「非属の才能」を2025年07月09日に読んだ。
目次
メモ
才能はどこにある? p5
あなたの才能は、いったいどこにあるのだろうか?
僕はこれまで、漫画の取材で数百人もの「才能のカタマリ」のような人たちに直接会って話を聞き、才能の在処を探ってきた。
その経験から見えてきたのは、「才能というものは“どこにも属せない感覚”のなかにこそある」という一つの結論だ。
学校にひとりも友人がいなかったという爆笑問題の太田光に大槻ケンヂ、そして「高校三年間で五分しかしゃべらなかった」というお笑い芸人のほっしゃん。
どんなギリギリの状況でも「YES」と言い続けるオノ・ヨーコに、「人の言うことは聞くな」と主張する五味太郎。
「頭のなかを麻痺させるのがイヤだった」というよしもとばななに、「外界を見ろ」と叫ぶ富野由悠季。
小学校のクリスマス会を「自主参加でいいですよね」と言って堂々とサボっていた井上雄彦に、一五歳にして女性とつき合う可能性を100%あきらめ、徹底的に自分の興味ある研究に没頭した荒俣宏。
さらには、二四時間三六五日、魚のことばかり考えているさかなクンに、四〇歳まで自分が何者なのか悩み続けたのっぽさん……。
彼らはみんな、自分のなかの「どこにも属せない感覚」を信じ続けた、言うなれば“非属の才能”の持ち主だ。
少し別の言い方をすれば、「みんなと同じ」という価値観に染まらなかった人間とも言えるだろう。
彼らは、群れの掟に従えば、人と違う自分だけの感覚、自分だけの才能がすり減ることを知っていた。
だから、どんなに疎外され、いじめられ、孤立しようとも、まわりのみんなに合わせるようなことはしなかったのだ。
彼らは、才能がどういうところにあるのか、本能的に感じ取っていたのだろう。
p32
「みんなの常識」があまり当てにならないのは歴史が証明している。
僕たちは「国のために死ぬのが美徳」という常識が一瞬にして「消費こそが美徳」になった国に住んでいる。
だから、「自分の常識」が「学校の常識」と同じでなくてもなんら問題はないのだ。
むしろ、自覚のないまま危険な考えを信じ込んでいるほうが問題だろう。
株も土地も値段が下がることはないと二〇年ばかり前の銀行員は真顔で言っていたし、太平洋戦争では神風は吹かず、ノストラダムスの予言はうやむやとなり、ホリエモンは忘れ去られてしまった。
バーキンはただの靴 p53
エルメスのバーキンは女性の憧れだという。
エルメス社の社長が、ジェーン・バーキンというカリスマ女優のために作ったバッグのことだ。
一〇〇万円近くするそのバッグはいつも予約待ちで、買うのはたいへんだというが、苦労して手に入れたそのバッグを友人に褒められたとしても、よく考えてみると、褒められているのはバーキンであり、その人自身ではない。
シロガネーゼやパリジェンヌに憧れるのもわかるが、そういう人は、みんなが価値を認めるブランドで武装すれば、自分自身の価値も上がるとでも思っているのだろうか。
まさに虎の威を借る狐の話だが、まさか本気でジェーン・バーキンやパリジェンヌになろうと思っているわけではないだろう。
ささやかな女優気分を味わいたいだけなのかもしれないし、単に「バーキンが買える経済力」を自慢したいだけなのかもしれない。
とはいえ、バッグ一つに一〇〇万円は高すぎる。
バーキンでなくても、たかが財布やたかが時計に大金を払うのは、やはり少しどこか「ズレている」と言わざるを得ない。
本人は本気でその価値があると信じているのだろうが、革ならまだしも、ブランドのロゴが入ったナイロン製のバッグにも一〇万円の値がつけられ、しかもそれが飛ぶように売れる状況は、僕にとっては気味が悪い。
こんなことを言うと女性から大ブーイングを食らいそうだが、男の立場から見ると、バーキンを持った女性は、「ジェーン・バーキンの威光にあやかるために大金を出す一般人」にしか見えないのだ。
逆に、ジョージ・クルーニーの着ている何百万円のスーツを着てデートに現れた日本人男性は、ジョージ・クルーニーに見えるだろうか。
そこにはどうしようもない壁がある。
バーキンを欲しがる女の群れに属している限り、ジェーン・バーキン的魅力を獲得できる日は遠く、いつまでも空しい散財を続けることになるだろう。
バーキンはただの鞄、ダイヤモンドはただの石だ。
映画『ティファニーで朝食を』のエンディングでオードリー・ヘプバーンが選んだ指輪は、恋人と自分にとっては最高に価値のある「オモチャの指輪」だった。
ブルース・リーになる試験はない p55
とはいえ、「なんだかんだいっても世田谷」「結局は東大」「医者がいちばん」「やっぱりベンツ」「バーキン最高」と言うなら、思う存分その道を突き進んでみたらいい。
ずっと欲しかったブランド物のバッグが「高揚感は手に入れるまで」だったように、学歴や資格やモノは、いったん手に入れてしまうと、思っていたほどの幸福感や充実感を与えてくれるわけではないことがわかってしまう。
そもそも、そういったものの大半は、いくらか努力し、いくらかお金を出せば誰でもすぐに手に入れられるものだ。
世田谷に住みたければ引っ越すのにビザはいらないし、ベンツならヤナセの代理店に行けば手に入る。
大ヒットしたある漫画では、「東大はテクニックだけで誰でも入れる」と言っている。
そんな漫画なんてどうでもいいが、人生のすべてを受験勉強に費やせば、ある程度の学歴は簡単に手に入れられるだろう。
問題は、医者や弁護士や東大生や電通マンになる試験はあっても、ブルース・リーになる試験はないということだ。
みんなに偉いと言われる「タグ(値札)のついた何か」にはなれても、「その人でなければならないという唯一無二の存在」には絶対になれないのである。
逆に言えば、ブルース・リーは東大を出ていなくてもブルース・リーだし、ベッカムが埼玉に住んだら、埼玉のほうが変わるかもしれない。
そこまで大物にならなくてもいいと思うかもしれないが、たいがいの人が本当に求めているのは、そんなふうに、自分が自分のままで認められる人生だろう。
東大だから、医者だからという理由でもてはやされている状態は、お金があるから女にモテている成金社長や、若くて痩せているときだけチヤホヤされるキャバクラ嬢みたいなもので、その人自身が愛されているわけではないのだ。
虎の威を借る狐は結局、狐であり、いつまで経っても虎にはなれない。
それならば、自分で自分を誇れる「最高の狐」になるほうがいい。
有名企業の役員などを勤め上げた人は、定年間際、ただの人になるのがつらいと漏らすらしい。
それはつまり、タグを外されたときに、ただの狐だった自分を見つけてしまうからなのだろう。
子供の「失敗チャンス」を奪うな p69
とはいえ、子供は経験不足なので、どこで何をしでかすかわからない。
近所の子を殴ったり、おばあちゃんの財布からお金を盗んだり、ママのお気に入りの口紅で巨大壁画を描いたりするかもしれない。
放っておくと、車に飛び込んだり、暴走族に飛び込んだり、麻薬組織に飛び込んだりするんじゃないかと心配になる。
「人生にはいたるところに穴がある。私はいっぱい落ちた。だからお前には落ちてほしくない」
子供に自分のような「失敗した人生」を歩ませないために、先回りして穴を埋め、大げさに穴への恐怖心を植えつけようとする。
しまいには、「お父さんな、人生ぜんぶ先送りにしてきたんだ。だからお前も最後まで先送りにして逃げろ。運が良ければ逃げ切れるぞ。社会っていうのはそういうもんだ。厳しいんだ。穴があったら迷わず遠回りして行け」
なんてことを背中で語ってしまう。
そんな親の姿を見続けた子供は、当然のように、失敗の危険性があるチャレンジよりも先送りを優先する人間になり、ちょっとした失敗ですぐに挫折し、「もうダメだ」と言い出すようになる。
これでは、逆境の耐性がなさすぎる。
「負け知らず」は、ときに最大の弱点となるのだ。
結局、穴とのつき合い方は穴に落ちてみなければわからない。
だから、親が本当にすべきことは、子供に失敗させることだ。
それなのに、失敗というすばらしい体験を子供から奪ってしまってはなんにもならない。
家賃が払えず、電気も水道も止められた生活。
それを親が立て替えてしまったら、笑い話にすらならないではないか。
そんな人生では、終焉によみがえる走馬灯のシーンが少なすぎる。
僕が取材した各業界のトップランナーは、みんな一度は人生の大きな穴に落ちた人たちだった。
「あの頃は、本当につらかったですよ」
そう笑いながら当時を振り返る彼らのセリフには、決まって続きがある。
「でも、あの挫折があったからいまの私がいるんです」
成功への道は失敗が作る。
迷路に迷ったねずみがあきらめて動くのをやめたら、永遠に出ることはできないだろう。
僕自身、一二歳から漫画の新人賞に挑戦し続け、約一〇回目の投稿(作品ナンバーは約一〇〇番だった)でようやくデビューすることができた。
連載が軌道に乗って、漫画家として食えるようになったのも、十数本の連載が無惨にも打ち切られたあとのことだった。
一〇連敗なんていうのは、失敗のうちには入らないのだ。
一〇日雨でも一一日目に晴れがくる――これが僕の座右の銘だ。
王道はどこも大渋滞 p91
野球をやるなら松井かイチローになれ、と子供に言う親がいる。
サッカーならカズカナカタで、パソコンをいじるならビル・ゲイツか三木谷になれというわけだ。
そんな僕も、手塚治虫に憧れて、手塚治虫を超えることが人生の目標だった人間だ。
こういうわかりやすい夢を語るのは気持ちがよく、若い時代ならまわりの目も温かい。
そこで語られるのは、松井やイチローの想像を絶する収入や、セレブな暮らしぶりについてであり、自分がそうなったときの(勝手な)バラ色の未来だろう。
ところがそれは、「自分自身がレースにエントリーする」までのつかの間の幸せだったりする。
いざ現実に勝負してみると、99%の人は、自分が大多数の人間の一部にすぎないことを思い知らされるからだ。
人気スポーツや漫画、音楽の世界で頂点を目指すことは、ゴールデンウィークに行楽地へと向かう高速道路に乗るのと同じことだろう。
つまり、王道は大渋滞しているのだ。
宝くじを買うような感覚で勝つことしか考えていないと、この「99.9%の負け」に対処ができない。
いつまでも「勝っていたはずの自分」にとらわれ、のちの人生を敗北感を抱えたまま生きることになる。
漫画の世界なら、「持ち込み」や「公募」をするまでは、名だたる有名漫画家の作品を上から評価したりできるが、いざ漫画家のレースにエントリーしてみると、連載すら取れず、ヒット作を出すことがイバラの道で、さらにその人気を維持し続けることは奇跡に近いことがわかってしまう。
実際、僕がそうだった。
ところが、手塚治虫の時代はまだ漫画家の社会的地位は低く、収入面も厳しかったため、その道は王道などではなく、まして渋滞の高速道路でもなかった。
ビル・ゲイツや三木谷氏は、インターネットなど誰も知らない時代から、その将来性に自分の未来を賭けたから成功したのだ。
王道のメジャーリーグで成功した日本人が松井やイチローなど数えるほどしかいないことも、渋滞の道を行くむずかしさを表わしている。
王道とは、みんなが知っている漁場なのだ。
すでに定置網である可能性が高い。
残り少ない魚を大勢で取り合うのもいいが、逆に王道を逸れることによって、新しい漁場を見つけることもあるのである。
人間は蛙よりバカかもしれない p104
よく言う「ゆで蛙」の話がある。
蛙を熱湯のなかに放り込むと慌てて飛び出すが、水の入った鍋に入れ、少しずつ温度を上げていくと、蛙は飛び出すことなく気づいたらゆであがってしまう、という話だ。
この話をすると、ほとんどの人が決まって「人間は蛙ほどバカじゃない。熱くなってきたら自分から飛び出すさ」と笑うが、本当にそうだろうか?
もし誰かが「何か良からぬことが起こっている」と気づいたとしても、となりで呑気に構えている仲間を見たら、「まあコイツも平気そうだし、気にしなくていいか……」と、思考停止してしまうのではないだろうか。
さらに、「やばいぞ、逃げよう!」と言い出したとしても、まわりから「わけのわからないことを言うな!」と丸め込まれ、熱さに耐えつつも、やはり最後にはゆであがってしまうのではないだろうか。
たとえば、環境問題はゆで蛙の話そのものだ。
三〇年も前から、環境学者が「このままでは深刻な環境破壊が起こる。一刻も早く手を打たなければならない」と言っていたにもかかわらず、理解できない(もしくは理解したくない)多数派のほうが支配的で、結局、地球は沸騰寸前にまでなってしまった。
たしかに、人間はゆで蛙ほどバカではない。
ただしそれは、「ひとりでいれば」という条件付きのことかもしれない。
群れた途端に危険を察知する感覚は鈍りはじめ、群れの感覚を優先するようになり、しまいには蛙と同じくバカになってしまう(実は、ゆで蛙の話は寓話にすぎず、実際に実験を行うと、蛙は熱くなってきたら自分から飛び出すという。ということは、人間は蛙以下のバカということだ)。
「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、それは自分の頭で考えることのできる人間が集まったときの話で、「三人寄れば場の空気で」といったことのほうが多いのが現実だろう。
下手に自分の意見を言おうものなら、その考えが斬新だったり革新的だったりすればするほど理解できる人数は少なく、器が小さく頭が悪い人間のほうが声が大きく支配的だった場合、悲しいことに救いの賢者の口は封じられてしまうのだ。
環境問題が長いあいだ放置されたのは、当然といえば当然のことなのである。
多数決をすれば多数派が勝つ p106
基本的に民主主義は多数決の文化だ。
選挙に限らず、多数決でものごとを決めることが多い。
文化祭の出し物なども、多数決で決める場合がほとんどだろう。
ただし、僕の事務所では絶対に多数決をしない。
なぜなら一見、公平なやり方に見えても、多数決をすれば多数派が勝つに決まっているからだ。
多数派が導き出すのは、「あのとき、ああしたからうまくいった。だから今回もうまくいくに違いない」という成功体験に支配された群れの論理にすぎない。
これは、過去の戦争やビジネスの世界に多く見られ、前述した漫画の「パート2」や映画のリメイク物がつまらない原因にもなっている。
結果が見えないことへの不安を打ち消す根拠が過去の成功だと、群れはそれに従いやすいのだ。
そして、さらに言えば、多数派とは自然に生まれるものというより、往々にして、いちばん権力を持った人間が作るものだ。
たとえば学校では、声の大きいボスが「俺の言うことに逆らうなよ」という空気を教室に形成して、クラスメイトはなんとなくそれに逆らえず同じ意見になってしまうようなケースが多い。
これが、一部の利益団体に都合のいいように場の空気が操作されると、さらにタチが悪い。
しかし残念ながら、すでにメディアはそのために機能していると言っていいだろう。
族議員などという存在がふつうに許される異常事態も続いている。
「道路は必要だ」というボスの大きな声と巧みな根回しで、この国は四〇兆円もの借金を作ってしまった。
決して、「それだけの予算を自然エネルギーを使った発電所の建設に使えばいい」という少数意見は採用されない。
「こうすればオイシイ思いができる」という立場の人たちが「どうでもいい」と思っている人たちをコントロールして多数決は決まるのだ。
これでは、全体にとって良い結論になるとは思えない。
むしろ僕は、一票しか集まらないような少数意見に惹かれる人間だ。
ブームと呼ばれるものは、みんなが見向きもしない道をお構いなしに突き進んだ人からはじまることが多い。
つまり、時代を動かすような流行は、少数派から生まれるということだ。
ラップもブログもヨガも有機野菜も、ロックですら、はじめの頃は「なんでそんなものを?」と言われる存在だった。
そして、そんなものに熱くなる人はまず間違いなく「変わり者」と呼ばれた。
ジョン・レノンもジャニス・ジョプリンもシド・ビシャスもダリもタランティーノも松本人志も井上陽水も、見事なまでに変わり者だ。
しかし、実際には、そういった変わり者がやがて群れ全体の流れを変え、いつしか彼らは「ヒーロー」と呼ばれる存在になる。
迫害あって百利あり p109
醜いアヒルの子はやがて白鳥になる。
最近だと定番なのが『スイミー』という絵本だ。
赤い小さな魚の群れのなかに一匹だけ黒い魚(スイミー)が混じっている。
スイミーはそのからだの色ゆえにいじめられ、ずっと孤独だった。
ところが、群れが巨大なマグロに襲われたとき、スイミーは大活躍する。
「ぼくが、め(目)になろう」
群れ全体で赤い大きな魚のふりをして、マグロを追いやることに成功するのだ。
この絵本は、「みんなで力を合わせる」ことの大切さを語っていると理解されがちだが、実はそうではない。
変わり者のメリットについての話なのだ。
つまり、非属の才能がテーマだと言っていい。
こういった童話や民話は世界中に散在している。
人間は長い歴史のなかで、「群れることのメリットとデメリット」を何度も経験し、そのなかで膠着状態を打破するヒーローとして、非属のキャラクターを描いてきた。
ドン・キホーテしかり、孫悟空しかり。
変わり者のいない群れは、多数決と同じでいつも同じ思考・行動をくり返し、環境や時代の変化に対応できず、やがて群れごと淘汰されてしまう。
学校や会社などでは、変わり者は「百害あって一利なし」とまで言われてしまうが、皮肉なことに、停滞した群れの未来はたいがいこの手の「迫害されがちな才能」にかかっている。
変わり者は一利なしどころか、百利を生む可能性を秘めているのだ。
焚き火を消す p140
村上春樹氏の短編にこんな話がある。
寒い夜の海岸で焚き火を見つめながら「死にたい」とつぶやく若い女性に、男は言う。
「焚き火が消えたら、嫌でも目が覚める」
人はある程度、満たされていると、自分自身がどのような状態にあるのかわからなくなってしまうものらしい。
たとえば、会社員でそこそこの稼ぎがあり、特に不健康というわけではなく、仕事もそこそこおもしろければ、頭の片隅にあったはずの「こうなりたい」といった夢や希望は無視され、いつの間にか、会社からの指示を忠実に守る、いくらでも代用の効く「典型的なサラリーマン」になってしまう。
一方、厳しい環境にある人間は、「現実に何をすべきか?」ということに頭を働かせ、いつでも自分の能力を最大限に発揮する。
つい先日お会いした堀井雄二氏は、家庭用ゲーム機の性能がわずか8ビット(いまのゲーム機がスポーツカーだとすると、三輪車程度)だった時代に「ドラゴンクエスト」を生み出し、ゲームの世界に革命をもたらした人物だ。
堀井氏は、当時のゲーム作りはビジュアルでごまかせないぶん、なによりもアイデアが重要だったと言っていた。
たとえば、残りの体力を示す数字(ヒットポイント)が敵から攻撃を受けるたびに振動し、ゼロに近づくにつれて赤みを増していくシステムは、どうすれば限られた容量のなかで戦闘に臨場感を出せるか、考えに考え抜いて生まれたものだという。
つまり、情報が少なければ少ないほど、制約が多ければ多いほど想像力は豊かになると言っていい。
場合によっては、飢えや貧困ですら頭をクリアにしてくれる。
あなたのまわりにあるなんらかの「暖かな焚き火」が、あなたの才能を曇らせてはいないだろうか?
群れのなかにいる安心感もその一つかもしれないし、「自分が日頃、どんなことでその場を誤魔化しているのか」を考えることで、自分の才能を曇らせている焚き火の正体がなんであるかがわかるかもしれない。
「なんとなくつけてるテレビ」とか「暇ならパチスロ」とか「寂しければ携帯電話」とかで自分を誤魔化しているのなら、数日間それらを禁じるだけで、止まっていた「なんらかの能力」が目覚め出す可能性もあるのだ。
ロシアの巨匠アニメ作家、ユーリ・ノルシュテイン氏が日本の若手アニメ作家の作品を見たときのことだ。
あまりに独自の視点や身体的感覚の欠けた「頭で作った」作品群を見てあきれたノルシュテイン氏は、「どうすればよいか?」と聞かれ、「一度、川に落としたらいい」と笑ったという。
ここだけの話、漫画家でも売れてしまうと巨額の収入と名誉が焚き火となってしまい、魂の抜けた作品をダラダラ描いていても平気な人がいる。
幸い自分は焚き火になるほどのものをいただいたことがないので助かっているが、川に落とされてもそれは「避けたい病」だ。
チャレンジすれば必ず失敗する p143
新しい火をおこす失敗を恐れ、すでに燃えている焚き火が消えるまでじーっと身動きしない人間が多いと、なんとなく自分もその輪に混ざってぼんやりと火にあたってしまいがちだ。
そんな人は、つぎのひと言を肝に銘じておくといいだろう。
「新しいことにチャレンジすれば、結果は必ず“失敗”である」
東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏は、大学で工学系の失敗を数多く見てきた経験から、「失敗学」なる学問をはじめた人物だ。
畑村氏は、「いつも成功してますって奴がいたら、そいつは新しいことをやんない奴だ」と言う。
彼によれば、たまたまやってうまくいくのは「千三」といって一〇〇〇回に三回らしい。
ということは、新しいことをやれば99.7%は失敗するということだ。
それなのに、一度失敗しただけで「俺はダメだ~」と思い込み、「やっぱり前例のないことはしないほうがいいんだ」と考えてしまうと、もう未来はない。
消えゆく焚き火をただ眺めるだけの人生が待っている。
畑村氏は、「失敗から本当の成長がはじまるんだ」と言って、「もし失敗しても人のせいにすればいいんだよ」とニコやかに助言してくれた。
エジソンが、一万回の実験失敗に対して、「一万回うまくゆかない方法を見つけたのだ」と言ったように、失敗は「この方向にいくとダメになる」という重要な教訓をもたらしてくれる。
たとえばF1では、オフシーズンに十分なテストをしたチームが勝つと言われている。
練習中にとびきり高価なエンジンが壊れたりしても、それは「いいこと」なのだ。
失敗することでその原因を洗い出し、成功への最短ルートを作り上げていくことが彼らのやり方なのである。
何年か前、つぎの連載をヒットさせなくては漫画家が続けられないとガチガチになっていた僕に、ある編集長が言った。
「山田君、打率は三割で十分なんだよ」
この言葉は、(明日をも知れない漫画家と、大手出版社の社員という温度差こそあれ)僕には救いだった。
あの手塚治虫でさえ、ヒット作の打率は二割に及ばなかったという。
アトムやブラック・ジャックやジャングル大帝の陰に、おびただしい数の報われない作品があるのだ。
「さおだけ屋」はなぜ生まれたのか? p146
実のところ、人生は思ったより長く、「失敗は即失格」ではない。
たとえ手痛い失敗や挫折をしても、まったく違う世界でその経験が生きてくることが多々あるのだ。
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』という会計学の入門書で大ブレイクした会計士の山田真哉氏は、もともと歴史や哲学の専門家を目指していたという。
「大学教授になって、仙人みたいに暮らしたいと夢見ていました」
とはいえ、実際、大学に入学してみると、大学教授は仙人とはかけ離れた存在であるということがわかり、山田氏は人生の目的を失ってしまう。
仕方なく、山田氏は塾講師のアルバイトに精を出したが、高校生に現代文を教えているうちに、彼は「もっとわかりやすく、おもしろく教えたい」という欲求にかられたという。
「文学史を小説仕立てにしてみたり、授業中に踊ったり花火をしたりと、いろいろ試してみました」
やがて山田氏は関西の大学を卒業して、東京の大手予備校に就職するが、たった二カ月で「漠然とした不安」が襲いかかり、彼は辞表を置いて、一度も振り返らずに神戸の実家に逃げ帰ってしまう。
「もう本当に、ダメな若者の典型でした」
自宅でニート状態になった山田氏であったが、すると今度は周囲の目が耐えられなくなり、「なんでもいいから資格を取ろう」と決意する。
そして彼は一年後、公認会計士になった。
「会計は超合理的なもので、自分にはまったく向いてない世界ですよ」
そう言って笑う山田氏は、やがて会計専門学校の広報誌で小説(「女子大生会計士の事件簿」シリーズ)を書きはじめ、一気にその才能を開花させた。
「ものを書くときに役立ったのが、中国の思想家・韓非子の“暗喩(たとえ話)”による説得術と、高校生に現代文を教えてきた“伝える”テクニックでした」
山田氏は自宅に引きこもっていた時期、「もう一切をリセットしよう」と過去との断絶を決意したというが、彼の二度にわたる挫折体験は、「会計を一般の人にもわかりやすく、おもしろく伝える」ときに抜群の力を発揮した。
そしてその結晶が、二九歳のときに出版し、ミリオンセラーとなった『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』なのである。
ほとんどの成功者が、その数倍以上の失敗や挫折を経験している。
失敗や挫折は、挑戦のなによりの証しなのだ。
言い訳を言うくらいなら無理をする p164
かつて輝いていた同い年の友人が、年をとるごとに魅力のないつまらない人間になっていくことがある。
実のところ、高校時代の友人で、いまもまだ輝いている人間はひとりも思い当たらない。
彼らは世界を知るどころか、ほぼ確実になんらかの定置網に引っかかり、新興宗教に入るか、マルチ商法にでものめり込んでいない限り、未来に希望を持って、新しい何かを熱く語るようなことはない。
そうなってしまう境目はまずは就職で、つぎに結婚と自宅の購入、そして子供の誕生あたりが定番だろう。
彼らと会って話をすると、みんながみんな同じような話題で、同じような幸せを語り、同じような愚痴を漏らす。
世界が完全に閉じてしまっている。
そんななか、僕が「最近、○○をはじめてさあー」などと目を爛々と輝かせて語り出そうものなら、「山田はいつも楽しそうでいいよなあ」「俺らは身動きが取れなくてさ」などと遠い目をしながら言われてしまう。
「凡人だから、山田みたいに好きには生きられないよ」とまで言われることもある僕だってなにも選ばれし魔法使いなわけじゃない。
いつまで経っても白いフクロウが魔法学校の入学案内を持ってきてくれないので、もがき苦しみながらも、なんとか好きなことをしながら生きているだけだ。
皮肉なことに、結婚などの「人生における幸福の象徴的出来事」が逆に自分の生き方を狭め、生活の細々した雑事に追われているうちに、自分が「納税マシーン」や「消費マシーン」にされていることすらわからなくなってしまうのだろう。
とはいえ、僕も年をとるごとに保守的になっていく自分にイライラすることがある。
僕の心の師匠でもあるみうらじゅん氏は、新しいことにチャレンジすることに関しては、達人の域に達した人物だ。
みうら氏は「マイブーム」の仕掛人でもあるが、彼は毎回ころころ変わるマイブームを「無理してでもやり通す」と言っていた。
その昔、「女装ブーム」と「杖ブーム」が同時に訪れたときは、女装して杖をつきながら街を歩いたという。
「正直つらいけど、俺は無理するよー」と笑って話すみうら氏は、生涯「身動きが取はれなくて」といったセリフは吐かないだろう。
人生でいくつのことを試したか? p167
自分を凡人だと決めつけ、身動きが取れないと嘆く人は、いったいどのくらいのことを試したのだろうか?
僕が出会った非属の才能の持ち主の多くが、「とにかくなんでもやってみろ」とアドバイスしてくれたが、それは、自分がまだ気づいていないなんらかの才能に出会う可能性を広げることでもある。
その道の一流と言われる人でも、「たまたまそれをやったら向いていた」といった人が多い。
もしも、黒澤明が映画を撮らなかったら?
もしも、武豊が馬に乗らなかったら?
もしも、松本人志が漫才をやらなかったら?
あなたは、これらのことを本気でやってみたことがあるだろうか?
少なくとも僕は、映画監督も乗馬も漫才もやったことがない。
好きでもないことを無理にやる必要はないと思うが、少しでもやりたいと思ったことはやってみたほうがいいだろう。
彼らは、明らかに「やってみた人」なのだ。
「なんとなくやってみたい」というのを含めれば、自分の可能性はかなりの数あるはずだ。
年齢はあまり関係ない。
前出ののっぽさんは、日本のアステアと言われるほどの実力派ダンサーだが、五〇歳になってはじめた水泳で全日本の二位(「五〇~五五歳の部・平泳ぎ」)に輝いた。
なんと、それまではカナヅチだったという。
「年金風来坊シゲさん」こと金井重さんがバックパッカーになったのは五六歳のときだ。
それまで彼女は、労働組合の偉い人として、組織のなかでひたすら真面目に働いてきたという。
旅のおもしろさにハマったシゲさんは、その後、世界約一八〇カ国をまわり、八〇歳になったいまも、バックパックを背負って女ひとり旅を続けている。
彼女は旅の天才だったのだ。
僕自身、インタビュー形式の漫画を描きはじめるまで、自分がインタビューに向いていることに気づかなかった。
僕はまだ、漫画と子供相手の絵の講師とパンクバンドくらいしかまともに試したことがない。
ひたすら群れのなかにいて、気がつくと何もかもあきらめ、定置網にかかったまま自分の子供に人生を賭けたり、自殺するくらいなら、そのエネルギーを使って「やったことはないけど、やってみたかったこと」を全力でやってみたらいい。
そこで大切なのは、すぐに生産性や順位などの結果を求めないことだ。
もちろん、まわりの言うことなど99%聞かなくていい。
「自分が楽しいか?」とか、「何かいままでに感じたことのないことを感じるか?」といった感覚を大切にして、お金にならなくても続けるべきだろう。
群れの空気より自分自身を信じて、人の評価を無視して自分なりの努力を重ねていけば、いずれ自分の隠れていた才能がなんであるかがわかるときがくるはずだ。
そして、そのときはじめて、非属の扉はこじ開けられるのだろう。
尾崎放哉とサシで語り合う p178
では、どんなふうに引きこもれば、引きこもり期間を非属の才能を伸ばす修行期間にすることができるようになるのだろうか?
パンクロックの世界でカリスマと呼ばれた町田康氏は、バンドで生活していくことに疲れ、バブル全盛の八〇年代末期に突如、世間から完全に身を隠した。
つまり、引きこもったのだ。
そして、暇を持て余した彼は毎日、図書館に通って本を読みはじめた。
とはいえ、それは生半可なものではなく、図書館の本すべてを読破するくらいのすさまじい読書量であった。
尾崎放哉、井伏鱒二、色川武大、織田作之助片っ端から世界各国の文学を読破し、自宅では再放送の時代劇をこれも片っ端から見まくったという。
時間だけはあり余るほどあった。
彼はその時間を、文学と時代劇にすべてつぎ込んだのだ。
そして数年後、彼は一冊の詩集を皮切りに、異端の小説家として鮮やかに文壇に躍り出て、やがて芥川賞作家となる。
代表作は『パンク侍、斬られて候』。
愛してやまない時代劇は、「町田節」とも言うべき彼の完全にオリジナルな文体によって、傑作時代小説に昇華した。
題材といい文体といい、引きこもり時代に蓄えた圧倒的な知識がベースになっていることは言うまでもない。
団塊の少し前の世代までは、世界文学全集などを読破するのはなにも珍しいことではなかったという。
情報が少なく、本が貴重だったという背景があるにせよ、彼らは文学に触れることで、自分のなかに「豊かな内的宇宙」を育んできた。
つまり、現実の世界で生きた人間と交流しなくても、読書をすることで、時空を超えて人(作者)と接することができるのである。
特に、昔の作品でいまもなお読まれているものは、その精神性が高いことは明らかであって、現代の危うい洗脳の砂嵐から生まれたものより遥かに価値が高いと言えるだろう。
いまは亡き文豪たちと一対一のサシで語り合う――これほどの贅沢はない。図書館や本屋には、歴史的な偉人がいつでも大勢、あなたのことを待ってくれている。
町田氏は引きこもっていた数年の間、彼らスーパースターたちと饒舌な会話をくり返してきたわけだ。
一〇〇冊に一冊はバイブル p181
群れ全体の幸福を考えるのが「政治」だとしたら、群れからはぐれた一匹の子羊の内面を照らすのが「文学」だろう。
つまり、群れから離れ、自ら引きこもろうとするときには、文学が効果的に働かないわけがないのだ。
そこには、いつの時代も孤独にならざるを得ない人間の根深い真実がある。
とにかく、ジャンルや時代、国籍、評価を問わず、手当たり次第、片っ端から徹底的に読むことだ。
図書館に行って目に飛び込んだものから読んでいってもいいし、ア行のいちばん最初から順に読んだっていい。
もちろん、「私のオススメの一冊」みたいな本でもいいし、直木賞・芥川賞をぜんぶ読んだっていい。
目標はまず一〇〇冊。
玉石混淆でも、それだけ読めば、必ず一冊はその後の人生を支えてくれるようなバイブルに出会えるはずだ。
砂浜でダイヤを探しているような気分で、気長に読み続けてほしい。
「本なんか読んでなんの意味があるの?」などと言う人間は、まず間違いなく、続けて一〇〇冊もの本を読んだことのない人間なので、相手にしなくていいだろう。
いま、君の体が動くなら p192
本当にテレビとネットとケータイなしで、消費社会から距離を置いて引きこもることができれば、かなりの希望があるだろう。
そうやって、嫌でも自分と向き合わざるを得ない状況を作れば、いずれ、俗世で感じていた違和感の正体や「自分のすべきこと」が少しずつ見えてくる。
雑音は消え、鳥のさえずりや森のざわめきまで聞こえてくるようになる。
前述したように、僕自身が引きこもりに近かったのは、漫画家デビューしてヒットが出るまでの極貧時代だった。
いくら自分が良いと思う漫画を描いても掲載されず、経済的にはかなり厳しい状態にあった。
そんななか、僕は生活費を極限まで削り、そのなけなしのお金でひたすら過去の名画に触れ、過去の映画を見て、過去の文学を読んでいた。
特にゴダールには傾倒し、彼の本から人生哲学を学び、スケッチブック片手に彼の映画を何度もくり返し見た。
気に入った構図はスケッチし、セリフを書き写した。
運がいいことに、当時はネットもケータイもなかったし、窓のないボロアパートの一室でとにかく漫画を描きまくっていた。
そして、それ以外の時間はほとんど、埼玉の田んぼで空を見上げていた。
そんなことをしても、お金や漫画のアイデアは降ってこないことはわかっていた。
いま思い返せば、ただ途方に暮れていただけなのかもしれないが、空をボーッと眺めていると、ゴダールやピカソや中原中也たちと直接触れ合える瞬間があった。
そして、そんな生活が二年も続いていたある日、いつものように空を見ていたら、唐突に一つの言葉が頭をよぎったのである。
「千年前も千年後も空はこうして空のままだ。いま、お前の体が動くなら、戦え――」
当時、僕はそれを神の声だといって大騒ぎしていたが、もしかしたら本当に神の声だったのかもしれない。
もしくは、敬愛する偉大な死者たちが語りかけてくれたのか?
それはいまでもわからない。
ただ僕はその後、つまらないプライドをドブに捨て、全力で(それまで嫌っていた)エンタテインメント作品を描きあげ、人生で最大のピンチを突破することができたことだけは確かだ。
俗世から距離を置き、自然のなかで自分、そして死者に向き合うと、「大いなる何か」が扉を開いてくれる。
大昔から人はそれを「修行」と呼んでいたのだろう。
いま現在、引きこもっている人に対して僕は言いたい。
いま、君の体が動くなら、戦え――と。
そうすれば、必ず道はひらけるはずだ。
なぜなら、引きこもっているという時点で君には才能があるのだから。
あとは、その才能を自覚し、どう伸ばしていくかという問題だけが残っているにすぎない。