浴びなくなっている、という感じになっている気がします。

また、消費者も、「基本的にどのプロダクトもいいから、何を選ぶのかにはあまりこだわらない」ということも起きています。

そんな状況なので、プロセスが相対的に重要視されるようになってきました。

なぜプロセスを見られるようになっているかというと、「アウトプットエコノミーが一定の規模まで到達したことで、もう差別化するポイントがプロセスにしかない」となったからだと考えています。

たとえばファッション誌などを見ると、最近のトレンドの一つは、サスティナブルです。

地球環境にいいもの、ちゃんと製作プロセスに気を配ったものが注目されています。
安い労働力で、発展途上国の人を酷使して作られたものや、環境を破壊して作られた服などはみんな避けたいと思っているわけです。

服は、ファストファッションでも有名ブランドでも、どちらもかなりクオリティが高くなっているので、こだわりが少ない人にとっては差がつきにくくなっています。
洋服のプロに聞いても「ユニクロの3990円のジーンズと、リーバイスの1万円を超えるジーンズ、質には差はない」と言ったりします。

なので、洋服を作るプロセスだったり、プロセスにおける物語だったりが、相対的に重要になっているのかなと思います。

というわけで、アウトプットの差がなくなったことで、価値を出すならプロセス、という感じになっているのです。

そして、プロセスに価値が増えていった先にあるのが、プロセスエコノミーです。

プロセスに価値があるなら、究極、プロセス自体でもう課金しちゃうほうがいいんじゃない?という動きも出始めています。

たとえばマンガ家さんなら、マンガを売るというより、「マンガを描いている姿をライブ配信して、そこで投げ銭をもらう」みたいなイメージです。

これと似たようなものは昔からあり、たとえば古くはASAYANという番組がありましたし、最近だとNizi Projectですね。
もちろん、ドキュメンタリーとか、映画のメイキングとかもプロセスを製品化している形としてあります。

プロセスエコノミーとは、この形がより盛り上がるイメージです。

ただ、ASAYANやNizi Projectみたいな形は、「ドキュメンタリー自体をショーとして作っている」という性質があります。
いってしまえば、「プロセスを、パッケージして、ちゃんとアウトプットしている」んですね。

しかし、インターネットとSNSの普及によって生まれるプロセスエコノミーでは「単にプロセスを垂れ流ししているだけでも課金される」というのが可能なんじゃないかなと思っています。

なぜかというと、「コミュニケーションはかなり強いコンテンツ」だからです。

高城剛さんが、昔「女子高生にとって最大のキラーコンテンツは彼氏からのメールである」と、メールが普及し始めたころに言っていて、極めて秀逸だなと思ったんですが、コミュニケーションって異常にコンテンツ力があるんです。

DeNAのPocochaとか、SHOWROOMとかのライブ配信サービスはまさにそれです。
画面の先に人がいて、リアルタイムでやり取りすることはすごい価値がある。
PocochaがDeNAにおいて、ゲーム並みの収益が期待されているのも納得です。

なので、単にライブ配信などで、リアルタイムにプロセスを見せているだけでもつながっている感を覚えたり、そこでコメントしたら反応してくれるだけで、メチャクチャうれしかったりするのです。

プロセスエコノミーの何がいいかという点は、主に3つあります。

1つ目はアウトプットを出す前からお金が入る可能性があるということです。
たとえば1年かかる制作物をクリエーターが出す場合、1年間無報酬、みたいなことがありえるわけで、こうなるとまだ知名度がないクリエーターなどは大変な思いをしないといけなかったりします。

そして、アウトプットが売れるかどうかもわからない。
1年かけて作ったけど、まったくお金が入らない、ということが起こりえるわけです。
プロセスから課金できていると、1年かけて大きなチャレンジをするときに、それ自体を応援する人がいれば、生活を少し安定させる、というのも可能なわけです。

この事例で一番成功しているのは、キングコングの西野亮廣さんでして、西野さんのオンラインサロンは7万人以上の登録会員がおり、会費は月1000円弱です。
となると、年間で約8億円、西野さんはクリエーターとしての活動に使えることになります。

そうすると、土地を買って美術館を建てよう、とか、5000万円を使って、MVを作ろう、などの、今まで個人ではできなかった規模のチャレンジができるようになるということです。

プロセスが応援されるには、チャレンジングなことをしたり、大きな目標に向かうほうがいいわけなので、生活のために無難なことをするよりも、見たことがないクリエイティブなことをしよう、みたいなモチベーションになるので、おもしろい作品が生まれる可能性があるかなと思っています。

2つ目としては「寂しさの解消」です。

クリエーターなどは、1人で作業をすることも多く、孤独感があります。
マンガ家さんやイラストレーターさんなどは特にそうです。
なので、少しでも誰かとつながっているのを感じたいというのがあったりします。

プロセスを発信したり、ライブ配信をしたりすることで、少しでも見てもらったコメントをしてもらえるだけで、そこがだいぶ和らいだりします。

そして3つ目が、「長期的なファンを増やせるかも」というところです。

「最終的なアウトプットがだいたい同じなら、より感情移入しているほうが勝つ」ということがあります。
なので、何か作品を出したときに、シェアしてくれたり、広げてくれたり、買ってくれたりする可能性も高くなります。

プロセスから知っているので、アウトプットされたコンテンツを一瞬で消費して忘れる、ということはなく、長期的に応援してくれる人になったりします。

CAMPFIREなどのクラウドファンディングをやる理由もここが強くあり、共犯関係を作ることが重要になってきています。
ここまで読むと、プロセスエコノミーという言葉を聞いたことのなかった読者の方も、すでに生活のどこかで関係しているということに気がつくのではないでしょうか。

クラウドファンディングを通して誰かのプロセスを応援したり、あるいは自らがSNSで商品の開発過程を発信したりすることによって顧客やファンを増やしていることもあるのではないかと思います。

少なくともプロセスエコノミーと完璧に無縁で、アウトプットエコノミーだけで生活をしているという人はいないはずです。
ほとんどの人は、何かしらの形で生活や仕事の中にプロセスエコノミーが自然と組み込まれているのです。

にもかかわらず、プロセスエコノミーの話をすると「なんか邪道だな」と眉をひそめる人がいます。

たしかに従来の商売の考え方からするとプロセスでお金を儲けること、もしくは発売前にプロセスを公開して話題作りをすることは邪道に思われるかもしれません。
商売というのは人知れず努力し納得できる状態になってから人前に出すものだ、という価値観の人も多いと思います。

しかしながら今後多くの業態において、プロセス自体に課金をしてもらうことや、プロセスを共有することによって、初期のファンを作ったり、熱のあるコミュニティを拡大したりすることが求められてきます。

SNSが普及しきって、情報やコンテンツが爆発的に増えました。
一部の有名人やインフルエンサーだけでなく、誰でも自分の仕事やサービス、商品をPRしています。
そんな1億総発信者社会において「◯◯を作りました」とアウトプットだけをアピールしても埋もれてしまいます。

繰り返しますが、今は人もモノも埋もれてしまう時代です。
そんな中、プロセスを共有し、たとえ少数でも熱いファンを作ることは大きな武器となるのです。

本書ではけんすうさんが言語化した「プロセスエコノミー」という新しい概念を、インターネットの歴史と最先端を見続けてきた私が、多様な側面から捉え直し、多くの読者の皆さんに役立つメソッドとしてわかりやすく提示します。

いきなりプロセスエコノミーが重要だと言われても、何から手をつけたらいいのかわからないと思います。

プロセスに価値を乗せるには、作り手がそこにストーリーを込めたり、なぜやるか(Why)という哲学を示すことが大切です。

さらに作り手一人では限界があるので、ユーザーをファンにし、セカンドクリエイタとして巻き込み、熱量を上げていく必要があります。

ファンがコミュニティになっていけば、ファン一人一人が新しい物語を生み出し、さらに熱量も上がり、新しい人をひきつける。
そしてその結果、多様な物語が生まれ、さらに新しい人をひきつける……。
仕組みとして価値がたまるので、他の企業やサービスと埋めようのない差が次第に生まれていきます。

これがClubhouseに投資しているアンドリーセン・ホロウィッツが「Community Takes All」(コミュニティを制するものがすべてを制す)と言うゆえんです。

プロセスエコノミー以前の時代は「Winner Takes All」(勝者がすべてを制す)と言われていました。

勝者と呼ばれるくらいのプレーヤーがユーザーをひきつけ、ユーザーがビジネスパートナーをひきつけ、ビジネスパートナーがさらにユーザーをひきつけるので、勝者たる先行者が得をするというループが昔の勝ちパターンでした。

つまり、先行者利益をいかに誰よりも早く握るかで、ビジネスの帰趨が決まると考えられていたのです。
しかし、プロセスエコノミーの時代ではユーザーがコミュニティ化し、新たなユーザーをひきつけるループのほうが大事なのです。

新しいサービスを生み出す起業家、見たことのない表現にチャレンジするクリエイターにとってプロセスエコノミーの流れを理解することは必須です。

なぜなら、素晴らしい発想やアイデアをもっていたとしてもアウトプットで収益化する前に力尽きてしまう人が多いからです。

また、既存のビジネスのやり方に行き詰まりを感じたり、同業他社との不毛な価格競争に悩んだりしている企業や個人にとっても新しい収益方法となるはずです。

本来の価値とは関係のない宣伝活動や、売れても売れても正当に稼げなくなる値下げ合戦。
そういったものに巻き込まれないために、プロセスを通して本質的なファンを作るべきなのです。

本書では、プロセスエコノミーの未来予想図についても解き明かしていきます。
プロセスエコノミー的な発想や価値観が根付くと、企業や社会、そして個人はいかに変わっていくのか。

ゴールから逆算してステップアップしていく生き方ではなく、日々歩いていること自体に喜びを感じ、瞬間瞬間のひらめきに従って柔軟に対応していく生き方。

変化の早い時代にはこちらのほうが合っているかもしれません。

本書では古今東西、日本未翻訳のロジックを含めて編纂しているため、ゲラ段階で西野亮廣さんからは「めっちゃ空中戦ですね」と、山口周さんからは「著者の洞察に舌を巻いた。この変化は多くの組織・人材に根本的な思考・行動様式の転換を求めることになる」と感想をいただきました。

カタカナ・英語が多くちりばめられていますが、レゴのように組み合わされて変化の構造が自分の武器になるよう書かれていますので、わからないカタカナ・英語があっても止まらず、読み進めていただき、未知から未来が見えてくるプロセスを楽しんでみてください。

本書を通じて新しい風を、ポジティブなメッセージを、受け取っていただけたら幸いです。

「役に立つ」より「意味がある」 p28

著作家の山口さんは別の視点でこの価値観の変化を言い表しています。

著書の『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)で、これからの社会では「役に立つ」ことより「意味がある」ことのほうが価値があると指摘しました。
つまり、ただの生活必需品のような役立つ商品ではなく、自分らしい人生を生きるうえで特別な意味を与えてくれるもののほうが価値が高いということです。

次に引用します。
コンビニの棚は極めて厳密に管理されており、商品を棚に置いてもらうことは簡単なことではありません。
だからハサミやホチキスなどの文房具はほとんど1種類しか置かれていません。
しかし、それで顧客が文句を言うことはありません。

一方で、そのように厳しい棚管理がなされているコンビニにおいて、1品目で200種類以上取り揃えられている商品が存在します。
それはタバコです。

ハサミやホチキスは1種類しか置かれていない一方で、タバコは200種類以上が置かれている。
なぜそういうことが起きるのかというと、タバコは「役に立たないけど、意味がある」からです。

ある銘柄が持つ固有のストーリーは他の銘柄では代替できません。

セブンスターを愛飲している人にとってセブンスターという銘柄は代替不可能、唯一無二の存在なのです。
人が感じるストーリーは多様なので銘柄もまた多様になるということです。

またこんな例もあります。

それは自動車業界が提供する価値の市場というもので、具体的には左図のようなフレームワークで考察できます。

このフレームでは顧客に提供している2つの価値軸に沿って市場を整理しています。

2つの価値軸とは、すなわち「役に立つ・立たない」という軸と「意味がある・ない」という軸です。

つまり、「役に立つ」というのは1種類でよく、価格勝負になりやすく、勝者総取り。

対してそれが「意味がある」というフェラーリのようなものでは、希少で価値が生まれやすい。
要は高く売れるということ。

そしていろんな種類が受け入れられるので多様化もする。

この2つの例からわかることは、役に立つものというのは1つあればいいということです。

コンビニで2番目によく切れるハサミ、3番目に切れるハサミなんていらないのです。

自動車もハイブリッドカーが必要ならばもうプリウス一択でいいわけです。
第2のプリウス、第3のプリウスなんてものは顧客は求めていない。
機能性が優れているものは1つあればこと足りる。

そして勝者総取りとなるわけです。

しかし、かたや機能性ではなくストーリーがあるものに対しては1つでなくて構わない。
むしろ多様性がありなおかつその価値はかなり高い。

たとえばランボルギーニという車には機能性なんてものは一切ありません。
それこそ雨が降ったら乗るなだとか、ガルウィングの使い勝手が悪いだとか、荷物が乗らないだとか、後方視界がないだとか、上げればキリがありません。

でもその価格は1000万~数億もするのです。
役に立つレベルは低いのに価値は超高い。
なぜならそこには乗る意味が存在するから。

つまり、役に立たなくても意味がある方が市場価値が高い、ということなのです。
この話は、現代人の価値観の変化を端的に示しています。

「役に立つ」より「意味がある」のほうが価値が高い世の中において、私たちはどのような戦略をもってビジネスをしていくべきなのでしょうか。

山口周さんが書いたように、「役に立つ」を目指す場合は勝者の椅子は世界に1つしかない。
そのたった1つの椅子を目指して戦うか、それを選ばない場合は「意味がある」を大切にしなくてはいけません。

商品やサービスが生き残るためにはどちらか両極に行くしかなく、中途半端なものは淘汰されます。

そして「意味がある」を目指す場合、そのプロセスを消費者と共有し、その「意味」を伝えていくプロセスエコノミーが、重要な役割を果たすのです。

グローバル・ハイクオリティかローカル・ロークオリティか p33

「役に立つ」と「意味がある」。
価値が二極化し、中途半端なものはなくなっていく。

このことを世界で活躍する日本人アーティストであるチームラボの猪子寿之さんは、グローバル・ハイクオリティかローカル・ロークオリティかという言葉で表現されています。

2014年と少し前の連載なのですが、これから仕事をしていくうえで誰もが意識しておかなければならないことなので、『GQ JAPAN』2014年7月号から一部を引用いたします。
今後、都市は、世界で競争力のあるスーパー・ハイクオリティに携わる層と、強いコミュニティを持つ層に分断されていくのではないかと思っています。

どういうことかと言うと、インターネットが国家間の境界線をますます消滅させていくと、コンテンツやモノ、サービスは国内産か国外産かの意識もされず、世界でもっともクオリティの高いものが選ばれていきます。

そして、世界から選ばれるものは、グローバルがマーケットとなるわけですから、圧倒的な資本の厚みができる。
簡単に言うとクオリティに対してもっともっとお金がかけられるようになるわけです。

ローカル内では、もっともクオリティが高くても、世界で通用しないクオリティのものは、ローカルからしかお金が集まりません。
そのため、クオリティにかけられるお金が相対的に少なくなり、グローバルに選ばれたハイクオリティとの間に質的な差が生まれていき、ますます選ばれなくなっていくのです。

インターネットは一方で、コミュニティの構築と参加を容易に、そして規模も大きくしました。

コミュニティが大きくなったために、自分が入っているコミュニティ内からコンテンツやモノ、サービスなりを選ぶことが可能になりました。

インターネットより以前は、コミュニティが小さく、コミュニティの中から何かを選ぶことは現実的には難しかったのです。

インターネットが容易にコミュニティを大きくしたために、自分の知っている人だとか、その友人が作っているものから、自分の欲しいものを選ぶことが可能になったのです。

もっと言えば、コンテンツやモノ、サービスは“コミュニティとセットで欲しくなる”、つまり、“コミュニティとセットになって価値が上がる”のです。

コンテンツやモノ、サービスのアウトプットそのものだけではなく、出来上がるまでのプロセスであったり、誰が作っているかであったり、あとは、コミュニティ内でのコミュニケーションのためであったり、そのようなことが価値を作っているのです。

それらは、クオリティとは、別の価値です。
コミュニティという別の価値が存在するため、マーケットでの価格に対するクオリティのようなものは無視され、クオリティに対して価格が高くても成り立つのです。

そして、提供する側も、コミュニティという別の価値が存在するため、提供すること自体がコミュニティへの参加であり楽しいのです。
だから、場合によっては、マーケットよりも非常に安かったり、無料で提供することも起こります。
つまり、場合によっては、非経済モデルにもなりえるのです。

いっぽうハイクオリティに携わる層の多くは、世界で勝ち続けないといけないので、世界の競争にさらされ、仕事がより激化します。
そして、世界がマーケットであるため、ある程度世界を転々としなければなりません。

(中略)

世界は、やがて、ローカル・ハイクオリティが死に絶え、グローバル・ハイクオリティでノーコミュニティ層と、ローカル・ロークオリティでコミュニティ層の組み合わせに分かれていくでしょう。
それらは、交わることなく、より分断されていきながら社会への影響力を強めていくのです。

何にせよ、明日生き残るために、僕らは、ローカル・ハイクオリティのモデルからさっさと足を洗い、グローバルでハイクオリティなモデルか、ローカルでコミュニティなモデル、それらのどちらかを選んだ方が良い、ということなのかもしれません。
ここで猪子さんが指摘しているのは、私たちが生き残っていくためには世界の誰が見ても圧倒的に質が高いグローバル・ハイクオリティを目指すか、知り合いの◯◯さんが作っているモノなら買いたいという、特定のコミュニティにおいて熱い想いで支持されるローカル・ロークオリティを目指すかの2択で、中途半端はないということです。

つまり前者を選ぶのであれば、圧倒的なお金と人材を使ったパワーゲームで勝つ必要があります。

もしそこを目指さないのであれば、プロセスやコミュニティでクオリティを補完し、また補完することに参加者の喜びが生まれる仕組みを作らなければいけません。
読者の皆さんはどちらを目指すべきでしょうか?

もちろん正解はなく、企業や個人の目標設定次第ですが、後者を目指すのであれば、やはりプロセスエコノミーを正しく理解する必要があります。

フィリップ・コトラーの「マーケティング4・0」 p47

この話をマーケティングの観点からも考えていきましょう。

「近代マーケティングの父」と呼ばれるフィリップ・コトラーは「マーケティング4・0」を提唱しました。
プロセスエコノミーについて考えるうえで、コトラーの理論はとても役立ちます。

▼マーケティング1・0=製品中心のマーケティング⇒機能的価値訴求
▼マーケティング2・0=顧客志向のマーケティング⇒差異的価値訴求
▼マーケティング3・0=価値主導のマーケティング⇒参加価値訴求
▼マーケティング4・0=経験価値志向のマーケティング⇒共創価値訴求

まず初期段階のマーケティング1・0では、ユーザーはとにかく必要な製品があればそれだけで喜んでくれます。

氷屋さんから大きな氷の塊を買って冷やす。
これが昔の冷蔵庫でした。
しかし氷が解けたら保冷用をなしません。
もし24時間365日食べ物を冷やしてくれる冷蔵庫があれば、いちいち氷を買いに行って補充する手間が省けます。
まさに生活必需品です。

高度経済成長期には「三種の神器」という絶妙なキャッチコピーをつけて、冷蔵庫や洗濯機、白黒テレビをバンバン売りました。
生活に足りないものをメーカーが埋めてくれるだけで、顧客は幸せになれたのです。

こういう時代には「その商品があればどれほど生活が豊かになるか」という商品中心のマーケティングをやっていれば、ビジネスは成り立ちました。

しかし大量生産によって商品が隅々まで行き渡るようになると、このマーケティング1・0をやっているだけではモノは売れなくなります。

経済的に豊かな消費者は「オレが欲しいものとあいつが欲しいものは違うんだ」と、どんどんワガママになるのです。
自宅でハイボールをたくさん飲むお酒好きは、タンクの水から自動的にどんどん氷を作ってくれる冷凍庫が欲しい。

花粉やPM2・5のせいで苦しむ人の家には、細かいホコリや粒子を吸い取ってくれる空気清浄機が1部屋に1台ずつあったほうがいい。

マス(大衆)という「塊」に向けてモノを売るのではなく、「お酒好きな人」「花粉症の人」といったように、セグメント別に細かく顧客をターゲティングしなければ、モノが売れない時代が訪れました。
これが第二段階のマーケティング2・0です。

社会がどんどん豊かになって成熟していくにつれて、顧客満足度はさらに形が変わっていきます。

欲しいものをただ買い揃えるだけでは、今や顧客は満足しません。
「ただ使い勝手が良いだけでは足りない。会社が掲げるミッションや生き様が大事だ」という視点で、メーカーの姿勢を厳しく注視しています。

アメリカで人種差別が社会問題になれば、差別や偏見に反対する企業メッセージを即座に打ち出す。
商品を売るためのCMではなく、「私たちはより良き社会を構築する主体者だ」というメッセージを発表する。

そこにクールさを感じたユーザーが、商品を買って企業活動を消費によって応援するのです。
こういう時代には「誰もが生きやすい社会を作ろうじゃないか」といった社会的なメッセージを訴えるマーケティング3・0に切り替えなければ、モノは売れません。
企業が掲げるミッションに共感したうえで購入してもらう。
これがマーケティング3・0です。

そして、コトラーは、さらにその先を行くマーケティング4・0を提唱します。
モノやサービスがもつ「機能価値」はもはや輝きを失い、「感情価値」や「参加価値」が反対に光を増していく。
すると消費者は製品やメッセージを消費するだけではなく、自分自身が価値創造に参加したいと考え始めます。

「すべてのサービスは自分が自分らしくなるためにある」。
これがマーケティング4・0の重要な視点です。
受動的な消費者に甘んじるのではなく、誰一人置き去りにしない世界を構築するために、消費者もメーカーの活動に参加し社会変革に挑戦していく。

これがマーケティング4・0の世界です。
この論考はプロセスエコノミーの重要性を裏付けています。

たとえばアウトドアウェアのパタゴニアで買い物をすると、店頭でショップバッグはもらえません。
環境を守るために協力してくださいというメッセージです。

消費者はある意味で強制的にマイバッグを家からもっていくことになります。
つまりパタゴニアで買い物するだけで、その日の行動が実際に変わる。
パタゴニアが掲げる「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」という企業理念に則った活動に自然と参加することになります。

これは素晴らしいミッションに共感し、さらに活動にまで参加したいという消費者の欲求を満たしてくれる仕組みになっています。

マーケティング4・0では消費者はただ消費するだけではなく、企業のミッションに共感し、さらに活動に参加する。
つまり実際にプロセスを歩むことに価値を感じ始めていることを指摘しているのです。

情報をフルオープンにして旗を立てる p86

ここまで読んで、たとえ個人として意識改革ができたとしても、多くの業界や会社では従来のアウトプットエコノミーの呪縛からまだ抜け出せないかもしれません。

企業にとってプロセスの開示が必要不可欠なものであるとはいっても、たしかにデメリットもあります。
アウトプットを発売前から開示するということは、新しい技術やアイデアなどを多かれ少なかれ表沙汰にすることですから、他社に模倣・追随される可能性も少なくありません。

それでも、情報をフルオープンにするメリットは何なのでしょうか?

それは旗を立てることでさらなる情報が集まってくることです。

私が外資系コンサルで働き始めた94年当時、まだインターネットは世の中にほとんど広まっておらず、携帯電話をもっている人すら希少種でした。

あの当時、マッキンゼーが手がけていたプロジェクトのうち、一番多かったのはどんな仕事でしょうか。

それは、アメリカをはじめ海外の先進国で最先端を走っているイノベーション、投資や商品開発、マーケティングに役立つベンチマーク(指標)をどんどん集めてきて「お客さんの会社はこういうことをやったほうがいいですよ」と提案する。
たったそれだけの仕事をやるだけで、数千万円もらえる時代があったのです。
海外の情報を簡単に集められない90年代半ばは、海の向こうの情報を差し出すことに大きな価値がありました。

今は「2~3日前からClubhouseが世界ではやり始めたぞ」という情報は、移動中にスマートフォンをチラ見しているだけで即座に手に入ります。
世界の片隅でザワザワし始めた噂はたちまちバズり、気のきいた学生はその日のうちにnoteにレポートをアップしてくれるでしょう。

もはや「新しい情報を自分だけが見つけた」と過信すること自体がアウトです。
情報それ自体に価値はありません。

むしろ手持ちの情報をシェアして仲間を作り、プロセスを惜しみなく開示してしまったほうが、結果的にさらなる情報が集まってきて、自分にとって得なのです。

「はじめに」で述べたとおり、みんながなんとなくモヤモヤと「こういう現象があるよな」と思っていることに、けんすうさんが初めて「プロセスエコノミー」という言葉を当てはめました。

このキーワードがバズワードになり、みんながたちまち「プロセスエコノミー」という言葉を使い始めています。
最初に旗を立てた人が誰なのか、ネットの世界では明確にわかり、「最初に旗を立てる人」になれます。

そして、最初に立てた旗に注目が集まり、そこに多くの情報と人間が集まってきます。
「そうそう。あの人が最初にプロセスエコノミーについて言語化したんですよ。あの人に連絡を取って話をするとおもしろいですよ」と情報の掛け算が起きる。
最初に旗を立てた人が、一番の情報リッチになれるのです。

アウトサイド・インかインサイド・アウトか p92

さらに、プロセスエコノミー的な発想はモノ作りの方法自体もアップデートしてくれます。

マーケティングの世界で、よく「アウトサイド・イン」と「インサイド・アウト」というキーワードが語られます。

アウトサイド・インとは、売上や利益、目標といった結果から「勝利への逆算」を考える思考様式です。
インサイド・アウトはそれとは逆に、自分の内面から湧き起こる衝動を起点とする考え方です。

ここのところモノ作りもサービスも、「アウトサイド・イン型」から「インサイド・アウト型」に変わってきています。

高度経済成長期を通じて、メーカーはユーザーの生活ぶりを観察しながら「主婦の家事は負担があまりに重すぎる。
洗濯機を家庭のマストアイテムにするべきだ」などと考え、ユーザーのpain(痛み、課題)を軽減して満足度を高めてきたわけです。

手で衣類を洗っていたときは、冬には手がかじかんで大変な苦労をしていました。
そこで洗濯機が登場し、このpainを解決します。
洗濯機を使うのが当たり前になると、洗濯ものが梅雨どきになかなか乾かないという課題が出ます。
そこで「乾燥機があると、いちいちコインランドリーに行く必要がなくなって便利ですよ」と解消する。

「皿洗いを人間の手でやっているのは、先進国では日本くらいですよ」と教えてあげて、食洗機の導入を促す。

「あなたが困っていることを解決する新しい商品を作りました」と売り出し、足りないものを埋める作業を進めてきた結果、物質的にユーザーが抱く要求はたいてい満たされるようになりました。
すると新しいpainを探して解決するアウトサイド・イン型の商品が、ユーザーの心に刺さりにくくなってきたのです。

物質的に満たされた成熟社会では、アウトサイド・イン型の商品よりもインサイド・アウト型の商品のほうが売りやすくなってきました。
「私の『好き』をあなたも味わったら、きっと世界に彩りが生まれるよ」というメッセージをユーザーに訴えるのです。

生きていくうえで必須ではないけれど、より人生を豊かにしてくれるものに人は魅力を感じるようになっています。

「意味のイノベーション」を提唱したイタリア・ミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティ教授は「インサイド・アウト型の商品を作るときには、スパーリング方式でやったほうがいい」と指摘します。
自分が見つけた「好き」の完成型をいきなりアウトプットしたところで、「理解できない」「そんな話は聞いたことないよ」と拒絶されてしまうかもしれません。
なんとなく漠然としたコンセプトやポエムみたいなメッセージはなかなか伝わりません。

するとシュンとなってしまい、自分の中にある「好き」を伝える作業をやめてしまうかもしれない。

なので、いきなり自分の「好き」を押しつけるのではなく、ボクシングのスパーリングをやるような感覚でコミュニケーションしてみることが大切なのです。

たとえば、自分の「好き」から生まれた新しい商品のコンセプトをツイートしてみる。
その反応やコメントを参考にしていきながら方向性を磨いていく。

壁打ちを繰り返すプロセスエコノミーのアプローチでアイデアを育てていけば、当初は漠然と自分の中にあった「好き」の解像度は格段に上がり、商品やサービスを世にリリースしたとき、一人で試行錯誤しているよりも多くの人に受け入れられやすい形に変化しているはずです。

先ほど、プロセスを開示することで、真似をされるデメリットがあると書きました。
しかし、機能や性能はコピーできても、個人の「好き」という価値観や偏愛はコピーできません。

伝統文化の「心技体」 p101

「What」「How」「Why」は、日本で言う「心技体」と似ていると私は思います。
体(What)と技(How)があり、一番大事なのは心(Why)です。
心技体が一致しているからこそ、時代を超えて人を感動させる力をもっているのだと思います。

伝統工芸の職人や歌舞伎の役者は、長年の修業と鍛錬によって心技体が一致しています。

何百年という長い歴史を通じて伝承されてきた体(What)の部分だけでは、初心者が解釈するのは容易ではありません。

技(How)の部分もまた、よほどのツウでなければ深く理解することはできません。

しかしながら体と技の根幹となる心(Why)がしっかりとベースにあるので時代の流れの中でも、しっかり残っていきます。
心(Why)こそが、最もおいしい果実なのです。

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」やMBS/TBSの「情熱大陸」などは、「心(Why)」をドキュメンタリー映像として撮影して誰にでもわかりやすく伝えることで人気を博しました。

一般の人が普段目にするのは最終的なアウトプットである体(What)とプロフェッショナルの技(How)だけであって、人間としてのこだわりである心(Why)は外部にはなかなか見えません。
そこにカメラを入れることによって、視聴者は「そういうことだったのか」と納得し、なおさら匠が生み出す作品に惚れこんでしまうのです。

新しいお客さんにとって、専門的な技術や作品の良し悪しはなかなか判断できません。
しかし、一人の人間としてのこだわりや哲学は共感できます。

新しいお客さんやファンを作り出すためのプロセスエコノミーによって共有すべきは「心(Why)」なのです。

最強のブランド「宗教」に学ぶ p107

プロセスエコノミーにおいて大切なのは、いかに「Why」を伝えていくかだということがわかりました。

ジョブズのようなカリスマ亡きあと、「Why」を確実に伝承するにはどうしたらいいか。
最強のブランドとも言える宗教ではしっかりと定義されています。

キリスト教の聖書も仏教の経典も、イエスや釈迦が自分で書いたものではありません。
イエスや釈迦が生きている間は、口承によって教えを広げていきました。

その教えを弟子たちが口々に語り継ぎ、やがて弟子の中の智慧者が文書として記録したのです。
教祖や開祖が自分の口で語った言葉、信者に見せていた生き様を、何百年でも何千年でも反芻できるように経典に落としこむ。

こうしてキリスト教や仏教は世界宗教として広がっていきました。

宗教の第一段階は、教祖本人が生きている初期の時代です(Cult・カルト)。
次に、教祖がもっていた心の部分、「Why」の部分をエバンジェリスト(伝道者、宣教師)が言語化していきます(Sect・セクト)。
そして「Why」を体験化した教会の時代(Church・チャーチ)に達します。
そうすれば人は「Why」を強く意識することもなく自然と伝承し始めます。

経典は字が読める人にしか伝わりません。
文字が読めない人が多い地域で「聖書を読もう」と言ったところで、宣教はうまくいかないわけです。

だからこそ宗教家は、文字を読めない人のため「Why」を日常的な習慣に変換する方法を考えたのです。

教会でゴスペルの曲を聴けば、そこで歌われている歌詞に聖書の大事なメッセージが自然に入っています。
教会には倍音効果があり、みんなで音程を合わせて合唱すると、まるで天使の声が上から降ってくるように聞こえる設計になっているのです。

歌声は教会の中で増幅され、1オクターブ上の音と一緒に天から降ってくる。
すると「あなたはあなたらしく生きていていいのですよ」と神の声が聞こえてくるかのような疑似体験ができます。

前述した「システム1」(感情脳)、「システム2」(論理脳)のうち、どちらが作用するのか。
多くの人は「システム1」(感情脳)によって直感的な情動を刺激されます。

歌い、踊り、みんなで一緒に祭りを楽しむ。
宗教は「Why」を引き継ぐ仕組みをもっているから何千年と多くの人の救いになり続けているのです。

メルカリでは野菜を売れ p129

メルカリの機能は、中古品、不用品を売買するリサイクルショップだけではありません。

かしこい農家は、メルカリを産地直売のお店として使っています。
農家が作った新鮮な野菜を、消費者のもとに安く直接届けるのです。

メルカリで野菜を売ることのメリットは2つあります。
第1に、お客さんと直接やり取りするので価格を安く抑えられることです。
農協を通じて作物を売ると、流通の過程で農協や卸業者に利益を中抜きされてしまいます。
スーパーマーケットや青果店は多額の家賃や光熱費、人件費をかけていますから、当然利益を分配しなければなりません。

しかしメルカリで直売すれば、中間業者に中抜きされていた利益を総取りできます。
梱包材のコストや送料代を差し引いても、十分収益が出せるでしょう。

プロセスエコノミー的には第2のメリットが重要です。
それは生産者とお客さんの直接のつながりができ、リピーターとして野菜を買い続けてもらうことで、あたたかいファンコミュニティを作れることです。

「今日は嵐で大変でしたが、こんなトマトができあがりました」「今年の青森ニンニクは出来がすごいですよ」と、生産者本人が書く。
写真と一緒にミニ新聞にまとめて、野菜と一緒に同封することもできるのです。

するとお客さんはその人から野菜を買うのが楽しみになっていきます。
アウトプット(野菜)を買いながら、プロセス(農家の物語)も一緒に楽しんでしまう。
メルカリを介したプロセスエコノミーによって、農業も変わっていきます。

Y Combinatorのオフィスアワーが生んだAirbnbとStripe p139

シリコンバレー最大のアクセラレーター(スタートアップの支援組織)であるY Combinatorは、1年に2回世界中からものすごい数の応募を受けつけます。
その中から100個くらいのプロジェクトを厳選し、3カ月間かけてプロダクトとして磨き上げていくのです。

Y Combinatorとスタートアップの面談の様子は、「オフィスアワー」と銘打ってYouTubeで公開されます。
普通は見せないプロセスを公開するという意味で、まさにプロセスエコノミーそのものです。

Y Combinatorの取り組みによって、Airbnb(エアビーアンドビー)やStripe(ストライプ)など世界を変えるビジネスが次々と生まれています。

Y Combinatorの面談者にとっては、小手先のテクニック論なんてどうでもいいのです。
彼らは「Why」という問いの部分、イノベーターの根っこに流れるストーリーを丁寧に深くえぐっていきます。
するとしゃべっているうちに、起業家がパーン!と脱皮する瞬間があるのです。

「そうか、オレはこれをやりたかったのか」と気づくと、Y Combinatorの面談者はすかさず「それをやりたいんだったら、こういうフレームを考えてみたら?」とアドバイスします。
すると、たちまちスタートアップが離陸するのです。

こういう様子を公開していると「ええつ、こんなやり取りからあんなすごいビジネスが生まれているの!?これならオレでもイケるじゃん」とみんなが気づき、なおさら世界中のイノベーターがY Combinatorに集まるのです。

問いに対する答えを磨いていくプロセスを公開すると「そうか。こういうふうに自問自答していけばいいのか」と、思考の型ができあがっていく。
すると面談のレベルはどんどん上がっていくのです。

小手先のスキルなんて、インターネットを使えばいくらでもタダで学べます。
ありとあらゆるプロセスをみんなで共有しながら、「Why」というビジネスの本質にフォーカスしていく。
こういうやり方によって、第二、第三のAirbnbがシリコンバレーから生まれてくるのです。

SNSがもたらすプロセスの肥大化 p151

2018年5月、登山家の栗城史多さんがエベレストで死亡しました。
ポーターを雇わず一人きりで行動し、酸素ボンベを携帯しない単独無酸素登頂が栗城さんの売りです。
その挑戦の途中の滑落死でした。

栗城さんはとんでもない環境下で死と隣り合わせになりながら山を登り続ける。
その様子を自らネットで配信しました。

8000メートル超えのエベレスト登頂は並大抵の努力では成功しません。
低酸素の高山で標高がどんどん上がっていくと、最後のほうは徹夜でアタックしなければならないそうです。
酸素ボンベがない危険な環境でぐっすり眠ろうものなら、そのまま命を落としてしまいかねません。
そんな登山家の知られざる過酷なプロセスの公開は、ネット中継などを通して熱狂を集めました。

2020年秋に出版されたノンフィクション本『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(河野啓著、集英社)を読むと、栗城さんの登山家人生が赤裸々に描かれています。
合計8回エベレスト登山に挑戦する中、彼は凍傷によって9本の指を失いました。

栗城さんは登山家としてかなり未熟だったという指摘も、この本には書かれています。
単独無酸素登頂という無謀な挑戦を、なぜ途中で止められなかったのか。
過激な実況中継で話題を集めれば集めるほど、ファンは応援し、スポンサーから活動資金がたくさん集まります。
登山家としての自分の姿を露出し、自己演出に拍車がかかりすぎた結果、ほとんど自殺に等しいような非業の最期を遂げたと本には書かれています。

この本に書かれていることがすべて事実なのかはわかりません。

しかしながら、まわりの人から注目を浴びる中、外から求められる無謀なチャレンジをし続けなければいけない。
いつしかそのプロセスが過激化していく。
プロセス自体に自分の人生が操られる。

この本にある指摘は今のSNS社会を生きるすべての人にとって重要なものです。

p181

本書のたたき台となるテキストは、2021年1月から3月にかけてZoomで私が語り下ろしました。
そのたたき台をもとに、大幅な加筆・修正と編集の手を加えています。

「プロセスエコノミー」という本書のコンセプトも、語り下ろしや打ち合わせの様子も、私のオンラインサロンでフルオープンにしました。

本を執筆・編集するプロセスは密室で進めるのが常識ですが、目次をどうするかといった初期段階の打ち合わせまで含めて、包み隠さずオープンにしています。

オンラインサロンのメンバーの皆さんと1冊の本がこうしてできあがるまでのプロセスそのものを併走し、一緒に作り上げられたことは著者としての喜びですし、皆さんの楽しみにつながればなによりです。