「ピープルウエア」を 2,023 年 12 月 09 日に読んだ。
目次
メモ
p1
管理者の大部分は、人を交換可能な部品と扱う特有の失敗をしがちだ。
この理由は、はっきりしている。
まず、管理業務には何が必要かを考えてみよう。
一般に、実務者として、技術者として、開発者として有能であれば、優れた管理者の素質があると判断される。
こうした仕事では、人をサブルーチン、電子回路、仕事の単位などのように、交換可能な部品と考えるのは当然だろう。
ここで扱う部品は、ブラックボックスとしての特性を持つように作るので、内部の微妙な違いはきれいさっぱりと無視される。
また、人も、部品と同じように標準のインタフェースを持つものとして扱うのだ。
長年、こうした部品の扱いに慣れると、新人の管理者が人を部品と同じように扱っても何の不思議もない。
だが、それでは決してうまくいかない。
管理とは尻をけとばすこと? p8
管理とは、簡単には定義できない複雑なもののはずなのに、ロンドンで会った上級管理者には、そんなニュアンスは全く感じられなかった。
単に、「管理とは尻をけとばすこと」と割り切っていた。
これは、管理者があらゆる頭脳労働を行い、部下は決定されたことをただ実行する、という考えに等しい。
チーズバーガーを作る場合はうまくいっても、体でなく頭を使う仕事ではうまくいかない。
頭を使う仕事では、頭を調子よく働かさなければならない。
担当者をあれこれとせき立てて、働かせることはできても、創造的で、工夫に富み、思慮深い仕事はさせられない。
たとえ、担当者を指示どおり働かせて、短期間の生産性が上がっても、長期的には大した利き目はない。
担当者の自発的なヤル気が認められず、管理者がヤル気を補給するという考えほど、担当者の士気をくじくものはない。
この管理方法の最大の悲劇は、努力が常に無駄になることだ。
人は誰しも仕事に愛着を持っている。
管理者は、むしろ働き過ぎないように、時折、気を配らなければならない。
こうすると、すばらしい仕事がどんどん出来上がる (詳細は第3章で述べる)。
p11
何年か前、私はある会社の社内設計技術コースで教えていた。
上級管理者が私をつかまえて「このコースの中にいる数人(その管理者のプロジェクトのスタッフ)を評価してほしい」と言ってきた。
管理者氏は、特にある女性の評価に関心があり、明らかに彼女の能力に疑いを持っていた。
彼女について「プロジェクトで役に立っているとは思えない。
開発をやらせても、テストをやらせても、その他の仕事でも、決して優秀とは思えない」と言った。
少し調べてみると、興味のある事実を発見した。
同社での12年間の在職中、彼女が携わったプロジェクトは、すべて大成功を収めていた。
彼女が、どんな役割を果たしたかははっきりしないが、関係するとプロジェクトはいつもうまくいった。
1週間、受講中の彼女を観察して、彼女の同僚と話したところ、彼女はチーム内で「触媒」の役割をしているとの結論に達した。
彼女がいるだけで、チームの結束は固くなった。
彼女がいると担当者間の意思の疎通が良くなり、一緒にやっていこうという気になった。
彼女が加わるだけで、プロジェクトは楽しくなった。
この結論をくだんの管理者に説明したが、一蹴されてしまった。
どうしても、プロジェクトには触媒が不可欠だということを認識しようとはしなかったのだ。
触媒が重要なのは、いつも不安定な状態にあるプロジェクトのまとめ役を果たすからである。
プロジェクトチームを結束させる能力のある人は、普通に仕事をする人の二人分の価値がある。
p12
頭を使う仕事の重要性は、仕事のリスクが大きくなるほど増大する。
真にヘラクレス的な大変な努力が必要なのは、仕事そのものをガリガリやる時間を減らして、仕事についてじっくり考える時間を増やす場合である。
超人的な力が必要になる仕事ほど、チームのメンバーは、相互によく交流し合い、交流を楽しむことが重要になる。
実行不可能な納期を押しつけられたプロジェクトこそ、メンバーがチームと一体になるため、
ブレーンストーミングを頻繁に行ったり、プロジェクトチーム全員で夕食を共にすることが絶対に必要だ。
これは母親が子供にしてやるようなことである。
そんなことは誰でもわかっているはずだが、その通りにやっているだろうか?
やっているわけがない。
企業で働いている人は、いつも手を動かしていないと仕事をした気にならない、という考えにとりつかれている。
その証拠に、頭を使わなければならない計画立案、新技術の調査、研修、読書、見積もり、予算、
スケジュール作成、人の割り当て、といったその他の仕事にあてている時間は、
全部合わせても、会社で仕事をしている時間のたった5%にしかならない
(5%という数値は、システム開発プロジェクトの分析から得た結果であるが、おそらくあらゆる分野のサラリーマンの仕事に、広くあてはまる)。
特に、読書の統計をとると、実に惨憺たるものだった。
例えば、平均的なソフトウエア開発者は、ソフトウェアに関する本を一冊も持っていないし、一度も読んだことがない。
このことは、ソフトウエア開発の分野で仕事の質を改善しようと努力している人には、ショッキングな事実である。
我々のように本を書いている者には死活問題だ。
p19
いったんこれに気付くと、プロジェクトが終わったあとで、その人は永遠にいなくなる。
人生にとってそんなに大切でないこと(仕事)のために、もっと大切なもの(家族、愛情、家庭、若さ)を犠牲にしていると気がついたとき、ひどくみじめな気持ちになる。
知らず知らずのうちに大切なものを犠牲にしてきた人は、なんとかして仕返しする気になる。
とはいえ、上司のところへ行き、静かにもっともらしい調子で「もっとまともな仕事に回してください」と言うわけではない。
ただ黙って辞めてしまうのだ。
これもある意味では「燃えつきた」ということである。
いずれにしてもいなくなってしまう。
これこそ管理だ p41
まだプログラマーの仕事を始めたばかりのころ、私は、シャロン・ワインバーグ (現在はコッド&デートコンサルティンググループの社長) が管理するプロジェクトで仕事をする栄光に浴した。
シャロンは、今私が管理の真髄と思うことの生きた事例であった。
雪が降りしきるある日、私は病床から足をひきずってオフィスへ行き、顧客デモ用の不安定なシステムを立て直そうとしていた。
シャロンは、部屋に入ってきて私を見つけ、コンソールの前で倒れそうになった私を支えてくれた。
そしてちょっと姿を消したかと思うとスープをもって戻り、私に飲ませて元気づけてくれた。
私はきいた。
「管理業務が山ほどあるのに、どうしてこんなことまでできるんですか?」
シャロンは専売特許のにこやかな笑みを顔一杯に浮かべて答えた。
「これが管理というものよ」。
シャロンは、優れた管理者の本質をよく知り抜いていた。
つまり、管理者の役割は、人を働かせることにあるのではなくて、人を働く気にさせることである。
p94
電子メールがオフィスに導入されたころ、電子メール最大の利点は紙を節約できることと誰もが思った。
実際に使うと、紙の節約は大したことは、なく、代わりに、仕事に没頭できる時間が大幅に増えたことがわかった。
電話と電子メールの大きな違いは、電話は仕事の最中でも割り込んでくる。
が、電子メールは受け手の都合の良い時間にチェックできるので、割り込んでこないことだ。
大量のメールが電子メールシステムを行き来しているということは、
大部分のビジネスの通信手段として、受け手が優先度を決めるという式は、十分許容範囲内にあるということだ。
メールを使い始めると、内線電話よりも便利なので、オフィスに定着した。
電話が世の中から姿を消すことはあるまいが、これからは電子メールが主役になることは間違いない。
p102
プログラマーのように専門分野の高度な知識が必要となる職種では、順序立った論理的思考を司る左脳が非常に重要である。
通常の作業は大部分がここで処理され、音楽の影響はほとんど受けない。
音楽のように感覚的、直感的なものは右脳で処理されるためである。
しかし、プログラマーの作業すべてが左脳で処理されるのではない。
例えば「あっ、そうだ!」という突然のヒラメキで問題が解決することもあるし、
何カ月分、何年分もの作業時間が、独創的なヒラメキで節約できることもある。
この思考の飛躍は右脳の機能なのである。
有線放送で、「1001 ストリングスオーケストラによる魅惑のムードミュージック」を流すと、右脳は音楽に占領され、とてもヒラメキが起こる余地はない。
オフィスの騒音や音楽が、創造性やヒラメキに与える悪影響は、表面には現れてこない。
ヒラメキはいつどこで起こるかわからないため、ヒラメキや独創性が低下しても認識するのは極めて困難である。
また、人間の思考で何パーセントがヒラメキによるかという明確な分担があるわけでもない。
創造性の低下による悪影響は、長い間にどんどん蓄積される。
かくして、プロジェクトチームの生産性はますます低くなる。
素晴らしいアイデアがヒラメいて、感動に打ち震えることもなく、毎日アクセク汗水たらして働き、
そして優秀な人はイヤ気がさしてどんどん辞めていくのだ。
p121
どんな仕事でも、その最終的な成果は、それをどのようにやったかということよりも、誰がその仕事をやったかによって影響を受ける。
だが、近代の経営学は、人材を揃えて辞めないようにすることに、ほとんど注意を払っていない。
どの管理者教育コースでも、この点についてはちょっと触れるだけである。
経営学では、重要な戦略家、戦術家としての管理者の役割に、より多くの関心を払う。
経営とは、あたかも机上で戦争シミュレーションをするようなものと考えるように教えられる。
ゲームの中で、個性や個人の才能を計算に入れることはない。
ゲームでは、個性を持たない単なるものとしての人間を、いつ、どこに展開するかを決断することによって成功か失敗かが決まる。
以下の4つの章では、戦略家としての管理者という誤った考えを改め、
それを、次の原則に基づいた、もっと確実な成功が得られるやり方に置き換えてみよう。
・人材を揃える
・人々に満足感を与え、辞めないようにする
・人々を束縛から解放する
もちろん、個人個人の貢献のすべてが積み上げられて統合された全体になるのだから、最優秀チームでさえ協調は不可欠である。
しかし、人材が揃ってさえいれば、各人の努力を統合するのはどちらかというと機械的にことが運ぶ。
大抵のプロジェクトでは、それが成功するか失敗するかは、チームが編成され最初にある方向に歩み出す瞬間から予感される。
才能の ある部下を持つ管理者は、チームが編成された時点から、あまり努力しないでも順調に仕事を進められる。
p124
こうした見方は、ホーンブロワーの痛烈な人物評価よりも救いがあり、確かに管理者を喜ばせるかもしれないが、実際の管理ではあまり現実的とは思えない。
両親は、何年もかかって子供の人間形成につとめる。
だが、 管理者が、いくらかでも意味のある方向に部下の人格を変化させることはあまり考えられない。
部下が部下としてとどまる年月はあまり長くないし、また、管理者も部下の本質的な人格を変化させるほどの影響力を持てないのが普通である。
したがって、部下の本質は、部下として過ごした期間に関係なく、その終わりの状態は始めと大して変わらない。
もし、彼らが最初からその仕事に適していなければ、変化は決して起こりえない。
こうしたことは、最初に人材を揃えることが最も重要であることを意味する。
幸い、仕事の管理では、人の配属をくじ引きに頼る必要はない。
人を採用したり、社内から新しいチームメンバーを選ぶ際には、管理者が重要な役割を果たすこともあるだろう。
その時には、優れた人材を選ぶ能力は、管理者としての成功を約束するようなものだ。
退職は明らかに無駄なコスト p137
我々がつかんだ年間退職率は33~80%で、これを平均在職期間から見ると、15~36カ月になる。
読者の勤務先の退職率を、今、仮にこの中間としてみよう。
平均的に見ると、社員は2年ちょっとで辞めている。
人一人を採用するコストは給与の1.5~2カ月分で、これは、人材紹介会社への報酬、あるいは同じ業務を行う自社の人事部門の経費である。
従業員がひとたび採用されると、すぐプロジェクトの作業に就き、働いた時間はプロジェクトのコストに賦課される。
この場合、立ち上がりに要する無駄なコストは、表面には全く現れない。
しかし、これは経理上の見せかけに過ぎない。
新人は最初全く役に立たないし、ひどい場合は足を引っ張る。
誰かがその新人の仕事を軌道に乗せるために余計な時間を費やすからだ。
数ヵ月たつと、新人は少しは役に立つ仕事をし始める。
5カ月以内には、一人前として使えるようになる。
したがって、立ち上がりの無駄なコストの見積もりは、ざっとみて、一人当たり3ヵ月分の人件費相当というのが妥当である(仕事の内容が難しい場合は、もちろんこれよりずっと余計にかかる)。
人が入れ替わる際の全コストは、結局、 4.5 ~ 5カ月分の人件費、あるいは2年間働く平均従業員にかかるコストの20%に相当する。
退職率は企業によって大きく違う。
我々が聞いた例では、ある会社は退職率10%で、 同業他社では100%以上であった。
ライバル企業の管理者が集まった際、隣に座った人の企業と2倍以上退職率に開きがあるという可能性は十分ある。
もちろん、どちらもどの方向に開きがあるかを知らないし、知ろうとしてもわからない。
少なくともどちらか一社は、退職率を測っていない可能性が高いからだ。
p159
自分がこれまで携わった仕事の中で、特に楽しかった経験を思い起こしてほしい。
そして、何がその体験を楽しくしたかを考えてほしい。
すぐに思いつくのは「挑戦」だろう。
楽しかった仕事の経験を振り返えるといつもかなりの挑戦的要素を含んでいるのだ。
頭の中でビデオテープのように再生するのだ。
その場面は、会合であったり、楽しかった時期の中で、特に愉快だったことを思い出してみよう。
学生時代の真剣でたわいない討議であったり、徹夜騒ぎやそのあとの夜明けのコーヒーだったかもしれない。
誰もが、そんな思い出を驚くほど鮮明に覚えている。
そのときの音や一人ひとりの声が聞こえるし、表情も浮かぶし、道具立てまで思い出せる。
心のビデオテープのコマを止め、1コマを詳細にチェックしてみよう。
その中に挑戦している光景が映るだろうか?
きっと、思い出の中には映らず、映っても背景のかすかな部分にあるだけだろう。
誇れる仕事をしたという思い出の中で、まず思い浮かぶのは、チーム内の相互作用だ。
全員が溶け込んでひとかたまりになれば、仕事全体の性格は変わる。
仕事への挑戦は重要だが、挑戦すること自体が大切なのではない。
挑戦はチームのメンバーに一緒になって努力する目標を与えるからこそ重要なのだ。
挑戦は、チームを一つにまとめる道具である。
人は最良の仕事仲間を持ったとき、愉快な気分になるし、力の限りを尽くす。
そんなとき、チーム内の相互作用がフルに働く。
全員が力を合わせて仕事に打ち込み、最後まで頑張り、大きな困難に打ち克つのも、それがあるからだ。
人は、チームが一体となったときにより良い仕事をするし、いっそう楽しいと感じる。
この第IV部では、うまく結束したチームがどんなものか、そんなチームを形成するにはどうしたらよいかについて述べる。
哀れな人類よ、今お前を救えるものは黒い悪魔だ p170
初めのうちは、テストチームが流す意地の悪い情け容赦のないテストプログラムもほんの冗談で、他人のプログラムをコケさせては喜んでいる程度だった。
だが、そのうちに冗談ではなくなってきた。
チームメンバーは破壊者のイメージを持ちはじめた。
コーディングだけでなく、みんなの一日の予定を破壊した。
ミスを引き出すために、途方もなく無茶なことをした。
バッファに過負荷をかけ、空ファイル同士を比較し、とんでもない順序で入力した。
黒集団が作ったテストプログラムの下で、自分のプログラムが誤作動するのを見て、大の大人が思わず泣きだしたぐらいである。
悪く思われれば思われるほど、それを楽しんだ。
陰険なイメージをふくらませるために、チームのメンバーは黒い服を着用しはじめた(ここから黒集団の名がついた)。
プログラムがテストに引っかかると恐ろしい声でケタケタ笑った。
メンバーの中には長い口ひげを生やし、『アンクル・トムの小屋』に出てくる残忍な奴隷商人のようにそれをひねくりまわした。
このチームは一団となって仕事をし、次々に恐ろしいテスト計画を実施した。
プログラマーは黒集団の病的な態度に不満をもらしはじめた。
言うまでもなく会社は喜んだ。
チームが見つけたバグは、いずれも顧客には見つけられないものだった。
チームは大成功だった。
テスト班としてチームは成功したが、もっと重要なことは、社会組織としてチームが成功したことだ。
チームのメンバーは、仕事を通して外の人が羨むほどの快感を感じていた。
黒装束と誇張された行動は楽しみの一部であったが、その陰でもっと本質的な何かが動きはじめていた。
グループ内の不思議な作用は最終段階に達したのだ。
続いて何が起きるか p184
ここまでのところ、新プロジェクトは実質的には始まってはいないが、グループとしては最初の成功を収めたといえる。
成功が成功を生み、生産的な調和は、さらに高い生産的な調和を生み出す。
みんなで力を合わせて「こと」に当たった最初の体験で、有意義なチームに結束していく可能性がさらに高まった。
こう書くと、スパゲティディナーは、女性マネージャの作戦と思われるかもしれない。
しかし、実際には意図的にやったのではないだろうし、その場にいたら、仕向けられたとは思わなかっただろう。
その晩頭の中にあったのは何かと女性マネージャに聞くと、おそらく本心から「ディナー」と答えるはずだ。
生まれつきの管理者は、チームにとって何がよいことかについて、潜在意識的な勘を持っている。
この勘がプロジェクトを進める上での決定を左右する。
管理者は経験を通じて小さくて容易な成功を積み重ねていくのだ。
今、何が起ころうとしているかを知るには、管理者の手もとを注音深く見る必要がある。
誰が本当の責任者? p192
優秀な管理者は、時にはイチかバチかの勝負に出る。
特に部下に対して賭けをする。
だからといって、優れた管理者が、全く管理しないとか進むべき方向を示さないとか、自分で何も決めないといっているのではない。
実際はそんなことを、年がら年中やっているのだ。
ここでの提案は、こうした管理を、自然に備わった権威により実施せよ、ということだ。
職人の師匠と弟子の間には、自然の権威による結束がある。
すなわち師匠は仕事を熟知しているが、弟子は知らない。
この権威に従うことは、卑下することでもなく、ヤル気を失くさせることでもなく、同僚の職人との結束を不可能にすることでもない。
管理者が自己の不安から部下に服従を要求することは、自然の権威とは正反対である。
権威主義的なやり方は「管理者という別の階層の人間として私を認めなさい。
私は思考する階層に属し、下の者は私の決定を遂行するために雇われているだけだ」というものだ。
最良の組織では、いろいろな方面に働く自然の権威がある。
管理者は管理面では優れている。
基本方針を決め、交渉し、雇うことなどである。
管理者としての責務を遂行することで信頼を得る。
作業者は、特定の領域で専門的知識を持ち、その道ではみんなから自然の権威として信頼される。
このような裃を脱いだ雰囲気の中でこそ、チームの結束を固める機会が高まる。
p205
人間には「混乱」を親のかたきのように考える本性があるらしい。
ひとたび「混乱」に出会うと、腕まくりをして一気に「秩序」に変えてしまう。
人が作った「秩序」はいたるところにある。
家庭にも庭にも、髪をとかすときにも、街路を碁盤の目のように作るときにも…。
だが、「混乱」がなくなったら、もっと楽しく生きていけるのだろうか?
そんなことにでもなれば、退屈で、涙が出るほどだろう。
現代社会に残された「混乱」は、貴重な商品である。
それを大切に保存しなければならないし、今せっかく残っている混乱という商品を、
欲の深い少数の整理屋さんにとられないようにしなければならない。
ブレーンストーミング p212
ブレーンストーミングは、明確な構造を持つ対話形式の討論会で、特に創造的な洞察を目的としている。
これは、6人ぐらいに限定して、関連する問題に焦点を絞って討論する方法である。
司会する人が用いる討論のルールやその進め方のおかげで、ブレーンストーミングは、楽しくて、無秩序な経験をするよい機会となる。
本当に表彰もののアイデアが生まれることもある。
ルールはそんなに多くはない。
思考過程の中に、混乱を導入しようとするるのだからルールはあまり必要でない。
進行係は、みんなにアイデアの質を問うのではなく、
できるだけ多くのアイデアを出させることを印象付けるため、進行はルーズにし、おかしな話題も加える。
時には、とても公式の会議では言えないような明らかに馬鹿げた考えが、表彰もののアイデアに生まれ変わることもある。
ブレーンストーミングでは、どんなアイデアも批判してはいけない。
アイデアの評価は後の段階で行う。
「全く馬鹿げた考えだ」といった批判は控えさせる。
馬鹿げたアイデアの刺激を受けて、他の人が、素晴らしいアイデアを出すことがよくあるからだ。
起業家症候群 p216
最近、我々の仲間の多くが起業家として働いているというのは、別にホットニュースでもなんでもない。
彼らはフリーランサーとして、日割りか週割りで、プログラミングしたり、設計したり、時には管理する仕事に自分の時間を使う契約をしている。
このような自立している人々を会社に斡旋するのを専業としているところさえある。
きちんとした会社でも、組織に属さない人々と取り引きしているところがある。
もちろん、そんな会社は、フリーランサーと取り引きするより自分の会社で人材を雇いたいのだが、そんなことができるだろうか?
専門の分野は売り手市場である。
そんな会社は、揚句の果てに、小さな会社か、ファットシティスマート社とかいう会社と組んで仕事をすることになってしまう。
組んで一緒に仕事をする人たちの多くは、全くのところフワフワしている連中である。
したいときだけ仕事をし、あるプロジェクトが終われば、2 ~ 3カ月は休んでスキーに出かけたりする。
あぁ、何とプロらしくない人たちだろう。
大企業の経営者には、このような起業家現象はとても理解できない。
経営者からは、こうした起業家連中は、生意気扱いされるだけでなく、従業員に見せたくない恐ろしい見本として見られる。
彼らは、より多くの自由、より多くの休暇、より広い仕事の選択の幅を獲得し、しかもたっぷりと楽しみながら、たくさんの金を稼ぐからだ。