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「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」を読んだ

投稿時刻2023年4月22日 06:40

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」を 2,023 年 04 月 22 日に読んだ。

目次

メモ

ビジネスは「数字」では管理できない p23

私たちは企業経営の専門家や経営コンサルティングファームのせいで、
ビジネスというのは論理的なものであり、すべて数字によって管理できると思い込んでいる。
モデルや理論に従えば成功への道筋が示されると信じてきた。

ところが企業がさまざまなモデルを導入し、数値データに従って意思決定を行っても、期待していたような成果は決して得られない。
なぜなら、ビジネスは理屈どおりにはいかないからだ。

人材はビジネスの一部分ではない。
人材なくしてビジネスは成り立たないからだ。
オフィスや設備だけでは、どうしようもない。
ビジネスとはすなわち「人」なのだ――非理性的で感情的で気まぐれで、
クリエイティブで、面白い才能や独創的な才能を持っている人間たちのことだ。
そんな人間が理屈どおりに動くはずがない。

私が本書によって訴えたいのは、これ以上、職場から人間性を奪うのはやめるべきだということ。
そして人材のマネジメントさえできれば、あとはすべてうまくいったも同然ということだ。

本書は読書としてコンサルタントおよびコンサルタントを雇う側の人だけでなく、
コンサルティングとは関係のない人も対象としている。
昨今の経営改革論の効果を信じるのがアホらしくなった人にも、ぜひ読んでいただきたい。
仕事をしていて「みんな頭おかしいんじゃないの」と思ったことがあるなら、それはあなただけではない。
これは、そんなあなたのための本だ。

p28

さて、ここで目的をはっきりさせておきたい。
本書の要点は従来のビジネスの常識の誤りを暴くことであり、まちがっても与するものではない。
私の提案は、役に立たない経営理論に頼るのはもうやめて、代わりにどうするかということだ。
ともかく大事なのは、モデルや理論などは捨て置いて、みんなで腹を割って話し合うことに尽きる。
対話や人間関係の改善がビジネスに利益をもたらすことを研究によって証明したわけではないが、真偽の判断は読者に委ねよう。

p36

これだけの膨大な手間を考えると、競合分析といっても、実際のところどの程度の情報を押さえているのだろう、と思わずにはいられなかった。
企業に関するありとあらゆる情報を手に入れようと思ったら、本来ならその企業のなかで働くしかない。
だから当然、手に入る情報に限りはあったが、それでもどうにか製薬業界の総合分析と呼べるものをまとめあげた。

p42

当然ながら、最も生産性が低いのは肥大化した本社組織と巨大な研究センターだ。
現実的にはそれらの部門を売却するわけにはいかないが、このグラフによって私はコンサルティングに関する重要なことを学んだ。
このように細かい分析を行って、その結果を立派なグラフにまとめれば、クライアントは感心してくれる。
あとは、ひとつの指標をX軸に、別の指標をY軸に置いた4象限のチャートを作ること。
このふたつはおそらくコンサルティングスキルのなかで最も使える重要なスキルだろう。

p49

だがなにも、ハノルやプラハラードやポーターのあら探しをしようというのではない。
彼らは素晴らしい思想家だ。
ただこのことが示しているのは、将来を予測するのがいかに難しいかということだ。
ハーバードビジネススクール出身のあれほど優れた頭脳の持ち主たちでさえ、
将来のことはちゃんと予測できないのに、私たち凡人にできるはずがあるだろうか?

実際の企業の事例を使って理論を説明しているひと昔前のビジネス書を見れば、
そこに出てくる企業の少なくとも半数は、もう業績が振るわないことがわかるだろう。
GEの名は1990年代には企業のベンチマークとして使われ、多くの企業がGEの経営手法を模倣した。
だがいまでは、GEのマネをしようとする企業など見当たらない。

ジャック・ ウェルチ本人でさえ、株主価値の重要性に関する発言を撤回したほどだ。
いま手本とすべき企業を探すなら、グーグルやアップルあたりが妥当な線だろう。

p52

やがてインターネットなるものが登場し、eコマースも生まれて大流行となったが、私たちには何の知識もなかった。
とうとう、ジェミニはお家芸ともいうべき人員削減を自社で実施することになった。
優秀なコンサルタントが次々に競合他社へ移り始め、ジェミニ・コンサルティングはほんの数年で他社に買収され、姿を消してしまった。

戦略開発とプロセスリエンジニアリングによる企業のトランスフォーメーションを売り物にし、
最高のコンサルティングツールと優秀なコンサルタント人材が揃っていながらこのような結果を招いたのは、
何とも皮肉なことだと言わざるを得ない。

コンサルが去ったあとに残るのは「大量の資料」だけ p58

ではここで、ポーターも誰もまだいなかった時代をふり返ってみよう。
戦略開発の発祥は「戦争状態」の軍事戦略であり、「戦略」という言葉もそこからきている。
ポーターの著書は「競合との戦争」「防御」「報復」「対抗ブランド(ファイティング・ブランド)」など軍事用語であふれており、
企業が成功するためには競合相手に打ち勝つ必要があると考えている。
「競合と闘わなければ企業は成功できない」という考えには私は賛成しないが、戦争の理論がビジネス戦略にどう役立つかはぜひ理解しておきたい。

80年代にポーターのほかに流行った戦略本といえば、孫子の兵法をはじめとする戦争論だ。
『孫子』は格言ばかり出てくるし、2000年も前の本であり、私自身は取り立てていいとは思わない。
そしてもうひとり、勝利を導いた有名な将軍といえば、
ドワイト・D・アイゼンハワー〔連合国遠征軍最高司令官。第3代アメリカ合衆国大統領〕である。

彼の有名な言葉で私がたびたび引用するのは、
「戦闘準備において、作戦そのものは役に立たないことをつねに思い知らされたが、作戦を立てる行為こそが重要だ」という言葉だ。

戦闘が作戦どおりにいくことはめったにない。
それは人生も同じだ。
言うまでもなく、ビジネスもめったに計画どおりには行かない。

問題は、人びとが戦略計画イコール解決策だと信じてきたことにある。
だが、計画自体にはほとんど価値はない。
名高い将軍たちが示したとおり、計画を立てる過程にこそ価値があるのだ。

p62

大きなチャンスをつかむには、企業の自己発見にできる限り多くの従業員を巻き込む必要がある。
会社は従業員の集合体なのに、その人たちの感情や精神を置き去りにして、
頭だけでどうやって自分が何者であるかを知ることができるだろうか?

ほとんどの企業では、数名の限られたメンバーだけで戦略を策定する。
それもたいていは経営陣だ。
彼らは顧客や競合他社の現状や業界の動向にそれほど詳しくないというのに。
そんなことだから、大型新薬やトータルビジネストランスフォーメーションが戦略目標になったりするのだ。

それとは対照的に、軍隊の指揮官は、現場からの情報収集に余念がない。
企業だって同じように、現場の従業員から市場や顧客や競合他社について、豊富な情報を得ることができるはずだ。
なかには競合から転職してきた者もいるだろう。

自社の企業としての価値や能力、成功したプロジェクトや失敗したプロジェクトのさまざまな事例、
顧客が望んでいること、新しいテクノロジーなど、あらゆる情報を全社で共有することが、正しい意思決定には不可欠だ。
大きなチャンスを見逃さないためには、従業員も十分な情報を知っておく必要がある。
戦略開発とは本来そういうものだ――十分な情報を得たうえで、意思決定を行うための基盤を提供すること。
少数の人間が先頭に立ってすべてを決定してしまうことではない。

企業戦略については、現実的に考える必要がある。
誰もがマーケットリーダーになれるわけではないのだ。
すべてのビジネスが二桁成長を実現したり、「スター(花形の事業)」になったりすることはない。
将来を予測するなど、世界で最も優秀な頭脳の持ち主にさえ不可能に近いのだから、
20代のコンサルタントたちが束になってかかったところで、できるはずがない。

しかし、戦略開発のはっきりとした目的を見出し、
想定外の事態に対応するための知恵を蓄えることなら、誰にでも確実にできる。

p73

コンサルティングの世界では、物事を迅速に処理する能力が評価されるため、
ただ考えるなど、何の付加価値ももたらさない行為とみなされる傾向がある。

しかしじっくりと考えた結果、
私が思ったのは、「労働組合に入っている従業員は非協力的でいい加減」などと聞かされていたのとは反対に、
ほとんどの従業員は問題点をよくわかっており、自分たちでも何とかしたいと思っているのに、
彼らには業務のやり方を変える権限すらなく、疎外されているということだ。

p78

「ブラウンペーパー」という名称は、現行の主要業務プロセスのフローチャートを大型の茶色い紙に描くからである。
そして、その業務プロセスの全関係者を集め、ブラウンペーパーのチャートを見ながら、
現行の業務プロセスについて気づいた点をふせんに書いて貼りつけてもらい、何がうまくいっていないのかを細かく見ていく。
このようなセッション には驚くべきカタルシス効果があった。
"ふれあいとローテク"のメソッドなどと呼んだものだ。

p91

私はプロジェクトの目的を達成するための手段として方法論やツールを使ってきたが、
方法論やツールを使用すること自体が目的だったことなど一度もなかった。
方法論は新しい洞察を得るためや、型にはまった考え方から脱け出すために利用するものだと考えていた。
同僚のコンサルタントたちも私も、方法論どおりに実行すれば必ずプロジェクトが成功するなんて思ってもいなかった。
私が入社したころのジェミニが素晴らしかったのは、方法論は人びとが連携して働くようにするための道具にすぎなかったことだ。
それなのに、いつのまにか人びとが連携して働くことより、方法論のほうが重要視されるようになってしまったのだ。

p100

人間は道具を使うのが好きだ。
だからこそ文明を築くことができた。
危険なのは、ツールそのものを解決策と勘ちがいし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。
実際、方法論の多くはそのような考えのもとに発展した。
もともとは人間のために開発された方法から、いつのまにか人間的な要素が取り除かれてしまったのである。
気がつけば、莫大な量のデータや資料を用いる方法論になってしまい、
コンサルタントは報告書の作成に際限もなく時間を取られることになった。
関係者全員で取り組みもせずに、
ビジネスの問題を解決できると約束するようなツールや方法論やプログラムや取り組みは、ことごとく失敗する。
ソフトウェアプログラムであれ、変革活動であれ、業務オペレーションを改善するには、関係者全員を巻き込んで一緒に取り組むしかない。
それさえできれば、どんなツールや方法論を用いるかは、たいした問題ではない。
人間こそ問題の原因であり、解決の手立てなのだ。

なぜ目標を達成して「赤字」になるのか? p111

だが問題は、システムで組織を指揮管理しようとしても、組織は人間でできていることだ。
あいにく人間は人間であり、機械のようには動かない。
それどころか人間は命令されたり管理されたりするのを嫌うため、成果測定システムに対して思いがけない反応を示す場合がある。

このような測定システムから私が学んだことのひとつは、目標を決めて設定し、
それについて報酬や罰則を設けると、必ずといってよいほどその目標は達成されることだ。
しかし、残念ながらそのせいで、測定できない大事な目標が犠牲になってしまうことが多い。

その最も顕著な例は、数値目標がなければ始まらない営業部門だ。
現在では、ほとんどの企業において営業職の給与は固定制から歩合制に移行しているため、営業は売れば売るほど収入が増える。
通常は四半期ごとに売上目標があり、インセンティブボーナスを獲得するには、その目標を達成する必要がある。

営業になじみのある人なら知っていることだが、売上の数値は毎四半期の期末にぐっと伸び、翌期の頭に落ち込むのがふつうだ。
というのも、毎回の期末の締め日までに何とか顧客から注文を取りつけようとして、営業が値引きやリベートなどの手口を使うためだ。
値引きやリベートを実施すれば、当然ながら利益は減ってしまうが、
ほとんどの場合、営業の成績は利益率では評価されないため、知ったことではない。

営業が自分たちに都合のいいようにこういう仕組みを利用するケースもある。
私が知っているなかで、おそらく最も悲惨なケースを紹介しよう。
ある地域担当マネージャーは、毎年とうてい達成不可能な売上目標を課せられることに、いい加減うんざりしてしまった。
自分がボーナスをもらえないだけでなく、チームの部下全員が目標未達の罰としてボーナスをもらえなかったのだ。
自分だけが罰を受けるならまだしも、必死でがんばっている部下たちに毎年、毎年、
インセンティブ支給の基準を達成できなかったと告げるのは、身を切られるほどつらかっただろう。

p115

ハーバードビジネススクール教授でエコノミストのマイケル・ジェンセンは
「給料欲しさにウソをつく (Paying People to Lie)」という論文のなかで、売上目標を達成するための騙しの手口や詐欺事件を数多く紹介している。
たとえばあるソフトウェア会社は、売上を実際より前の日付で計上したり、
保守契約をソフトウェアの売上として計上したり、顧客に商品の代金を払い戻す際に架空のコンサルティング料金を支払ったことにしたりしていたかどで、証券取引委員会に召喚された。

p120

あるいは、利益率ではなく顧客満足度を評価基準に加えた場合を考えてみよう。
この場合、利益率がそこそこの商品を売っても、営業はインセンティブをもらえない。
会社にとっては痛手でも、元値ギリギリくらいで販売することによって、売上高も顧客満足度も向上する。

したがって、理にかなう唯一の方法は、売上と利益率と顧客満足度で評価することだ。
すると今度は返品を増やすことになる。
返品を無条件で受け付けると、顧客の購買意欲が高まるからだ。
ならば返品率の低さも評価基準に加えよう。

さて、この調子でやっていたら、評価基準と目標が際限もなく並ぶだろう。
戦略目標への集中や優先順位づけなど忘れ去り、やったことはただひとつ、評価だけだ。
さらに悪いことに、毎年の評価基準には入っていない長期的な目標や業務は置き去りになる。
そうなれば、従業員たちが会社の長期的な将来を見すえてがんばろうとする動きはなくなってしまう。

p130

我々のもうひとつの勘違いは、それもおそらく傲慢さのせいだろうが、
従業員はおとなしく目標に従い、罰を受けても制度に逸脱した行動をとることはないと思っていたことだ。
個人の目標が会社の目標と相反する場合でも、社員は大義のために行動し、
詐欺などの破壊的行為には及ばないだけの正しい判断力を持ち合わせているものと想定していたわけだ。

マッキンゼーコンサルタントの(大外れの)予言 p138

80年代と90年代には戦略や業務プロセスのコンサルティングが盛んだったが、
21世紀に入ると「人的資産管理(ヒューマンアセットマネジメント)」が注目されるようになった。
戦略、プロセス、評価指標フレームワークという指揮統制構造を完成させる最後の部分は、それを実行する人間というわけだ。

企業の従業員管理は最初、「人的資産管理」あるいは「人的資本管理(ヒューマンキャピタルマネジメント)」と呼ばれていたが、
やがて「人的資産」という言葉の持つニュアンスを嫌って「タレントマネジメント」と呼ばれるようになった。
「資産」と言うとバランスシート(貸借対照表)の資産項目のひとつのようだからだ。
けれどもいまだにその名残で、どこの企業のホームページや年次報告書にも「当社の最大の資産は人です」などと謳われている。

グーグルが導き出した画期的な「8つの習慣」 p178

さて、2011年3月、グーグルは、
優れたマネージャーの特徴を明らかにするための「プロジェクト・オキシジェン」の2年間におよぶ研究の成果を発表した。

グーグルが独自の研究プロジェクトを立ち上げ、何千例もの業績考課やフィードバック調査を分析して独自のモデルを構築したのである。
その研究成果は「ニューヨークタイムズ」のビジネス欄の見出しを飾ったほか、ビジネスやテクノロジー関連のブログ等で数多く紹介されている。
グーグルの画期的な研究成果は、重要な順番に次のとおりである。 

<グーグルによる「優れたマネージャーの8つの習慣」>
1 優れたコーチであること。
2 ある程度はチームのメンバーに任せ、細かく管理しないこと。
3 部下の成功と幸せを気にかけていることを態度で示すこと。
4 生産的で成果志向であること。
5 コミュニケーションをよく取り、チームの意見に耳を傾けること。
6 部下のキャリア開発を支援すること。
7 チームのための明確なビジョンと戦略を持っていること。
8 チームにアドバイスできる重要な技術的スキルを持っていること。

この新しいモデルはメディアの賛否両論を呼んだ。
少なくともこの30年間、マネジメントの原則の基本として信されてきた黄金律となにも変わらないではないか。
マネジメントに関する基本的な本や研修に参加したことのある人なら、そう思うかもしれない。
そうは言っても、ほかのモデルに比べてずっとシンプルだし、重要な順番に原則が示され、裏付けとなるデータも揃っている。

p191

1 気にかけていることを態度で示す
私は自分の部下(同僚、家族、友人)に成功してほしいと思っている。
部下の成功は私の成功だ。
また、チームを大事に思っているから、みんなのことを知りたい。
家庭での暮らしや興味のあることや嫌いなことも。
私が彼らのことを知ろうとするのは、その人のことを知りたいからであって、管理するための「テクニック」ではない。
面白い人たちとよい関係を築くことによって私の人生も面白いものになる。

p194

そうではなく、チームの抱えている業務を全員が把握して、誰が何をやっているのかわかるようにすること。
そうすれば、自分から新しい業務を引き受けたり、仲間の業務を分担したりできる。

「マネジメント本」はまじめに読むとばかばかしい p198

ずばり、私が言いたいのは、優れたマネジントというのは難しい理屈ではなく、「人」だということだ。
なぜ私たちはやたらと複雑に考えてしまうのだろうか。
優れたマネージャーになるには、まずは自分自身のことを管理して、務めを果たさなければならない。
次に、周りの人たちとよい関係を築く必要がある。
自分や部下たちの将来も考える必要はあるが、それほど重要なことではない。

優れたマネジメントスキルとは、よい関係を築くためのスキルだ。
ひと言、それに尽きる。
あれこれ考え過ぎることはない。
テクニックや理屈の問題ではないのだ。
どうすればよい人間関係を築けるかを理解すればいい。

マネジメントの本のなかには、部下と友だちのように仲良くなってはならない、と強く戒めるものが何冊もあった。
訓話よろしく次のようなエピソードが出てくる。
「以前、私たちは仲がよかった。やがて私が昇進して上司になると、彼はひどいやっつけ仕事を提出して私に承認を求めた。
あるときは提出すらしなかった。それでも私になら大目に見てもらえるか、代わりにやってもらえるだろうと思っていたのだ」

まったく呆れた話だ。
それが仲のよい人間のすることか?
私の仲のいい部下が馴れ合いでそんなふざけたマネをするなんて絶対にありえない。
そんな間柄は親しくも何ともない。
むしろ敵ではないか。 

経験からも言えることだが、大好きな上司のためなら、努力は惜しまないはずだ。
上司も自分のためならどんなことでもしてくれるだろうとわかっているからだ。
幸運なことに、私はそういう関係に恵まれてきた。 

遅くまで残っている部下たちに「頼むからみんなもう家に帰りなさい。いくらなんでも働き過ぎよ」と声をかけるのもしょっちゅうだった。
私が彼らの仕事に首を突っ込み過ぎたときには、部下たちは感じよく、でもきっぱりと、「ここは任せてください」と言ってくれた。
いっぽう、助けが必要なときには、アドバイスを求めて私のデスクにやってきた。

それが人間同士というものだろう。
自然とそんなふうに付き合うものではないだろうか。
そういう付き合い方をしないマネージャーは、マネジメントはサイエンスだ、ルールだ、
方法論だと、専門家の言うことをただ鵜呑みにしてしまっている。
そのせいでよそよそしい態度を取り、自分で判断しようともせず、ひたすらガイドラインに従っている。

マネジメントモデルやメソッドなど、これ以上何も必要ない。
すでにあるものでたくさんだし、それすら満足に機能しているとは言えない。
本当に価値があるのはモデルではないからだ。
どうやったらいい仕事ができるか、部下と一緒に話し合うことにこそ価値がある。

みんなで協力して働くにはさまざまな方法がある、と気づくのも大事なことだ。
609ページもある管理職用マニュアルなど読んで時間をムダにしていたら、部下のマネジメントなどできるはずがない。
そんなツールに振り回されていたら、本当にやるべきことができなくなってしまう。
部下たちと付き合う最善の方法は、実際に部下たちと触れ合うことであって、
「部下との付き合い方」の参考書を読んだり、チェックリストを作成したり、研究したりすることではない。

もし部下との付き合い方で悩んでいるなら、アドバイスをもらえる場所や本や講座はいくらでもあるだろうが、
やはり本人と直接話し合って意見を訊くのが、最も効果的な方法と言えるだろう。

p212

グラントは偉大な将軍であり、作家としても優れていたが、大統領としての手腕には乏しく、商才にも欠けていた。
つまり、活躍できた分野とできなかった分野があったわけだ。
なにもめずらしいことではない。
人には長所と短所があることくらい、誰もが身をもって知っている。
優れた才能を発揮できる分野もあれば、そうでもない分野もあるのがふつうだ。

レッテルはなかなか剥がれない p215

彼らとは方法をめぐって対立しただけではなかった。
クライアントに約束したコスト削誠が実現できそうにないことがわかると、
プロジェクトマネージャーはその企業の人員を削減することによってコスト削減の成果の帳尻を合わせることにした。
「従業員の解雇を勧めたりはしません」とクライアントに断言したのはこの私だったのに、
誰をクビにするかを決める気の重い仕事が、私に回ってきたのだ。

「そんなことはできません」と断ったことで、私はさらに上司の怒りを買った。
そのうえまずいことに、私はクライアントの前でついうっかり、プロジェクトマネージャーの悪口を言ってしまった。
コンサルタントとしてあるまじき失態だったが、それがなんと本人の耳に届いてしまった。
それからというもの、私には「ダメなやつ」だけでなく「危険分子」のレッテルが貼られ「チームプレイヤーじゃない」とののしられた。
コンサルタントとしてずっと活躍してきたにもかかわらず、「コンサルタントとしての将来はないと思え」とまで言われたのだ。

レッテルを貼られるとよりダメになる p219

「ラベリング効果」は多くの心理学者や神経科学者によって証明されている認知バイアスのひとつだ。
リュディガー・ポールは「認知的錯覚ハンドブック(Cognitive Illusions)』(未邦訳)において、
ラベリング効果は「ある刺激に対して特定のレッテルが貼られ、その効果によって判断や記憶が歪曲されてしまう」ときに起こるとしている。

仕事以外の場では、私たちは他人を型にはめたりレッテルを貼ったりしないように注意している。
とりわけ学校では細心の注意が払われているだろう。
レッテル(ラベリング) の効果に関する最も有名な例はふたつとも、学校の生徒を対象に行われた。
ひとつは「青い目 茶色い目 教室は目の色でわけられた」という有名なドキュメンタリー番組になっている。

p267

社員が自分にとって興味のあるテーマを追求し、奇想天外でわくわくするようなアイデアを学べるようにしなければ、
将来はいまとはまったく別のコンピテンシーが必要になることにどうやって気づけるだろうか。
多様な考え方が生まれ、新しいアイデアが次々に取り入れられ、
個人の情熱を追求できる環境があってはじめて、イノベーションは可能となる。

「お手軽なステップ」をいつまでも繰り返す p277

現在ではテイラー主義は大部分において否定されているとはいえ、
企業は事業をモニタリングや計測や最適化することによって成功できるという考え方は、
現代の経営手法にもいまだに残っている。

我々はテイラーの効率化運動のお題目をいまだに唱えているのだ
「がむしゃらに働くより、効率よく働け」「少ない労力で、多くの成果を」。

いまもなお業務を測定することが企業経営のカギだと信じ、「経営科学」などと呼んでいる。
しかし、テイラーや多くの経営コンサルタントは履きちがえていたようだが、企業経営は科学ではない。

科学における物体には意思がないため、自然の法則に従って動く。
物体には意識もなければ、エゴも、感情も、ユーモアのセンスもない。

それとは対照的に、私たち人間の属する動物界では、ビックリするようなことが次々と起こる。
ペンギンにはゲイがいるとか、バクテリアは複雑な言語を「話す」とか、ハトは迷路を抜け出せるとか、いったい誰がそんなことを想像しただろうか?
それなのに経営科学は、人間は定められたルールに則って行動する理性的な存在である、という前提に立っている。

個々人のことを考えれば、人間は必ずしも理性に従って行動するわけではないとわかっているのに、
人間を集団としてとらえると、なぜか非理性的な部分は見えなくなり、理性的に行動するものと考えてしまうのだ
(いったい何人くらい集まると、非理性的なはずの人間が理性的な存在にされてしまうのだろうか?)。

実際、企業経営は科学ではないから「答え」などないし、ましてやビジネスの「ソリューション(正解)」など存在しない。
にもかかわらず経営理論は、多数の方法論やあらかじめ用意されたソリューションでできており、成功への手順を指示するのだ。

ビジネスの世界には、ベストプラクティスに従えば成功できるという考え方が浸み込んでおり、その前提を疑う人はほとんどいない。
だから、「プロセスリエンジニアリングは、ほとんどの場合、期待した成果は得られない」
「合併買収はほとんど失敗する」「幹部にインセンティブ報酬を支給する企業は、支給しない企業よりも業績が低い」といった事実が実際にデータで示されても、
企業の幹部はベストプラクティスの理論がまちがっているのではないかとは考えず、
自分たちがどこでやり方をまちがえたのかを突きとめ、もう一度やってみようとする。

こうしたメソッドやソリューションは、ビジネス界における流行りのダイエット法や奇跡のダイエット食品みたいなものだ。
企業の幹部が魔法のような解決法や「これさえやれば大丈夫」というステップ式アプローチを探し求める限り、
企業経営の健全なアプローチをすることはできない。

ビジネスも生活と何ら変わらない。
それどころか生活そのものだ。
健全なビジネスを営むために必要なものは、健康的な生活を送るために必要なものと同じなのだ。
流行りの方法や「これさえやれば」の簡単なステップは、どちらに対しても効き目はない。

<社員が生活を楽しめる環境をつくる> p284

オフィスの什器をアップグレードしたり、会社でピクニックを主催したりするなど、社員が楽しく働ける場を提供するための取り組み。
会社が社員の生活向上を図るための取り組みは何であれ、顧客や地域社会や株主との関係の改善にもつながるはずだ。

人間は互いに人生を生きるに値するものにする義務がある。
文明の進歩に従って、大量虐殺や奴隷制度はほとんど見られなくなっている。
月給取りだからといって、会社で奴隷のように扱われるのを我慢すべき理由などありはしない。

私自身、さまざまなひどい労働環境を目にしてきた。
そのほとんどは工場であり、騒音の激しい不潔な環境で、冷暖房もなかった。
従業員はしょっちゅう病気で休み、何かと口実を見つけては休憩を取ろうとしていた。それも当然だろう。
しかし、清潔で、空調が整備され、騒音がコントロールされた工場もある。
そういう環境では、従業員の休み癖が問題になることはない。

コスト削減を口実に、従業員を奴隷のように扱うことがあってはならない。
ただでさえ職場はストレスにあふれ、まともな休暇も取れないのに、
長時間労働を強いられ、昼食をとりながらの仕事も当たり前のようになっているのだ。
効率の面から考えても、ふざけた話である。

社員が思考能力を働かせ、生産的であるためには、休息や運動が必要であり、定期的な休憩も欠かせない。
ところがコスト削減の取り組みでたいていまっさきに削られてしまうのは、
無料のコーヒーや、社員食堂の安いランチや、ジムの会員費の割引など、社員の福利厚生サービスなのだ。

そうやってコストを削減したものの、そういうサービスこそが生産性の向上に役立っていたことに気づいても、あとの祭りである。
社員への投資が、収益や利益の増加など会社の業績向上につながることを示すデータはいくらでもある。

<顧客の生活を豊かにする> p285

顧客を大切にする最良の方法は社員を大事にすることだと思うが、
顧客をあまりにコケにしている会社のエピソードをうんざりするほど聞いたので、4番目にこれを入れてもよいだろう。
そういう企業はカネ儲けしか目標がなく、どうやって永続可能なビジネスを生み出そうというのか、まったく理解できない。

大事なのは、お金をいただく価値のあるものを創り出すことではないのか?
それは、ただカネ儲けが目的のビジネスとはわけがちがう。
私たちがアップル社の製品が好きなのは、まさか利益率が高いからではないし、
薬を買う理由も、製薬会社の一株当たりの利益が高いからではない。
わずかでも、自分たちの生活をより良いものにしてくれると思うからだ。
買ったもので生活がより良いものになると思えば、みんな進んでお金を払おうとする。

私の経験から言っても、「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が
「どうしたら最も儲かる業務契約を取ってこられるか」と言い始めたり、
「どうしたら人の命を救う薬を開発できるか」と言っていた企業が
「どうしたら巨額の利益を出せる薬品を開発できるか」などと言い始めたりしたら、企業が衰退に向かっている警告のサインだ。

お金は成功の指標のひとつにすぎないと私は考えている。
お金は手段にしてもよいが、目的にしてはならない。
お金が目的になってしまうと、価値を付加することがおろそかになり、やがて会社が滅びることにもなりかねない。

世の中に新たな価値を提供するための取り組みならば、会社の価値も高まる可能性が大きい。

「まやかしの専門用語」をやめる p294

多くのビジネス問題の根本的な原因は、ビジネスとは「人」であることを見失い、
ビジネス問題とそのソリューション(解決策)についてまちがった思い込みを持ってしまうことだ。
そんなふうになってしまうのは、言葉の使い方のせいだろう。
ご承知のとおり、ビジネスにはよくわからない専門用語があふれている。
私自身、本書でもそうした用語を多用せざるを得ず、心苦しかった。

ふだん私たちは自分の使う言葉にどれほど影響力があるかなど、あまり考えることはない。
しかし、自分の使う言葉によって、自分の考え方は左右される。
したがって、ビジネスについての考え方を変えるのに最も簡単な方法は、ビジネスについての話し方を変えることだ。

私が自分の考えを述べると、決まったように返ってくる言葉がふたつある。
私が「戦略計画は考え方を狭める」と考える理由を説明すると、「そんなのはとんでもない誤解だ」と同僚に反論されることがある。
「だって戦略計画は"生きた文書" 〔絶えず更新を必要とする文書のこと〕なんだよ」。
生きた文書? ハリー・ポッターの映画じゃあるまいし、生きた文書なんて見たことありませんが。

p310

数年前、私は部門横断型の問題解決会議への参加を求められた。
どうすればもっと多くの従業員が地域のボランティア活動に参加するようになるかを考えるために、アイデアを出し合おうというのだ。
その結果、とてもクリエイティブな広報活動のアイデアや具体的な活動案が生まれた。

しかし、従業員たちがなぜボランティア活動に進んで参加しないのか、その理由を探ろうとした者は誰もいなかった。
私たちはただコンサルタントのアドバイスに従って、問題に対して「どのような方法で対処するか」を考えたのだが、
じつは問題を正しくとらえていなかった。
本当の問題は、「ボランティア活動は下っ端か重要な仕事を任されていない従業員のやること」だと、従業員たちが思い込んでいたことだった。
また、ボランティア活動に参加すれば、人事部など管理部門に主導権を握られそうで、それも従業員たちにとっては面倒に思えたらしい。 

ブレインストーミングで出し合ったアイデアや活動案は、そのような従業員たちの思い込みを払拭しようとするものではなかった。
この問題を解決するために私たちがすべきだったのは、数名の経営幹部をボランティア活動に巻き込むことだったのだ。

p312

ひとつの実験から得られるのは「結論」ではなく情報、
すなわち「実験結果」であり、そこからさらに突き詰めるべき点が見えてくるのだ。
このことはますます重要になってきている。
なぜなら大人数のグループを対象に調査を行い、
集めた情報についてさまざまなデータ分析を行うこと自体はこの10年で飛躍的に容易になったが、
人びとはデータの解釈をまちがえてしまうことが多く、そのせいであらぬところに結論を見出してしまうからだ。

「相関性が高い」というフレーズは、まるでふたつのデータが疑う余地のない因果関係で結ばれているかのように不用意に使われているが、
たとえふたつのデータの相関性が高いように見えても、決定的とは言えない理由が偶然重なっただけの可能性もある。

たとえば、株式市場の動向を予測する判断指標のひとつに「スーパーボウル・インデックス(SBI)」がある。
SBIによると、スーパーボウルでNFC(ナショナル・フット ポール・カンファレンス)のチームが優勝した年は、
ダウ平均株価が上昇するというのだが、そこには80%の相関性が見られるのだ。
統計的には非常に相関性が高いと言えるので、「株を買うならNFCのチームが勝った年に限る!」と思ってしまいそうだ。

ところが、SBIをもっと詳しく調べてみれば、実際は株式市場の動向とスーパーボウルの結果のあいだには何の関連性もないことに気づく。
そもそもNFCはAFC(アメリ カン・フットボール・カンファレンス)よりも優勝回数が多く、株式市場は下げ相場よりも上げ相場のほうが多い。
したがって、ある年を適当に選べば、上げ相場でNFCが優勝している確率は高い。
相関性がいっけん高いように見えるふたつのデータのあいだには、実際には何の関連性もなかったのだ。

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何だかんだ言って、日本ではまだ一般的に「コンサル信仰」が強いように思える。
書店に行けば、マッキンゼーやBCGなど大手コンサルティングファームの名を冠したビジネス書がずらりと並んでいる。
そんななかで、本書は異色の存在となるにちがいない。
経営コンサルタントが「申し訳ありません、あれもこれもまちがっていました」と謝っている本なのだ。