「感じる経済学」を2025年07月15日に読んだ。
目次
- メモ
- 事業展開には2つの方法がある p49
- コンビニは政治の力で誕生した p53
- p64
- 所得と消費は、ニワトリとタマゴの関係 p72
- 経済学というのは実はメンタルなもの p74
- 消費とは、お金で満足感や喜びを得ること p83
- 投資とは、モノやサービスを生み出すためにお金を投じること p84
- 銀行は実はお金を持っていない p86
- 良好な経済状態は、消費と投資のバランスがカギ p88
- p94
- 経済の登場人物は、お金を払う人、受け取る人、モノを生産する人 p96
- GDPを知るとお金の回り方が見えてくる(家計の所得が経済のスタートライン) p100
- 投資は金利によって変化する p111
- 最終的に金利を決めるのは人の心理 p114
- いくら金利が低くても誰もお金を借りようとしない時がある p122
- 量的緩和策はインフレ「期待」に訴えかける政策 p126
- 経済が成長する仕組みは?(ニワトリとタマゴ論) p132
- 経済成長を決める3つの要素 p134
- 資本がたくさんあるほど、良質なサービスが生まれる p135
- 労働力は人口に比例する p137
- イノベーションは資本力と一致する p138
- たくさん働いているのに、儲けが少ない日本 p162
- フランス人はとにかく働かない、イタリア人はそもそも働きに出ない p165
- p172
- p178
- ドイツの強みは管理された競争システム p184
- ドイツの躍進を支えるのは突出した英語力 p187
- 傍観者になってはいけない(リスクと成長の仕組み) p207
- 日本で構造改革がうまくいかない理由はマインド p208
- p211
- 仕事や会社を変えることは確実にプラスの効果がある p222
- 好きな仕事を見つけるためのスイスの制度 p228
- 経済活動はお礼の延長線上にある p233
- 損得勘定だけでは資本主義は生まれない p240
- 産業革命は合理的な選択ではなかった p243
メモ
事業展開には2つの方法がある p49
企業がある事業分野で成功した後、どのように事業展開をしていくのかについては大きく分けて2つの方向性があります。
一般的なのは事業の水平展開です。
これは、同じ事業を異なる顧客層に展開していくというもので、社員食堂からスタートしたシダックスが病院給食分野に進出するというのは典型的な水平展開といってよいでしょう。
もうひとつは、ひとつの事業を核に垂直方向に事業を展開するというやり方です。
例えばハウスメーカーの大和ハウスは、M&A(合併・買収)などを通じてデベロッパー業務*に進出しており、現在ではメーカーというよりデベロッパーとしての色彩が濃い企業となっています。
本来、ハウスメーカーはデベロッパーから注文を受けて家を提供する仕事ですが、同社は発注者の事業領域もカバーしていることになるわけです。
シダックスも給食事業者として見れば、カラオケ事業者はむしろ顧客となる業界です。
しかし自らがカラオケ施設の運営に乗り出すことで、両方で利益を出すことが可能となります。
シダックスのライバルである第一興商も、本業はカラオケ装置のメーカーです。
つまり、自ら、顧客であるカラオケ店の事業も行っていることになります。
ただし、こうした垂直分野への進出はリスクも大きいということを忘れてはいけません。
例えばデベロッパーとハウスメーカーは、発注者と受注者であり、本来であれば利益が相反する関係です。
給食事業者とカラオケ事業者も同じで、カラオケ事業者としてはできるだけ安く料理を調達したいところですが、給食事業者としてはできるだけ高く料理を売りたいというのがホンネです。
市場が伸びている時であれば、両方の事業で利益を拡大できるので垂直戦略はうまく機能します。
しかし、市場の伸びが鈍化した時には、どちらかを犠牲にするという厳しい選択が必要となってきます。
シダックスは、本業である給食事業よりもカラオケ事業の企業イメージが強くなりすぎてしまったのかもしれません。
コンビニは政治の力で誕生した p53
コンビニは今でこそ、日本のインフラ*とも呼べる存在になっていますが、本来、コンビニはここまで普及する業態とは思われていませんでした。
コンビニが日本で普及するきっかけになったのは、実は政治の力です。
昭和の時代、日本でもいわゆる大型スーパーが普及し始めましたが、当時は、商品価格はメーカーが一方的に決めるという硬直的な市場でした。
こうした閉鎖的な慣行に風穴を開け、大量調達によって庶民に安い商品を提供するというコンセプトを掲げて登場したのが、イオン(旧ジャスコ)やダイエー(現イオン)、セブン(旧イトーヨーカ堂)といった企業です。
当時、こうした試みは「流通革命」と呼ばれていましたが、現実には思ったような展開はできませんでした。
日本では大規模小売店舗立地法(いわゆる大店法)の規制があり、安値販売のカギとなる大型店舗の出店が難しかったからです。
もしこうした規制がなければ、安い商品を大量に販売する大型スーパーが発達し、価格が高いコンビニは敬遠されていた可能性が高いでしょう。
しかし政治による決断は時に市場メカニズムを変化させます。
庶民に安い商品を大量に提供するという流通革命の理想は諦め、現実路線としてコンビニに舵を切ったのがセブンであり、理想を追求し、従来の低価格路線にこだわったのがイオンでした。
両者の業績に大きな違いが出たのは、ある意味で当然の結果なのです。
コンビニが普及したのは政治の力なのですが、コンビニが普及したことで、日本人の生活スタイルは大きく変わりました。
当然、この変化は消費の動向にも大きな影響を与えます。
最近では、そのコンビニも市場拡大が限界に近づきつつあり、寡占化が進んでいます。
経済活動はこうした市場の動きの積み重ねです。
経済について考える際には、今の動きだけでなく、過去の経緯についても知っておいた方がよいでしょう。
p64
例えば、トヨタ自動車は、全体の約8割を海外で販売しており、日本国内での販売はごくわずかです。
グローバル企業である自動車メーカーが、同じ製品を日本においてだけ安く販売することはできません。
一方、日本では経済が拡大せず物価があまり上昇しませんでした。
さらに困ったことに、GDPの水準は横ばいだったものの、労働者の所得は減る一方です。
日本における給与所得者の平均年収は、多少の変動はあるものの、ここ20年で一貫して下がり続けています。
消費者の稼ぎそのものが減り、一方でクルマの単価が上がったということになれば、クルマが買いにくくなるのも無理はありません。
所得の低下は特に若年層にシワ寄せが来るので、若者の購買意欲はさらに低下してしまうわけです。
さらに言えば、中古市場が発達していない日本市場の特殊性も影響しています。
本来、低価格なクルマへのニーズは、中古車市場が満たすはずなのですが、日本は先進諸外国と比較して中古車市場の規模が著しく小さいという特徴があります。
米国は新車1台に対して3倍の数の中古車が販売されていますが、日本の中古車販売台数は、統計の取り方にもよりますが、新車の半分程度に過ぎません。
米国と比較すると、相対値で6分の1の規模しかないのです。
日本では住宅でも同じような傾向が見られ、中古住宅はなかなか売れません。
価格が安くても中古車は敬遠されがちであり、今後もその傾向は変わらないでしょう。
所得と消費は、ニワトリとタマゴの関係 p72
確かに今の日本には後ろ向きな出来事が多く、企業も新しいことにチャレンジするというよりは、市場の奪い合いに注力している割合が高いように思われます。
多くの人が先行きを不安視して、節約志向を強めているのは、こうした経済の状況を肌で感じ取っているからでしょう。
奪い合いの市場では、誰かが得をしても誰かが損をしています。
トータルで見れば、国民の所得は変わりません。
しかしながら、いつ自分の富が奪われるかと皆がビクビクしていますから、所得を消費に回すことを躊躇するようになります。
このため消費ちゅうちょが活発にならず、企業はますます市場の奪い合いに精を出すという負のスパイラルに陥りがちです。
所得と消費は、ニワトリとタマゴの関係です。
どちらかを増やせば、どちらかが確実に増えるという関係にはなっていません。
ある時はニワトリが先だったり、ある時はタマゴが先だったりします。
このところ国内の消費が低迷していることから、政府が賃上げを要請することで所得を増やし、消費を増やそうとの考えも出ています。
しかし、所得と消費の関係はそう単純なものではありません。
無理に所得を増やしてしまうと、別なところに影響が及んだり、物価が上昇して効果を相殺してしまうといった状況が起こります。
少々、精神論的な話になりますが、皆がお金を使おうという雰囲気にならないと、本当の意味での消費拡大のプロセスには入りません。
金融理論の世界では「センチメント」という言葉が用いられますが、消費者や投資家の心理というのは、経済に極めて大きな影響を与えます。
また合理主義一辺倒といわれる経済学の中にも、こうした心理面の影響を重視しようという考え方もあります。
皆がお金を使うような状況に持っていくことはそう簡単ではありませんが、決して不可能なことではありません。
経済のメカニズムについては、後ほど詳しく説明しますが、日本はこのまま縮小一辺倒だと諦めてしまうのはまだ早いでしょう。
経済学というのは実はメンタルなもの p74
経済の原動力が人にあるのだとすると、経済現象としてのインフレ、デフレについても、見方を変えていく必要があるでしょう。
かつて、デフレ経済が最高潮に達していた頃、デフレは諸悪の根源であり、これを脱却しなければ、日本経済の未来はないといった極端な論調がメディアを支配していました。
本章で取り上げた牛丼チェーンについては、デフレをもたらす元凶などという、妄想に近い話まで取り沙汰される状況だったのです。
当然のことですが、牛丼チェーンがデフレ経済をもたらしているわけではありません。
不景気でデフレになり、賃金が下がるので、単価の安い牛丼チェーンが相対的に伸びたということであって、牛丼チェーンが経済全体の物価を引き下げているわけではないのです。
物価動向に対してクールになれないという意味では、アベノミクスが掲げたデフレ脱却も似たような文脈で捉えることができるかもしれません。
量的緩和策は、中央銀行が積極的に資金を供給することによって、市場にインフレ期待を発生させ、それによって投資を促すというものです。
したがって、うまく量的緩和策を実施できれば、物価は上がり、経済は成長していくはずです。
しかし、量的緩和策の目的は、インフレ期待を発生させて設備投資を増やすことであって、インフレにすることそのものではありません。
量的緩和策がスタートした当初、設備投資が増えていないという指摘に対しては、かなりヒステリックな反発が見られました。
物価が上がっているのだから、何が問題なのか?ということなのでしょう。
しかし、物価上昇率が鈍化し、量的緩和策の限界が見え始めてくると、今度は、インフレ政策のすべてが悪だといった論調が目立つようになってきました。
わたしたちは、経済に対して、もう少しクールになるべきです。
インフレ、デフレというのは、モノの価値とお金の価値が相対的にどう変化したのかを示す指標に過ぎません。
もちろん物価は経済の基礎体温ではありますが、インフレ、デフレという部分について、あまり感情的になるのはよくありません。
ある意味では、ここまでインフレ、デフレで熱くなれるわけですから、経済学というものは、非常にメンタルなものだと言い換えることもできます。
しかし、本当の意味でのメンタルな作用というのは、消費者が思いきって消費や投資ができるかどうかというところで試されるべきものであり、デフレの是非について論争する部分ではありません。
消費とは、お金で満足感や喜びを得ること p83
消費と投資というものを、皮膚感覚として理解できていると、経済に対する感度が上がりますし、GDPの概念も理解しやすくなるからです。
消費と投資という言葉は皆さんもよく知っていると思います。
それだけでなく日常的に使っていることも多いのではないでしょうか。
さらにいえば、何となく消費と投資は違うものだという認識もあるはずです。
しかし、2つの意味をしっかりと区別して使っているという人は少ないかもしれません。
消費は多くの人がイメージしている通り、家電や洋服、食事や旅行など、製品やサービスに対して支出することです。
ご飯を食べると食欲が満たされますし、旅行に行くと非日常的な喜びを感じたり、新しい発見をすることができます。
つまり、消費は何らかのメリットを追求して行われるということになります(経済学の用語では効用と呼びます)。
消費というと、瞬間に使ってしまうというイメージがあると思います。
実際、多くの消費は瞬間的に消えてしまうものなのですが、必ずしもそうとは限りません。
冷蔵庫や自動車などは、そこから得られるメリットが長期間にわたって継続しますが、これも消費のひとつと認識されています。
効用が長い期間継続しますから、これらは耐久消費財と呼ばれています。
後ほど詳しく説明しますが、私たちの消費は経済全体の6割を占めており、極めて重要な活動です。
経済が好調なのか低調なのかは、最終的には、消費が強いのか、弱いのかにかかってきます。
投資とは、モノやサービスを生み出すためにお金を投じること p84
一方、投資というのは、同じお金を使うという行為でも、その意味がまったく異なります。
一般的に投資というと株式投資やFX*などを思い浮かべるかと思いますが、経済学でいうところの投資は少し意味が違ってきます。
経済学での投資は、製品やサービスを生産するためにお金を投じる行為を指しています。
具体的には工場の機械や店舗に対してお金を支出することです。
例えば、私たちがお店をオープンすることを考えてみましょう。
お店を開くには、店舗となる不動産を借りて、厨房機器や椅子、テーブルなどを購入して準備を整えなければなりません。
厨房機器を購入したり、椅子やテーブルを揃えることは、食事や旅行などへの支出と同様、何らかの楽しみや満足を得るためのものでしょうか?
違うはずです。
これらへの支出は、今後、その設備を使って製品やサービスを生み出し、お金を稼ぐためのものです。
つまり、将来の生産活動のためにお金を使うことを投資と呼んでいるのです。
投資は企業や自営業者の人たちだけのものではありません。
サラリーマンが新築住宅を購入することも経済学では投資とみなされます。
自分で投資して建てた家に、擬似的に家賃を払って住んでいるとみなしているわけです。
たまたまテナントが他人ではなく、自分自身だったという扱いなので、自宅への投資は生産活動のためと解釈します。
話を単純化すると、世の中の経済活動(支出面)には、消費と投資の2種類しかありません。
経済が拡大することは、消費や投資が増えることなのです。
銀行は実はお金を持っていない p86
では消費と投資はどのような関係になっているのでしょうか。
基本的に人は稼いだお金の多くを消費に回します。
しかし、消費しなかった残りは貯蓄されます。
稼ぎが多く余裕がある人は、たくさん貯蓄するかもしれませんし、稼きが少ない人は、貯蓄する余裕がなく、稼いだお金をほぼ全部、消費に回すでしょう。
ただ社会全体で考えれば、稼いだお金の一定割合が貯蓄されていると考えてよいわけです。
では貯蓄されたお金はどこに向かうのでしょうか。
普通に考えると銀行の口座の中にあると思ってしまいますが、現実は異なります。
銀行は商売ですから、預金者から預かったお金を決して遊ばせておくことはしません。
このお金は、融資などの形を経て企業などに提供され、そこで投資に使われているのです。
先ほど、お店をオープンする話を例に取り上げましたが、よほどお金に余裕のある人でなければ、こうした資金は銀行からの融資で調達しているはずです。
銀行は貸したお金が返ってこなければ損失になりますから、一般的な消費に対しては融資を実行しません(消費に対する融資は、消費者金融など金利の高い個人向けローンなど一部に限られています)。
しかし店舗設備や工場の機械など、投資に対して銀行はお金を貸します。
その理由は、将来、その投資がお金を生み出す可能性があるからです。
このようにして、個人が消費せずに貯蓄したお金は銀行が融資などの形で投資に回していきます。
原則として預かったお金は何らかの形で投資に回りますから、消費されなかった分はすべて投資されていることになります。
経済学では、貯蓄=投資になるという話がよく出てくるのですが、それは、消費の残りが貯蓄され、投資に回っているからです。
良好な経済状態は、消費と投資のバランスがカギ p88
社会全体として稼いだお金のほとんどを消費に回してしまうと、将来、生産するための投資がおろそかになってしまいます。
一方、投資の割合が高すぎると、今度は消費にお金が回らなくなり、豊かな生活ができなくなります。
経済を良好な状態に保っておくためには、消費と投資がほどよいバランスになっていることが重要です。
消費と投資の最適なバランスは、その国がどのような発展段階にあるのかで大きく変わってきます。
成長途上の国は、国内に十分なインフラがありませんから、消費よりも投資が優先されることになります。
高度成長期の日本や現在の中国は、消費よりも投資が活発です。
中国では、全体の経済活動のうち、約4割が設備投資などの投資となっています。
現在の日本における投資の割合は約2割ですが、1970年代にはこの割合は現在の中国と同様、4割近くに達していました。
うまく回っていきます。
一方、米国など社会の成熟化が進んだ国では、消費の割合がさらに上がってくることになります。
米国は全体の7割程度が消費で占められています。
その国の発展段階に合わせて、最適な消費と投資の組み合わせができれば、経済はうまく回ってきます。
p94
先ほどは、景気を良くするためには、消費と投資のバランスを考えながら全体の支出額を大きくしていく必要があると説明しました。
ここに政府が加わった場合には、消費と投資、そして政府支出のバランスを考えながら、総支出額を大きくしていく必要があります。
ちなみに支出額を大きくすればよいからといって、ただモノやサービスの値段を上げればよいというわけではありません。
値段が倍になっても、世の中で取引されるモノやサービスの量が変わらなければ経済活動に変化はありません。
それはモノの値段が上がるという現象、つまりインフレが起こっているに過ぎないからです。
支出額を多くするのであれば、金額を高くするのではなく、1個だった購入を2個にするといった具合に、生産や販売の量を増やすことが重要です。
経済学の用語で「実質」というものがありますが、これは物価の影響を排除したもの。
つまり、純粋に数量ベースでの比較を行っているという意味になります。
経済の登場人物は、お金を払う人、受け取る人、モノを生産する人 p96
消費、投資、政府支出という3つの役者が出揃ったところでGDPの話にもどります。
GDPは、消費(C)と投資(I)、政府支出(G)を足し合わせたものとして定義されています。
つまり式に表せば以下の通りです。
GDP=C+I+G
現実には、これに輸出入が加わるのですが、とりあえず経済の仕組みを理解する上では、この式を頭に入れておけば大丈夫です。
このGDPの定義は、お金を支出するという面に着目したものです。
お金を支出した家計や企業が存在するなら、そのお金を受け取った家計や企業が存在しています。
そして、経済全体でみれば、それは同じ登場人物で構成されています。
つまり、お金を支出する人と製品やサービスを提供する人、そしてそこで得られた利益を給料などの形でもらっているのは、皆、同じ人たちです。
これは同じ経済活動を、お金を使う立場(支出面)、モノやサービスを提供する立場(生産面)、受け取った対価をもらう立場(分配面)、という別々の立場から眺めたものに過ぎません。
3つの面はすべて同じことを示していますから、3つの数字は理論的には完全に一致するはずです。
これをGDPの三面等価と呼びます。
三面等価の話はいろいろと掘り下げていくと面白いのですが、とりあえずGDPのことを理解するためには支出面に着目していれば大丈夫です。
GDPのことを解説した経済記事や政府からのGDP統計の発表も、基本的には支出面を中心に行われています。
経済の分析に関する話や経済政策の話では、いろいろと難しいキーワードが出てきますが、最終的には、ここで取り上げた、消費、投資、政府支出をどう変化させ、最終的な取引量を多くするのかについて議論しているだけです。
もちろん、現実の経済はそう簡単ではないのですが、話を必要以上に難しくする必要はありません。
どんなに専門的なレベルになっても、経済というのは、消費、投資、政府支出の3つの話に集約されることに違いはないのです。
GDPを知るとお金の回り方が見えてくる(家計の所得が経済のスタートライン) p100
GDPの定義が分かると、世の中でお金がどのように回っているのか、俯瞰的に見られるようになってきます。
こうした見方ができると、経済を身近に、そして具体的に感じることができるようになりますし、何より、ビジネスや投資を有利に進めることができます。
先ほどの図でも説明したように、世の中にお金が回る源泉は家計の所得です。
企業が得た利益も、最終的には給料や配当という形で家計に入ってきますから、ここがすべてのスタートラインとなるわけです。
家計に入ったお金は、衣食住を中心とした消費に支出され、ふたたび、社会に出回り、最終的にはまた家計の所得として戻ってきます。
しかし先ほどから説明している通り、家計は入ってきたお金のすべてを消費するわけではありません。
一部は銀行などに貯蓄することになり、経済全体で見ればこれが投資に回るお金の原資となります。
つまり同じ金額の所得があっても、そのうちの何割が消費に回り、投資に回るのかは事前には分からないということです。
そしてどの分野にお金が使われたのかによって、その後の経済的な動きは大きく変わってきます。
投資は金利によって変化する p111
先ほど消費は、経済の中で大きな割合を占めるものの、なかなか動きにくい項目であるという話をしました。
それに対して投資は景気の先行きに敏感に反応します。
経済学の世界では、こうした現実を反映し、家計は所得の一定割合を消費し、残りは貯蓄されると仮定して分析するケースが多くなっています。
消費の水準はGDPに比例して多くなると考えるわけです。
現実には消費も状況に応じて様々な動きを見せるのですが、物事をあまりにも複雑にしてしまうと分析がやりにくくなってしまいます。
このため経済学では一定の仮定条件を置いて話を単純化するということがよく行われます。
消費(C)の水準がGDPに比例して多くなってくると仮定した場合、消費がそれ以外の要素で変化するということはなくなります。
GDPが大きくなれば消費はその分増えるだけですから、景気の動向を決めるのは政府支出(G)と投資(I)ということになるわけです。
政府支出についても景気対策を行わなければ、とりあえず一定額のままですから、景気を左右するのは、投資という結論になります。
では投資は何によって変化するのでしょうか?
経済学の世界ではそれは金利*であるとされています。
企業は銀行からお金を借りて工場などの設備投資を行います。
お金を借りると金利が発生しますから、金利が高いと企業はお金を借りたがりません。
逆に金利が安いと企業は積極的にお金を借りて設備投資を実行しようとします。
経済学の世界では、金利が下がると、企業がお金を借りやすくなり、景気が拡大すると考えているわけです(図)。
この話は短期的なものですが、長期的にも同じことが言えます。
設備投資は今後、数年から十数年かけて企業が製品やサービスを生産していくための支出です。
このような投資の中には、高度にIT化されたものなど、イノベーションと深く関係するものも含まれます。
画期的な設備に対する投資が多ければ多いほど、将来の生産性は高まっていきますから、長期的にも経済にプラスの影響を与えることになるわけです。
では、投資が金利で決まるのだとすると、金利は何によって決まるのでしょうか。
これはなかなかの難問で、金利水準が何によって決まっているのかを正確に特定することはプロでもかなりの難題です。
しかし、確実に言えることは、金利というものは経済の将来見通しに大きく関係しているということです。
金利
市場でお金を貸し借りする際にやり取りされ賃借料のこと。
簡単に言えばお金のレンタル料。
金利水準は将来の景気や物価の見通しに大きく左右される。
最終的に金利を決めるのは人の心理 p114
金利の水準は、最終的にはその国の経済成長率と同じになるといわれています。
景気が順調に拡大すると皆が思えば、金利は上昇しますし、不景気が続き、経済が拡大しないと皆が思っていると、金利は低くなります。
日本では過去20年間、低金利が続いてきたわけですが、それは皆が景気の先行きは暗いと感じていたからです。
そして実際に、日本経済はほとんど成長できないまま20年が過ぎてしまいました。
金利の見通しは合っていたわけです。
この話は、金利が安いと企業は設備投資を積極的に実施するという話と少し矛盾します。
金利が安いと設備投資を増やすという話はあくまで短期的なものであり、ここでは長期的な話をしています。
しかし最終的には、長期と短期についても整合性が取れてくることになります。
なぜなら、いつまでも景気が悪い状態であり続けるということは通常はあり得ないからです。
金利が安くて銀行からお金が借りやすくても、経済の見通しが暗ければ企業は設備投資を行いません。
しかし、景気低迷が長く続いていると、そろそろ不景気も底ではないかと考える企業も増えてきます。
こうしたタイミングでさらに金利が下がるようなことになると、そろそろ思い切って投資をしてみよう、と考える経営者が出てきてもおかしくありません。
こうした行動によって投資が増え、それが呼び水になって景気が拡大に転じるということは十分に考えられます。
このあたりになると、人間の心理というものが極めて大きな影響力を持つようになってきます。
経済は最終的に人の気持ちで動くという話は、本書の主要テーマのひとつなのですが、経済成長のカギを握る投資の決断が、最終的には人の心理で行われるという現実を考えると、この話はとても重要であることがお分かりいただけると思います。
いくら金利が低くても誰もお金を借りようとしない時がある p122
財政出動ではなく金融政策で景気を刺激するという方法もあります。
現在、日銀は量的緩和策という金融政策を行っていますが、これは、中央銀行である日銀が大量の国債を買い取り、市中にお金をたくさん供給するというものです。
市中に大量にマネーが提供されると、お金が余り気味となります。
お金がたくさん余っていると、高い金利を払ってお金を借りる人が少なくなりますから、金利が下がってきます。
金利が下がると今度は逆にお金が借りやすくなり、企業は設備投資を増やし始めます。
これによって景気が拡大するというメカニズムです。
しかし、この方法にも欠点があります。
金利が一定以下になってしまうと、それ以上金利を下げることができず、投資が増えないという状況に陥ってしまいます。
これを経済学の世界では「流動性の罠」と呼んでいます。
これは不景気の最中に住宅ローンを組む時の金利を思い浮かべてみれば想像がつくと思います。
企業は、銀行からお金を借りて設備投資を行いますが、個人が住宅ロンを組んで家を買うこともまったく同じです。
金利が3%だったと仮定した場合、もしここから金利が半分に下がった時のインパクトはとても大きいはずです。
3%の金利が1.5%に下がればローンを組む人の負担は大幅に減ります。
将来が多少不安でも、これをチャンスにローンを組んでみようかな、という人も出てくるでしょう。
しかし、金利がすでに0.2%に下がっているとしたらどうでしょうか。
ここから金利が半分になっても0.1%です。
確かに半分ですが、3%の金利が1.5%になったことと比較すると、それほどのインパクトはありません。
このように金利が低くなりすぎてしまうと、それ以上、金利が下がってもお金を借りようとせず投資が増えないという状況に陥ってしまいます。
日本では低金利が長く続いていましたから、まさに、こうした状況で投資が増えていなかったのです。
そこで日銀が採用した戦略は、さらに大量の資金を市中に供給し、インフレ期待を起こすという大胆なものでした。
インフレ期待というのは、皆が物価が上がると思っている状態のことを指します。
物価が上がると、株や不動産に投資をした方が儲かりますから、ここで投資の資金が動き始めると考えたわけです。
量的緩和策は、当初は市場にインフレ期待を発生させ、株価や不動産価格が上昇。
為替は一気に円安となりました。
円安によって輸入物価も上がり、実際にインフレが起こるのではないかと多くの人が予想するようになりました。
ところが途中から物価の上昇率は鈍化し、最近では前年同月比でマイナスになる月も出るようになっています。
このため、市場では積極的に設備投資を増やそうという状況にはなっていません。
先ほど、2016年7~9月期のGDPに関する報道で、設備投資が伸びていないという記述について説明しましたが、残念ながら予想していた効果は得られていないのが現実です。
このように、GDPを構成する3項目のうち、どれかを増やそうとしても、他の項目に影響してしまったり、思ったようにその項目を増やせないといった事態が発生します。
このため、見た目ほどには、簡単に経済を動かすことはできないのです。
こうした無限とも思われるパズルの中から、最適な組み合わせを探そうというのが、現実の経済政策ということになります。
量的緩和策はインフレ「期待」に訴えかける政策 p126
経済学の分野では貨幣数量説という考え方があり、全体的な物価の水準というのは世の中に出回っている貨幣の総量で決まるとされています。
現時点の経済活動に必要なお金の量に対して、市中に出回っているお金の量が多い場合には、相対的にお金の価値が低くなりますから、物価は上昇します(インフレ)。
逆に、必要なお金の量に対して、市中に出回っているお金の量が少ない場合には、お金の価値が高くなりますから、逆に物価は下落します。
これをデフレと呼びます。
もっとも、貨幣数量説というのはひとつの考え方で、物価が決まる要因は、主にモノの側にあるとする考え方もあります。
しかし、おおまかには市中に出回っているお金の量で、全体の物価が決まるとみて差し支えありません。
この考え方は、量的緩和策の基礎となっているものです。
量的緩和策では、日銀が大量の国債を購入し、市中にお金をバラ撒きます。
同じ経済状態であるにもかかわらず、お金の総量が増えることになりますから、多くの人が物価が上がる、つまりインフレになることを予想します。
インフレになった場合、現金を持っている人は損をします。
今年100円で買えた商品が、来年は105円出さないと買えないということになれば、多くの人は現金の保有をやめ、投資でお金を増やそうとするでしょう。
これによって、お金が回り始め、実体経済も活性化していくことになります。
お金をたくさん刷っただけでは、ただインフレになるだけですが、インフレになるという予想をうまく市場に伝達できれば、人は投資などに積極的になり、結果として経済も成長するという仕組みです。
これが、アベノミクスが行ってきた量的緩和策の基本的な仕組みになります。
つまり量的緩和策は人々の期待に訴えかける政策であり、心理的な側面の強いものです。
また、モノの値段というものも、絶対的な存在ではなく、人の心理をうまく反映させたものなのです。
経済が成長する仕組みは?(ニワトリとタマゴ論) p132
ここまで説明してきた内容は、主に短期的な経済の動向についてです。
長期的にその国の経済が発展するのかについては、また別の要因があります。
経済というものは需要と供給のバランスによって成立しています。
需要というのはモノやサービスを購入したいという意思やその能力のことを指します。
一方、供給というのは、モノやサービスを生産してそれを提供することです。
世の中にどのくらいの需要が存在するのかについては、国民がどのくらい稼いでいるのかという「所得」に依存します。
その所得は、どれだけたくさんモノやサービスを生産したのかという供給によって決まってきます。
たくさん生産して給料を多くもらえば所得も増えて需要も増えていきます。
つまり需要と供給はニワトリとタマゴの関係になっており、どちらが先と決まっているわけではありません。
実はこれについては経済学の世界では一大論争となっており、需要が先なのか供給が先なのかについては決着がついていません。
ケインズ経済学*の領域では需要の方が大事であると考えます。
まず需要が決まって、それに合わせて供給が決まってくるという考え方です。
したがって需要の部分さえコントロールできれば、経済は管理できると考えています。
一方、新古典派経済学*の分野では供給の方が重要であると考えています。
供給できる製品やサービスの量が増えれば、自然と需要は伸びていき、供給力に制限がかかれば、需要も後退するという考え方になります。
これは一種の哲学論争ですので、経済学そのものに興味のある人は、関連する書物を読んで頭を悩ませてください。
現実には、需要が喚起されて経済が動くこともありますし、供給側が画期的な商品を生み出すことで経済が動くこともあります。
つまりどちらも相互に関係していると考えるのが自然でしょう。
ケインズ経済学
英国の経済学者ケインズを起点として発達したマクロ経済学。
主に需要によって経済の動きは決まると考える。
新古典派経済学
現代経済学の主流となっている学派の総称。
自由市場のメカニズムとそれがもらたらす均衡を重視する。
しばしケインズ経済学と対立する。
経済成長を決める3つの要素 p134
ただ、長期的な経済の動向を考える場合には、供給側の問題はとても重要となってきます。
いくら需要が増加しても、現実にその需要を満たす製品が作れなければ経済は伸びないからです。
またアップルのiPhoneのように画期的な商品が発明されると、これまでになかった需要が喚起されることがあります。
こうしたイノベーションの有無も長期的な成長には大きく影響してくるのです。
経済学の世界では、経済成長を決定する供給側の要因は以下の3つであると考えられています。
①資本
②労働
③イノベーション
資本がたくさんあるほど、良質なサービスが生まれる p135
資本とはズバリお金のことです。
具体的に言うと生産設備に対する投資の蓄積です。
こうした投資がないと、良質なモノやサービスは生まれてきません。
誰かがオシャレで画期的なカフェのアイデアを思いついたとしましょう。
経済全体が貧しく、資本蓄積のない国では、面白いアイデアがあっても、それを実現するのはたやすいことではありません。
周囲の人は皆お金を持っていませんし、銀行に行ってもそう簡単にお金を貸してはくれないでしょう。
画期的なカフェができれば、サービスの供給が大きく伸びることが分かっていても、経済全体に余裕資金がないので、そこにお金を回すことができないのです。
六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズの建設で有名な森ビルを創業した森泰吉郎氏は、敗戦の雰囲気が色濃く残る1950年代の中頃、近代的なビルの需要が高まることを予想し、東京の港区にオフィスビルを建設しました。
森氏の読みは見事に当たり、竣工と同時に、ほぼ一瞬でテナントの契約が決まったそうです。
森氏は、これは大チャンスということで、次々にビルを建設しようと考えたのですが、思わぬ障壁に直面します。
確実に利益が出ることが分かっているのに、銀行がお金を貸してくれません。
高度成長期の日本は今ほど資金が豊富ではなく、銀行融資のほとんどは製造業の設備増強に回されていました。
不動産に対す銀行融資の条件は悪く、オフィスビルの建設に融資できる資金は限られていたのです。
森氏は、銀行を必死に説得して融資を引き出し、現在の森ビルの基礎を築きました。
カネ余りとなった今の日本ではとても考えられませんが、資本の厚みがない国というのは、ちょっとしたビジネスを始めるのも一苦労なのです。
お金に余裕のある国は、消費の一部をしっかりと投資に回し、それが資本の拡大となって来年以降の生産をさらに高めます。
これが経済成長に結びつくわけです。
たくさんの資本蓄積がある国は、それを使って多くのモノやサービスを生産することができます。
これによって、高い経済成長を実現することが可能となるのです。
労働力は人口に比例する p137
次の項目は労働です。
労働投入は、基本的に人口に比例しますから、これは人口と置き換えても差し支えないでしょう。
労働投入が多いとたくさんのモノやサービスが生産できることは、実感として理解できると思います。
人口が増えている国はその分だけ有利に経済成長を実現することができます。
日本は残念ながら、これから人口が減少していくことになり、労働投入の面では不利になります。
労働投入が不足する分については、別のところでカバーしなければなりません。
一方、米国は日本とは正反対です。
先進国としては珍しいのですが、移民の流入が多く、米国は順調に人口が増え続けています。
このため米国は今後、10年から20年にわたって生産を拡大できるといわれています。
もちろん米国は資本の蓄積でも圧倒的なナンバーワンですから、これからの米国は相対的に見て世界最強と考えてよいでしょう。
これに加えて米国は世界最大の石油産出国であり、他国からエネルギーを輸入しなくても、やっていくことができます。
米国にもいろいろな問題がありますが、お金、人口、エネルギー、そして後述するイノベーションのすべてを持っており、当分の間、圧倒的に有利な立場が続くことは間違いありません。
イノベーションは資本力と一致する p138
最後の項目はイノベーションです。
ここでいうところのイノベーションは必ずしもテクノロジーのことだけを指しているわけではありません。
画期的な販売方法を編み出したり、より短時間で同じ仕事をこなせるようにするノウハウといったものは、すべてイノベーションと考えることができます。
資本投入と労働投入が同じである場合、イノベーションが活発な方がよりたくさんの商品やサービスを生み出すことができ、経済も成長しやすくなります。
貧しい国に画期的なイノベーションがたくさん起こり、豊かな国なのにイノベーションはさっぱりといったケースはほとんどないとみてよいでしょう。
資本とイノベーションはたいていの場合一致しているわけです。
しかし、人口とイノベーションが一致するとは限りません。
人口の少ない小国が次々と画期的なイノベーションを生み出すケースはよく見られます。
日本は人口という面で不利になっていますから、イノベーションの部分で勝負しなければ、持続的な成長を実現できません。
逆にいえば、この部分さえしっかりしておけば、人口減少など怖くないわけです。
たくさん働いているのに、儲けが少ない日本 p162
日本の労働生産性が低いことは専門家の間では以前から指摘されていたのですが、2016年9月に公表された労働経済白書では、その実態がより明確に示されました。
白書によると日本の労働生産性は主要先進国の中でもっとも低く、フランス、ドイツ、米国の生産性は日本の約1.5倍もあったのです。
厳しいのが製造業の状況です。
かつて日本は、製造業の生産性は高く、サービス業の生産性が低いと言われてきたのですが、残念ながら今となってはこの法則もあてはまらないようです。
製造業の実質労働生産性の水準は米国、ドイツ、フランスと比較すると2割から3割も低くなっています。
日本は製造業が得意なはずだったのですが、ドイツや米国には到底及ばない国になってしまいました。
労働生産性は、労働によって生み出された生産額を労働投入量で割って算出されます。
つまり労働生産性を上げるためには、付加価値の高い製品やサービスを生産するか、労働時間(あるいは労働者の数)を減らせばよいことになります。
つまり労働生産性の式の分子を大きくするか、分母を小さくするのかのどちらかです。
では、日本よりも生産性が高い諸外国は、どのようにして高い生産性を実現しているのでしょうか。
各国がどの程度、儲けているのかは1人あたりのGDPを見ると分かります。
フランス人はとにかく働かない、イタリア人はそもそも働きに出ない p165
OECD(経済協力開発機構)の比較調査によると、日本の平均年間総労働時間は1719時間でしたが、フランスは1482時間とかなり短くなっています。
この比較調査は各国で統計手法が異なるため、学術的に厳密な形で国際比較することができないものですが、ある程度の参考になることは間違いありません。
フランスは明らかに労働時間の短さで生産性を上げているとみてよいでしょう。
稼ぎはそこそこでよいので、さっさと仕事は切り上げ、映画を見たり、食事を楽しもう!といったところでしょうか。
一方、米国や英国の労働時間は長めです。
米国人に至っては、むしろ日本人よりも働いています。
ちなみに、この比較調査の日本における元データは事業者に対する調査ですので、いわゆるサービス残業がカウントされていない可能性があります。
日本の労働時間はもっと多い可能性がありますが、米国人が国際的に見て長時間労働なのは確かでしょう。
米国人は遅くまでハードワークをこなし、その分だけたくさん稼ぐというスタイルのようです。
筆者の知人であるボブは、米国の地方都市で不動産関係の仕事をしていますが、連日、朝7時から夜の10時頃まで働いています。
同じ事務所には女性の社員もいますが、人によっては、男性社員と同じような働き方をしているようです。
ボブはその分、稼ぎもよいらしく、大きなクルマを乗り回し、週末はしっかり休んで、近所の人を呼んで盛大にバーベキューパーティを開催しています。
ある意味で典型的な米国人のライフスタイルといってよいでしょう。
ここで不思議なのはイタリアです。
イタリアの生産性は日本よりも高いのですが、儲けは日本ほど多くありません。
しかも日本と同じくらい長時間労働しています。
では、なぜイタリアは日本よりも生産性が高いのでしょうか。
労働時間が同じで稼ぎも同じなら、働いている人の数が少ない可能性を考える必要があります。
イタリア人で働いている人はどのくらいの割合なのか調べてみましょう。
実は、イタリアの全人口に占める就業者の割合はわずか37%しかありません。
これに対して日本は50%もあります。
つまりイタリア人は一部の人以外はほとんど働いていないことになります。
働く人はハードワークですが、残りは遊んでいるといったら言い過ぎでしょうか。
イタリア人は、無理して働きに出る必要はないと考えているようです。
イタリアは欧州の中でも家族中心主義の社会と言われ、女性の社会参加率が低いことで知られています。
女性があまり外に出ていない可能性が考えられますし、男性も、仕事がない場合には、家族や親戚に支えてもらえばよいと考えているのかもしれません。
イタリアは欧州の中では、しがらみが多い国ともいわれますが、稼ぎの絶対値が少ないにもかかわらず、少ない人数で豊かな社会を維持しているというのはなかなか優秀です。
国によって文化は異なりますから、一概にどこの働き方がよいと決めつけることはできませんが、日本人の働き方に問題があることは、数字の上から見ても明らかといってよいでしょう。
p172
ではなぜ、日本では仕事に時間がかかるのでしょうか。
その理由のひとつとして考えられるのが、業務のIT化の問題です。
日本では業務のIT化が進んでおらず、効率の悪い仕事の進め方が残っており、これが労働時間の増大につながっているという可能性が否定できません。
先ほど紹介した労働経済白書でも、日本の貧弱なIT化の状況について指摘しています。
白書によると、日本における2006年から2010年にかけての情報化資産装備率の上昇率は約2.5%でしたが、英国は6.0%、米国は5.7%、ドイツは4.3%といずれも日本より高い水準でした。
日本の職場であまりIT化が進んでいないのは別のデータからも推測することができます。
それはパソコンの普及率です。
パソコンの正確な普及率を調べた統計というのは存在していないのですが、パソコンの年間販売台数や平均的な利用年月などから、おおよそのパソコン普及率を計算することができます。
日本では、国民1人あたり0.5台しかパソコンは普及していませんが、米国は1人あたり1台、英国は1人あたり0.8台、フランスも1人あたり0.7台となっており、いずれも日本よりも普及率が高くなっています。
日本では業務がIT化されていないので、結果としてパソコンの台数も少なくなっていると考えられます。
日本国内にいるとあまり意識しませんが、先進諸外国では多くの業務がシステム化されおり、業務に人手をかける必要がありません。
日本ではせっかく情報システムを導入しても、人が業務をこなしていた時の面倒なやり方をそのままシステムに残してしまい、結局、業務が効率化できないというケースをよく見かけます。
IT化の遅れで業務が滞っているのだとすると、そう簡単には残業時間を減らすことはできなくなります。
日本は後進国ではありませんから、技術的にはいつでも世界最先端レベルの情報システムを導入することができるはずです。
もしそれが出来ていないのだとすると、これはマインドの問題が大きいといわざるを得ません。
思い切ってシステム化を進め、残業時間を減らすことができれば、経済的には良いことがいっぱいあります。
p178
経済とは不思議なもので、最終的には人の気持ちがどれだけ前向きなのかで結果が変わってきます。
残念ながら経済学の世界では、そこまで踏み込んだ分析は行われていません。
このため、とりあえず財政出動を強化する、金融を緩和するというテクニカルな対策に終始しているわけです。
しかし、私たちのマインドが少し変化しただけで、こうした経済政策をはるかに凌駕する効果を得られる可能性があります。
筆者が「感じる力」や「行動」というものを重視しているのはそのためです。
ドイツの強みは管理された競争システム p184
米国は自由競争の原理が徹底されている国として知られていますが、ドイツはいわゆる米国型のグローバルスタンダードとは一線を画しています。
しかし、競争環境を整えるという点ではドイツも米国も同じです。
ドイツは2012年に倒産法の改正を行い、一定の基準を満たさない企業の取締役は破産申し立てを行うことが法律で義務付けられました。
つまりドイツは、経営が行き詰まった企業を不必要に延命させた場合、処罰の対処となるのです。
人や会社の入れ替わりがないと社会は徐々に淀んでいき、変化への対応力を失っていきます。
米国は市場原理で競争を徹底させるという考え方ですが、ドイツは社会全体として競争環境を管理するという考え方に立っています。
このため、競争力がなくなった企業は、法律で強制的に市場から退出させるわけです。
一方でドイツは、失業者に対する手当が非常に厚いことでも知られています。
失業者が新しい仕事に就くための職業訓練プログラムが多数用意されており、労働力の新しい産業へのシフトを促しています。
ドイツでは企業は簡単に社員を解雇することができます。
しかし、解雇された労働者には失業手当と職業訓練の機会が与えられますから、それほど次の仕事を心配せずに会社を辞めることができるという仕組みです。
市場では常に人が入れ替わりますから、斬新なアイデアなども浮かんできます。
これが市場の変化を取り込む原動力になっているわけです。
ドイツの変化に対する対応力はネットを使った新しいビジネスへの取り組みを見るとよく分かります。
現在、製造業の世界では、IoT(モノのインターネット)の分野に大きな注目が集まっています。
IoTとは、あらゆる機器にセンサーや制御装置などを搭載し、これらをネット上で統合することで高度なサービスを提供しようという新しい試みのことです。
すべてのモノがネットにつながることから、こうした一連の仕組みをモノのインターネットと呼んでいます。
IoTが普及すると、これまでモノを作るだけだった製造業が巨大なサービス産業に変貌する可能性が見えてきます。
各社が対応を急いでいるのは、IoTの普及によって従来の業界秩序が激変する可能性があるからです。
この分野でドイツは非常に積極的な動きを見せています。
製造業大手のシーメンス、自動車部品メーカーのボッシュ、IT大手のSAPなどが参画して、新しい技術仕様の標準化に乗り出しており、米GEなどと並んで、IoTの分野においてドイツ企業は圧倒的な強みを発揮しそうです。
ドイツがこの分野でリーダーになれるのは、SAPというITの世界では非常に強い企業が存在しており、複数分野での技術の融合が進んでいるからです。
ドイツの躍進を支えるのは突出した英語力 p187
こうした動きを後押ししているのが、熱心な英語教育とみてよいでしょう。
教育大手EF Education First社が発表している2015年の世界英語力ランキングによると、ドイツの英語力は世界10位とかなり健闘しています。
英語を母国語とする米国や英国を除くと、独自の歴史や文化を持つ大国の英語力はあまり高くないのが普通です。
日本の英語力ランキングは30位、フランスは37位、イタリアは28位となっています。
こうした国々は、外国語に頼らなくてもあらゆる情報が手に入りますから、必死になって英語を覚える必要がありません。
ところがこの中でドイツの英語力だけは突出しています。
それは製造業大国として、世界各国にモノを売りに行くためには英語力が必須と考えているからです。
日本とドイツの技術力は大差がありませんから、変化への対応力があり、英語を駆使できるドイツ企業の方が有利になるのは当然の結果ともいえます。
日本市場の大きさを考えた場合、筆者は、日本人は無理して英語を覚えて世界にモノを売る必要はないと考えています。
しかし、多くの日本人は今後も日本は製造業の国としてやっていくべきだと考えています。
そうであるならば、ドイツのように競争を徹底させ、英語をより積極的に学ぶ必要があるかもしれません。
傍観者になってはいけない(リスクと成長の仕組み) p207
日本ではこれまで何度も構造改革が叫ばれましたが、そのたびに反対の声が出てきて政策は頓挫しています。
今では構造改革という言葉は、悪いニュアンスで使われることの方が多くなりました。
構造改革というのは、機能不全に陥っている産業に対して、規制緩和などを通じて刺激を与えようという考え方です。
つまり、企業の行動原理を変える手法のひとつということになります。
日本で構造改革がうまくいかない理由はマインド p208
規制緩和などで強制的に競争環境を作り出すというやり方は、1980年代の米国などで実施されそれなりの効果を上げてきました。
米国でアップルやグーグルといった画期的な企業が次々生まれてくるのはこうした施策の結果です。
日本でも同じような政策を実施すれば、企業活動が活性化し、消費者が欲しくなるような画期的な製品やサービスが生まれてくるだろうというのが構造改革路線の基本的な考え方です。
ところが日本ではこのやり方がうまく行かず、無理に構造改革を行うと弊害ばかりが顕在化してしまいます。
そうなってしまう理由は、人々の多くがネガティブなマインドを持っているからです。
p211
地方への移住などを提言する有識者委員会に参加しているメンバーのほとんどは東京在住者で、地方への移住など考えたこともないはずです。
筆者は人の移動というのは、基本的に市場メカニズムに任せるべきだと考えています。
東京にいないとビジネスができないような理不尽な制度がある場合には、それを是正するのは当然ですが、どこで仕事をして生活するのかは、最終的には本人に任せた方がよいでしょう。
地方から東京に人が集まってきてしまうのは、それなりの理由があるからです。
その動きを政府が無理にコントロールすると弊害が大きくなります。
ましてや自身が移住する気もないのに、地方創生を「支援する」という人ばかりではうまくいくはずがありません。
一連の話に共通しているのは、傍観者的な態度といってよいでしょう。
自らが主役となって動かず、誰かがやってくれることを待つという姿勢です。
こうしたメンタルな部分が経済に及ぼす影響は極めて大きく、決して無視することはできません。
この部分を変えないまま、構造改革を進めても、うまくいかないのは当然のことなのです。
仕事や会社を変えることは確実にプラスの効果がある p222
確かに一生同じ会社で、同じメンバーと過ごしていれば日々の生活はラクかもしれません。
しかし、常識的に考えて、同じ人たちが、同じ環境で何十年も一緒にいると確実にマンネリ化してきます。
組織の活力が低下して、新しいアイデアが出にくくなるのは、容易に想像できると思います。
筆者はサラリーマン時代に1度転職し、その後は独立して会社を経営してきたのですが、設立した会社での事業も1度、変えていますから、通算すると3回仕事を変えたことになります。
仕事が変わると、新しいことを覚えなければなりませんから、当然、頭はフル回転となります。
また付き合う人が変わることで、強い刺激を受けます。
転職したり仕事を変えることのメリットは大きいというのが筆者の実感です。
また、複数の仕事を知ると、前の仕事の知識が新しい仕事の知識と結びつき、新しいアイデアが出やすくなります。
人の移動が多いことは、企業活動を確実に活性化させるでしょう。
転職が活発になると、会社に対する考え方も大きく変わってくるはずです。
日本ではブラック企業における過労死などがよく社会問題になりますが、そこでよく出てくるのが、「辛いならなぜ辞めないのか」という議論です。
確かにこれはまったくの正論で、そこで自殺するくらいなら、さっさと会社を辞めてしまえば何の問題もないはずです。
おそらく、その事は本人もよく分かっているでしょう。
しかし、どういうわけか彼等は会社を辞められません。
その理由のひとつが、会社に対する根本的な認識です。
日本人は自分が勤務する会社は、ムラ社会的な共同体だと認識しています。
つまり、会社に所属することが、自身のアイデンティティになっており、そこを辞めてしまうと行くところがないと感じてしまいがちなのです。
こういった話をすると、会社への帰属意識は、日本の文化であるといったような議論になりがちなのですが、話はもっと単純です。
会社への帰属意識の強さは、思い込みである可能性が実は高いのです。
実際、現在のような雇用制度がなかった戦前は会社と社員の関係はドライでした。
会社を複数、渡り歩くようになれば、会社に対して一定の距離感を保つようになります。
筆者も前にいた会社に対してはそれなりに愛着を持っていますが、それ以上でもそれ以下でもありません。
自分にとっては今の仕事が大事であり、以前に勤務した会社は自身のキャリアの一部という位置付けです。
転職に対して、日本人が少し前向きになるだけで、雇用の仕組みは大きく変わりますし、結果的に経済効果、特に消費活動に大きな影響を与えるはずです。
好きな仕事を見つけるためのスイスの制度 p228
好きなことを仕事にするといっても、本当に好きなことを探し出すのはそう簡単なことではありません。
国によっては、好きな仕事選びを制度として定着させているところもあります。
それはスイスです。
スイスは高度な金融サービスと高級時計を中心とした超高付加価値製造業の国として知られています。
しかし意外にも、スイスの大学進学率は約45%とそれほど高くありません。
皆が大学に行くわけではないのですが、スイスではその分、豊富な職業訓練教育制度が用意されており、同国の失業率は2.8%と極めて低い水準に抑えられています。
また、UBS銀行のCEOなど、職業訓練学校出身でグローバル企業のトップに上り詰めるケースもあり、その多様性が評価されています。
スイスでは、日本と同様、中学校まではごく普通の義務教育制度がありますが、制度が大きく変わるのはその先です。
中学を卒業すると、一般的な大学進学を前提とした進学コースと職業訓練コースの2つを選択することができるようになっており、約7割の生徒が職業訓練コースを選択するそうです。
職業訓練コースのカリキュラムは、企業と職業訓練学校の連携によって実現しています。
職業訓練学校に進学した生徒は、週の3~4日は企業でのトレーニングを行い、残りを学校での理論的な勉強に充てます。
3~4年の訓練を経て、生徒はそれぞれの業界に就職していくのです。
さらに専門知識を深めたくなった場合には、職業訓練大学などに編入し、高度な教育を受けてから社会に出るという選択肢もあります。
職業訓練を受けることができる職種は約300種に上っており、一般的な職業のほとんどはカバーされるといわれています。
職業訓練中は基本的に無給ですが、多少の報酬はもらえるそうです。
300以上の職業の中から、興味のありそうな分野を自由に選び、3年かけていろいろな仕事を試してみれば、その中から、自分に合っている仕事を選び出すのは、それほど難しいことではないでしょう。
こうしたシステムは、スイスのほかにドイツなどにも存在しています。
スイスの事例から分かることは、時間をかければ、自分に合った仕事を見つけることは可能だということです。
日本人はもっと仕事の選択について、柔軟になった方がよいでしょう。
経済活動はお礼の延長線上にある p233
よく「お金持ち本」などを読むと、お金持ちの人は相手に対して「ありがとう」を素直に言えると書いてあります。
これはその通りで、お金持ちの人たちは相手に対する感謝の言葉をよく口にします。
飲食店の店員さんなどから話を聞いても、富裕層の人は物腰が柔らかく、サービスに対してよく「ありがとう」という言葉をかけてくれると言います。
ただ、こうした行為は、心優しい振る舞いがお金を引き寄せるといった類のものではありません。
人に対して感謝の意を表すことはメリットが多く、お金持ちの人たちはそれをフル活用しているというのが現実です。
世の中には、人から何かをしてもらっても、感謝の言葉をかけることができない人がたくさんいます。
このため多くの人が、人から感謝されることにあまり慣れていません。
このため、感謝の言葉をかけると素直に喜ぶ人が多く、それが最終的には自分に対するメリットになってくるのです。
筆者はこうしたお金持ちの人たちの考え方を否定するつもりはまったくありません。
むしろ、社会にとって望ましいと思っています。
相手に何かをしてもらったら、感謝の気持ちを言葉に出し、それが好印象につながって、やがて自分の利益にもなる。
これは非常に有益な経済のメカニズムです。
ここからもう一歩踏み込んで、感謝の気持ちを言葉にするだけでなく、「お礼」をすることができれば理想的でしょう。
お金持ちの人たちは、感謝の言葉を口にすると言いましたが、彼等が本当に感謝すると、言葉だけではなくお礼をします。
感謝は口にするだけですが、お礼となると多少の出費を伴いますから、ハードルが上がるわけです。
感動したり、自分のためになったと思えるモノや行為に対しては、ちょっと奮発してお礼をする。
こうした考え方が定着すると、実は消費経済は気持ちよく回り始めます。
米国に行くと、趣味で始めたクッキーが近所で評判になり、お金を出して買いに来る人が現われるようになり、やがてお店になったといった話をよく耳にします。
お礼というものが、もう少しシステマティックな形に成長したものがビジネスですから、人への感謝やお礼という行為は非常に大事なのです。
ビジネスについてこうした視点で考えることができれば、もっと気軽にいろいろなことに取り組めるのではないかと思います。
お金に対する教育という面でもそれはあてはまります。
日本人は諸外国に比べて金融リテラシーが低いと言われています。
こうした状況から脱却するために、子供のうちから投資教育をしようという試みを目にする機会も増えてきました。
それはそれでよいのですが、筆者は少し飛躍し過ぎのような気もします。
それよりも、人が喜ぶものを提供できれば、対価を受け取ることができるというビジネスの基本的なメカニズムを教えることの方がより重要だと考えます。
ビジネスというのは、道徳的によくないことをしないと儲からないものだと考えている人がいますが、それは誤りです。
中にはあくどいことをビジネスにする人もいますが、それは少数派ですし、何よりこうした反社会的なビジネスは思ったほど儲かりません。
本当に大きなお金を儲けようと思ったら、多くの人が喜ぶ製品やサービスを提供することが最も効率のよい方法であり、成功した事業のほとんどは、この条件にあてはまります。
つまり人の喜びの延長線上にビジネスは存在しているのです。
人は対価を発生させると、いろいろな意味で真剣になります。
お金を払う方もしっかりと見極めるようになりますし、お金を受け取る側も、相手が望むものは何かを真剣に考えるようになるでしょう。
こうした工夫を繰り返すことがビジネスをよりレベルの高いものに成長させるのです。
損得勘定だけでは資本主義は生まれない p240
資本主義という言葉は、しばしば拝金主義と同一視されることがあります。
多くの人は、金銭に対して貪欲で、損得勘定を徹底的に追求しなければお金持ちになれないと考えています。
そうであるからこそ、お金を持っている人に対しては、時に批判的な言葉が投げかけられます。
お金儲けにそのような面があることは否定できませんし、一部の人は、金銭に対してすさまじいまでの貪欲さを持っています。
貪欲さの結果としてお金持ちになれたという人は一定数存在しているでしょう。
つまり資本主義=拝金主義です。
確かにちょっとした小金持ちレベルであれば、目の前のお金に貪欲になることで実現可能かもしれません。
しかし、もっと大きなレベルの富ということになると、ただ貪欲なだけでは到底、実現することはできません。
むしろ、お金に対して淡泊であり、すべてを失ってもよいので、自分が理想とする事業を実現したいなど、損得勘定をあまり考えないタイプの人が大成功を収めたりしています。
お金に執着せず、むしろ手離れのよい人がお金持ちになりやすいというのは、多くの成功者が証言するお金持ちになるためのひとつの真理です。
こうした傾向は実は学問的な研究の対象にもなっています。
ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバー*(1864~1920)は、資本主義の成り立ちに関する研究を行い、どのような条件が整うと資本主義が発達しやすいのかについて分析しました。
その結果は、一般的な常識とはまったく逆で、到底、お金儲けなど許されないような地域ほど、資本主義が発達しやすいという矛盾したものでした。
ヴェーバーによると、カトリック圏など、世俗的な欲求(金銭欲など)に対して寛容な地域では資本主義が発達せず、むしろ、プロテスタントの影響が強く、禁欲的な風潮が強い地域の方が資本主義が発達しやすいそうです。
つまり資本主義がうまく機能するためには「資本主義の精神」というメンタルな部分が重要であり、禁欲的な社会においてこそ、こうした部分が発揮されやすいというわけです。
ヴェーバーの学説については、いろいろな矛盾点も指摘されているのですが、資本主義の本質をついた言説として今でも大きな影響力を持っています。
似たような話は経済学者のジョン・メイナード・ケインズ*(1883~1946)も主張しています。
ケインズは、経済を動かす原動力となるのは、合理性ではなくアニマルスピリットだと主張しました。
アニマルスピリットとは、起業家が持っているような、動物的野心のことを指しています。
つまり、経済を動かしているのは、ドライな損得勘定に立脚した合理性だけではなく、マインドであるという意味です。
確かに資本主義が発展する過程においては、こうした事例をたくさん見ることができます。
代表的なのは英国の産業革命でしょう。
かつて資本家といえば、ほとんどが農地の所有者でした。
自身が所有する農地で大量の小作農を囲い込み、そこから地代収入を得ていたわけです。
農業から得られる収益というのは実は非常に小さいのですが、資本家は、極め広大な土地を持っていますから、最終的な収益はそれなりのものとなり、資本家は遊んで暮らすことができたわけです。
ところが産業革命の時代となり、農地に代わって工場への投資を行い、労働者を雇用すれば、農業とは比較にならない富を得られる可能性が見えてきました。
工場を建設して、その事業が成功すれば、何十倍もの富が転がり込んでくるわけです。
しかしながら、工場への投資はリスクが大きく、失敗すれば、すべてを失ってしまいます。
マックス・ヴェーバー
ドイツの社会学者。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『職業としての政治」など有名な著作がたくさんある。
ジョン・メイナード・ケインズ
英国の経済学者でケインズ経済学を確立した。
個人投資家でもあり株式投資で巨額の資産を築いたことでも知られる。
産業革命は合理的な選択ではなかった p243
このような時、徹底的な合理主義者は工場に投資をするでしょうか?
おそらく投資はしないでしょう。
今のまま小作農を抱えて農地の運営をしていれば、贅沢な暮らしが継続できます。
しかし工場への投資に失敗すれば、こうした贅沢な生活もすべて失ってしまうわけです。
いくら資産が何十倍にも増えるチャンスがあるとはいえ、合理主義的に考えれば、工場への投資はしない方がベターです。
ところが英国の資本家は、金融システムを通じて、産業革命の担い手である企業家に積極的に資金を提供しました。
これが英国で産業革命が進んだ理由のひとつと言われています。
結果的に新しい技術への投資が、途方もない金額の富を生み出すことになったわけですが、あくまでこれは結果論に過ぎません。
重要なのは、こうしたリスクのある事柄に果敢に挑んでしまう人の存在が資本主義を発展させたという事実です。
英国には、新しい技術を使って事業を立ち上げようという企業家がいて、それにリスクマネーを提供する資本家が揃っていました。
彼等は、自身でもよく理解できない野心に突き動かされて、新しい事業に邁進したわけです。
こうした事例は現代でもたくさん見つけ出すことができます。
企業家の人は、事業を立ち上げた理由について聞かれると、しばしば社会的使命を強調します。
対外的な見栄からこうした発言をする人もいるのですが、本気で使命感からリスクの高い事業に挑んでいる人も少なくありません。
ヤマト運輸を巨大企業に育て上げ、その後は、福祉事業にも取り組んだ小倉昌男氏などはまさにこうした企業家の典型といってよいでしょう。
企業家は失敗すれば、すべてが終わりです。
リスクを顧みず、使命感だけで新しい事業にチャレンジするというのは、目の前のお金に貪欲な拝金主義者からは決して出てこない発想であることを理解する必要があります。
そして、これこそが、経済を動かす原動力となっているわけです。
一連の話は、経済というものは、人の「心」から始まっているということを如実に示しています。
したがって、経済を理解するためには、人の心を知る必要があるのです。
また、多くの人が、経済活動に対して前向きにならなければ、本当の意味で景気を回復させることはできません。
数式やモデルを使って提示される経済の動きというのは、こうした人の心の動きが形になったものと考えるべきでしょう。