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「奇跡のフォント」を読んだ

投稿時刻2024年2月5日 15:00

奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って UDデジタル教科書体 開発物語」を 2,024 年 02 月 05 日に読んだ。

目次

メモ

p42

私は、レタリングの通信教育で溝引きには慣れていたため、バイトのときから墨入れの作業を任されるようになりました。

一方で、烏口で細い線を引けるようになるには相当な熟練が必要でした。

例えば、鉛筆で下書きされた横線が一本あるとして、アウトラインをその線の「上」に取るか、「下」に取るかでも、線の太さは違って見えてきてしまいます。

そのため職人の世界では、「1mmの隙間の中に、烏口で10本の線を重なることなく引けるようになったら、ようやく一人前」と言われていました。

これは誇張ではなく、私も仕事の合間や仕事終わりに、鳥口で0.1mm以下の極細線を引く練習を何度も繰り返したものです。
こうした訓練を積んでいく中で、やがて髪の毛一本分の線の太さの違いもわかるようになっていきます。
文字の知識や形のバランス感覚を、文字通り身をもって習得していきました。

p49

入社して初めて検討会に参加したときは、圧倒されました。
ペーペーだった私は後ろで見学していたのですが、ベテランのデザイナーが前に座って、「この文字の横線は髪の毛一本分高い」といった指示を出していきます。
先輩から「高田さん(ずれてることが)わかる?」と聞かれても、素人目には何がおかしいのか全然わかりません。
それくらい微妙な修正を、チームメンバーが全員納得するまで、一文字ずつチェックしていくのです。

p52

このようなビットマップバブルの追い風を受けて、タイプバンクは急成長していきます。
当時、どれくらいの価格で仕事を請け負っていたのかは、林さんと奥さんしか把握していませんでしたが、おそらくビットマップの開発費として、一社あたり数千万円は売り上げていたのではないでしょうか。

高額に思えるかもしれませんが、先ほど言ったように、写植で一書体を作るのにも数人のチームで2年ほど時間がかかっていた時代です。
また、当時はビットマップフォントを作るためのマシンもなかったため、林さんはエディックという会社に依頼して、ビットマップフォントを作る専用の機械も開発していました。
それも特注ですから、1台数千万円はしたと記憶しています。

それから林さんは、書体デザイナーの著作権を保護するために、メーカーと書体に対するロイヤリティ契約を結んでいました。
ワープロ1台が売れたら数円が入る程度だったと思いますが、全てのメーカーの販売数を合わせれば数百万台は売れていたと思うので、それも会社の大きな収入源となりました。

p54

文字のデザインに必要な技術も、それまでとは全く異なります。
写植の原字がとことんアナログな作業だったのに対して、ビットマップではデジタル作業に対応しなければなりません。
ベテランの先輩の中には、ビットマップフォントの制作に抵抗がある人もいました。
そのため学生時代から遊び感覚でビットマップに親しんできた私が中心となって、ビットマップフォントのデザインを担当するようになっていきました。

当時の作字のノルマは、一日あたり200~300字。
それ以外にも、とにかく戦力を増やすために若い社員を入れていたため、私は新人の教育係も引き受けていました。
当然、定時に仕事が終わるはずもありません。

毎朝10時に出勤して、夕方の5時を過ぎてから、「さぁて、今日も頑張るぞ!」とエンジンがかかる始末。
家にはほとんどおらず、お風呂に入って寝るぐらい。
土日もお正月休みもない、そんな仕事漬けの日々を2~3年ほど続けました。

p78

ユニバーサルデザインの概念は、1985年にアメリカの建築家ロナルド・メイスが提唱したことをきっかけに社会に広まりました。
日本でも90年代後半になり、高齢化率の上昇に伴って、さまざまな分野でUDの考え方が浸透していきます。

p80

TBUDフォントの制作にあたって、まず目標としたのは、お年寄りや弱視の方にも読みやすく、読み間違いがない書体にすることでした。

実際にUDフォントの見え方を実感してもらうために、皆さんがよくご存じの「MS明朝」と Windows 10 に搭載されている「BIZ UD明朝(TBUD明朝)」を比較してみましょう。
補足ですが、「BIZ UD明朝」と「BIZ UDゴシック」は「TBUD明朝」「TBUDゴシック」をベースに開発された、Microsoft Office製品に最適化したUDフォントです。

TBUDフォントの検証 p96

一方で、着々と開発を進めていたTBUDフォントに、力強い賛同者が現れます。

当時、「ユニバーサルデザイン室」を立ち上げようとしていた株式会社博報堂です。

中野先生の主催するイベント後の懇親会で、博報堂の関係者と話す機会があり、TBUDフォントの説明をしたところ、「自分たちがやりたい方向性と合致している。一緒にUDフォントの研究に携わりたい」と申し出てくれました。

こうして中野先生、博報堂、タイプバンクの3者共同で、UDフォントの研究を進めることになります。

TBUDフォントの完成、そして突然の会社売却 p100

2009年9月。
約3年にわたって研究開発を続けてきた「TBUDフォントシリーズ」が、ついにリリースされることになりました。

リリースに先駆けて、私たちは大手メーカーやマスコミを呼んで、博報堂のビルで記者発表会を開くことになりました。

このとき発表されたのは、「TBUDゴシック」「TBUD丸ゴシック」「TBUD明朝」「UDタイポス」の計15書体、当時は、「TBUDフォントシリーズ」ではなく、博報堂が考えた「つたわるフォント」というネーミングでリリースされました。

p101

TBUDフォントが完成した後、私は早速、新たな挑戦に燃えていました。

次はいよいよ、ロービジョンの子どもたちのために教育現場でも使いやすい「UDデジタル教科書体」の開発に力を注いでいこう!

そう思っていた。矢先のことです。

タイプバンクという小さな会社は、ここで力尽きることになります。

ある日、社員を集めると、社長がこう切り出しました。

「タイプバンクは経営の継続が難しい状況になりました。
よって社員は1ヶ月後に全員解雇とします。
書体または事業を売却する方向で考えています。
社員の皆さんは、どこかの会社と契約が決まるまでアルバイトでサポートをお願いします。
そしてこのことはオープンになるまで口外しないでください」

その場にいた社員全員が突きつけられた現実に顔面蒼白でした。

林さんが亡くなってから15年。

その間、日本の経済は少しずつ悪くなり、フォントビジネスも厳しい状況に置かれていました。
タイプバンクも、フォント作成の合理化やリストラを行うなど、経営努力は続けていました。
しかし数年前から給料が上がらなくなり、ボーナスは全額カット、そして社長の言動からも、財政状態が悪化していたことは、皆も薄々感じていました。

社長も70歳を目前に、今後も会社を続けて社員を養っていく自信がなくなってしまったのかもしれません。

p103

そんな折、国内フォント市場のトップシェアを誇る最大手フォントメーカーの株式会社モリサワから、
「年間契約フォントライセンスシステム『MORISAWA PASSPORT』に、タイプバンクの書体をいくつか入れないか」という話が、社長の元に舞い込みます。

社長からすれば、渡りに船のような話だったのかもしれません。
それから水面下で話を進めるうちに、「全ての書体を買い取ってほしい」という話に膨らみ、最終的にはフォントの権利も含め、タイプバンクの全株式をモリサワに売却することが決められました。

その交渉中に、私たち社員は、全員事実上の解雇となりますが、交渉終結まで交代でアルバイトとしてユーザーサポートを続けていました。
皆、自分のことより、なんとかタイプバンク書体を守りたい、タイプバンク書体を使ってくださるユーザーに迷惑をかけたくない、という一心だったと思います。

株式の売却の契約終結後、モリサワから「書体だけ引き継いでも、それを作った社員がいなければ意味がない」と申し出があり、社員はモリサワと面接することになりました。
その面接に社長が声をかけた時点で、他のアルバイトのシフトで来られなかった人や遠方に住んでいたためユーザーサポートのバイトに参加しなかった人など、声がかからなかったメンバーもいました。
面接で残れなかったメンバーもおり、結果的に、モリサワの子会社となったタイプバンクに再雇用されたのは、元の社員の半数となりました。

こうしてタイプバンクは、モリサワの子会社として継続することになり、私を含む残ったメンバーは、新しい社長を迎えたタイプバンクで再出発することになりました。

p111

視認性に関する実験を通して、誤読することなく読むことができる書体を開発した後に、文章としてまとめて読む際に効率的に読むことができるかどうか、つまり、可読性に関する実験を実施しました。
いくら1文字ずつが正確に読めたとしても、文章として読みやすいかどうかは別の問題です。
そこで、ある程度の長さの文章を作成し、読書の速度を測定するという実験を実施しました。
実は、TBUDフォントに関する研究を最初に発表した際、「低視力の人には読みやすいかもしれないが、視力の高い人には逆に読みにくいのではないか」という指摘がありました。
しかし、実験を行った結果、視力の高い人にとってTBUDフォントで可読性が低下するという事実は確認できませんでした。
このような検証を通して、TBUDフォントは、視認性も可読性も高い書体であることが確認できました。

p112

同じ教科書体と比較すると、UDデジタル教科書体が見やすいと評価する人が多いことは事実です。
しかし、教科書体に限らなければ、他の書体、例えば「TBUD丸ゴシック」のほうが見やすいという実験や調査の結果も得られています。
また、UDデジタル教科書体が見えにくい・嫌いだという人もいます。
人の見え方や好みは多様なので、当然のことです。
したがって、UDデジタル教科書体が見やすい・好きだという人が多いからと言って、全員、UDデジタル教科書体にすれば良いと考えてはいけません。
これは、ユニバーサルデザインの原則に反することです。
書体の見やすさや好みには必ず個人差があるので、どんなに小さな意見も大切にすることがユニバーサルデザインを実現するためには必要なことです。
それぞれの人にとって見やすかったり、好ましかったりする書体を、それぞれが選択できることこそがユニバーサルデザインの本質です。
この点は、決して忘れて欲しくないと思います。

教科書の調査から字体・字形を決定する p118

少し話が遡りますが、UDデジタル教科書体の開発は、タイプバンクがモリサワに売却される前からコツコツと続けていました。

ここでもう一度、ロービジョンの子どもたちを悩ませていた書体の問題点を振り返ってみましょう。

1 教科書体や明朝体は線に強弱があり見えにくい
既存の教科書体や明朝体は、楷書をベースとしていて線の太さに強弱がある。
特に明朝体の漢字は、縦線にくらべて横線が細く、ロービジョンの子は横線が消えたように見えてしまい、正しい字形が判別できない。
また、濁点、半濁点、句読点といった小さなパーツも見えづらい。

2 ゴシック体は学校現場には向かない
線が太く、太さが一定なゴシック体は、ロービジョンの子どもにとっても見えやすい。
一方で「山」と「山」「令」と「令」など、教科書体とは形状が異なる漢字も多く、正しい画数や運筆が教えにくいという欠点がある。

「Windows 10」のOSに標準搭載、世界に広がるUDデジタル教科書体 p176

もう一つ、私にとって忘れられない嬉しい出来事がありました。

それは2017年にリリースされた「Windows 10 Fall Creators Update」以降のWindowsのOSに、UDデジタル教科書体が標準搭載されたことです。

これにより Windows 10 以降に搭載の「Word」「Excel」「Power Point」といったアプリで、UDデジタル教科書体のRとBの2ウェイトのフォントが自由に使えるようになりました。

標準フォントに搭載されたことで、UDデジタル教科書体は、今や全世界の人々が使えるフォントになっています。
知名度が高まることへの嬉しさは、もちろんありました。

用途や場面に応じて、等幅、P付、K付を使い分ける p223

UDデジタル教科書体は、2016年に4つのウエイトでリリースされました。
2018年には「フォントで教育現場のユニバーサルデザインを実現した」と評価され、キッズデザイン賞(特定非営利活動法人キッズデザイン協議会が主催する顕彰制度)の審査委員長特別賞をいただきました。

「Windows 10 Fall Creators Update」以降の Windows OS には、 UD デジタル教科書体のR(レギュラー)とB(ボールド)の2ウエイトが標準搭載されています(→下図参照)。
この「R」と「B」の間の黒味をもつ「M(ミディアム)」は、プレゼンのときに使いやすい書体ですが、残念ながら Windows には採用されていません。
時々、 Word などの太字を表示する「Bボタン」を使っている資料を見かけますが、UDデジタル教科書体のBボタンは仮想的に太くしているだけで文字が潰れて読みにくくなってしまいます。
今後、マイクロソフト側の判断でUDデジタル教科書体の仕様が変わるかもしれませんが、現状 (2023年3月現在) はUDデジタル教科書体では「Bボタン」は使わず、必ず書体名で選択してください。

さて、搭載された書体を見ると、一つのウエイトに対して3つの書体構成になっています(→下図参照)。
書体名にNがついているものを「等幅」と呼び、NにPがついているものを「P付」、Kがついているものを「K付」と呼んでいます。
この3つの書体、デザインは同じですが、それぞれの文字の送り幅が異なります。

私たちが和文フォントを作るとき、正方形の枠の中に文字をデザインしていきます。
その半分の幅で作られた欧文は「半角欧文」といい、「W」は広く「i」は狭くというように、その文字がもつ自然な形状に沿った幅で送られる欧文を「プロポーショナル欧文」といいます。

この半角欧文で表示されるのが「等幅」、プロポーショナル欧文で表示されるのが「P付」か「K付」となります。
では「P付」と「K付」はなにが違うかというと、かな部分です。
設計した通り正方形のままで送られるのが「等幅」と「P付」なのに対し、「き」のように縦長のかなは狭く、「ぷ」のように幅の広いかなは広く、その形状に合わせて送られるのが「K付」です。
特に「等幅」「P付」の拗促音は前後があくので「K付」は狭くなります。

UDデジタル教科書体を本文で使うときは、「P付」をお勧めしています。
原稿用紙に書かれるように和文を表示でき、欧文は文章を組んだときに自然な送りになります。
均等な送りの欧文と違って、かなの空間は、適度なリズムをとって読みやすさを助けています。
ですがプレゼンスライドなどで大きくタイトルや短い文を示すときに、かながパラパラに見えると感じることもあると思います。
そのときは「K付」を使ってください。
また、桁数の多い数字を扱うときや論文の文字数計算などで英数の半角指定があるときは「等幅」が便利です。

p231

また、UDフォントが普及するに従って「明朝体が読みにくい」という声も広がっていますが、世の中の小説や新聞など長く明朝体が使われてきたように、読み書きに困難さがない多くの人にとっては、長文を縦組みで読むときはUD系のゴシック体よりも、むしろ明朝体のほうが読みやすいこともあるでしょう。
媒体も紙からデジタルへと変わってきていますし、生活習慣から人の視力も昔にくらべると落ちているようです。
UDフォントは、多様な人々が読む公共の配布物や看板、多様な子どもたちが学ぶ教育現場、読み間違いがあると事故になってしまう場面など、読むことの情報格差が起きてはならない場面で効果を発揮する書体です。