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「良い戦略、悪い戦略」を読んだ

投稿時刻2024年10月12日 11:03

良い戦略、悪い戦略」を 2,024 年 10 月 12 日に読んだ。

目次

メモ

序章 手強い敵 p3

一八〇五年のイギリスは、重大な危機に直面していた。
ナポレオンがヨーロッパの大半を征服し、イギリス侵攻をもくろんでいたからである。
しかし英仏海峡を横断するためには、イギリスから制海権を奪わなければならない。
フランスとスペイン(当時ナポレオンの支配下にあった)は、ジブラルタル海峡にほど近いトラファルガー岬に三三隻の艦船を結集。
二七隻で編成されたイギリス海軍と対峙した。
編隊を組む艦隊同士の海戦では、両軍が舷側を並べて艦砲射撃で敵艦にダメージを与えた後に接近戦に移行するのが当時の定石である。
だがネルソン提督の考えた戦略は、ちがった。
二列縦隊をつくり、フランス=スペイン連合艦隊にいきなり真横から突っ込ませたのである。
当然ながら、先頭の船は非常な危険にさらされることになる。
だが連合艦隊の砲手は練度が低く、その日の海はうねりが大きかった。
彼らには突入してくる艦隊を正確に狙い打つ腕はない、と提督は読んだのである。
果たせるかな、トラファルガー海戦はイギリス側の圧倒的勝利に終わり、フランス=スペイン連合艦隊は全艦船の三分の二に当たる二二隻を失った。
対するイギリス海軍は、ネルソン提督が戦死したけれども、艦船は一隻も失っていない。
ネルソン提督は、今日にいたるまでイギリス海軍最大の英雄とされている。
そしてイギリスの制海権は、その後一世紀半にわたって破られることはなかった。

ネルソン提督にとって最大の難題は、敵が数で上回っていることだった。
そこで、敵の艦隊を分断するために、先頭の船を死地に飛び込ませるリスクをとるという選択をした。
敵が分断され統率を失えばこちらの思うつぼ、経験豊富な味方の艦長たちは混乱する戦況で優勢になるだろう、と判断したからである。
良い戦略は必ずと言っていいほど、このように単純かつ明快である。
パワーポイントを使って延々と説明する必要などまったくないし、「戦略マネジメント」ツールだとか、マトリクスやチャートといったものも無用だ。
必要なのは目前の状況に潜む一つか二つの決定的な要素すなわち、こちらの打つ手の効果が一気に高まるようなポイントをみきわめ、そこに狙いを絞り、手持ちのリソースと行動を集中すること、これに尽きる。

戦略を野心やリーダーシップの表現とはきちがえたり、戦略とビジョンやプランニングを同一視したりする人が多いが、どれも正しくない。
戦略策定の肝は、つねに同じである。
直面する状況の中から死活的に重要な要素を見つける。
そして、企業であればそこに経営資源、すなわちヒト、モノ、カネそして行動を集中させる方法を考えることである。

リーダーは、まさにこの役割を果たさなければならない。
企業経営から国家安全保障にいたるまで、さまざまな状況で求められているのは、前進を妨げる重大な障害物をみきわめて乗り越えるための首尾一貫した戦略である。
ところが多くの人は、戦略を単なる謳い文句のように受けとることに慣れきってしまい、リーダーが声高にスローガンを掲げ、ひどく景気の良い目標をいくつも挙げて「これが戦略である」と言っても、すこしも驚かなくなってしまった。
そうした例を四つほどここで紹介しよう。
・ある会社のCEOは、他社のイベントをまねして「戦略決起集会」を開いた。
世界各国からシニアマネジャーニ〇〇名ほどがホテルの宴会場に結集し、その前で経営幹部が未来へのビジョンを発表するというスタイルである。
そのビジョンとは、「この分野で最も尊敬され最も成功する企業になる」というものだった。
このイベントのために制作された映像が流され、さまざまなシーンで使われている自社製品やサービスが次々に紹介される。
続いては、CEOのスピーチである。
感動的な音楽とともに、「戦略目標」が力強く掲げられた。
曰く、グローバル・リーダーシップ、成長、株主リターンの向上……。
その後に少人数のグループに分かれて討論が行われた。
私はこのイベントに招待されたのだが、相も変わらずこのような「戦略」が策定されていることに少なからず落胆したものである。
・債券取引を得意とするリーマン・ブラザーズは、不動産担保証券(MBS)ブームの火付け役となり、おかげで二〇〇二~〇六年のウォール街は大いに活況を呈した。
だが二〇〇六年になると、不吉な兆候が現れてくる。
アメリカの住宅販売は二〇〇五年半ばに頭打ちとなり、住宅価格の上昇に歯止めがかかったのだ。
連邦準備制度理事会(FRB)が小幅ながら金利を引き上げたことも、ローンの延滞や担保物件差し押さえの増加に拍車をかけた。
このときリーマンのCEOであるリチャード・ファルドが打ち出した「戦略」は、「引き続きシェア拡大をめざす」というものである。
そのために同業他社よりも成長ペースを加速するという。
これを証券業界用語で言い換えれば、「リスク選好を強める」ことにほかならない。
すなわち、競合他社が手を引いた案件にも手を出す、ということである。
自己資本比率がわずか三%しかないうえ、借り入れの大半が超短期であることを考えれば、同社はむしろリスクの低減を図る必要があった。
リスクをみきわめて回避策を講じるのが良い戦略であって、単に野望を掲げるだけでは戦略とは言えない。
二〇〇八年にリーマン・ブラザーズは一五八年の歴史を閉じ、そのショックは世界の金融システムを大混乱に陥れた。
悪い戦略は、リーマン・ブラザーズのみならずアメリカを、そして世界を悲劇に巻き込んだのである。
・ジョージ・W・ブッシュ大統領は二〇〇三年に、アメリカ軍のイラク侵攻を許可した。
侵攻作戦はすみやかに遂行され、連合軍の圧倒的勝利という形で正規軍同士の戦闘はあっけなく終結する。
ブッシュ政権としては、その後は民主的な市民社会への移行が進むと期待していたのだが、そうは問屋がおろさなかった。
イラクの治安は急速に悪化し、アメリカ軍は安全な基地を出て掃討作戦を展開せざるを得ない羽目に陥る。
これはまさに、ベトナムで最悪の失敗を招いたやり方にほかならない。
なるほど、掲げた目標は立派だった。
自由、民主主義、復興、安全保障……。
だがゲリラ活動や治安悪化に対処するための統合的な戦略は何もなかった。

手詰まり状態に変化が起きたのは、二〇〇七年のことである。
陸軍大将のデービッド・ペトレイアスがイラク駐留米軍の司令官に就任するとともに、五個師団が増派された。
だが単なる兵力増員が功を奏したわけではなく、ペトレイアスに確たる戦略があったことが大きい。
ペトレイアスは、市民の大多数が正規の政府を支持して初めて、治安悪化と戦うことが可能になると考えた。
そして、大規模駐屯地を中心に索敵活動を行う前任者のやり方から、広い地域に展開して住民を守る「交番作戦」に切り替える。
こうして地域住民との連携を強化すると、報復を恐れない勇敢な住民からゲリラ情報が寄せられるようになった。
空虚な目的から真の問題解決へと戦略を切り替えた結果、治安回復という大きな成果が上がったのである。
・二〇〇六年一一月、私はWeb2.0ビジネスに関する会議に出席した。
Web2.0とはウェブ・サービスへの新しいアプローチを意味するとされている(もっとも、そこで使われるテクノロジーにさして目新しいものはない。この言葉は要するに、グーグル、マイスペース、ユーチューブ、フェイスブックその他もろもろのウェブ・ベースの企業が使いたがる符牒のようなものだ)。
昼食の時間になり、私は出席者七人とテーブルに着くことになった。
誰かに職業を聞かれたので、私はカリフォルニア大学で戦略論を教えていること、コンサルタントとしても活動していることを簡単に説明した。

すると、私の正面に座っていたウェブ・サービス企業のCEOが、やおらフォークを置いてきっぱりと言った。
「勝つまで続ける。これが戦略だ」。
私としてはまったく賛成できなかったが、しかし議論をするためにそこにいるわけではない。
「たしかに、負けるより勝つほうがいい」と答え、さりげなく別の話題に移った。
私はコンサルタントとして、個人的なアドバイザーとして、あるいは、あるいは研究者としてずっと戦略に関わってきた。
そこで失敗や苦労を重ねながら学んだことを本書に詰め込んだつもりである。
良い戦略は、目標やビジョンの実現以上のことを促す。
良い戦略は、直面する難局から目をそらさず、それを乗り越えるためのアプローチを提示する。
状況が困難であるほど、行動と集中を図り、問題解決や競争優位へと導くのが良い戦略である。

だが残念ながら、良い戦略はめったにない。
しかも事態は悪くなっているようだ。
「私には戦略がある」という政治家や経営者は増えているが、実際には彼らの「戦略」の多くは、失礼ながら「悪い戦略」である。
悪い戦略は厄介な問題を見ないで済ませ、選択と集中を無視し、相反する要求や利害を力ずくでまとめようとする。
悪い戦略は、目標、努力、ビジョン、価値観といった曖昧な言葉を使い、明確な方向を示さない。
もちろん目標やビジョンは人生において大切なものではあるが、それだけでは戦略とは言えない。
大勢の人が「戦略」と称するものと本物の良い戦略との乖離は、このところ拡がる一方である。
一九六六年に私が企業戦略を勉強しはじめた頃には、この分野の本は三冊しかなく、論文など書かれてもいなかった。
だがいまでは、書斎の本棚は戦略本ではち切れそうだし、論文や特集記事にも事欠かない。
戦略に特化したコンサルティング会社も多数存在し、戦略で博士号をとった人も大勢いる。
だがだからと言って、戦略とは何かが明確になったわけではない。
むしろ逆に、空想的なビジョンからネクタイとシャツの合わせ方まで、それこそありとあらゆるものが戦略に盛り込まれたせいで、戦略はすっぺらな安物に成り下がってしまった。
さらに悪いことに、企業経営や教育や政権運営に携わっている多くの人にとって、「戦略」という言葉は何とでも相性の良い便利な口癖になってしまったらしい。
マーケティングのことなら何でも「マーケティング戦略」、データ処理なら「IT戦略」である。
買収をすれば「成長戦略」、値下げをすれば「ロープライス戦略」だ。

しかも戦略を勝利や野心と結びつける傾向の強いことが、混乱に拍車をかけている。
Web2.0会議で出会ったCEOの「勝つまで続ける」のが戦略だという発言は、まさにこの傾向を示すものとえよう。
興奮と熱狂とノリをこね合わせたような「戦略」が、悲しいかな次第に一般的になっている。
これでは、戦略を立てるのに創造性も必要としなければ、リーダーの責任や資質も問われない。
だが戦略は必ずしも勝つことだけが目的ではないし、野心や決意や英雄的なリーダーシップの表明でもなく、また革新的なアイデアの表現でもない。
もし戦略がそのようなものだったら、実際の役には立たないだろう。
人を負かしたいという欲望、決意は覚悟と気、英雄的なリーダーシップは自己犠牲を促す力に過ぎない。
戦略とはそのようなものではない。
戦略とは、何か野心を抱いたとき、あるいは何か新しい変化に直面したときに、リーダーシップや決意をいつどこでどのように発揮すべきか、その道筋を定めることである。

あまりに多くのことを意味する言葉は、ピントがぼける。
何らかの概念に内容を与えようとするなら、はっきりし境界線を引き、それが何を意味し何を意味しないかを決めなければならない。
戦略という言葉の意味を明確にするためには、まずはこの言葉をよく使うのが常に高い地位にある人々だという点に注目するとよいだろう。
たとえば産業界では、大半の買収や合併、高価な新しい施設・設備への投資、重要なサプライヤーやクライアントとの交渉、大きな組織の設計などはすべて「戦略的」とされる。
だが戦略で重要なのは、意思決定を下す人の地位ではない。
戦略とは、組織の存亡に関わるような重大な課題や困難に対して立てられるものであり、それらと無関係に立てられた目標とは異なる。
戦略とは、そうした重大な課題に取り組むための分析や構想や行動指針の集合体と考えればよい。

少なからぬ人が、戦略とは全方位を見据えた全体図であって、何か特定の具体的な行動とは別物だと考えている。
だが戦略をそのように曖昧に幅広く定義すると、「戦略」と「実行」が断絶してしまう。
断絶していいのだと言う人もいるかもしれないが、それでは戦略策定は空回りする車輪と変わらない。
実際、「戦略」に関する不満はここに集中している。
大勢の声を代表するかのように、ある経営者はこう言った。
「わが社には高度な戦略策定プロセスが備わっている。だがいざ実行する段になると、必ず問題が続出する。設定した目標に届いたためしがないのだ」。
ここまで読んできた読者なら、この不満の原因がどこにあるかもうおわかりだろう。
良い戦略には、とるべき行動の指針がすでに含まれている。
こまかい実行手順が示されているわけではないが、やるべきことが明確になっている。
「いま何をすべきか」がはっきりと実現可能な形で示されていない戦略は、欠陥品と言わざるを得ない。

「実行面に問題がある」と嘆く経営者は、たいていは戦略と目標設定を混同している。
戦略を立てるつもりで業績目標を立てているケースは珍しくない。
シェアや利益の拡大だの、大学合格率の上昇だの、美術館の来館者の増加だのといった目標だけを立てたら、願望と行動の間にギャップができるのは当然と言えよう。
戦略とは、組織が前に進むにはどうしたらよいかを示すものである。
戦略を立てるとは、組織にとって良いこと、好ましいことをどうやって実現するかを考えることである。
もちろん、リーダーが目標を立て、それをどう実現するかは部下に任せる、という方法はあり得る。
だがこれは、戦略ではない。
そうやって組織運営をしている経営者は、戦略は立てずに単に目標設定をしているのである。
本書の目的は、良い戦略と悪い戦略の驚くべきちがいを示し、良い戦略を立てる手助けをすることにある。

良い戦略には、しっかりした論理構造がある。
私はこれを「カーネル(核)」と呼んでいる。
戦略のカーネルは、診断、基本方針、行動の三つの要素で構成される。
状況を診断して問題点を明らかにし、それにどう対処するかを基本方針として示す。
これは道しるべのようなもので、方向は示すがこまかい道順は教えない。
この基本方針の下で意思統一を図り、リソースを投入し、一貫した行動をとる。

良い戦略の構造と基本的な内容を理解すれば、悪い戦略も容易に見分けがつくようになるだろう。
悪い映画を見分けるのに映画監督である必要はないのと同じように、悪い戦略を見分けるのに経済や金融その他もろもろの専門知識は必要ない。
たとえば、二〇〇八年の金融危機でアメリカ政府がとった「戦略」を検討してみよう。
すると、基本的な要素が欠落していることにすぐ気づくはずだ。
とくに良くないのは、危機の根本原因は何か、診断をしなかったことである。
病気の原因がわからないままでは、的確な治療法を選択してそこにリソースや行動を集中することはできない。
結局のところ政府が行ったのは、リソースを納税者から銀行に移転しただけだった。
この程度の決断を下すのに、マクロ経済学の博士号などは必要あるまい。
良い戦略とは何かをわきまえている人なら、はるかに良い決断が下せたはずである。

悪い戦略とは、単に良い戦略の不在を意味するのではない。
悪い戦略にも固有の論理があり、まちがった土台の上に壮大な誤りが構築される。
悪い戦略策定では、困難な状況の分析が意図的に避けられている。
これはおそらく、都合の悪いことは知りたくないという意識が働くからだろう。
また、戦略策定を目標設定ととりちがえていると、問題解決に注意が向けられないので、悪い戦略を立てることになりやすい。
さらに、四方八方に配慮する結果、困難な選択が先送りされるケースもある。
だがあらゆることを勘案していたら、リソースや行動の集中投入はできなくなってしまう。

悪い戦略が蔓延すると、誰もが影響を被る。
目標やスローガンを花火のように打ち上げるだけの政府は、次第に問題解決能力を失っている。
企業が打ち出す戦略プランなるものの多くは、希望的観測に過ぎない。
また教育機関では、数値目標や基準は豊富にあっても、なぜ成績が振るわないのか、根本原因を把握して対処する姿勢に乏しい。
こうした状況を打開するのに、カリスマ的なリーダーや美しいビジョンはいらない。
必要なのは、良い戦略である。

p20

戦略の基本は、最も弱いところにこちらの最大の強みをぶつけること、別の言い方をするなら、最も効果の上がりそうなところに最強の武器を投じることである。
今日の標準的な戦略理論では、この基本を引き延ばし、潜在的な強み、すなわち「優位性(アドバンテージ)」にまで押し広げている。
たとえば先行者利得(ファスト・ムーバー・アドバンテージ)と呼ばれるものがそうだ。
「先んずれば人を制す」と言うように、規模の経済、ネットワーク効果から、評判、特許、ブランドにいたるまで、何によらず先頭を切れば優位に立てることが多い。
これは論理的にまちがいではないし、それぞれの優位性は重要でもある。
だがこのような中位の優位性にこだわる取り組みをしていたら、良い戦略が本来的に生み出す卓越した強みを手にすることはできない。

良い戦略は、第一に、狙いを定めて一貫性のある行動を組織し、すでにある強みを活かすだけでなく、新たな強みを生み出す。
だが規模の大小を問わず、同時にいくつものことをやろうとする組織がじつに多い。
しかも、掲げた目標の多くが互いに無関係であるばかりか、ときには互いに矛盾することさえある。

第二に、視点を変えて新たな強みを発見する。
状況を新たな視点から見て再構成すると、強みと弱みのまったく新しいパターンが見えてくる。
良い戦略の多くが、ゲームのルールを変えるような鋭い洞察から生まれている。

この二つの点を、第1章と第2章で論じる。

さて、良い戦略を持たないリーダーの中には、そもそも戦略不要論者がいるのかもしれない。
しかし実際には、戦略を一切立てないリーダーは珍しく、悪い戦略を立てているケースがほとんどである。
悪貨が良貨を駆逐するように、悪い戦略は良い戦略を駆逐する。
とは言え悪い戦略は、目標がまちがっているとか実行の仕方がまずいというよりも、そもそも戦略とは何か、戦略はどのような役割を果たすのかについて、誤解があるのだと考えられる。
第3章では悪い戦略の例を挙げ、共通点を検討する。

良い戦略と悪い戦略の性質が理解できたら、なぜ悪い戦略がこれほど多いのか、という疑問が当然ながら湧いてくることだろう。
第4章はこの疑問に答を提出する。
そして第1部の最後である第5章では、良い戦略のカーネルを分析し、どのような論理構造の下で戦略思考が導かれ、悪い戦略が排除されていくのかを検討する。

第1章 良い戦略は驚きである p22

良い戦略に自ずと備わっている卓越した価値の第一は、新たな強みを生み出すことである。
他の組織はどこもそれを持っておらず、かつあなたが持っているとは予想もしていないだけに、その価値は圧倒的だ。
良い戦略は、重要な一つの結果を出すための、リソースを投入し、行動を組織する。
だが世界を見渡しても、歴史を振り返っても、このような戦略を持ち合わせている企業はそう多くない。
たいていの企業がいくつもの目標や計画を立て、「予算を注ぎ込んでひたすらがんばる」以外はバラバラの行動をとっている。

アップル p22

一九九五年にマイクロソフトがウィンドウズを発表してからというもの、アップルは負の連鎖に巻き込まれてしまった。
翌年になると、ビジネスウィーク誌が二月五日の表紙にアップルの有名なトレードマークをでかでかと掲げ、「アメリカのアイコンの没落」という特集を組んでいる。

CEOのギルバート・アメリオは、ウィンドウズとインテル(ウィンテル)ベースのパソコンが席巻する世界でなんとかアップルの生き残りを図ろうと悪戦苦闘した。
人員削減を断行し、種々雑多な製品を四つのグループ(マッキントッシュ、情報機器、プリンターなどの周辺機器、次世代プラットフォーム)に統合する一方で、新たにインターネット・サービス事業と先端技術グループを発足させた。

その頃の業界誌ワイヤードには、「アップルを救う一〇一の方法」という記事が掲載されている。
IBMかモトローラに身売りする、ニュートン・テクノロジー(PDA端末技術)に重点投資する、幼児向け教育市場に活路を見出す、といった具合である。
ウォール街では、はやくソニーかヒューレット・パッカードと合併交渉すべきだとの見方がもっぱらだった。

一九九七年九月、いよいよあと二ヶ月で破産というところまで追い込まれたときに、共同創業者のスティーブ・ジョブズが戻ってきた。
ジョブズはメンバーが一新された取締役会の下でCEOとして暫定的に指揮を執ることに同意したのである。
マック・ファンは狂喜乱舞したが、市場や実業界は一様に冷ややかだった。

しかし一年と経たないうちに劇的な変化がアップルに訪れる。
高度な製品の開発を急ぐかサンと提携するだろう、という見方を裏切って、ジョブズはそのどちらもしなかった。
彼がやったのは非常にわかりやすいこと、しかも誰も予想していなかったことである。
彼は、競争の激しいコンピュータ業界でニッチ製品メーカーとして生き残るという現実を見据え、それにふさわしい規模までアップルを圧縮した。
つまりジョブズは、存続可能な中枢部分にアップルを回帰させたのである。

ジョブズはマイクロソフト、アップルへの一億五〇〇〇万ドルの投資を引き出すことに成功した。
アップルが倒産したらマイクロソフトは独禁法違反で司法省と厄介なことになる、というビル・ゲイツの懸念につけ込んだわけである。
そのうえで、一五あったデスクトップ機をたった一機種に削減した。
多数あったノートパソコンも一機種に絞り込んだ。
プリンターと周辺機器はすべて切り捨てた。
ソフト開発も捨て、開発エンジニアをお払い箱にした。
代理店も整理し、国内で六系列あった販売店のうち五系列を切った。
製造部門もほぼ全部廃止し、台湾の製造請負企業に切り替えた。
こうして製品ラインを絞り込み、かつアジアで生産することによって、在庫を八〇%以上切り詰めることができた。
さらに新たにオンライン上に公式ストアを開設し、代理店や小売店を通さない消費者への直販を始めた。

ジョブズのアップル再生戦略で何より注目に値するのは、彼のやったことはすべてビジネスの「イロハ」であるにもかかわらず、誰も予想していなかったことである。
中核事業に絞り込みムダな経費を削減すること。
マイクロソフトの「オフィス」をアップルでも使えるようにすること。
アジアで製造してサイクルタイムを短縮し運転資本を切り詰めるビジネスモデルはデル・コンピュータが成功させているのだから、しっかりまねすること。
新しいOSを自前で開発しようなどという気を起こさず、最もすぐれたOSをNeXTから買うこと。
どれもこれもジョブズには当然のことだが、外野から見れば予想外だった。

ジョブズの戦略が劇的な効果を上げたのは、根本的な問題に直接アタックし、そのための行動に集中したからである。
彼は、売上高や利益の目標は一切掲げなかった。
救世主のように未来を語ることもしなかった。
それにまた、けっしてやみくもに大鉈を振るったわけでもない。
製品ラインを整理し限定された直営店で販売するというビジネスモデルをしっかりと設計していたのである。

p26

こうした調査を行ったあとだったので、ジョブズがアップルの未来をどう考えているのか、私にはとくに興味があった。
彼はみごとにアップルを再建したけれども、それは未来に向けた戦略ではない。
当時アップルがパソコン市場に占めるシェアはわずか四%であり、ウィンテル連合を前にしたアップルはニッチにしがみつく以上のことは何もできないように見えた。

九八年の夏に再びジョブズと話す機会があったとき、私は質問した。
「アップルの再生はほんとうに印象的だったよ、スティーブ。
だが、パソコン業界について私が知っていることから判断する限り、アップルは小さなニッチから抜け出すことはできないように見える。
ネットワーク効果(同じ製品・サービスを利用するユーザーが増えると、それ自体の効用や価値が高まる効果)はきわめて大きく、ウィンテル標準を覆すことは無理だと感じる。
長期的にはどうするつもりなのか、どんな戦略を立てているのか」

ジョブズは私の意見に反対もしなければ、賛成もしなかった。
彼はにやりと笑って、こう言ったものだ――「何か次のでかいことを待っているんだ」

ジョブズは単純な成長やシェアの拡大は口にしなかったし、パソコンでトップの座を奪いとる秘策があるなどとも言わなかった。
いまの業界で成功するためには何が必要か、障害物は何かを考え、自らの強みを活かせる次の機会の窓を注意深く探り、窓が開いたときにすばやく抜け目なく行動する態勢を整えていたまさに獲物を逃さない捕食者のように。
機会の窓は毎年開くというものではないし、何らかの手だてを講じればこじ開けられるというものでもない。
それでもジョブズはアップルⅡで、マックで、そしてピクサーで成功を収めた。
NeXTでは失敗した。
しかしiPodとiPhoneで再び空前の成功を収めたことは、読者もよくご存知のとおりである。

「次のでかいことを待つ」というジョブズの答は、一般的な成功の公式ではない。
だが当時のアップルの立ち位置と次々に新しい技術が出現する業界の状況を考えれば、それはまさに当を得たアプローチだったと言える。

p31

イラク軍は多数の死傷者と捕虜を出してクウェートから撤退した(註4)。
多国籍軍側の損害は軽微だった。
左フック戦略があまりにみごとな成功を収めたものだから、二月に塹壕戦を心配していた評論家連中は、三月に入ると手のひらを返すように、多国籍軍は必要以上の兵力を投入したのだからこの結果は当然だと言い出したほどである。

戦争後にシュワルツコフは記者会見に臨み、地上戦の戦略を明らかにする。
この会見を見た人の多くは、左フック戦略の説明と簡潔な図に非常な感銘を受けた。
メディアはこぞってこの戦略を「奇抜で卓越した予想外の発想」だと賞賛したが、しかしこの包囲作戦を予想した人がほとんどいなかったのはなぜだろうか。
陸軍では実戦マニュアルといった体のものを発行しており、そこには基本的なセオリーが詳細に解説されている。
たとえば一九八六年に発行された「作戦」と題するFM一〇〇・五号には陸軍の基本的な作戦が詳述されており、その第二部「攻撃的な作戦」の一〇一ページを見ると、「包囲」は攻撃的作戦行動の中で最も重要なものだという説明がある。
つまり包囲は、米陸軍が攻撃時に最初に選ぶ「プランA」なのである。
マニュアルの一部を引用しよう。

「包囲作戦では敵の正面を避ける。
正面には敵の主力が結集し、防御も万全で、集中砲火を浴びる可能性があるからだ。
そこで攻撃側は、陽動作戦や牽制攻撃により敵の注意を前方に引きつけつつ、主力部隊を敵の周囲に回り込ませ、側面と背後から攻撃を仕掛ける」

この作戦行動をわかりやすく説明した図まで付いている。

この図はまさに、正面からの目くらましと「左フック」そのものではないか。
となれば、当然の疑問が湧いてくる。
シュワルツコフはアメリカ陸軍で最も正統的なプランAを採用しただけなのに、なぜ誰もそれを予測できなかったのか。

答の一部は、敵の目を欺く策略が効果的に行われたからである。
シュワルツコフは、主力の攻撃は海からの強襲上陸だと思わせるような行動を意図的にとっていた。
戦闘初期にはクウェート沿岸でこれ見よがしに上陸作戦が仕掛けられ、イラク海軍への攻撃が行われている。
メディアも上陸訓練やクウェート南部に結集する部隊の様子を報道して、図らずもこの策略を後押しした。
第一次世界大戦のような塹壕戦を危惧する論評も、これに拍車をかけたと言える。

とは言え包囲作戦をとるときには、直接攻撃をすると見せかけて主力を側面や背後に展開するのは、定石である。
しかもFM一〇〇・五号は、二五ドルを政府印刷局に送れば誰でも買うことができるのだ(註5)。
したがって、この作戦がイラク側にとってだけでなく、名だたる軍事評論家や議会の国防通にとっても予想外だったのは、やはり謎と言わねばならない。

これに対する正しい答は、こうだ。
教科書に出てくるような定石中の定石が実際に行われたこと、それ自体が驚きだったのである。
組織が複雑になるほど、あちこちの利害に配慮して、リソースを集中投下せずにまんべんなく配分する傾向がある。
だからこそ、アップルやアメリカ陸軍のような複雑な組織が一点集中の行動をとったことに、多くの人が驚いた。
戦略が秘密にされていたからではなく、良い戦略それ自体が驚きだったと言える。

p34

矛盾する目標を掲げたり、関連性のない目標にリソースを分割して配分したり、相容れない利害関係を無理に両立させようとしたりするのは、資金も能力もあるからこそできる贅沢である。
だがそれらはどれも悪い戦略だ。
にもかかわらず、多くの組織が的を絞った戦略を立てようとしない。
あれもこれもと欲張りなリストを作成する一方で、リソースを集中投下して組織本来の強みを発揮する必要性に目をつぶっている。
良い戦略に必要なのは、さまざまな要求にノーと言えるリーダーである。
戦略を立てるときには、「何をするか」と同じぐらい「何をしないか」が重要なのである。

第3章 悪い戦略の四つの特徴 p49

悪い戦略とは、単に良い戦略の不在を意味するのではない。
悪い戦略をもたらすのは、誤った発想とリーダーシップの欠如である。
悪い戦略を見分ける目を養うと、戦略の策定や評価分析の能力を飛躍的に高めることができる。
悪い戦略は、次の四つの特徴から見分けることができる。

・空疎である――戦略構想を語っているように見えるが内容がない。
華美な言葉や不必要に難解な表現を使い、高度な戦略思考の産物であるかのような幻想を与える。

・重大な問題に取り組まない――見ないふりをするか、軽度あるいは一時的といった誤った定義をする。
問題そのものの認識が誤っていたら、当然ながら適切な戦略を立てることはできないし、評価することもできない。

・目標を戦略ととりちがえている――悪い戦略の多くは、困難な問題を乗り越える道筋を示さずに、単に願望や希望的観測を語っている。

・まちがった戦略目標を掲げている――戦略目標とは、戦略を実現する手段として設定されるべきものである。
これが重大な問題とは無関係だったり、単純に実行不能だったりすれば、まちがった目標と言わざるを得ない。

p55

悪い戦略とは、戦略が何も立てられていないという意味ではなく、また失敗した戦略を意味するのでもない。
悪い戦略では、目標が多すぎる一方で、行動に結びつく方針が少なすぎるか、まったくないのである。
多くの人が戦略というものを誤解している。
大方の経営者は、目標を掲げることだけが自分の仕事だと心得ているらしく、矛盾する目標や、どうかすると実行不可能な目標を得々として発表する。
そのような「戦略」では壮大な言葉遣いが高揚感を演出し、中身のなさを隠している。

悪い戦略の特徴1 空疎である p55

空疎な戦略とは、わかりきっていることをふんだんな専門用語や業界用語で煙に巻くような戦略を意味する。
そのような戦略は、専門知識や戦略思考や高度な分析の末に練り上げられたような顔をしているが、実際にはまったくちがう。
具体例で説明するほうが話が早いので、ここではある大手リテール銀行の戦略を紹介したい。
それは「われわれの基本戦略は、顧客中心の仲介サービスを提供することである」というものである。
「仲介サービス」というのはなかなか響きの良い言葉だが、要はお金を預かって貸し出すということで、銀行の本業にほかならない。
「顧客中心」は最近の大流行の言葉で、サービス業なら改めて言うまでもないことである。
ひょっとすると、より良いサービスを提供して顧客拡大をめざすという意味かもしれないが、そうだとしてもどこでもやっていることで、これだけで差異化が図れるとは思えない。
要するに「顧客中心の仲介サービス」はまったく中身のない言葉である。
この銀行の戦略から厚化粧をはがせば、「われわれの基本戦略は銀行であることである」となってしまう。

p60

本物の専門知識や知見の特徴は、複雑なことをわかりやすく説明できることにある。
これに対して悪い戦略の特徴は、わかりきったことを必要以上に複雑に見せかける。
中身のないことを厚化粧で覆い隠しているのである。

悪い戦略の特徴2 重大な問題に取り組まない p60

戦略とは、本来困難な課題を克服し、障害物を乗り越えるためのものである。
その課題に立ち向かわないなら、戦略の意味をなさないし、それを評価することもできない。
戦略の質的な評価ができないとすれば、悪い戦略を排除することも、良い戦略をより良くすることもできないだろう。

p64

国防総省国防高等研究計画局(DARPA)は、国家安全保障のための先端的な技術革新を追求する部局である。
ハーベスターとは対照的に、DARPAの戦略は問題の本質を鋭く見抜いたうえで立てられている。
DARPAが認識した根本的な問題について述べた文章を、ここで紹介しよう。

「軍事研究機関にとって基本的な課題は、軍事上の問題にテクノロジーがもたらす可能性を賢く適用することである。
たとえば、テクノロジーの進歩によって新たな作戦が可能になったかどうかをみきわめることなどが、これに当たる。
とは言えこの課題は、次の理由からきわめてむずかしい。
第一に、ある種の軍事的な問題は、技術によっては容易に解決できないか、解決不能である。
第二に、ある種の新技術は軍事面で遠大かつ広範な影響をもたらすと期待できても、それがどのようなものかはっきりしない。
DARPAが投資を集中するのは、まさにこの『DARPAにとって困難なニッチ』である。
このような技術は、失敗のリスクはきわめて高い一方で、うまく開発に成功すれば、アメリカの安全保障に多大なメリットをもたらす」(註7)

この困難な課題に取り組むに当たって、DARPAは米軍が現時点で危険すぎるとか任務の対象にはなり得ないと考えているプロジェクトに注目する。
彼らが重視するのは、将来どんな司令官がこの技術をほしがるかということであって、いまどんな技術が求められているか、ではない。
そして創造性に富んだ有能なチームに開発を任せる。
この方式でDARPAが開発に成功した技術には、弾道ミサイル防衛、ステルス技術、全地球測位システム(GPS)、音声認識、インターネット、無人装甲車および無人航空機、ナノテクノロジーなどがある。

DARPAの戦略は、単に方向性を示すにとどまらず、日常的な研究活動の具体的な方針も含んでいる。
プログラム・マネジャーを四~六年で交代させてマンネリ化を防ぎ、フレッシュな若手を積極的に登用することなどは、その一つだ。
新たに抜擢されるマネジャーには、前任者のアイデアや成果にあえて挑戦状を叩きつける気概が期待される。
またDARPAは経費を極力抑え、物理的な施設・設備の投資も最小限に抑えている。
これは、枠にはまってしまい、新しい方向に足を踏み出す勇気を失うことを防ぐ措置である。
これらの方針は、イノベーションの阻害要因をしっかりみきわめたからこそ、立てられたものだ。
「有能な人材を定着させる」とか「イノベーション文化を根づかせる」といった具体策を伴わない願望とは、DARPAは無縁なのである。

DARPAの戦略には、良い戦略に共通する構造が備わっている。
すなわち、自らの課題を注意深くみきわめ、現実の世界で困難の克服にのみリソースと行動を集中する方針を立てている。

悪い戦略の特徴3 目標を戦略ととりちがえている p66

グラフィックアート会社を経営するチャド・ローガンと知り合ったのは、あるセミナーの席上でのことである。
彼はセミナーの後で自己紹介し、ウチの経営チームの「戦略思考」にアドバイスしてくれないか、と依頼してきた。

ローガンの会社は、出版社、広告代理店、企業などから高度なカスタム印刷を請け負っている。
ローガン自身は、学生時代はスポーツで鳴らし、その後グラフィックアーティストに転身し、この会社で営業をやっていたという魅力的な人物である。
彼は創業者の甥だったため、創業者が二年前に死んだとき経営を引き継いでいた。
同社の事業は、大人数のデザイン部門と三つの営業チーム(メディア、法人、デジタル)で編成されている。

ダウンタウンのオフィスと作業スペースは広々としており、CEOの会議室は豪奢なチーク張り。
これまでに制作した作品が照明の中に浮かび上がり、磨き上げられたテーブルに反射していた。

ローガンによれば、同社の戦略目標はきわめてシンプルである。
名づけて二〇/二〇プランという。
これはつまり、売上高を毎年二〇%伸ばし、利益率を二〇%以上にすることだそうだ。
「戦略はもう決まっているんだ。
われわれは成長し、利益を上げる。
残る課題は、その実現に向けて全員の士気を高めることだ。
そのためには、誰か経営チームのコーチングをしてくれる人が必要だと考えている。
戦略思考を浸透させてほしいんだ。
すぐにでも役に立つようにね」

私は戸惑いながら、二〇/二〇プラン以外に戦略はないのかと質問した。
彼はテーブル越しに書類を渡してよこした。
表紙には「二〇〇五年度戦略プラン」と書かれている。
その大半は売上高、コスト、粗利益、営業利益といった数字で、過去五年分の実績と今後四年間の業績予想が示されていた。
過去の実績を見ると、シェアはほぼ一定で推移し、税引後利益の売上高はほぼ一二%と、業界では平均的な水準だった。
それなのに、売上高を毎年二〇%増やし、利益率を二〇%以上にするという。

「わが社の主要戦略」として挙げられているのは、次の項目だった。

・お客さまに選ばれる会社になる。
・創造性にあふれる独自のソリューションを提供する。
・売上高を毎年二〇%伸ばす。
・利益率を最低でも二〇%確保する。
・意欲的に取り組む文化を根づかせる。
・オーブンな意見交換のできる職場にする。
・会社の営業圏の地域コミュニティに貢献する。

「いろんな人の意見を聞いてこれを作るのに三週間かけたんだ」とローガンは満足そうだった。
「いい戦略だと信じているよ。働いていることが誇りに思えるような、そういう会社にしたいんだ。この戦略を実現できたら、きっとそうなる」

「二〇/二〇プランは非常に意欲的な財務目標だと思う」と私は言った。
「これを達成するにはどうしたらいいか、何か考えはあるのか」

ローガンは指で書類を叩きながら力強く言った。
「フットボールの選手をしていたときに学んだのは、勝利には力と技術が必要だが、それより何より勝つという意志が大事だということだった。
絶対に勝つ、そういう強い気持ちだ。
ウチのマネジャーもスタッフもよく働くし、デジタル技術への転換もうまくいっている。
だが勤勉に働くことと、絶対にやり遂げるという意志を持つこととはちょっとちがう。
二〇/二〇プランは困難な目標だが、成功の秘訣は高い目標を持つことだ、そうじゃないか。
われわれは達成するまでやり抜く。
それが大事だ」

それは、私が期待していた答ではなかった。
私が知りたかったのは、何か飛躍のきっかけになるようなもの、テコの支点となるようなものがあるのか、言い換えれば、この安定した小さな会社が急激に売上を伸ばせると考える理由が何かあるのか、ということだった。
戦略とは、力を何倍にもするテコのようなものである。
もちろん、筋肉と意欲と網があれば、大きな岩を運ぶことはできるだろう。
だがテコとコロを使うほうがずっと賢い。

「チャド、君が狙っているような飛躍的な業績改善をめざすときには、何か圧倒的な強みを持っているとか、業界の変化によって新たな商機が生まれるといったことが必要だ。
いまの君の会社にとってテコの支点となりうる強みは何だろうか」

ローガンは不快そうに眉をひそめて唇をきっと結び、「あんたには何もわかっちゃいない」と言いたげな表情をした。
それから、一枚の紙切れを引き出しからとりだし、マーカーを引いた箇所を読み上げる。
「不可能と見えることをやり遂げて初めて、不可能が可能であることがわかる」。
そして説明した。
「ジャック・ウェルチがこう言っているんだ。だからわれわれにもできる」

私には、二〇/二〇プランが功を奏するとは思えなかった。
戦略目標は、もっと具体的で明確であるべきだ。
たとえば顧客への応答時間を半分に短縮するとか、フォーチュン五〇〇社から契約をとる、などである。
だがその状況でローガンと議論するのが建設的とは思えなかった。
クライアントと対話が成立しなければ、その後のタフなやりとりで成果を上げることはできない。
そこで私は「なるほど、わかった。じゃあ、この戦略プランを預からせてくれないか。数字を検討する時間がほしい」

とは言え、数字を検討する必要などないことはわかっていた。
私に必要なのは、どうすればローガンに力を貸せるかを考える時間だった。
彼は意欲もあるしいいヤツだ。
だがあのプランでは、どう行動すればいいのかさっぱりわからない。
ローガンは勇気や意欲や根性を信じているようだが、それは私には第一次世界大戦中のパッシェンデールの戦いを思い出させた。
第一次世界大戦が一九一四年に始まったとき、熱狂した群衆は通りを練り歩いて気勢を上げ、若者たちは帽子を空に飛ばして戦いにかける意気込みを誇示したものである。
時代の空気は意志の力、精神力、高揚感、士気といったものに満ち満ちており、とりわけフランスではそうだった。
続く三年間、連合軍の将軍は意気軒品な若者たちを戦場に送り込み、意味のないをほんの数マイル勝ちとるためだけに、数万、数十万の命を犠牲にした。

一九一七年に連合軍最高司令官のダグラス・ヘイグは、ベルギーのバッシェンデール村付近でドイツ軍に攻勢をかけることを決断した。
ドイツ軍の要塞線を突破してベルギー海岸までのルートを確保するとともに、ドイツ軍を分断する作戦である。
しかしこの地域はもともと埋め立てられた沼沢地で海抜が低く、ドイツの要塞を砲撃すると堤防を破壊し、戦場が浸水する恐れがあった。
ヘイグにもその情報は伝えられ、危険性が指摘されたが、それでも彼は作戦に固執した。
砲撃が開始されると案のすぐに堤防は破れ、戦場は大規模なぬかるみと化してしまう。
兵士たちは膝、さらには腰までにつかり、戦車も馬も沈み、負傷兵は溺死した。

ヘイグは前年にソンムの戦いでイギリス軍一〇万人の死の責任を問われており、作戦がうまくいかなかったときは先発隊を呼び戻す約束をさせられていた。
しかしヘイグは約束を守らず、損害が拡大する一方だというのに、「最後のもうひとふんばり」が三ヶ月にわたって続けられた。
最後の一〇日間の攻勢では、カナダ軍二個師団が泥と友軍兵士の死体が散らばる戦場に投入され、まともに敵の機銃掃射を浴び、小さな丘を奪取するために一万六〇〇〇の戦死者を出した。
三ヶ月の戦いで得たのはわずか五マイルの前進に過ぎない。
連合軍は七万の兵士を失い二五万が負傷した。
ウィンストン・チャーチルは、パッシェンデールの戦いについて「膨大な勇気と命を差し出して、それにふさわしい戦果は何も得られなかった」と述べている。

ソンムとパッシェンデールで、ヘイグは英国軍と旧英連邦派遣軍の若い兵士まるまる一世代を死なせてしまった。
フランス軍のジョゼフ・ジョフルはやはりソンムで、ドイツ軍のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインはヴェルダンで、同じ過ちを犯している。

パッシェンデールの教訓はいまもヨーロッパで生きている。
たとえばアメリカではモチベーションが重視され、実業家で政治家のロス・ペローが「多くの人はあと一歩というところであきらめてしまう。
勝利のタッチダウンまでほんの一ヤードまで来ていながら、最後のひとふんばりが足りないのだ」などと言うと、大勢の人が賛同する。
だがヨーロッパの人々は、「最後のひとふんばり」という言葉を聞くと、バッシェンデールを思い出すのだ。
あの戦いでは、大量の犠牲を出した連合軍にけっしてやる気がなかったわけではない。
彼らに欠けていたのは、有能で戦略的な指揮官だった。
がんばることは人生において大事ではあるが、「最後のひとふんばり」をひたすら要求するだけのリーダーは能がない。
リーダーの仕事は、効果的にがんばれるような状況を作り出すことであり、努力する価値のある戦略を立てることである。
数日後、私はチャド・ローガンに会い、自分の考えを述べたうえで、それでも私に仕事を依頼したいかどうか決めるように言った。

「先日見せてもらった戦略プランはとても野心的だが、あれは戦略ではない。
私にはあれが有効とは思えないし、経営チームがあれに沿って行動を起こせるとも思えない。

私からアドバイスしたいのは、まず会社にとって最も有望な機会は何かを、見つけることだ。
そうした機会は社内にあるのかもしれない。
たとえば制作工程のボトルネックを解消するとか、作業上の障害物を取り除くといったようにね。
あるいは社外にあるのかもしれない。
機会を発見するためには、少人数のチームを編成し、一ヶ月ほど時間をかけて調査をするといいだろう。
会社のサービスの買い手は誰なのか、競合相手は誰で、どんな強みを持っているのか、どんな新しいサービスが可能か、開拓可能な見込み客は誰か、そういうことを調べるんだ。
自分の業界にどんな変化が起きているか、くわしく調査することはどんなときにも役に立つ。
そこに飛躍のヒントが隠されているかもしれない。
調査でわかったことはすべて経営チームで共有し、検討する。
もし君が望むなら、このプロセスをお手伝いすることはできるし、調査結果を検討するに当たってアドバイスすることもできる。
こうすれば、一つか二つの最も魅力的な機会やブレークスルーにエネルギーを投入する戦略ができあがるはずだ。

どこにどんな機会があるのか、いまの段階ではわからない。
売上高がどの程度伸びるのかもわからない。
新しいサービスを始めることになるのか、赤字事業から手を引くのか、いま優位の事業を一段と強化するのか、それもわからない。
請け合えるのは、最も重要なターゲットを絞り込んだリストができあがるだろう、ということだけだ。
それをベースに前へ進めばいい。
少なくとも、私が経営者ならそうする。

いまの君の方針では、モチベーションだけが頼りということになる。
率直に言って、そのやり方は奨められない。
ビジネスの競争は力と意志だけではどうにもならないからだ。
モノを言うのは洞察力や差異化を図る能力だ。
私のみるところ、モチベーションだけで君の掲げる目標を達成できるとは思えない」

ローガンは礼を言い、一週間後に別のコンサルタントを雇ったと連絡してきた。
その新しいコンサルタントの指導の下で、マネジャーたちは「ビジョニング」というエクササイズをしているそうである。
これは、望ましい将来のイメージを思い描くことであるらしい。
「この会社はどれほど大きくなれるでしょうか」とファシリテーターが訊ねる。
そして「もっと大きく」「もっともっと大きく」と要求する。
翌日になると「二倍に大きくなった会社を想像しましょう」。
ローガンは喜んでいる。
私も別の仕事ができるので喜んでいる。
ローガンの戦略プランは、戦略ではなく業績目標である。
ローガンの会社だけでなく、多くの企業がこのとりちがえをしている。

経営者は戦略が必要だと理解しているが、戦略プランニングと呼ばれるプロセスには不満を抱いている人が多い。
というのも、ほとんどの企業では、基本的に業績予想に基づいて三年あるいは五年単位の継続的な予算を組むことをプランニングと称しているからだ。
これでは、予算編成とセットで戦略ができあがるという誤解を与えかねない。

もちろん、計画を立てるのは悪いことではない。
いや、経営には必須の作業である。
たとえば急成長中の小売チェーンだったら、土地購入、建設、店舗スタッフ教育などの計画が必要である。
このタイプの計画は資源計画と呼ばれ、出店スケジュールに合わせて必要な資材を順次調達し、遅れや不備をチェックするのに欠かせない。
またグローバル展開する企業なら、地域ごとの人材採用計画やオフィスの開設・拡張計画、資金調達計画などが必要になるだろう。

毎年繰り返されるこうしたプランニング・プロセスをどうしても「戦略プランニング」と呼びたければそうしてもいいが、これらは戦略ではない。
なぜなら、より上をめざす道筋をつけることはできないからである。
より上をめざすためには、機会をみきわめたうえで前進を阻む障害物を見抜き、乗り越える方法を考えなければならない。
それは製品の差異化を図ることかもしれないし、販売網の見直しかもしれないし、組織改革かもしれない。
あるいはまた、外部環境の変化、たとえば技術、顧客の嗜好、法規制、資源価格、競争相手の動向などをみきわめてそれをうまく活かすことかもしれない。
どの道を選ぶのが最も実りが多いかを判断し、自社の知識、資源、エネルギーをそこに集中的に投入する方法を設計することが、リーダーの仕事である。
機会も、障害物も、変化も、年一回セットになってやってくるわけではない。
したがって、戦略策定は時に応じて必要になるものであって、毎年機械的に行う性格のものではない。

悪い戦略の特徴4 まちがった戦略目標を掲げる p74

一般的な企業では、ミドルマネジャー個人の目標は上司が決めることが多いだろう。
少し開けた企業なら、上司と一緒に目標を決めるのかもしれない。
どちらの場合にも、そうやって決めた目標を達成するにはどうしたらいいか、戦略を考えることになるだろう。
これはまったく自然な流れと言える。
だがこのやり方をトップレベルの経営幹部に当てはめるのは、大きなまちがいだ。

CEOや社長を始めとする経営幹部は、一般の社員より多くの権限を持ち、目標設定に関する自由度が高い。
有能なリーダーは場当たり的に目標を追いかけるようなことはせず、どれを優先すべきかを決める。
そのうえで社内の各部署が追求すべき下位の目標を設定する。
この下位の目標が戦略目標に相当し、どのような戦略でも遂行の決め手となる。
リーダーになるということは、「誰かが自分の目標を決めてくれる」ポジションから「組織の目標を自分で決める」ポジションに移ることを意味する。
これこそがリーダーとしての課題と言えよう。

リーダーは、組織としての理想や価値観や期待を表す「努力目標」あるいは「最終目標」と、戦略実行のための「戦略目標」を明確に区別することが望ましい。
たとえばアメリカにとって、自由、正義、平和、安全、幸福は最終目標と位置づけられ、それを実行可能な戦略目標に転換するのが戦略の役割になる。
たとえば「タリバンを倒してインフラを再建する」などは戦略目標に当たる。
最終目標に即して戦略目標を絶えず微調整するのはリーダーの大切な仕事である。

ここでは、急成長中の高級食品卸チェン・ブラザーズを紹介しよう。
チェン・ブラザーズの最終的な目標は、利益の拡大と働きやすい職場の実現、そして信頼できるオーガニック食品卸になることである。
これらは立派な目標であるが、戦略ではなく、むしろある種の枠組みであることを経営陣はわきまえていた(目標から逸脱した行動を排除するという意味で、良い目標はゲームのルールのような役割を果たす)。

では同社の戦略は何かと言えば、それは、大手スーパーでは扱わない高級食品や珍しい食材を高値で仕入れてくれる地元の食品店にターゲットを絞り込み、そこでシェアを拡大することである。
経営チームはターゲット顧客を三つのランクに分け、それぞれに戦略目標を設定している。
最も重要な目標は、第一ランクの食品店で圧倒的シェアを獲得すること。
続いて第二ランクでは売り込みに見合うシェアを獲得すること、第三ランクでは商品の浸透を図ることである。

最近になってグルメ・スーパーと呼ばれるホールフーズが急成長を遂げ、チェン・ブラザーズがターゲットにしていた地元の食品店を圧迫しはじめた。
そこで経営チームは、地元の食材メーカーに働きかけて仕入商品を一つのブランドとして統合し、ホールフーズに売り込むという新たな戦略を立てる。
この戦略を導入しても会社の最終目標は何ら変わらないが、戦略目標は見直さなければならない。
チェン・ブラザーズは仕入・販売からマーケティング、広告、財務担当者までそろえたホールフーズ・チームを発足させ、新ブランドのホールフーズへの売り込みに総力を挙げる。
この戦略目標が達成されると、次には他の商品の売り込みへ、さらには店頭シェア、地域シェアの拡大へと目標を修正していった。

このように、チェン・ブラザーズはビジョンや業績目標を戦略ととりちがえる誤りとは無縁である。
同社は一つか二つの重要な戦略目標を絞り込み、確実に実現させる戦略を立てている。
一つの目標が達成されると新たな機会が視界に入ってくるので、より高い目標を立てるというふうに、会社は前進を続けることができる。

寄せ集めの目標 p77

良い戦略は、一つか二つの決定的な目標にエネルギーとリソースを集中投下し、それを達成することによって次々と新しい展開へとつなげていく。
これに対して悪い戦略では、いろいろなことを詰め込みすぎてごった煮状態の目標が掲げられていることが多い。

長々しい「やることリスト」は単にやるべきことを列挙しただけであって、戦略目標とは言えない。
さまざまな部署から関係者が集まってそれぞれにやるべきこと、やってほしいことを言い合うような戦略プランニングをやっていると、えてして寄せ集めの「戦略プラン」ができやすい。
そして、さすがにこれではやることが多すぎてすぐにはできないと気づくのか、「長期的」という言葉が追加される。
これでもう、誰も今日明日にやる必要はない。

非現実的な目標 p78

悪い戦略目標の第二のタイプは、現実的でない目標である。
良い戦略は重要な課題をみきわめ、その課題にどう取り組むか、行動の道筋をつける。
言い換えれば願望と手の届く目標との橋渡しをする。
このため、良い戦略が設定する目標は、手持ちのリソースや能力で取り組んでも成功率が高い(達成率の高い目標については第7章でくわしく取り上げる)。
対照的に非現実的な目標は、単に願望を語るだけだったり、困難な課題を説明するだけだったりする。
つまり、それを実現あるいは克服するにはどうすればいいか、この肝心要のところが無視されている。

仮に課題を明確に意識し、それに取り組む意欲があったとしても、戦略目標が実行不能だったり非現実的だったりしたら、さしたる前進は望めないだろう。
良い戦略は、困難な課題を乗り越える現実的な方法を示す。
戦略目標がそもそもの課題と同じぐらい歯の立たないものだったら、戦略を立てる意味はない。

p80

これは、ブリューワーの立てた他の「戦略」についても言える。
たとえば、「信念・価値観・目標をすべての生徒および保護者と共有する学校・学区のリーダー・チームを発足させ、質の高い教育を実現するために継続的な改善に努める」という項目がそうだ。
そのためには「改革リーダーを置き、学校運営に必要とされるスキルをみきわめ、育成し、適用するプログラムに力を注ぐ」という。

これは、典型的な悪い戦略目標である。
第一に、「質の高い教育を実現」できていないのはなぜか、原因究明がまったく行われていない。
この点に真剣に取り組んでいたら、いろいろなことが見えていたはずである。
たとえば重点校では数十年にわたって成績不振が続いており、毎年生徒一人当たり二万五〇〇〇ドルを注ぎ込んでいるにもかかわらず、中学二年生になっても読み書きや足し算のできない生徒が大勢いる(註8)。
熱心な校長や先生はもちろんいるが、無能な先生も多い。
さらに、管理職がむやみに多い官僚的な組織が何事につけ改革を阻んできたこともわかっただろう。

第二に、「改革リーダー」なるものに何かを期待するのは、まったく非現実的である。
いったい、改革リーダーにはどのような権限があるのだろうか。
学校そのものは巨大な官僚制度と教職員組合にがっちり首根っこを押さえられており、改革リーダーにせよ誰にせよ、上層部の許可を得ない限り、学校で使う紙の色すら変えられないのだ。
まして、改革に非協力的な校長の退任を要求することなど、できるはずもない。
何をするにしても水面下の交渉や根回しが必要だという現状は、組織の硬直化とムダの多さを雄弁に物語っている。

ブリューワーの戦略で一つ興味深いのは、リーダー・チームは「信念・価値観・目標をすべての生徒および保護者と共有」すべきだと謳われていることである。
教育界では、最近よくこうした表現を耳にする。
こういうことを言う人たちは、北朝鮮のように全員が同じ価値観を抱き同じ信念を共にすることが学業成績の向上につながると信じているのだろうか。
もっともらしく聞こえるが実際にはあり得ないし望ましくもないこうした目標が、教育界ではいまだに追求されているらしい。

これと関連するもう一つの戦略に、「学校ごとに保護者、教師、学校職員、地域パートナーによるコミュニティを形成し、質の高い教育・学習の実現に向けて協力する」というものがある。
そのためには「コミュニティの連携」が必要であるとし、毎月のミーティング、年二回の保護者連絡協議会、ボランティア・プログラムを義務づけている。

コミュニティの関与は、教育にとって望ましいことかもしれない。
だがこれは、非現実的な目標である。
重点校三四校の問題は生徒の幼稚園時代から表れ、成長とともに深刻化する。
その主な原因は、これらの学校が貧しく無秩序な環境に置かれていることにある、と言えるだろう。
ロサンゼルス統合学区では、多くの生徒が不法移民か、不法移民の子供である。
名前も仮名なら住所も架空で、そもそも学校へ行かせたがらない親が多い。
ティーンエイジャーで母親になり学校を辞めてしまう子供も珍しくない。
このような環境で、低賃金の労働に従事している疲れ切った親たちが、コミュニティ活動などに参加できるはずはあるまい。
そしていまここに列挙したことこそ、良い戦略が認識し取り組まなければならない問題なのである。

p84

悪い戦略を生むもう一つの源泉は、アメリカの宗教運動ニューソート(New Thought)から派生したポジティブシンキングに代表される思考法である。
端的に言えば「信じれば思いは叶う」といった考え方で、チャド・ローガンはまさにこれだった。
悪い戦略を生む要因はほかにもあるが、主なものはいま挙げた三つである。
以下ではそれぞれについてくわしく説明したい。

困難な選択を避ける p84

良い戦略は重要な課題にフォーカスする。
となれば当然、たくさんある課題の中から選びとる作業が必要になる。
どれかを選んで残りは捨てなければならない。
この困難な作業をやらずに済ませようとすると、ごった煮ができあがってしまう。

一九九二年の初めに、私はデジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)の戦略会議に参加したことがある。
DECは一九六〇年代、七〇年代にミニコンピュータで全米最大手となり、ユーザー・フレンドリーなOSの開発でも知られた企業である。
しかし三二ビット・パソコンで出遅れて急速にシェアを失い、私が会議に呼ばれた時点では、何か大胆な改革を行わない限り存続も危ぶまれる状況に陥っていた。

会議には幹部全員が出席していたが、ここではキーパーソン三人だけを取り上げることにしたい。
三人の名前は、仮にアレック、ビバリー、クレイグとしておこう。
この三人は、会社の将来の方向性についてまったく異なる考えを持っていた。

アレックは、DECはこれからもずっと純粋なコンピュータ企業でありつづけ、使い勝手の良いハードウェアとソフトウェアの統合に力を入れていくべきだと主張した。

ビバリーは、アレックが主張するのは「箱もの戦略」だと批判し、「箱はすぐにコモディティ化する。
顧客が抱える問題に応じてソリューションを提供していくことが、これからのDECが生き残る道だ」と述べた。

クレイグは、コンピュータ産業の浮沈を決するのは何と言っても半導体技術であり、DECもチップの開発に本腰を入れるべきだという。
「われわれには顧客各社が抱える固有の問題にオーダーメイドのソリューションを提供する能力はない」とクレイグは断じた。
「そもそも自社の問題でさえ解決できずに右往左往しているんだからね」。
だがアレックもビバリーも、いまさらチップ開発に乗り出してもIBMやインテルに追いつけるはずがない、と懐疑的だった。

こういうときに、議論するのはやめてとりあえず三つともやってみればいいじゃないか、と言い出す人がいる。
だが、二つの理由からそれは好ましくない。
第一に、争いを避けるために全員の意見を採用するという方針をとった場合、誰も厳しく意見を吟味しなくなる。
最適の意見しか選択されないとわかっているからこそ、自分の提案に磨きをかけるのだし、出された意見の長所短所を真剣に評価するのである。
秩序ある議論では、しっかりした裏づけや納得のゆく根拠が要求されるので、説得力のある意見はより堅固になり、根拠に乏しい意見は淘汰されて、妥当な選択につながりやすい。
第二に、チップ戦略とソリューション戦略では、DECがこれまでに持っていなかったスキルを追求する大々的な変革が必要である。
この二つの戦略を成功させるには、能力開発とともに業務の抜本的な見直しもしなければならない。
会社の存続がかかっているときにはあまりにリスクの大きい戦略であり、箱もの戦略が失敗に終わった場合以外、手を出すべきではない。
またその場合でも、両者を同時に追求するのは、共通性がほとんどないため無理がある。
二正面作戦は、何事につけ成功率が低い。
DECの三つの選択肢(箱もの、チップ、ソリューション)に関するアレック、ビバリー、クレイグの優先順位は上のとおりである。

つまり三すくみ状態になっており、「コンドルセのパラドクス」が成り立つことがわかる(註1)。
コンドルセのパラドクスとは、次のようなものである。
三すくみ状態を解決するために、まず箱ものとチップで決選投票をする。
アレックとビバリーは箱ものに投票するので、箱ものが勝つ。
次に箱ものとソリューションで対決すると、今度は、チップを打ち負かした箱ものにソリューションが勝つ。
この結果に納得できないクレイグが、ソリューションとチップで勝負しようと言い出したとしよう。
すると何たること、チップがソリューションに勝ってしまう。
こうした次第で、いっこうに最終勝者は決まらない。
これが、フランスの数学者コンドルセを悩ませたパラドクスである。

この問題を解決するには、各自が優先順位に重みをつける方法が考えられる。
この重みを足し合わせれば、勝者は簡単に決められるはずだ。
しかしノーベル経済学賞を受賞したケネス・アローは、これでは実のある結果は得られないと主張している(註2)。
このような集団の不合理は民主投票においてつねに悩ましい問題であり、その解決方法は高校の社会科では教えてくれない。

DECの戦略会議では、投票は行われなかった。
だが結論はいっこうに出ず、会議は手詰まり状態になってしまう。
ビバリーがクレイグと結束してソリューション戦略を推進しようとすれば、アレックはチップ戦略でクレイグに協力を申し出る、それを見たビバリーが箱もの戦略に肩入れするという具合で、三人のうち二人が安定的な多数派を形成することができないため、議論は膠着状態に陥った。
同程度の地位と影響力を持つ三人が自説を主張して譲らないため、議論は白熱した。
三人とも私利私欲に駆られているわけではなく、会社の将来を真剣に考えてのことだけに、妥協する気配がない。

DECのケン・オルセンCEOは苛立ち、なんとか意見をまとめろと指示する。
これはまったく不適切な指示だった。
三人の意見にはどこにも共通点がなく、上下関係から言っても誰かが譲歩する必然性はなかったからである。
結局戦略会議が「まとめた」のは、次のようなステートメントだった。

「DECは高品質の製品およびサービスを提供するために努力し、データ処理で業界トップをめざす」

この空疎で毒にも薬にもならないステートメントは、もちろん戦略ではない。
意見を一つにまとめなければならないが、どれを取ってどれを捨てるかを決めるのがむずかしいときはえてしてこのような結果になりがちである。
選ぶという困難な作業を避け、どの意見も捨てず、誰の体面も傷つけないようにしていたら、良い戦略は生まれない。

ケン・オルセンは一九九二年六月に更迭され、半導体事業を率いていたロバート・パルマーが新CEOに就任した。
パルマーはただちにチップ戦略の推進を宣言し、ほどなく黒字転換に成功する。
だが、パソコンの高性能化の流れに乗ることはできず、結局一九九八年にコンパックに買収され、そのコンパックも三年後にヒューレット・パッカードに買収されることになった。

成功している企業で重大な戦略変更をするのはむずかしく、オオカミが戸口に迫ってくるまで決断できないケースがよくある。
いやそれどころか、オオカミがドアを引っ掻きはじめてようやく決断にいたるケースも少なくない。
これらはすべて、良い戦略を立てるのは容易ではないからである。
Cの場合、オオカミはすでに一九八八年の時点で戸口に迫っていた。
だがさまざまな立場にある人たちの知恵と知識を結集し、異なる意見を吟味して選択する作業は先送りされた。
オオカミがドアをぶち破って入ってきたときになって、ようやく一つの戦略が選択された――だがそれは五年も遅すぎたのである。
戦略や競争優位についてはさまざまな理論が展開されているが、戦略策定のむずかしさは、結局のところ選択そのものにある。
一つか二つの課題に絞り込んで結果を出そうとするのだから、どうしても選択しなければならない。
戦略は一本の柱、一本の道なのであって、あれこれと願望を表明する手段ではない。
真の戦略を持つためには、一つを選んで他を捨てなければならないのである。
だが夢や希望に「ノー」と言うのは、心理的にも、政治的にも、組織運営上もむずかしい。

p89

的を絞り込んだ戦略では、明確な目標にリソースを集中させる。
そのためには、戦略目標以外からリソースを引き揚げて戦略目標に回さなければならない。
これは、選択と集中の必然的な結果である。
だが、それまで予算も人員も潤沢に投じられていた事業やプロジェクトを打ち切るのは、大きな苦痛を伴う。
インテルのCEOアンディ・グローブは、まさにこの困難に直面した。
半導体記憶素子DRAMの製造を打ち切り、マイクロプロセッサに集中するという選択は、心情的にも政治的にもきわめてむずかしいものだった。

インテルは半導体メモリからスタートした会社で、さまざまな高度な技術を開発したことで知られる。
だが一九八四年になる頃には、インテルがDRAMで日本企業との価格競争に耐えられないことがはっきりしていた。
赤字を垂れ流しながらも「赤字を出す余裕があったからひたすらがんばっていた」のだとグローブは話す。
だが赤字は増える一方だというのに、経営陣はどうすべきか決断できず、果てしない議論を続けるだけだった。
ターニングポイントは一九八五年だったとグローブは回想する。
その年のある日、グローブはインテルの会長であるゴードン・ムーアに憂鬱な質問を発したのだ。
「もしわれわれが更迭され、取締役会が新しいCEOを連れてきたとしたら、その男はまず何をすると思いますか」。
ムーアは即答した。
「メモリ事業から撤退するだろう」。
グローブはしばしこの言葉を噛みしめ、それからおもむろに言った。
「ではなぜわれわれが、クビになったつもりになって、それをやらないんです?」(註4)

これだけ決心を固めてからも、実際に改革を断行するまでにはなお一年を要した。
なにしろメモリ事業は長いこと中核事業として研究、製造、キャリア形成いずれの面でも花形でありつづけ、インテルの誇りそのものだったのである。
営業部門は顧客の怒りを買うとして困惑し、研究陣はメモリ関連の予算打ち切りに猛反発した。
それでもグローブはぐらつかず、メモリ事業からの撤退とマイクロプロセッサへの転換を断固として推進する。
やがて三二ビットの386プロセッサの成功により、一九九二年にはインテルは半導体で世界最大手に上り詰めていた。

戦略を転換し資金や人材やエネルギーや注意をどこか一カ所に集中しようとすれば、会社そのものに倒産の危機が迫っているようなときは別として、必ず不利益を被る人が出てくる。
したがってこの人たちは、戦略の転換に頑固に反対する。
大きな企業の場合、これは避けられない事態と言える。
戦略についての話し合いがいくら行われても、どれほど説得されても、この人たちは変化を望まない。
そしてリーダーが選択に踏み切れず、新しい戦略を導入することができないと、八方美人型あるいは当たり障りのない戦略もどきでお茶を濁すことになる。
そのような戦略もどきが発表されたら、それはリーダーに困難な選択を貫き通す強固な意志や政治力が欠けていることの証拠と言える。
盛りだくさんの目標を掲げる企業では、選択が行われていないと考えてよい。

p93

もちろん、誰もがこの流れに乗ったわけではない。
経営学の巨人と言われるピーター・ドラッカーは「有能なリーダーはカリスマ性には頼らない。
ドワイト・アイゼンハワー、ジョージ・マーシャル、ハリー・トルーマンはすばらしいリーダーだったが、カリスマ性とは無縁だった。
(中略)
カリスマ的な魅力があるからと言って、それだけでリーダーとして有能だということにはならない」と述べている。

ともあれ、カリスマ的リーダーあるいは変革リーダー論で革新的なのは、リーダーの公式が編み出されたことである。
それは、おおむね次のようなものだ。
第一に、ビジョンを持っている。
第二に、周囲の人を「組織のために尽くそう」という気にさせる。
第三に、人々に自信と力を与えてビジョンの実現をめざす。
このほかに、モラル、献身、責任感といったことを重視する研究者もいる。

こうした図式化されたモデルは、高学歴の人たちの間でひどく人気が高い。
彼らは同じく高学歴の部下を管理しなければならない立場であり、組織の変革は必要だが部下に命令するのはいやだという矛盾した感情を抱いている。
だから、命令するのではなく「その気にさせる」「力づける」というアプローチはたいへん好ましい。

このようなリーダー観についてとやかく言うつもりはないが、変革リーダーの存在が良い戦略を保障するものではないことだけは言っておきたい。
強力なリーダーは、戦略遂行の意欲や自己犠牲を引き出すことはできるだろう。
そして、苦痛を伴う変革を受け入れさせることもできるかもしれない。
しかしそれは、追求する価値と実現する可能性を備えた戦略そのものを立てることとは、まったく別のことである。

p107

強く念じることや自分の内面を磨くことでパワーが出るものかどうか、私は知らない。
だが、精神から発する光が現実の世界を変えられるとか、成功すると思えば成功すると信じるのは一種の妄想であって、経営や戦略への取り組み姿勢としては奨められないことだけは確かだ。
分析というものは起こりうる事態を考えるところからスタートするのであって、その中には好ましくない事態も当然含まれる。
大空を飛ぶイメージだけを思い浮かべ失敗を考えたことのない人々の手で設計された飛行機には、私は乗りたくない。
だが想念だけでビジョンは実現するという教えは多くの人を心酔させてきた。
そのような教えを信じることは、批判的に考える能力を捨て、良い戦略をあきらめることにほかならないと私には思える。

第5章 良い戦略の基本構造 p108

良い戦略は、十分にしたしっかりした基本構造を持っており、一貫した行動に直結する。
この基本構造を「カーネル(核)」と呼ぶことは、すでに述べたとおりである。
良い戦略がカーネルだけで成り立っているわけではないが、カーネルがなかったりまちがっていたりすると、深刻な事態になりかねない。
カーネルを理解してしまえば、戦略は立てるのも表現するのも評価するのも容易になる。
カーネルを組み立てるときに、ビジョンやミッションや目標や戦術をあれこれ考える必要はなく、先行者利得や競争優位を追求する必要もない。
経営戦略、事業戦略、製品戦略等々に分けることも無用だ。
ずばり単刀直入なのが良い戦略である。

カーネルは、次の三つの要素から構成される。

1 診断――状況を診断し、取り組むべき課題をみきわめる。良い診断は死活的に重要な問題点を選り分け、複雑に絡み合った状況を明快に解きほぐす。
2 基本方針――診断で見つかった課題にどう取り組むか、大きな方向性と総合的な方針を示す。
3 行動――ここで行動と呼ぶのは、基本方針を実行するために設計された一貫性のある一連の行動のことである。すべての行動をコーディネートして方針を実行する。

それでは、いくつか例を挙げておこう。

・医師にとって解決すべき問題は、病気の兆候あるいは症状を示し、既往症を持つ患者そのものである。
医師は診断を行い、病名をつける。
次に、治療法を決める。
これは基本方針に相当する。
そして、治療法に基づいて食餌療法、投薬など一連の行動を調整し、治癒をめざす。

・外交政策では、むずかしい局面に直面したとき、過去の類似の状況を参照しながら診断することが多い。
そして、過去にある程度成功したアプローチに基づいて基本方針が決められる。
したがって、仮にイランのマフムード・アフマディネジャド大統領を「第二のヒトラー」と診断したら、基本方針として戦争が選ばれるだろう。
しかし「第二のカダフィ」と診断した場合には、水面下の接触を通じて圧力をかけるといった方針が選ばれるかもしれない。
外交政策では、経済、外交、国防当局が連携して一貫した行動をとる。

・企業の場合、取り組むべき課題は変化や競争への対応であることが多い。
企業にとって大切なのは、やみくもに業績目標を掲げるのではなく、状況を診断して課題の本質をみきわめることである。
この診断がついたら、どうすれば最も効率的かつ効果的に対処できるか、方針を決める。
そして一連の行動とリソース配分をデザインし、方針を実行に移す。

・大規模な組織の多くは、内部に問題を抱えていることが多い。
つまり外部との競争よりも、時代遅れの業務慣行、官僚主義、既得権益、縦割り組織、旧態依然の経営手法などのほうが深刻な問麺となっている。
したがって、こうした問題点をみきわめ、組織改革や組織再生の基本方針を打ち出すことが必要である。
この方針に基づいて、人事の刷新や業務手続きの見直し、権力構造の解体・再編など一連の行動をとることになる。
こうした問題が存在しないというときには、新分野の開拓や競争優位の確立といったことが課題になるだろう。

三つの要素を私がカーネルと呼ぶのは、戦略の屋台骨であり、なくてはならない存在であることを強調したいからである。
カーネルは壮大なビジョンとは無縁で、目標や中間目標や年間目標といったものとも関係がなく、期限すらない。
こうしたものは、脇役に過ぎない。
カーネルは戦略の考え方を表し、戦略の策定を促し、戦略を表現し、行動へと駆り立てる。
カーネルはまた、戦略を分析・評価するときの手がかりにもなる。
繰り返しになるが、戦略の核は状況の診断、診断で明らかになった課題に取り組む基本方針、基本方針に基づく一貫した行動である。
以下では、一つひとつについてくわしく検討する。

1 診断 p111

同僚のジョン・マメーは、UCLAアンダーソン・スクールの学部長を退任した後、学生に教えるコツを知りたいと言って私のクラスに一〇回ほど参加したことがある。
そして七回目ぐらいだったか、私たちはクラスの後で教育談義をし、戦略コースの授業は質問で成り立っているという話になった。
質問を重ねていくことによって複雑な状況を整理し、過去の例との関連性を見出して、解決の糸口をつかめるのだと私が言うと、ジョンはしばらく私の顔を見てから、おもむろにこう言ったものである。
「でも君は、クラスで一種類の質問しかしていないように見えるけどね。つまりそれは、いま何が起きているのか、という質問だよ」

そのようにずばりと言われたことはなかったので私は少々鼻白んだが、しかしジョンの指摘はまったく正しかった。
実際、戦略を立てる作業の多くは、何が起きているのかを洗い出すことにある。
何をするか決めることだけが戦略ではない。
より根本的な問題は、状況を完全に把握することである。

診断では、少なくとも悪い箇所を特定し、病名をはっきりさせなければならない。
断片的な兆候や症状からパターンを割り出し、どこに注意を払い、どれはあまり気にしなくてよいかを選別する。
すぐれた診断は、ときに状況に対する見方を変え、まったく新しい見通しを示してくれる。
診断によって、目の前の状況のタイプやパターンがわかれば、過去の類似の状況を探してヒントを得ることができる。
また信頼できる診断が下されれば、従来の戦略を評価できるようになるので、それを軌道修正したり、状況に応じて方針転換したりすることも可能になる。

p113

状況を適切に診断できたときは、複雑な現状が整理され、よりシンプルな形で提示される。
この整理された形を見れば、どこに注意を払うべきかがわかりやすい。
そして何がほんとうの問題なのかを理解し、解決に向けて前進することが可能になる。

2 基本方針 p117

基本方針は、診断によって判明した障害物を乗り越えるために、どのようなアプローチで臨むかを示す。
「基本」という言葉がついているのは、大きな方向性を指し示すだけで、具体的に何をすべきかを逐一教えるものではないからだ。
ケナンの封じ込め政策や、ガースナーのオーダーメイドのソリューション提供という方針は、まさしく基本方針に当たる。
ちょうどガードレールのように、基本方針は行動を一定の方向に導き逸脱を防止する。
しかしこまかい内容は指示しない。

良い基本方針は、目標やビジョンではないし、願望の表現でもない。
難局に立ち向かう方法を固め、他の選択肢を排除するのが基本方針である。

p118

賢明な読者はすでにお気づきかもしれないが、私が「基本方針」と呼ぶものを戦略と称している企業がかなり多く見受けられる。
だが、戦略を基本方針で代用するのはまちがっている。
診断を伴わない場合、どのような方針が可能か、比較検討して選ぶことができない。
また基本方針に沿って行動を起こしてみないと、その方針が現実に実行可能かどうかを確認することもできないだろう。
良い戦略とは「何をやるか」を示すだけでなく、「なぜやるのか」「どうやるのか」を示すものであるべきだ。

良い基本方針は、埋もれていた強みを引き出し、あるいは新たな優位性の源泉を開発して難局を打開する。
いやむしろ、こうした優位性を見つけることこそが戦略の要諦と言えよう。
テコを使えば力を何倍にもできるように、戦略的優位があれば、リソースや行動の効果を何倍にも大きくすることができる。
優位と言うとすぐに競争優位を思い浮かべる人が少なくないが、非営利組織や公的機関も、良い戦略によってリソースや行動の効果を高めることができる。

現代の企業戦略では、とかく競争に勝つことが最優先され、基本方針なしにいきなりこまかい戦術に移ってしまう例が多い。
コスト削減、ブランド力の強化、開発サイクルの短縮、顧客情報の収集……。
たしかにこれらはどれも、競争優位にはつながるだろう。
だがそれよりも大切なのは、より広い視野から自社の戦略的優位性を探すことである。

また、良い基本方針を持つこと自体も一つの優位になる。
良い基本方針は、こちらの行動がどのような反応を招くかまで予測したうえで、行動の方向を示す。
また、決定的な一点に努力を集中することによって、大きな効果を上げる。
さらに、手当り次第にいろいろなことを試すのではなく、一貫した行動を呼び起こす。
こうした意味で、良い基本方針それ自体が強みとなる(この点については、第5章でくわしく取り上げる)。

たとえばガースナーが掲げた「顧客にソリューションを提供する」という方針は、データ処理に関する世界トップクラスの技術力と専門知識というIBMの無形の強みを活かすものだった。
だがそれだけでなく、悩める巨象に将来の方向性を明確に示して不確実性をぬぐい去り、膨大なリソースを具体的な目標に集中投下するプロセスを始動させたという点で、この方針をのものもIBMの強みになったと言える。

では、基本方針は実際にどのように作用するのかを、身近な例で説明しよう。
友人のステファニーは、町の小さな食品店のオーナーである。
彼女は仕入れもすれば帳簿を付け、従業員の採用や管理も行い、忙しいときには自らレジ打ちもする。
店に関するあらゆる決断はステファニーが下す。
数年前、私は相談を受けた。
これからもずっと安値で売りつづけるべきだろうか、それとも多少高くても鮮度の良い食品や有機食品を扱う方向に転じるべきだろうか。
地元に多いアジア人学生のためにアジアの食品を仕入れるべきだろうか。
有能で感じの良い店員を雇うことはお客の定着にどの程度役立つのだろうか。
高い給料を払ってでもそういう人材を確保すべきだろうか。
レジカウンターをもう一つ備えたいが、元がとれるだろうか。
駐車スペースも必要だろうか。
地元の大学の新聞に広告を出すべきだろうか。
天井はグリーンにすべきか、白がいいか。
毎週何かをセール品にすべきだろうか、するとしてどんなアイテムをセール価格にしたらよいだろうか……。

経済学者なら、利益を最大化するような行動をとりなさい、と言うだろう。
これは学問的には正しいかもしれないが、まったく役に立たないアドバイスである。
経済学の教科書には、収入と費用の差を最大にするような生産量Qを選べ、と書いてある。
だが現実の世界では、「利益を最大化せよ」と言われても困ってしまう。
値上げをするのか、経費を切り詰めるのか、人員を削減するのか、仕入れ値を値切るのか、広告をして客を増やすのか……町の小さな食品店でも、可能な手段はたくさんあり、どれどれをどう調整するか、組み合わせは数百、数千通りもあるだろう。
大企業になれば、それこそ星の数ほどやり方はあるはずだ。

まずは何が頭痛の種なのか、診断するようにアドバイスすると、ステファニーは、地元にできたスーパーマーケットとの競合が問題だと答えた。
そのスーパーは年中無休のうえ、値段も安い。
そういう強敵から客を奪うにはどうすればよいのか。
ステファニーによれば、店の客の大半は、近くに住んでいるか働いている人たちで、歩いてやって来るという。

毎日のように来る常連客もおり、その多くは地元の大学の学生か、地元企業で働くサラリーマンに二分される。
学生は値段重視、会社員は時間重視で、短時間で買い物を済ませられる点がスーパーよりも好まれている。
こうして状況を整理した結果、さまざまな疑問に頭を悩ませていたステファニーの前に明確な選択肢が姿を現した。

もちろん、両方の客層のニーズに応える一石二鳥の戦略があるなら、二者択一をする必要はない。
だがステファニーの場合、両者のちがいは大きく、二兎を追うのは無理があった。
客の数としては学生のほうが多いが、よりお金を落としてくれるのはサラリーマンのほうである。
考え抜いた末に、ステファニーは「忙しく働く人たちのニーズに応える」ことを基本方針に選び、さらに具体的に「忙しくて料理をする時間のない人」をターゲットに絞り込んだ。

この基本方針が唯一絶対なのか、あるいはベストなのかを確かめる方法はない。
だがとにもかくにも基本方針がなかったら、どう行動するかが決まらない。
おそらくステファニーの行動も、リソースの配分も、一貫性を欠くものになっていただろう。
あちらに手を付け、こちらに目を配り、あれをやってはギブアップし、これをやってみる、という具合になっていたにちがいない。
重要なのは、基本方針を定めることによって、無数にあった手段の中から方針に沿った行動を選び、一貫性をもって取り組めるようになることである。
「仕事が忙しくて料理をする時間がとれない人」のニーズを考えて、ステファニーは二台目のレジカウンターを設け、夕方五時前後の混雑時に備えた。
いずれ駐車スペースも用意することになるだろう。
また、スナック菓子の棚を減らして高級総菜を導入することも検討中だ。
さらに、会社員は学生とちがって真夜中に買い出しはしないから、終夜営業の必要はなさそうである。
それよりも、退社時刻や昼食時に店員を多めに配置するほうがよい。
このように、しっかりした基本方針を立てれば、その後の行動が次々に決められるし、いくつもの行動をうまくコーディネートして、目的達成に集中することができる。

3 行動 p122

多くの人が基本方針を戦略と名づけて、そこで終わってしまう。
これは、大きなまちがいだ。
戦略は行動につながるべきものであり、何かを動き出させるものでなければならない。
戦略のカーネルには、行動が含まれていなければならないと私は確信している。
もちろん、すべての行動を書き連ねる必要はないが、具体的に何をすべきなのかは明確にしなければならない。
より大きな効果を上げるためには、調和と連携がとれ、相互に補い合い、組織のエネルギーを集中するような行動が必要である。

行動へと足を踏み出す p122

世界トップクラスのビジネススクールINSEADは、ハーバードの教授だったジョルジュ・ドリオが創設した。
INSEADの図書館にはドリオの胸像が飾られ、「行動せよ。考えているだけでは世界は始まらない」という言葉が刻まれている。

行動を妨げるのは、多くの場合、苦痛を伴う選択は避けられるという当てのない希望である。
盛りだくさんの「やることリスト」を作り、全部達成することは可能だと考えたがる人が多すぎる。
最も優先すべきことを決めるのは、戦略を立てる中で最も困難な作業である。
この作業を完了して初めて、行動に移すことが可能になる。
そして逆説的なことだが、行動の必要性こそが、戦略をより的確に、より明確にするのである。

p126

この社長が抱えていたのは、製品開発や競争ではなく、根本的には組織の問題だった。
問題の性質が何であれ、戦略のカーネル(診断、基本方針、行動)は適用することができるし、どれほど複雑な状況であっても必要とされる行動は意外にシンプルなものだ。
ただ多くの場合、それをやらずに済ませたい、済ませられるだろう、という希望的観測が邪魔をする。
おそらく大勢の人が、対立や矛盾をあざやかに解決できる魔法のような方法がきっとあるにちがいない、と考えているのだろう。
だが戦略の極意は、ほんとうに重要な問題をみきわめ、そこにリソースや行動を集中することにある。
これは、非常に厳しい。
何かに集中すれば、それ以外を捨てることになるからだ。

一貫した行動を組織する p127

良い戦略のカーネルから導かれる行動は、矛盾や対立がなく一貫したものとなる。
すなわち、リソースの配分、具体的な行動計画、実際の行動がみごとにかみ合っている。
戦略が実現する優位性の多くは、一連の行動の一貫性によってもたらされるのである。

格闘をするときの簡単で効果的な戦略は、左へ動くと見せかけて右からパンチを繰り出すことである。
この場合、攻撃者の動きは時間的、空間的に巧みにコーディネートされ、一貫した流れを形作っている。
企業経営における簡単で効果的な戦略は、営業やマーケティングで得た情報や知識を製品の設計や事業の拡張・縮小の判断に活用することである。
この場合には、各部門の活動がうまく組み合わされ、一体的に効果を発揮している。
ローコストだけが売りのメーカーのように、一見すると単純きわまりない競争優位を持つ企業でも、くわしく分析すると、コストを低く抑えるためにさまざまな業務手順や仕組みが連動していることに気づかされるだろう。
それだけでなく、コストが低く抑えられているのは、ある種の商品だけで、それもある条件の下で納入されるものに限られていることも判明するかもしれない。
こうしたコスト優位をうまく活用して大きな効果を上げるには、さまざまな行動や現場の方針を巧みにコーディネートする必要がある。

一貫性を欠く行動は互いに矛盾を来たして衝突したり、取り組むべき課題から逸脱してしまったりする。
たとえばフォードがそうだ。
ジャック・ナッサーは、フォード・ヨーロッパのCEO兼本社製品開発担当副社長を務めていた頃、「自動車産業の利益の源泉はブランド力だ」と語っていた(註6)。
そして一九九九年にフォードのCEOに就任すると、ボルボ、ジャガー、ランドローバー、アストンマーティンという具合に矢継ぎ早に買収を行っている。
しかし同時に、規模の経済を追求する同社の基本方針は頑固に維持された。

フォードのある幹部が口にしたように、「自動車産業では、一つプラットフォームで年間一〇〇万台は生産しないと競争できない」と考えられているからである。
したがって、ボルボとジャガーの設計思想は一つにまとめられ、共通のプラットフォームを使うことになった。
しかしこれでは、それぞれの特徴は消され、ブランドの魅力は薄れてしまう。
ボルボ好きは「安全なジャガー」など欲しがらないし、ジャガー・ファンは「スポーティーなボルボ」などに興味はない。
相次ぐ買収と規模の経済の追求は、矛盾する行動と言わざるを得なかった。

矛盾するとまではいかなくとも調整がとれていないばらばらな行動はよく見かける。
たとえば私がコンサルタントを務めたある企業は、①オハイオ州アクロンの工場を閉鎖してメキシコに製造拠点を新設する、②広告予算を増やす、③三六〇度フィードバック・プログラムを導入する、という「戦略」を立てていた。
それぞれの行動は悪くない。
だが互いにつながりがなく、相乗効果は期待できそうもない。
どれも経営幹部の承認が必要だという点ぐらいしか、共通性は見当たらなかった。
これらの行動は、健全な運営の一環と言えるが、会社全体の方向性を決する戦略とは別物である。
戦略とは、ある具体的な課題に取り組む行動を連携・集中させるものでなければならない。
各事業部の責任者の「やることリスト」を寄せ集めただけでは、戦略とは言えない。

さまざまな行動をコーディネートすること自体が、それとして一つの優位性となりうる。
この点は、とかく過小評価されているようだ。
これは、コーディネーションというものが相互の妥協だと捉えられているせいだろう。
だが戦略的なコーディネーションは一貫性を実現するものであって、場当たり的な妥協や融通ではない。
どの部品をどのように組み合わせるかを設計するように、どのリソースをどの行動に割り当てるかを設計しなければならない(この点については、第9章でくわしく取り上げる)。

行動をコーディネートするには、「近い目標」を立てるのも良い方法である。
「近い」とは、とりあえず実現可能な目標を意味する。
明確で実現可能な目標が設定されれば、問題の解決策をダイレクトに行動に結びつけることが可能になる(この点については、第7章でくわしく取り上げる)。

戦略は結局のところ、コーディネートされた行動があるシステムに強制されるという形で具現化するのである。
会社という複雑なシステムはてんでんばらばらに動こうとする傾向があるが、それを抑えて一つにまとめる力が働くという意味で、戦略の力はまさに強制的と言える。
大きな組織では、放っておいて一貫した行動がとられるわけではない。
どこかで指揮をとり、方向づけをすることが必要である。
行動のコーディネーションは、戦略がない限り実現しないという意味において、組織にとって自然発生的なものではない。

このように言うと、現代の教育を受けた人はみな一様に警戒する。
権限委譲が進む中で多くの決定がうまく下されているというのに、なぜいま権力集中なのか、というわけだ。
人類史上最も壮大な社会実験を通じて二〇世紀が残した貴重な教訓の一つは、中央統制型経済はおそろしく非効率だ、ということである。
第二次世界大戦の死者数を上回る人々が、スターリンや毛沢東の中央統制型計画経済によって餓死したし、北朝鮮では、いまなお多くの人が飢えのために死んでいる。
今日の経済では、数えきれないほど下される個々の決定によって、希少な資源もそれなりにうまく分配されている。
計画経済などなくても、ガソリンが値上がりすれば燃費の良い車が売れるし、ハリケーンに襲われて家が倒壊し人手が足りなくなれば、他の地域から労働者が押し寄せて住宅建設が活発化する、という具合に。

だが、権限委譲ですべてが解決するわけではない。
とくに、行動の主体がそのコストを引き受けない場合、あるいは利益を手にできない場合には、権限委譲はうまく機能しない。
コストと利益の分離は、中央と現場の間でも起こりうるし、現世代と将来世代の間でも起こりうる。
意思決定や行動をうまく擦り合わせないと利益が得られないという状況では、とりわけ調整がむずかしくなる。
言うまでもなく、意思決定者が愚かなとき、特定の利益団体に加担しているとき、重大な判断を誤ったときには、中央統制型は悲惨な結果を招く。

簡単な例で言えば、営業部門は急ぎの注文に即応して顧客を喜ばせたい。
製造部門は生産ラインを長期的に安定して運転したい。
だが両方を同時に満足させるようというのは無理な相談だ。
戦略を立てるときには、両方の相反するニーズを取捨選択し、全社にとってより利益の多い解決を見つけなければならない。
歴史に例を探すなら、第二次世界大戦中にフランクリン・ルーズベルト大統領は、ナチスドイツを撃破するために政治、経済、軍事力すべてを一体的に運用した。
とくに注目すべきは、アメリカの生産力をソ連の支援に活用し、ノルマンディー上陸作戦までソ連を持ちこたえさせるとともにドイツ軍を叩かせたこと、アメリカのリソースをまずヨーロッパで勝つために集中投下し、その後に日本をターゲットにしたことである。
いずれも、時間軸に沿った非常に巧妙な調整だった。
どちらの戦略も、国務省や無数にある戦時生産委員会や前線の司令官に委ねていたら、けっして策定できなかっただろう。

とは言え中央での戦略策定と行動の調整が、つねに良いというわけではない。
中央で指揮をとるより現場に任せたほうがうまくいくことは多い。
中央指令型のイニシアチブは現場の知識や経験や専門性と対立し、思わぬコストを強いられることがある。
一般に、一つのことに専門化するには、それ一筋に経験や知識を蓄積するのが王道である。
調整委員会や連絡会の類いに参加したことがある人ならよく知っているように、中央から指令を出して行動を一本化しようとすると、専門化を妨げることになりやすい。

したがって、「全社一丸となる」ような戦略は、得られるメリットが大きいときに限るのが賢いやり方である。
すぐれた組織は使い分けをわきまえており、何をやるにも全部門の行動を統率する、といった愚は犯さない。
これでは現場に活気がなくなってしまう。
通常の活動はそれぞれの部署に委ね、ここぞというときに行動を一点集中するのが賢い戦略であり、賢い組織である。

p134

第1部で繰り返し述べたように、ごくおおざっぱに言えば、良い戦略とは最も効果の上がるところに持てる力を集中投下することに尽きる。
短期的には、手持ちのリソースを活かして問題に対処するとか、競争相手に対抗するといった戦略がとられることが多いだろう。
そして長期的には、計画的なリソース配分や能力開発によって将来の問題や競争に備える戦略が重要になる。
いずれにせよ良い戦略とは、自らの強みを発見し、賢く活用して、行動の効果を二倍、三倍に高めるアプローチにほかならない。

第2部では、良い戦略ではどのように強みが生み出され活用されているかを説明する。
ここで取り上げるのは、テコ入れ効果、近い目標、鎖構造、設計、フォーカス、健全な成長、優位性、ダイナミクス、そして慣性とエントロピーの打破である。
もちろんほかにもたくさんの方法があり、網羅的に論じようとしたら一冊の本では収まりきらないだろう。
ここでは最も一般的で、かつ読者に新たな視点を提供できるものを選んだ。
いま挙げた九項目の大半は、企業だけでなく、政府、軍隊、非営利組織いずれにも当てはまる。
これらを検討するに当たっては、従来見過ごされがちだった事例も参照する。

そして最後の第15章では、これらの手法を一体的に活用した例として、3DグラフィックスのNVIDIA(エヌビディア)に注目する。
第15章を先に読んでから、第6~14章に戻って個々の項目の理解を深めるという順序で読んでも差し支えない。

的確な予測でテコ入れ効果を引き出す p136

テコ入れ効果を得るには、的確な予測を行うことが重要になってくる。
最も単純な例で言えば、マンハッタンの土地に重点投資するという戦略は、将来ニューヨークで不動産需要が高まって値上がりするという予測に基づいている。
競争に直面している企業の場合には、顧客の需要や競争相手の反応を的確に予測できるかどうかが将来を決することになるだろう。

みごとな予測の例として、トヨタを挙げておこう。
アメリカでガソリン喰いのSUV(多目的スポーツ車)が大流行していた頃、トヨタは一〇億ドル以上をハイブリッド車の開発に投じていた。
この戦略を支えていたのは、二つの予測である。
一つは、エネルギー事情が逼迫する中、将来的には燃費の良い車の需要が増大してハイブリッド車は主流的な製品カテゴリーになるというもの。
もう一つは、トヨタが先行してハイブリッド技術をライセンス提供できるようになれば、他社はそれに応じ、自前でより高度なシステムを開発する方向には進まないだろう、というものである。
これまでのところ、どちらの予測も適切であったことが実証されている。

p139

予測には、予知能力といった超自然的な能力は必要ない。
大半の状況では、人々の習慣、好み、力関係や、変化を促す要因、阻害する要因を見抜くだけで事足りる。
では私自身がやってみることにしよう。
私の予測では、カリフォルニア州が近い将来に財政赤字を解消することは期待できない。
同州からの人材流出は今後も続く。
アメリカは再び重大なテロ攻撃を受ける。
CIAとFBIの確執は今後も続く。
グーグルは引き続き、ブラウザを介してオンラインで利用するオフィス向けのアプリケーション開発に力を入れる。
しかしこれにマイクロソフトは対抗しない。
同社はパソコン・ベースのソフトウェア「オフィス」と共食いになるような戦術はとらないはずだ。
スマートフォンは引き続き急速に伸びる。
しかしそうなれば、携帯電話のインフラに大きな負担を強いることになるので、一部で合従連衡が進むと同時に、従量課金方式が導入されるだろう。

p141

適切な点を選んでテコをあてがえば、力は何倍にもなる。
それは、自然に形成されたか人為的に作られたかを問わず、何らかの不均衡であることが多い。
ほんの小さな力をそこに加えるだけで、抑えられていた不満や蓄積されていた力を解放することができる。
たとえばニーズは高まっているのに、それに応える製品やサービスが提供されていないとすれば、それは一つの不均衡である。
また、開発された能力が十分に発揮されていないとか、他にも応用が期待されるケースなども、不均衡と言える。

集中によってテコ入れ効果を得る p142

限られているものを集中投下したときの見返りは大きい。
これは、一つには、制約があるからだ。
リソースが無制限にあったら、どの目標に投入するか、誰も真剣に悩まないだろう。
リソースに限りがあるからこそ、投入する対象を厳しく吟味せざるを得ない。
しかし、こちらの動きをライバルが容易に察知して直ちに対応できるようなら、一点集中から得られるものは少ないだろう。
また仮にリーダーが無限の認識能力を持ち合わせていたら、集中のターゲットを絞り込むことにさしたる意味はない。

集中が大きな見返りをもたらすもう一つの理由は、「閾値効果」が表れるからである。
閾値効果とは、あるレベル(閾値)を超えるまではほとんど変化が現れないが、そのレベルを超えれば一気に大きな変化が現れることを指す。
このようなケースでは、ターゲットを慎重に選び、手持ちのエネルギーやリソースを集中投下することが望ましい。

たとえば、広告には閾値効果があると考えられる。
すなわち、ほんの少しだけ広告を出してもほとんど効果はなく、閾値を超えて初めて反応が現れるのがふつうである(註5)。
このことから、まんべんなく長期にわたって広告を出すよりも、短期間に集中豪雨的に出すほうが効果があると考えられる。
また、新製品を発表するときも、地域ごとに小出しに広告を打つよりも、爆発的に売れそうな地域に広告を集中するほうが効果的ということになる。

同様の理由から、企業のストラテジストは、大きな市場で小さなシェアを獲得するより小さな市場を独占するほうを好む。
また政治家は、国民全体に広く薄く便益をもたらすより、特定の集団に明らかな利益を提供するほうを好む。

組織で集中が生まれる要因としては、閾値効果のほかに、経営幹部の注意や認識能力に限りがあることが挙げられる。
人間が一度に五つのことをやろうとしてもうまくいかないのと同じように、組織も重要な課題に同時にいくつも取り組むのは無理がある。

心理学の観点から言うと、集中ができるのは、閾値以下のシグナルに気づかないか、無視するからである(これを心理学用語で「サリエンス[顕現性]効果」という)。
あるいは、勢いづいていて成功が成功を呼ぶような好循環に入っているときも、集中が起きる。
このような集中によって大きな成果を上げ、人々の注意を集め、世論をも変えた例は少なくない。
たとえば、二つの学校をみごとに生まれ変わらせることができたら、二〇〇の学校が二%ずつ改善されるより、世間は強い印象を受けるだろう。
こうして人々の見方を変えることができれば、その行動を支持する動きが生まれ、自ら力を貸したり後押ししたりする人が現れて、一段と効果が高まる。

第7章 近い目標 p146

幸福や美を追い求めるのは愚かである。
どちらも人生の副産物に過ぎない。
――バーナード・ショー
リーダーが戦略実行に使える強力な手段の一つは、近い目標を定めることである。
近い目標とは、手の届く距離にあって十分に実現可能な目標を意味する。
近い目標は、高い目標であってよいが、達成不可能ではいけない。

たとえばケネディ大統領は一九六一年五月に行った演説で、一九六〇年代中に月への有人飛行を実現すると述べた。
これは未知の領域への大胆な挑戦と捉えられることが多く、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「私には夢がある」という名演説と並んで、リーダーのカリスマ性を示すお手本とされている。
ケネディ個人のカリスマ的な魅力によって、遠大な目標を魔法のように実現してしまった、というわけだ。
だが実際には、月に人類を送り込むことは、注意深く選ばれた近い戦略目標にほかならない。

p148

ケネディが設定した目標は、門外漢から見ればひどく大胆だが、実際には近い目標である。
重要なのは、リソースと政治的意志を一点に集中することだった。
今日では、たとえば二〇二〇年までに火星に着陸するというのは、困難だが近い目標と言えるだろう。
もちろん解決しなければならない問題も少なからずあるが、乗り越えることは不可能ではない。
だが不幸なことに、近年ではどうやって達成するのか皆目わかっていないような目標を、実現可能だとして掲げる傾向が強まっている。
たとえば麻薬撲滅運動はその一つだ。
麻薬の追放がいかに望ましいとは言え、司法制度や警察の現状を見る限り、近い目標とは言い難い。
この目標の達成に向けて多大な努力が払われたものの、とるに足らない密輸業者を摘発した挙げ句に路上取引の価格をつり上げ、暗躍する麻薬カルテルの儲けを増やすだけの結果に終わっている。

p152

「条件を指定しない限り、技術者は何もできない」というフィリスの慧眼は、組織的に行う仕事の大半に当てはまる。
サーベイヤーの設計チームと同じく、どんなプロジェクトでも状況が完全に解明されているということはめったにない。
このようなとき、リーダーは複雑で曖昧な状況を整理して、何とか手のつけられる状況に置き換えなければならない。
だが多くのリーダーがここでつまずいてしまう。
何に取り組めばよいのか曖昧なままにして、むやみに高い目標を掲げてしまうことが多い。
「最後の責任は自分がとる」と言うだけでなく、近い目標を設定してチームが動けるようにすることがリーダーの大切な使命である。

足場を固め選択肢を増やす p152

戦略本の多くが、状況が流動的になったらリーダーはより先を見越して手を打たなければならない、と説く。
だが、このような指示は論理的とは言えない。
状況が流動的になればなるほど、先は見通しにくいからだ。
したがって、絶えず変化する先行き不透明な状況では、むしろより近い戦略目標を定めなければならない。
目標は将来予測に基づいて立てるものだが、将来が不確実であるほど、遠くを見通すよりも「足場を固めて選択肢を増やす」ことが重要になる。
ハーバート・ゴールドハマーの著作にはチェスの名手の対戦を生き生きと描いた場面があるが、そこに示されているのはまさにこの戦略である。

「名手二人の対戦では、ゲームの大半は自分の手をいくらかでも有利にすることだけに費やされる。
相手を詰ませる最短の手どころか、相手の駒をとることばかり考えていてもゲームには勝てない。
名手が打つ手のほとんどは、第一に自身の機動性を高める目的、すなわち自分の駒の動く選択肢を増やして相手の駒の動く範囲を狭めるという目的がある。
そして第二には、じわじわと自分を有利に相手を不利にするような、ある種安定したパターンを盤面に作り出すという狙いがある。
こうしてさまざまな手を積み重ねた末に十分に有利な態勢になったとき、もはや無防備になったターゲットや大量の犠牲を払わない限り救えなくなったターゲットめがけて決定的な戦術を繰り出すのである」(註5)
私は二〇〇五年に、とある小規模なビジネススクールの戦略策定をお手伝いしたことがある。
ビジネススクールというところは、戦略を教えているにもかかわらず、そのスキルを賢く活用している例はめったにお目にかかれない。
この学校でもご多分に漏れず、学長と各学部がむやみに野心的な計画を練り上げていた。
その最大の目標は、「地方の学校」という位置づけから、「この地方随一の学校」になることだという。
戦略プランの草案には、たくさんの意欲的なイニシアチブが盛り込まれていた。
知名度を高める、卒業生からの寄付集めに力を入れる、グローバル企業研究プログラムを発足させる、起業プログラムを拡充する、環境問題への取り組みを始める、等々。
この学校の現状を把握しようとした私は、卒業生の大半が地元の会計事務所か中小のサービス業に就職していることに気づいた。

そこで私は戦略プランニングを担当する評議会(学長と学部長で構成される)に出向き、最も効果の上がる一点に力を集中し、近い目標を立てるべきであると助言した。
そして、評議会の面々にこう問いかけた――もしたった一つの目標しか選べず、その目標は実現可能でなければならないとしたら、どれを選びますか。
実現したときに最も大きなちがいを生み出せるのは、どの目標でしょうか。

午前中いっぱいかけて討論した末に、目標は二つに絞り込まれた。
どちらも私の目から見れば十分に実現可能とは言えなかったが、それでも「地方随一の学校になる」などという曖昧な目標に比べれば、大きな前進である。
評議員の半数が推したのは、「学生をもっと良い企業に就職させる」というものだった。
これは、決定的なちがいを生み出す可能性を秘めた目標と言える。
良い就職先が見つかるなら学生は満足し、学業にも精を出し、卒業してからも潤沢な寄付が期待できるだろう。
また優秀な学生を集められるようになるから、企業から研究資金を獲得することも容易になるし、優秀な教授陣をそろえることも可能になる。
残り半数が推したのは、「広報活動に力を入れる」という目標である。
業界紙や地方紙でもっと取り上げてもらえば、知名度が上がり、学生の募集でも就職でも好ましい効果が期待できる。
どちらの目標も具体的な行動を伴っており、将来の戦略に好ましい波及効果がありそうだった。

私は二つの目標を評価したうえで、どちらかまたは両方についてより近い目標を立て、具体的な行動に落とし込むようアドバイスした。
その日の終わりには、二つのアイデアが固まった。
まず学校の第一目標として、就職先のグレードアップをめざす。
卒業生にふさわしい仕事があるのにこれまで採用してもらえなかった企業をターゲットに定め、採用方針を調査し、ニーズや基準をクリアするためのプログラムを発足させる。
そして第二の目標として、グローバル企業や環境問題に手を出すのはやめる代わりに、メディア・マネジメント・コースを新設することにした。
このコースの評価が高まれば、メディア関係者が学校を取材する機会も増えるだろう。
また卒業生が大手メディアに就職できれば、学校の知名度も自然に高まるという計算である。
このため、就職ターゲット企業一〇社のうち二社はメディア企業が選ばれた。

p157

「全部というわけじゃないよ。
エンジンが止まってしまったら、いろんなことをやらなくちゃいけない。
いちばん大事なのは、どこに着陸するかを決めて、そこまでスムーズに降下していくことだ。
こいつには全神経を集中しなければいけない。
だがヘリコプターを操縦する動作のほうは、機械的にやれなくちゃだめだ。
何も考えずに操縦できるからこそ、危機に注意を集中できる」

PJはもう一本ビールの栓を開けると、話を続けた。
「ヘリを飛ばすには、いろいろな装置を絶えず調整する必要がある。
スロットル、コレクティブピッチ・レバー、サイクリック(操縦桿)、左右のラダーペダル。
簡単じゃないが、訓練すればできるようになるし、経験を積めば自動的にできるようになる。
そうなったら、次に夜間飛行を学ぶ。
昼間が先で夜間は後だ、逆はあり得ない。
そして、夜間飛行が問題なくこなせるようになったら、次に編隊飛行を学び、さらに戦闘訓練に移る。
どれもこれも完全にマスターし、何も考えずに自動的にできるようになったら、強風が吹く中で夜の山中に着陸するとか、揺れる船の甲板に着艦するといった練習を始められるだろう」

PJが話すのを聞きながら、私はうねりと船の揺れを計算しつつ甲板に着陸を試みる彼の姿を思い浮かべた。
はるか昔に操縦桿やレバーやペダルの操作に習熟してしまったから、着艦のタイミングをみきわめることだけに専念できる。

あることにだけ集中する、すなわち最重要課題に優先的に取り組むためには、他の重要なことがクリアできていなければならない。
PJがヘリと船のタイミングを合わせることだけに集中できるのは、初歩から始めて段階を踏み、飛ぶことがすでに機械的にできる作業となっているからである。

このように、近い目標とは梯子を上るようなものと考えることができる。
最初の段にしっかり足をかけなければ、次の段に上がることはできない。
とりわけ、たくさんのスキルを必要とする場合にそう言える。
ヘリコプターパイロットが操縦スキルを段階的に身につけていくように、企業経営でもある種のスキルは段階的に備わっていく。
ある企業にとっては近い目標として集中できることも、他の企業にとって遠すぎることがあるのは、このためだ。
したがって、たとえば小さなスタートアップ企業(創業間もないベンチャー企業)が製造と流通の連携に問題を抱えているときに、欧州進出で売上を伸ばせなどとアドバイスするのは的外れである。
こういう企業は、まず「ヘリを飛ばす」ことを学ばなければならない。
それができるようになってから、海外展開を視野に入れるべきである。
同様に、海外進出を果たしたばかりの企業に対して、P&Gのようなナレッジマネジメントをやれというのも的外れだ。
まずは異なる言語や文化の中での事業経営に習熟しなければならない。
それをマスターして初めて、知識や情報を活かせるようになる。

鎖構造問題の解決 p162

マルコ・ティネッリは、イタリアの伝統的な同族経営の機械メーカーで社長を務めている。
最も効率的な自動車生産技術は日本の関東平野に、化学品はドイツ、フランス、スイスを中心とするヨーロッパに、マイクロプロセッサならアメリカのサンタクララ、フォーミュラ・カーならイギリスのミッドランドという具合に、世界を見渡すと専門技術は地域的に集積しているものだが、イタリアのロンバルド平原には、車から産業機械までありとあらゆるものに使われるメカニカル・システムのメーカーが集積している。
マルコの会社もそこにあった。

一九九七年のある日、私はマルコの工場を見学した後、ミラノ大聖堂にほど近いレストランで一緒に昼食をとりながら、彼が会社を再生したいきさつを聞いた。

「叔父が亡くなって、会社経営の責任が私一人の肩にのしかかってきた。
当時の経営状況は芳しくなかった。
製品の品質はライバル企業より劣っていたし、コストは高かった。
おまけに営業の連中は、技術知識がひどく乏しい。
マイクロプロセッサで制御するような高度なマシンを売るのに、営業が無知ではどうしようもない。
改革しなければいずれ立ち行かなくなるのは明らかだった。
だが、問題が多すぎた。
いったいどこから手を付けたらいいのか、私は途方に暮れた」

彼の話を聞くうちに、マルコの会社が抱えている問題は鎖構造になっていることがわかった。
彼が立ち往生してしまったのは、そのためである。
いくら品質を改善しても、営業がそれをうまく伝えられなければ、機械は売れない。
一方、いくら営業マンを教育したところで、機械が低品質のままでは意味がない。
さらに機械と営業の品質を両方向上させても、コスト高体質を改善できなければ、利益は上がらない。

「で、どこから手を付けたんだい?」と私は質問した。
マルコは、次のように答えてくれた。

「シンプルに、三つの改善運動を順番にやることにした。
最初は、一二ヶ月間、機械の品質改善だけに集中した。
業界で最も信頼性が高く最も効率の良い機械を一年間でつくるんだと宣言し、それにかかりきりになった。
品質改善が達成されたら、次は営業の教育に取り組んだ。
第一段階の品質改善には営業の人間を参加させたんだが、今度は製造部門のエンジニアやワーカーが教育担当になった。
すぐに結果が出ないことはわかっていたが、先行投資しなければ収穫は得られないからね」

もし品質適合という概念や鎖構造の問題を知らない人がマルコの説明を聞いたら、単に三つの問題に順々に取り組んだだけだと思うかもしれない。
だが知っている人なら、マルコのやり方の賢明さにすぐに気づくだろう。

鎖構造になった問題でむずかしいのは、ボトルネックを特定することである。
マルコの場合、それは品質、営業部門の技術知識、コストだった。
しかも厄介なことに、小出しの改革では効果が上がらず、それどころか事態を悪化させる恐れさえある。
こんなとき大方のリーダーは途方に暮れ、前に進めなくなってしまう。
マルコは最終的な責任を引き受ける覚悟を決め、三つのボトルネックに順番に取り組む方法を選んだ。
品質改善をしただけではすぐに効果が現れないことは承知のうえだったから、そこで挫けることはなかった。
最初の近い目標を予定通り達成したことについて部下を賞賛し、ひるまず次へ進んだ。
問題が鎖のようにつながっている場合、全部を解決するまでほとんど効果は現れないが、マルコは一回に一つの問題に集中し他の問題をシャットアウトすることで、この悩みをクリアしたのである。

インタビューで大切なのは、話されたことだけでなく、語られなかったことである。
マルコは、「利益を増やすよう各部門に圧力をかけた」とは言わなかったし、「厳格な品質基準を導入して改善を要求した」とも、「優秀なマネジャーを外部から雇った」とも言わなかった。
マルコの語った再生物語では、彼自身がやるべきことを決め、変革のむずかしさを予測し、それを引き受けている。
どんな企業でも、現場への権限委譲とトップダウンによる指揮統制とのせめぎ合いがある。
マルコは、鎖構造の問題を解決するために一時的に両者のバランスを変え、トップダウン方式で臨む選択をしていた。

第三のコスト削減問題に対するマルコの取り組みも、興味深いものだった。
とくに注目したいのは、マルコが明確な理由からコスト削減を後回しにしたことである。

「最後に九ヶ月間をコスト削減のためだけに費やした。
この期間は、他の目標は一切掲げなかった。
コスト削減を最後にしたのは、改善された製造プロセスと連動させたかったからだ。
われわれは構成部品を見直し、製造プロセスを一工程ずつチェックした。
そして二つの製品をラインから外すこと、外注していた工具やダイスの一部を自前で製作することを決めた。
これで、大幅なコスト削減が実現したよ。
自前のダイスを導入したおかげでマシンの性能は向上した。
最終価格は下がっていないが、マシン・スピードが上がれば顧客にとってメリットは大きい。
技術知識を身につけた営業チームは、この点を上手に売り込むことができた。
これも、コスト削減を後回しにした理由の一つだ」

マルコの努力は報われ、いまや会社は利益を順調に伸ばし、技術面でも高い評価を得ている。
こうしたわけだから、鎖構造の問題も解決は十分に可能である。
まずはボトルネックを見つける。
そして、短期的な損失は覚悟で将来に投資する覚悟を決める。
ここではリーダーシップがとりわけ重要になる。
マルコ・ティネッリは改革に伴うコストを引き受ける決意を固め、敢然と前へ進んだ。
四半期ごとの利益などに拘泥せず、最終目標を掲げつつ近い目標からクリアしていったことが成功につながったのである。

鎖構造を強みにする p166

マルコ・ティネッリの例からもわかるように、鎖構造になった問題を解決するためには、強力なリーダーシップと計画的な取り組みが必要である。
逆に言えば、強力なリーダーシップにより巧みに鎖構造を作り上げてしまえば、容易にはまねできなくなる。

ここでは、スウェーデンの家具メーカー、IKEAを考えてみよう。
同社は一九四三年に設立され、直営店を通じて手頃な価格の組立家具を販売している。
駐車場を完備した巨大な店舗を郊外に展開し、広々としたスペースで豊富な選択肢の中から選べるのが特徴だ。
店員の数は少なく、代わりにカタログが充実している。
組立前の家具は平たくパックできるので、場所をとらず、運送費も保管料も少なくて済む。
また店内に在庫品を置いておけるので、顧客はそこから選んで家まで持ち帰ることができ、配送されるのをイライラして待つ必要がない。
家具のデザインはほとんどが自前だが、製造は外注である。
しかし全世界に展開するロジスティクスは同社が管理している。

こうしたさまざまなプロセスの効率的な組み合わせこそがIKEAの戦略と言える。
だがこの戦略は、秘密でも何でもない。
なぜ他社がこれをまねしたり、さらに良いシステムを考え出したりしないのだろうか。
同社が世界最大の家具メーカーの地位と評判を守りつづけているのは、彼らの戦略が鎖構造を形成するものだからである。

IKEAの方針はどれ一つとっても家具業界では異色であり、しかもそれらが緊密に一体化している。
たとえば伝統的な家具店では大量の在庫は抱えない。
伝統的な家具メーカーは自ら販売はしない。
通常の家具店は自分でデザインはしないし、店員の代わりにカタログで済ませるなどということもしない。
このようにIKEAのやり方はひどくユニークなうえに、それらが組み合わされて鎖構造を形成しているので、どれか一つをまねするだけでは効果が得られないのである。
一つか二つをまねしても、コストが余計にかかるだけで、IKEAに対抗することはできない。
既存の業者が本気でIKEAに対抗するにはゼロから事業を設計しなおす必要があり、そうなれば自分の店と共食いになってしまうだろう。
だから、誰もやらない。
IKEAが颯爽と登場してから五五年になるが、いまだに第二のIKEAは現れていない。

IKEAの方針が今後も競争優位を維持するためには、三つの条件が満たされなければならない。

・コア事業での卓越した効率性を維持する。

・コア事業は引き続き鎖構造を維持し、強豪相手が一つか二つをまねしてもIKEAに対抗できないようにする。
言い換えれば、既存の家具メーカーが組立家具のラインを導入しても、あるいは既存の家具店が店員代わりにカタログを導入しても、びくともしないような態勢を維持する。

・鎖構造を形成しているIKEAならではの独自性を維持し、ある一つのノウハウが盗まれても、別のノウハウは容易には身につけられないようにする。
たとえばカタログ販売方式をまねたとしても、ロジスティクス・システムをまねなければ効率は上がらないし、郊外型の大店舗を展開できなければ意味がない。
さらに既存の家具メーカーや家具店だけでなく、思いがけない分野でリソースや能力を持つ競争相手が出現しないか、警戒を怠らないことが必要である。

IKEAの例から、さまざまなプロセスを組み合わせて鎖構造を形成すれば、それが持続可能な戦略優位となり得ることがわかる。
こうすれば戦略はより有効になるし、競争相手がまねることも困難になる。
鎖構造の問題は解決がむずかしいが、その裏返しとして、優位性を築くこともまた可能なのである。

IKEAのように鎖構造で卓越した地位を維持するためには、鎖の環がどれも高いクオリティを保たなければならない。
すべての環が粒ぞろいであれば、互いに補い合い、鎖全体も秀でたものとなる。
一方、鎖の環がどれも質が悪く、ばらばらに管理されていたら、二〇〇七年頃のGMのように鎖全体の魅力がなくなってしまう。
こうなったら、環の一つか二つを改善しても、大きな効果は得られない。
しかしマルコ・ティネッリの成功例からもわかるように、強力なリーダーシップの下で最も弱い環の改善に努力すれば、鎖全体を再び機能させることができる。

第9章 設計 p169

「戦略」という言葉は、字を見れば分かるように、もともとは戦争のためのものだった。
まことに残念なことだが、人類は他の何よりも戦争に時間とエネルギーと思考能力を注いできた。
だが文字通りの戦争のための戦略は、平時にはあまり役に立たない。
とりわけ買い手から注文を勝ちとる商戦は、より魅力的な商品や条件を競い合うという点で、戦争よりはダンス・コンテストに似ている。
誰も相手の工場を爆破したり、相手の従業員を殺したりはしない。
また企業の従業員は、身分保障された兵士とは異なり短期の予告でクビになることはある一方で、会社を守るために命を投げ出すことは期待されていない。
そして、規模が持つ意味もまったくちがう。
他の条件が同じであれば、一般に軍隊は規模が大きいほど有利である。
しかし企業の場合には、顧客に最も支持された企業が成功するのであって、規模は成功の原因ではなく、結果であることが多い。
このように戦争と企業経営では相違点が多いけれども、その点に十分に注意すれば戦争の歴史から学べることは多く、ぜひとも賢く活かしたいところである。

p174

ゲーム理論では、相手も自分と同じぐらいには合理的だと前提するが、ハンニバルがそのような前提に立っていなかったのは明らかだ。
ローマの兵士が個人としていかに合理的であるとしても、軍隊としては旧態依然の組織や規則に縛られており、ごく標準的な訓練しか受けていない、とハンニバルは見切っていた。
しかも二人の司令官の特徴や傾向はすでにわかっている。
たとえばヴァロは自尊心が強く血気盛んで、ハンニバルをいなすのではなく真っ向勝負したがっていることが知られていた。

p176

戦略とは選択であるとか、意思決定であるとよく言われる。
「選択」や「意思決定」という言葉には、一連の選択肢の中からリーダーがどれか一つを選ぶようなイメージがある。
たしかに意思決定の理論書などには、可能な限りの選択肢を列挙し、それぞれの結果を評価し、成功率を分析したうえで決定を下す、といったことが書かれている。
これは適切なやり方かもしれないが、残念ながらリーダーにとってさほど役に立つとは言えない。
選択肢が明確にわかっているケースは、じつはめったにないからである。
ハンニバルの例で言えば、参謀がパワーポイントを使って選択肢を説明してくれたとは思えない。
数で勝るローマ軍を前にして、ハンニバルはゼロからすべての作戦行動を巧みにコーディネートし、全軍の動きを設計したのである。
今日でも、有能なストラテジストがやっていることは決定ではなく設計であり、選択肢の中から選ぶのではなく自らデザインしている。
戦略立案は、どの車を買うか決めたり、新工場の広さを決めたりする作業よりも、高性能の飛行機を設計する作業に似ている。
マネジャーが意思決定者だとすれば、ストラテジストはデザイナーだと言えよう。

最高の組み合わせを探す p176

企業の戦略立案は、大規模な設計作業と言える。
直面する問題が大きいほど、あるいはめざす目標が高いほど、さまざまな要素の相互作用を考慮しなければならない。
これを車の設計で考えてみよう。
BMW3シリーズを「運転するのが楽しい車」にしたいとする。
そのためには、シャシー、ステアリング、サスペンションからエンジン、電気系統にいたるまで、すべてをうまく調整しなければならない。
部品を持ってきて組み立てれば車は作れるかもしれないが、運転するのが楽しい車にするためには全体のコーディネーションが何よりも重要になる(註5)。

スポーティーなBMW3シリーズを運転する若いドライバーは、高速道路のカーブにさしかかったとき、車にどんな挙動を望むだろうか。
どんなときに運転を楽しく感じ、どんなときに不快に感じるだろう。
そんなことを想像しながら、デザイナーは車を少し大きくし、騒音を抑え、レスポンス性能を下げる代わりに安定性を出してみる。
次に全体を軽量化し、俊敏性とレスポンス性を上げてみる。
そのたびにシャシーの設計を変え、エンジンの重量やトルクを検討しなおし、サスペンションやステアリングを微調整する。
四〇あるいは五〇ものパラメーターをさまざまに変化させ、シミュレーションを繰り返しながら、「スイートスポット」を探し当てるのだ。
うまく探し当てられたとき、すべてのピースは完璧にはまり、ドライバーは気持ちよく運転できるようになる。

だが、話はここでは終わらない。
ドライバーの満足感は値段にも左右されるから、できる限りコスト削減に務める必要がある。
言い換えれば、一ドル当たりの「運転の楽しみ」を高める必要がある。
そのためには、さらに多くのパラメーターを考慮しなければならない。
すべてのパラメーターの組み合わせを試してみるのは、時間がかかりすぎて不可能だとしても、妥当な組み合わせに行き着くことはできるはずだ。
さらに、イメージ広告やゴージャスな販売店などにより、高級ブランド品を買う楽しみを付け加えることもできる。
信頼性や耐久性を高めて転売価値を上げることも、顧客満足度の向上につながるだろう。
コーディネートする要素が増えるほど、相互作用を考慮しなければならない。
それにもちろん、さまざまなドライバーのタイプや好みや年収も考える必要がある。

このように、気の遠くなるほど複雑な作業が設計というものである。
しかも「運転の楽しみ」を高めるだけなら車そのもののことだけ考えていればよいが、ライバルとの競争に視点を移したら、今度は他社のことまで考えなければならない。
つまり、他の車よりBMWを運転するほうが楽しい、とドライバーに感じてもらうことが目標になる(註6)。
すると考えるべき要素はどっと増え、競争相手の製品や戦略が新たなパラメーターとなる。
そうなると最終的には、他社よりすぐれているところ、効率的なところに集中することになるだろう。
また自社のターゲット層をしっかり把握し、そこにアピールすることもより重要になってくるはずだ。
つまり製品にせよ、製造プロセスにせよ、顧客にせよ、よりピンポイントでの集中が必要になる。

このようにさまざまな要素の相互作用を考慮し、全体をコーディネートするという意味で、私は戦略が選択や意思決定より設計に近いと考えている。
たくさんのパラメーターを相互に微調整していくと、価値が最大化する最高の組み合わせを見つけることができる。
まさに同じように、良い戦略はさまざまな方針や行動をコーディネートして目標を実現し、あるいは困難を乗り越える。

p182

このことから、一分の隙もないほどの緻密なコーディネーションによって与えられた条件を満たそうとするのは、多大な費用のみならず時間や労力を伴うことがわかる。
となれば通常の場合には、製品を作るにしても、事業を運営するにしても、つねに完璧な組み合わせを見つけるにはおよばない。
ごく特殊な条件に適った完璧な組み合わせは、見つけるのがむずかしく、取り扱いに注意を要するうえ、条件の変化に柔軟に対応できない。
たとえばF1レーシングカーはレースの条件を完璧に満たす車であり、サーキットではスバル・フォレスターよりはるかに速い。
だがスバル・フォレスターのほうがはるかに多様な用途に使える。
とは言え競争圧力が高まったら、スバルも何かを犠牲にして何らかの特徴を強く打ち出さなければならないだろう。
一般に制約条件がゆるやかなほど、そうした必要はないので、より広い用途ひいてはより広い市場を対象にすることができる。

戦略的リソース p182

企業は、コンピュータ、オフィス用品からトラック、工場設備にいたるまでさまざまなものを買い、倉庫と契約し、大量の人間を雇い、弁護士や公認会計士とも契約を交わす。
だがこれらのインプットは、ただちに戦略的リソースであるとは言えない。
ほとんど同じものを競争相手も手に入れることができるからだ。
戦略的リソースと言えるのは、その会社が長い時間をかけて築き上げたり、独自の手法で創造したり発見したりした息の長いリソースであり、他社にはおいそれとまねのできないものである。

そのようなリソースは競争の有力な武器となるため、きわめて単純な戦略をとることが可能になる。
たとえばゼロックスがそうだ。
同社は乾式普通紙コピーの技術を開発し、特許でがっちり押さえた。
この特許は強力で、一九五〇年代半ばには、原価七〇〇ドルほどのコピー機が三〇〇〇ドル以上の価格で飛ぶように売れたものである。
このように圧倒的な競争優位を持っていたゼロックスは、当然ながらこの製品を売りまくることに専念した。

ゼロックスは次々に工場を建設し、せっせと生産し、販売網とサービス網を整えた。
競争相手と言えば旧態依然の湿式コピー機メーカーだけだから、事実上存在しないに等しい。
特許に守られたゼロックスには心配のタネは何も見当たらず、原価をはるかに上回る価格で製品が売れるのだから、戦略すら立てる必要はなかった。
実際、彼らは戦略と称して財務目標を決めていただけである。

リソースと行動の関係は、資本と労働の関係に似ている。
ダムという資本財は、建設には途方もない労働を必要とするが、いったん完成して運用を開始すれば、さほど労働を投入しなくても長期にわたって稼働させることができる。
同じように、ゼロックスの強力なリソース、すなわち普通紙コピーの技術と特許は、長年にわたる集中的な努力の成果であるが、いったん完成して特許を押さえてしまえば、もうそれほどの苦労はいらない。
ゼロックスの幹部から直々に聞いたことだが、「工場は、原価の倍ぐらいの移転価格で製品を営業部門に売る。
すると営業部門はそれを二倍か三倍にして顧客に売っていた」という。

こんな具合だから、戦略を立て苦労してコーディネーションをする必要などまったくなかった。
これほど強力なリソースを持ち合わせていなかったら、乏しいリソースを最大限に活かすために緻密な戦略を設計する必要があっただろう。
実のところ、後世に賞賛され研究されるようなすぐれた戦略は、乏しいリソースから始まっている。
その希少なリソースを巧みにコーディネートするところに戦略の妙味がある。

圧倒的に有利なリソースを持っている場合、そこに安住してその後の戦略がおろそかになる危険がある。
ゼロックスのように強力な特許を持っていたり、ハーシーズのように強力なブランドを持っていたり、ウィンドウズOSのように圧倒的なシェアを誇っていたり、抗コレステロール薬リピトールのような大ヒット商品を持っていたりして、長期にわたる利益が文句なしに確保されていたら、苦労して戦略を考える必要を感じなくなってしまう。
何もしなくても、利益は転がり込んでくるのだ。

既存のリソースは新たなリソースを生み出す源となりうるが、また、イノベーションの阻害要因にもなりうる。
賢い企業経営をめざすなら、陳腐化した機械設備を廃棄するように、古くなったリソースを時に応じて捨て去らなければならない。
だが戦略的リソースは深く根を下ろしているものだから、それを排除するのはむずかしい。
たとえばゼロックスは、すみやかな対応で評判の高い修理・保守サービス網を整備した。
これは、普通紙コピー機の特許から新たな戦略的リソースを生み出す行為と言える。
だが考えてみれば、サービス網の価値は、故障しがちな機械をいたわってうまく稼働させることにある。
そこに注目すれば、故障を防ぐために、ゼロックス・ブランドの「コピー専用紙」のようなものを販売することが考えられたはずだ。
こうすればゼロックスは、世界トップクラスのOA用紙供給体制を整えられただろう。
それを活かして家庭用コピー機、プリンター、FAXへの道も拓けたかもしれない。
だがそれは、ゼロックス自身のサービス網というリソースの価値を下げることになる。
そうこうしているうちに、パソコン事業への参入をめざして精力的に研究を積み重ねてきたキヤノンやコダックやIBMが、よりすぐれた技術を携えて対抗してきた。

あまりに有利な地位を占め、さしたる努力もなしに利益が上がるようになると、ぬくぬくとぬるま湯につかって楽をしたくなるのが人情である。
そして、高業績が続くのは経営がいいからだなどと考え、遠い過去の壮絶な努力の実りを刈りとっているだけだということを忘れてしまう。
業績の良い企業の経営者は自信たっぷりにふるまい、経営書や雑誌はその企業のやり方を一から十まで褒めそやし、有給休暇の規定や駐車スペースの割り当てまでまねすることを奨める。
もちろん、こんなことと高業績とは何の関係もない。
行動の結果がすぐに現れるなら、戦略を考えるのもじつに簡単になるだろう。
実際にはそうではないから、頭をひねらなければならないし、うまくいったときの結果はより価値のあるものとなる。

成功は怠惰とうぬぼれを招き、ひいては衰退や低迷につながる。
そうならずに済む企業はめったにない。
だからこそ、新参企業が戦略的に付け入る隙が出てくる。
手持ちのリソースを賢く組み合わせた戦略を探したいなら、長期にわたって成功を謳歌している企業ではなく、その市場に侵入してくる企業に注目するといい。
新規参入を試みる企業は、さまざまな行動や方針を巧みにコーディネートしているはずだ。
たとえば、ゼロックスの特許に対抗し、大型の高速コピー機ではなく家庭用コピー機で勝負したキヤノン。
巨人IBMを打ち負かしたマイクロソフト。
Kマートを出し抜いたウォルマート。
ヒューレット・パッカード、コンパック、IBMからまんまとシェアを奪ったデル。
後発ながら、並みいる貨物輸送会社を押しのけて躍進したフェデックス。
新しいビジネスモデルを引っ提げて、ハーツやエイビスに勝負を挑んだエンタープライズ・レンタカー。
どこからともなく現れてグラフィックチップ市場をインテルから奪いとったNVIDIA(エヌビディア)。
検索に革命を起こし、マイクロソフトとヤフーを抜き去ったグーグル。
どのケースでも、持てるリソースを最大限に活かす戦略が設計されている。

これらの企業にはぜひとも持続可能な競争優位を確立して成功を長続きさせてほしいものである。
だが彼らも怠惰とうぬぼれに陥ってしまうのではないかと懸念されてならない。
時間が経つにつれて強固な意志も緩み、積み上げたリソースで食いつないでいくようになってしまう。
社内のリソースをうまく組み合わせて精緻な戦略を設計する気力が消え失せると、各部門がてんでに関連性のないプロジェクトを実行しはじめ、競合する製品で市場を奪い合うことになりかねない。
こうして成長スピードが鈍ってくると、あわてて買収などして見かけだけは若返る。
だがいずれはリソースは完全に陳腐化し、結局は次世代の新参企業にとって喰われるのだ。
これが企業の世代交代サイクルである。
こうしたわけだから、ことリソースを活かす戦略の設計に関する限り、円熟した成功企業よりも、設立間もない新参企業から学べることのほうが多い。
ビル・ゲイツはどうやってIBMを出し抜いたのか、ミニミルのニューコアがどうやって鉄鋼でアメリカ最大級にのし上がったのかをぜひ学んでほしい。
現在のマイクロソフトはもはや成熟企業で、過去の成功から多くの利益を得ている。
そしてかつてのIBMがそうだったように、インストールベース(納入済システム)依存型の事業運営をしている。
実際同社をよく観察すると、社内でいくつもの対立するプロジェクトが進行中であることに気づく。

p200

他社の方針と比較してクラウンの独自性を検証したうえで、私は次にコストの問題を取り上げた。
誰もが気づくとおり、小ロット生産であれば製造ラインの転換が多くなる。
柔軟に対応できるよう余剰ラインを用意していることも、技術支援の提供とともにコスト上昇要因となる。
したがってクラウンは、売値を高くしてコストを埋め合わせていたと考えられる。

「さて、クラウンはなぜ高い価格を設定できたのか。他社より高い利益率を確保できたのはなぜだろうか」

私はホワイトボードに大きな円を描いてその中にクラウン・コルク&シール(CC&S)と書き入れ、まわりを取り囲むように複数の顧客を書き込んだ。
顧客一社にサプライヤー数社のミラー・ビールとは、ちょうど逆の形である。

「クラウンは大口顧客専用プラントを持っていない。ミラ・ビールに対するアメリカン・キャンと、地方のビール・メーカーに対するクラウンとでは、どちらが有利だろうか」

財務アナリストのチェリルがすぐさま答えた。

「クラウンです。
小ロット生産に特化しているので、他メーカーと競合せず、大口顧客から値引き要求をされることもありません。
クラウンは、買い手市場ではなく売り手市場の立場にいると言えます。
安定的な大ロット生産を望むなら、大口顧客の言うことを聞かざるを得ませんが、小ロット生産で行くなら立場は逆転します。
小ロットや急場の需要に応じてくれる缶メーカーはほかにいないわけですから、クラウンは強力な価格交渉力を持っています」

私は頷き、最後に総括した。
クラウンと大手缶メーカーは、同じ業界にいながらちがうルールでゲームをしている。
クラウンは注意深く付加価値の高いセグメントに特化したうえ、小ロット生産や集中的な注文に対応できる体制を整えている。
その結果、買い手に対する価格交渉力を維持し、高い利益率の実現に成功した。
対照的に大手缶メーカーは、売上高こそ大きいが利益率は低い。

このように、クラウンはターゲット市場で競争優位を確立している。
同社は大手ではない。
しかし高収益企業である。
このように、あるセグメントをターゲットに定め、そこに対応できるシステムを用意してより高い価値を提供する戦略をフォーカス戦略と呼ぶ。
この「フォーカス」という言葉には二通りの意味がある。
第一は自社の方針や行動をコーディネートして、相互作用やオーバーラップ効果により大きな力を生み出すという意味である。
第二は適切なターゲットに一点集中するという意味である。
ポーターの競争戦略では、この第二の意味でフォーカスという言葉を使っている。

学生たちは、クラウン・コルク&シールの戦略が明らかになるにつれて驚きの表情を浮かべた。
踏み込んで分析してみればなるほどと理解できるが、それまではまったく見えていなかった点がたくさんあったからだ。
企業戦略のロジックは、証券アナリストの分析だけでは解明できないことが多く、当の企業の発表にすら現れていないことも珍しくない。
だが戦略は、けっして秘密にされているわけではない。
さまざまなピースを集めてつなぎ合わせる作業が面倒なので、たいていの人が手前で止めてしまうだけだ。
表面的な情報なら二四時間いつでも簡単に入手でき、企業の内情など知ったような気になっていたのに、現実の世界では秘密でもないのに知られていないからくりがあることに、学生たちは驚いたのである。

「いつもこうなんですか?」と学生の一人が質問した。
「ここまでやらないと、どんな企業の戦略もほんとうには解明できないのでしょうか?」

「いつもではない」と私は答えた。
「持続的な成功を収めている企業には、まずだいたいは良い戦略があると考えてよい。
それは、隠されていることもあれば、明らかなこともある。
だがほんとうのことを言えば、多くの企業、とりわけ複雑な大企業は、往々にして戦略を持っていない。
先ほども言ったように、戦略の要諦はフォーカスにあるが、多くの大企業はリソースをフォーカスできないからだ。
彼らはいくつもの目標を同時に追いかけるので、結局はどれも達成できない」

p206

おまけに、経営陣も業界アナリストも安定的と見込んでいた従来型の金属缶まで、価格が大幅に下落しはじめる。
原因はいくつかあった。
まず、ヨーロッパでは労働組合の力が強いため、どのメーカーも工場を閉鎖したがらず、競争は激化する一方だった。
しかも安価なペットボトル・メーカーの参入のあおりを受けて、すでに雀の涙ほどだった金属缶の利益率まで押し下げられる有様となる。
需要の収縮に加えて過剰設備、価格競争と三拍子そろったら何が起きるかは火を見るより明らかで、標準的なマイケル・ポーターの5フォース(競争要因)の分析フレームワークを使うまでもなく、簡単に予測できる(註3)。

p209

ペットボトルの躍進ぶりに目を奪われたアヴェリーは、ペットボトル事業を中心に据え、買収による拡大路線を選んだ。
だが従来の競争優位にさっさと見切りをつけ、それに代わるものを考えなかったことは失敗だった。
CFOのラザフォードは、フォーカス戦略を捨てることについて意見を求められると、何も心配はいらない、フォーカスは自社の手足を縛るだけだと答えたという。
「フォーカスが大流行のようだが、われわれはずっとそれを実行してきた。
三〇〇〇億ドル規模の業界にいて、金属とプラスチックにしか手をつけなかったのだからね。
これらは、両方合わせてもせいぜい一五〇〇~二〇〇〇億ドルに過ぎない」(註5)。
彼はフォーカス戦略の深い意味を知ろうとはせず、行動やリソースの巧みなコーディネーションによって他社にまねのできない競争優位を生み出せることを理解できなかった。
彼もCEOのアヴェリーと同じく、ペットボトルの急成長ぶりに目がくらんでいた。

ペットボトル事業は、セメントやアルミなどの素材産業と共通性がある。
つまり需要増は産業全体にわたっているのであって、クラウンのペットボトルだけが伸びているのではない。
需要が伸びれば利益は押し上げられるが、そうなればどの会社も設備投資して生産を拡大しようとする。
となれば、利益の大半は再投資に回されることになるというわけで、事業拡大中の企業にとって、利益というものは幻想に過ぎない。
需要の伸びが鈍化してからも高い投資収益率を維持できるなら話は別だが、商品の差異化がむずかしいコモディティの場合には、よほどの競争優位を持っていない限り、需要が失速すると利益は消し飛んでしまう。
この種の産業はまるでブラックホールのように設備投資を呑み込み、何の見返りもよこさない。

成長それ自体が価値を創出するというのは事業経営の決まり文句のようになっており、「成長はいいことだ」と大方の経営者が信じ込んでいる。
CEO就任当初のアヴェリーの発言(一九八〇年代に会社の成長ペースは鈍化していた)からも、彼の目標(われわれは規模を拡大し、一層の成長をめざす)からも、「成長したい」という強い意志が読みとれる。
どうやら成長は、誰もがすがりたいおまじないのようなものであるらしい。
買収による成長をめざす場合に一つ問題なのは、会社(とくに上場企業)を買うときに、だいたいは払い過ぎになることである。
一般的には時価総額に二五%程度の上乗せをし、さらに手数料を払って買うことになる。
投資銀行やメーンバンクがおっとりしていて金儲けに興味がないのであれば、買収で急成長を遂げることは可能だろう。
だが、市場価格以下で買いたたくか、買収によってめざましい付加価値がもたらされない限り、買収による価値の創出は期待できない。

企業経営者というものは、さまざまな理由から成長をめざす。
彼らは、規模が大きくなれば管理費を減らせると考えている。
目障りな幹部をクビにせず体よく周辺事業に追いやる、という理由もある(感心しない理由だがよくあることだ)。
それに、規模が大きくなれば一般に経営者の報酬は増える。
さらに分権型の組織では、部門業績を上げるためにも買収は好ましい。
以上の理由に加えて、アドバイザー役の投資銀行やコンサルティング会社や法律事務所などは、みな莫大な手数料を獲得しようと大型取引を後押しする。

p214

ジョゼフ・シルバーは、これ以上話してもムダだというようにブリーフケースをぴしゃりと閉じた。
そして、大きな世界を知らない子供を見るような目で私を見下した。

「キャッシュフローが大きくなれば、もっと大きな取引ができるじゃないか」そう捨てぜりふを吐いて、彼は出て行った。

合併の根拠を説明しろと言われてシルバーが出してきたのは、結局のところ、合併すればもっと大きな合併ができる、ということだけだった。
もちろんモルガン・スタンレーは、この合併からも、その次の合併からも、べらぼうな手数料をいただくことになる。
私たちの会談から二日後、取締役会は合併案を否決し、大荒れの議論の末にロシニョーロの更迭を決めた。

p214

健全な成長というものは、合併などの人為的操作によって実現できるものではない。
独自の能力に対する需要増が原因で、あるいはすぐれた製品やスキルの結果として、あるいはイノベーションや知恵や効率や創造性の見返りとして、その企業は成長するのである。
この種の成長は、単に業界全体の拡大基調に乗るのではなく、通常はシェアの拡大や利益率の上昇を伴う。

第12章 優位性 p215

同等の実力を持つチェスの名手がゲームの開始を待っているとしたら、どちらが有利だろうか。
また、同等の戦力を持つ二つの軍隊が広い平原で対峙しているとしたら、どちらが有利だろうか。
正解は、「どちらも有利でも不利でもない」である。
なぜなら、有利とか不利とかいうことは、ちがいがあって初めて言えることだからだ。
言い換えれば、敵味方が非対称でなければならない。
現実の競争では双方が完全に同等ということはあり得ず、数多くの非対称が存在する。
そこで、どの非対称が決定的に重要かを探り出し、それを自らの優位に変えることがリーダーの仕事になる。

p217

どんなことにも秀でている人というのは、まずいない。
チームであれ、企業、さらには国であれ、他より秀でているのは特定の条件の下での特定の分野だけ、というのがふつうである。
したがって、どんなときどんなところで優位に立てるのかを理解することが、それを活用する秘訣と言える。
こちらが有利なところでは存分に力を発揮し、そうでないところは巧みに回避する。
さらにライバルの弱みをつき、こちらの弱みは握られないよう注意する。

ビジネスにおける競争優位 p219

「競争優位」という言葉は、一九八四年にマイケル・ポーターが同名の著書(邦訳『競争優位の戦略』)を発表して以来、ビジネス界にすっかり定着した。
ウォーレン・バフェットも「持続可能な競争優位」を基準に企業を評価すると述べている。

競争優位の基本的な定義はきわめて明快である。
競争相手より低いコストで生産できるとき、競争相手より高い価値を提供できるとき、あるいはその両方ができるとき、競争優位があると言う。
ただし、コストは製品や用途によってちがってくるし、顧客も所在地、知識、好みなどがまちまちである。
その点に気づくと、競争優位の定義は明快とは言えなくなってくる。
こうしたわけで、ほとんどの競争優位はそれなりの範囲にしか効力を発揮しない。
たとえばホールフーズがアルバートソンズ・チェーンに勝るのは一部の商品についてだけだし、また顧客も、有機食品や自然食品に価値を見出す高所得者層に限られている。

加えて、「持続可能」という言葉はじつに微妙である。
優位性が持続可能であるためには、競争相手に容易にまねされないこと(模倣困難性)が条件になる。
より正確に言えば、優位性を生み出すリソースをまねされないことが重要だ。
そのためには、いわゆる「隔離メカニズム」を持つことが必要になる。

たとえば、一定期間の独占を可能にする特許は、その最もわかりやすい例である(註2)。
より複雑な隔離メカニズムとしては、評判、取引関係や人脈、ネットワーク効果、規模の経済、暗黙知や熟練技能などが挙げられる。
たとえばアップルのiPhone事業は、ブランド力、評判、iTunesの補完的なサービス、専用アプリなどによるネットワーク効果によって守られている。
どれも経営陣が巧みに形成してきたものであり、持続可能な競争優位を確立するプログラムに組み込まれている。
競争相手にとっては対抗しうるリソースを妥当なコストで得るのがむずかしいという点で、これらのリソースは稀少資源と言えよう。

よく広告やセールスなどで「××製品あるいは××プログラムは競争優位を提供します」などと言っているが、あれは言葉の使い方をまちがっている。
誰かと比べて何かの点で優位になるのであって、無条件の「優位」は形容矛盾である。
ネットワーク効果とは、買い手やユーザーの数が増えるにつれて製品の価値が高まることを意味する。
規模の経済に似ているが、生産者のコストが下がるのではなく、買い手の支払意欲が高まる点が異なる。
アマゾンやフェイスブックには強力なネットワーク効果が見られる。

p228

シルバー・マシンと同じく、eベイの価値は停滞している。
このことは、競争優位が停滞していることを意味する。
とは言え、eベイはシルバー・マシンよりはるかに「おもしろみ」がある。
シルバー・マシンの優位性は、その定義からして変えようがないが、eベイのサービスや効率性や用途はまだまだ発展性があると考えられる。
したがって、eベイの優位性には潜在的な「おもしろみ」があると言える。
すでにすばらしい競争優位を持つeベイだが、その価値をさらに高めるような特別な何かを誰かが発見できたら、そのときはほんとうにおもしろいことになるはずだ。

価値の創造 p228

戦略の専門家の多くは、競争優位と高い収益性とを同一視している。
だが両者は必ずしも一致しない。
ビジネスの世界では競争優位の必要性が声高に叫ばれているが、競争優位を持っているだけでは高収益に直結するとは期待できない。
つまり競争優位と富の関係は、固定的ではなく変動する。
競争優位が高まれば、あるいは競争優位を形成する要素(製品やサービス)への需要が高まれば、より多くの価値がもたらされる。
そのためには、少なくとも次の四つのうちのどれかをめざす戦略が有効である。

・競争優位を深める。
・競争優位を拡げる。
・優位な製品またはサービスに対する需要を増やす。
・競争相手による模倣を阻むような隔離メカニズムを強化する。

第13章 ダイナミクス p240

古典的な軍事戦略では、防御側は高地をとるのがよいとされている。
高台は攻めにくく守りやすい。
高地は非対称な自然条件を作り出し、防御側の優位性を形成する。

戦略論の学問的な研究は、ビジネスにおけるさまざまな「高地」を比較対照し、この高地が有利であの高地が不利なのはなぜかを説明することに力を入れている。
だがこれでは、重要な問題がないがしろにされている。
それは、そのように有利な高地をどうやって奪取するのか、ということである。
有利な高地ほど、手に入れるコストは高くつく。
簡単に手に入る高地は、簡単に陥落するものだ。

未踏の高地を手に入れる一つの方法は、自前のイノベーションによって作り出してしまうことである。
驚異的な技術革新(たとえばゴアテックス)あるいは画期的なビジネスモデル(たとえばフェデックスの翌日配送システム)は新しい高地を作り出す。
そして競争相手が押し寄せてくるまでは、何年も富み栄えることができるだろう。

もう一つの方法は、変化のうねりに乗ることである。
本章では、こちらを取り上げる。
このような変化のうねりは、たいていは外からやって来る。
だから、一つの組織でコントロールするのはむずかしいし、ましてうねり自体を起こすことは不可能である。
テクノロジー、コスト構造、競争、買い手の意識や嗜好、さらには政治などさまざまな要素の変化が積み重なって、うねりを形成する。
大きなうねりは地震のようなもので、新たな高地を作り出したり、高地だったところを平らにならしてしまったりする。
そうした変化のダイナミクスは既存の競争環境を覆し、かつての競争優位を消し去り、新たな優位を生み出す。
これまで成功していた企業の立場をさらに強くすることもあるが、衰退に追いやることもある。
このような変化のうねりが押し寄せるとき、まったく新しい戦略が可能になる。

外生的な変化のうねりは、ヨットの帆に吹き付ける風のようなものだ。
ときにはヨットを飛ぶような勢いで走らせるかと思えば、転覆させることもある。
こうした荒々しいダイナミクスを自分たちの目的に適うように活かすことがリーダーの役割であり、そのためには鋭い洞察力やスキルや創造性が必要になる。
うねりが来たら業界の構図はどう変わるのかをみきわめ、これから高地になりそうな方向を狙ってリソースを配分し、上手に波に乗ることが望ましい。

それについてお話しする前に、歴史的な視点から考えてみたい。
今日では変化のペースが速くなっている、われわれは絶え間なく続く革命の時代に生きている、といったことがよく言われる。
安定など時代遅れで、過去の遺物だというのだ。
だがこれらはすべて、たわごとである。
実際にはほとんどの産業は、ほとんどの時代を通じてきわめて安定している。
それに、ちょっとした変化はいつの時代にもあったのだし、今日の変化が過去と比べてきわめて大きいという見方は、歴史を無視していると言わざるを得ない。

うねりの気配を感じとる p244

私は一九九六年に、パリでマトラ・コミュニケーションズのエグゼクティブにインタビューした。
マトラ・グループは兵器、航空機からエレクトロニクス、通信まで手がける国営企業だったが、数年前にフランス政府が保有株を売却して民営化されていた。
その後、マトラ・コミュニケーションズにはカナダのノーザン・テレコムが三九%出資している。

マトラ・コミュニケーションズの会長兼CEOのジャン=ベルナール・レヴィは当時四〇歳。
アメリカの基準からすれば若い経営者だが、フランスには優秀な若者を国が教育するグランゼコールというエリート養成校があり、そこを出れば若くても政府や民間企業の要職に就くことができる。
レヴィも政府機関、フランス・テレコム、マトラで勤務した後、二〇〇二年にはメディア大手のヴィヴェンディのCEOになった。

私は、レヴィと右腕の最高財務責任者(CFO)から、変化の速い通信業界でマトラ・コミュニケーションズが直面する課題について話を聞いた。
レヴィは次のように語った。

「通信事業は、メインフレーム・コンピュータと並んで、グローバル・レベルでの規模の経済がモノを言う。
三大市場(日本、欧州、北米)のうち少なくとも二つで大きなシェアを持たない限り、ニッチ・プレイヤーに甘んじなければならない」。
そして皮肉な笑いを浮かべた。
「さもなくば、政府に頼って国内市場で独占を確立するしかない」

「だとすると、マトラにとっては厳しい状況ですね」と私は質問した。
「マトラは通信機器で世界の上位一〇社に入っていませんから」

「たしかに」とレヴィは答えた。
「だがチャンスはある。
携帯電話がこの業界を大きく揺さぶると考えられるからだ。
ヨーロッパの規制緩和によって、ゲームのルールは変わるだろう。
またインターネットが通信、データ、エンターテインメントの境界を曖昧にすると私は見ている」

「では、ネットワークとモバイル機器に大きなチャンスがあると考えているのですね」

「その二つはすぐにやって来る変化だ。
もっと多くの変化があとからやって来るだろう」

変化はチャンスを意味するが、最近の変化は必ずしもマトラに有利ではなかった。

「私は通信業界の構造にかかわるような変化について調べています。
たとえば、シスコ・システムズの目を見張るような成功を考えてみましょう。
彼らは、通信とコンピュータのインターフェースで成功した。
これは、大方の見るところ、AT&TとIBMの独壇場だった分野です。
にもかかわらず、後発のシスコが市場を席巻した。

あなたが言うとおり、通信機器やメインフレーム機の市場では、規模の経済が参入障壁となってきました。
ですが、シスコシステムズは大学職員二人で立ち上げた会社です。
それなのに、規模という障壁をぶち破った。
AT&T、IBM、アルカテル、シーメンス、NEC、そしてマトラという巨人の鼻先で、ネットワーク機器市場を押さえてしまったのです。
なぜでしょうか」

CFOは、ストックオプションを餌にして最高級の技術者を集めたことが原因だと述べた。
だがレヴィは首を振った。

「マトラの技術者にネットワーク機器を設計させたことがある。
彼らは、基本原理はよく理解していた。
だがシスコのマルチプロトコル・ルーターの性能を再現することは無理のようだった」

「シスコは重要な部分を特許で押さえているのでしょうか」と私は質問した。

「もちろん彼らは、何件も特許をとっている。
だが重要なのはそのことじゃない。
シスコのルーターの要は、ファームウェア(ハードウェアの基本的な制御を行うために機器に組み込まれたソフトウェア)だ。
シスコの製品には、おそらく、きわめて巧みに生成された数十万行におよぶコードが組み込まれている。
それを作成したのは、二~五名程度の少人数のチームだろう。
この非常によくできたコードが、シスコ製品の強みになっている」

その夜オフィスに戻って録音を書き起こしながら、私はレヴィの言ったことを改めて考えた。
ルーターというのは、要は小型のコンピュータである。
そこにはマイクロプロセッサ、メモリ、入出力ポートがあって、データの流れを管理している。
使われているマイクロプロセッサやメモリはふつうに流通しているものだから、ルーターの性能がそれらによって決まるわけではない。
では、シスコのルーターをマトラがまねできないのはなぜか――答は、コードつまりソフトウェアにある。
いや正確には、ソフトウェアを書くスキルにある。

そして私ははたと気づいた。
それまで私は、シスコはスキルがスケール(規模)に勝った唯一の例だと考えていたが、そうではないのだ、と。
シスコがうまく活かしているのは、一企業、一産業の枠を超えた大きなうねりなのである。

従来コンピュータや通信機器の分野で成功するには、数十億ドル規模の大型プロジェクトで大量のエンジニアをとりまとめ、さらに大量の労働者を管理して複雑な電子機器を製造することが必要だった。
それをやれる能力が備わっていたから、IBMやAT&Tは繁栄し、日本は技術集約型の成功を収めることができたのである。
だが一九九六年の時点では、成功のカギを握るのはソフトウェアになっていた。
そしてソフトウェアなら、大企業でなくても、頭の良い連中が何人かそろえば書き上げることができる。
規模の経済から個人のスキルへ――これが、大きな変化のうねりだった。
戦争の主流が、正規軍の衝突からゲリラ戦に移ったようなものである。
私はそのとき、背筋が寒くなるのを覚えた。
見えない地下の水脈が知らないうちに地層を侵し、あたりの風景を一変させるような気がした。

それ以前に私は東京で数カ月仕事をしたことがあり、二一世紀の主役は日本だと確信していたのだが、この大きなうねりがやって来たら、そうはなるまいと思えた。
変化のダイナミクスは工作機械にも、高炉にも、自動車にも、トースターにも拡がっていくだろう……。
そしてその通り、小さなチームのイノベーションに基づく起業文化が勃興し、シリコンバレーが一躍スポットライトを浴びるようになったのは、読者もご存じのとおりである。
この変化のダイナミクスはたくさんの企業の運命を変えただけでなく、一国の富をも変えたのだった。

うねりを察知するためのヒント p258

凪のときにヨットを操る腕前を見せるのはむずかしいのと同じで、平穏無事なときには戦略策定の手腕はあまり目立たない。
安定期には、後発企業が先行企業に追いつくのも、ライバルを圧してリードを奪うのもむずかしい。
だが変化のうねりがやって来るときには、戦略がモノを言う。
大企業がトップの座から滑り落ちたり、あちこちで下克上が起きたりするのはこんなときである。

変化のうねりを分析した理論などはいまのところ存在しないが、私が大学で教わったノーベル賞受賞物理学者のルイ・アルヴァレ教授に言わせると「まだよくわかっていない変化には『先端的』とか『高度』といった形容詞が付く。
すでにわかっているものは『基礎』と呼ばれる」のだそうだ。

一つの産業全体、さらには経済全体に拡がるような変化に直面し、そのダイナミクスを理解して先を読むのは、たしかに量子物理学に負けず劣らず「高度」で「先端的」かもしれない。
幸いにも経営者は変化のダイナミクスを完全に理解する必要はなく、ライバル企業より正しく理解すれば十分である。
変化がまだはっきりした形をとっていないうちに霧の中に踏み込み、ライバルより一〇%でも多くを読みとることができれば、優位に立てる。

霧の中を何も見えないまま運転したりスキーをしたりするときは、誰でも不安になるだろう。
光や晴れ間が見えてくれば、それを手がかりに進むことができる。
そこでここでは、変化のうねりを察知するための手がかりをいくつか提供したい。
第一は固定費の増加、第二は規制緩和、第三は将来予想におけるバイアス、第四は変化に対する既存企業の反応、第五は収束状態である。

第14章 慣性とエントロピー p269

エンジンを逆回転させても、大型タンカーが止まるまでには一キロメートル以上かかる。
このように、動いている物体がそのまま動きつづける性質を慣性と呼ぶことは、学校で教わったとおりである。
企業経営においては、組織が状況の変化に適応できない、あるいは適応しようとしない性質を「慣性」と呼ぶ。
改革プログラムに全力に取り組みはじめたとしても、大組織が基本のところを変えるまでには何年もかかることがある。

一方、変化に賢く対応できた企業は、その後にさらなる変化が押し寄せて来ない限りは安泰でいられるはずである。
ところがここに、エントロピーというもう一つの力が働く。
エントロピーは、おおざっぱに言えば不確定性や無秩序の度合いを表し、熱の移動などの変化に伴って増大する。
熱力学の第二法則によれば、孤立した系ではエントロピーは必ず増大し、絶対に減ることはない。
これを企業経営に置き直すと、組織は長い間には必ず秩序が緩み焦点がぼやけてくる。
したがって経営者はエントロピーを念頭に置き、たとえ戦略や競争環境に変化がない場合でも、目標や組織や行動が本来の方向に向かっているか、注意を払わなければならない。

慣性とエントロピーは、戦略にとって重要な意味を持つ。

第一に、戦略がうまく機能するときには、ライバルの慣性と非効率に助けられる場合が多い。
たとえばオンラインDVDレンタルのネットフリックスは、店舗展開にこだわるブロックバスターを倒産に追いやった。
またマイクロソフトは、携帯電話用のOSで先行していたにもかかわらず、その改善に手間どっているうちにアップルやグーグルにつけ入る隙を与えた。
ライバルの慣性を理解しておくことは、自社の強みを理解するのと同じぐらい重要である。

第二に、組織にとって最大の問題は外からやってくる脅威ではなく、身の内にあるエントロピーと慣性である。
エントロピーが増大していると感じたら、組織の刷新に手をつけるべきだ。
リーダーはエントロピーと慣性の実態をよく調査したうえで、業務慣行や企業文化、上下関係や勢力図を変えるような一連の改革を設計することが望ましい。

p277

陳腐化した業務慣行がもたらす慣性は、退治することができる。
最大の障害は経営陣の意識なのだから、そこが変わればよい。
新しいやり方が必要なのだとトップが理解すれば、あとは変化に俊敏に対応できるだろう。
そのためには、会社の業務慣行を見直すことのほか、進取の気性に富んだ人材を外部から登用する、より良く対応している企業を買収する、コンサルタントを雇うなどが考えられる。
どの方法を採るにせよ、旧来の慣行が染み付いている人や変化に抵抗する人には退場してもらわなければならない。
それと並行して、新しい流れに沿って組織を再編することが必要になる。

委任による慣性 p282

変化への対応が鈍いのは、必ずしも業務慣行への固執や文化の硬直化ばかりが原因ではない。
あえて変化に対応しない、あるいは変化に抵抗することを、企業は自ら選ぶことがある。
それは、既存の利益の源泉がまだまだ安泰だと見込めるときだ。
なぜ安泰なのか――顧客の慣性が働くからである。
すなわちこれは、顧客から委任された慣性と言うことができる。

たとえば、一九八〇年の銀行がそうだった。
この年に最優遇金利は二〇%に達している。
当時の銀行にはMMFなど新たな口座の開設が認められていたのだが、実際には彼らはどうしただろうか。
規模の小さい銀行や新規参入した銀行は、小口顧客を増やしたいと考えていたから、高金利を歓迎し、有利な預金口座を開発した。
だが昔からのお得意様を持つ伝統的な銀行は、何もしなかったのである。
もし目端の効く顧客が機敏に行動していたら、この手の銀行も高金利口座を用意するか、でなければ姿を消していただろう。
だが古い銀行の顧客はおっとりしていた。

当時私はフィラデルフィア貯蓄基金協会(PSFS)のコンサルタントをしており、預金の金利構造はどうなっているのかと協会幹部に質問した。
副理事長はあちこちパンフレットを探したが、預金金利についての説明資料は一切ないことが判明した。
「われわれの平均的な顧客は年金生活者で、金利など気にしないのだ」と副理事長は釈明した。
「この貯蓄基金は、この人たちのために五%をプールしてある」。
ということはつまり、この協会は預け入れられた資金を一二%で貸し出し、預金者には五%の利息しか払わないのである。
もちろん一部の賢い預金者は資金を引き揚げたが、大半の人はそのままだった。
その慣性たるや恐るべきものと言わねばなるまい。
この状況ではライバルは、相手が手をこまねいているうちにやすやすと貯蓄協会から顧客を奪うことができただろう。

同じような例は通信業界でも見られる。
地域電話会社は、インターネットが登場したとき、法人顧客向けにT1規格の回線を提供した。
この方式では通信速度は一・五mbps、料金は月額四〇〇〇ドルである。
一九九八年の時点では、電話回線を使った一般家庭向けデジタル加入者回線(DSL)の通信速度はT1規格の三分の一程度だが、料金は一三分の一だった。
つまり顧客はDSLを三本引いても料金は一〇分の一で済む。
しかしニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコといった大都市を抱える地域ベルは、高収益のT1事業を守るため、法人顧客にはDSLサービスを提供しなかった。
その結果、彼らは毎年一〇%の顧客を新参キャリア(ワールドコム、インターメディア・コミュニケーションズなど)に奪われていったが、T1事業があまりに儲かるため、それでも黒字だったという。

ここでも、電話会社の慣性と見えるものが、実際には顧客の委任によっていたことがわかる。
はなはだしい価格格差を目の当たりにしても、法人顧客がなかなかキャリアをスイッチしなかったために、電話会社は不当なサービスを維持することができた。
その結果、新参キャリアが次々に顧客を奪い、驚異的な成長を遂げ、さかんにもてはやされ、株価が急騰したのである。
だがついに古手が目を覚まし、本腰を入れて競争に臨むと、新参キャリアは一社も生き残ることはできなかった。
委任による慣性は、既存企業が古い収益源にしがみつくのをやめ、競争環境に対応しようと決意した瞬間に消滅する。
それは、一九九九年の電話業界に起きたように、まったく突然に起きる。
過去の栄光に浸っていた伝統企業を出し抜いたように見えた新参企業は、そのときを境にぱったり利益が途絶えてしまう。
しかも、この動きの当初に自らスイッチした顧客は、価格にもサービスのクオリティにも敏感なタイプであるため、すぐさままた乗り換えようとする。
したがって、新参企業の凋落には拍車がかかることになる。

逆に、新参企業が価格優位に加えてクオリティの面でも顧客の信頼を勝ちとることに成功すれば、既存大手が遅ればせながら目を覚まして競争に復帰してきても、顧客を取り戻すことはできない。

エントロピー p284

現実の世界でエントロピーの作用を見つけるのはむずかしくない。
たとえば偉大な美術作品も、時が経つにつれて輪郭がぼやけ、絵具が剥離し、熟練した修復家が手を施さない限り、原形をとどめなくなる。
また郊外の通りを運転していると、人が住まないまま放置された家をよく見かける。
雑草が生い茂り、ペンキは剥がれ、荒れ放題だ。
また、長らく緩んだ経営をしてきた企業では、製品群が無秩序に乱立し、無節操な値引きが行われ、納期は守られず、経営幹部が利益をごっそり懐に入れる、といったことになりがちである。
どの例でもエントロピーが増大している。

とは言えエントロピーは、戦略コンサルタントにとってはありがたい存在である。
破滅の元凶であるエントロピーが存在するからこそ、どの企業にも生い茂る雑草を取り除くために、コンサルタントの出番が回ってくる。

第15章 すべての強みをまとめるNVIDIAの戦略 p296

NVIDIA(以下エヌビディア)は3Dグラフィックチップで知られるアメリカの大手半導体企業である。
設立後短期間で急成長を遂げ、インテルを始めとする業界大手を次々に出し抜き、高性能グラフィックチップで一躍業界リーダーと目されるようになった。
二〇〇七年にはフォーブス誌が同社を「カンパニー・オブ・ザ・イヤー」に選出し、「一九九九年の株式公開以後、同社の株価は二一倍になり、同時期のアップルをもしのぐ勢いを見せている」と評価した(註1)。
共同創設者のジェン・スン・ファン(黄仁勳)がCEOを務める。

エヌビディアはどこからともなく現れて、ほぼ戦略だけの力で市場を席巻したと言ってよい。
エヌビディアのサクセスストーリーを追って行くと、良い戦略のカーネル、すなわち診断、基本方針、行動を見出すことができるし、本書の第2部で取り上げたテコ入れ効果や設計などさまざまな手法も使われていることがわかる。
またライバルの慣性やエントロピーも賢く活用されている。

p304

ジェン・スンファンは、ムーアの法則を打ち破ることが自社の競争優位になると確信していた。
GPUの性能をCPUの三倍のスピードで進化させることは十分に可能である―エヌビディアは一八ヵ月ごとではなく、六カ月ごとにGPUの性能を大幅に向上させてやろう、とファンは決めた。
これが、エヌビディアの基本方針に相当する。

悪いストラテジストは、ここで止まってしまう。
「六ヶ月ごとにGPUの性能を二倍にする」といった景気の良いスローガンを掲げ、あとはひたすら尻を叩く。
だがエヌビディアの経営チームは、ちがった。
この方針を実現するために、一貫した行動計画を立てたのである。

まず、開発チームを三つ発足させた。
各チームは、開発開始から市場投入まで一八ヵ月のサイクルで作業するが、三つのチームのスケジュールをずらすことで、六カ月ごとの新製品リリースを実現するという仕組みである。

六カ月のサイクルで、もし二ヵ月の遅れが出たら、一八ヵ月のサイクルより重大なことになる。
そこで、開発プロセスの遅れと不確実性を減らすための対策が講じられた。

遅れの重大な原因となるのは、設計ミスである。
チップを設計してメーカーにアウトソースし、一カ月後に試作品が戻ってきたときにバグがいくつも発見されたら、設計をやり直さなければならない。
この問題を解決するために、エヌビディアはシミュレーションやエミュレーション技術(あるハードウェア用に開発されたソフトウェアを、設計の異なる他のハードウェア上で実行させる技術)に積極的に投資し、チップの設計プロセスに活用した。
この方面は共同創設者であるクリス・マラコウスキーの得意とするところで、彼が設計ロジックの検証を担当した。

だが設計ロジックがいくら正しくても、電子流のタイムラグや信号劣化などによる物理的な機能不全という問題はつねに起こりうる。
この種の問題を防ぐために、エヌビディアはチップの電気的特性をシミュレートする困難な作業にも多額の投資を行った。

遅れを引き起こすもう一つの要因としては、ドライバの制作に時間がかかることが挙げられる。
通常はチップ・ベンダーからチップを受けとってから、グラフィックボードのメーカーがドライバを書きはじめるので、ここにタイムラグが生じる。
しかも新しい3Dグラフィックス方式では、従来よりはるかに高度なドライバが必要だ。
そのうえボード・メーカーは微妙な問題も抱えていた。
たとえばエヌビディアがボード・メーカー二社にチップを供給すると、どちらのメーカーもバグは自分たちで直してチップ・ベンダーにはフィードバックせずに済まそうとする。
ベンダー経由で敵に塩を贈るのを避けるためだ。
またこのやり方では、チップは同一でもボードごとに異なるドライバが制作されるため、ドライバのアップデートも、旧型品を持っているユーザーへの配慮も複雑になる。

これらの厄介な問題に対してエヌビディアが出した答は、統合ドライバ・アーキテクチャ(UDA)だった。
エヌビディアのチップはすべて同一のドライバを使用し、インターネットから簡単にダウンロードできるようにしたのである。
ドライバがチップを識別して自動で対応するので、ユーザーはドライバとチップの組み合わせを心配する必要がなく、非常に使い勝手が良くなった。
またこの方式では、ボード・メーカーではなくエヌビディアがドライバの設計・販売まで手がけられるようになった。

ドライバの開発期間を短縮するため、エヌビディアはエミュレーションへの設備投資をさらに増やした(註3)。
その結果、チップ完成の四~六カ月前からドライバの開発に着手することが可能になって早く会得できるだろう。
開発サイクルを短縮すると、新製品がそのクラスで最高の地位を占める確率が高まるというメリットがある。
エヌビディアの開発サイクルが六カ月、ライバル社が一八カ月だとすると、エヌビディア製品は、八三%の期間はライバル製品を上回る計算になる。
加えて、ひんぱんに新製品がリリースされるので絶えず話題に上ることになり、高価な広告への出費を抑えられる。
さらに、サイクルが短ければ技術者は早く経験を積めるので、製品開発のコツを早く会得できるだろう。
この新しい戦略を実行するに当たって、エヌビディアは手元資金をエミュレーション装置と新型チップの開発に注ぎ込んだ。
こうして一九九七年八月にリリースされたリーヴァ(Riva)128は、描画品質ではライバルの3dfxに劣るものの、その高速性と解像度が高く評価された。
また低価格だったため多くのボード・メーカーで採用され、まずまずの成功を収める。
おかげでエヌビディアは息を吹き返し、次の製品開発に資金を回せるようになった。

そして一九九八年にリリースされた後継製品のリーヴァTNTで、エヌビディアは新たな一歩を大きく踏み出す。
これは統合ドライバを採用した最初のチップで、マイクロソフトのダイレクトX6に対応している。
この製品と後継のTNT2はほとんどの基準で競合製品を上回る評価を得た。
そしてTNT2から七ヵ月後にはジーフォース(GeForce)256を投入。
これは、3Dグラフィックスに新たな地平を切り拓く画期的な製品である。
なにしろチップ上にほぼ二三〇〇万個のトランジスタが詰め込まれているのだ。
この集積密度は、インテルのCPUペンティアムIIの二倍に相当する。
また浮動小数点計算能力は五〇ギガフロップスに達し、クレイTD3スーパーコンピュータに匹敵した。
チーフ・サイエンティストのデビッド・カークは、「エヌビディアの技術力はどんどん上がり、製品の性能はCPUの一〇倍のスピードで向上している。
ジーフォースはたった一〇〇ドルだが、一九九二年当時で一〇万ドルもしたシリコン・グラフィックスのリアリティ・エンジンより高速だ」と話している。

エヌビディアは性能面で業界リーダーの座を確立すると、今度は製造期間の短縮やドライバ問題、ボード・メーカーとの価格交渉などに乗り出した。
まず経営陣は、グラフィックボードの大手であるダイアモンド・マルチメディアが競争優位を失いつつあるのを見抜いてマージンの引き下げを交渉したが、同社は頑として応じなかった。

そこで今度はデルに乗り込んでプレゼンテーションを行い、業界慣行の問題点を指摘したうえで統合ドライバ・アーキテクチャの利点を訴えた。
デルの反応は好意的で、エヌビディアのチップを搭載し香港メーカーが製造したボードの採用に踏み切る。
この後エヌビディアは次第に受託製造企業との契約を増やしていった。
デルの受託製造企業はボードのブランドを自由に選ぶことができるので、多くの場合にエヌビディアの名前を選んでくれるからである。

その後五年間、エヌビディアは短いサイクルでのリリースと3Dグラフィックスの性能向上というパターンを継続し、一九九七〜二〇〇一年の四年間で一五七%の性能アップという驚異的な数字を記録(ちなみに性能は、一定時間内にレンダリングできるピクセル数を示すフィルレートで計測する)。
さらに二〇〇二~〇七年には年平均六二%の性能向上を達成した。
これは半導体技術の進歩と歩調をそろえており、たとえばインテルのCPUの処理能力はほぼ同じペースで向上している。
ただしCPUの場合、せっかくインテルが努力しても、同社にはどうにもならないハードウェアやソフトウェアのボトルネックで十分効果を発揮できないことが多い。
これに対してエヌビディアの性能は、ただちに直接ユーザーが実感できる。
ゲームファンは首を長くして新たな高性能品を待っているのだ。
技術の変化は往々にして業界構造の変化を引き起こす。
ここでは、チップ・ベンダーであるエヌビディアとボード・メーカーの関係が変わった。
意外なのは、この変化の重要性を見抜いた人がほとんどいなかったことである。
従来型の産業であれば、ボード・メーカーがエヌビディアのエミュレーターの開発に初期段階から関与していただろう。
ただしこれではボード・メーカーの交渉力が増大するうえ、情報がライバルに漏れる恐れがある。

ダイアモンド・マルチメディアについて言うと、エヌビディアの経営陣は、グラフィックスが2Dから3Dに移行したため、ダイアモンドの従来の付加価値はほとんど失われたと判断した。
そこでマージン引き下げを要求したわけだが、ダイアモンドは頑として拒んだ(マージンは約二五%にも達していた)。

標準的な産業分析では、デルのように有力な買い手は、エヌビディアに不利だと結論づけられるだろう。
だがエヌビディアの立場は、大手パソコン・メーカーに頼らなくても販路を確保できるダイアモンドとはちがう。
ダイアモンドという強力なブランドに拮抗するためには、エヌビディアはこうした大口需要家の力に頼る必要があった。
一般に模倣製品を売るのであれば、細分化した小口の買い手のほうが好ましい。
これに対して卓越した製品を持っているのであれば、デルのような大口需要家に買ってもらうほうがスポットライトを浴びやすい。

p312

マクラッケンの「売上を五〇%伸ばせ」というのは、典型的な悪い戦略である。
この手のスローガンが戦略としてまかり通っている企業があまりに多い。
マクラッケンは目標を立てただけで、それを実現するための方法を設計していない。
さらに言えば、成長とはあくまで戦略がうまく実行できたときに結果としてついてくるものであって、成長そのものを作り出そうとするのはまちがっている。
マクラッケンの下でシリコン・グラフィックスが仮に成長できたとしても、それは買収した企業の売上高を足し合わせただけのことである。
しかもこれらの企業のワークステーション戦略は、すでに陳腐化していた。

p316

戦略を練り上げるときは他人の視点に立つことが重要だ、目の前の状況がライバルの目あるいは顧客の目にどう映っているか考えてみるといいこのようなアドバイスをよく聞く。
しかしこのアドバイスでは、大事なことが見落とされている。
それは、そもそもどうやって戦略を考えるのか、自分自身の思考法について考えることである。

人間は自分の思考を意志の力で完全にコントロールすることはできない。
そのことに気づくのは、たとえば、危険や病気や死について熟考すべきときに、どうしても考えられないときである。
考えというものは、その大半が、意志の力でひねり出すと言うよりは単にひょいと思いつくものだ。
こうしたわけだから、次々に戦略を考えついたとしても、どうしてその考えが出てきたのかを振り返ることはめったにない。
しかも、その戦略が正しかったのか、事後に検証しないことも多い。

第16章 戦略と科学的仮説 p318

良い戦略は、これはうまくいく、あれはうまくいかない、それはなぜか、といった実際的な知識に基づいている。
基礎的な知識やいわゆる常識も大切だが、それらは誰にでも手に入るので、決定的な要因にはなりにくい。
最も価値のある知識は、企業にとって独自の知識、自ら発見あるいは開発した知識である。

企業は、これから進出する分野や強化する分野を積極的に開拓して独自の知識を収集する。
科学でいえば、「経験主義」を実践するわけである。
良い戦略は、他社には入手できないような独自の知識を存分に活かす機会を提示する。

新しい戦略は、科学の言葉で言えば、「仮説」である。
そして仮説の実行は「実験」に相当する。
実験結果が判明したら、有能な経営者は何がうまくいき何がうまくいかないかを学習し、戦略を軌道修正する。

p320

「科学的な知識はどこから来るのだろうか。
みなさんはそのプロセスをよく知っていると思う。
良い科学者は、すでにわかっている知識を限界まで獲得すると、そこから先へ進むために推論を行う。
未知の領域で何が起きるか、仮説を立てるわけだ。
科学者が知識の限界を超えようとせず、手持ちの知識の範囲内にとどまるなら、何の不安も苦労もないだろう。
だが、発見の喜びも栄誉もない。

同じようにビジネスの世界の戦略も、既知の領域と未知の領域のはざまに存在する。
他社と競争をしているうちに、知識の限界まで追いつめられる。
そこを超えなければ先んじるチャンスはない。
未知の領域へ足を踏み出すのだから、わからないことだらけだ。
みなさんが危惧するのはよくわかる。
チャンスには危険がつきものなのだから。

科学の世界では、まずは既知の法則や経験に照らして仮説を検証する。
仮説が基本的な法則や過去の実験結果に反しないか、確かめるわけだ。
このテストに合格した仮説は、現実の世界でのテスト、すなわち実験で検証しなければならない。

戦略の場合にも、すでにわかっている原則や過去の経験に照らして検証する。
このテストに合格したら、実際に試してみて何が起きるかを調べることになる。

知識の限界でうろうろしているとき、確実にうまくいく戦略を要求するのは、科学者に確実に真実である仮説を要求するのと同じことだ。
これが理不尽な要求だということはおわかりいただけるだろう。
良い戦略を立てることと、良い仮説を立てることは、同じ論理構造を持っている。
ちがいは、科学的知識の多くは共有されているが、経営に関して蓄積された知恵は業界や企業固有のものだという点だけだ。

要するに良い戦略とは、こうすればうまくいくはずだ、という仮説にほかならない。
理論的裏づけはないが、知識と知恵に裏づけられた判断に基づいている。
そして、みなさんのビジネスについて、みなさん以上に知識と知恵を持ち合わせている人は誰もいない」

啓蒙思想と科学 p322

継続的に良い結果が出ている状況で、かつ開拓すべき新たな機会がなさそうなときや新たなリスクが見当たらないときは、新しい発想はとくに必要としない。
そんなときは「これまで通りのことをこれまで以上にがんばる」のが論理的に正しい戦略となる。
だが変化の速い流動的な世界では「これまで通り」でうまくいくことはめったにない。
変化する世界で良い戦略を立てるには何かしら起業家精神の味つけが必要であり、新しいアイデアや知見をもって新たなリスクやチャンスに備えることが求められる。

クランクを回して整然と一定の手順で戦略を立てるようなやり方では、ほんとうにおもしろいアイデアは出て来ない。
純粋な数学の分野でさえ、新しい定理を打ち立てるのはきわめて創造的な行為である。

三段論法のような具合に順序正しく戦略を立てられるという考え方は、知る価値のある情報はすでにすべて知っていることが前提となる。
そうすれば、あとはその情報を投入して手順を踏んでいけばよい。
たとえばニュートンの万有引力の法則が与えられていれば、太陽を回る火星の軌道は求められる。
あるいはタンカー、パイプライン、精油所のコストと能力が与えられていれば、原油と精製品の流れを最適化できる。
このように、知るべきことがすべて与えられていれば、問題はクランクを回すだけになる。

重要な知識はすでに全部持っているとか、権威ある既知の情報源から入手できるという前提に立っていると、イノベーションは生まれない。
このような前提の下では社会の変革は圧殺され、組織や企業の改善や近代化は阻まれて、「いまのやり方がいちばんいい」ということになってしまう。
戦略を立てるに当たっては、居心地の良い前提や安心できる推論システムを捨てて、危うい未知の領域に踏み込んで自らの判断や洞察に頼らなければならないのである。

p326

科学の世界では新しい考えを「仮説」と呼ぶが、この言葉は、新しい考えが証明されるのを待っていることをみごとに言い表している。
新しい考えは、既存の知識のみからは生まれない。
新しい考えを生み出すのは、深い洞察であり創造的な判断である。
そして科学の科学たる所以は、現実の世界からとりだした実証データによって仮説の価値が決まるということだ。
けっして、仮説の提唱者の階級や富や人気で決まるのではない。
これこそが、啓蒙思想が巻き起こした革命だった。

戦略は、世界がどう動くかを知識と経験に基づいて予測する点で、科学的仮説と共通するものがある。
戦略の最終的な価値は、雑誌に取り上げられたとか、本の売れ行きが良いといったことではなく、成功したかどうかで決まる。
したがって戦略策定の作業は実証的かつ実際的にならざるを得ない。
とりわけ企業においては、どのような製品やサービスが必要とされるか、人間はどう行動するか、あるいは組織はどう運営すべきかについてどれほど立派な理論があるとしても、それが現実にうまくいかなければ、生き残れない。

科学の世界では森羅万象の一つひとつに説明を与えようとするのに対し、ビジネスの世界では理解や予測の対象ははるかに狭い。
だが、普遍性に欠けるからと言ってビジネスが非科学的だということにはならない。
科学とは方法であって結果ではない。
データに注意を集中する科学の方法は、ビジネスの基本でもある。

p339

ジョー・サントスの発言から、既存大手にとってスターバックスは立ち位置がよくわからない存在だったことがうかがえる。
とりわけジョーにとっては、スターバックスが垂直統合型の企業で、自前の豆を扱い、自前の店舗で提供しているところが奇妙に映ったのだろう。
とは言え、スターバックスは競争相手を攪乱するために垂直統合型を選んだわけではない。
万事を自前でまかなうことによって貴重な独自情報が得られるから、このスタイルを選んだのである。

統合がつねに良いとは限らない。
社外のサプライヤーから良い製品やサービスを買えるなら、高いコストと労力をかけて自前でやるのは、おそらくムダである。
だが多数の要素の相互作用から得られる情報が多くて学習の余地が大きく、それらのバランスを見ながら修正していく戦略を採用する場合には、そうした要素を自前で抱えてコントロールすることが意味を持つようになる。

第17章 戦略思考のテクニック p340

私はハーバード・ビジネススクールの博士課程にいた二五歳のとき、現場インタビューをして戦略事例のレポートを書くという課題を出されたことがある。
そこで、金属加工・成型のファンスチールという会社へ赴き、先端構造部門のゼネラル・マネジャー、フレッド・フレッチャーにインタビューを申し込んだ。
とは言うものの、私は心底困りきっていた。
戦略についてどんなことを聞いたらいいのか、皆目見当がつかなかったからだ。

フレッチャーは、私が無知な若造であることを気づいていないかのようにふるまってくれた。
彼がどうぞ何でも聞いてください、という様子を示すので、何か言わなければと焦った私は「まず、この部門が何をめざしているのか、うかがいたいと思います。
先端構造部門の目標は何でしょうか」と、ごくごく初歩的な質問をした。

フレッチャーによれば、その部門は最近買収した六社の事業を統括する任務を負っているという。
六社はそれぞれハイテク材料(チタン、コロンビウム、タングステン、ファイバーエポキシ樹脂、ファインセラミックスなど)の加工を得意とするが、基本的には職人の熟練技能に依存する小さな町工場である。
そこに合理的な経営手法を持ち込んで六社をうまく統合し、たとえば航空機メーカーから元請けとして受注するといった具合に、請負契約者としての地位を確立することが先端構造部門の目標だった。

そのようなハイテク材料を扱う企業が、まるで家内工業的な小さな注文製作の作業場であることに私はひどく驚いた。
するとフレッチャーは、こうした町工場的な企業がロサンゼルス周辺に集中し、航空産業を支えているのだと説明してくれた。
考えてみれば大学でもビジネススクールでも、実際の製造現場のことはほとんど教わっていなかった。
大企業は、こと設計に関しては優秀な人材とすぐれたスキルを誇るが、実際にナマの材料からモノを形作ることについては、じつはほとんど知識を持ち合わせていない。
材料の加工や成型は、ノウハウに習熟した職人が営む小さな工場に外注される。
たとえばタングステンの高精度鋳造はA社に、セラミックスの加工はB社に、燃料タンクのコロンビウム被覆はC社に、という具合に。

そこで私は、質問を連発した。
あなたはそうした統合を行った経験があるのか、そうした統合の例は業界にあるのか。
現在直面している課題のうち最も困難なものは何か、なぜ困難なのか。
さらにはハイテク材料や航空産業を巡る競争状況や、フレッチャーの部門の強みと弱点についても質問した。

三時間におよぶインタビュー(その成果として私は一五ページのレポートを仕上げることができた)が終わるとフレッチャーは立ち上がって私に握手を求め、「今年一年間で最も意義のある会話だった」と言ってくれた。

その後ずっと、フレッチャーがなぜあんなことを言ったのか、ふしぎでたまらなかった。
あれは会話などというものではない。
不勉強で無知な私は、明らかに初歩的な質問を連発し、彼の答をひたすら書き留めただけだ。
なぜフレッチャーはそれに意義を認めたのだろう。
結局のところ、彼は上司や部下以外の何も文句を言わない相手とおしゃべりできたのがうれしかったのだろう、と私は結論づけた。

リストを作成する p342

フレッチャーの発言の真意をようやく理解できたのは、それからだいぶたってからである。
ピッツバーグにあるレパブリック・スチールの本社で取締役会向けにプレゼンテーションを行った後、ランチをとっていたときのことだ。
話題は自然にピッツバーグの栄光の日々のことに移り、USスチールの創業者アンドリュー・カーネギーの思い出話になった。
「あなたはコンサルタントなのだから、きっとこのエピソードには共感を覚えるだろう」と前置きしてCEOが語ってくれたのが、次のエピソードである。

「一八九〇年のこと、ピッツバーグでカクテルパーティーが催され、カーネギーを始め大勢の名士や有名人が招待された。
カーネギーは部屋の片隅で葉巻をくゆらせていたが、そこにはひっきりなしに人々が挨拶に行ったものだ。
やがて誰かがカーネギーにフレデリック・テイラーを紹介した。
のちに“科学的管理法の父”として知られるようになる人物だが、当時はまだ売り出し中のコンサルタントである。

『やあ、お若いの』とカーネギーはうさんくさそうに若者に一瞥をくれて言った。
『君が経営について聞くに値することを言ったら、一万ドルの小切手を送ってやろう』。

一八九〇年の一万ドルは、ものすごい金額だ。
このやりとりに、近くにいた人々は耳をそばだてた。

テイラーは臆せず答えた。
『あなたにできる重要なことを一〇項目列挙したリストを作ることをおすすめします。
リストができあがったら、一番目の項目から実行してください』。

この話には後日談がある。
一週間後にテイラーは、一万ドルの小切手を受けとったのだ」

私は情けないことに、最初は狐につままれたようだった。
これはジョークなのか、とさえ思った。
なぜカーネギーはそんなアドバイスに一万ドルも払ったのだろう。
リストを作るなどということは、経営のイロハのイである。
経営や起業の本を読んでも、自己啓発書の類いを読んでも、「リストを作りましょう」と書かれている。
経験豊富な偉大な経営者に対する有効なアドバイスとはとても思えない。
あまりに簡単すぎる。
鉄鋼王と呼ばれる大経営者のアンドリュー・カーネギーは、リストからほんとうに何か得るところがあったのだろうか。

その晩になってから、私はこのエピソードの深い真実に気づいた。
カーネギーはリストそのものから何かを得たのではない。
リストを作るという行為が重要だったのである。
複数の目標があるとき、標的を定められたミサイルよろしく次々に目標を達成していけると考えるのは、単純に過ぎる。
人間の認識能力には限りがあり、あることに注意を向けると、それ以外のことは見えなくなってしまう。
ちょうどスポットライトを浴びたものだけが輝き、他は闇に沈んでしまうように。
日常生活でも、あることに気をとられてほかが見えなくなる経験はよくあるだろう。
たとえば、誰かに電話をするのを忘れてしまったり、帰りがけにミルクを買うのを忘れてしまったりする。
それはたぶん、仕事や運転など他のことに注意を集中していたからだ。
だがそれどころか、人間は目先のことに気をとられ、もっと大切な何かを忘れてしまうことさえある。
たとえば仕事に夢中になって家庭を顧みず、手遅れになってから自分の優先順位の誤りに気づく人は少なくない。
企業の例で言えば、ある会社を買収しようとライバル社と競っているうちに、買収のそもそもの目的を忘れてしまう、という笑えない事態がよくある。

テイラーのアドバイスを聞いて、銀行振込をするとか、誰かに電話するといったリストを作った人もいるかもしれないが、カーネギーが一万ドル払ったところをみると、そうした雑事のリストを作ったとは思えない。

テイラーが奨めたのは、単に重要な問題のリストを作ることではないし、もちろん単なる「やることリスト」を作ることでもない。
重要であって、かつ実行可能なことのリストを作るように、とテイラーは助言したのである。
その助言に従ったカーネギーは、最も重要な目標を選び出し、どうやってそれを達成するかについて熟考したにちがいない。
だから気前よく一万ドル払ったのだ。

そこに気づいたとき、フレッチャーの言葉が脳裏によみがえってきた。
大学院生だった私に部門の目標、競争優位や弱点、直面する課題などを質問されたとき、日常業務に取り紛れて言わばファイルボックスの下のほうに埋もれていた重要な課題を、彼は上に引っ張り出してきたのだ。
あのインタビューは、自分の置かれた状況を思い出させ、いま何をすべきかを考えさせるものだった。
フレッチャーは私との会話を通じて自分の「リスト」を作り、優先順位をつけたのである。

リストを作ることは、認識能力の限界を乗り越える手段と言える。
リストがあれば忘れてしまうことを防げるし、リストを作る過程で、抱えている問題の相対的な緊急度や重要度を天秤にかけることができる。
そして「いまやるべきこと」が明確になれば、問題解決に向けた行動を起こせるはずだ。

今日では、戦略の策定や分析のためのじつにさまざまなツールが用意されている。
どれも少しずつ趣向がちがっていて、たとえば競争優位を認識するためのツールもあれば、産業構造を把握するためのツールもあり、重要なトレンドをみきわめるためのツール、模倣を防ぐためのツールなどもある。
だが、もっと根本的なことはほかにある――それは、認識能力の限界や先入観、すなわち目先の問題にとらわれがちな近視眼的傾向を克服することである。
視野狭窄は、あらゆる戦略立案の邪魔になる。

戦略的になるということは、近視眼的な見方をなくすということである。
逆に言えば、ライバルより広い視野を持つことである。
同業者や競争相手が何をしているか、何をしていないか、つねに認識していなければならない。
だからと言って遠い将来を予見する必要はない。
あくまでも事実に基づいて、産業構造やトレンド、競争相手の行動や反応、自社の能力やリソースを観察し、自分の先入観や思い込みをなくしていく。
そう、戦略的であるとは、近視眼的だった自分から脱皮することだと言えた。

p349

私は頷き、全員の戦略案にもう一度目を通した。
複数の方向性を検討したのは一人だけで、残りはみな、まず問題の所在(製造、ケーブルテレビ事業者など)を突き止め、次にその解決策を提案するというアプローチをとっている。
この二段階方式をとった人の中で、あとから最初の段階に戻り、それ以外に大きな問題はないか見直している人はいなかった。

私は教室を見回しながら、次のように言った。

「この課題では、全員が同じものを読んでいる。
にもかかわらず、一人ひとりが注目した問題点は多種多様だ。
製造コストを問題にした人もいれば、ケーブルテレビとの関係を問題にした人もいる。
そしてほぼ全員が、自分が最初に注目した問題にこだわり、それを解決する戦略を提案している。

じつは、こうなるだろうと思っていた。
というのも人間はほとんどの場合、最初に思いついたアイデアで問題を解決しようとするからだ。
たしかに大半のケースでは、このやり方が妥当だと言える。
日常生活では、最初に思いついたことを実行するほうが効率的だ。
それに、問題点を逐一取り上げて分析する時間もなければ、エネルギーや気持ちの余裕もない、というのが本音だろう」

私の言葉を聞いて、みなきまり悪そうにした。
それから、一人が言った。

「ですが、マルコム・グラッドウェルは『第一感』の中で、最初の判断が最善であることが多いと言っています(註1)。
人間はなぜかわからないままに複雑な判断をやってのける、と。
すべてを俎上に載せて分析しようとすると、かえってどっちつかずの判断になるのではないでしょうか」
これは、的を射ている。
グラッドウェルの『第一感』はとても魅力的な本だ。
人間には複雑な情報を素早く処理する能力があり、どうやったのか自分ではわからずとも妥当な判断を下すことができる、と彼は主張する。
たしかに、そういうことは多い。
とりわけ他人のことや社会的なことを巡る決断、あるいはパターン・マッチング(特徴的な類似点の把握)などでは、「第一感」による瞬時の判断が有効だ。
グラッドウェルは、とくに経験を積んだ人が瞬時に下す判断は信頼に足ると指摘する。

このように直感は驚くほど正しい判断につながることが多いものの、だからと言って直感がつねに正しいと思い込むのはまちがっている。
状況によっては熟考すべきであることは、やはり認めなければならない。

私は、「第一感」に基づく判断が有効なのは、時と場合によると答えた。
そして、多くの調査が、人間の判断は瞬時であれ一ヵ月の熟考後であれ、誤っていることが多いとの結論に達していることも指摘した。
直感に頼るべきでないケースとしては、ある出来事が起きるかどうかの確率に関する判断、自分自身の能力と競争相手の能力との比較、因果関係の立証などが挙げられる。
確率予想では、経験を積んだ専門家でさえ、先入観にとらわれがちだ。
たとえば多くの人が、広範な統計結果よりも印象的な事例に目を奪われてしまう(註2)。
また、自分の能力は誰しも過信しやすい。
たとえば私が教えているMBAコースの学生は、全員が自分は上位半分に入っていると確信していた(そういうことはあり得ない)。
しかも試験の成績を知らせた後でも、その確信は揺るがなかったのである(註3)。
そして生データからの推論では、人間はランダム分布のときでもパターンを見つけようとするし、単なる相関関係を因果関係と見なしがちである。
また、自説に反する情報は見落としたり、見ないふりをしたりする。

私は少々意地悪く質問した。
「アメリカの大統領が戦争すべきかどうかを一瞬で判断していいだろうか。
企業のCEOが買収すべきかどうかを、データ分析もせずに決めていいだろうか」。
全員が首を振った。
あまりに重要な問題や複雑な問題は、やはり直感に任せるべきではない。

「そういうわけだから、戦略を一瞬で決めるとあとあと困ったことになる。
そもそも戦略というものは、非常に重要な問題や非常に困難な状況で立てるものだ。
だから、そう簡単に決めるべきではないと考えるのがふつうだろう。
みなさんは経験豊かなシニアマネジャーなのだから、そのことは当然知っているはずだ。
そうなると、ここに謎が一つ浮かび上がってくる。
なぜみなさんは、ぱっと思いついたアイデア、なんだかよくわからないうちに出てきたアイデアに基づいて戦略を立てたのだろうか」

数秒の沈黙の後、一人が言った。
「時間がなかった」

「たしかに、それはつねに悩ましい問題だ」と私は同意した。

「判断の問題だからだ」ともう一人が言った。
「この種の問題に正解はない。
不確定要素があまりにも多すぎる。
何が有効かは各自の判断に頼らざるを得ない」

これは、鋭い指摘だった。
意思決定をするときの基本的なアプローチは、可能な解決策をすべてリストアップしたうえで、費用便益分析などを行い、最善の案を選ぶことである。
だがTiVoのような状況は複雑すぎて、標準的な手続きが当てはまらない。
そこで百戦錬磨のシニアマネジャーたちは、この状況が通常の意思決定ツールや分析ツールの対象にはならないと判断し、自らの直感に頼ったというわけである。

「なるほど、これは判断の問題にちがいない」と私は認めた。
「それに実際、みなさんが決めた戦略案は、みなさんが知る限りでは最善の判断なのだろう。
だがそれにしても、なぜ別の視点から問題を捉えようとしてみなかったのか。
なぜ別の案も用意して比較検討しようと考えなかったのか。
なぜ最初に浮かんだ考え一本槍で突き進んだのだろうか」

じつはこれは、私が長年にわたって頭を悩ませてきた問題である。
一七人のシニアマネジャーたちに、私は自分なりの考えを披露した。

「TiVoのような複雑な状況に直面したとき、たいていの人は当惑する。
問題に真剣に取り組むほど、事態は深刻だとわかってくるだろう。
そうなると、ますます困惑することになる。
このような問題は、構造的に困難な問題と言える。
まず、変数が多すぎるし、未知の要素が多すぎる。
どのような行動をとるべきか、選択肢もわからないし、ある行動をとったときの結果も読めない。
それどころか、TiVoを巡る状況で何が問題なのかさえ、はっきりとわかっていない。
波の荒い海に落ちたようなもので、自分の位置もわからなければ、すがるものもない、という状況だ。
そんなとき、最初に閃いたアイデアは溺れる者にとっての藁と言える。
それっとばかりに飛びついてしまう。

問題は、いったん藁に飛びついてしまうと、藁よりもっと良いものがすぐそこにあるかもしれないのに、もはや気づかないことだ。
せっかく良いアイデアだと思ったことをいったん放棄して別の選択肢を探すのは、誰だって気が進まないものだからね。

こうしたわけで、人間は何かを思いつくと、それを疑いの目で見てあら探しをするのではなく、何とか正当化することにエネルギーを使うようになる。
たとえ経験豊富なエグゼクティブであっても、だ。
おそらくそれが人間の本性なのだろう。
簡単に言ってしまえば、われわれは自分の考えを厳しい目で検証するという苦痛な作業をなんとか逃れようとする。
だから最初の判断が正しいのだと理屈をつける。
しかも自分がいやな作業から逃げたことを意識していない」

そして最後に私は付け加えた。
「だがみなさんには、この無意識の罠にはまらないでもらいたい。
いまでは罠の存在を知ったのだから、問題にどう取り組むか、自分で選ぶことができるはずだ。
自分の考えの道筋を自分で導くことができるだろう」

そしてこれこそが、戦略思考の極意だと確信する。
いろいろな戦略ツールを使いこなすことより何より、自分の考えを自分で疑い検証できることが大切なのである。

戦略思考のテクニック p354

ある分野で戦略を立てるには、その分野について十分な知識を持っていなければならない。
これに関しては、現場の実地経験にまさるものはないと言えよう。
経験を積むと、「この状況ではこれがうまくいく」とか「この状況ではこういうことが起こりうる」といった判断がつくようになる。
寒気がしたら風邪薬を飲むように、多くの人がパターンに従って行動している。

とは言え、経験と知識さえあれば良い戦略が立てられるわけではない。
経験や知識が豊富でも、戦略が不得手な経営者は大勢いる。
目先のことや最初の思いつきに迷わされずに自分の考えを導いていくためには、三つの習慣をつけるとよい。
第一は、近視眼的な見方を断ち切り、広い視野を持つための手段を持つこと。
たとえばリストは良い方法である。
第二は、自分の判断に疑義を提出する習慣をつけること。
自分からの攻撃にすら耐えられないような論拠は、現実の競争に直面したらあっさり崩壊してしまうだろう。
第三は、重要な判断を下したら記録に残す習慣をつけることである。
そうすれば、事後評価をして反省材料として活用できる。

テクニック1 カーネルに立ち帰る p355

カーネルは、良い戦略には最低限三つの要素(診断、基本方針、行動)が備わっていることを思い出させてくれる、一種のリストである。
状況を診断し、基本方針を定め、一貫した行動を設計することは、どんな戦略にも欠かせない。
状況がわかっていなかったら方向は決められないし、方向性が決まっていなかったら、そもそも一貫性のある行動などとれない(カーネルのくわしい説明は第5章を参照されたい)。

テクニック2 問題点を正確にみきわめる p356

入念な診断をせずに戦略を立てようとするケースがひんぱんに見受けられる。
いま基本方針や行動計画を練っている人、これから練ろうとする人は、そもそもの状況はどうだったのか、診断に遡ってチェックすることをお奨めする。
そのための特別なスキルは何もいらない。
つねに心がけて実行すればよいだけである。

多くの人が戦略とは行動を起こすことだと考えているが、その前に困難な状況をみきわめる作業があることを忘れてはいけない。
何が問題なのか、何が障害物になっているのかを把握していれば、どんな戦略が可能なのかがより明確になる。
さらに重要なのは、いくつかの要因が変化したら、戦略の効果にどのような影響がおよぶかを見越しておくことだ。
そのためには、「何をするか(what)」から「なぜそれをするのか(why)」へと視点を移す必要がある。
言い換えれば、方針を決めることよりも、方針を決定づけるような要因、とくに懸念すべき問題点を見つけることに比重を移すのである。

テクニック3 最初の案を破壊する p358

最初の思いつきで戦略を立てる悪癖を直す方法は、簡単である。
一つの戦略で満足せず、別の戦略を探すことだ。
ところが私がそう言っても、たいていの人が最初のアイデアにこだわり、その派生バージョンしか考えようとしない。
意識的にせよ無意識にせよ、こうした人たちは複数の案を考えるのがいやなのだろう。
彼らの「代案」とは、多くの場合、元のアイデアをちょっと変形させた案、形ばかりの付け足しをした案、あるいは「静観する」「もっとデータを集める」といったどんな状況にも使える案である。

別の戦略案を立てるからには、もう一度状況をじっくり見て事実を確かめ、診断するところから始めなければならない。
また、最初の案の弱点を克服できる案でなければならない。
より良い案を練るためには、最初の案の弱点をえぐり出し、矛盾を見つけ出して、「破壊」するというステップが必要になる。

p360

スティーブ・ジョブズは、言うまでもなくアップルの共同創設者であり、ピクサーのCEOでもある。
世界で最も知られた起業家と言ってよい。
マッキントッシュ・コンピュータを開発するときにジョブズが掲げた方針は、いまや伝説となっている。
その方針とは、①途方もなくすばらしい製品を想像する、②世界最高のエンジニアとデザイナーを集めた少数精鋭のチームを編成する、③見た目が美しく印象的で、使い勝手が良く、革新的なユーザー・インターフェースを備えた製品を作る、④創造性あふれる広告を通じて、その製品がいかにクールでトレンディかを世界に発信する、というものである。

第18章 自らの判断を貫く p365

まわりがみな浮き足立っているときに君が冷静さを保てるなら……
――ラドヤード・キプリング「もしも君が」
良い戦略が注意深い状況判断から生まれることはすでに何度も書いたとおりである。
その判断は、最終的にはあなた自身のものでなければならない。
周囲に流されたり大勢に従ったりしていたら、悪い戦略しか生まれない。
いや、それは戦略と言うより、単なる人気とりのスローガンになるだろう。

p370

コストという概念はなかなかに厄介である。
よく「××製品のコスト」というような言い方をするが、これは混乱を招きやすい。
実際には、コストは製品によって決まるのではなく、選択によって決まる。
製品をもう一つ作ることを選択したときのコストには、限界費用という名前がついている。
一年分の原料を購入して生産コストを一定に維持する選択をすれば、平均費用になる。
工場を建設して生産コストを長期的に一定に維持する選択をすれば、長期平均費用だ。
急な注文や特別注文に応じる選択をしたときのコストには特別な名前はついていないが、たしかにそういうコストも存在する。
要するに、ある製品のコストは一通りと決まっているわけではない。
すべては選択次第である。

さて、では、電話である。
もう一回電話をすると決めたときにかかるのはわずかな電力ぐらいで、実質的にゼロと言ってよい。
一年間毎日一回よぶんに電話をする選択をしても、そのコストは限りなくゼロに近いだろう。
ケーブルを敷設して一年間毎日数千回の電話をするとなれば、保守費用や経費が発生するが、設備投資のコストは発生しない。
海底ケーブルを介してデータを送る「コスト」は、ナローパイプであれファットパイプであれ、基本的にゼロなのである。
そういう状況で元独占企業との競争が勃発したら、どうなるだろうか。

経営戦略のコースでは、最初に必ず産業構造と利益の関係を学ぶ。
その際に、産業構造の先駆的研究として知られるマイケル・ポーターの名著『競争の戦略』を参照するのだが、それによれば最悪の産業とは次のようなものだ。
製品は差異化を図る余地のないコモディティである。
コストはどこもほぼ同じで、どの企業も同じテクノロジーを利用できる。
買い手は価格に敏感で、かつ情報を簡単に収集でき、そのうえ事前予告なしに有利なサプライヤーに乗り換えることができる……。

p376

5フォース分析をやりさえすれば、価格破壊が起きることは容易に予想できたはずだ。
それを怠ったのは、株式市場がひどく魅力的なシナリオを示していたからである。
コンサルタントも投資家も、アナリストもストラテジストも、まばゆい株価総額にすっかり幻惑されていた。
あるコンサルタントは真顔でこう言った。
「たしかに彼らの商品は完全なコモディティだ。
だが、いま起きているのはまったく新しい動きだ。
市場はそれを信頼している」。
かくして彼らは思考停止に陥ったのである。

p394

群れの圧力は、「みんなが大丈夫だと言っているのだから絶対大丈夫なのだ」と考えることを強要する。
内部者の視点は、自分たち(自分の会社、自分の国、自分の時代)は特別なのだから、他の時代や他の国の教訓は当てはまらないと考えることを強要する。
こうした圧力は、断固はねのけなければいけない。
現実を直視し、群れの大合唱を否定するデータに目を向ければ、また歴史や他国の教訓から学べば、それは十分に可能である。

p398

ルメルトの功績は、市場の力を重視する伝統的な競争戦略論に対して、組織の持つ強みやコア・スキルなどを重視する「リソース・ベースト・ビュー(RBV:経営資源に基づく戦略論)」に多大な貢献をしたことにある。
ハーバード・ビジネス・レビュー誌では、経営分野で最も影響力のある理論家五〇人を一年おきに発表しているが、二〇一一年にルメルトは堂々二〇位に選ばれている。
また経営学者のジェイ・B・バーニーは、経営戦略論の教科書としても評判の高い大著『企業戦略論』の中で、マイケル・ポーターの『競争の戦略』と並んでルメルトの『多角化戦略と経済成果』を挙げ、経営戦略論の嚆矢をなすものと高く評価した。

p399

「戦略策定の要諦はカーネル(診断、基本方針、行動)にあり」とするルメルトの戦略論は簡潔で普遍性があり、企業はもちろんのこと、学校、病院、ボランティア組織から官庁、軍隊にまで応用がきく。
パワーポイントや穴埋め式チャートが大嫌いな教授のこととて、いかがわしいツールは一切使わない。
現実の世界に即した戦略論として絶大な支持を得ているのも、なるほどと頷ける。
どんな組織のどんな立場の人も、それぞれに得るところがあるだろう。