「イノベーション・オブ・ライフ」を 2,024 年 11 月 26 日に読んだ。
目次
- メモ
- p10
- 「何を考えるべきか」と「どう考えるべきか」の違い p11
- わたしには意見がない、理論には意見がある p13
- 第1部 幸せなキャリアを歩む Finding Happiness in Your Career p21
- p22
- よりよい動機づけ理論 p33
- 動機づけ要因と衛生要因のバランス p38
- p41
- 思いがけないところで気づかされる動機づけの大切さ p42
- 愛せる仕事が見つかったら…… p43
- p45
- p51
- 創発的戦略と意図的戦略のバランスを図る p54
- これが成り立つためには何が言えればいいのか? p59
- p63
- その仕事を引き受ける前に p64
- 成功の誤った尺度 p71
- 資源配分のパラドックス p73
- 個人が問題の根源であるとき p75
- 時間枠を誤ることの危險性 p76
- 自分の「事業」に資源を配分する p79
- p89
- 良い資本と悪い資本の理論 p95
- 日陰が必要になると思ったそのときに苗木を植える p96
- 人生の投資を後回しにするリスク p102
- 「用事」を正しく片づける p111
- 価格を下げる?チョコレート成分を増やす?具を増やす? p115
- 犠牲と献身 p128
- アウトソーシング版ギリシア悲劇 p137
- 自分の能力を理解する p140
- 未来をアウトソーシングしてはいけない p143
- わが子にできること、できないこと p145
- 家庭版ギリシア悲劇 p147
- わたしの親がしてくれなかったこと p150
- 子どもは学ぶ時期が来れば学ぶ p153
- p156
- これは本当に正しい資質だろうか? p161
- 「正しい資質」は正しくない p164
- 戦車が丘を越えるとき p183
- 企業文化はどのように形成されるか? p184
- わが家の行動方針 p190
- p202
- 限界的思考の罠 p203
- 結局は総費用を支払う羽目になる p207
- 人生はやむを得ない事情の連続だ p210
- 一〇〇%守るほうが九八%守るよりたやすい p214
- p216
- 終講 p218
- 目的をもつことの大切さ p218
- 目的の三つの部分 p220
- 自分のなりたい自分 p223
- 献身する p225
- 正しい尺度を見つける p227
- あなたの学ぶ一番大切なこと p230
- p232
- 謝辞 p233
- p235
- p249
メモ
p10
あなたにもおそらく、どのようにして人生を送り、キャリア選択をし、幸せになるべきかという助言を与えてくれる善意の人が、何十人もいるはずだ。
また本屋に行って自己啓発本のコーナーに足を踏み入れれば、よりよい人生を送る方法を教える、おびただしい数の本に圧倒されることだろう。
そのすべてが正しいはずがないことは、直感的にわかる。
だがどうすれば見分けられるだろう?
ためになる助言と、そうでない助言を、どうやって区別すればいいのだろう?
「何を考えるべきか」と「どう考えるべきか」の違い p11
人生の難題には、簡単な解決策などない。
人生に幸せと意味を求める試みは、むろんいまに始まったことではない。
人間は何千年も前から、自らの存在理由について考え続けてきた。
だが昔と違うのは、最近の思想家がこの問題に切りこむ方法だ。
いわゆる専門家たちの多くは、いきなり答えを与えてくれるのだ。
こういう答えに魅力を感じる人が多いのも無理はない。
なにしろ困難な問題、一生かけても答えが出ないような難題に、手っとり早い解決策を提供してくれるのだから。
本書がめざすのは、そんなものではない。
人生の根源的な問題を手軽に解決する方法など存在しない。
だがわたしに与えられるものがある。
それは、人生の状況に応じて賢明な選択をする手助けとなるツールだ。
本書ではこれを理論と呼ぶ。
わたしがこのツールの力を学んだのは一九九七年、処女作『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)を発表する少し前のことだ。
当時インテルの会長だったアンディ・グローブから、電話があった。
彼は破壊的イノベーションに関する、わたしの初期の学術論文のことをだれかから聞いたと言い、ぜひサンタクララに来て、彼と経営陣に研究を説明し、それがインテルにとってどんな意味をもつのか解説してほしいと、直々に頼んできたのだ。
若い教授だったわたしは興奮してシリコンバレーに飛び、約束の時間に到着した。
するとアンディはこう言った。
「悪いけど問題が発生して、きみに割ける時間は一〇分しかない。きみの研究がインテルにとってどんな意味をもつのか、そこんとこだけ教えてくれ。そうすればやるべきことをやるから」
わたしは「アンディ、そんなことはできない」と突っぱねた。
「わたしはインテルのことをほとんど知らないじゃないか。わたしにできるのは、まず理論を説明することだ。そうすれば、全員で理論のレンズをとおして、会社の問題を考えられる」。
そう言って、破壊的イノベーション理論のモデル図を示した。
そして、新しい技術をもった競合企業が、既存製品よりも性能は劣るが安価な製品やサービスをもって市場に参入するとき、破壊が起きることを説明した。
新しい競合企業は、新しい技術とビジネスモデルを活用して製品やサービスの改良を重ね、ついには既存企業の顧客のニーズを十分満たすようになる。
説明を始めて一〇分経つと、アンディは苛立たしげにさえぎった。
「よし、きみのモデルはわかった。インテルにとってどんな意味があるのかだけ言ってくれ」
わたしは「アンディ、それはまだできない」と断った。
「このプロセスが、半導体とはまったく異なる業界にどのように作用したかを説明しなくては。そうすれば、きみたちは破壊の仕組みがはっきり理解できるはずだ」。
そして今度はニューコアを始めとする鉄鋼ミニミル【電気炉製鋼メーカー】が、巨大な総合製鉄会社をどのように破壊したかを話した。
ミニミルはまず鉄筋用棒鋼や鉄筋鋼材という、市場のローエンドを攻撃し、そこから一歩一歩登っていき、やがてハイエンドに位置する鋼板を製造するようになった。
そして最後には、一社を除くすべての伝統的な製鉄会社を破産に追いこんだのだ。
わたしがミニミルの話を終えるやいなや、アンディは「わかった。インテルにどういう意味があるかというと……」と話を引き取り、のちに低価格のセレロン・プロセッサで市場のローエンドに参入するという、インテルの戦略として結実した計画について、とうとうと語り始めたのだ。
以来、わたしはあのやりとりを何度となく反芻している。
もしわたしがあのときアンディ・グローブに言われるがまま、インテルのマイクロプロセッサ事業について「何を考えるべきか」を話していたなら、彼はおそらくわたしの議論を骨抜きにしただろう。
彼は自分の会社を、わたしなど到底およばないほど知り尽くしているからだ。
だがわたしは「何を考えるべきか」ではなく、「どう考えるべきか」を示した。
その結果、彼は自分が正しいと考える大胆な決断を、自力で下すに至ったのだ。
わたしには意見がない、理論には意見がある p13
アンディとの会合を機に、わたしは質問に対する答え方を変えた。
わたしは人に何かを聞かれて直接答えを示すことはめったにない。
その代わり、まず自分の頭のなかで質問に理論をあてはめ、ある行動方針をとった場合に、理論がどのような結果を予測するかを考える。
それから質問者に、理論が質問にどうあてはまるかを説明する。
質問者が確実に理解できるように、まったく異なる業界や状況を例にとって、理論のプロセスがどのように作用したかを説明し、その仕組みをはっきり理解させる。
そうするとたいていの場合、彼らは「なるほど、わかった」と言って、わたしにはとてもおよばない洞察力をもって、自ら答えを導き出すのだ。
優れた理論は、「気が変わる」ことがない。
一部の企業や人だけにあてはまり、ほかにはあてはまらないということはない。
理論とは「何が、何を、なぜ引き起こすのか」を説明する、一般的な言明だ。
これをわかりやすく示すために、一つエピソードを紹介しよう。
アンディ・グローブとの会合から一年ほど経った頃、わたしはクリントン政権で国防長官を務めていたウィリアム・コーエンから電話をもらった。
彼は『イノベーションのジレンマ』を読んだと言って、こう続けた。
「ワシントンに来て、わたしとスタッフに、きみの研究を説明してもらえないだろうか」。
わたしにとっては、千載一遇のチャンスだった。
コーエン長官が「わたしのスタッフ」と言ったとき、わたしは少尉クラスや実習生のことだろうと、なぜだか思いこんだ。
ところが長官の会議室に足を踏み入れたとたん、とんでもない思い違いをしていたことに気がついた。
統合参謀本部のメンバーが最前列に陣取り、そのうしろに陸海空軍の長官が、そのまたうしろには各長官の次官、副長官、次官補がずらりと並んでいた。
わたしはぼうぜんとした。
長官が直属の部下の全員を一堂に集めたのは、このときが初めてだったという。
コーエン長官は、ただ研究を説明してくれとだけ言った。
そこでわたしはアンディ・グローブに見せたパワーポイントのスライドをそのまま使って、破壊的イノベーションの理論を説明し始めた。
ミニミルが伝統的な鉄鋼業界を、底辺の鉄筋から始め、どのようにして破壊していったかを説明し終えたとたん、当時の統合参謀本部議長、ヒュー・シェルトン陸軍大将がわたしをさえぎった。
「われわれがなぜこの理論に関心をもっているのか、きみは見当もつかないのじゃないかね?」。
そしてミニミルの図を指して言った。
「この鋼板という最上位の市場は、かつてはソ連だったが、もはやわが国の敵ではなくなった」。
それから大将は、市場の底辺に位置する鉄筋を指して、こう続けた。
「われわれの世界で鉄筋にあたるのは、地域の警備活動とテロリズムだ」。
彼はミニミルがまず市場の底辺で巨大な総合鉄鋼メーカーを攻撃し、それから徐々に上位市場へと登っていったことを指摘してから、懸念を口にした。
「われわれの仕事のやり方はすべて、問題のハイエンドを想定している。つまり、かつてのソ連だ」
わたしはようやく、自分の呼ばれた理由を理解した。
おかげでそれからは、既存の組織体制でテロリズムと戦った場合と、まったく新しい組織を設置した場合に、それぞれどのような結果になるかを、全員で話し合うことができた。
のちに統合参謀本部は、新しい組織を設置する道を選択した。
これが、二〇一一年までバージニア州ノーフォークにあった、アメリカ統合戦力軍だ。
同軍は一〇年以上にわたり、アメリカ軍のために世界中のテロリズムと戦う戦略を策定、展開する、「変革の研究室」の役割を果たした。
半導体市場での競争とテロリズムの世界的な広がりは、表面的には似ても似つかない問題のように思われる。
だが実は、置かれた文脈が違うだけで、基本的には同じ問題なのだ。
優れた理論の助けがあれば、分類と説明が、そして最も重要なことに、予測が可能になる。
一般に、将来を予測する最良の方法は、決定を下す前にできるだけ多くの情報を収集することだと考えられている。
だがこれは、バックミラーだけを見ながら車を運転するようなものだ。
データを入手できるのは、過去のものごとに関してだけだ。
経験や情報から多くを学べることもあるが、実際の話、人生には経験をとおして学ぶことが許されない状況が多々ある。
よい伴侶になるために何度も結婚しようという人はいないし、子育てをマスターするのに、末の子が大きくなるまで待とうという人もいない。
そんなとき、理論がとても役に立つ。
何かを経験する前に、これから起きることを説明してくれるのだから。
たとえば人間による飛行の試みの歴史を考えてみよう。
初期の研究では、飛行能力と羽や翼の有無との間に、強い相関性があることが発見された。
人が翼を腕にくくりつけて空を飛ぼうとする物語は、何千年も前からある。
鳥が空高く舞い上がれるのは、翼と羽をもっているからだと考え、それをまねたのだ。
これらの属性をもっていることは、飛行能力と高い相関性――二つの事象のつながり――があった。
だが人間が最も成功している飛行者の「ベストプラクティス」を研究し、それをまねて翼を腕にくくりつけ、大聖堂から力一杯羽ばたいて飛び降りたとき、どうなっただろう。
失敗したのだ。
羽と翼は、たしかに飛行能力と相関性がある。
だが飛行を志す者たちの間違いは、特定の生物の飛行を可能にしている因果的作用――事象を引き起こす直接の原因――を理解していなかったことにあった。
人間による飛行に真の突破口を開いたのは、よりよい翼をつくることや、より多くの羽を使うことではなかった。
大躍進をもたらしたのは、オランダ生まれのスイス人、ダニエル・ベルヌーイと、その著書『水力学』に示された流体力学の研究だ。
彼は一七三八年に、のちに「ベルヌーイの定理」と呼ばれるようになる考えを発表した。
わたしたちはこの理論を飛行に応用することで、揚力の概念を理解し、相関性(翼と羽)から因果性(揚力)へと歩を進めたのだ。
現代の飛行は、この理論の開発と応用を直接の起源としている。
だが飛行原理の理解が飛躍的に進んだあとも、飛行の信頼性は確実ではなかった。
飛行機が墜落するたび、当時の研究者は考える必要があった。
「この状況で飛行の試みが失敗した原因は、何だったのだろう?風だろうか?霧、それとも機体の角度だろうか?」。
このプロセスを踏んだからこそ、パイロットが飛行を成功させるために、そのときどきの状況に応じて従うべきルールを定義できた。
このように、「もし~なら」の条件文の形で助言を与えてくれることが、優れた理論のしるしだ。
第1部 幸せなキャリアを歩む Finding Happiness in Your Career p21
心から満足したいなら、自分がすばらしいと信じる仕事をするしかない。
そしてすばらしい仕事をしたいなら、自分が愛する仕事をするしかない。
それがまだ見つかっていないなら、探し続けることだ。
妥協するな。
心の問題と同じで、そういう仕事が見つかればピンと来るものだ。
――スティーブ・ジョブズ
p22
一〇歳のとき、大きくなったら何になりたいと聞かれたら、何にでもなれる気がしただろう。
宇宙飛行士。
考古学者。
消防士。
野球選手。
アメリカ初の女性大統領。
当時のあなたは、何をすれば自分が本当に幸せになれるかだけを考えて、答えていたはずだ。
あなたを制約するものは何もなかった。
もちろん、自分にとって本当に意味のあることをしたいという気持ちを見失わない、意志堅固な人たちもいる。
だがわたしたちの多くは、年を重ねるごとに、夢を一つ、また一つと失っていく。
間違った理由から仕事を選び、そのまま妥協する。
心から愛することを仕事にするなどしょせん無理な話と、やがてあきらめるようになる。
妥協の道に足を踏み入れたら最後、二度と戻れなくなることが多い。
起きている時間のなかで、最も長い時間を仕事に費やしていることを考えると、このような妥協は必ず心をむしばんでいく。
だが、それが運命だとあきらめることはない。
わたしは卒業後、実社会で長年働いたあとで、大学に戻ってすばらしい若者の世代を教え育てる道が自分にあることに、ようやく気がついた。
自分にそんなことができるなんて、長い間思ってもいなかった。
いまでは、ほかにやりたい仕事を思いつかない。
自分の幸運を日々しみじみ感じている。
あなたにもぜひこの気持ちを味わってほしい。
毎朝、自分のやっていることをやれる幸せをかみしめながら目覚めるのだ。
これからの数章で、そんな仕事を見つけるための戦略を考えていこう。
戦略だって?
そう、戦略とは簡単に言えば、あなたが何を達成したいか、そこにどうやって到達するかを示すものだ。
ビジネスの世界での戦略は、企業が何を優先事項とするか、この先現れる機会や脅威にどのように対応するか、貴重な資源をどのように配分するかといった、さまざまな要因が影響をおよぼし合ううちにできあがっていく。
これらの要因が絶えず作用し合うなかで、戦略が生まれ変化していく。
だが同じ戦略策定プロセスが、わたしたち一人ひとりのなかでも作動していることは、少し考えればすぐわかる。
わたしたちは自分のキャリアについて、「こうしたい」という意図をもっている。
この意図に対して、予期しなかった機会や脅威が現れる。
そしてわたしたちが時間、能力、労力という資源をどのように配分するかによって、人生の実際の戦略が決まる。
実際の戦略は、意図したものとほぼ一致することもある。
だが得てして、わたしたちが最終的に選ぶ行動は、もともとの意図とかけ離れたものになることが多い。
とはいえ、このプロセスをうまくこなすには、当初の計画に含まれないものをすべて排除すればいいというものではない。
予期しなかった機会や脅威のなかには、当初の計画をしのぐ選択肢が必ずあるのだから。
わたしたちは戦略家として、よりよい選択肢を見きわめ、資源を適切に配分してそれを育んでいかねばならない。
次の三章で、こうした概念を用いて、「幸せなキャリアを歩むにはどうすればいいか?」という問いに答える方法を説明しよう。
わたしたちの旅の出発点として、まず優先事項について考える。
優先事項とは、要はあなたが意思決定を行うとき、判断のよりどころとする中核的な基準だ。
あなたがキャリアで最も重視するのは、どんなことだろう?
困ったことに、あなたが仕事で最も重要だと思うことは、あなたを本当に幸せにしてくれることと一致しない場合が多い。
そのうえ、食い違いに気づいた頃には、もう手遅れなのだ。
この間違いを避ける手立てとして、真の動機づけに関する最も優れた研究を紹介しよう。
続いて、心から愛せる仕事を探す計画と、人生に起きる思いがけない機会や脅威とのバランスをうまくとる方法について説明したい。
今後五年間の人生計画をつねにきちんと立てておくべきだと言う人もいれば、人生にふりかかる問題に臨機応変に対応する戦略をとり、自分はそれでうまくいったと教えてくれる人もいるだろう。
これらの手法には、それぞれに適した時期と場所がある。
どんなときに計画を意図的に進めるべきで、どんなときには創発的になって、予期しなかったことを進んで受け入れるべきかを、わたしたちの研究をもとに説明する。
戦略をつくる最後の要素が、実行だ。
戦略は資源が配分されて初めて、実行に移すことができる。
善意だけでは何も始まらない。
自分の時間とお金、能力を、自分の意向に沿った形で実際に費やさない限り、意図した戦略を実行していることにはならない。
あなたは生きている間、時間と注目を絶えず要求される。
何にどれだけの資源をふり向けるかを、どうやって決めるつもりだろう?
このとき陥りがちな罠が、最も声高に要求するものに時間を割き、最も早く見返りが得られるものに能力を注ぐことだ。
戦略の立て方として、これはまずいと言わざるを得ない。
これらの要素、つまり優先事項、計画と機会のバランス、資源配分がすべて組み合わさるうちに、戦略が形成される。
これは持続的なプロセスだ。
戦略が形をとり始める間にも、あなたは絶えず新しいことを学び、新しい問題や機会が現れ続け、それらが次々と戦略に反映されていく。
持続的なサイクルなのだ。
この戦略プロセスを理解しうまく運営すれば、成功するチャンス、心から愛する仕事につけるチャンスが最も高くなる。
――たとえそれが宇宙飛行士の仕事ではなかったとしても。
よりよい動機づけ理論 p33
答えは、誘因(インセンティブ)と動機づけ(モチベーション)という、二つの概念の関係性について、わたしたちがかけ離れた考え方をもっていることにある。
この問題に関しては、大まかに言って二つの陣営がある。
一九七六年に、マイケル・ジェンセンとウィリアム・メックリングという二人の経済学者が発表した論文が、一つめの陣営のよりどころとなっている。
これは過去三〇年で最も広く引用されている学術論文の一つで、エージェンシー理論、またの名を誘因理論(インセンティブ理論)として知られる問題に焦点をあてたものだ。
なぜ経営者は、株主の利益を第一とする行動を必ずしもとらないのか、という問題だ。
ジェンセンとメックリングによると、この問題の根本原因は、報酬の与えられ方によって仕事のやり方が変わることにある。
そのため、経営者と株主の利害を一致させる必要があるとされた。
経営者の報酬が株価と連動する仕組みを設けることで、株価が上昇すれば経営者の報酬が増え、株主と経営者の両方が満足する。
ジェンセンとメックリングは、巨額の報酬を与え必要を具体的に唱えたわけではないが、彼らが経営者に特定の仕事に集中させる手段として考えたのは、金銭的報酬だった。
実際、業績向上を求める動きは、「インセンティブを一致させる」という名のもとに、高騰する報酬を擁護する根拠として広く用いられている。
この理論を信奉するようになったのは、わたしの学生だけではない。
多くの経営者がジェンセンとメックリングの基本的な考えを取り入れている。
だれかに特定の仕事に集中して取り組ませるには、しかるべき仕事をしかるべき時期に行わせるような報酬を与えさえすればいいというのだ。
このやり方は簡単で測定可能だ。
一言で言うと、マネジメントの仕事を一つの算式に委ねるようなものだ。
これに従えば、親さえもが、子どもに期待どおりの行動をさせるには、外から報酬を与えるのが最も効果的だと考えるようになる。
たとえば通知表で「A」をとるたびに、子どもに金銭的報酬を与えるといった方法だ。
理論が提供する助言が信頼できるかどうかを判断するには、アノマリーを探すのが一番だ。
アノマリーとは、理論では説明できない事象を言う。
鳥と羽と飛行のたとえ話に戻ると、初期の飛行者が、自分たちの説や理論だけでは説明できない事象を調べていれば、初歩的な分析に何らかの危険信号を読みとっていたかもしれない。
たとえばダチョウは翼と羽があるのに飛べない。
コウモリは翼があって羽はないが飛べる。
そしてムササビは翼も羽もないが、それでもちゃんと飛べるのだ。
プリンシパル・エージェント理論、つまり誘因理論の問題点は、理論では説明できない、強力なアノマリーが存在することだ。
たとえば、世界で最も努力を惜しまず働く人たちのなかには、非営利組織や慈善団体の職員がいる。
そのなかには災害復旧地域や、飢饉や洪水に見舞われた国など、これ以上ないほど過酷な状況で働く人たちもいる。
彼らの報酬は、民間部門にいれば得られたはずの報酬の数分の一でしかない。
それでも非営利組織の運営者が、職員のやる気のなさに困っているという話は聞いたことがない。
あなたはこうした労働者を、理想主義者として片づけるかもしれない。
だが軍隊にもすばらしい人材が集まっている。
彼らは命がけで国を守るが、金銭的報酬のためにそうしているのではない。
むしろ、その正反対だ。
軍隊での仕事は、条件のよい仕事とはとても言えない。
それでもアメリカを始めとする多くの国で、軍隊はきわめて効率性の高い組織と見なされている。
また軍で働く人たちの多くが、仕事に深い満足を覚えている。
彼らを動機づけているものが、もしお金でないとすれば、いったいどう説明すればいいのだろう?
ここで別の考え方に立つ、二つめの陣営を紹介しよう。
これは二要因理論、別名動機づけ理論(モチベーション理論)と呼ばれる考えで、要は誘因理論を逆さにしたものだ。
たしかに、報酬を支払えば、あなたの望むことを相手にも望ませることは(何度でも)できる。
だが誘因は動機づけとは違う。
真の動機づけとは、人に本心から何かをしたいと思わせることだ。
この種の動機づけは、好不況に関係なく持続する。
動機づけ理論の分野でおそらく最も明敏な研究者の一人であるフレデリック・ハーズバーグは、この問題にずばり焦点をあてた画期的な論文を『ハーバード・ビジネス・レビュー』に発表した。
ビジネス界の読者を想定して書かれたものだが、彼が動機づけについて発見したことは、万人に等しくあてはまる。
ハーズバーグによれば、仕事の満足感が連続的に変化していく――つまり一方の極の非常に満足度の高い状態から、その対極のまったく満足していない状態までが、連続的につながっている――という一般的な前提は、人間の心の働きを正確に表していない。
満足と不満足は、実は一つの連続体の対極に位置するのではなく、別々の独立した尺度なのだ。
たとえば自分の仕事が好きでもあり、嫌いでもあるという人がいてもおかしくない。
わかりやすく説明しよう。
この理論は、衛生要因と動機づけ要因という、二種類の要因を区別する。
仕事には、少しでも欠ければ不満につながる要因がある。
これを衛生要因と呼ぶ【衛生状態が悪ければ健康を害するが、衛生状態がよくても健康が増進されるわけではないことからつけられた呼び名】。
ステータス、報酬、職の安定、作業条件、企業方針、管理方法などがこれにあたる。
たとえば、部下を自分のいいように使う上司や、職務外のことにまで責任をとらせようとする上司がいないことは重要だ。
人は衛生要因が満たされないと、不満を感じる。
仕事に不満を感じないようにするには、満たされていない衛生要因に働きかけ、改善する必要がある。
この理論のおもしろいところは、報酬が動機づけ要因ではなく、衛生要因に含まれる点だ。
CPSテクノロジーズの有能なCFO(最高財務責任者)兼取締役で、報酬委員会の議長も務めていたオーウェン・ロビンズが、わたしに忠告してくれたことがある。
「報酬は死の罠だ。
(CEOが)望めるのはせいぜい、社員全員の氏名と給与額を掲示板に貼り出して、社員に『もっと給料が上がればなあ、だがいまいましいことに、このリストはフェアだ』と言わせる程度のことだ。
クレイトン、社員にインセンティブや報酬を与えれば、会社なんて簡単に経営できると、きみは思うかもしれない。
だがそのせいで、自分のほうが真面目に働いているのに給料が少ないと、社員が不満をもつようになるなら、それは会社にガンを移植するようなものだよ」。
報酬は間違いなく衛生要因だ。
これをしっかり理解しておく必要がある。
報酬をどんなに工夫したところで、せいぜい社員が報酬のせいで同僚や会社に不満をもたなくなる程度でしかない。
これはハーズバーグの研究が与えてくれる、重要な洞察だ。
仕事の衛生要因をただちに改善しても、仕事を突然好きになるわけではない。
せいぜい、嫌いではなくなるのが関の山だ。
「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではなく、「仕事に不満がない」だ。
この二つはけっして同じことではない。
安全で快適な職場環境、上司や同僚との良好な関係、家族を養えるだけの給料といった衛生要因に配慮するのは大切だ。
これらが満たされなければ、あなたは仕事に不満をもつようになる。
だがそれだけで、仕事を心から好きになれるわけではない。
ただ嫌いではなくなるだけだ。
動機づけ要因と衛生要因のバランス p38
ではわたしたちを心から深く満足させるもの、つまり仕事への愛情を生み出す要因はいったい何だろう?
これが、ハーズバーグの研究で「動機づけ要因」と呼ばれるものだ。
動機づけ要因には、たとえばやりがいのある仕事、他者による評価、責任、自己成長などが含まれる。
自分が仕事に有意義な貢献をしているという自負は、仕事そのものに内在する条件がもたらすものだ。
動機づけは、外からの働きかけや刺激とはほとんど関係がなく、自分自身の内面や仕事の内容と大いに関係がある。
あなたもこれまでの人生で、ハーズバーグの動機づけ要因が満たされる経験をしたことがあるだろう。
この経験がある人は、衛生要因だけを満足させる経験との違いがわかるはずだ。
たとえば自分にとって本当に意味のある仕事、興味深くやりがいがあって、職業的に成長できる仕事、責任や権限の範囲を拡大する機会を与えてくれる仕事。
そんな仕事ができる職務を経験した人もいるだろう。
これらがあなたを動機づける要因であり、仕事への愛情を生み出す要因なのだ。
わたしは教え子たちに、こうした要因を求めてほしいと願っている。
これらが、毎朝うんざりしながら仕事に向かうか、わくわくした気持ちで向かうかの違いを生むからだ。
p41
わたしはなにも、不幸な仕事の根本原因が金銭だとは言っていない。
そうではない。
問題が起きるのは、金銭がほかのどの要素よりも優先されるとき、つまり衛生要因は満たされているのに、さらに多くの金銭を得ることだけが目的になるときだ。
営業マンやトレーダーなど、とくに金銭に重点を置いているように思われる職業の人にも、同じ動機づけの法則があてはまる。
こうした職業では、成功を測るためのきわめて正確な尺度として、金銭が使われているというだけだ。
たとえばトレーダーは、世界情勢を正確に予測し、その予測をもとにして売買を行うことに、達成感を感じ、やる気を覚える。
そして予測をあてることと、利益をあげることの間には、ほぼ直接的な相関が見られる。
彼らにとって利益とは、きちんと仕事をしているという確証であり、ほかと成績を比べるために用いる尺度でもある。
同様に、営業マンは自分が売りこんでいる製品やサービスが暮らしに役立つと顧客を説得できたとき、達成感を感じる。
ここでもまた、金銭は成功、つまり売上と直接的に相関している。
仕事をどれだけよくやっているかを測る、一つの指標なのだ。
一部の職業についている人が、ほかの人と根本的に異なる生きものだなどとは言っていない。
たしかに仕事の意味や楽しみを見出す対象は違うかもしれない。
だが理論は万人に等しくあてはまるのだ。
仕事の動機づけ要因が満たされている人は、大金を得ていなくても、仕事を愛するようになることを、ハーズバーグ理論は示唆する。
このような人は、仕事にやりがいを感じるはずだ。
思いがけないところで気づかされる動機づけの大切さ p42
人を動機づけるものを本当の意味で理解すると、キャリアに限らず、さまざまな状況でものごとの本質を見通せるようになる。
わたしの上の二人の子どもは、ハーズバーグの動機づけ理論の重要な側面に気づかせてくれた。
わたしたちが最初の家を買ったとき、プレイハウスを建てるのにぴったりの場所を裏庭に見つけた。
マシューもアンも、この手の作業が大好きな年頃だったから、三人でこのプロジェクトに精を出した。
何週間もかけて材木を品定めし、屋根板を選び、土台から始めて壁、屋根と建てていった。
わたしが釘を大方打ちこみ、子どもたちに仕上げのトンカチをさせた。
もちろん、このやり方は時間がかかった。
金づちやのこぎりを使うたび、だれの順番かでもめた。
だが二人が誇らしい気持ちを感じている様子がほほえましかった。
友だちが遊びに来ると、子どもたちは真っ先に裏庭に案内して、進み具合を見せた。
わたしはいつも家に帰るなり、今度はいつ仕事ができるのとせがまれた。
ところがいざプレイハウスが完成すると、子どもたちはめったになかで遊ばなかった。
実のところ、彼らを動機づけていたのは、自分たちの家を手に入れたいという願いではなかった。
家を建てるという行為と、自分がそれに貢献しているという自覚が、満足感を与えたのだ。
それまでわたしは、大事なのは終着点だと思っていた。
だが実は、そこに向かう道のりにこそ意味があったのだ。
こうした動機づけ要因のもつ力は、計り知れないほど大きい。
何かを成し遂げた、学んだという思い、有意義な成果を生み出そうとするチームを動かしているという自負。
あのとき一人で簡単につくれる、プレイハウスの組み立てキットを買っていたらと思うと、ひやりとする。
愛せる仕事が見つかったら…… p43
わたしは動機づけ理論について学び、誘因や衛生要因が果たす役割を知ったおかげで、人がどのようにしてキャリアで成功し、幸せになるのかを、よりよく理解できるようになった。
以前のわたしは、人の力になろうとするなら、まず社会学のような学問を学ぶ必要があると思っていた。
だがダイアナが研究所で過ごす毎日が、彼女の家庭におよぼす影響について思いをめぐらせるうちに、こう確信するようになった。
人のためになる仕事をするには、経営者になればいいのだと。
マネジメントとは、立派に実践すれば、最も崇高な職業の一つだ。
経営者は自分のもとで働く一人ひとりから、毎日八時間ないし一〇時間という時間をあずかる立場にある。
また従業員が毎日仕事を終えて、よい一日を過ごしたときのダイアナのように、動機づけ要因に満ちあふれた生活を送っているという満足感を抱きながら家に帰れるよう、一人ひとりの仕事を組み立てる責任を担っている。
動機づけ理論が自分にあてはまるのならば、自分のために働いてくれる人たちにも、動機づけ要因が満たされる仕事を与えなくてはいけないと、わたしは思い知ったのだ。
二つめの気づきは、金銭を追い求めても、せいぜい仕事への失望感を和らげられるにすぎないということだ。
それでも富の誘惑は、社会の俊英たちを混乱させ、惑わせている。
本当の幸せを見つける秘訣は、自分にとって有意義だと思える機会をつねに求め続けることにある。
新しいことを学び、成功を重ね、ますます多くの責任を引き受けることのできる機会だ。
古いことわざに、こんなものがある。
「自分の愛することを仕事に選びなさい。そうすればあなたは一生のうち、一日も働く必要がなくなる」。
自分の仕事を心から愛せる人、有意義と思える仕事をしている人は、毎朝出社した瞬間から、はっきりと有利な立場にある。
全力で仕事に打ちこみ、ますます仕事をうまく行えるようになるのだ。
この結果、高い収入が得られることもある。
動機づけ要因に満ちあふれたキャリアは、金銭的報酬が高いことが多い。
だがその逆、つまり動機づけ要因に欠けるが、金銭的報酬が高い仕事もある。
わたしたちは、金銭をもたらすものと幸せをもたらすものの違いを、怖いほどあっけなく見失ってしまう。
仕事にどれだけの幸せを見出せるかを考えるときには、相関性と因果性を混同しないよう、気をつけなくてはならない。
だが幸い、動機づけ要因は職業や時間を経てもあまり変わらないため、これを絶対的な指針として、キャリアの舵とりをしていけばいい。
金銭、ステータス、報酬、職の安定といった衛生要因は、ある一定水準を超えると、仕事での幸せを生み出す要因ではなく、幸せがもたらす副産物にすぎなくなることを忘れてはいけない。
これさえおさえておけば、本当に大切なことに心ゆくまで集中できる。
p45
わたしたちが最も陥りやすい間違いの一つは、それさえあれば幸せになれると信じて、職業上の成功を示す、目に見えやすい証に執着することだ。
もっと高い報酬。
もっと権威のある肩書き。
もっと立派なオフィス。
こうしたものは結局のところ、あなたが職業的に「成功した」ことを、友人や家族に示すしるしでしかない。
だが仕事の目に見えやすい側面にとらわれたとたん、ありもしない蜃気楼を追いかけた、わたしの何人かの同級生と同じ道をたどる危険にさらされる。
今度昇給すればとうとう幸せになれると、あなたは思うかもしれない。
だがそれは雲をつかむようなものだ。
動機づけ理論は、ふだん自分に問いかけないような問題について考えよと、わたしたちを諭している。
この仕事は、自分にとって意味があるだろうか?
成長する機会を与えてくれるだろうか?
何か新しいことを学べるだろうか?
だれかに評価され、何かを成し遂げる機会を与えてくれるだろうか?
責任を任されるだろうか?
――これらがあなたを本当の意味で動機づける要因だ。
これを正しく理解すれば、仕事の数値化しやすい側面にそれほど意味を感じなくなるだろう。
p51
アメリカで新しいオートバイ事業を構築したホンダの経験は、すべての戦略が形成され、その後発展していくプロセスを鮮やかに浮かびあがらせる。
ヘンリー・ミンツバーグ教授が教えるように、戦略の選択肢は、二つのまったく異なる源から生まれる。
一つめの源は予期された機会、つまり前もって予見し、意図的に追求することができる機会だ。
ホンダの事例では、アメリカの大型バイク市場がこれにあたる。
このような予期された機会を中心とする計画を実行するとき、意図的戦略を推進しているという。
選択肢の二つめの源は予期されない機会で、一般には意図的な計画や戦略を決定、推進するうちに生じる、さまざまな問題や機会の混じり合ったものをいう。
ホンダの場合、予期されなかったのは大型バイクの故障であり、その修理にかかった莫大な費用であり、スーパーカブを販売する機会だった。
続いて、予期されない問題や機会は、平たく言えば、経営陣や従業員の注目、資金、熱意を得ようとして、意図的戦略と張り合う。
企業はここで選択を迫られる。
当初の計画に固執するか、それを修正するか、それとも新しく生じた選択肢の一つに完全に乗りかえるかだ。
この選択は、はっきりとした意思決定の形をとることもある。
だが一般に、修正された戦略は、企業が予期されない機会を追求し、予期されない問題を解決するうちに下す、日々のさまざまな決定が凝縮したものであることが多い。
このようにして形成される戦略は、創発的戦略と呼ばれる。
たとえばホンダのロサンゼルスチームの責任者は、戦略を完全に変更し、安価なスーパーカブに集中するという明示的決定を、一日がかりの会議の末に下したわけではない。
むしろ、大型バイクの販売をやめれば、オイル漏れの修理に伴う現金流出を食い止められることを、長い時間をかけてようやく理解した。
そして社員が日本からスーパーカブを一台、また一台と取り寄せるうちに、利益ある成長への道筋が明らかになっていったのだ。
経営陣が新たな方向性を追求するという明示的決定を下したとき、創発的戦略が新たな意図的戦略になった。
だが話はそこで終わらない。
その後も同じ戦略形成プロセスが、こうしたステップを通じて何度もくり返され、戦略を変化させていく。
別の言い方をすれば、戦略は一度限りの分析会議で決定されるようなものではない。
たとえば上層部の会議で、その時点で得られる最良のデータや分析をもとに決定されるのではない。
むしろそれは持続的で、多様で、無秩序なプロセスなのだ。
このプロセスを適切に進めることは、本当に難しい。
意図的戦略と新たな創発的機会は、資源をめぐって互いと争うからだ。
一方では、成功している戦略があれば、それに意図的に集中して、全員の取り組みを正しい方向に向けなくてはならない。
だが反面この集中のせいで、次の大きな潮流になるかもしれないものを、妨げになるとして、却下してしまうおそれがある。
たしかに厄介で無秩序なプロセスかもしれないが、ほぼすべての企業がこの方式で勝利戦略を生み出している。
ウォルマートがその好例だ。
ウォルマートの伝説的創設者サム・ウォルトンは、先見の明のある経営者として名高い。
彼は小売業界を変革するという計画をもって、会社を興したと考えられている。
だがそれは実際に起きたこととは違う。
ウォルトンは当初、二号店をメンフィスに開くつもりだった。
大都市なら大型店を支えられると考えてのことだ。
だが彼が最終的に選んだのは、アーカンソー州ベントンビルという、ずっと小さな町だった。
それには二つの理由があった。
言い伝えによれば、メンフィスには引っ越しませんと、妻にぴしゃりと言われたそうだ。
また彼は、一号店の近くに二号店を開けば、出荷や配送の共同化を図りやすく、物流効率を高められることに気づいた。
このことが結果的に、大型店を小さな町だけに出店し、ほかのディスカウント小売業者との競争に先んじる、というすばらしい戦略をウォルトンに教えたのだ。
これは彼が当初構想した事業のあり方とは違っていた。
彼の戦略は、創発的に形成されたのだ。
創発的戦略と意図的戦略のバランスを図る p54
学生や仕事で知り合う若い人たちの多くが、今後五年間のキャリアを、一から十まであらかじめ計画しておくべきだと思いこんでいることに、わたしはいつも驚かされる。
成績優秀者やそれをめざす人たちは、綿密なキャリア計画を立てなくてはと、自分にプレッシャーをかける傾向がある。
早くも高校時代から、成功するには「人生で何をしたいか」という具体的な構想をもつべきだと思っているのだ。
この思いこみの根拠となっているのが、よほどのことがない限り、キャリアが計画かそれることはないという、暗黙の前提だ。
だがそのような的を絞った計画は、実は特定の状況でしか意味をなさない。
わたしたちは人生やキャリアで、意識していようがいまいが、つねに意図的戦略か、創発的に現れる予期されない選択肢のどちらかを選びながら、道を進んでいく。
どちらの手法も、わたしたちの心をつかもうとして張り合い、実際の戦略になろうとして正当性を主張する。
どちらかの手法がもう一方に比べて本質的に優れているとか、劣っているということはない。
むしろ、どちらを選ぶべきかは、あなたが道程のどこにいるかによって決まるのだ。
戦略がこの二つの異なる要素からできていること、そして状況によってどちらを選ぶべきかが決まることを、しっかり理解しよう。
そうすれば、キャリアを歩むなかで、ひっきりなしに現れる選択肢のなかから、よりよいものを選び出せるようになる。
あなたの求める衛生要因と動機づけ要因の両方を与えてくれる仕事が、すでに見つかっているなら、意図的な手法をとるのが理にかなっている。
あなたははっきりした目標をもち、いまの感触からすると、その目標には努力して達成する価値があると思っている。
予期されない機会に合わせて戦略を修正することは忘れて、意図的に設定した目標をどうやって達成するかに、思考を集中しよう。
反面、こうした条件を満たすキャリアがまだ見つかっていない人は、道を切り拓こうとする新興企業のように、創発的戦略をとる必要がある。
別の言い方をすると、こういう状況にあるときは、人生で実験せよということだ。
一つひとつの経験から学びつつ、戦略を修正していく。
これをすばやくくり返すのだ。
これと思う仕事が見つかるまで続けよう。
キャリアを歩むうちに、自分がどのような分野の仕事なら好きになれるのか、輝けるのかがわかってくる。
そのうちに動機づけ要因を最大限に高め、衛生要因を満たせる分野がきっと見つかるだろう。
だが象牙の塔に閉じこもり、問題をじっと考えていれば、いつか答えがひらめくというものではない。
戦略は必ずと言ってよいほど、予期された機会と予期されない機会が組み合わさって生まれる。
肝心なのは、外へ出ていろんなものごとを試しながら、自分の能力と関心、優先事項が実を結びそうな分野を、身をもって知ることだ。
本当にやりたいことが見つかったら、そのときが創発的戦略から意図的戦略に移行するタイミングだ。
これが成り立つためには何が言えればいいのか? p59
もっとも、機会が現れたら積極的に活用しようと、口で言うのは簡単だ。
だがどの戦略を実際に追求すべきか、それを知るのは本当に難しい。
いまの意図的戦略をこのまま続けるのが一番よいのか、それとも新たに現れた別の戦略を採用すべきときが来たのだろうか?
一度に一〇の機会が現れたら、どうする?
また、そのうち一つがよさそうに思えるが、楽しめる仕事かどうかを知るだけでも多大な投資が必要な場合、どうすればいい?
医学部を卒業してから、医者になりたくないことがわかるようでは困る。
では自分に向いていそうなものを知るには、どうすればいいのだろう?
意図的戦略や新たな創発的戦略が有効かどうかを考える際に、役に立つツールがある。
戦略が成功するためには、どんな仮定の正しさを証明する必要があるかを考えるのだ。
このプロセスを開発したイアン・マクミランとリタ・マグラスは、「発見志向計画法」(Discovery-driven planning:DDP計画法)と名づけたが、「これが成り立つためには、何が言えればいいのか?」と考えるとわかりやすい。
簡単そうに聞こえるが、企業が新たな機会を追求すべきかどうかを検討するとき、この質問について考えることはまずない。
それどころか、多くの場合、最初から無意識のうちに失敗を招いているのだ。
当初の予測をもとに、投資にゴーサインを出す。
しかし、その予測が実際に正しかったかどうかを確かめようともしない。
本格的に推進する前に、思慮深い選択を行い、検証を重ねるのではなく、予測や仮定を現実に合わせて手直ししながらどんどん計画を進め、気がついたときにはもうあとに引けなくなっているのだ。
欠陥のあるプロセスは、たいてい次のような経過をたどる。
従業員またはその集団が、新しい製品・サービスに関する画期的なアイデアを考案する。
彼らはこのアイデアに夢中になり、同僚にも売りこむ。
だが上層部に有望なアイデアだと納得してもらうには、事業計画が必要だ。
プロジェクトに経営陣の承認を得るには、見栄えのいい数字を並べる必要があることを、チームは重々承知している。
しかし顧客が実際にアイデアにどう反応するか、実際のコストがどれほどになるかといったことは、本当のところはわからない。
そこでチームは見当をつける――つまり、仮定を立てるわけだ。
このとき計画を立てる人たちは何度もふり出しに戻って予測を立て直すことが多いが、それは新しい情報が判明したからではない。
イノベータや中間管理職は、提案に資金を得るためには、数字をどれほどよく見せる必要があるかを知っている。
だから提案にゴーサインを得るために、何度もふり出しに戻って予測を「改善」するのだ。
経営陣の説得に成功すれば、プロジェクトに承認が得られる。
だが財務計画に組みこまれた仮定のうち、どれが正しくて、どれが誤っていたかがようやく判明するのは、計画が開始したあとだ。
どこに問題があるのか、わかるだろうか?
どの仮定が正しく、どれが誤っているかを知る頃には、手の打ちようがなくなっているのだ。
プロジェクトが失敗する原因は、ほぼ例外なく、予測や決定のもとになった重要な仮定の一つ以上が間違っていることにある。
だが企業がそれに気づいたときには、もうプロジェクトは進みすぎていて、いまさらアイデアや計画をどうこうできなくなっている。
プロジェクトは資金、時間、労力を配分され、全社をあげて推進され、いまやチームはそれを成功させる責任を負っている。
いまさらどんな顔をして経営陣の前にのこのこ戻り、「わたしたちの仮定をご存じですよね?実は、思ったほど正確でなかったことがわかりまして……」などと言えるだろう?
こうしてプロジェクトは間違った憶測をもとに承認される。
成功確率が最も高いプロジェクトが選ばれるのではないのだ。
p63
何がうまくいくのか、いかないのかを判断する、もっとよい方法がある。
新しいプロジェクトの計画を立てる一般的な手順を入れ替えるのだ。
有望な新しいアイデアが現れたら、もちろん財務予測を立てる必要がある。
だがこの予測が正確だと見なす代わりに、いまの時点ではごく大まかな数字でしかないことを認めるのだ。
プロジェクトに経営陣のゴーサインを得るには、見栄えのいい数字を並べる必要があることは、だれでも知っている。
だから、有望に見せかけるための操作をチームに暗に促すなどという茶番はやめる。
代わりにプロジェクトチームに、当初の予測の基礎となる仮定をすべてリストアップさせる。
それからこう尋ねるのだ。
「この予測が実現すると現実的に期待するには、どの仮定の正しさが証明される必要があるだろう?」。
リストでは、重要度と不確実性の高い順に、仮定を並べる。
リストの一番上に、最も重要で最も不確実性の高い仮定を書き、一番下には重要性と不確実性が最も低いものが来るようにする。
経営陣は、すべての基礎的仮定の相対的な重要度を理解したうえで、プロジェクトを承認する。
だが一般的な検証方法を用いるのではなく、とくに重要な仮定をすばやく、できるだけ費用をかけずに検証する方法を、新たに考案する必要がある。
当初の重要な仮定の正しさが証明される確率が、だいたいどれくらいかが、あらかじめわかっていれば、プロジェクトに投資すべきかどうかについて、よりよい判断を下せるようになる。
この手法には、もっともな理屈がある。
華々しい数字を達成したいのはだれも同じなのだから、見栄えがよくなるまで数字を操作するという、わざとらしいことをする必要がどこにある?
代わりに「どの仮定が立証される必要があるか?」の手法をとれば、戦略が軌道を大きく外れるのを簡単に防げるのだ。
そしてチームは、予測を実現するうえで本当に必要なことに集中できる。
正しい問いかけをすれば、答えはたいてい、簡単に得られるものだ。
その仕事を引き受ける前に p64
この種の計画法は、仕事を選ぶ際にも使える。
成功し、幸せになれる仕事につきたいと、だれもが思っている。
だが思ったような仕事ではなかったことに気づくのは、かなりあとになってからのことが多い。
このツールを使えば、そんな事態を避けられる。
仕事を引き受ける前に、あなたのやりたいことをやり遂げるには、だれに何をやってもらう、または何を提供してもらう必要があるかを、じっくり考えて書き出す。
こう自問しょう。
「この仕事で成功するには、どんな仮定の正しさが証明されなくてはならないだろう?」。
それをリストアップする。
それは自分の力で何とかなるものだろうか?
同じように重要なこととして、いま検討している仕事で自分が幸せになるには、どんな仮定が立証されなくてはならないかを考えよう。
あなたは外発的、内発的どちらの動機づけ要因をもとに、仕事を選ぼうとしているのだろう?
なぜこの仕事を楽しめると思うのか?
どんな根拠があるのか?
転職を検討するたびに、立証する必要のある最も重要な仮定を洗い出し、それをすばやく、費用をかけずに証明する方法を考えよう。
自分のとろうとする道について、現実的な期待をもつことを心がけよう。
成功の誤った尺度 p71
シアトルに本拠を置くソノサイトは、いまから一〇年以上前、携帯型超音波診断装置を開発するために創設された企業だ。
この小型機器は、医療を根本的に変える可能性を秘めていた。
機器が開発される以前は、家庭医や看護師が患者を診察する際、体内の問題を調べるには、聴診や触診を行うしかなかった。
そのため病気が見逃され、かなり進行してからでないと診断されないことが多かった。
超音波やCTスキャン、MRI機器などの技術は二〇年ほど前から存在し、専門家がカート型の装置を使って患者の体内を検査することはできたが、この種の機器は大型で高価だった。
ソノサイトの携帯型超音波診断装置を使えば、初期治療医や診療看護師でも、安価かつ容易に患者の体内を診察できるようになった。
ソノサイトの携帯型機器は、二種類あった。
主力製品の「タイタン」はラップトップコンピュータほどの大きさ、もう一方の「アイルック」ブランドの製品はタイタンの半分以下の大きさで、価格も三分の一だった。
どちらの機器も、とてつもない可能性を秘めていた。
アイルックはタイタンに比べると性能は劣っていたし、利ざやも小さかったが、携帯性に優れていた。
同社の社長兼CEOケビン・グッドウィンは、アイルックに相当な需要が見こめると確信していた。
実際アイルックは、発売後六週間で千台を売り上げた。
また、たとえソノサイトがこの製品を販売しなくても、いずれ他社が小型で安価な類似製品を開発して、高価な機器の売上を食い、ひいてはソノサイトそのものを破壊することは目に見えていた。
あるときグッドウィンは、新しい小型機器に対する顧客の反応をじかに確かめようと、トップ営業マンの営業訪問に同行した。
このときのできごとは、グッドウィンに大切な教訓を教えた。
営業マンは顧客と向かい合って座り、ラップトップ型超音波装置タイタンの売りこみにかかった。
携帯型のアイルックは、カバンから取り出しもしなかった。
一五分が過ぎたところで、グッドウィンはついに口をはさんだ。
「アイルックのこともお話ししなさい」。
そう言って、営業マンを促した。
だがグッドウィンは完全に無視された。
営業マンはその後もタイタンを激賞し続けた。
グッドウィンはしばらく待ったが、何分か経つとまた我慢できなくなって身を乗り出した。
「ほら、カバンから携帯型の超音波装置を出して!」と強く命じた。
ところが営業マンはまたもや彼を無視した。
グッドウィンは部下の最も優秀な営業マンに、アイルックを売るよう、顧客の面前で三度も促したのに、そのたびごとにまったく取り合ってもらえなかったのだ。
いったい何が起きていたのだろう?
企業のCEOが、部下の社員に命令を聞いてもらえないとは、どうしたことだろう?
営業マンは、わざとグッドウィンにたてついていたわけではない。
それどころか、彼は会社の命じるとおりのことをしていた。
利ざやの最も大きい製品を売りこんでいたのだ。
グッドウィンは携帯型の新製品が、長期的に莫大な売上を――おそらくは成功しているラップトップ型モデルを超える売上を――会社にもたらす可能性があると知っていた。
問題は、営業マンが全員歩合制で働いており、売上総額と粗利益の実額という尺度で、成功を評価されていたことにあった。
グッドウィンの最も優秀な営業マンにとっては、小型製品を五台売るより、ラップトップ型超音波装置を一台売るほうがずっと楽だった。
別の言い方をすると、グッドウィンは営業マンの耳に明確な指示を吹きこんでいるつもりでいたが、実はもう片方の耳に、報酬体系が正反対の指示を叫んでいたのだ。
資源配分のパラドックス p73
ソノサイトでは(ほとんどの企業でもそうだが)、この矛盾は不注意によるミスが招いたものではなかった。
これはわたしが自分の研究で「イノベータのジレンマ」と名づけた、どこにでも見られるパラドックスなのだ。
ソノサイトの損益計算書には、同社が被ったすべての費用がはっきりと表れていた。
また同社がこの費用を賄うために――そして数百万人の顧客の医療の質とコストを改善する目的で――日々生み出している収益も、すべて記されていた。
営業マンがラップトップ型のタイタン一台分の利益をあげるには、手持ち型のアイルックを五台売る必要があった。
また彼ら自身にとっても、値段の張るラップトップ型機器をたくさん売るほうが、実入りがよかったのだ。
ケビン・グッドウィンと営業マンが経験したような問題は、ことさら厄介な問題だ。
何しろ理にかなうはずのことが、理にかなわないのだから。
この種の問題は、同じ社内の部門間で生じることもある。
たとえばソノサイトでは、CEOから見て理にかなうことが、営業マンの目から見ると理にかなわなかった。
またエンジニアにとって理にかなうこと――次世代製品で、採算を度外視して、既存製品の性能をさらに上回る、より精巧で機能性の高い製品をつくること――は、アイルックの小型化、低価格化を図るという、企業戦略の考え方の逆を行っていた。
だが往々にしてさらに厄介なのは、こうした問題が一人の個人の頭のなかで生じるときだ。
長期的に正しい決定が、短期的には意味をなさない場合。
売りこむべきでない顧客が、実は売りこむべき顧客である場合。
また重点販売商品が、実は販売する意味がほとんどない場合などだ。
ソノサイトの事例で浮き彫りになった意思決定が、戦略プロセスをつくる最後の要素になる。
それは、資源配分の決定だ。
前章では、意図的な計画か、創発的な選択肢のどちらかを選ぶという考えを紹介した。
本章ではこの問題をさらに深く掘り下げる。
戦略プロセスの根幹をなすのは、何といっても資源配分だからだ。
資源配分プロセスでは、どの意図的、創発的計画に資金が与えられて実行に移されるか、どの計画が資源を絶たれるかが決まる。
企業内の戦略に関わるどんなことも、資源配分段階に到達するまでは、単なる意向でしかない。
企業の掲げるすべての理念、計画、機会が、またすべての脅威や問題が、優先的な扱いを求め、企業が実行に移す実際の戦略になろうとして、互いに競い合っているのだ。
個人が問題の根源であるとき p75
ソノサイトのような企業は、ときに善意の社員に方向を誤らせることがある。
それは、従業員の成功を測る尺度が、企業の成功を導く戦略と相反する場合だ。
また企業は長期より短期を優先する結果、道を誤ることもある。
だがときには、個人そのものが、問題の根源になることがある。
アップルの物語は、個人の優先事項と企業の優先事項の食い違いが、致命的になり得ることを教えてくれる。
アップルは創設者のスティーブ・ジョブズを追放してから、一九九〇年代のほとんどを通じて、かつてその代名詞だった、夢のような製品を生み出す能力が途絶えていた。
ジョブズの課していた規律が失われると、アップルの意図的戦略と実際の戦略との間にすき間が生じた。
そしてそれとともに、アップルの迷走が始まった。
たとえばアップルが一九九〇年代の半ばにマイクロソフトへの対抗策として始めた次世代OS開発プロジェクト(開発コードネーム:コープランド)は、何度も暗礁に乗りあげた。
このプロジェクトは同社の最優先事項とされ、経営陣がマスコミや従業員、株主など、だれかれにその重要性を説いていたにもかかわらず、いつまでたっても実現しなかった。
だが現場では、「市場はこれを求めている」という上層部のお達しは、開発部隊にはほとんど何の意味ももたなかった。
エンジニアはコープランドですでに約束されたことを実現するより、新しいアイデアを生み出すほうに関心があるようだった。
ジョブズ去りしいま、社員は全社目標などそっちのけで、自分の気に入ったアイデアに取り組んでいても、何のとがめも受けなかった。
アップルでCTO(当時最高技術責任者)を務めていたエレン・ハンコックは、とうとうコープランドの開発中止を決定し、他社の買収を推奨した。
ジョブズは一九九七年にCEOに復帰すると、迷走の根本原因だった資源配分問題の解決に、ただちに取りかかった。
社員がそれぞれ勝手な優先事項に取り組むことを許さず、アップルをそのルーツに引き戻した。
世界最高の製品をつくり、暮らしにおける技術のあり方を根本的に変え、すばらしいユーザー体験を提供することだ。
これに合わないことはすべて中止された。
従わない社員は罵倒され、侮辱され、あるいは解雇された。
やがて社員は、自分の資源をアップルの優先事項に合わせて配分しなければ、まずいことになると気づき始めた。
アップルがやると言ったことを実現できるようになった理由、世界で最も成功している企業の一角に返り咲いた何よりも大きな理由は、ジョブズの優先事項を、社員全員が深く理解するようになったことにある。
時間枠を誤ることの危險性 p76
とはいえ、個人だけが原因なのではもちろんない。
実際、失敗した事業の根本原因を調べると、長期的成功をもたらす取り組みよりも、ただちに満足が得られるような取り組みに飛びつく傾向が、くり返し見られる。
多くの企業の意思決定システムは、見返りがすぐに形となって現れるような取り組みへの投資を促すようにできている。
そのため、長期戦略のカギとなる取り組みへの投資がおろそかにされがちなのだ。
短期戦略と長期戦略の間の「イノベータのジレンマ」が蔓延していることを示す具体例として、アップルと並んで最も模倣される企業の一つである、世界最大級の食品、パーソナルケア製品、洗剤掃除用品のメーカー、ユニリーバについて考えよう。
ユニリーバは成長戦略の一環として、有意義な新しい成長事業をもたらす画期的なイノベーションを開発するために、これまで何十億ドルもの投資を行ってきた。
だが同社のイノベータは、野球用語で言えば、胸躍る新しい「ホームラン」級の製品ではなく、バントやシングルヒットを来る年も来る年も生み出し続けているのだ。
なぜだろう?
わたしは社内イノベータの十年以上にわたる取り組みを調べた結果、ユニリーバが(また同社のような企業の多くが)知らず知らずのうちに、最も優秀な人材にバントとシングルヒットだけを打つよう指導しているのだと、結論づけるに至った。
同社の上層部は、毎年世界中の拠点から次世代リーダー(潜在能力の高いリーダー〔High-Potential Leader〕、略してHPL)を選抜する。
これら幹部候補生が経営幹部になったとき、世界をまたにかけながら、与えられた任務を自信をもって次々とこなしていけるよう、HPLには特定の製品や市場に関わるすべての機能部門(財務部、業務部、営業部、人事部、マーケティング部など)を、一八ヵ月から二年ごとの任期で一通り経験させる。
彼らは一つの任務を終えると、そこであげた実績の優劣によって、次にどれだけ重要な任務を与えられるかが決まる。
任務を次々と成功させるHPLは、最高の任務を「獲得」し続け、次世代の経営幹部になる見こみが高い。
ではこれを、幹部候補育成プログラムに選ばれてやる気に燃えている、若い社員の視点から考えてみよう。
彼らはそれぞれの任務で、どのようなプロジェクトを手がけようとするだろうか?
建前上は、ユニリーバが五年から一〇年後に成功するカギとなるような製品やプロセスを推進すべきだ。
だがそのような取り組みの成果は、数年先にならないと表れないため、取り組みを始めた人ではなく、成果が出たときにたまたまその任務についていた人の功績になってしまう。
これに対して、最良の取り組みではなくても、目に見える測定可能な結果が二四ヵ月以内に出ることが確実にわかっているものに集中したらどうなるだろう?
プログラムの統括責任者に、完了した取り組みへの貢献を評価してもらえる。
費やした労力に対して何らかの成果を示すことができれば、次にはさらによい任務を獲得できる可能性が高まることを、彼らは承知している。
つまりこの制度は、将来の経営幹部に、短期に意図的に集中することを奨励し、知らず知らずのうちに全社的な目標に水を差していたのだ。
このような誘因のズレは、至るところに見られる。
たとえばアメリカでは、社会保障制度やメディケア(高齢者向け医療保険制度)を始めとする種々の給付金制度が、国家財政を破綻に追いこんでいることに異論を唱える人はいない。
だが改革は一向に進まない。
なぜだろう?
アメリカの下院議員は二年ごとに再選される。
彼らは、もしアメリカが救われるとすれば、その取り組みを先導する者として自分が再選され続ける必要があると、正しいか間違っているかは別として、固く信じている。
給付金制度の問題を解決する方法は、広く理解されている。
だが下院議員は、解決策をカバンから取り出して、顧客、つまり有権者に「売りこむ」ことをしない。
なぜなら各種給付金の受給者があまりにも多いため、解決策をカバンから取り出す議員は、次の選挙で落とされてしまうからだ。
政界の長老たち(すでに引退していて、再選をめざして立候補する必要がない)が現職議員の横にぴったりついて、カバンから解決策を取り出すよう、再三再四促しているにもかかわらず、選出議員はどうしてもそれができない。
ソノサイトの営業マンと、ユニリーバのHPL、そして下院議員をマウイ島にでも集めて、建前としての優先事項と実際の奨励事項の葛藤に悩む身の上を慰め合う場を設けたらどうだろう。
これは簡単に勝てるような戦いではないのだ。
自分の「事業」に資源を配分する p79
アンディ・グローブの言葉を借りれば、「企業の戦略を理解するには、その企業がやると言っていることではなく、実際にやっていることに目を向けろ」ということになる。
資源配分の仕組みは、わたしたちの人生やキャリアでも、だいたい同じようなものだ。
アメリカの女性解放運動家グロリア・スタイネムも、アンディ・グローブのように、彼女なりの言葉で戦略の本質を言い表している。
「小切手帳の控えを見れば、わたしたちの価値観がおのずとわかる」。
営業カバンからどの機器を取り出すかというジレンマは、職場で終業間際にだれもが悩むジレンマにもよく似ている。
あと三〇分残業して仕事をもう一つ片づけるべきだろうか、それとも家に帰って子どもと遊んでやるか?
わたしたちが自分の戦略に対して行う投資――それが積もり積もって人生になる――は、こう考えるとわかりやすい。
わたしたちはプライベートな時間や労力、能力、財力といった資源をもっていて、これを使ってそれぞれの人生でいくつもの「事業」を育てていく。
たとえば伴侶や恋人と実り多い関係を築く、立派な子どもを育てる、キャリアで成功する、教会や地域社会に貢献するといったことだ。
残念ながら資源には限りがあるため、それぞれの事業は資源を得ようとして競い合う。
つまり、わたしたちも企業とまったく同じ問題を抱えているのだ。
それぞれの事業を追求するのに、どの資源をどれだけ配分すべきだろう?
あなたの資源配分プロセスは、意識して管理しなければ、脳と心にもともと備わった「デフォルト」基準に沿って、勝手に資源をふり分けてしまう。
企業と同じで、あなたはたった一度の会合や、その週の予定を確認するときに、資源配分を決定し、実行するわけではない。
それはたゆみないプロセスであり、脳に組みこまれたフィルターをとおして、絶えず優先事項が取捨選択されている。
だがこれは厄介なプロセスだ。
毎日いろんな人が、あなたの時間や労力を求めてくる。
それに、たとえ自分にとって大切なことに集中していても、何が正しい選択なのかを見きわめるのは難しい。
あなたの労力や時間に多少の余裕ができると、それを求めて多くの人がつめかけてくる。
あまりにも多くの人に時間や注目を求められて、自分の運命が手からすり抜けていくような気がすることさえある。
ときにはそれが幸いして、思いがけない機会が訪れることがある。
だが逆にそのせいで、わたしの同級生の多くの身に起きたように、道を大きく外れてしまうこともあるのだ。
達成動機の高い人たちが陥りやすい危険は、いますぐ目に見える成果を生む活動に、無意識のうちに資源を配分してしまうことだ。
これは、キャリアであることが多い。
製品を出荷する、デザインを仕上げる、患者を救う、商談をまとめる、授業を教える、訴訟に勝つ、論文を発表する、給料をもらう、昇進を勝ちとるなど、自分が前進していることが最も具体的に見える分野だからだ。
彼らは大学を出ると、キャリアを築くことに、あたりまえのように貴重な労力を注ぎこむ。
わたしのクラスの学生のほとんどが、教育の成果を発揮したいという強烈な動機をもって巣立っていく。
だが実のところ、あなたが望みどおりの人生を送れるか、意図したものとはかけ離れた人生を送るかは、自分の資源をどのように配分するかによって決まるのだ。
知らず知らずのうちに中身のない不幸な人生を築いていた同級生たちは、資源を配分する方法が誤っていたからこそ、苦境に陥ったのだと思わざるを得ない。
彼らは個人としては善意にあふれていた。
家族を養い、子どもたちの人生に最良の機会を与えようとした。
だが彼らが資源を投じた道や脇道は、思いもよらない袋小路につながっていたのだ。
同級生たちは昇進や昇給、ボーナスなどの見返りがいますぐ得られるものを優先し、立派な子どもを育てるといった、長い間手をかける必要があるもの、何十年も経たないと見返りが得られないものをおろそかにした。
こうした即時的な見返りを手にすると、自分と家族の派手なライフスタイルを賄うのに使った。
もっとよい車、もっとよい家、もっとよい休暇旅行。
だが困ったことに、ライフスタイルの要求は、資源配分プロセスをたちまち固定化してしまう。
「昇進を逃してしまうから仕事にかける時間を減らすわけにはいかない。どうしても昇進しなくては……」
彼らは仕事に劣らず、プライベートでも満足できる生活を築こうとして、家族によりよい暮らしを与えるような選択をしたが、そうすることで知らず知らずのうちに伴侶と子どもをおろそかにしていた。
家族との関係に時間や労力を費やしても、出世コースを歩むときのように、すぐに達成感が得られるわけではない。
伴侶との関係をなおざりにしても、日々の生活では何かが崩壊していくようには感じられない。
夜になって家に帰れば、伴侶はちゃんとそこにいる。
それに子どもたちときたら、悪さをする方法を次から次へと考え出す。
腰に両手をあてて「立派な子どもに育ったな」と満足感に浸れるのは、二〇年も先のことだ。
実際、上昇志向の強い人たちの私生活には、同じパターンが見られることが多く、思わずハッとさせられる。
家族ほど大切なものはないと頭では思っているのに、かつて一番大事だと言っていたものに、ますます資源をふり向けなくなっていくのだ。
ほとんどの人は、わざとそうしようとしているのではない。
こうした事態を引き起こす決定は、その場しのぎの、大した影響のない、小さな決定のように思われる。
だがこのような資源配分を続けるうちに、また往々にして気がつかないうちに、わたしたちは意図したものとはかけ離れた戦略を実行に移しているのだ。
p89
そんなわけで、どんな状況にも通用する、万能型の手法というものは存在しない。
ニンジンはゆでると柔らかくなるが、卵は固くなる。
あなたは親として、子どもにいろんなことを試みるが、うまくいかないことも多いだろう。
そんなとき、失敗したと考えがちだ。
でもそう考えてはいけない。
実はその逆なのだから。
ここまで創発的、意図的戦略について考えてきたこと――計画と思いがけない機会のバランスを図る方法――を思い出せば、何かがうまくいかないということは、失敗とイコールでないことがわかるはずだ。
失敗したのではなく、うまくいかないやり方を学んだのだ。
おかげで、ほかの方法を試すべきだとわかる。
良い資本と悪い資本の理論 p95
基本的に言って、投資家は企業に投資する際、成長と利益という、二つの目標をもっている。
どちらも生半可なことでは達成できない。
アマル・ビデ教授は著書『新規事業の起源と進化』(“Origin and Evolution of New Business”)のなかで、最終的に成功した企業の九三%が、当初の戦略を断念していたと指摘する。
その理由は、当初の計画に成功の見こみがないことが判明したからだった。
別の言い方をすると、成功した企業は、最初から正しい戦略をもっていたから、成功したのではない。
むしろ成功できたのは、当初の戦略が失敗したあともまだ資金が残っていたために、方向転換して別の手法を試すことができたからだ。
これに対して、失敗する企業のほとんどが、ありったけの資金を当初の戦略に注ぎこんでいる。
だが当初の戦略は、間違っていることが多いのだ。
「良い金、悪い金」の理論は、一言で言えば、ビデの研究を単純な言明に落としこんだものだ。
必勝戦略がまだはっきりしない、新規事業の初期段階では、投資家からの「良い金」は、「成長は気長に、しかし利益は性急に」求めるものでなくてはいけない。
つまり、間違った戦略を推進して多額の資金を無駄にしないよう、できるだけ早くできるだけ少ない資金で、実行可能な戦略を見つけることを、新興企業に要求するのだ。
最終的に成功した企業のうち、九三%が当初の戦略を変更する必要があったことを考えると、初期段階の企業に可能な限り「早く大きく」成長することを求める資本は、ほぼ例外なく企業を崖に突っこませる。
これが起きると、大企業でもあっという間に資金を使い果たしてしまう。
また組織が大きければ大きいほど、方向転換は難しい。
モトローラはイリジウムで、この教訓を身をもって学んだ。
これが、利益より先に成長を求める資金を、「悪い金」と呼ぶ理由だ。
だがこの理論の名前に、両方の資金が含まれるのはなぜだろう?
それは、いったん実行可能な戦略が見つかれば、投資家は求めるものを変えなくてはならないからだ。
「成長は性急に、利益は気長に」だ。
ひとたび利益ある有効な戦略が見つかれば、今度はそのモデルを拡大展開できるかどうかが、成否を分けるカギになる。
日陰が必要になると思ったそのときに苗木を植える p96
この理論の教えが守られないことが最も多いのは、大手投資家や成功している既存企業が、新しい成長事業への投資を検討するときだ。
マシュー・オルソンとデレク・バン・ビーバーが著書『ストールポイント企業はこうして失速する』(阪急コミュニケーションズ)で説明するように、この失敗は次の予測可能な三段階プロセスを通じて起こる。
第一段階では、当初の計画がうまくいかない可能性がとても高いため、投資家は既存事業がまだ力強く成長している間に、次の成長の波に投資しなくてはならない。
新しい計画に、有効な戦略を探す時間的猶予を与えるためだ。
ところが資本の所有者は、主力事業がまだ堅調で、資金や経営陣の目配りを絶えず要求しているという理由から、投資を先延ばしにする。
また明日考えればいい、というわけだ。
第二段階では、その「明日」がやって来る。
既存の主力事業が成熟して、頭打ちになる。
そこで資本の所有者は、はたと気づく。
数年前から次の成長事業に投資しておくべきだった、そうすれば主力事業が失速したとき、次の事業が成長と利益のエンジンの役割を引き継ぐ準備ができていたはずなのにと。
だがこれを怠ったため、新しいエンジンはどこにも見あたらない。
第三段階になると、資本の所有者は投資するすべての事業に、可能な限り「早く大きく」成長するよう、ハッパをかける。
四〇〇〇万ドルを売り上げる新規事業が二五%の成長率を実現するには、翌年の売上高を一〇〇〇万ドル増やせばいい。
だがこの事業が四〇〇億ドル規模のビジネスに成長すると、二五%の成長率を達成するには、一〇〇億ドルの新しいビジネスが必要だ。
リスクは――それにプレッシャーも――莫大なものになる。
株主は成長をさらに早めようとして、計画に巨額の資金を注ぎこむ。
だが起業家は十中八九、潤沢な資金にあおられて、間違った戦略を無謀かつ強引に推進する。
かくして新規事業が全速力で崖に突っこむと、アナリストは失敗の原因を説明する物語を、まことしやかに語るのだ。
この理論は、ホンダがアメリカのオートバイ市場で、なぜどのようにして最終的に成功したのかを、また逆にモトローラがイリジウムでなぜ失敗したのかを説明してくれる。
皮肉にもホンダが成功したのは、当初の台所事情があまりにも厳しく、利益モデルが見つかるまでの間、気長に成長を待つほかなかったからだ。
もしアメリカ事業により多くの資源を配分する余裕があったなら、たとえ儲かる見こみはなくても、さらに多額の資金をつぎこんで大型バイク戦略を追求していたかもしれない。
これは投資という観点から言えば、「悪い金」にあたる。
だが実際のホンダには、スーパーカブに注力する以外、ほとんど打つ手がなかった。
生き延びるには、小型バイクのもたらす利益がどうしても必要だった。
これが、ホンダが最終的にアメリカで大成功を遂げた、一番の理由だ。
ホンダはやむを得ない事情から、理論に忠実な方法で投資をするしかなかったのだ。
これに代わるのが、逆の手法だ。
事業を早く大きく成長させるために投資を行い、利益をあげる方法はおいおい見つければいいと考える。
まさに、モトローラがイリジウムでとった戦略だ。
歴史をひもとけば、この道を歩もうとして失敗した企業の例には事欠かない。
このようにして近道をしようとする企業は、ほぼ必ず失敗する。
「良い金、悪い金」の理論が説明する因果的作用のせいで、ほとんどの企業に審判の日が訪れる。
主力事業がつまずくか、頭打ちになり、新しい収益源がいますぐ必要になる。
だが新規事業への投資を怠ってきた企業は、新しい収益と利益の源が本当に必要になったときには、もう手遅れなのだ。
もっと日陰がほしいと思ったそのときに、苗木を植えなくてはいけない。
苗木は一夜にして日陰を生み出せるほど、早く大きく成長できないのだから。
日陰をつくるほど高く育つ木がほしいなら、長年かけて辛抱強く育てる必要がある。
人生の投資を後回しにするリスク p102
この種の間違いのうち、とくに前途洋々な若きエリートたちが陥りがちな間違いは、人生への投資の順序を好きに変えられると思いこむことだ。
たとえばこんなふうに考える。
「いまはまだ子どもたちが幼くて、子育てはそれほど大事じゃないから、仕事に専念しよう。子どもたちが少し成長して、大人と同じようなことに関心をもつようになれば、仕事のペースを落として、家庭に力を入れればいいさ」。
さてどうなるだろう?
その頃には、もうゲームは詰んでいるのだ。
人生の試練を乗り越えるためのツールを子どもに与えるには、それが必要になるずっと前から――たぶんあなたが思っているはるか前から――子どもに投資しなくてはいけない。
子どもの知的能力を伸ばすうえで、生後数カ月間の過ごし方がいかに大切かを示す、重要な研究が注目を浴びている。
わたしの著書『教育×破壊的イノベーション教育現場を抜本的に変革する』(翔泳社)で紹介したように、研究者のトッド・リズリーとベティ・ハートは、生後二年半までの子どもに、親の語りかけが与える影響を研究した。
親子間で行われるすべてのやりとりを、細心の注意を払って観察し、記録したところ、親は一時間に平均一五〇〇語の言葉を、幼児に語りかけることがわかった。
また「おしゃべりな」親(大学出の人が多かった)が、平均二一〇〇語を語りかけたのに対し、言語環境の貧しい親(低学歴の人が多かった)は、一時間に平均六〇〇語しか語りかけなかった。
生後三〇カ月間の合計で見ると、「おしゃべりな」親の子どもは、平均四八〇〇万語を語りかけられたが、不利な環境で育った子どもは、わずか一三〇〇万語しか語りかけられなかったことになる。
研究によれば、子どもが言葉に触れるべき最も重要な時期は、生後一年間だという。
リズリーとハートの研究では、子どもたちが学校にあがってからも追跡調査をした。
子どもたちに語りかけられた言葉の数は、彼らが生後三〇ヵ月間に聞いた言葉の数とも、成長してからの語彙と読解力の試験の成績とも、強い相関があった。
また、子どもにただ何かを語りかければいいというわけではなかった。
親が子どもに語りかけるその方法が、重大な影響をおよぼしていたのだ。
研究者たちは、親と幼児の間で行われる会話には、二種類あることに気がついた。
一つは彼らが「仕事の話」と名づけたもので、たとえば「お昼寝の時間よ」「車に乗りましょう」「牛乳を全部飲んじゃいなさい」といったものだ。
これらは単純で直接的な会話であり、豊かで複雑な会話ではなかった。
この種の会話が認知発達におよぼす影響は限定的だと、リズリーとハートは結論づけた。
これに対して、子どもと面と向かって会話をし、大人とまったく同じ、知的な言葉を使って、まるで子どもが話し好きな大人たちの会話に加わっているかのように話しかけたとき、認知発達に計り知れないほど大きな影響があった。
このような豊かなやりとりを、彼らは「言葉のダンス」と名づけた。
言葉のダンスは、くだけた感じで思ったことを口にし、子どもがしていることや、親がしていること、しようと思っていることについて、あれこれ話すものだ。
「今日は青いシャツを着る、それとも赤いシャツにしましょうか?」「今日は雨が降るかしらね」「ママったら、前にあなたのほ乳瓶を間違ってオーブンに入れちゃったときがあったわね」という具合だ。
言葉のダンスでは、子どもに「もし~だったら」「覚えているかしら」「こうだったらいいと思わない?」といった問いかけをする。
つまり子どもに身の周りで起きていることを深く考えさせるような質問だ。
そしてこのような問いかけは、子どもが聞かれていることを理解できるようになるはるか前から、計り知れないほど大きな影響をおよぼすのだ。
簡単に言うと、親が「余計なおしゃべり」をするとき、子どもの脳内で厖大な数のシナプス経路が活性化され、精緻化される。
シナプスとは、脳内の神経細胞同士の接合点のことで、神経細胞間の信号伝達はこのシナプスをとおして行われる。
わかりやすく言えば、脳内でシナプスの経路がたくさんつくられればつくられるほど、つながりがますます効率的に形成され、おかげでその後の思考パターンがより容易に、より早く形成される。
これはとても重要なことだ。
生後三年間で四八〇〇万語を聞いた子どもは、一三〇〇万語しか聞かなかった子どもに比べて、脳内になめらかなつながりが三・七倍あるだけではない。
脳細胞への影響は、それよりずっと大きいのだ。
一つひとつの脳細胞は、最大で一万ものシナプスによって、ほかの数百の脳細胞とつながれる。
つまり、「余計なおしゃべり」を聞かされた子どもたちは、認知的にとてつもなく優位な立場に立っていることになる。
さらに重要なことに、リズリーとハートの研究は、認知的優位性のカギが「言語のダンス」にあるのであって、収入や民族性、親の学歴などにあるのではないことを示している。
「別の言い方をすれば」とリズリーとハートは説明する、「低所得労働者でも、子どもにたくさん語りかけた人は、子どもの成績が非常によかった。
また裕福な実業家でも、子どもにほとんど語りかけなかった人は、子どもの成績がとても悪かった。
(中略)結果のばらつきはすべて、家庭内で三歳になるまでの幼児に語りかけられた言葉の量によって説明された」。
豊富な語彙と高い認知的能力をもって小学校に入学する子どもは、学校で早くから優れた成績をあげ、その後も長期にわたってよい成績をあげる確率が高い。
これほど小さな投資が、これほど大きな利益を生む可能性があることには、唖然とさせられる。
それでも多くの親は、子どもの学業成績に力を入れるのは、小学校にあがってからでいいと考える。
だがその頃にはもう、子どもによいスタートを切らせる、絶好の機会を逸しているのだ。
これは、友人や家族との関係への投資を、成果の兆しが見え始めるはるか以前から行わなくてはいけないという、数多くの例の一つにすぎない。
時間と労力の投資を、必要性に気づくまで後回しにしていたら、おそらくもう手遅れだろう。
キャリアを軌道に乗せようというときには、人間関係への投資は後回しにできると、思いたくもなる。
それではいけない。
大切な人との関係に実りをもたらすには、それが必要になるずっと前から投資をするしか方法はないのだ。
「用事」を正しく片づける p111
ディスカウント家具店のイケア(IKEA)の名前を、ほとんどの人が聞いたことがあるだろう。
信じられないほどの成功を収めている企業だ。
スウェーデンに本拠を置くイケアは、四〇年前から世界中に店舗を展開しており、世界全体での年間売上高は二五〇億ユーロを超える。
同社を所有すイングヴァル・カンプラードは、世界でも指折りの大富豪だ。
組み立て式の安価な家具を販売するチェーン店にしては、驚くほどの成功と言えるだろう。
この四〇年間で、イケアを模倣する企業が一社も現れていないことは、興味をそそる。
これについて少し考えてみよう。
ここに、何十年もの間莫大な利益をあげている企業がある。
イケアに特別な企業秘密はない。
この業界への参入を検討している人なら、だれでも店内を歩き回り、製品を分解して仕組みを調べ、カタログをまねすることができる。
それなのに、だれもイケアに追随していないのだ。
なぜだろう?
イケアのビジネスモデルの全体が――買い物体験、店舗レイアウト、製品のデザインやパッケージの方法などをひっくるめたすべてが――標準的な家具店とはまったく異なる。
たいていの小売店は、特定の顧客セグメントか、製品の種類別に組織されている。
こうした小売店は続いて顧客層を、年齢、性別、学歴、所得水準など、人口統計学的属性にもとづくターゲット層に分類する。
これまで家具小売業界には、低所得者層向けに安価な家具を販売するレビッツ・ファーニチャーや、富裕者層向けにコロニアル調の家具を販売することで知られるイーサン・アレンなどの店が現れている。
そのほか都市居住者向けのモダンな家具を中心とする店や、オフィス家具に特化した店など、さまざまな種類がある。
だがイケアはどれともまったく異なる手法をとっている。
特定の顧客や製品の特徴ではなく、顧客がときおり片づける必要が生じる「用事」を中心に構成されているのだ。
用事だって?
わたしは過去二〇年間に行った自身のイノベーション研究のなかで、同僚の研究者とともに、マーケティングと製品開発に対するこの考え方を理論化して、「片づけるべき用事」と名づけた。
この考え方の背後には、こんな洞察がある。
製品・サービスを購入する直接の動機となるのは、実は自分の用事を片づけるために、その製品・サービスを雇いたいという思いなのだ。
どういう意味だろう?
わたしたちは特定のユーザー属性に従って、人生を送るわけではない。
大学在学中の一八歳から三五歳までの白人男性だからという理由で、特定の製品を買う人はいない。
こうした属性は、たしかに特定の製品を購入する意思決定と相関性があるかもしれないが、それが何かを買う動機になることはない。
むしろわたしたちは日々生活を送るなかで、ときおり片づけなくてはいけない「用事」ができ、それを何らかの方法で「片づけ」ようとする。
どこかの企業がこの用事をうまく片づける製品を開発すれば、わたしたちはその製品を買って、つまり「雇って」、用事をさせる。
だが既存製品に用事をうまく片づけられるものがなければ、一般にはすでにあるものを使って何かをつくり、できるだけうまく用事を片づけようとするか、「ワークアラウンド」(次善策)を考案することが多い。
わたしたちが製品を購入する動機になるのは、「自分には片づけなくてはならない用事があり、この製品があればそれを片づける助けになる」という思いだ。
価格を下げる?チョコレート成分を増やす?具を増やす? p115
「片づけるべき用事」の理論が形になり始めたのは、わたしが友人たちと、ある巨大ファストフード・チェーンのプロジェクトに取り組んでいたときのことだ。
この企業はミルクシェイクの売上アップを図ろうとして、何カ月も研究を重ねていた。
彼らは典型的なミルクシェイク購入者の特徴を満たす顧客を集めて、質問攻めにした。
「ミルクシェイクのどこを改良したら、もっと買ってくれますか?チョコレート成分を増やしましょうか?価格を下げましょうか、それとも具を増やすべきでしょうか?」。
それからすべての意見を分析して、さっそくこれらの側面を改良した。
こうしてミルクシェイクの改良に必死に取り組んだのに、売上や利益には何の効果もなかった。
同社は途方に暮れていた。
そこでわたしの同僚のボブ・モエスタが、ミルクシェイクの問題に、まったく新しい観点を取り入れることを提案した。
「お客がこのレストランに来てミルクシェイクを『雇う』のは、生活にどんな『用事』ができたときでしょうね?」
これが、問題を考えるための、興味深い視点を与えてくれた。
彼らは店内に何時間も張りこんで、ぬかりなくデータを収集した。
ミルクシェイクが売れる時間帯はいつか?
そのとき顧客は何を着ていたか?
一人で来たか?
ほかの食べものと一緒に買ったか?
店内で食べたか、ドライブスルーか?
この結果、驚くべき実態が判明した。
ミルクシェイクの半数が、早朝に売れていた。
朝ミルクシェイクを買った人たちは、ほぼ必ず一人で来店し、ミルクシェイクを単品で購入した。
またほとんどの人が車に乗って、ミルクシェイクを持ち去った。
彼らはミルクシェイクを、どんな用事のために雇っていたのだろう?
これを調べるために、わたしたちは別の日の朝に店に戻り、外に立って、ミルクシェイクを手に店から出てきた顧客を待ち伏せした。
顧客が出てくると、彼らの理解できる普通の言葉で、要はこう尋ねた。
「ちょっとすみません、あなたはそのミルクシェイクで、どんな用事を片づけようとしているんですか?」。
うまく答えられない人には、助け船を出した。
「前に同じ状況になったときのことを思い出してください。同じ用事を片づける必要があったのに、この店に来てミルクシェイクを雇わなかったときがあるでしょう?そのとき、代わりに何を雇いましたか?」。
このときの答えは、実に多くのことを教えてくれた。
バナナ。
ドーナツ。
ベーグル。
チョコレートバー。
だが彼らがミルクシェイクをとくに気に入っているのは明らかだった。
答えをすべてつなぎ合わせてみると、早朝の顧客が全員、同じ用事を片づけようとしていたことがはっきりした。
職場までのドライブは退屈で長かった。
彼らは通勤を楽しむために、運転しながらできることを求めていた。
まだ空腹というわけではないが、二時間もすれば腹が鳴る。
「この用事を片づけるために、ほかに何を雇うかな?」と一人の客がつぶやいた。
「ときどきはバナナを雇うこともある。だが言っておくが、バナナは雇っちゃいかん。あっという間になくなるし、昼前にはまた腹が空いちまう」。
ドーナツについては、ぼろぼろと崩れやすく、指がべとべとになり、食べながら運転すると洋服や車のハンドルが汚れてしまうという意見が聞かれた。
またこの用事にベーグルを雇うことへの不満で多かったのは、ぱさぱさして味気ないというもので、そのためクリームチーズとジャムを塗るのだが、両手がふさがってしまい、膝でハンドルを抱えこんで運転する始末だった。
別の通勤客は、わたしたちの用語を使ってこう言った。
「一度、スニッカーズを雇ったことがあったよ。でも朝からチョコレートバーを食べるのがうしろめたかったから、二度とやらない」
だが、ミルクシェイクはどうだろう?
数あるなかでもこれが最高の選択肢だった。
細いストローでこってりしたミルクシェイクを飲み終えるには、長い時間がかかった。
それに腹もちがよいので、昼前に忍び寄る空腹感を撃退できた。
ある通勤客はこう叫んだ。
「このミルクシェイクは実にこってりしている!小さなストローで飲み干すのに二〇分もかかるんだ。成分なんか、俺は気にしないね!午前中一杯腹がもってくれれば、十分だ。それに、このカップホルダーにぴったり収まるのもいい」。
そう言いながら、彼は空いている片手をあげた。
結果わかったのだが、ミルクシェイクはどんな競合品よりもうまく用事を片づけることができた。
ちなみに顧客の考える競合品には、ほかのチェーンのミルクシェイクだけでなく、バナナやベーグル、ドーナツ、シリアルバー、スムージー、コーヒーなどがあった。
ファストフード・チェーンにとって、これは突破口を開く重要な洞察となった。
だがほかにも突破口があった。
同じ製品が、昼や夕方には、根本的に異なる用事のために雇われていることがわかったのだ。
昼や夕方にミルクシェイクを買いに来た人は、通勤客ではなく、父親が多かった。
子どものありとあらゆるお願いに、一週間ずっと「だめ」と言い続けなければならなかった父親たちだ。
新しいおもちゃはだめ。
夜ふかしはだめ。
子犬を飼うのもだめ。
わたし自身、こういう父親の立場に立ったことが数え切れないほどある。
そしてこの状況にいたときには、同じ用事を片づける必要があった。
その頃のわたしは、害がなく、「いいよ」と言えるもの、そうすることで自分が親切で愛情あふれる父親だと満足できるようなものを求めていた。
息子と列に並び、順番が来ると自分の食事を注文した。
次に息子のスペンサーが自分の食事を注文し、それからちょっと間を置いて、息子だけがやるようにわたしを見上げ、こう尋ねたものだ。
「ねぇパパ、ミルクシェイクもいいでしょう?」。
とうとう、息子に「いいよ」と言い、自分はいい親だと満足できる瞬間がやって来た。
わたしはかがんで息子の肩に手を置き、こう言うのだ。
「もちろんだよ、スペンス。ミルクシェイクを頼んでいいとも」
ところがミルクシェイクは、この用事をまったくうまく片づけていないことが判明した。
父親と息子で来ているテーブルを観察したところ、父親たちは、わたしがそうだったように、先に食事を終えた。
次に息子が食べ終わった。
それから例のこってりしたミルクシェイクを飲み始めたが、細小さなストローで飲み干すには、気の遠くなるような時間がかかった。
父親たちは、子どもを長時間楽しませるために、ミルクシェイクを雇ったのではなかった。
ただ息子に優しくするために雇ったのだ。
息子がシェイクを必死に飲んでいる間、辛抱強く待っていたが、しばらくするとイライラし始めた。
「ほらほら、悪いが時間がないんだ……」。
二人はテーブルを片づけ、ミルクシェイクは飲みかけのまま捨てられた。
もしファストフード・チェーンが、わたしにこう問いかけていたら、どうなっていただろう?
「ねえクレイミルクシェイクをどう改良したら、売上が伸びるだろう?もっとこってりさせる?甘くする?それともサイズを大きくすべきだろうか?」。
そう聞かれたら、わたしには答えようがなかっただろう。
ミルクシェイクは、根本的に異なる二つの用事をこなすために雇われているのだから。
そしてミルクシェイクを購入する傾向が最も高い、四五歳から六五歳の人口統計的セグメントの回答を平均すれば、どちらの用事もうまく片づけられない、万能型の製品を開発する羽目になる。
これに対して、ミルクシェイクが雇われる用事が二種類あることを理解すれば、シェイクをどのように改良すればいいかがはっきりわかる。
朝の用事には、粘度の高いミルクシェイク、飲み干すのにもっと時間がかかるものが必要だ。
フルーツの固まりを入れるのもいい。
だがそれはシェイクを健康的にするためではない。
健康的になることは、ミルクシェイクが雇われる理由ではない。
通勤を楽しめるものにするために雇われるのだ。
フルーツの思いがけない固まりは、この用事にうってつけだ。
そして最後に、ミルクシェイク製造器をカウンターの裏から前に出して、プリペイドカードを使って買えるようにする。
通勤客は店に駆けこみ、セルフでシェイクをつくり、すぐに出て行ける。
長い列に並ぶ必要もなくなるというわけだ。
午後の「自分をいい親だと思いたい」という用事は、これとは根本的に異なる。
午後のミルクシェイクは、サイズを半量にしてもいいかもしれない。
そしてもっと早く飲み干せるように、ゆるくするなどの工夫をする。
どんな状況にも合う、唯一の正解など存在しない。
まず顧客が片づけようとしている用事を理解することから始めよう。
犠牲と献身 p128
意外に聞こえるかもしれないが、人間関係に幸せを求めることは、自分を幸せにしてくれそうな人を探すだけではないと、わたしは深く信じている。
その逆も同じくらい大切なのだ。
つまり幸せを求めることは、幸せにしてあげたいと思える人、自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探すことでもある。
わたしたちを深い愛情に駆り立てるものが、お互いを理解し合い、お互いの用事を片づけようとする努力だとすれば、その献身を不動のものにできるかどうかは、わたしの経験から言えば、伴侶の成功を助け、伴侶を幸せにするために、自分をどれだけ犠牲にできるかにかかっている。
この「犠牲が献身を深める」という原則があてはまるのは、結婚生活だけではない。
家族や親しい友人、それに組織や文化、国家についても言えるのだ。
これを具体的に説明するために、アメリカ海兵隊について考えよう。
海兵隊員は組織に、仲間に、そして国家に深い愛着を抱くようになるが、それは活動が楽しいからではない。
海兵隊の訓練をこなすだけでも、多くの若い隊員にとってはおそらく人生最大の試練だ。
それは死にそうにつらい経験だという。
彼らは部隊や仲間の隊員のために多大な犠牲を払う。
それなのに海兵隊の標語「つねに忠誠を」のバンパーステッカーを貼りつけた車を、アメリカ中でしょっちゅう見かける。
娘のアニーも、教会から伝道者としてモンゴルに派遣されたとき、同じ経験をした。
彼女のモンゴル行きが決まると、弟のスペンサーが旅行ガイドを買ってきた。
そこに描かれていたのは、何とも厳しい現実だった。
「モンゴルはすばらしい国ですが、冬は零下五〇度になりますから、避けたほうがいいでしょう。
実を言えば、夏もお勧めしません。
気温が五〇度にもなるのです。
でもとくに行ってはいけないのは、春です。
ゴビ砂漠には砂嵐が吹き荒れ、これに巻きこまれると車の塗装はおろか、皮膚まではがれてしまいます。
しかしそれを除けば、この美しい国をきっと楽しめることでしょう!」
あまり期待がもてそうになかったが、ともかくわたしたちはアニーをモンゴルに送り出した。
ガイドブックが予言したとおり、ときに過酷なこともあった。
なぜチンギス・ハンがあれほど南方に進出しようとしたか、いまとなってはその理由がわかる。
実に厳しい環境なのだ。
気候の関係で、穀物や野菜が育つ場所は限られている。
そのため食事は――スナックでさえ――馬や羊、ヤク、山羊といった動物性食品が中心だ。
だがアニーは一八ヵ月の任務の間よく耐え、出会ったすべての人たちを、よりよい人間になれるよう導き、助けた。
あれは彼女の人生で、最も大変な経験の一つだった。
だが驚いたことに、アニーはモンゴルの人たちのもとに、心を半分残してきた。
そしてこの経験をとおして、教会への献身を大いに深めたのだ。
わたしも、韓国と韓国のすばらしい人たちに、まったく同じ気持ちをもっている。
それは韓国がまだ世界の最貧国に数えられていた昔、若い伝道者としてこの国に渡ったからだ。
アニーもわたしも、仕事が楽だったから、派遣国の人たちや教会に強烈な愛着を感じているわけではない。
むしろその逆だ。
多大な犠牲を払ったからこそ、そう感じるようになったのだ。
犠牲が献身を深めることを考えると、犠牲を捧げる対象は、わたしとアニーにとっての教会のように、献身に値するものでなくてはならない。
家族以上に犠牲を捧げる価値のあるものは、おそらくないのだろう。
家族があなたのために自分を犠牲にするだけでなく、あなたも家族のために犠牲を払わなくてはならない。
これこそが、深い友情や、充実した幸せな家庭生活、結婚生活の大切な土台だと、わたしは信じている。
わたしがこれを初めて目のあたりにしたのは、妻の両親のエドワードとジョアン・クインの一家の暮らしに触れたときだった。
妻のクリスティンは一二人の子の長子で、裕福ではないが、愛情に満ち、お互いの成功を助け合おうという強い意欲にあふれた家族のなかで育った。
彼らはお互いのために多くをあきらめなくてはならず、わがままを言う余裕はなかった。
わたしは数え切れないほど多くの家族を知っているが、これほどお互いに誠実な家族をほかに知らない。
いまやさらに大きくなった家族だが、だれかの人生で何かがうまくいかなくなり始めたら、全員が――文字どおり全員が――次の日には列をなして、救いの手をさしのべようとするだけでなく、救う方法を精力的に探し出そうとするだろう。
わたしも自分の人生でこれを経験したことがある。
イギリス留学中、父がガンであることを知った。
二カ月ほどして、父が治ることはないとわかった。
わたしは家に帰り、母やきょうだいが父の世話をするのを手伝った。
そうすることに何のためらいもなかった。
それはなされるべきことだった。
父は生涯の大部分を、ZCMIデパートの社員として過ごした。
わたしたちは子どもの頃、土曜になるとデパートに行って、父の仕事を手伝った。
いや、手伝いをしていると、父が思わせてくれたのかもしれない。
棚に商品を並べ、ラベルが見えるように商品の向きを変え、小袋に詰めたナッツやスパイスの重さを量った。
もしかしたら、かえって足手まといになっていたかもしれない。
だが長年手伝う間に、父の仕事について多くを学んだ。
父の病気が重くなり、とうとう働けなくなると、わたしは父の代わりに仕事に行くことを申し出た。
ある週にはオックスフォード大学の学生として勉学に励んだかと思えば、次の週には帰省して、デパートの棚をクリスマス・シーズン用の商品で一杯にした。
このようなことになって、わたしが腹立たしく感じたと、あなたは思うかもしれない。
だがわたしにとってあの数カ月間は、父と家族と過ごしたなかで、最も幸せな時間の一つだった。
なぜだろうと思い返してみると、それは人生のすべてを中断して、家族のために尽くしたからこそだとわかる。
アウトソーシング版ギリシア悲劇 p137
デルは二〇年もの間、世界で最も成功しているパソコンメーカーに数えられてきた。
だがデルの成功が、エイスース(ASUS)という台湾のメーカーによって支えられてきたことは、あまり知られていない。
デルの台頭は、一九九〇年代初めに始まった。
以来、同社はさまざまな灯台を使って、成長を導いてきた。
第一に、デルには破壊的なビジネスモデルがあった。
最初は単純な入門モデルのパソコンを、非常な低コストで製造することから始めた。
主に電話やインターネットを通じて販売し、コストを低く抑えた。
その後ますます高い性能のパソコンを製造し、上位市場を次々と攻略していった。
第二に、デルの製品はモジュール式だった。
顧客が好きな部品を選んでカスタマイズしたパソコンを注文すると、デルは注文どおりのパソコンを組み立てて、四八時間以内に出荷した。
これはめざましい成果だった。
第三に、デルは資本の効率的な活用を図り、資本の一ドル一ドルから、ますます多くの売上と利益を絞り出そうとした。
これが株式市場に好感をもって迎えられた。
デルはこの三つの戦略上の灯台に導かれながら、並外れた成功を遂げた。
興味深いことに、デルがこれを成し遂げられたのは、実は台湾を本拠とするエイスースのおかげだった。
デルと同様、エイスースもローエンドから始め、まずは単純で信頼性の高い回路を、デルよりも低コストで製造し、それをデルに供給した。
こうした背景のもとで、エイスースはデルに妙味のある提案をもって行った。
「御社のためにつくっている小型回路は、なかなかいいでしょう。
今度はパソコンのマザーボードもつくらせてくださいよ。
マザーボードの製造は、御社のコアコンピタンスじゃありません、うちのです。
それに、御社より二〇%低いコストでおつくりしますよ」。
デルの社内アナリストは、エイスースにつくらせれば安上がりなだけでなく、マザーボード製造に関わるすべての資産をバランスシートから外せることに気がついた。
ウォール街のアナリストは、事業に投下された資本がどれだけ「効率的」に利用されているかを表す財務指標や財務比率を、鵜の目鷹の目で監視している。
とくによく用いられるのがRONA、つまり純資産利益率【Return on Net Assets】だ。
製造業では、企業の当期利益を純資産で割った比率をいう。
つまり企業は、分子の利益を増やすか、分母の資産を減らすかすれば、収益性が高まったと評価される。
このうち、分子を拡大するほうが難しい。
利益を積みあげるには、より多くの製品を販売する必要があるからだ。
これに対して分母は、アウトソーシングという手段を選べば、簡単に圧縮することができる。
RONAが高ければ高いほど、企業はより効率的に資本を活用していると評価される。
エイスースの提案は道理にかなっていた。
デルは資産の一部をアウトソーシングしても、それまでと同じ製品を顧客に販売できさえすれば、RONAを改善し、ウォール街を満足させられると考えた。
「いやあ、すばらしいアイデアだ」。
デルはエイスースに言った。
「マザーボードをつくってくれ」。
不思議なことに、この取り決めを結ぶことで、エイスースも投資家からの受けがよくなった。
既存資産を活用して売上を伸ばしたからだ。
両社とも、以前より財務内容が向上したように思われた。
エイスースは取り決めに対応する体制を整えると、またデルを訪れた。
「御社のために製造しているマザーボード、なかなかいいでしょう?
今度はパソコン全体の組み立てもやらせてくださいよ。
組み立ては御社の成功要因ではありませんよね。
そうすれば、残りの製造資産をすべてバランスシートから外せるじゃないですか。
それに、御社より二〇%お安く製造しますよ」
デルのアナリストは、この取り決めもお互いのプラスになることに気づいた。
エイスースは新たな業務を引き受けたことで、比率の分子、つまり利益が増え、RONAが上昇した。
デルも製造プロセスを削減した結果、RONAが上昇した。
収益水準は変わらないが、関連資産をバランスシートから除去したおかげで、分母を圧縮できたからだ。
このプロセスはその後も続き、デルはサプライチェーン管理を、続いてコンピュータの設計そのものをアウトソーシングした。
要するにパソコン事業の中身をそっくりそのまま、ブランドを除くすべてを、エイスースにアウトソーシングしたことになる。
デルのRONAはきわめて高くなった。
同社の消費者部門に残ったのは、直販事業に関わるわずかな資産だけだった。
そして二〇〇五年、エイスースは自社ブランドのパソコンを製造すると、満を持して発表したのだ。
このギリシア悲劇風の物語で、エイスースはデルから学んだすべてを活用して、事業を拡張していった。
最初はバリューチェーン内の最も単純な活動から始め、そこから一つひとつ活動を増やしていった。
デルが社内に残った活動のうち、最も付加価値の低い活動をアウトソーシングするたび、エイスースはそれを最も付加価値の高い活動として、事業に加えていったのだ。
この間ずっとデルは数字に満足していた。
だが数字ではわからなかったことがある。
こうした決定が、デルの将来におよぼす影響だ。
デルは画期的なパソコンメーカーとして始まったが、アウトソーシングをとおして、いつしか個人向けパソコン業界の凡庸な企業に成り下がってしまった。
デルはパソコンを製造していない。
出荷も保守も行わない。
台湾企業の製造するパソコンに、「デル」のブランドをつけることを許しているにすぎないのだ。
デルの名誉のために言っておくと、同社はより収益性の高いサーバー事業に進出し、この分野では成功を収めている。
だが個人向け事業では、おそらく自ら気づいているよりもはるかに重要なものをアウトソーシングしてしまったのだ。
自分の能力を理解する p140
この物語から、アウトソーシングに潜む危険性をわかってもらえただろうか。
デルの経営陣が、この手法の行き着く先をあらかじめ知っていれば、エイスースの申し出を受け入れることに、ずっと大きなためらいを感じたに違いない。
だがどうすれば事前にこれを知ることができただろう?
答えは、「能力」という概念を理解することで得られる。
能力とは何か、将来に必要な能力はどれで、社内にとどめるべき能力、重要度の低い能力はどれかそれを理解する必要がある。
どういうことだろう?
端的に言うと、企業ができること、できないことを決定する要因、つまり能力は、「資源」「プロセス」「優先事項」の三つの分類のいずれかにあてはまる。
この三つを考えることで、企業の現状を正確にとらえることができる。
三つの要因は、相互に重なりがなく(企業のどの一部分も、同時に二つ以上の分類に属することはない)、全体として漏れがない(三つの分類が全体として、企業内のすべてを説明する)からだ。
これらの能力を総合的に考えることは、企業に何ができるのかを、そしておそらくより重要なことに、何ができないのかを分析するうえで、欠かせない。
能力は時間とともに変化し、時間をかけて構築される。
創設当初から、能力が十分に発達している企業はない。
三つの要因のうち、最も具体的な形をとるものが、資源だ。
人材、設備、技術、製品設計、ブランド、情報、資金のほか、サプライヤーや流通業者、顧客との関係などもこれに含まれる。
一般に資源といえば人かモノを指し、雇用、解雇、購入、売却、償却、構築できるものが多い。
多くの資源は目で見ることができ、測定可能な場合が多いため、経営者が価値を評価しやすい。
資源こそが企業の成功要因だと考える人も多い。
だが資源は、企業を動かす三つの重要な要因のうちの一つでしかない。
組織が価値を生み出すのは、従業員が資源を使って、さらに価値の高い製品・サービスにつくりかえるときだ。
このとき従業員が相互作用、連携、意思疎通、意思決定を行う方法を、プロセスと呼ぶ。
プロセスのおかげで、企業は資源を使ってますます複雑な問題を解決できるようになる。
プロセスには、製品開発、製造のほか、市場調査、予算策定、従業員の能力開発、報酬決定、資源配分などを行う方法が含まれる。
目につきやすく、測定しやすいものが多い資源とは違って、プロセスはバランスシート上には表れない。
企業に強力なプロセスが存在するとき、経営者はどの任務にどの従業員を配置するかを柔軟に決定できる。
なぜならプロセスは、だれが行おうとも機能するからだ。
一例として、世界中の企業が問題解決を図るために雇うコンサルティング会社、マッキンゼーを考えてみよう。
マッキンゼーのプロセスは、社内に広く浸透している。
おかげで同社では、経歴や専門領域がまちまちなコンサルタントを、いわばプロセスに「差しこみ」、必要な成果が必ずあがるという確信をもって、習慣的に任務を遂行させることができる。
第三の、そしておそらく最も重要な能力は、組織の優先事項だ。
これら一連の要因が、企業の意思決定方法を決め、企業が何に投資すべきか、すべきでないかについて、明確な指針を与える。
どんな階層の従業員も、優先順位づけの決定を行う。
たとえば今日は何に取り組もうか、何を後回しにしようかといった決定だ。
企業が大きくなると、経営者がすべての意思決定を現場でいちいち監視するわけにはいかなくなる。
そのため企業が大きく複雑になればなるほど、経営幹部が従業員を教育して、企業の戦略的方向性とビジネスモデルに合った優先事項を、自力で決定できるように教えこむことが、ますます重要になる。
つまり企業が成功するためには、経営幹部がじっくり時間をかけて、明確で一貫した優先事項を打ち出し、組織全体で広く理解されるよう、腐心しなくてはいけない。
またそうするうちに、企業の優先事項を、企業が利益をあげる仕組みと調和させる必要がある。
企業が生き残るには、企業戦略を支えるものごとを、従業員に優先させなくてはならない。
そうでなければ、従業員は企業の基盤をゆるがすような決定を下してしまうことがある。
未来をアウトソーシングしてはいけない p143
製薬、自動車、石油、情報技術、半導体など多くの業界の企業が、デルと同じように、将来の能力の重要性をよく考えもせずに、アウトソーシングを推進している。
この動きをあおっているのが、金融関係者やコンサルタント、研究者などだ。
彼らはアウトソーシングを行えば、簡単にすばやく利益をあげられることを知っているが、その結果手放す能力を失うことのコストには気づかない。
このような企業は、エイスースのような存在を生み出すリスクを負っている。
アメリカ半導体業界によるアウトソーシングの歴史は、アウトソーシングに盲目的にこだわる企業に、どのような災いがふりかかるかを物語っている。
当初は、半導体製品の製造に関わる最も単純な段階を、中国や台湾のサプライヤーにアウトソーシングすることは、まったくもって理にかなっていた。
アメリカの半導体企業は、製品設計などの、より複雑で利ざやの大きい段階を社内に残す限り、問題はないと考えていた。
だがアジアのサプライヤーは、たしかに最も単純な製品の組み立てから始めたが、そこにとどまるつもりはなかった。
それはどんな企業にもできる低コスト労働で、さらにコストの低い組み立て業者が現れれば、奪われてしまう仕事だ。
そのためアジアのサプライヤーは、ますます高度な製品の製造、組み立てに取り組み、上位市場に移行し続けた。
このようにして台湾や韓国、シンガポール、中国のサプライヤーは、アメリカの委託企業が製造能力を完全に失った製品や部品を製造する能力を手に入れた。
形勢は完全に逆転した。
当初アメリカ企業は、コストを下げ、資産をバランスシートから外す目的で、単純な段階をアウトソーシングしていた。
例によって例のごとく、こうした決定はどれも単独で見れば理にかなっていた。
ところがいまでは、製造能力を失ったがために、高度な製品をいやでもアウトソーシングせざるを得ないのだ。
能力の理論は、どのような状況でならアウトソーシングが意味をなすのか、なさないのかを判断する枠組を、企業に与えてくれる。
このとき考えなくてはならない大事なことが二つある。
第一に、サプライヤーの供給能力を動態的にとらえることだ。
能力は変化し得るし、実際変化する。
サプライヤーが現在行っていることではなく、将来めざしていることに目を向けよう。
第二に、また最も重要なことに、自社が将来成功するために、どんな能力が必要になるかを考えよう。
この能力は必ず社内に残しておく。
そうしなければ、未来を手放すことになる。
能力の力と重要性を理解しているかどうかが、優れたCEOと凡庸なCEOを分ける。
わが子にできること、できないこと p145
わたしたちは自覚していようがいまいが、身の周りにあるさまざまな人やものの能力を、日常的に評価している。
組織や上司、同僚や仲間、従業員をあれこれ評価する。
ライバル企業についてもそうだ。
だがもっと身近な世界に目を向けられないだろうか?
あなた自身はどんな能力をもっているのだろう?
家族の能力は?
わたしたち人間を、企業と同じように、資源とプロセス、優先事項の組み合わさったものと考えるのは、違和感があるかもしれない。
だがこれは、わたしたちが人生で成し遂げられること、手の届かないことを知るための、洞察に満ちた方法なのだ。
自分の能力をリストアップしてみると、自分の本当の強みや長所だと自覚しているものも、いくつかあるはずだ。
だがわたしたちはだれしも、もっと得意だったらと思う分野や、できることなら過去に戻って伸ばしたいと思う能力を、一つや二つはもっているものだ。
残念ながら、そんな贅沢はだれにも許されない。
デルが過去に戻って、能力をアウトソーシングするという意思決定を取り消すことができないように、わたしたちも若い頃に戻って、自分に欠けている重要な能力を開発する方法を見つけることはできない。
だが親として、子どもが正しい能力を身につけるよう、手助けすることはできる。
資源、プロセス、優先事項の能力モデルは、子どもが将来直面しそうな困難や問題から逆算して、どんな能力を備える必要があるかを考えるのに役立つ。
子どもにできること、できないことを決定する要因の一つめが、資源だ。
これには子どもが与えられた、または自ら獲得した、金銭的、物質的資源、時間、労力、知識、素質のほか、子どもが築いた人間関係や、過去から学んだことなどが含まれる。
子どもの能力を決める二つめの要因は、プロセスだ。
プロセスとは、子どもが自力で新しいことを成し遂げたり、生み出したりするために、自分のもてる資源を使って行うことをいう。
企業のプロセスと同様、目に見えにくいが、子どもの個性をつくる大きな要素だ。
たとえば子どもの考え方や、洞察に満ちた質問をする方法、得意とするタイプの問題、問題の解決方法、他人と協力する方法などがこれにあたる。
子どもの資源とプロセスの違いを、例をあげてわかりやすく説明しよう。
教室に座っている一人の若者がいる。
若者は教室に座ったまま、教師や研究者の生み出した知識を受動的に吸収する。
この知識が、彼の資源になる。
彼はこの資源を使って、知識を測るテストで高得点をとるかもしれないが、必ずしも新しい知識を生み出す能力を獲得したわけではない。
これに対して、教室で吸収した情報を使って、たとえばiPadなどのタブレット型コンピュータ用のアプリケーションを開発したり、独自の科学実験を行うようになれば、その能力はプロセスと呼べる。
これらを子どもの資源とプロセスだとすれば、子どもの個人的な優先事項が、三つめの能力になる。
これはわたしたち大人がもっている優先事項とそう変わらない。
学校、スポーツ、家族、仕事、信仰などがそうだ。
優先事項は、子どもが日々決定を下す方法に影響を与える。
頭のなかで考えていることや、さまざまなものごとのうち、どれを最優先するか、先延ばしにするか、はなから行わないかの決定だ。
三つの要因がどのように組み合わさるかを説明するために、先ほどのiPad用アプリを開発する子どもを例にとろう。
プログラミングをするためのコンピュータと、iPadのアプリをプログラミングする知識が、子どもの資源にあたる。
子どもがこれらの資源を組み合わせて、まったく新しいものや、つくり方をはっきり教わっていないものを生み出したり、実践しながら学習したりする方法が、プロセスになる。
そして貴重な自由時間を使ってアプリをつくろうとする意欲や、わざわざアプリをつくって解決を図ろうとするほど気にかけている問題、ユニークなものをつくるという発想、友人をあっと言わせたいという願望などが優先事項となって、アプリをつくるという決定を導く。
端的に言えば資源は何かを行う手段、プロセスは方法、優先事項は動機にあたる。
家庭版ギリシア悲劇 p147
デルがパソコン事業で行ったことを、子どもに対して行っている親がとても多いことに、わたしは大きな懸念をもっている。
プロセスを養う機会を、子どもから奪っているのだ。
一般に、豊かな社会では、一世代前には家庭内で行われていた仕事が、ますますアウトソーシングされている。
わたしが生まれ育った質素な地域では、現代の生活と比べればほとんど古風とも言えるが、家庭内で多くの仕事が行われていた。
庭には果物のなる木が植わり、食べものの多くを自分たちで育てていた。
冬や春にも食べられるように、収穫物の多くを保存加工した。
母たちがほとんどの衣服をつくり、シワになりにくい生地などなかった時代のことだから、何時間もかけて洗濯やアイロンがけをした。
芝刈りや雪かきをするのに人を雇うという発想は、もとからなかった。
このようにとても多くの仕事が行われていたため、子どもたちは実質的に親のために働いていたことになる。
過去五〇年で、こうした仕事をますます安く簡単に、業者にアウトソーシングできるようになった。
いまや家庭内で行われている唯一の仕事が、散らかった家をときどき片づけることだけ、という家庭も珍しくない。
やることがなくなったいまの世代の親は、子どもに人生を豊かにする経験をさせようと、献身的に走り回っている。
いわゆる「サッカーママ」は、一五年前まではアメリカ人の語彙にさえなかった言葉だ。
親たちは子どもを愛情こめてサッカーやラクロス、バスケットボール、フットボール、ホッケー、野球チーム、ダンスや体操、中国語のレッスンに連れて行き、ロンドンへの短期留学に送り出し、夏にはアルバイトをする暇もないほど多くのキャンプに送り届ける。
これらは一つひとつとってみれば、子どもが成長できるすばらしい機会であり、かつては家庭で行われていた仕事の代わりとしてうってつけだ。
子どもは厳しい難問を乗り越え、責任を引き受け、チームプレーヤーになる方法を学ぶことができる。
将来の成功に必要な重要なプロセスを生み出す、絶好の機会になる。
ところが得てして親はそんなことは考えもせず、ただ子どもたちに山ほどの経験を与えようとする。
もちろん、子どもをいろいろな活動に触れさせること自体は、すばらしいことだ。
親は子どもが心から楽しめることを探す手伝いができるし、プロセスを生み出そうという動機づけになるものを見つけることは、子どもにとっても大事なことだ。
だがこういった活動を子どもの生活に課す親の狙いが、そこにあるとは限らない。
親には親なりの片づけるべき用事があり、それにとらわれるあまり、子どもがプロセスを養う手助けをしたいという願いが、かすんでしまうことがあるのだ。
親の用事とは、自分はこれだけの機会を子どもに与えているよい親だと満足することだ。
それに、親は悪気はないのだが、自分の希望や夢を子どもに託すことも多い。
こうした雑念がわくとき、また親が子どもをいろいろな活動に連れ回すが、子どもが本気で取り組んでいないときは、要注意だ。
子どもは数々の経験をとおして、チームワークや起業家精神といった、奥深い重要なプロセスを養い、準備をすることの大切さを学んでいるだろうか?
それとも、やりなさいと言われて、仕方なくやっているだけだろうか?
子どもに資源を与えることにこだわりすぎていることに気づいたら、新しい問いを自分に投げかけなくてはいけない。
子どもはよりよいスキルを養うためのスキルを養っているだろうか?
より深い知識を養うための知識を養っているだろうか?
自分の経験から学ぶ経験をしているだろうか?
これこそが、子どもの頭と心にある資源とプロセスを分ける重要な違いであり、またアウトソーシングの予期せぬ後遺症でもあると、わたしは危惧している。
デルは事業の一部をアウトソーシングすることで、エイスースに達成すべき目標と解決すべき問題を与えた。
エイスースはこの業務を遂行するためのプロセスを開発し、その間デルの同じ業務を行うためのプロセスは衰えていった。
エイスースはこれらのプロセスに磨きをかけ、拡張し、ますます高度な業務を行えるようになった。
デルは資源にこだわり、重要なプロセスを減らすことに集中するあまり、実は将来の競争力を自ら削いでいることに気づかなかったのだ。
多くの親がデルと同じ間違いを犯し、子どもに知識、スキル、経験といった資源を、あふれんばかりに注いでいる。
そしてデルの場合と同様、そうするに至った一つひとつの決定は、筋がとおっているように思われる。
わたしたちは子どもの成功を望み、それに役立つような機会や経験を与えたつもりでいる。
だがこうした活動は本質的に、子どもを深く関わらせ、困難なことに取り組む意欲をかき立てる経験ではないために、将来の成功に必要なプロセスを養う機会にはならないのだ。
わたしの親がしてくれなかったこと p150
子どもによかれと思ってこうしたことをしていると、結果的にほとんどの子どもが、煩わしい責任を担ったり、自他のために複雑な問題を解決したりする機会をまったく与えられないまま大人になる。
自尊心、つまり自分には解決できるという自信をもって、問題に恐れずに取り組む姿勢は、ありあまる資源から生まれるのではない。
困難を乗り越え、大切なことを成し遂げてこそ生まれるのだ。
この本を執筆している時点で、アメリカでは近代経済史上初めて、若年層の失業率がほかのすべての年齢層を上回った。
世界中の多くの先進国でも事情は同じだ。
いったいどうしたことだろう?
過去数十年間の経済政策のせいだと、わけ知り顔の人は言うが、わたしの見るところ、この状況を招いている要因は別にある。
一つの世代全体が、雇用に直結する能力、とくにプロセスを身につけないまま大人になってしまったのだ。
わたしたちは家庭から仕事をアウトソーシングし、その結果生じた穴を、子どもたちに試練を与えず、やる気をかき立てもしない活動で埋めた。
子どもたちを人生の困難な問題から隔離することで、知らず知らずのうちに、成功に必要なプロセスや優先事項を生み出す能力を、この世代から奪ってしまったのだ。
わたしは何も、わが子を千尋の谷へ突き落として、這いあがれるかどうかを試すべきだなどとは言っていない。
そうではなく、子どもが自力で解ける単純な問題、つまりプロセスと健全な自尊心を養うための問題を、早い時期から与えるべきだと言っているのだ。
わたし自身これまでの人生をふり返ると、両親の与えてくれた最もすばらしい贈り物の一つが、二人がわたしにしてくれたことよりも、わたしにしてくれなかったことにあると気づかされる。
一つ例をあげると、母はわたしの洋服を一度も繕ってくれなかった。
小学校低学年のとき、お気に入りの靴下の両足に穴が空いたので、母のところにもっていったのを覚えている。
母は当時六人の子どもを産んだばかりで、また教会の活動にも深く関わっていた。
つまり超がつくほど多忙だった。
わが家のどこを探しても余分なお金はなく、新しい靴下を買うなど問題外だった。
そんなわけで、母はまずわたしに針に糸をとおす方法を教え、とおせたらもっていらっしゃいと言った。
これができるとわたしには一〇分もかかったが、母ならものの一〇秒でできたはずだ次に母は靴下を一つとって、糸で穴をかがるのではなく、穴の周囲に針をとおしてから糸を引っ張って穴をふさぐ方法を教えてくれた。
母には三〇秒ほどかかった。
最後に、糸を切って結ぶ方法を教えた。
そして二つめの靴下をわたしにぽんと渡して、自分の仕事に戻っていった。
それから一年ほどして、たぶん三年生の頃だったと思うが、わたしは校庭で転んでリーバイスを破ってしまった。
これは深刻な問題だった。
わが家では学校にはいていくズボンは、一人二本ずつと決まっていたのだ。
わたしは母のところに破れたズボンを持っていき、直してほしいと頼んだ。
母は、ミシンの糸のかけ方と使い方を教えてくれた。
それからジグザグ縫いに切り替える方法と、自分ならこう直すというヒントを一つ二つ教えると、自分の仕事に戻っていった。
わたしは最初途方に暮れたが、最後には何とかやり遂げた。
いまにして思えば、これらのささいなできごとは、わたしの人生の決定的瞬間だった。
わたしはこのときの経験から、自分の問題はできる限り自力で解決することを学び、自分の問題を自力で解決できるという自信をもち、また自分がそれをやり遂げたことに誇りを感じた。
おかしなことだが、わたしはあの靴下がすり切れてはけなくなるまで、靴下をはくたびにつま先の直したところを見て、「ぼくが直したんだ」と思ったのだ。
リーバイスの膝をどうやって直したのか、いまとなっては思い出せないが、きれいに直せたはずがない。
だがそれを目にするたび、うまく直せなかったとは思わなかった。
わたしが感じたのは、自分で直したという誇りだけだった。
ところで母は、わたしが膝あてをしたズボンをはいて学校に行くのを、どんな気持ちで見守っていたのだろう。
子どもにぼろを着せるのを恥ずかしいと思う母親もいるだろう。
家に余裕がないことをふれ回るようなものだからだ。
だがたぶん母は、わたしのズボンには目もくれなかったのだろう。
母はわたしを見て、わたしがつぎあてを見て思ったことを感じとったのだと思う。
「この子が直したのね」と。
子どもは学ぶ時期が来れば学ぶ p153
アウトソーシングが子どもの能力におよぼす弊害は、プロセスを養う機会を奪うことだけではない。
生活の多くをアウトソーシングしすぎると、それよりずっと大事なものが危険にさらされる。
それは、わたしたちの価値観だ。
あるときわたしは、子どもをすばらしい大人に育てあげた友人のことをほめていた。
彼と妻は、仮にジムとノーマと呼ぶが、すばらしい家族を築いた。
五人の子どもは揃いも揃ってとても個性的だったが、それぞれがキャリアで成功し、すばらしい伴侶を見つけ、自ら子どもを育てながら、国の別々の地域に暮らしていた。
わたしはジムとノーマに、あれほどすばらしい子どもたちを、いったいどうやって育てたんだい、と尋ねてみた。
彼らが授けてくれた珠玉の知恵のなかでも、ノーマの一言が、とくに光っていた。
「子どもたちが里帰りをすると、みんなで子ども時代のことをからかい合ったり、人生に一番影響を与えたできごとについて話すの。
でも彼らが重要だったと言うできごとを、わたしはたいてい覚えていないのよ。
それにジムとわたしが、わが家の価値観の根幹をなす大切なことを、腰を据えて教えたときのことを尋ねると、何と子どもたちは何一つ覚えていないの。
つまり教訓は、子どもたちは学ぶ準備ができたときに学ぶのであって、わたしたちが教える準備ができたときに学ぶわけではない、ってことね」
彼女の言葉は、三つめの能力である優先事項をしっかりもつことの大切さを、見事に説明している。
優先事項は、子どもが人生で何を最も優先させるかを決定づける。
実際、これはわたしたちが子どもに授けられる能力のなかで、最も重要なものかもしれない。
あなた自身、子ども時代にそんな経験をした記憶があるのではないだろうか。
親から大切なことを学びとったとき、当の親には自分が何かを教えたという自覚がまったくなかった。
たぶんそのとき親は、正しい優先事項を意識的に教えようとしていたわけではない。
だが大切な学びの瞬間に、そばにいてくれたからこそ、あなたは学んだ価値観を本当に自分のものにすることができたのだ。
このことが教えてくれるのは、一つには、子どもが学ぶ準備ができたとき、わたしたちがそばにいる必要がある。
そして二つには、わたしたちは自分の行動をとおして、子どもたちに学んでほしい優先事項や価値観を示す必要がある、ということだ。
ところがわたしたちは、昔は家庭にいくらでもあった仕事の大部分をアウトソーシングすることで、子どもの生活に空洞をつくり、その多くを自分たちの関わらない活動で埋めている。
その結果子どもがいざ学ぶ準備ができたとき、そばにいるのは、わたしたちの知らない人や、尊敬できない人であることが多いのだ。
ギリシャ人がわたしたちに残した、興味深いパラドックスがある。
著述家のプルタルコスが初めて書物に著した問題で、「テセウスの船」と呼ばれるものだ。
アテナイ人は、ミノタウロスを退治したことで知られる伝説的なアテナイ王、テセウスに敬意を表して、彼の没後も彼の船をつねに航海できる状態に保ち、アテナイの港に停泊させておいた。
船の部品が朽ちるたびに新しい部品に取りかえ、これをくり返すうちに、とうとうすべての部品が置き換えられた。
これがパラドックスだ。
この船は、部品が一つ残らず置き換えられてもなお、テセウスの船なのだろうか?
アテナイ人はまだテセウスの船と呼んでいたが、本当にそうなのだろうか?
これを、同じような哲学的な問いに変えよう。
あなたの子どもが、優先事項や価値観をよその人に学ぶなら、彼らはいったいだれの子どもだろう?
あなたの子どもには違いないのだが、わたしの言いたいことはわかるだろう。
もちろん、子どもがよその大人と時間を過ごすたび、望ましくない価値観が永遠に植えつけられるなどとは言っていない。
それに子どもを「巨大な悪の世界」から守り、起きている間ずっとそばについていなさいとも言っていない。
そんなことはするものではない。
大切なのはバランスだ。
人生の困難に自力で立ち向かうことでしか得られない、貴重な教訓があるのだ。
わたしが言いたいのは、こういうことだ。
たとえよかれと思ってやっていることでも、親として果たすべき役割をアウトソーシングすればするほど、子どもが――おそらく最も重要な能力である――価値観を養う手助けをする、貴重な機会を失うことになるのだ。
p156
あなたは子どものためだと思って、資源を与える。
実際、子どもに必要なものを与えることが、親として当然の務めと思っている人がほとんどだ。
子どもがいくつの活動に関わり、いくつの楽器を習い、いくつのスポーツをしているかを、隣人や友人と競い合う人もいる。
これは比較しやすいし、そうすることで自分はいい親だと満足できる。
だがこの愛情あふれる行動も、やりすぎるとかえって、子どもがあなたの望むような大人になるのを妨げてしまう。
子どもに必要なのは、新しいスキルを学ぶことだけではない。
能力の理論は、子どもに困難な挑戦を与えることの必要性を教えてくれる。
子どもに厳しい問題を解決させ、価値観を養わせよう。
どれほど多くの経験をさせても、心から打ちこめるような機会を与えない限り、将来の成功に必要なプロセスを身につけさせることはできない。
また子どもにこうした経験をさせる役割を他人任せにする、つまりアウトソーシングすれば、子どもをあなたの尊敬、賞賛するような大人に育てあげる、貴重な機会を失うことになる。
子どもが学ぶのは、あなたが教える準備ができたときではない。
彼らは、学ぶ準備ができたときに学ぶのだ。
子どもが人生の困難に立ち向かうそのとき、あなたがそばにいてやらなければ、彼らの優先事項を、そして人生を方向づける、貴重な機会を逃すことになる。
これは本当に正しい資質だろうか? p161
作家のトム・ウルフは一九七九年、アメリカの戦闘機パイロットの選抜試験という、世界で最も競争の熾烈な職業環境を描き出した小説『ライトスタッフ』を発表し、大衆の心をつかんだ。
パイロットたちは、われこそがトップに上り詰めるべき人材だと、すさまじい神経戦、いわば適者生存の戦いを繰り広げた。
創設当初のNASA(アメリカ航空宇宙局)の幹部は、これこそが「正しい資質」をもって生まれた人材を選び出す、最善の方法と考えた。
プログラムの過酷なプレッシャーを耐え抜いた者たちは、生まれつきのヒーローと見なされた。
企業が上層部の人選を行うときも、この考えに立つことが多い。
つまり、優秀者と最優秀者の違いを見きわめる、何らかの決定的な方法が存在するという考えだ。
ビジネスでは履歴書の内容が、これを知る「試金石」とされる。
候補者のそれまでの経歴から、困難な新しい職務で成功できそうかどうかを判断できるというのだ。
この考えの根底には、有望な候補者の輝かしい功績が、生まれつきの才能によるものだという思いこみがある。
最優秀の人材はみな、活用され磨かれるのを待っている、眠れる資質をもって生まれるという考えだ。
企業の採用担当者は、サクセスロードを邁進してきた候補者を探す。
言うなれば戦闘機パイロット選抜試験のビジネス版だ。
書類上では、有望な候補者はつねに際立ち、ウルフの言う「正しい資質」をもっているように見える。
だが同じ職位レベル間の異動や、明らかな昇進ではない異動を、一度でも経験している候補者については、「正しい資質」をもっていないと決めつける採用担当者が多い。
前の会社によって、才能の限界に達したという烙印を押されたと判断するわけだ。
正しい資質の有無を見きわめれば、最高の人材を選べると言うのなら、ある企業で輝かしい実績を残した幹部が、別の企業に鳴り物入りで移籍したあと、すぐに失敗者と見なされ、追放されるケースが多いのはなぜだろう?
何かが間違っているのは明らかだ。
生まれつきの才能の有無は、仕事での成功を占う確実な指標ではないことがわかっている。
企業は優秀な候補者を選抜するために、一見理にかなった評価基準のリストを用いているが、それは間違ったリストなのだ。
わたしは数年前、企業の上級幹部を千人以上集めて行った、大規模な企業幹部向け教育プログラムで、アンケートをとおしてこんな質問をしたことがある。
「あなたが現在の職務についてから、会社の責任ある地位に採用、登用した人のうち、非常に優れた人材だと結果的に判明したのは何パーセントですか?
及第点をあげられるのは何パーセントですか?
不適切な人材と判明したのは何パーセントですか?」。
彼らの主観的な評価によれば、優秀な人材は全体の約三分の一、及第点は四〇%、そして不適切な人材とわかったのは二五%だった。
別の言い方をすると、平均的な経営者は、判断を誤ることがとても多いということになる。
本業の製造やサービスでは「欠陥ゼロ」の品質をめざして努力を重ねるその一方、正しい人材を選ぶという、最も重要と思われる責務では、二五%の「欠陥」率を出してもなぜか許されると思っている。
では「正しい資質」のフィルターが将来の成功を予測できないのなら、何を使えば予測できるのだろう?
わたしはこれまでかなりの時間を費やして、教え子が将来のキャリアで、採用の失敗を避けるのに役立つような理論を探し回り、自分でも構築しようとした。
このとき読みあさった本の多くは、研究成果を一般法則に落としこんでいた。
どの本も「適時適材適所」の必要性を説き、これを行う「法則」の根拠として、成功している企業の例をあげていた。
わたしの読んだほとんどの本が、一つの成功企業の下した選択が、万人に有効と仮定していた。
「成功したXYZ社と同じタイプの人材を採用すれば、あなたの会社も成功するでしょう」という具合だ。
これは理論を構築する方法としては間違っている。
実際、これは理論でも何でもない。
こうした本の結論の根拠となっているのは、逸話や伝聞でしかない。
学生が将来のキャリアで、よりよい人材を採用する助けになるような理論をわたしがとうとう見つけたのは、『ハイフライヤー次世代リーダーの育成法』(プレジデント社)という本で、サザンカリフォルニア大学教授モーガン・マッコールの構築した理論を知ったときだ。
この本は、なぜ多くの経営者が採用で間違いを犯すのか、その理由を説明してくれる。
マッコールは「正しい資質」について、まったく異なる見解をもっている。
ウルフの戦闘機パイロットは、たしかに最高のなかの最高の人材かもしれないが、マッコールの理論は、彼らが「なぜ」最高の人材なのかという、因果的説明を与えてくれる。
それは彼らが人より優れたスキルをもって生まれたからではない。
むしろ、仕事での適切な経験をとおして、大きな利害のかかった状況で挫折や極度のストレスに対処する方法を学び、優れたスキルを磨いてきたからなのだ。
「正しい資質」の考え方は、成功と相関性のあるスキルを並べ立てるにすぎない。
理論の特徴を説明する言葉で言えば、候補者が翼や羽を持っているかどうかを調べるのだ。
これに対してマッコールの「経験の学校」のモデルは、候補者が実際に空を飛んだことがあるか、あるとすればどのような状況で飛んだのかを尋ねる。
このモデルを使えば、候補者が今後対処する必要のある問題に、以前の任務で実際に取り組んだ経験があるかどうかを判断できる。
前に説明した能力の用語で言えば、マッコールのモデルはプロセス能力を測ろうとするものだ。
マッコールの理論の根拠となっているのは、「正しい資質」モデルのように、リーダーが必要な能力をすべて生まれながらに備えているという考えではない。
むしろ能力は、人生のさまざまな経験をとおして開発され、形成されていく。
困難な仕事、指揮したプロジェクトの失敗、新規分野での任務――こうしたことのすべてが、経験の学校の「講座」になる。
リーダーがどのようなスキルをもっているか、欠いているかは、それまでのキャリアでどのような「講座」を受講して来たか、来なかったかによって、ほぼ決まるのだ。
「正しい資質」は正しくない p164
わたしはマッコールの考え方を用いなかったせいで、これまで管理職の評価で、認めたくないほど多くの間違いを犯してきた。
たとえばCPSテクノロジーズを経営していたときのことだ。
この会社は、酸化アルミニウムや窒化ケイ素といった、ハイテクセラミックス素材を利用した製品を製造する会社だった。
設立から二年経った頃、初期製品の試験製造に移る準備が整い、オペレーション部門を担当する副社長を採用する必要が生じた。
わたしもMITの教授をしていた同僚も、製造プロセスの規模を拡大した経験がなかったため、さしあたってそれを任せられる新しい副社長が必要になった。
業務を研究段階から生産段階に移行し、生産拠点を研究所から八キロほど離れた新しい工場に移すことが、副社長の当面の責務だった。
人材を探し始めて三ヶ月ほど経った時点で、候補者は二人に絞られた。
CPSの取締役を務めていたベンチャー投資家の推薦するA氏は、世界的に展開する数十億ドル規模の事業部門を、オペレーション担当上級副社長として統括する、きわめて有能な男性だった。
この企業は急激な温度変化を加えても割れない、最先端の酸化ジルコニウム製品などを製造しており、わたしたちはその品質を高く評価していた。
第二の候補者B氏は、わが社の最も評価の高いエンジニアの一人、リックの元上司で、リックが強力に推していた。
B氏は会社の最前線に立って、自分の手を汚しながら仕事をしており、それは外見にも現れていた。
文字どおり、手の爪が汚れていたのだ。
彼はペンシルベニア州エリーの近くの二つの工場で、電気絶縁設備に使われる酸化アルミニウムといった、伝統的技術を用いたセラミック製品をつくっていたのだが、費用のかさむ労働組合契約を破棄するために、工場をいったん閉鎖した。
そしてそこで使っていたプロセス設備のほとんどをテネシー州の田舎町に運び、三ヵ月前に新しい工場を開設したところだった。
彼は大卒ではなかった。
わたしたち経営陣は、汚れた爪の男性に傾いていた。
だが取締役の二人のベンチャー投資家は、A氏を推した。
二人はCPSテクノロジーズを非常に高く買っており、A氏はわが社が将来の理想像として思い描いていた企業の上級役員だった。
彼は素材業界の最先端を行く世界的企業の運営方法を、内側から知り尽くしていた。
また世界全体で二〇億ドルの売上に責任をもっていた。
ベンチャー投資家がB氏を軽んじたのは、ローテクな経歴のせいだった。
彼の会社は家族経営で、年商は三〇〇〇万ドルほどだった。
わたしたちは最終的にA氏を選び、東京からボストンへの引っ越し費用として、二五万ドルほどを負担した。
彼はいい人だったが、プロセスや工場の規模拡大を適切に統括できなかった。
とうとう一八ヵ月後には辞任を要請せざるを得なくなった。
その頃にはB氏は別の仕事を引き受けていたため、また人探しを一からやり直さなくてはならなかった。
当時のわたしたちには、マッコールの理論という指針がなかった。
理論を知っていればどんなによかっただろうと悔やまれる。
A氏は大規模な事業を統括していたが、それは安定した事業だった。
新しい事業を立ち上げ構築した経験は、皆無だった。
そのため彼は、新しい工場の立ち上げや新しいプロセスの規模拡大に伴う問題を、まるで理解していなかった。
おまけに以前統括していた事業は、規模が大きく、直属の部下がたくさんいた。
彼は部下と一致協力して事業を直接運営するのではなく、部下を通じて間接的に運営していたにすぎなかった。
履歴書を比べれば、A氏の圧勝だった。
彼には「正しい資質」があった。
彼の経歴を形容する言葉は、B氏の比ではないほど華々しかった。
しかしそれだけをもって、彼を適材と判断することはできない。
もしわたしたちが二人の履歴書の過去形の動詞に注目していたなら、B氏が圧勝していたはずだ。
なぜなら彼が経験の学校で適切な「講座」をとってきたことが、履歴書に歴然と示されていたからだ。
たとえば「研究所のプロセス技術を、試験生産を経て本格生産に拡大する」という実習セミナーだ。
彼はそれまでの仕事で、わたしたちが直面することも知らない問題に取り組んでいたのだ。
別の言葉で言えば、B氏はこの任務を遂行するのに適したプロセスをもっていた。
それなのに、わたしたちはより輝かしい経歴の候補者を優先することで、プロセスより資源を偏重したのだ。
これは前章で多くの親たちが陥りがちな間違いとして説明したことだが、大企業でさえ同じ間違いを免れない。
たとえばインテルとSAPという、世界的な大手技術企業が設立した、きわめて異例な合弁企業、パンデシックの例がある。
この企業が犯した間違いは、わたしたちがCPSテクノロジーズでオペレーション担当副社長の人選でしでかした間違いと同じだ。
ただし、規模ははるかに大きかった。
パンデシックは一九九七年、SAPの企業向け資源計画ソフトウェアの廉価版を、中小企業向けに開発する目的で、大きな期待と一億ドルの資本をもって設立された。
インテルもSAPも、この鳴り物入りの合弁事業を運営するために、社内で最も評価の高い人材を厳選して送りこんだ。
ところがパンデシックは、わずか三年後に「壮大な失敗」と断定された。
何一つとして計画どおりに運ばなかった。
あとからこうすればよかった、ああすればよかったと言うのは簡単だが、はっきりしていることが一つある。
両社がプロジェクトの運営者として選んだ人材は、経験豊富ではあったが、この任務にふさわしい人材ではなかったのだ。
マッコールの理論のレンズをとおして見れば、その理由がわかってくる。
パンデシックの経営陣は、経歴こそ華々しかったが、新規事業を立ち上げた経験のある人材は一人もいなかった。
最初の戦略が不調に終わったとき、だれも戦略を修正する方法を知らなかった。
まったく新しい製品を本格展開する前に、だれ一人として利益モデルを構築できなかった。
パンデシックのチームは、それぞれの世界的企業で、資源を潤沢に与えられた、秩序正しい計画を運営するのに慣れていた。
インテルとSAPが選んだのは、出身の巨大企業と同規模の企業は運営できても、新興企業は運営できないチームだった。
経営陣はだれ一人として、新規成長事業を生み出し、推進するのに適した「学校」に通っていなかった。
そのためパンデシックは、インテルとSAPの歴史の脚注に追いやられてしまったのだ。
戦車が丘を越えるとき p183
どんな親も恐れていることがある。
子どもが厳しい選択を迫られたいざそのときに、自分がそばにいて、正しい選択ができるよう手助けしてやれなかったらどうしよう――。
子どもが飛行機に乗って、友人と異国を旅しているときに重大な選択を迫られたら?
大学に行って、カンニングする誘惑に駆られたら?
見知らぬ人に親切にするかどうかの選択を迫られ、その選択が相手の人生を一変させることになったら?
わたしたちにせいぜいできるのは、子どもが自力で正しい結論を導けるよう育てたはずだと、自分に言い聞かせるくらいのことだ。
だがちょっと考えてほしい。
これを確実に行う方法はないのだろうか?
これは家族のルールを決めて、あとはうまくいくよう祈る、という単純な話ではない。
もっと根本的なことを行う必要がある。
またそれを、子どもが実際に困難な選択を迫られる、はるか前から行わなくてはならない。
子どもが選択肢を正しく評価し、賢明な選択を行えるよう、優先事項を正しく設定してやる必要があるのだ。
これを行うには、わたしたちが家庭で築く「文化」というツールを使うのが一番だ。
企業と家庭は、この点でとてもよく似ている。
あなたの親があなたに賢明な決断をしてもらいたいと望んだように、企業の経営者も、中間管理職を始めあらゆるレベルの従業員が、監視の目がなくても日々正しい選択を下せるよう、徹底したいと思っている。
これはいまに始まったことではなく、古くは古代ローマ時代にも行われていた。
ローマ皇帝は、新たに征服した土地を支配するために、何千キロも離れた領土に同胞を派遣した。
皇帝たちは、二頭立て戦車が丘を越えて行くのを見守りながら、この先何年も会うことのない代理人が、自分と同じ優先事項をもち、有効かつ妥当な方法を用いて問題解決を図るという確信をもつ必要があった。
文化は、これを確実に実現する、唯一の手段だったのだ。
企業文化はどのように形成されるか? p184
「文化」とは日常的にしょっちゅう耳にする言葉だが、人によって連想するものは違う。
企業の場合、文化は職場環境の目に見える要素として説明されることが多い。
たとえばカジュアルフライデー、ドリンク飲み放題のカフェテリア、ペット同伴の職場など。
だが組織文化の世界的権威であるMITのエドガー・シャインが説明するように、こうした要素自体が文化を定義するわけではない。
これらは文化が生み出したものにすぎない。
Tシャツと短パンの着用が許される職場が、非常に階層的ということもあり得る。
それでも「カジュアル」な文化と言えるのだろうか?
文化は、単なる職場の雰囲気や指針以上のものだ。
シャインは文化とそれが形成される仕組みを、次のように定義した。
文化とは、共通の目標に向かって力を合わせて取り組む方法である。
その方法はきわめて頻繁に用いられ、きわめて高い成果を生むため、だれもそれ以外の方法で行おうとは思わなくなる。
文化が形成されると、従業員は成功するために必要なことを、自律的に行うようになる。
このような自律性は、一夜にして身につくものではなく、従業員の共有学習を通じて生まれる。
共有学習とは、問題をともに解決し、有効な方法を考え出そうとする取り組みをいう。
どんな組織にも、特定の問題や困難が、初めて発生する瞬間がある。
「この顧客の苦情にはどう対応すればいいだろう?」
「もう一度品質検査を行うまで、製品の発売を延期すべきだろうか?」
「どの顧客を最優先すべきだろう?」
「だれの要求に関心を払い、だれの要求は聞き流せばいいだろう?」
「新製品の出荷開始の判断基準として、「必要にして十分』という基準は妥当だろうか?」
責任者は問題やタスクが発生するたび、成功するために何をどのように行うべきかという決定を下す。
だがこの決定とそれに伴う行動が、望ましい結果を導けば(たとえば顧客が「必要にして十分」な品質の製品で満足した、など)、従業員は同様の難問に再び直面したとき、前と同じ決定と同じ問題解決法に立ち戻るだろう。
逆に失敗すれば(顧客が憤然と去り、従業員が上司に叱責されるなど)、従業員は同じ手法をとることを、とてもためらうようになるはずだ。
このように、従業員は問題に取り組むとき、問題そのものを解決しているだけではない。
解決を図りながら、有効な手法を学んでいるのだ。
前の章の能力の用語で言えば、従業員は事業における優先事項と、それを実行する方法に関する理解、つまりプロセスを生み出しているということになる。
文化とは、組織内のプロセスと優先事項が、独自の方法で組み合わさったものをいう。
従業員が選択した方法が、問題解決に役立っているとき(完璧である必要はなく、十分な成果をあげればよい)、文化が醸成される。
文化は社内の規則や指針という形をとり、従業員はこれをもとにして選択を下すようになる。
どのようにして力を合わせるか、どのようなものごとを優先すべきかを示す枠組がくり返し使われ、そのたびごとに成果をあげれば、やがて従業員は問題に直面したとき、いちいち手を止めて、どのように取り組むべきかを相談する必要がなくなる。
そしてこれまで行ってきた方法こそが、「唯一正しい」方法だと、決めてかかるようになる。
このことの何がよいかと言えば、組織が自己管理型になることだ。
従業員に規則を守らせるために、管理職が逐一監視する必要はなくなる。
全員がなすべきことを直感的に進めていく。
強力な文化をもつ企業の例はいくらでもある。
たとえばピクサーは、『ファインディング・ニモ』や『トイ・ストーリー』など、きわめて創造性に富み、高く評価されている子ども向け映画で知られるが、数字を見る限り、ほかのアニメーションスタジオとそう変わらないように思える。
だがピクサーは非常に特徴のある文化を築いているのだ。
ピクサーは制作プロセスからして、他社と違う。
一般に映画制作会社では、開発部が映画のアイデアを考え、それを監督に渡して映画を制作させることが多い。
だがピクサーはそういうやり方をとらない。
どこかの集団が思いついたアイデアを監督に割り振って映画を制作させるより、監督が自分のアイデアをもとに映画を制作したほうが、当然やる気が出るだろうという考えから、監督自身がアイデアに磨きをかけるのを、会社をあげて支援する。
ピクサーの開発部は、社内で進行しているすべての映画に、ストーリーを構築するためのインプットを常時提供する。
またこのプロセスでは、制作に携わっていない人たちから、忌憚のない意見を聞くセッションが設けられる。
セッションは残酷なまでに率直になることがある。
それでもピクサーの社員は、この率直さを尊重している。
だれもが「質の高い独創的な映画をつくる」という、共通の目標をもっているからだ。
これが優先事項にあたる。
忌憚のない意見は、よりよい映画をつくるのに役立つからこそ尊重される。
こうしてプロセスと優先事項が結びついたものが、ピクサーの創造的な文化をなしている。
この方法で制作した映画が立て続けに大ヒットしたことで、文化が明確になり、いまでは制作の予定が狂うからストーリーの批評を差し控えようなどと考える社員はいない。
すばらしい映画をつくるほうが大切だと知っているからだ。
もちろん、ピクサーが共同作業を行う方法を、映画産業のすべての会社が見習うべきだなどとは言っていない。
わたしが言いたいのは、ピクサーの社員がこの方法をとおして、長年にわたって非常な成功を収めているということだ。
そのため社員は、いまではどのように行動し、意思決定を行い、取捨選択をするかといったことを、考える必要すらない。
ピクサーはこの文化のおかげで、いろいろな意味で自己管理型の企業になっている。
経営陣はすべての意思決定の端々にまで口をはさむ必要がない。
文化が、経営陣のいわば代理人として、あらゆる意思決定の隅々にまで浸透しているからだ。
ピクサーの競争的、技術的環境が今後も変わらない限り、この強力な文化は強みになる。
ただし環境が大きく変わるようなことがあれば、強力な文化のせいで、変化が困難になる。
企業幹部は、文化の成り立ちに関するシャインの説明を理解することで、組織文化を自ら生み出すことができる。
ただしこれをやるには、一定のルールに従わなくてはならない。
まず始めに、社内にくり返し生じる問題を明らかにする。
次に、この問題を解決する方法を、社内の集団に考案させる。
この方法が失敗したら、さらによい解決法を考えさせる。
だがいったん成功したら、問題が生じるたびに、同じ集団に何度でも解決させる。
集団は何度もくり返し問題を解決するうちに、自分たちの考案した方法で解決することが第二の天性のようになる。
どんな組織の文化も、くり返しを通じて形成される。
この方法が、集団の文化になるのだ。
文化を積極的に形成することの大切さを、多くの企業が理解している。
文化は経営陣の代わりに、正しいものごとが行われるよう導いてくれるからだ。
手法の有効性が証明されたら、経営陣はそれを書きとめ、できるだけ頻繁に話題に取り上げなくてはならない。
たとえばオンラインDVDレンタルのネットフリックスも、文化を定義し書きとめることに、多大な時間を費やしている。
ただしこの文化は、すべての従業員に合うとは限らない。
同社の文化は従業員に公開されているだけでなく、インターネットでだれにでも読める。
いくつか紹介しよう。
・休暇規定は定めない:すばらしい仕事をし、責務を果たしている限り、休暇は好きなだけとって構わない。
・「ずばぬけた」従業員以外はお断り:「そこそこの」仕事しかしない従業員は、「手厚い解雇手当」を支払われてお払い箱にされ、代わりにA級プレーヤーが採用される。
・「自由と責任」か「命令と管理」か:優れた経営者は、従業員に意思決定を行う適切な環境を与え、従業員はそのなかで意思決定を行う。
だが経営陣は文化の内容を伝えるだけでなく、その文化に即した意思決定を下さなくてはいけない。
ネットフリックスは有言実行する企業との評判を早くに確立したが、文化は表明するものの、それをまったく守らない企業も珍しくない。
よく知られた例の一つとして、エンロンにも「ビジョンと価値観」を謳う経営理念があった。
同社は敬意、誠意、共感、卓越という、四つの価値観にふさわしい行動を行うと宣言した。
たとえば敬意については(『ニューヨーク・タイムズ』の報道によれば)、こう説明されていた。
「わたしたちは、自分がほかの人からしてもらいたいように、ほかの人にも接します。わたしたちは侮蔑的または無礼な扱いを許しません。わたしたちは非情、無神経、傲慢とは無縁です」
エンロンが、最上層部から最下層まで、自ら表明した価値観をまったく実践していなかったのは明らかだ。
文化は言葉で表さなくても、また言葉では表すが実行しなくても、おのずと表れる。
ただしその文化は、組織内でくり返され成功を重ねてきたプロセスと優先事項のうえに築かれたものになる。
企業文化が健全かどうかは、次の問いについて考えることでわかる。
「従業員は仕事のやり方に関する選択に直面したとき、文化が『求める』ような意思決定を下しただろうか?またその決定がもたらした結果は、文化に即していただろうか?」。
こういったことに意識的に気を配らなければ、たった一度の誤った決定や望ましくない結果のせいで、企業文化がまったく間違った道を進んでしまうことがある。
わが家の行動方針 p190
企業と家庭がいろいろな点で似ていることを、わかってもらえただろうか。
従業員が適切な優先事項に沿って問題解決にあたることを経営者が期待するように、親も優先事項を設けることによって、自分たちがそばにいて指導、監視していようがいまいが、家族の一人ひとりが直感的に問題を解決し、ジレンマに取り組むことを期待する。
子どもは手を止めて、母や父は何を望むだろうと思案するまでもない。
家庭の文化が定める「わが家の行動方針」に従って行動するだけだ。
文化は意識的に築くこともできるし、知らず知らずのうちに生まれることもある。
家族全員が従うべき明確な優先事項を定めた家庭文化をもつには、優先事項を積極的に文化に組みこまなくてはならない。
文化はいま説明した手順で構築できる。
自分の家族にもたせたい文化を形成しなくてはいけないし、これについては早いうちから考え始める必要がある。
家庭に思いやりの文化を取り入れたいなら、子どもが解決策の一つに思いやりが含まれる問題に初めてぶつかったとき、その解決策を選ぶよう手助けし、それから思いやりを通じて成功できるよう手を貸してやろう。
また子どもが思いやりの選択肢を選ばなかった場合は、そのことをたしなめ、なぜ選ぶべきだったかを説明する。
もちろん、これは簡単なことではない。
第一に、あなたは自分の育った家庭の文化をもって、新しい家庭に入る。
伴侶が自分と根本的に異なる家庭文化をもっていることも、よくある話だ。
二人だけでも、何かに合意するのは奇跡のようなものなのに、一人ひとり異なる感じ方や考え方をもって生まれた子どもたちを加えたら、どうなるだろう。
たしかに大変だが、だからこそ、自分がどんな文化を望んでいるかを明らかにし、それを積極的に追求することが何より大切なのだ。
妻のクリスティンとわたしは婚約したての頃、ある最終目標を――ある特定の家庭文化を――めざして取り組み始めた。
とくに文化という枠組で考えたわけではないが、とにかくわたしたちがやったのはそういうことだ。
子どもたちがお互いを愛し合い、助け合うように育てようと、とくに意識して心に決めた。
また子どもたちには、神に無条件に従ってほしいと思った。
思いやりをもってほしかった。
最後に、労働を愛してほしいと思った。
わたしたちの選んだ文化は、わが家にふさわしい文化だが、どの家庭もそれぞれにふさわしい文化を選ばなくてはいけない。
肝心なのは、自分たちにとって大切なことを意識的に選び、それからシャインの理論が示すように、そうした要素を強化するような文化を設計することだ。
そのためには、家族としてどのような活動に携わるか、どのような成果を達成する必要があるかを決めておく必要がある。
これをやっておくと、家族でこうした活動に再び取り組む必要が生じたとき、「これがわが家のやり方だ」と全員が思うようになる。
たとえばわが家の場合、子どもたちにただ「労働を愛しなさい」と命じても効果がないことはわかっていた。
そこで、子どもたちがわたしたち親と一緒に働く方法をつねに探し、それを楽しい経験にするよう心がけた。
たとえばわたしが庭仕事をするときは必ず、少なくとも一人、たいていは二人の子どもたちが、芝刈り機のハンドルにしがみついていた。
長い間、手伝いとは名ばかりで、実はまったく手伝いになっていなかった。
地面に足が届くか届かないような子どもたちが、芝刈り機にしがみついていたせいで、芝刈りはかえって大変になった。
でもそんなことはどうでもよかった。
肝心なのは、そうすることで子どもたちに労働が「何かいいこと」だと教えてやれたことだ。
それを一緒にやった。
もちろん楽しかった。
そして子どもたちにパパを手伝い、家族を手伝っているのだと、自覚させた。
やがて、この価値観はわが家の文化に埋めこまれた。
だがそうなったのは、魔法でも偶然でもない。
いろいろな活動を慎重に設計し、芝を刈るといった単純な労働を一緒に行ったからこそ、成し遂げられたのだ。
わたしたち夫婦は一貫した姿勢を貫くよう心がけた。
子どもたちにわたしたちの意図を理解させるよう、心を配った。
彼らの協力に感謝することも忘れなかった。
わたしが人生をふり返って、子どもたちが幼かった頃、完成した家を買うだけのお金がなくてかえってよかったと思うのは、この理由による。
わたしたちはそれでも精一杯張りこんで最初の古家を買ったのだが、職人を雇って修繕してもらう余裕はなかった。
修繕する必要のあるものは、すべわたしたちと子どもたちとで修繕する必要があった。
たいていの人は、面倒きわまりない仕事と思うことだろう。
だがわたしたちは図らずも、家族で一緒に働く機会にあふれた環境に引っ越した。
この仕事をアウトソーシングすることは、どんなにしたくてもできなかった。
とてもそんな余裕はなかったのだ。
つまり、どの壁や天井をとっても、子どもたちの助けなしには取り壊したり、建て直したり、漆喰やペンキを塗ったりすることはできなかった。
このときも、芝を刈ったときと同じ原則を適用した。
楽しい作業にし、必ず子どもに感謝することに決めた。
だがこのときはもう一つ、心理学で言う「正の強化」【ある行動に何らかのポジティブな報酬が与えられることによって、ますますその行動をくり返すようになること】があった。
子どもはどこかの部屋に入るたびに、壁を見てこう言ったのだ。
「あの壁はぼくが塗ったんだよ」「わたしがやすりをあてたの」。
彼らは一緒に働いた楽しさを思い出すだけでなく、自分の成し遂げたものを見て、誇りを感じたのだ。
このようにして、彼らは労働を愛することを学んだ。
わたしたちは家を修繕するという問題をともに解決することをとおして、クリステンセン家の文化を築いた。
一緒にものごとにくり返し取り組むことをとおして、家族としてどんなことを優先するか、どうやって問題を解決するか、家族にとって本当に大切なことは何かについて、共通の理解をもつようになったのだ。
誤解のないように言っておくと、文化は望むと望まざるとにかかわらず生まれる。
唯一考えなくてはならないのは、それが生まれる過程に、どれだけ積極的に影響を与えようとするかだ。
文化を形づくる作業は、インスタント・ループではない。
文化を定め、それを伝えさえすれば、突然ひとりでに機能するようになるわけではない。
子どもに何かをしてほしいと頼んだり、伴侶に何かをするつもりだと伝えたら、それを忘れずに、最後まで見届け、やりとおすことが大切だ。
そんなことはあたりまえだと思うかもしれない。
たいていの人は、一貫した自分でありたいと思っている。
だが日々の生活のプレッシャーのなかでこれをするのは、大変なことだ。
ルールを守ることが、子どもより大人にとって難しい場合も、多々ある。
多くのくたびれた親たちは、悪気はないのだが、早いうちから自分の決めたルールを守れなくなり、知らず知らずのうちに家庭に怠惰や反抗の文化を呼びこんでしまうのだ。
子どもはきょうだいを負かしてほしいものを手に入れたり、両親に口答えして不当な要求をのませたりするとき、短期的に「成功」したと感じるかもしれない。
こうした行動を放っておく親は、そういう家庭文化を築いているも同然だ。
子どもに世の中とはこういうものだと教え、同じ方法でいつも目的を達成できると教えているのだ。
子どもが大きくなるまでの間ずっと、家庭文化に取り入れたいことで「成功」するとは、具体的にどういうことなのかを、子どもに意識して示し続けよう。
たとえば息子の一人がまだ幼い頃、クラスでいじめがあり、だれも止めようとする子がいないことを知った。
思いやりはわが家の目標の一つだったが、まだ文化には組みこまれていなかったのだ。
そこで家族の新しいモットーをみんなで考えた。
「思いやりのあるクリステンセン家と言われるようにしよう」。
これをことあるごとに会話に織りこみ、またとくに息子には、いじめにあっている同級生を助ける方法を教えた。
彼が実際に助けたときにはほめ、ほかの子どもたちがだれかに思いやりを示したときも同じようにほめた。
このようにして、思いやりをわが家の文化に組みこんだのだ。
やがてこのことは、わたしたちの望んだような成果をもたらすようになった。
子どもたち一人ひとりが、真に思いやりのある女性、男性に育ってくれた。
おかげで彼らが世界中のどこにいても、問題に直面したとききちんと対処できるだろうかと、気を揉むこともない。
彼らの頭にまず浮かぶのは、この言葉だからだ。
「思いやりのあるクリステンセン家と言われるようにしよう」
何度も言うが、わたしたちの選んだ家庭文化が、だれにとってもふさわしいわけではない。
肝心なのは、文化が構築される仕組みを理解することだ。
そうすれば自分の望む文化を構築できるようになる。
これを考えるとき、戦略が形成される仕組みを思い出すと、わかりやすいだろう。
戦略をつくるのは、意図的な計画と、創発的な問題や機会という、二種類のインプットだ。
これらが資源配分プロセスで競い合う結果、時間と労力、能力を最も優先的に配分されるものが決まる。
わたし自身の例で言えば、わたしの職業は創発的に生まれた。
ウォールストリート・ジャーナルの編集者になるという意図的な計画は、ほかの機会が現れるうちに、脇に押しのけられた。
こうした機会のうちの一つが、教師という現在の職業だった。
しかし、わたしは自分のなりたい人間になるという目標については、運任せにしなくて本当によかったと思っている。
これはとても意図的な決断だった。
あなたも家庭文化の創造という問題に、ぜひ同じ方法で取り組んでほしい。
子どもの職業上の追求や関心は、創発的なものでなくてはならない。
おそらく一人ひとりにまったく異なる機会が現れることだろう。
家庭文化はこのような多様性を歓迎すべきだ。
だが家庭文化の土台となる部分については、一様性を保つことを勧めたい。
これを正しく行えば、家族の一人ひとりが幸せと誇りを感じられるようになる。
そのためには、何が正しいか、間違っているかを、いつも気をつけて判断しなくてはいけない。
家族が行うすべての活動について、それがくり返されたらどうなるかを考えてみよう。
問題ないだろうか?
それは、あなたの知らないところで起きた子どものけんかのような、ささいなことかもしれない。
一人が目に涙をためて走り寄ってきたら、あなたはどうするだろう?
何も事情を聞かずに、もう一人の子どもに罰を与えるだろうか?
泣いている子どもに、気にするなと言うだろうか?
二人を呼んで、二人にお仕置きをする?
二人で解決しなさいと言う?
あなたが選んだ解決策が何であれ、うまくいくようなら、くり返そう。
そうすれば子どもは同じ問題であなたに助けを求めるたびに、何が起きるかを予測できる。
こうして、けんかをするとどうなるかを学び始める。
あなたがつねに一貫した態度をとれば、子どもは友人の家で遊んでいるときも、同じ行動をとるようになる。
ではこれをしなかったら、どうなるだろう?
多くの親は、中年にさしかかり、子どもが一〇代になる頃に、自分の一番大切な仕事がいつの間にか終わっていることに気づく。
気をつけていないと、「一度や二度」はすぐ文化になってしまう。
こうした行動は、いったん家庭文化に埋めこまれると、そう簡単には変えられなくなるのだ。
p202
わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られるときには、どんなに忙しいときであろうと、またどんな結果が待っていようと、必ず赤いネオンサインが点滅して、注意を促してくれると思っている人が多い――「この先重要な決断につき、注意」。
自分はこういう大事な瞬間に正しい判断ができると、ほとんどの人が確信している。
第一、自分が誠実でないと思っている人などいるだろうか?
問題は、人生がそんなふうにはできていないことだ。
警告標識など現れない。
むしろわたしたちは、大きなリスクが伴うようには思えない、小さな決定を日々迫られる。
だがこうした決定が、やがて驚くほど大きな問題に発展することがあるのだ。
企業でも、まったく同じことが起きる。
ライバル企業にわざと追い抜かれようとする企業などない。
企業をその道に向かわせるのは、何年も前に下された、一見あたりさわりのない、多くの決定なのだ。
本章では、これがどのようにして起きるかを説明し、このうえなく魅惑的な罠を避けるにはどうすればよいか、その方法を学ぼう。
限界的思考の罠 p203
一九九〇年代末のアメリカでは、ブロックバスターが映画レンタル業界を支配していた。
ブロックバスターは全米に店舗を展開し、圧倒的な規模の優位で市場を掌握していたかに思われた。
同社はすべての店舗に在庫を置くために、巨額の投資を行っていた。
だが当然、商品が棚に座ったままでは利益はあがらない。
顧客が商品をレンタルし、店員が商品をスキャンして店から送り出して初めて、ブロックバスターのふところに利益が入る仕組みになっていた。
そのため、顧客が早く映画を鑑賞して、ただちに店に返却し、店員がそれを別の顧客に次々とレンタルしていくことがどうしても必要だった。
早めの返却を促すために、期限までに返却しない顧客からは、高額の延滞料金を日割りで徴収した。
そうしなければ、DVDは顧客の自宅の棚に放置され、別の客にレンタルされないため、利益はあがらない。
そのうちにブロックバスターは、顧客が返却を煩わしく思っていることに気づき、遅滞料金をさらに引き上げたため、利益の七〇%が延滞料金からあがっていると推定されたほどだ。
こうしたなか、一九九〇年代にネットフリックスという小さな新興企業が、斬新なアイデアを引っさげて登場した。
顧客にビデオ店まで足を運んでもらわなくても、顧客にDVDを郵送すればいいじゃないか?
ネットフリックスのビジネスモデルは、利益をあげる仕組みがブロックバスターとは逆だった。
ネットフリックスは顧客から月額定額料金を徴収したため、顧客が注文したDVDを鑑賞しなければ利益があがった。
DVDが鑑賞されずに顧客の自宅に放置されていれば、ネットフリックスは返送料を負担せずにすんだし、月額料金を徴収ずみの顧客に次の映画を郵送する必要もなかった。
これは何とも大胆な動きだった。
ネットフリックスは言ってみれば、映画レンタル業界の巨人ゴリアテに立ち向かう、少年ダビデだった。
ブロックバスターには数十億ドルの資産と数千人の従業員、そして一〇〇%のブランド認知度があった。
それに、この誕生まもない市場を攻略しようと思えば、小さな新興企業を窮地に追いこめるだけの資源もあった。
だがブロックバスターは腰をあげなかった。
二〇〇二年になると、新興企業には成長の兆しが見られ、売上高は一億五〇〇〇万ドル、利益率は三六%にのぼった。
ブロックバスターの投資家はピリピリし始めていた。
ネットフリックスの戦略には、明らかに何かがあった。
既存企業には、市場の動向をもっと注視せよという圧力がかかった。
ブロックバスターはそのとおりにした。
そしてネットフリックスと自社の経営数値を比較した結果、経営陣は断定した。
「構うことはない、放っておけ」。
ネットフリックスが追求していた市場は、既存市場に比べればずっと規模が小さかった。
今後拡大する可能性はあったものの、どれほどの潜在性を秘めているかは、まだ定かではなかった。
だがブロックバスターの経営陣にとって、それよりずっと気になったのは、ネットフリックスの利益率が、同社の水準をはるかに下回っていたことだ。
それに、もしブロックバスターが実際にネットフリックスを攻撃する決定を下し、首尾よく勝利を収めれば、ブロックバスターのきわめて収益性の高い既存店舗から売上を奪うことになる。
「当社はもちろん、家庭娯楽の動向に細心の注意を払っています。つねにすべての動きを注視しているのです」とは、ブロックバスターのスポークスマンが、このような懸念への回答として、二〇〇二年のプレスリリースで示した見解だ。
「この分野には、長い目で見て経済的に存続可能なビジネスモデルは、まだ見られません。オンライン・レンタルサービスは、『ニッチ市場』を対象としているのです」
他方、ネットフリックスは、これを夢のような市場だと思っていた。
収益性の高い既存事業と比べる必要もなかった。
同社にとっての比較基準は、利益と売上がゼロの状態だった。
これと比べれば、業界水準より利益率の低い「ニッチ市場」でも万々歳だ。
では、どちらが正しかったのだろう?
ネットフリックスの顧客数は、二〇一一年に二四〇〇万人近くに達した。
そしてブロックバスターはと言えば、前年に破産を宣言したのだ。
ブロックバスターは、ファイナンスと経済学の基礎講座で必ず教えられる原則を守った。
投資の選択肢を評価するとき、埋没費用や固定費(すでに発生していて、どの選択肢を選んでも変化しない費用)は考慮に入れず、それぞれの投資に伴う限界費用と限界収入(新たに発生する追加費用と収入)をもとに意思決定を下したのだ。
だがこれは危険な考え方だ。
このような分析ではほぼ必ず、総費用よりも限界費用が低く、限界利益が高いことが導かれる。
この原則は、将来必要となる能力を新たに構築するよりも、過去に成功するために構築した既存能力を活用するよう、企業にバイアスをかけるのだ。
未来が過去とまたく同じになるとわかっていれば、このやり方で問題ない。
だがいまとは違う未来が来るなら――ほぼ必ずそうなるのだが――このやり方は間違っている。
ブロックバスターはDVD郵送サービスを、「限界的思考」のレンズをとおして見た。
つまり、自社の既存事業の観点からしか、とらえることができなかった。
このような視点から見れば、ネットフリックスの追求していた市場は、魅力に乏しかった。
さらにまずいことに、たとえブロックバスターが実際に追随戦略をとって、ネットフリックスを市場から駆逐したとしても、新規事業はブロックバスターの既存事業を破壊する公算が大きかった。
既存事業を破壊しかねない新規事業に投資しますなどと、株主に言いたいCEOはいない。
しかも、既存事業と比べて収益性がはるかに低いとくればなおさらだ。
いったいどこの株主が賛成してくれるというのだろう?
他方、ネットフリックスはこうした懸念とは一切無縁だった。
何の限界的思考にも縛られずに、まっさらの状態で機会を評価できた。
既存店舗を維持したり、既存事業の利益率をてこ入れすることは、考える必要がなかった。
ネットフリックスの目には、大きな機会しか見えなかった。
その同じ機会を、ブロックバスターは見るべきだったのに、どうしても見ることができなかったのだ。
限界的思考にとらわれたブロックバスターは、DVD郵送サービス市場を追求しなくても、六六%の利益率と数十億ドルの売上をあげる既存事業を維持しさえすればいいと考えた。
だが実のところ、ネットフリックスへの追随に代わる唯一の選択肢は、破産だった。
新しい市場を正しくとらえるには、「どうすれば既存事業を守れるだろう」と考えるべきではなかった。
むしろブロックバスターはこう考えるべきだった。
「もし既存事業がなかったとしたら、新規事業を構築する一番よい方法は何だろう?顧客にサービスを提供する最良の方法は何だろう?」。
ブロックバスターはこの考え方がどうしてもできず、ネットフリックスを放置した。
その結果、二〇一〇年に破産を宣言したとき、限界的戦略をとおしてあれほどまでに守ろうとしていた既存事業を、結局は失うことになったのだ。
これがおきまりのパターンだ。
限界的思考の行き着く先はたいていの場合、失敗だ。
そのためわたしたちは好むと好まざるとにかかわらず、結局は自分の決定の限界費用にとどまらず、総費用を支払う羽目になるのだ。
結局は総費用を支払う羽目になる p207
限界的思考の破壊力を示す、もう一つのよく知られた例が、鉄鋼業界だ。
世界屈指の伝統的な鉄鋼メーカーであるUSスチールは、競合企業のニューコア・スチールが、鉄鋼業界で新たな低位市場を創出する様子を静観していた。
ニューコアは、「ミニミル」(電気炉製鋼工場)と呼ばれる新しいタイプの工場で、伝統的メーカーの製法より安価な技術を利用して生産を行い、新しい市場で優位に立った。
ニューコアがUSスチールの市場を浸食し始めると、USスチールのエンジニア集団は議論を戦わせ、こう結論した。
USスチールが生き残るには、ニューコアと同じタイプの製鋼所を建設する必要がある。
そうすれば、いまよりはるかに低いコストで鉄鋼製品を製造し、ニューコアに対して競争力を維持できると。
そこで彼らは事業計画をまとめ、新しい工場ではトンあたり利益が伝統的製法の六倍に跳ね上がることを示した。
これが有望な計画だということに、異論はなかった……CFO(最高財務責任者)を除いては。
CFOは計画で新工場の建設投資が必要になることを知り、待ったをかけた。
「なぜ新しい製鋼所を建設する必要があるんだ?
いまある製鋼所でも、三〇%の過剰生産能力を抱えているというのに。
鉄鋼をもう一トン売りたいなら、既存の製鋼所でつくればいいじゃないか。
既存の製鋼所で一トンの鉄鋼を追加生産する限界費用はわずかだから、新しいミニミルを一から建設するのに比べて、限界利益は四倍になる」
CFOは限界的思考の間違いを犯した。
既存工場を活用する限り、製鋼のコスト構造は何ら変わらない。
だがまったく新しいミニミルを建設すれば、初期費用はかかるが、将来に必要な新しい能力を得られたはずだった。
わたしはこうしたケーススタディをとおして、それまで破壊的な新規参入者に脅かされた(ブロックバスターやUSスチールのような)既存企業を助けようとするたびに、何度となくぶつかっていた、あるパラドックスを解くことができた。
説明しよう。
わたしはまず経営陣に、破壊的攻撃者がもたらす危険を説明したうえで、こう言った。
「いいですか、問題は、御社の営業部隊が破壊的製品を販売できないことにあるんです。この種の製品は、従来とは異なる顧客に、異なる目的で販売されなくてはいけない。別の営業部隊をつくる必要があります」
すると、決まってこんな答えが返ってきた。
「クレイ、それは考えが甘いというものだよ。新しい営業部隊をつくるのに、いったいいくらかかると思っているのかね?既存の営業チームを活用しなくては」
わたしはこうも言った。
「御社のブランドですがね、新しい破壊的製品には対応できないでしょう。新しいブランドを立ち上げる必要がありますよ」
すると、判で押したように同じ答えが返ってきた。
「クレイ、新しいブランドを一からつくるのに、どれだけの金がかかると思っているんだね。既存ブランドの一つを活用すればいいじゃないか」
これに対して、破壊的攻撃者のもの言いはまるで違った。
「そろそろ新しい営業部隊をつくろう」
「ブランドを立ち上げよう」
そこで、このパラドックスが生じる――莫大な資本をもつ大規模な既存企業が、この種の計画のコストを「高い」と感じるのは、いったいなぜだろう?
これに対して、資本の乏しい小規模な新規参入企業が、すんなり計画を受け入れるのはなぜなのか?
答えは、限界費用と総費用の理論にある。
既存企業の経営陣が投資の是非を判断するとき、メニューには必ず二つの選択肢がある。
一つが、まったく新しいものをつくる際にかかる総費用。
二つめが、既存資産を活用する際の、限界費用と限界収入だ。
そして必ずと言っていいほど、限界費用の理屈が総費用を圧倒する。
これに対して新規参入企業の場合、メニューに限界費用という項目はない。
理にかなっていると判断すれば、総費用の選択肢を選ぶまでだ。
業界に参入したばかりの企業にとっては、総費用イコール限界費用なのだ。
競争が存在するとき、既存企業がこの理論に従って既存資産の活用を進めると、総費用をはるかに上回る代償を支払うことになる。
なぜなら競争力を失う羽目に陥るからだ。
ヘンリー・フォードはかつて言った。
「機械が必要になったのに買わずにすませようとすると、しまいには代金を支払ったのに機械がないという事態になる」
限界的思考は、とてつもなく大きな危険をはらんでいるのだ。
人生はやむを得ない事情の連続だ p210
わたしたちは限界費用の考え方を、善悪の判断にも同じように用いている。
そしてこのことは、わたしが学生たちと考える、三つめの質問と関わりがある。
「どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろう?」
何かを「この一度だけ」行うことの限界費用は、ないに等しいように思われるが、必ずと言っていいほど、それをはるかに上回る総費用がかかる。
それでもわたしたちは無意識のうちに、自分の人生に限界費用の原則を、あたりまえのようにあてはめている。
頭のなかの声がこうささやく。
「もちろん、原則としてこういうことをするべきじゃないのはわかっている。でもやむを得ない事情なんだから、一度くらい、いいだろう」。
この声はもっともに思われる。
いけないことを「この一度だけ」することの代償は、ほんのわずかに思われ、わたしたちは誘惑に負けてしまう。
そしてその道が最終的にどこに向かっているのか、その選択肢にどれほどの総費用が伴うかには、気づきもしないのだ。
一〇〇%守るほうが九八%守るよりたやすい p214
ほとんどの人が、「この一度だけ」なら、自分で決めたルールを破っても許されると、自分に言い聞かせたことがあるだろう。
心のなかで、その小さな選択を正当化する。
こういった選択は、最初に下したときには、人生を変えてしまうような決定には思われない。
限界費用はほぼ必ず低いと決まっている。
しかしその小さな決定も積み重なると、ずっと大きな事態に発展し、その結果として、自分が絶対になりたくなかった人間になってしまうことがある。
わたしたちは無意識のうちに限界費用だけを考え、自分の行動がもたらす本当のコストが見えなくなってしまうのだ。
この道に踏み出す最初の一歩は、小さな決定だ。
いくつもの小さな決定を正当化し続けるうちに、いつしか大きな決定を迫られる。
だがそのころには、もうそれほど大きな決定だと思わなくなっている。
あるときふと辺りを見回し、前には考えられなかった終着点に着いたことに気づく。
そのときになってようやく、自分がどんな道を歩んできたかを知るのだ。
「この一度だけ」の考え方が人生にどれほどのダメージを与えるかを、わたし自身が理解したのは、イギリス留学中に大学代表のバスケットボール・チームに所属していたときのことだ。
あれはすばらしい経験だった。
チームの全員と親友になった。
わたしたちはシーズンの間ずっと死にものぐるいで練習し、その苦労は報われた。
アメリカのNCAA(全米大学体育協会)バスケットボール・トーナメントに相当する、イギリスの大学選手権で、決勝戦まで勝ち進んだのだ。
ところがこのときになって、決勝戦が日曜日に開催されることがわかった。
これは大問題だった。
わたしは一六歳のときに、安息日である日曜日にはけっして球技をしないことを、神に誓っていた。
決勝戦の前に監督に相談し、事情を打ち明けた。
彼は信じられないといった面持ちだった。
「きみが何を信仰しているかは知らないが」と彼は言った、「神はきっとわかってくださる」。
チームメイトもショックを受けていた。
わたしは先発のセンターで、さらに困ったことには、センターの補欠選手が準決勝で肩を脱臼していたのだ。
チームメイト全員がやって来て、口々に言った。
「絶対に試合に出なきゃだめだ。この一度だけ、ルールを破るわけにはいかないのか?」
これはとても難しい決断だった。
わたしが出なければチームは困る。
チームメイトはみなわたしの親友だった。
決勝戦に出ることを夢見て、全員で一年間がんばってきたのだ。
わたしは信心深い人間なので、自分がどうすべきか、祈りによって答えを得ようとした。
ひざまずいて祈りを捧げると、誓いを守らなくてはいけないという声がはっきり聞こえたように感じた。
そこで、決勝戦には出られないと監督に告げた。
それはあらゆる意味で小さな決定だった。
人生に何千回と来る日曜日のうちのたった一つを、どう過ごすかという決定にすぎなかった。
もちろん、この一度だけ誓いを破って、その後は二度と破らないということも、理屈のうえでは可能だった。
だがふり返ってあのときのことを考えると、「やむを得ない事情なのだから、一度なら大丈夫」という誘惑に屈しなかったことが、わたしの人生で最も重要な決断の一つだったとわかる。
なぜだろう?
人生は、やむを得ない事情が次から次へと起きるものだからだ。
もしわたしがあの一度だけ一線を越えていたら、その後もきっと同じことをくり返していただろう。
それに結局のところ、チームメイトにわたしは必要なかった。
わたしがいなくても優勝できたのだから。
限界費用分析をもとに「この一度だけ」の誘惑に屈すれば、行き着く先で必ず後悔する。
わたしの学んだ教訓は、自分の主義を一〇〇%守るほうが、九八%守るよりたやすいということだ。
この一線、自分なりの道徳上の一線は、強力なものになる。
けっして越えることのない一線だからだ。
一度でも越えることを自分に許せば、次からは歯止めが利かなくなる。
何を信条とするかを決め、それをつねに守ろう。
p216
一般に、企業は将来のイノベーションへの投資を考えるとき、数字を分析して、既存事業の観点から是非を判断する。
分析の結果、投資の限界便益が限界費用に見合わないと判断すれば、投資を見送る。
だがこの考え方には、大きな間違いが潜んでいる。
これが限界思考の罠だ。
投資に要する当面の費用はわかるが、投資をしないことの代償を正確に知るのはとても難しい。
既存製品からまだ申し分のない収益があがっている間は、新製品に投資するメリットが薄いと判断すれば、他社が新製品を市場に投入する可能性を考慮に入れていないことになる。
ほかのすべての条件が――具体的には既存製品からあがる利益が――これからも永遠に変わらないと仮定しているのだ。
また決定の影響がしばらく表れないこともある。
たとえば競合企業が立ち行かなくなれば、当面は「追いつかれる」こともなくなる。
だが限界的思考のレンズをとおしてあらゆる決定を下す企業は、いつか必ず代償を払うことになる。
成功している企業がこの思考にとらわれたせいで、将来への投資を見送り続け、最後に失敗する例はあとを絶たない。
同じことが人にも言える。
倫理的妥協が招く厄介な影響を免れる方法は一つだけある。
そもそも妥協を始めないことだ。
妥協の道の第一歩が現れたら、踵を返そう。
終講 p218
企業が自らの目的と使命を十分に考え抜くことは、まずない。
このことが、企業の挫折と失敗を招く、最も重大な原因の一つなのだろう
――ピーター・F・ドラッカー
目的をもつことの大切さ p218
二〇〇九年の秋学期が終わる数週間前、わたしは自分が父の命を奪ったものに似たガンを患っていることを知った。
すぐに学生たちに打ち明けるとともに、このガンには従来型の治療法が効かない場合があることを知らせた。
わたしは数年前から講座の最後の授業を使って、本書であなたに投げかけた人生の問いについて、学生たちと話し合う機会をもってきた。
だがどんなに手を尽くしても、本気で変わろうという決意をもって卒業する学生は、せいぜい半数といったところだった。
残りの半数は、自分には関係のない他人事だと思いこんだまま、卒業していった。
だが二〇〇九年のあの日の授業では、どうしても全員にわかってほしかった。
これからの人生について考えることがどれだけ大切かを、身をもって感じてほしかった。
この日わたしと彼らの人生に理論をあてはめながら話し合ううちに、かつてないほど意義に満ちた語らいができた。
それはおそらく、人生の目的を明らかにすることの大切さについて、授業でじっくり時間をかけて議論したからなのだろう。
どんな企業も、望もうが望むまいが、目的をもっている。
目的は企業の優先事項のなかに宿り、経営者や従業員がそれぞれの置かれた状況で用いる優先順位づけのルールを、実質的に決定する。
多くの企業では、特定の強力な経営者や従業員が、企業は何であれ、自分の個人的な目的を達成するためにこそ存在すると考える。
彼らにとって、企業は個人的な目的を達成する手段でしかない。
そのような場合、企業の目的は、創発的戦略の入り口から入ってくることが多い。
このような事実上の目的しかもたない企業はいつしか色あせ、製品やリーダーたちとともにたちまち忘れ去られる。
だが明確な、説得力のある目的をもつ企業は、世界に計り知れないほど大きな影響と遺産を与える。
企業の目的は灯台の光となり、従業員を本当に重要なものごとに集中させる。
そして企業はこの目的のおかげで、どの一人の経営者や従業員よりも永らえることができるのだ。
アップル、ディズニー、KIPPスクール(めざましい成果をあげているスラム地区のチャータースクール)、アラビンド眼科病院(世界のどの眼科病院よりも多くの患者に医療サービスを提供している、インドの眼科手術病院)などがこの好例だ。
目的をもたない企業にとっては、どんな経営理論もほとんど価値がない。
たとえ理論に重要な意思決定の結果を予測する力があったとしても、企業幹部はいったいどんな基準をもとに、多くの選択肢のなかから「最良」の結果をもたらすものを選び出せばいいのだろう?
たとえばわたしがアンディ・グローブとシェルトン陸軍大将に、破壊の理論を説明したとき、彼らの組織の目的を明確に理解していなければ、せいぜい意見の調整役しか果たせなかっただろう。
彼らは目的という指針があったからこそ、理論を応用できたのだ。
同様に、あなたも本書の助言を最大限に活かすには、人生に目的をもたなくてはいけない。
そんなわけで、これから人生の目的を明確にするための、わたしの知っている最良のプロセスを紹介しよう。
わたし自身が人生でこのプロセスをどのように用いてきたかという事例を交えながら、具体的に説明する。
わたしはとても厳密なプロセスを用いてきた。
あなたにもそうすることを勧めたい。
目的の三つの部分 p220
企業の表明する目的が意味をもつためには、次の三つの部分をもっていなければならない。
一つは、わたしが「自画像」と名づけたものだ。
たとえていうと、絵画の巨匠は心でとらえたイメージをまず鉛筆描きのデッサンにしてから、油彩で描くことが多い。
企業の「自画像」とは、主要なリーダーや従業員が、企業がいま進みつつある道を最後まで行ったとき、こんな企業になっていてほしいと思い描くイメージを言う。
「自画像」という言葉が、ここではポイントだ。
従業員がいつかあるとき、こんな企業になったのかと驚きをもって「発見」するようなイメージではないからだ。
むしろ自画像とは、経営者や従業員が、旅の重要な節目に達したとき、実際にこうなっていてほしいと思う企業の姿を言う。
二つめとして、目的が本来の役割を果たすためには、従業員と幹部が、実現しようとしている自画像に対して、深い献身を――ほとんど信仰とも言えるものを――もたなくてはいけない。
目的は書面で完結するのではない。
従業員は、何を優先すべきかという問いを、思いもよらない形で四六時中突きつけられる。
このとき深い献身をもっていなければ、やむを得ない事情の波に揉まれて、自画像を傷つけてしまう。
企業の目的の三つめの部分が、経営者や従業員が進捗を測るために用いる、一つまたは少数の尺度だ。
すべての関係者が、それぞれの仕事を尺度と照らし合わせることでこそ、企業全体が一貫した方向に進んで行ける。
この自画像、献身、尺度の三つの部分が、企業の目的をつくる。
世界をよい方向に変えようとする企業は、けっして目的を成り行き任せにしてはいけない。
価値ある目的が、いつの間にか現れることはまずない。
蜃気楼やパラドックス、不確実性に充ち満ちたこの世界で、目的を運任せにするわけにはいかない。
目的は、明確な意図をもって構想、選択し、追求するものだ。
だが企業がいったん目的をもてば、そこに行き着くまでの方法は、一般に創発的であることが多い。
新しい機会や挑戦が現れ、それを追求する。
偉大な経営者は、世界に足跡を残そうとする企業にとって、目的がいかに大切かを心得ている。
ビジネス以外の分野の指導者もそうだ。
マハトマ・ガンジーやマルチン・ルーサー・キング、ダライ・ラマなど、変革を求めた運動の指導者たちは、驚くほど明確な目的意識をもっていた。
国境なき医師団や世界自然保護基金(WWF)、アムネスティ・インターナショナルなど、よりよい世界をめざして闘う社会組織も同じだ。
だが強力で実りある目的は、彼らのもとに届けられた」わけではない。
そしてあいにく、あなたのもとに「届けられる」こともない。
あなたのなりたい人物像、つまりあなたが人生で目的とするものは、成り行き任せにできないほど大切だ。
明確な意図をもって構想、選択し、管理しなくてはいけない。
これに対して、あなたがその人物になるための手段、つまり人生に起きるさまざまな機会や挑戦は、本質的に創発的だ。
わたしは戦略が形成される創発的プロセスを、大いに尊重している。
わたしが目的を追求してきた手段は、一歩進むごとに生まれていった。
目的に向かって歩むうちに、ときには思いがけない危機や機会が、追い風のように感じられることもあった。
しびれるような逆風が顔に吹きつけるように感じられることもあった。
目的を達成する手段に関しては、あまり杓子定規にならなくてよかったと思っている。
わたしは自分の人生の目的を明らかにしようとしてきた。
また多くの友人や教え子が目的を見つけられるよう、手を貸してもきた。
その経験から、自分の目的を自力で明らかにし、それを毎日実践していくには、人生の目的をなす三つの部分、つまり自画像、献身、尺度を理解することが、最も信頼できる方法だと断言できる。
最後に忘れないでほしいのだが、これは一度やったらおしまいというものではなく、持続的なプロセスだ。
わたし自身、自分の目的を十分に理解するまで、何年もかかった。
だがその旅は実りあるものだった。
ではこれを踏まえて、わたしがどのようにして自分の目的を理解するに至ったか、その話をしよう。
自分のなりたい自分 p223
わたしにとって自画像、つまりなりたい自分を考えることは、三つの部分のなかで最もたやすいことだった。
またそのほとんどが知的なプロセスだった。
わたしの出発点は、ほとんどの人がそうだと思うが、家族だ。
わたしは家族のしっかりとした価値観と優先事項、文化に、大いに恩恵を受けて育った。
すばらしい家庭に生まれ、深い信仰をもつ両親のもとで成長した。
二人が示してくれた模範と励ましは強力だった。
両親はわたしに信仰の種を植えつけた。
だが自分でこれに気づいたのは、二四歳になってからだった。
家族と信仰という、人生の二つの部分が、自画像を描くうえで豊かなインスピレーションを授けてくれた。
わたしは自分がどのような人間になりたいかを理解するために、家族から、また聖書と祈りから学んだことを用いた。
わたしにとっての自画像は、神がわたしに望む姿でもあった。
最後に、わたしは職業人だ。
マネジメントは、立派に実践すれば最も崇高な職業の一つだと、心から信じている。
人が学び、成長し、責任を担い、功績を認められ、チームの成功に貢献するのを、これほど多くの意味で手助けできる職業はほかにない。
自分の自画像を形づくるうえで、仕事をとおして学んだことも大いに活用した。
このような人生の側面から、なりたい自分の自画像をくみ出した。
・人がよりよい人生を送れるよう助けることに身を捧げる人間
・思いやりがあり、誠実、寛容で、献身的な夫、父親、友人
・神の存在を信じるだけでなく、神を信じる人間
自分のめざす自画像について、宗教的信仰をもとにしていようといまいと、わたしと同じような結論にたどりつく人も多いことだろう。
これは目標を――人生で最も大切な目標を――定める方法の一つだ。
だがあなたの自画像は、自力で描くからこそ、価値がある。
献身する p225
心のなかに願望をもつだけなら、だれにでもできる。
だが自分の目的が、日々の優先事項の指針になるほど――つまりやるべきこと、やるべきでないことを決定するほど――目的に深く献身するには、いったいどうすればいいのだろう?
わたしは二〇代の頃ローズ財団から、イギリスのオックスフォード大学に留学するという、またとない機会を与えられた。
だが留学先で数週間暮らした時点で、この環境で自分の信仰を守ることが、とてつもなく大変だということがわかった。
そこでわたしは思った。
自分の描いた自画像、つまり自分のなりたい自分が、本当に神がわたしに望む姿なのかどうかを、自分で確かめるべき時期が来たと。
わたしは毎晩午後一一時から一二時までの一時間を割いて、オックスフォード大学クイーンズ・カレッジの肌寒い自室で、ヒーターの隣に置いたいすに腰かけながら、聖書を読み、祈り、考えることに決めた。
自分の手のなかにつかんでいることが真実なのか、それが自分の人生にどのような意味をもつのかを知る必要があると、神にうったえた。
そして神がこの質問に答えてくださるなら、これらの目的を達成することに人生を捧げよう。
真実でないなら、真実を探し求めることに人生を捧げようと、そう誓った。
わたしはいすに座って一つの章を読み、書かれたことについて考えた。
これは本当に真実なのだろうか?
これは自分の人生にどんな意味があるのだろう?
それからひざまずいて祈り、同じことを問いかけ、同じことを誓った。
自分の自画像に献身するプロセスは、おそらく一人ひとり違うのだろう。
だがどんなプロセスを用いるのであれ、「自分が本当になりたいのは、どのような人間だろう?」という問いに答えるためにこそ、献身するのだ。
自分の描いた自画像が正しくないと感じられたら、つまり自分のなりたい人間ではないと思われたら、自画像をとらえ直そう。
だがそれこそがなりたい人間だと確信したなら、その人間になることに人生を捧げよう。
わたしは当時どれだけの気迫をもって、自分の自画像の正しさを知ることに集中し、それから自画像に献身したかを、まざまざと思い出すことができる。
この取り組みを価値あるものにするのは、気迫だ。
この気迫こそが、紙上の鉛筆描きのデッサンだったものを、カンバスの上に力強く再現する、油絵の具の一筆一筆となるのだ。
わたしはそうするうちに、心で感じとった印象と、頭に浮かんだ言葉をとおして、自分が自画像を正しく描いたことを確信した。
わたしが描いた人となり――思いやりがあり、誠実で、寛容、献身的な人物――が正しいことを知った。
そしてその自画像のなかに、かつて見たことのないほどはっきりした大きな存在を見た。
それがわたしの心と人生を大きく変えたのだ。
わたしの場合、自分のなりたい自分の自画像を明らかにするのは、わけなかった。
だが実際にそのような人間になることに深く献身するのは難しかった。
オックスフォードでこれに一時間を費やすたび、計量経済学を研究する時間が奪われた。
そんなとき、研究の時間を割く余裕が本当にあるのだろうかと葛藤することもあったが、とにかく最後までやりとおした。
もしわたしが代わりに毎日の一時間を、回帰分析における自己相関の問題を解決するための最新技術を学ぶことに費やしていたなら、人生の過ごし方を大きく誤ったことだろう。
計量経済学のツールは年に数回しか使わないが、このとき人生の目的について知ったことは、日々活かしている。
それはわたしがこれまでに得た、最も貴重でためになる知識なのだ。
正しい尺度を見つける p227
人生の目的の三つめの部分は、自分の人生を評価する尺度を理解することだ。
わたしの場合、これに最も時間がかかった。
ようやく理解できたのは、オックスフォードでの経験から、一五年も経ってからのことだった。
ある日の早朝、職場に車を走らせていたとき、突然あるイメージが心に強く浮かんだ。
教会から重要な新しい任務を任されるのではないかという、そんな予感がしたのだ。
わたしの所属する教会は、専任の聖職者は置かずに、教会員が全員で重要な責務を分担している。
この予感から二週間して、地元の教会の指導者が辞めることを知った。
わたしはあれこれ考え合わせて、これが心に浮かんだチャンスに違いないと思いこんだ。
だが実際はそうならなかった。
別の人が任務を打診されたことがわかった。
わたしは打ちひしがれた。
高い役職を希望していたからではない。
教会をゆるぎないものにするという重要な役割を果たしたいと、かねてから望んでいたからだ。
なぜだかこの任務についていれば、より多くの人の役に立てたはずなのにと、残念に思えてならなかった。
それから二カ月の間、精神的にとてもつらい時期を過ごした。
自分なら立派に任務を果たせたはずだと思い、深く落ちこんだ。
わたしの人生のとくに苦しい時期によく起きたように、この心の動揺が洞察を促し、それが目的をつくる三つめの要素である、人生を評価する尺度になった。
このときわたしは、人が知性の限界のせいで、つねにものごとの全体像をとらえられるわけではないことに気がついたのだ。
これを経営学の用語を使って説明しよう。
たとえば警察署長は戦略の有効性を測るために、犯罪の種類ごとのデータを時系列で分析する必要がある。
企業経営者は一部の顧客の一部の注文を見るだけでは、企業全体の健全性を判断できない。
企業活動を売上、費用、利益といった形で集計しなくてはならない。
簡単に言えば、わたしたちがものごとの全体像をとらえるためには、集計する必要があるということだ。
ものごとの成果を正確に評価する方法とは言いがたいが、これがわたしたちにできる最善の方法なのだ。
集計の必要が頭にあるせいで、わたしたちは階層意識をもつようになる。
大人数の上に立つ人のほうが、少ない人数のリーダーより偉い。
CEOは事業部門の部長よりも、部長は販売課長よりも偉い、といった具合だ。
ではこれを宗教の観点から説明してみよう。
わたしは神が人間のように、統計学や会計学のツールを必要としないことに気がついた。
わたしの知る限り、神は組織図ももっていない。
人々の間で起きていることをもれなく知るために、個人のレベルを超えて何かを集計する必要はない。
神が功績を評価するただ一つのものさしは、個人なのだ。
なぜかはわからないが、この一部始終のあとで、わたしは理解するようになった。
わたしたちは、部下の人数や賞の数、銀行預金の残高といった要約統計量を使って人生を評価するのがあたりまえになっている。
だがわたしの人生にとって本当に大切なただ一つのものさしは、よりよい人になれるようわたしが手助けできた、一人ひとりの人間なのだ。
わたしは神と対話するとき、自分が自尊心を高め、信仰を強め、苦しみを和らげることのできた、一人ひとりのことを話す。
つまり任務とは関係なく、善を行う者として何をしたかだ。
これがわたしの人生を評価する、重要なものさしなのだ。
わたしは一五年近く前に訪れたこの気づきに日々導かれて、一人ひとりの事情に合わせた方法で、人の力になる機会を求めるようになった。
そうすることで、わたしの幸福感と自尊心は、計り知れないほど高まったのだ。
あなたの学ぶ一番大切なこと p230
わたしにとっては、父親、夫、企業幹部、起業家、市民、研究者として生きていくうえで、人生の目的をはっきり知ることが欠かせなかった。
目的がなければ、自分にとって大切なものごとを、どうやって優先できるというのだろう?
最近、人生最大の困難の一つを乗り越えなくてはならなかったときほど、このことを身にしみて感じたことはなかった。
わたしは本書をジェームズとカレンとともに執筆し始めたほとんど直後、ちょうどガンが小康状態にあったときに、今度は虚血性の脳梗塞で倒れた。
そして脳内の書く能力と話す能力に関わる部位に血栓ができ、「表現性失語症」になってしまったのだ。
始めのうちはごく単純な言葉を除けば、話すことも、書くこともできなかった。
これは本当につらいことだった。
大学教授という仕事は、これらの能力なしでは成り立たないからだ。
あの日以来、わたしは再び話せるようになるために、一語ずつ学ぶ努力をしてきた。
認知能力と対話能力を取り戻すのは、本当に過酷な試練だった。
回復は思うように進まず、わたしの時間と労力のほとんどが消えていった。
自分と自分の問題だけを考えて過ごしたのは、生まれて初めてのことだった。
あれは気の遠くなるような悪循環だった。
そして人生で初めて、本当の絶望を感じた。
自分の問題にとらわれればとらわれるほど、回復するためのエネルギーは萎えていった。
わたしは自分が人生の岐路に来たことに気づいた。
このとき、自分の問題を隠して世間から隠遁し、自分のことだけを考えて生きることもできた。
それまでとまったく違う道を歩むこともできた。
そしてわたしは決心した。
自分の目的と知っているものに、ありったけの認知能力と身体的能力を、いま一度費やしてみようと。
そしてこれを実践し、自分の問題より人の問題を解決することに心を砕くうちに、絶望は消え、再び幸せを感じるようになったのだ。
わたしは学生たちに請け合う。
じっくり時間をかけて人生の目的について考えれば、あとでふり返ったとき、それが人生で発見した一番大切なことだったと必ず思うはずだ。
そして学校にいるいまこそ、この問いをじっくり考える最良のときなのだ。
社会に出れば、ペースの速いキャリアや家族に対する責任、成功の目に見える報酬などに時間をとられ、周りが見えなくなることが多い。
学校を終えて、舵ももたずに世の中に漕ぎ出せば、人生の荒波にのまれるだけだ。
自分の目的をはっきり意識することは、長い目で見れば、活動基準原価計算(ABC)やバランススコアカード、コアコンピタンス、破壊的イノベーション、マーケティングの4P、ファイブフォース分析といった、ハーバードで教える重要な経営理論の知識に勝るのだ。
あなたにも同じことが言える。
じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、あとからふり返ったとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。
p232
わたしがすばらしい有能な二人の共著者とともに本書を書いた目的は、あなたがキャリアで成功を収め、幸せになる、その一助になればと思ったからだ。
家族や友人たちとの親密で愛情あふれる関係に深い幸せを見出すために、本書を役立ててほしい。
大切な人たちにふさわしいだけの時間と能力を投資しよう。
本書を読んで、誠実な人生を送る決意を新たにしてくれれば嬉しい。
だがわたしたちが何より望んでいるのは、だれもが自分にとって最も重要なものさしで、成功を評価されることだ。
あなたが人生を評価するものさしは、何だろう?
謝辞 p233
経営学の研究者やコンサルタント、ビジネス書の著者には、技術や企業、市場の静態的なとらえ方、つまり「スナップショット」を描き出し、喧伝する者が多い。
スナップショットは、ある一時点で成功している企業の特徴や慣行を、経営不振企業との対比で説明したり、スナップショットをとった時点で優れた業績をあげている企業幹部を、業績の悪い幹部との対比で説明したりする。
これをもとに、明示的にであれ、暗黙的にであれ、優良企業や優良経営者のような業績をあげるには、彼らの行動に倣うべきだと唱えるのだ。
スナップショットは競争に先んじている者たち、後れをとっている者たちについて教えてくれる。
だが彼らがどのようにしてその立場に立ったか、今後どうなるかについては、ほとんど何も教えてはくれない。
わたしはハーバードの同僚と学生たちとともに、こうした写真家のような手法を避け、企業経営という「映画」を制作するスタンスを心がけてきた。
ただし、映画館で見る普通の映画のように、プロデューサーや脚本家が頭のなかで生み出したフィクションではない。
わたしたちがハーバードで制作する風変わりな映画は、本書で言う「理論」だ。
理論は、何がものごとをなぜ引き起こすかを説明する。
この理論が、映画の「プロット」(筋書き)になる。
映画館で見るようなスリルと興奮に満ちた映画とは違い、わたしたちの映画のプロットは、今後の展開を完全に予測できる。
また俳優を変えて――違う人、企業、業界に置き換えて――もう一度見ることもできる。
俳優の行動を変えることもできる。
だが映画のプロットは因果性の理論をもとにしているため、どんな行動の結果も完全に予測できるのだ。
そんな映画はつまらないと、あなたは言うだろうか?
楽しみを求める人にとってはそうかもしれない。
だが結果を出したい経営者は、理論を用いることで、言うなればシミュレーションを行い、さまざまな行動をとった場合の短期的、長期的結果を予測できる。
理論はプロットだから、何が何なぜ引き起こすかを理解するために、必要なら映画を巻き戻して、過去から現在までの展開を何度でも確認できる。
この種の映画のもう一つの特徴は、未来を、実際に起きる前に見られることだ。
想定される状況ごとに計画を変えて、何が起きるかを映画で確認するのだ。
p235
幸せな家庭や人生を築く方法を指南する本も、同じようなスナップショットを提唱するものが多い。
成功者や幸せな家庭を、失敗者や不幸せな家庭と比べる。
そして単純な「ブロマイド」を処方し、彼らと同じことをすれば、成功を収め、幸せになれると説く。
本書でわたしが何より伝えたいのは、経営の仕組みを説明する理論は、家庭生活や結婚生活で、またわたしたち自身のなかで、何が成功と幸せを招くのか、その仕組みについても多くを説明してくれるということだ。
企業の将来を予測する理論、つまり「映画」は、私生活での選択や優先事項が招く結果を予測するうえでも役立つのだ。
こうした洞察の多くは、わたしが末日聖徒イエスキリスト教会北アメリカ地区の仲間たちと行っている日曜日の礼拝集会をとおして、過去十年ほどの間に得たものだ。
この集会のことを、一度も経験したことのない人に説明しても、なかなかわかってもらえないのだが、ここで要求される知的厳密さは、ハーバードのレベルにも匹敵する。
しかし精神的洞察の深さについては、ほかに並ぶものがない。
おかげで人生をどのように評価すべきかについて、外面からだけでなく、内面からも学ぶことができる。
永遠の真理について多くを学ばせてくれる、すばらしい友人たちに感謝したい。
p249
優秀であるがゆえに失敗してしまう既存企業と同じで、才能にあふれた、達成動機の高い若者たちが、優秀であるがゆえに不幸な人生を歩んでしまう――教授はそんな同級生や教え子を、数え切れないほど見てきた。
この人生のジレンマを乗り越える手助けをするために、本書は書かれたのだ。
なぜマネジメントの理論が、充実した人生を送る指針になるのだろう?
それは本書の理論が、何がものごとを、そして人々を動かすのかを――つまり相関性ではなく因果性を――とらえているからにほかならない。
優良企業が「正しい」行動をとるがゆえに衰退するという破壊的イノベーション理論を始め、すべての理論が人間心理についての深い洞察に支えられている。
そしてそれは、人を助けたいという、教授の強烈な目的意識があってこそ得られた洞察なのだ。
手っとり早い「解決策」を与える人生の指南書が巷にあふれるなか、本書は耳障りのいい気休めはいっさい言わない。
優しい語り口ながら、人生はやり直しがきかない、過ぎ去った時間を取り戻すことはけっしてできないという、厳しい現実を突きつけてくる。
日頃から仕事に追われ、大切なことを後回しにしがちな訳者にとっても、向き合うのがとてもつらい本だった。
実際、共著者の一人カレン・ディロン氏は、執筆を始めて間もなく、現状に満足できなくなり、ハーバード・ビジネス・レビュー編集者の仕事をすっぱり辞め、生活のすべてを家族中心に立て直しているという。
理論を正しく理解し、それがビジネスにどう活かされているかを学んだうえで、自分の人生にどうあてはめるかを、自力で考える。
このプロセスを経てこそ、理論を人生の問題を考える枠組みとして体得できるのだと、教授らは語りかける。
渾身のメッセージを、あたりまえのこととして読み流さずに、どうか立ち止まって自分自身の問題としてじっくり受けとめていただけるよう、著者たちとともに願っている。