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「それがぼくには楽しかったから」を読んだ

投稿時刻2023年12月12日 15:27

それがぼくには楽しかったから」を 2,023 年 12 月 10 日に読んだ。

目次

メモ

p33

ぼくはお金をせがんで、初めてのコンピュータ本を買った。
ぜんぶ英語で書かれていたので、まず英語の解読から始めなければならない。
よく知らない言語で書かれた専門的な文章を読むのは、容易なことじゃなかった。
それから、自分のお金でコンピュータ雑誌を買ったが、その一冊に、モールス符号のプログラムが載っていた。
このプログラムのおかしなところは、ベーシックで書かれていなかったことだ。
かわりに、数字や文字がずらりとならんでいて、それを、みずからの手で機械語に(コンピュータが読める0と1に)置き換えていくようになっていた。

p38

祖父は父親のわからない私生児だったので(サックスベリは曾祖母の旧姓)、曾祖母がのちに結婚した男性からカランコという姓をもらった。
だけど、ファーファー(父の父)はその人が嫌いだった――姓を変えてしまいたくなるくらい。
で、カランコという姓をやめて、重々しい響きになるという理由から、トーバルドにSをつけた。
トーバルドというのは、本来「雷神トール (Thor) 土地」という意味だ。

祖父はまったく新しい名前を考えるべきだった。
なぜなら、Sを付け加えたことでもともとの名の意味をぶち壊してしまったうえ、
スウェーデン語を話す人もフィンランド語を話す人も、この姓をなんと発音すればいいかわからず、大いに困惑しているからだ。
綴りも Thorwalds にすべきだった。
世界にはトーバルズ家が二一軒あるが、みんなうちの親戚だ。
みんな、滅茶苦茶な名前を我慢している。

p91

ユニックスで特徴的なのは、その基本理念だった。
ユニックスはすっきりとした美しいOSだ。
特別なケースは回避する。
ユニックスにはプロセスという概念があった――プロセスというのは、何かを実行しているモノのことだ。
簡単な例を挙げよう。
ユニックスではDOSとは違い、シェル・コマンド(OSに入るためにタイプする命令)がOS自体の中に組み込まれていない。
シェル・コマンドもただのタスク(仕事の最小単位)なのだ。
他のタスクとなんら変わらない。
キーボードから打ちこまれたコマンドを読み込んで、その結果をモニターに映しだすというだけのこと。
ユニックスのなかで何かをするすべてのものが、プロセスなのだ。
それから、ファイル(データの集まり)という概念もあった。

p94

言葉の話に戻ろう。
漢字でもそうだけど、まず最初に象形文字が生まれて、それがだんだんとシンプルになっていったわけだ。
ビルディング・ブロックでは、抽象的な思考方法が必要になる。
そういうわけだから、ユニックスのシンプルさが洗練度の低さを意味していると勘違いしないでほしい――まったく逆なんだ。

p117

ただ……あの子が大人になるにつれて、心配でたまらなくなりました。
――あんな調子で、すてきな女の子にちゃんとめぐり逢えるのかしらって。
わたしには、あの頼りになる子育ての秘訣――指を十字にクロスさせることしかできませんでした。
ところが、それが効いたんです!
リーナスが大学で教えているとき、トーベに出会ったんです。
トーベがリーナスから数日間、猫のこともコンピュータのことも忘れさせたとき、自然の力が勝利したんだって、すぐにわかりました。
自然はいつも勝つのです。

p158

マイクロカーネルの考え方の背後には、OSは複雑なものだ、という認識がある。
だから、機能ごとにどんどん分割してはずしていってしまえば、複雑ではなくなる、というわけだ。
OSのコアのコアのコアであるカーネルの仕事は、できるかぎり少ないほうがいい、というのがマイクロカーネル派の主張だ。
マイクロカーネルの主たる機能はコミュニケーションなのであって、コンピュータが提供するものはすべて、マイクロカーネルのコミュニケーション・チャンネルを通して得られるサービスなのだ。
この考え方っていうのはつまり、問題のある部分を、もはや複雑でなくなる所まで分割していこうというやり方なわけだ。

こりゃあばかげてる、とぼくは思った。
確かに、一つ一つの部分は単純だけど、それが相互に作用しあったとき、
リナックスのように多くの機能がカーネルに収まっている場合より遙かに複雑な状況が生み出されることになる。
脳のことを考えてみよう。
脳を作る一つ一つの単位は単純なものだ。
けれども、それらの間に起こる相互作用のせいで、全体としては非常に複雑なシステムになっている。
全体は部分より大きい、ということだ。
ある問題を取りあげて、それを半分にしたとしよう。
半分になったから複雑さも半分になったというわけにはいかない。
複雑さの中に、その二つの半分の間で取り交わされるコミュニケーションを加える必要があるってことを無視している。
カーネルを五〇個の独立した部分に分割したとすると、一個一個の複雑さは五〇分の一になる、というのがマイクロカーネル派の意見だ。
しかし、彼らは、その部分同士のコミュニケーション自体が、もとのカーネルよりずっと複雑になってしまっているという事実を無視している
――その一個一個の部分が、思っているほど単純なものじゃないってことは措くにしても、だ。

これが、マイクロカーネルに反対する最大の論拠だ。
マイクロカーネルによって達成しようという単純さは、見せかけの単純さなのだ。

p317

生き残り、繁栄していくには、できるだけよい製品を作ることだ。
それでも生き残り、繁栄していけないのなら、生き残っちゃいけないってことなのだろう。
いい車を作れないなら、一九七〇年代にアメリカ自動車産業がたどったように、岩のように崖を転がり落ちるだけだ。
成功の秘訣はいい品質を維持することと人々が望むものを提供すること。
人々を支配しようとすることじゃない。

問題は、個人や企業が、しばしば欲望に従って行動する点にある。
長い目で見たら、そんな行動は必ず負けにつながるのにね。
欲望から生まれた決定は、すべてを支配したいという意志に満ちていて、どこか偏っている。
それは近視眼的な、よくない決定で、先々、災厄や、それに近いものを招き寄せてしまう。

p365

情報社会の次には、娯楽社会が来るだろう。
インターネットとワイヤレス・コミュニケーションが一日二四時間稼働しているのが当たり前になり、新聞がなくなっている社会だ。
サンフランシスコが時代遅れになり、ディズニーが世界を支配しているような時代だ。
その時は、そう遠い未来ではないのかもしれない。

p374

コピーレフト (copyleft) GNU のリチャード・ストールマンが広く使いだしたもので、「複製や再配布の自由」を主張するもの。
コピーレフトの主張は著作権 (copyright) に基づいた当然の権利だという。
right (右) <=> left (左) という単なる言葉遊びだけでなく、保守の右派に対する
革新の左派、複製(copy) 許可 (leave: leftの現在形) などという意味もこめられているらしい