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「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」を読んだ

お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」を2025年07月21日に読んだ。

目次

メモ

糸井重里より、はじめに。 p3

どんな人でも、得意なことや不得意なことを、持っているでしょう?

「俺はアレをするのが得意だ」「私はこれをできる」……。

その得意なこと「だけ」を仕事にしていればいいという時代が、かつてはあったと思います。
持ち場の仕事を丁寧に一生懸命やってさえいれば、うまくいった時代。

でも、自分の仕事をきちんとやるためには、他の人と組んで何かをする仕組みをつくらないと、本当の意味での完成にはとどかせることのできない時期になってきたように思います。

逆にいえば、他の人とうまく組んでいく仕組みをつくらないと、いつのまにか自分の仕事がなくなってしまいかねない、そういう時代なのでしょう。

いつのまにか、ほとんどの人が、その時代にさらされている。

会社員の人も、職人さんも、もちろん商売をしている人も。

努力をして、コツコツやっていれば絶対に大丈夫、なんていうものがなくなってきて、「じゃあ、どうすればいいんだろう?」と、いろいろな人が少しずつ模索をはじめている時期だとぼくは思います。

そのことと、今回の対談をひきうけたいと思ったことは、重なってくるんです。

「今までのやりかただと、ダメかもしれない。でもそこで、人間やものごとを流通させて循環させて活性化させるには、いったいどうしたらいいのだろう?」

そこでまず、次の方法への模索として、いろいろな人が飛びついたのは、いわゆるマーケティング的な理論でした。
アメリカですでに研究されたマーケティングの考え方を日本流にアレンジしようという動きが、今でもあちこちで見られるように。

それさえすれば新しい時代についていけると思った人たちが、いつもの通りに、先に悩みを抱えたアメリカに、範を求めました。
株式上場をすることやMBAをとることや外資系の企業に行くようなことが、ここ数年はかなり流行しているように。

この流行は「ひとりで自分を磨いていけばいい」という原則がなくなって、別の方法をみんなが探している途中に見られる現象で、ぼくとしては、あくまで過渡期のものだと思っています。

つまり、アメリカの企業のやりかたを真似することは、ゴールではない。

アメリカだって、まだ悩んでいる。

MBAをとることや外資系企業に就職することで自分の不安を解消するかのような流行がだいぶ続いたけれども、その流行が一段落しそうになっている今、「俺はこんなに勉強したのに、何でうまくいかないんだろう?」

そう思っている人も、多いのではないでしょうか。

ある指標やある組織に自分を依存させて生きていくだけでは、もはやうまくいかないのかもしれない。
それを、カラダで実感できる時期になってきていると思います。

マーケティング的な方法は、「うまくいかないとしたら、これが足りないからですよ」と、あらゆる角度から教えてくれているように見えるんだけど……。

ところがそれは、まるで「理論のクスリ漬け」のようなものだと思います。

「このクスリが効かなかったら、これを使うといいです」

「新しいクスリができました。今度こそよくなりますよ」

クスリ漬けの生活の中で、「そのときどきにいちばん効くらしいクスリ」を手に入れて、ほんの短い時間だけ「うまくいっている」と感じていても、気持ちが悪い。

ただ、目先の情報に振りまわされるだけだから。

男の子と女の子とでは、お金の教育が違ってきます p30


私、男の子と女の子とでは、お金の接しかたを分けているんですよ。

糸井
あらま。
それは聞かなきゃ。


女の子には、あんまり不自由させるとダメなんです。

糸井
おおお……。


男の子はどんなに不自由しても、何とかやっていけるけど、女の子にひもじい思いをさせると、何ていうか……気持ちがいじけて。

糸井
女の子のほうがいじけやすいですか?


ひもじい思いをした女の子は、お金持ちのうちにお嫁に行ったら、気が変わってしまうのではないでしょうか。
だからぼくは自分で考えた結果、息子には月に三万円しかあげなかったときに、娘には一五万円あげていたんですよ。

糸井
五倍!


娘には「弟たちにいくらもらっているかをいっちゃいかん」と告げておきました。
もしいうと、「何で男と女を差別するの?ぼくもお姉ちゃんも、自分の家でごはんを食べているのだから、おこづかいは同じなはずでしょう?」と息子たちが主張するだろうからです。
だけど、私が女の子にそういう具合にしているのにはわけがあります。
私の友だちで、東南アジアの金持ちの華僑がいるでしょう?
そういう家の息子が嫁さんもらうとき、お金に不自由しなかったうちからきたお嫁さんは、欲張らないからいい、というんです。
「このうちの財産が欲しい」とか、そういうことは考えないですよね。
ところが、貧乏な家から出てきて、さんざんな目に遭ってからお金持ちの家にくると「ぜいたくができる」と思って、少し気がおかしくなります。
そうすると、その家の人からも警戒されるし、イヤがられるし、「やっぱり、生まれが悪いから、品がない」とかいわれたりするんですよ。
結局その家の家産をどういう具合に動かすかというようなことを、そういう娘さんには任せられなくなっちゃう。
だったら、うちの娘には、家でイヤな思いをしないで、のびやかに育ってもらって、よそのうちに行っても人の家のお金を欲しがらないようになるほうが、いいのではないかと思ったんです。
でも「そんなにぜいたくな娘を持ったら、将来お嫁に行った先の旦那が、困るんじゃないですか?」と知りあいにはいわれるんですよ。
「まあ、そんなことは旦那のほうが考えることなんだから、ぼくと関係ないよ」っていってるんですけど。

子どもにはぜいたくを教えるべきです p34


自分の考えた通りに子どもの教育に成功したわけではないですが、たいていの親が「節約をすること」ばかり教えてしまうのは、とてもよくないと思っています。
むしろぜいたくを教えるべきだと考えるんです。
例えば、子どもを「吉兆」というようないい料理屋に連れていく人は、あんまりいないですよね。
そういうところは、大人が接待で行く場所だとされていますから。
でも、ぼくは連れていきました。
それから、世界でいちばん高いホテルとかにも連れていきました。
だから、「これがいちばん高い飯を食わせるところ」というような場所は、子どもが大学を出るまでの間に、ひと通り、だいたいぜんぶ終わらせておきました。

糸井
おお。


うちの子どもが辻静雄さんの『ヨーロッパ一等旅行』という本を読んで、その中に、ロンドンのクラリッジ・ホテルのことを、「湯水のごとくお金を使いたい人は、このホテルへ泊まればいい」と紹介してあったんですよ。
うちの息子は、それを見て、「パパ、いっぺん、湯水のごとくお金を使ってみるのは、どうでしょうか?」っていった(笑)。
「じゃあ、そうしようか」って泊まりに行きました。
エレベーターに乗ったら、ボーイにチップを払いなさいと書いてあったので子どもたちは一回一回、エレベーターで上にあがるのに、一ポンド払うんです。
当時四五〇円ですよ?
うちの子どもたちが部屋に帰って、また出てくると、ボーイさんが替わっているのです。
そのつど別のエレベーターボーイに四五〇円を払ってヒアッと悲鳴をあげていました。
子どもを連れていって三日間泊まったら、昼食夕食は外で食べましたから、素泊まりで五〇万円くらいだったかなあ?
当時としたら、まあ、高い金だったでしょうね。
子どもたちは、ぼくが、五〇万円も払っている姿を見て、「胸が痛いねえ……」っていうんですよ(笑)。

糸井
はははは(笑)。


でも、その代わり「これだけぜいたくしたら、もうホワイトハウスなんかに招かれたとしても、ぜんぜんびびらないよね」といってました。

糸井
それは、お子さんがおいくつぐらいのときですか?


子どもたちが、みな大学の一年とか二年ぐらいですね。

糸井
思春期の頃に、ぜいたくさせたんですね。

「包丁一本」じゃ苦しいですよね p44

糸井
ぼくは、両国の江戸東京博物館に行ったことがあって、そこで東京の地層が断面図で出ているのを見たことがあります。
そのときに、すごく面白いなあと思ったのは、地層を見ると大火事の跡が三つはっきりと出ていることなんです。
三回も丸焼けになっているわけです。
まあ、当時の町人の長屋というのは、それこそ今の建物からしたらバラックも同然でしょうから、焼けてもいいようなデカいカバンの中に住んでいたみたいなもんだったでしょうけど……。
「焼けてなくなっちゃうことがありうるという前提から、江戸っ子気質が出てきた」という説が、その地層を博物館で見ていると、よーくわかったんですよ。
どうせもともとは江戸も、田舎から出てきた人たちが何にもなかったところにつくった都市で、お金や経済については何もわからなかった人たちが、職人として腕を頼りにして暮らしてきた土地です。
当然、職人気質なわけだから、お金がどういうものかというのも、わかってはいない。
そもそも、貯めといてもパーになった経験が何度もあるから、焼けちゃう前提で生きていたわけでしょう?
だとしたら、初鰹を買っちゃうのもそれは当たり前で、決して享楽的だからそうなったんじゃないんですよね。
そうやってお金を使いきるというかたちでの江戸っ子文化は、火事が起きてしまう背景から、当たり前のように生まれたんだろうなあ。
お金を管理する側にまわる為政者たちはお金について教育も受けて勉強していただろうけれども、江戸以後でさえも、庶民階級ではお金の教育をする必要もなかったし、別に貯まりもしなかったから、お金について学ぶチャンスもなかった……。
だとしたら、やっぱり昔の、いっけん享楽的に見える江戸っ子文化みたいなものに自分のアイデンティティーを見出して、宵越しの金は持たないといいたくもなってくるわけで。
そういうところで、どうも自分も四十八歳ぐらいまでは生きてきちゃったような気がしてるんです。
お金がどうせ消えてしまう社会なら、その代わりに頼りになるものは……腕ですよね。
で、「俺にはこの腕さえあれば、『包丁一本、サラシに巻いて』で、どこでも飯を食っていける」という立場になれるようにがんばるとか……。
でも、それは経済から外れているんです。
ただ経済を文化に転換させて自分のお金のことをとらえているものだから、やっぱり、そこではお金そのものについてきちんとわかっていることにはならないわけで……。
ぼく自身に関しても、そんな江戸時代からの職人のような気持ちで生きてきたわけです。
こんな現代の今の自分にもそういうことが起きていたのだと思うと、ちょっとその「お金を考えられない日本の伝統」を感じてゾッとしたと同時に、「ああ、みんなもまだ考えられないんだ」と思ったという、ぼくにはけっこう面白い発見でもあったんです。


江戸時代からの日本は、破壊があって建設がある、という歴史のくりかえしですからね。
しばらく破壊がない状態が続くと、今みたいにおかしくなっちゃうというか。

糸井
そうです。
破壊のない状態に、慣れていなかったわけです。
だから戦後は「お金を貯める」とか「お金を動かす」ということについて、付け焼き刃で考えざるをえなくなってしまったようなんですよね。
バブルのときなんて、神田あたりの中心部に住んでいた人たちが、自分は大金持ちになっちゃうかもしれないとか思いながら、狭い土地を守っていたり……。
あれはあれで、辛かっただろうとも察します。
今までにないいさかいも起きただろうし。
あれはあれで、新しいことだったから辛かったのでしょうね。

p48


お金を増やすにはどうするかというと、使わなければ自然に貯まりますよ。
この原則は変わりようがないでしょう。
二宮尊徳という人は、まわりの人があんまりむちゃくちゃにお金を使うから、そのアンチテーゼとして、成り立っているのでしょう。
「一〇万石だって、一粒ずつのおコメが集まって一〇万石になるんだから、一粒でもむだにしてはいけない」と戒めています。
でもたいていの日本人は道端に一〇円おちていても拾いませんものね。
小さなお金でもバカにしないところから蓄財ははじまると思うんです。
現に今でも、私は一円でも拾います。

p52

糸井
そこでその人がお金持ちになったことの説明は、「運」という言葉を入れないと、できないわけですね。
「運」という言葉を、どうしてみんなが使わなくなったかというと、やっぱり不平等の典型だからでしょう。
つまり、「美人」っていういいかたすらもしてはいけないようなものです。
「美人」といった瞬間に「ブス」の存在も出してしまうからいけない、みたいな……。
でも、そうやって「運」という言葉を使わないようにしているうちに、あたかも、人間がみんな同じようなもので、運も均等になっているみたいに、社会全体が幻想のように思いこんでいるフシがありますよね。
特に新聞をはじめとするメディアの記事が、一切不平等のないという前提で、読者がみんな同じ状態で読むことが、まるでおかしくないかのように書いてある……。

株式上場をするほど落ちぶれていないです p58


ぼくは今でも自分がお金をたくさん持っているとは思っていません。
個人で使うためなら少しの金でも足りるけれども、仕事をやるとなったら、いくらお金があっても足りないんですから。
それに、ぼくの場合は、お金を人に頼らないから。
株式の公開をしろとかいうことがあっても、ぼくはそんなのはイヤなんです。

糸井
上場、しないでこられましたよね?


今日も本読んでたら、「株の公開をするほど落ちぶれてはいない」とあるドイツ人がいったという一節を読みました。
「上場するというのは、会社の身売りをすることだから」。
ぼくも自分のしていることについていちいち人に釈明するのがイヤなんですね。

事業って作品のようなものなんでしょうねえ p59

糸井
確かに、上場をすると、守りの仕事もとても増えますよね。


自分がひとりでやっていたときの逆を、ぜんぶやらなきゃいけなくなるんですよ。
個人営業に毛の生えた企業なら利益を出すな、お金を使えと税理士の先生にアドバイスされていたのが、冒険はするな、節約をして利益をあげろ、と何から何まで逆になるんですから。

今は人が欲しいからお金がいるんです p62

糸井
ぼくは今、自分がものすごく大きなお金が欲しいかどうか、本当のところはよくわからないのですけど……でもまあ、基本的には、お金が欲しくない人はいませんよね?


それはないでしょうね。

糸井
で、そこの「お金が欲しい」という気持ちは大事だと思うんですけども、ただ、お金を得たときにやることがわからないのに欲しがっていてもしょうがないんじゃないかと、ぼくは思うんです。
つまり、旅行に行きたいからってバイトをする若い子がいたら、それはとっても気持ちのいい話ですけども、でも、さんざん貯めておいてから、「あれ?俺は何がしたいんだっけ?あ、旅行があるのかあ」というのは、やっぱりなんか面白くないというか、やなやつですよね。
今ぼくがいちばん欲しいものは何かというと、単純にいえば「人」なんです。
人間って、ものすごく値段が高いじゃないですか。


そうですね。

糸井
ものすごいたくさんのお金がないと、本当に信頼のできる能力のある人たちなんて、集められないですよね。
でも、信頼できて能力もある人が欲しいと思うに値する「やりたいこと」が、最近できてきたんです。
ぼくのやりかたとしては「コイツの給料の分だけは、まず稼ぐ場をつくろう」とか思っていったらいいのかなあ、と思っています。
お金を得るよりも、大事な人を見つけるのが先なんじゃないかなあ。
工業製品的な考えかただと、箱をつくれば人が集まるという幻想があるから、立派な社屋を建てたり素敵なロケーションを求めたりしがちですよね。
そうすることによって人が集まっているふりをしています。
けれども、それで確かに人が集まることは集まりますが、能力のある人は、そういうことでは集まってこないですよね。
やっぱり、能力のある人にとって何が楽しいかといえば、理解しあえる仲間がいて、その人たちと同じ欲望を持てて、しかもその欲望が、麻雀をしているかのように気持ちがよくて、というのがいちばんの動機になるわけですから。
そういう人に払いたいからお金を欲しい、というところでなら、ぼくは本気でお金を欲しがれるんだけど、そういう欲しがりかたをしている人って、そんなにいないんですよね。
上場でお金を手にいれる、というように逆転していますから。

事業は果樹園のようで、収穫するまでに時間がかかります p66


事業というのは果樹園のようなもので、植えてから実がなるまで、収穫をするまでにかなりの時間がかかるんですよね。
おコメだったら三か月後にとれるけれども。

糸井
そこのところ、コメではなくて果樹なんですね。
なるほど!
おコメみたいに一年もかからずにはとれないのかあ……。
実がならないような何年かが、必ずあるんですか?


桃栗だって三年でしょう。
でも事業はもっと時間がかかります。
ですから、今、事業をはじめたとしても、ぼくなら、もう、自分が収穫をするまで生きていないのですよ。
種まきをしても、実がなったときにはもうこちらはいないということが起こるんです。
それでもやるのは、一緒にやってくれたやつが収穫をすればいいと思っているからです。

糸井
うーん、なるほど。
果樹園かあ。
だから邱さんは、自分だけがわかる先端を突っ走らないで、少しスピードをゆるめても若い人たちに理解されることを選んでいるのでしょうね。
それに気づくことも、やはり若い頃にはできなかったでしょう?


年輪というんでしょうね。

学校中退じゃないと、出世できないですよ p76


この前ね、船井電機の社長と話をしてたら、「これからは、学校中退でないと出世できないよ」というんです。

糸井
わかるなあ。


ビル・ゲイツだってそうじゃないかって。

糸井
ちなみにぼくもそうなんですけど。
でも、中退って、いっけんそのときに親の目から見たら、やっぱりハンディですよね。
何で好きこのんでそんなことをするんだとはいわれるでしょうけど、でも、ぼくの場合は面白かったです。
そうやって、ハンディキャップがあることのほうが。


みんなお金が欲しいというけど、でもお金よりは、面白いと感じることがいちばん大切だと思います。
麻雀の好きな人を見ていると、徹夜してやっていますものね。

糸井
あれ労働だとしたら、大変なものですよね。
……っていうことは、麻雀なみに面白い仕事ならば、いくらでも楽しくいられるということですよね。
ですから、自分にとって面白い仕事は何かを発見することが第一ですね。
ただ二十歳やそこらで発見できるわけがないのだから、いろんな経験を積む必要がありますね。

糸井
やっぱり、テストをくりかえせる時期にやっておいたほうがいい?


やりたいことを本当に真剣に考える時期は……ぼくが観察をしていると、二十七歳ですね。
それまではだいたいがダメなんです。

糸井
ダメですか。


ちゃんと勤めていても、二十七歳くらいまでは、学生気分が抜けません。

糸井
そういわれると、そんな気もちょっとする。


二十七歳ぐらいになると、結婚している人も結婚していない人もいろいろなことを考える。

糸井
つまり、大人になるのが、二十七歳なんだ?


経済的な乳離れは遅くなりましたものね。

四十八歳くらいまでやりたいことがわからなかった p78

糸井
そうなると、成人式を変えたほうがいいのかなあ。
昔の基準でいうと、二十歳ぐらいが、大人になるときだったけども、こうやって全体的に豊かになって、学生でいられる豊かさが一般的になると、大人になるのが遅れるのでしょうね。


昔は五十歳で死にましたもんね。
夏目漱石なんか、四十数歳で文豪といわれています。
今では、六十代のやつに「文豪」といっても、みんなに笑われちゃいます。

糸井
夏目漱石って、あの一〇〇〇円札のお札の写真の頃の年齢が四十二歳なんですよ。
あんな四十二歳は、今、いないよねえ。


もちろん今でも本当に早い人は、大学も行かないで自分の道を歩みはじめるけど、それでも本当に真剣になって、これから自分が何をするつもりなのかを考えるのは二十七歳くらいでしょう。
実際には、二十七歳になっても、まだ何をやったらいいのかをわからない人のほうが多いでしょうけど。

糸井
ぼくは本当に、つい最近になるまでわからなかったです。
ずっと、わかっているような顔はしていましたけれど、今思えば、わからなくて当然ですよね?
それまでは、人に何かを頼まれて、自分がそのお役に立つこと自体がとてもうれしかったから、お役に立ち続けてさえいれば、あまり自分のやりたいことなんて考えなくてもすんできたんです。
人の役に立つようなことをしながらも、もうひとつ別の頭で学生気分的なことを考えていれば、自分では生きているつもりになれていました。
やりたいこととやることが重なるのって、ぼくの場合は本当に「あ、人生にはうしろがあるんだな。おわり半分にきているんだな」と意識してからのことでした。

人を採用するのは、怖いです p86

糸井
でも、かといって、血気盛んに「土下座してでも泥水すすってもついていきます」と述べるやつは信用できないと思う気持ちも、ありますよね?


あまり期待されると、その反動がきますからね。

糸井
そのへんが、人を採用するときには怖いですよね。
そういう見極めみたいなものって、あるんですか?


ぼくは、面接をひとりにつき一時間半かけているんです。

糸井
はあ。


一〇〇人も応募があったけれども、そんなにたくさんの人は面接できないですよ。

糸井
結局、ひとつの募集で何人の面接をなさったのですか?


一〇人くらいだったかなあ?
でも、その人たちは何もぼくのところで働かなくてもいいんですよ。
そういう人たちに合った仕事を、別のところに世話してあげられれば、それでいいと思っています。
例えば、ユニクロでも無印良品でも、経営者がみんな、「これから将来外国で仕事をすすめるためのスタッフを必要としているのに、人材に困っている」という話をぼくにするし、面接にきた人は、外国で働きたいけどチャンスがないという。
そこをぼくがとりもつくらいのことはできます。

糸井
そういうのって、邱さん、仕事じゃないですよね?


広東語で「ひよこの仲人」というんです。
ブローカーでもお金にならないブローカーです。

糸井
邱さんに対して、いつも思うことがあるんですけど……。
本を出すことって収入としてたかが知れているから、本を書いて稼いでいるわけでもないし、そのブローカー業も、「職業」じゃなくて、でも趣味でもないし……。
こんなにお金のことをたくさん考えているかたが、お金を無視してる行動を、たくさんとってらっしゃいますよね?


面白ければいいんですよ。

邱さんのご両親はどんな人でしたか? p111

糸井
ご両親の育て方みたいなのが、こういう人をつくったのかなあ?
……ぼく、邱さんという人物の「発生」にものすごい興味があるんですよね。
邱さんがこうなられてきているのは、ご自分でなんですか?
それとも……。


ぼくは、父親が台湾の人で母親が福岡の人で。
うちのオヤジは台湾の人ですから、日本の学問を受けてないですよ。
うちのおふくろは、大正時代に専門学校を出てます。
女学校を出て、その上をまたやってます。
だから兄弟姉妹揃って日本の大学にやらされたりしたのは、おふくろの影響ですね。
オヤジのほうは、商業学校でも卒業して早く自分の手伝いをしてくれたほうがいいと思っていたのに。
学校の先生に「お前は台北高等学校の尋常科に行け」といわれたんです。
そうすると大学まで行かなきゃいけなくなるわけですから、オヤジはものすごく悲観してました。

糸井
「人手が足りないのに、あいつは大学まで行くか」って(笑)。


大学に行くとなると、家業などなかなか手伝いをしてもらえなくなります。
結局は何にも手伝わないことになってしまいました……。
オヤジの仕事なんか、できないですよね。

糸井
邱さんは、お金のことをしゃべっていても、何というか…キレイじゃないですか。
汚いことをしゃべっている気がしないです。
そのへんの律というか道徳というか倫理というか、そういうものの土台は、やっぱりご両親からなのですか?


母親でしょうね。
「人間は、懐にお金がいくら入っているか、わかるような生活をするな」と、子どものときから母親にいわれて育ちましたもんね。
その頃、ぼくらの生まれた町にきている日本の人たちは、だいたいサラリーマンでしたから、購買部というところからツケでものを買っていました。
月給日になったらその代金を払うという生活をしていました。
ところが、うちのおふくろなんかは、使うものを一年分、正月の大売り出しのときに現金でぜんぶ買っちゃっていました。
月給日が近づいたらカレーライスとそばだけにして、月給もらった途端に大酒飲むような財布の底まで見える生活をするなとよくいわれました。
月給日が近づこうがそうでなかろうが、ぜんぶ同じ生活というようにしないといけないという考え方は、今に至るまで実行しています。

糸井
おお!
すでにそのお母さんに、そういう「一年分」みたいなアイデアが。

やっぱり、「ひながた」はあるんだなあ p113


うちのおふくろにいわせると、「人間、お金儲けはいつでもできる。だけど教育は一定の年齢しかできない。
だから教育を受けられるときにお前たちのために、お金を払ってあげる。
ただ、自分たちとしてできることはそこまでであって、それから後に、自分でどうやってお金持ちになるのか、出世するのか、どうするのか、というようなことは、自分で考えることだ」というんです。

糸井
それはやっぱりそうとうな影響だったですよね?


台北の高等学校へ行ってたときの一か月分の下宿代は、食料費も入れて二一円でした。
それで、他の人たちはだいたい三〇円ぐらい仕送りしてもらっていました。
だけどぼくだけ一〇〇円でしたからね。
その代わり次の月は送ってこない。
お金がなくなりそうになって、家に手紙を書くと、また一〇〇円送ってきてくれるんです。
寮の掲示板に誰にいくら送ってきたか書き出されましたから、ぼくの家なんか大金持ちに見えたんですね。

糸井
なるほど、すでにもう、そういう教育を受けてたんですね。


人間は懐にいくら金が入ってるかが見えたらいけないというのは、おふくろの教えだったんです。

糸井
自分にも見えないくらいでないといけないということなんだ。
お母さんの存在は、はじめて聞きましたよ。
聞いていると、母型というか「ひながた」のようなものって、やはり、まったく空中から出てくるもんじゃないんだなあということを、つくづく思います。
知られる最近、ロックスターの矢沢永吉と長く話したんですけど、彼のしゃべっている内容は、邱さんのおっしゃることとそっくりなんですよね。
彼はそれこそ本当に貧しい生い立ちですが、今は三十数億円の損をするようなだまされかたをしたところまで登りつめまして……。
自覚を持った大人として生きて、ぶつかっては迂回して曲がり、険しいところを登ってきた人というのは、やはり似るなあと思います。
彼は本当に貧乏な家の子として生まれて、両親とも早くに死んじゃったので、おばあちゃんに育てられたんです。
親戚が一応あって、「うちにくればいいじゃない?」といってくれる人がいたらしいんだけれど、彼とおばあちゃんはそこには行かなかった。
「そこに一週間もいたら、どんなに親切な人でも、変わってくる。
永吉のことを粗末にしようと思わなくても自然にだんだんと粗末に扱うようにもなるし、お菓子ひとつ分けるときにでも、自分の子どもと永吉がいたら、何かを考えるもんだから……」
そういうようなことを、おばあちゃんが彼にきちんといって、幸い永ちゃんの父親の残した小さな自転車屋があったから、そこに住むことにしたらしいんです。
おばあちゃんは、市役所か何かの草刈りのバイトをして、月にいくらかずつ稼いでいた。
「ばあちゃんひとりで、これでお前を育てることにした。
人に気をつかうぐらいだったら、お金が少なくても、こんなに楽しいことはないんだよ。
人の世話になって、もしかしたら自分が嫌われているかもしれないとか、追い出されるかもしれないとか思いながら生活するよりも、ずっといいんだよ」
ちっちゃい永ちゃんに、おばあちゃんはそういったんだそうです。
ときにはストレス解消のために飲み屋に行っているおばあちゃんを迎えにいって、小学生の永ちゃんが、おぶって家に連れて帰ったりしていたんですよ。
「あれがあったから、今の自分があるんだ」
永ちゃんがそういっているのも、やっぱり、自分ひとりで得たものというだけじゃない気がしました。
そのおばあちゃんがいなかったら、きっと、世話のなり方とかを覚えちゃっただろうから。
そこのところで、邱さんのお母さんのお話と、妙にリンクしましたね。

お金をたくさん持つと苦労が多いです p117


そういう話は、身内の中でも起こるんですよ。
中国の言葉に「遠くにいる息子よりも、手元にあるお金」というのがあります。
また「長患いに親孝行息子はいない」というのもあります。
どんなに親孝行の息子だとしても、おふくろさんやオヤジさんがいつまでも寝こんでいると、そのうちにだんだん粗末に扱うようになっちゃうんですね。

糸井
それが人間のもろさだし、弱さですよねえ。


ぼくがずっと「呆けないうちに死んだほうがいい」と自分に対していい続けているのはそのためなんです。
ぼくには字の趣味があって、自分の気に入った文句を中国の有名な書家に書いてもらいます。
この前さしあげた「林深則鳥棲」というのもそうですが、荘子に「富則多事、寿則多辱」というのがあります。
「金持ちになるとトラブルが多い、年をとると恥が多い」という意味ですが、私にとっては両方とも身につまされる話ですね。
金持ちになれたらいいなあと思うのは、間違いなんですよ。
お金持ちになると、人が自分の金をとりにくるんじゃないか、狙われるんじゃないか、だまされるんじゃないか、と思わされるし、それに、お金が多いことから起こるトラブルは、実際に山ほどありますからね。
だからお金のある人は、そんなに幸せではないんです。

糸井
その話を金が「欲しいな」と思ってるときにされても、みんな、聞きゃあしないでしょうね(笑)。


(笑)
これは実際に体験した人でないと頷いてくれませんよ。
いっぺん金持ちになったらわかるし、いっぺん年とってみりゃわかることって、あるんですよね。
その経験をしたことのない人にその話をしたってしょうがないでしょうけど。

糸井
ははは。


「寿則多辱」を書家に書いてもらって北京にぼくがとりに行ったら、ギャラリーにきていた人がそれを見て、首を横に振って帰っていったそうですよ。
「何でこんなことをわざわざ書かせるか」といって。
みんなふつうは「長く生きるようにしよう」とか、そういう風潮の中でわざわざ」「長く生きたらろくなことはない」って書いてあるから(笑)。

奥さんとどうお知りあいになったのですか? p136


今だったら、夫婦であるより、パートナーであるほうが強いと思いますね。

糸井
ひとりひとりが独立した人格を持っていて、それがリンクするというようなパートナーだと、インターネット的ですよね。
以前のような、もっと依存関係がはっきりしていたときのような、依存を前提にしてできた結婚生活みたいなものが、壊れているのでしょう。
でも、今若いやつらって、結婚をしなくなっていますよね。
自分に相性のいい人を見つける方法ってないんでしょうかねえ?
ええっと……これプライバシーですけど、
邱さん、奥さんとどうやってお知りあいになられたんですか?


ぼくね、香港に亡命して逃げて行って、人の家に居候してたんですよ。
そこのうちの隣の娘です。

糸井
(笑)
逃げてるときの隣の人!?


ぼくが人の家に居候をしていて、それからちょっとお金儲けして、少し金があるようになって高級アパートに引越してから前の家の隣のうちに連れていかれて、知りあいになりました。
当時香港には何でもものはありましたから、お金を持っていなかったぼくは、何でも自分でやっていたんですよ。
お金がなくて、ヒマだけありましたから自分で編みものをしてました。

糸井
邱さんが編みもの?


自分のセーターもスカーフも、ぜんぶ自分で編んだんです。
居候していた家には犬が五匹いました。
犬を散歩させなきゃいけないでしょう?
同じように居候してたやつがいて、そいつもやっぱり台湾から亡命してその家に転がりこんでいましたから、犬を連れて歩く係になっていましたよ。
ぼくは犬が嫌いだからダメだったんです。
世の中には犬の好きな人と嫌いな人がいて、別に理由はないんだけど、ぼくは犬が嫌いで連れて歩けなかったんです。
居候していた家のアメリカ人の奥さんに毛糸の編みかたを教わって自分で編んでいたんです。

隣の家はクレオパトラの屋敷のようでした p138

隣の家に娘が五人いたので、そこの娘を紹介してあげましょうと、人に連れられて行ったんです。
隣の家では、「隣にいた男の人って、犬を連れて歩いていた人のことですか?」と聞いたそうです。
「いや、そうじゃない。毛糸を編んでいたほうだ」
「毛糸編んでた人は会ったことない。犬を連れている人だったらいらない」

糸井
邱さん、当時は「毛糸編んでたほう」だったんだ(笑)。


犬を連れて歩いているやつは隣の娘を何回も見ているから、ぼくに、
「隣の家の娘って、何番目に会うんだ」
「三番目みたいだよ」
「三番目よりは、四番目のほうが美人だよ」
でも四番目のほうはもうボーイフレンドがいるっていうことで……。
うちのカミさんの家は、日本でいうと武田薬品みたいな家なんですよ。
今でも咳の薬で全国的に名を知られています。
私が連れていかれたときでもお手伝いさんが六人いてねえ。
まだこんな冷房のないときだったから、飯を食うときには、お手伝いさんが後ろにいて、ふわあって、うちわであおぐんです。
はじめて行ったぼくにとっては、何だかクレオパトラの家に招待されたみたいで、落ち着いて相手ができませんでした。

糸井
編みものをしてた人には、そう思えますよねえ。


ぼくらはよそ者だから、土地の人たちに受け入れられるのは、なかなか難しいんだけど、まあうちのカミさんの家は、けっこう開放的でしたから……。
ピクニックに行ったりすると、蓄音機をまわしてそこでレコードを鳴らして、息子や娘の友だちみんなで踊っているというような……。
もう半世紀も前のことですよ。
日本や台湾ではそんなものはなかったけれども、イギリスの影響下だから、ヨーロッパのやりかたとかをけっこう受け入れていたんですね。
もしぼくが台湾で政府に反旗をひるがえして亡命をしていなかったら、そんなところにいるわけがないなと不思議な気がしました。
いつもよく書くことだけれども「人間には、どんな運命が待っているかわからない」というのはほんとですよね。

邱さん、あのう、さっきの奥さんの話…… p140


ぼくは何ていうか、いつも不平等とか差別待遇とか、そういうものがある世の中に生きていたから、差別待遇のないところへ行って住みたいと思っていました。
おそらく魔の都といわれた上海がいいんじゃないかとひそかにあこがれました。
あそこなら租界であって、世界中の流れ者が集まるところでしょう?
大学出たらあそこに行こうかとひそかに考えていました。
「上海」って言葉は、英語でどういう意味か、わかりますか?
誘拐することを「上海する」というんですよ。
船で上海に着くと、船員がてんでに逃げ出しちゃうんですよね。
すると船で働くやつがいなくなっちゃうから、船長がそのへんで若者をつかまえて、バーに連れていってぐでんぐでんになるまで酔わせるんです。
その酔っぱらったやつを船の中に連れこんで、そのまま船出してしまう。
それを「上海する」って呼んだんです……。
そういう町にいて暮らせば市井にかくれて目立たないで暮らせるんじゃないかと思ったんです。
実際にはその思い通りには、何ひとつ、ならなかったんだけど。

糸井
香港にとどまったんだ。


だけど、上海を舞台に、小説は書きました。

糸井
……邱さん、あのう、さっきの奥さんの話、隣の家に招待されたところまでで終わっているんですけど……。
やっぱり何人も娘さんがいらっしゃったのだから、仲良くなる方法もあったでしょうし。


それはねえ……。
四番目は美人で女優になれといわれていて。

糸井
三、四が候補だったんですか?


あと、五は、まだ小さかったから。
家内の家には、独特の娘の育てかたというのがありました。
「どうせ嫁に行ったら苦労するから、家にいる間は、勝手にやらせろ」という子どもの育てかたと、「嫁に行ったら苦労するんだから、その苦労に耐えられるように、娘のときから鍛えておけ」という家と、だいたい二つあるわけですよ。
カミさんの家は、「家にいる間は勝手放題にさせる」という家風でしたから、もう、昼まで寝てるし、台所に入ったこともないし。
飯の炊きかたもわからなかった。

糸井
今、料理をなさっていますよね。


料理というのは舌で覚えるもので、腕で覚えるものじゃないんですね。
おいしい味を舌で覚えているから、すぐに上手になるんですね。
食べてみて、まずかったら食べられるまで直すから。
そういう家に育つと、カミさんも自分の娘に対して同じ育てかたをするんですね。
うちの娘も、ガスのつけかたも知りませんでしたが、嫁に行くとやっぱりあっという間に料理は上手になりましたよ。

あるとき、突然ぼくは大金持ちになったんです p142

糸井
ええと、じゃあ、奥様とは、だんだん親しくなって、自然に結婚されたということですね?
でも、もともとは、邱さんはある種の居候だったし、亡命者だったし、そういうハンディキャップを抱えていて……。


それがね、あるとき、突然金持ちになったんです。

糸井
え?
まさか!


香港に行ったときには、言葉も通じませんでした。
香港の言葉は広東語、台湾の言葉は福建語ですからチンプンカンプンです。
ポケットにも二〇〇〇ドルしか持ってなかったから。
最初は、これからどうやって暮らしていくのか?と心配していました。
友だちもいない。
東大出たのが役に立たない……。
香港で役に立つようなことは何も持っていなかったんです。
今まで身につけたと思っていたことも、何一つ役に立ちませんでした。
その頃、人の家に居候していたら、闇の船に乗って日本からものを買いにきていた台湾の人が訪ねてきました。
当時、ペニシリンやストレプトマイシンやサッカリンは日本で、香港の一〇倍もしていました。
金ののべ棒だとか米ドルだとかを腹巻の中にもぐりこませて、香港にくると、それを香港ドルに換えて今度はペニシリンやサッカリンを買って石油缶の中に詰めて、ハンダ付けをして、その上に表からまたゴムの袋にくるんで密輸していたんです。
日本に行く船は、まだ石炭を焚いていた時代でしたから、船員と結託して、そういう香港からの商品を船の中に積んで、その上から石炭をかぶせて隠しておきます。
横浜や神戸につく頃になったら、石炭の山の中からその荷物を取り出して、港ではMP(アメリカ陸軍の憲兵)を買収して、見て見ぬふりをしているうちに岸壁からおろして外へ運び出します。

糸井
荒っぽい時代ですね。


どうしても話がつかなかったときは、海の中に投げます。
ゴム袋でプカプカ浮いていますからそれを船に拾い上げるんです。
京都から仕入れにきたその人を連れて、ぼくも広東語が片言しかできなかったのですけれど、その人よりはましだったから、一緒に買い物をしに行きました。
共すると、その人は日本に帰る前に毛糸だとか服地だとかを買いこんで、ぼくに、「すまないけれども、これを郵便で送ってくれないか?」というんです。
「何のためにですか?」と聞くと、「日本ではこういうものは倍以上の値段がして、なかなか手に入らないのです」
「どうして郵便で送れるのですか?」
「占領軍は、外国の親戚たちが日本人を救済するために、そういうものを送ることを、一定量だけ許容しているんです」
それを聞いた途端に、だったら何もあぶない思いをして密輸なんかしなくてもいいのじゃないか。
一包が一万円くらいの小包をつくって日本で二万円に売れるのなら、日本の友人たちの住所を使って、ここから郵便で送ればいい。
そう思って実際に月に一〇〇個送ったら、毎月、一〇〇万円儲かりました。
赤坂の土地が、一坪一〇〇〇円だったときのことですよ。

糸井
すごい!
面白いなあ。
それ、まるで小説ですね。


突然、“風と共に去りぬ”のレット・バトラーになったような気分ですよ。

糸井
さっきまでジミに編みものしてた人が(笑)。


編みもの編んでいた家で小包をつくったんですから。

糸井
思えば、その大儲けのきっかけも、ただ単に「何で郵便で送るの?」とたずねた質問のせいですよね?


ちょっとしたひらめきで人生は変わるんです。

糸井
面白いなあ。
居候でありながら、月に一〇〇万円の人になっちゃった。

鯉に餌やるみたいですね p146


香港に台湾から亡命していた連中の中でも、ぼくがいちばん出色だったわけでもないのに、お金が入れば、世間の扱いはガラッと変わるものですね。

糸井
「金ってすごいな」と思ったのですか?


同じ居候たちを連れて、一緒にナイトクラブに行くんですよ。
ダンサーたちがみんな出てきて、一生懸命お客にお世辞をいうでしょう?

糸井
チヤホヤしてくれる。


ぼくはそんなにカッコがいいほうじゃないし、ダンサー連中とうまく話をしたりしないほうだから、黙って坐っていることが多いんです。
ひとり、取り残されてお酒を飲んだりしていただけでした。
ところが、お勘定といったときに、ぼくがポケットからおもむろに財布を出したら、ぜんぶのダンサーがいっせいにそばに寄ってくるんですよ。
もう、ダンサーはまわりのやつを誰も相手にしなくなった(笑)。

糸井
鯉に餌やったみたいですね(笑)。


それまではお金がなくて困っていたから、欲しいなあと思ったものも買えないで、毛糸を編むくらいしかできなかったけれども、車を買えるようになったし、香港でいちばんのイギリス人の洋服屋で服をつくるとか、いちばん上等の靴を買うとか……一通りのことは、みんなやりましたよ。

糸井
それは、二十四歳の頃ですか?


二十六か七歳です。

糸井
それは、大転換ですね。

人と同じことをしていても意味がないんです p147


そのとき、思ったのは、東大で一生懸命に勉強したことは、何一つ役に立たないということでした。

糸井
本当ですね。


ここの土地では、人に使われていたんじゃしょうがないし、人と同じことをやっていてもしょうがない。

糸井
毛糸を編んでいた居候の兄ちゃん、犬の散歩はイヤだとかいっていた兄ちゃんが、小包のことを質問したのがきっかけで、ぜんぶひっくり返ったんだもんなあ……。
今度は居候じゃなくなったんですか?


二十六、七歳で金持ちになりましたから、近くの高級マンションに住むようになったし、車があるようになって、運転手もいるようになりました。
当時はまだ自分で運転ができませんでしたから。

糸井
年号でいうと、それは何年ぐらいになるんですか?


昭和二十五、六年頃かなあ。

糸井
日本も復興のきざしが見えてきて、足りないものがあった時代ですよね。

いいことは長く続きません p148


でも、ぼくはたちまち香港がイヤになったんです。
どうしてかというと、まず、いいことは必ず長く続かなくて……。

糸井
それも、太字ですねえ。
せつないなあ。


金が儲かるとわかったら、たちまち競争相手がワーッと出てきて、儲けがなくなってしまいました。

糸井
小包を送るのは、どのくらい長く続いたんですか?


二年ぐらい。

糸井
二年も続いたんですね。


だから、二〇〇〇万ぐらいは儲けたかなあ。
でも、たちまち収入がなくなってしまいまして……。

糸井
でも、それだけの大金持ちに急になっちゃって、それでも決して、いい気になったり、お金に酔っぱらったりしては、いなかったわけですよね。
それは何でですか?
そのときに、それを支えたのは何だったんでしょうね。


二十代のお金は残らないと聞いていましたので、浪費もしなかったのですが、いい気になる前に、また金がなくなったんですよ。

糸井
だって、二〇〇〇万入ったじゃない?


二〇〇〇万あったけど、そのうち、一〇〇〇万円は、うちの姉さんがチューインガム工場をひとつ買って、しかしロッテと競争して負けてぜんぶなくなっちゃった。

糸井
あらま。
ドラマチックですね。


そんなようなことで、もういろいろな目にあって……それでも、それなりの面白さがあってやったんだから、いいとは思っているのですけれども。

糸井
いやあ、聞いていても本当にそう思いますね。
どこかでうまく安定した軌道に乗らなかったことが、楽しみの原点になっているような気さえします。


安定を求める気持ちはありませんでしたから。

糸井
どうせ続かないと思ってたから?


続けばいいと思ったけど、続かなかったんですよ……。
しかたがないから、金があるときに買った香港の家を人に貸してしまって、その家賃を日本で暮らす資金に使って、小説家になる気を起こしたんです。

p159


苦境にいるときには「自分はもう奈落の底まで落ちるんじゃないか?」と、具合の悪いときほど最悪のことを考えますよね。
私自身もそうだったけど、でもそれが不思議なことに、いちばん底までは、落ちないんです。
途中、どこかに足がひっかかって、助かるところがあるんですよ。

素人のほうが工夫をするからいいんです p175


ぼくは、仕事をするときに、先入観のある人を使わないんです。
絶対に素人でやろうというところがありまして。

糸井
それは、ずっと通していらっしゃるんですよね。


長くやれば何でも玄人になるに決まっているというくらいで、玄人にはそれ以上の価値はありません。
素人だったら、玄人の人と競争して勝つためには工夫をしなければいけないから、結果としてそれが勝ちにつながるんだと思います。

糸井
放っておけば誰でも、悪い意味でも玄人になっちゃいますよね。
だけどそこを常に防ごうとしているんだから、邱さんはよっぽど自分を見る時間をつくっているんだろうなあ。
鏡みたいな何か物差しみたいなものを、いつでも、毎日意識してらっしゃるんでしょうね。
毎日、それこそほとんど歯を磨いたり顔を洗ったりするように、自分のズレを矯正するみたいなことをかなりの時間だけ積み重ねていなかったら、きっと、邱さんはもっと早い時期に魔に憑かれたとしてもおかしくないと思うんです。
大きなお金を動かしていらっしゃるわけですし。


よくぼくは講演で話すのですが、ぼくが今まで日本で会った人の中でいちばん頭のいい人は、ふたりいるんです。
ひとりは田中角栄さんで、もうひとりは江副浩正さんです。
田中角栄さんがどのぐらい頭がいいかというと……こちらから、何もいわないうちから「わかった、わかった」というんだから「こんな頭のいい人はいない」と思っていました。
江副浩正という人も、ぼくが電話をかけて、「この話、二五億円かかるけど、あんた、ちょっとすまないけどやってくれない」といったら、「わかった」って、それですぐに実行に移せる人です。
このふたりは本当に頭がいいと思っていました。
でもその人たちのその後を見ていると、あんまり幸せなことにはなってないから、人間の頭がよすぎるのも問題ですね。
「今のあなたの頭の程度でちょうどいいんです」というとみんな爆笑しますね。

糸井
そうですよね?
頭がよすぎて、簡単にわかっちゃったら、ダメですよね?


頭のいい人の時代なんかすぐ終わってしまって、ぜんぶ新しい勢力に変わっちゃったでしょう?

糸井
ハナマサさんとか、ユニクロとかが流通を変えていって……それが、音がするほどガラッと変えるわけじゃないから、みんなが気づきにくいんでしょうね。

p203


実は人の世話はずいぶん昔からやっているんです。
それこそ、四十年も前から。
ある建設会社が上場にこぎつけたけれども、会社の重役が全員大工とか左官だから、それだけでは上場説明会も株主総会もやれないんです。
ちょうど大会社を首にされた「大物の片腕」といってたような人たちがいたので、ぼくはその会社にお世話しました。
大会社を首にされた人たちからは「邱先生とは仲良くしておいたほうがいいなあ」といわれるし、採用した建設会社にもとても喜ばれました。

糸井
そうでもしないと、付け焼き刃で勉強しなきゃいけないですもんね。
それと同じことがまた起こっていますね。
今から大きな会社になっていく成長期にある会社が次々と台頭していますから。
例えばハナマサの社長なんかこの間、一緒に食事をしたときに、ユニクロの社長に「あんたの商売は、ほくが見ると一兆円商売だよ」といわれて。
もうすっかり感激していまして。

糸井
もとはすごくいい肉屋のおじさんのわけですよね。
そういう新興企業も上場しなきゃいけないときがあったら、新商品の開発より人材の開発が最緊急課題になりますものね。

お金が基準じゃ間違いをおこすだろうなあ p229

糸井
ただ、人は守れないことを約束してしまったり、その場で追い詰められるように、嘘をついてしまったりということの多い動物ですよね。
この弱さってやっぱり「惑わし」だと思うんです。
例えば自分を現実よりも大きいものに見てもらいたいと思ったときに、嘘をついたり、無理な約束をしてしまったりするというか。


そういう生き方をする人は、世の中にいっぱいいます。

糸井
ほとんどが、そうかもしれない。


ですから、「これだけ財産を持っています」といわれるよりも、ちゃんと約束を守るかどうかのほうを重んじます。

糸井
それは、お父さんやお母さんから学んだことですか?


……うーん。

糸井
どこからそういう感じのものを学ぶんでしょう?


自分の親から教わったことといえば、さっきぼくがいったように、例えば「いつもポケットの中にいくらお金があるかわかるような生活だけはしちゃいかん」とかそういうことでした。

糸井
それ、守ってらっしゃいましたよね。


今も月賦ではものを買わないし。
ぼくのロールスロイスも、ぜんぶ現金で買っています。
財産価値のないものを、ローンで買ったことは一度もないです

糸井
ローンのほうが得だとかいうロジックがあっても、そこは関係ないわけですね。


仕事をやるためのお金を借りて月賦で返すことは、やってますけどね。

糸井
あ、そうかそうか。
事業は別ですよね?


事業の場合はしょうがないから利息払ってやってますけど。
自分の消費のためにはそれをやらない。

糸井
確かに、ポケットの中にいくらあるかわかる人って、いますよね。
見ていてつまらないですよね?
ポケットにいくらあるだのないだのと関係なく生きているやつのほうが、面白いよなあ。
ぼくも小さいなりにそういう生き方をしてきたわけだけども。
「お金ないんですよ」といっても人はあると思いこんでいたり、本当にお金がないのにもかかわらず自分では「ある」と思っていたりもしました。
思い違いをしていたのかもしれないけれども、ともかく、何かをするときの基準がお金のところだけに集中していたら、きっと間違いをおこすだろうなあと思います。
邱さんが約束を重視するというのは、すごくわかる。
だって、逆境という場所に小さい頃からいるのに、そこで信用を失ったら、もうこれはまったくどうすることもできないということを、小さいながらもわかっていたんでしょうね。
約束は守らないわ、逆境だわ、では、何もできないということが……。

自分をわかることは、できるものでしょうか? p231

糸井
そういう意味で、話がまた煩悩に戻るのですが、例えばお金への欲望が「ある」ことはまったくおかしくないわけですね。
お金があれば、できることも大きくなるから。
でも、やりたいことがなくてもお金が欲しいというように、いつか逆転してしまう可能性が、ありますよね?
お金の強さと怖さは、そこにあると思うんです。
だからこそお金は惑わしの最たるものであるし、
邱さんがテーマとして扱ってきたのも、それだけ惑わせる力があるからだとも感じるからだと思いますし。
お金そのものを目的にするのと、お金を使ってできることのために求めるということはまったく意味が違っていると思います。
お金に向かうその二つの気持ちを分けるものは、何だと思いますか?


生まれた環境とか、そういうことがその人の金銭観を大きく左右しますよね。
その人の生まれた環境によっては、お金がたくさんないと気のすまない人もいるし、わずかしか持てなくても別に構わないと思う人もいる。
ところが、お金に対してがつがつしてるからといって、お金持ちになるわけでもないんですよ。
ですから、ぼくはよく人に「あなたは大きな仕事がしたいのですか?それとも大きな金が欲しいのですか?」と聞きます。
仕事をやるということと、お金があるということとは、必ずしも一致しないことです。
大きな事業を手がけている人でお金をたくさん持っている人は、少ないんです。
もっと大きな仕事をやろうと思うと、もっとたくさんのお金が必要になりますから。
その一方で、事業を何もやらなくても、たくさんお金を持っている人がいます。
大きな事業やって偉くなりたいのならそれはそれで方法がありますし、お金持ちでいたいという人もあるでしょう。
事業もお金もなくてもいいから、気ラクな暮らしをしたいと思う人もいて……。
尺度はいろいろありますから。
それぞれにあったお金とのつきあいかたのカルテがあって然るべきですね。

糸井
そうすると、自分が何をしたくて、どういうことを思っているのかを、みんなはまず、知る必要があるということですね。


そうですよ。
これからの生活はそういうところに絞られてきますね。

糸井
自分をわかることは、できるものなのでしょうか?


わからないやつも多いけど、だんだんわかるようになるんだと思いますよ。
例えば、ぼくの場合は、自分の従業員に騒がれてストをされて、頭を抱えている人をたくさん見てきました。
そういう目には遭いたくないなあと思ったので。
あんなことやられるくらいだったら、従業員はバス一台に乗れる程度にしておいて、みんなに払う給料は一流商社の人と負けないぐらい払う代わりに、それでももし従業員に文句をいわれるのなら、その日のうちに「辞めた」っていってシャッターを閉めてしまえるのがいちばんだと考えましたよ。

自分を快く思わない人に、心が痛みませんか? p254

糸井
邱さんを快く思わない人に対して、心が痛んだりはしないですか?


別に痛まないですよ。
違う世界の人と思ってるから。

糸井
たとえば事業でも作家としてでも、何か敵が攻撃をしかけてきたとき、邱さんはどうしているんですか?
流しちゃうんですか?


気にしないです。

糸井
しないんですか、やっぱり流すんですか。
それは、戦略的にそっちのほうがいいからなのでしょうか?
それともそういう体質だからなのですか?


今までにぼくをだました人は、いっぱいいるんですよ。
ぼくは事業では失敗しないけれど、失敗は、必ず人にだまされて起きるんです。
ただ、そういうことが起きたときでも、ぼくはその人をとことん追いつめることは、ありません。
ただ、「君の黄金時代は、ぼくと一緒にやっていたときだったね。そのことがわかるときがきますよ」といって、それでおしまいです。

糸井
それはつまり、そんなところを気にして自分のもったいない時間を使うより、やりたいことがあるんだということですか?


それもあるでしょうけど、それよりはむしろ、人を追いつめないという生き方の流儀ですね。

糸井
それも矢沢永吉は、同じことをいうんですよ。
喧嘩するときに、いくら自分が強くても、ドアに鍵をかけて殴っちゃいけないっていうんです。
逃げ場をつくってやらないと、かえってアブナイ。
追いつめたら、両方にいいことは何もないんですね。
「両方にいいことがない」といういいかたが、大事なんだろうなあ。
だから必ずドアを開けておいて、相手が逃げられるように、逃げ道をつくっておいて。


必ず相手に道をつけてあげますね。
ぼくも。
お金をだまされることがいちばん多いけど、まあぼくのお金だから、いいんですよ。
他の人はみんな呆れちゃって「何で追及しないのか」といいますけれども、ぼくはお金なんていうのは、自分の手にあるか人の手にあるかだけのことだから「別にいいや」と思っています。

人を信用できなかったら、仕事は何もできません p256

糸井
それが、まさに素手でつかんできた人の考えかたなんですよ……。
「完膚なきまでやっつける」とかいうことって、実は、いいことは何もないですから。
若いときには、そういうことをわからないから、つい追いつめたくなっちゃうんですよね。
でも、邱さんだって、人にはもっとぎらぎらしているように見られていた時代には、追いつめたくはなかったですか?


みんなには、今のほうが優しい顔をしてるといわれるけどその点は今も昔も変わりはありません。

糸井
ああ、それもおんなじだ。
永ちゃんにもどこか怖い時代があって……でも、自分のつもりとしては、同じようにふるまっているんだ。
だまされたことで臆病になって、人が信用できなくなったことはありますか?


相手が違うと、また元に戻ってしまいますね。
人を信用しなかったら仕事ができないですから。

糸井
ああ、そうか……はっきりとそうですね。


裏切られたりだまされたりすることはあるけれど、ぼくは基本的に「人を信用することによってしか仕事はできない」と思っています。
だから「本当によく懲りないね」といわれるんですけれども。

糸井
小説のなかに出てくる大金持ちが「人に心を開かない人」としてよく描かれているのは、あれはお金持ちになったことがない小説家が考えてるからなんですね。
つまり、事業は、動いていないと必ず潰れちゃうわけだから、どんなに大金持ちのおじいさんでも、どっかのところで心を開かないままでは、何も実行できないはずですもんね。
小説の設定としては、まわりにすべてを任せたおじいさんが自分は引退しているみたいなのもよくあるけれども、そんなはずも、ないわけで。
動きを止めちゃった人は、実業の世界では生きていないのですから。
このリアリズムは、小説家には想像できないんだろうなあ。
確かに、人を信用しなければ、何にも仕事をできないや