コンテンツにスキップする

「フリーソフトウェアと自由な社会」を読んだ

投稿時刻2023年12月12日 15:27

フリーソフトウェアと自由な社会」を 2,023 年 12 月 10 日に読んだ。

目次

メモ

コピーレフトと GNU GPL p37

GNU の目標は、単にポピュラーになることではなく、ユーザーに自由を与えることだった。
そこで、私たちは、 GNU ソフトウェアが私有ソフトウェアに化けるのを防ぐ頒布条件を必要としていた。
そして、私たちが今使っている方法は、コピーレフト (copyleft) というものである。

コピーレフトは著作権 (copyright) 法を利用しているが、通常とは逆の目的に奉仕するように、逆立ちさせた使い方をしている。
著作権法は、ソフトウェアを私有化するための手段ではなく、ソフトウェアの自由を守る手段になったのである。

コピーレフトという考え方の中心は、ブログラムを実行し、プログラムをコピーし、ブログラムを書き換え、
書き換えられたバージョンを流通させることをすべての人に認める一方で、独自の制限事項の追加を禁止することにある。
つまり、「フリーソフトウェア」がよって立つ由縁であるところの自由が、コピーを持つすべての人に対して保証される。
自由は、絶対に奪うことのできない権利になったのである。

コピーレフトの効力を保つためには、書き換えられたバージョンもフリーでなければならない。
こうすれば、私たちのコミュニティは、私たちの仕事を基礎とする仕事が公表されたときに、必ずその仕事を利用できる。
ブログラマとしての仕事を持つプログラマがボランティアで GNU ソフトウェアを改良したときに、
その雇い主が「君が加えた変更は、プログラムの私有バージョンを作るためにうちの会社で使うつもりだから、共有に付するわけにはいかない」などと言えないようにするのがコピーレフトである。

p66

競争のパラダイムは、かけっこである。
勝者を褒め称えることによって、誰もがより速く走ることを奨励する。
本当にそのように機能しているときの資本主義は、良い仕事をしている。
しかし、資本主義の擁護者は、資本主義がいつもそのように機能していることを当然と考えているというところで誤っている。
勝者がなぜ褒め称えられるかを忘れ、手段を選ばず勝つことにだけ夢中になれば、他のランナーへの攻撃などの新戦略に出るかもしれない。
ランナーが互いに殴り合っていたら、彼ら全員のタイムが下がるだろう。
実際には、金儲けの動機がまったくなくても、多くの人々がプログラムを書く。
プログラミングは抑えがたい魅力だと感じる人々が一部にはおり、通常それはもっともプログラミングに優れている人々である。
音楽で食べていく望みがまったくなかったとしても、音楽を止めないプロのミュージシャンが足りなくなることはない。

p69

長期的には、プログラムをフリーとすることは、飢餓のない世界、つまりすべての人がただ生活するだけのために必死に働かなくても済む世界に向かっての一歩になるだろう。
人々は、立法業務、家族カウンセリング、ロボットの修理、小惑星の調査などの1週間に10時間の義務労働をこなしたら、プログラミングなどの面白い活動に自由に従事できる。
プログラミングから生活の資を得られなければ困るようなことはなくなるのだ。

私たちは、社会全体が実際の生産のためにしなければならない仕事の量をすでに大幅に削減してきたが、その大半は労働者の楽しみには還元されていない。
生産的な活動を行うためには、大量の非生産的な活動が必要とされるからだが、そうなってしまう主な原因は、官僚主義と無駄な競争にある。
フリーソフトウェアは、ソフトウェア製作の分野で、このような活力の浪費を大幅に削減するだろう。
技術が生産性の向上のために獲得したものが労働時間の現象に還元されるようにするためには、フリーソフトウェアを実現しなければならないのである。

p259

そして、私たちの間には、既存のプログラムに似ているものを書いていることを示すために、入れ子細工のような再帰的頭字語を使う伝統があります。
これこれはあれではない (this one's not the other) という文句を考えれば、再帰的頭字語になります。
たとえば、60年代から70年代にかけて、テキストエディタの Tico がたくさんありましたが、一般に何とか TECO と呼ばれていました。
そこで、ある賢いハッカーが自分のエディタに Tint という名前を付けました。
Tint Is Not TECO の頭文字を並べたわけです。
これが最初の再帰的頭字語でした。