「給料: あなたの価値はまだ上がる」を 2,023 年 10 月 29 日に読んだ。
目次
メモ
解説 楠木 建 p5
著者は大企業の人事部で長く実務に従事してきた「給料のプロ」。
スターバックスやヤム・ブランズ (ケンタッキーフライドチキンやピザハットを運営する外食企業) 、ナイキといった典型的なアメリカ大企業での給与決定に関与してきた。
いずれも多くの従業員を雇用する労働集約的な業界だ。
著者が給料の問題を議論するときに念頭に置いているのは、投資銀行やコンサルティング会社で仕事をする高収入のエリートや旬の技術分野で卓越したスキルを持つシリコンバレーの花形エンジニアではない。
普通の仕事をしている普通の労働者だ。
p5
モノを取引する市場と労働市場は異なる。
生身の労働者を雇用し、給料を支払うのは、農作物市場でブルーベリーを買うようにはいかない。
給料は労働の対価であると同時に一人の人間への投資だ。
公平で透明性のある基準で決定され、働く人が人間らしい生活を営み、自分のキャリアを追求できる「誠意ある給料」でなくてはならないというのが著者の結論だ。
未開の地、日本 p6
平均的な日本の企業は著者の言う「誠意ある給料」からほど遠い状況にある。
給料についていえば、日本の企業社会は「未開の地」と言ってもよい。
終身雇用を前提とした働き方、新卒一括採用、年功序列、社歴を基準にした報酬システムや昇進システムが「日本的経営」の特徴だとされてきた。
それは日本の文化であって、農耕民族としての日本人の特性である――こういうことを言う人がいまだにいる。
私見では、愚論の極みだ。
p7
そもそも終身雇用と年功序列は組み合わせとして非常に不自然だ。
いったん就職したらその人の雇用を定年まで保障し、かつ社歴を重ねるとともに昇進し給料が上がる論理的には破綻している。
スーパー右肩上がりの状況においてのみ、終身雇用と年功序列という組み合わせは機能する。
とりわけ超論理的なのは年功序列だ。
「なぜ僕は課長になれないんですか?」
「あと5年足りないからね」
「どうしてこの人が部長なんですか?」
「彼は勤続25年だから」
論理を超越している。
ただし、終身雇用と年功序列のコンビには、経営コストの大きな部分を占める評価コストを極限まで削減できるという、ウルトラC級の強みがあった。
「あなたにはこういう仕事をしてもらいたいので、こういう成果を上げてください。ついては、こういう報酬とポストをあなたに用意します」
――これが普通の雇用の形だ。
これを実践するためには、一人ひとりがどのように仕事をしたいか、何が得意で何が不得意なのかを経営側がよく聞き出して理解し、その人が担う仕事を特定し、給料を決めなければならない。
もし「その評価じゃ納得できません」となったら、「いや、こういう根拠であなたをこういうふうに評価したんだ」と説明責任が求められる。
果てしなく手数がかかる。
p8
会社は社会組織ではない。
成果を追求する仕事の組織だ。
仕事 (=ジョブ) の組織である以上、ジョブ型雇用以外の雇用システムは本来あり得ないはずだ。
そこで行われるのは、「仕事をする側」と「雇う側」の価値交換にほかならない。
つまり、お互いに選び合い、お互いに折り合ったところで取引が発生する。
昨今の人的資本経営やジョブ型雇用への関心は、日本がようやく「普通の雇用」へ向けて動き出したことを示している。
p8
アメリカの企業、とりわけ大企業では人事部の機能が高度に専門化し、著者のような給与チームに所属している専門職が給与水準の決定に深く関わっている。
彼らは、競合他社が従業員に払っている給与額とその推移を詳細にわたって把握し、社内のあらゆる仕事について相場に適った給与を提案することに責任を負っている。
労働市場が全知全能であるという前提で、市場動向を追うのが彼らの「ジョブ」だ。
大企業の給与チームの間には密接な連携があり、著者の言葉でいえば「世界で最も退屈な秘密結社」の様相を呈している。
p9
ほとんどの企業は市場価格の中央値を給与の目標としている。
スターバックスが大幅な賃上げを決めたとすると、他社もこれに合わせなくてはならない。
スターバックスの優位性はすぐに消失する。
それでも人件費の増額決定は覆せない。
賃上げしても長期的に持続可能なリターンは得られないと経営者は考える。
賃上げ競争に飲み込まれないように、ひたすら防御的な構えをとるという成り行きだ。
会計や税にかかわる制度も雇用者が賃上げに消極的になる理由となる。
給与を増やすよりも、本社に大きな立体駐車場を建てたほうがいい。
営業経費の動向を注視している株主も、1回限りの支出であれば目くじらを立てない。
しかも、立体駐車場は減価償却可能な支出とみなされる。
減価償却費で課税所得が減少する。
経営者の立場からすれば、賃金より駐車場に投資するほうが「合理的」ということになる。
さらに資本市場からの圧力が賃上げを抑制する。
上場企業にとっては、余剰資金で自社株を買い戻したり、配当として株主に還元するほうが、人に投資するよりもよほど無難な選択となる。
手持ちの資金で労働者の賃金を上げることは可能だが、株式市場にとっては「とんでもないこと」と見なされてしまう。
p10
本書が描くアメリカの現実を知るにつけ、日本の経営にも守るべき美点があることに気づかされる。
アメリカの「行き過ぎ」の最たるものが経営者と従業員の給与格差だ。
今日のアメリカの経営幹部は株価の上昇に応じて莫大な報酬を得る一方で、損失を被るリスクからはある程度守られている。
50年前に一般労働者の30倍だったCEOの給料は、現在では300倍にまで膨れ上がっている。
明らかに行き過ぎだ。
1984年にピーター・ドラッカーは適切な比率は20倍程度だと主張している。
現在でも日本の上場企業はこの水準にあるところが多い。
この背景には、アメリカの人々が経営幹部を「宇宙の支配者」として神格化する傾向があると著者は言う。
経営幹部は半神半人の「つくる人」であり、その他大勢は「受け取る人」だという図式だ。
不動産業で億万長者になったトランプ元大統領を未だに一部の人が称賛し支持するのは、こうしたアメリカ人の意識が一因となっているのかもしれない。
いずれにせよ、分断社会のアメリカでは経営者と従業員が共生するという考え方がすっかり失われている。
しかし、日本はまだそうなっていない。
今後ともそうなるべきでないのは明らかだ。
給料をめぐる問題は結局のところ企業が掲げる「報酬哲学」に帰結する、と著者は言う。
報酬哲学とは誰がいくらの給料を受け取るのかについてのルールのみならず、企業の給料に対する基本認識――なにゆえ給料を払うのかを明らかにするものだ。
それはまた、競合他社の給与決定にどう対応するかを公に示すものでもある。
報酬哲学は一時的な経営環境や状況の変化にかかわらず、すべての給与決定を導く北極星の役割を担う。
給料に関して周回遅れの日本にいま必要なのは、あわてて小手先の指標や手法に手を出すよりも、まずは個々の企業が自らの拠って立つ報酬哲学を打ち立て社内外に公示することだ。
過去の因習を断ち切り、その哲学に忠実に報酬システムをゼロベースで組み立てていくことが何よりも大切だ。
そうでないと、給料が一貫した論理を持たないピースのつぎはぎになり、日本とアメリカの悪いところ取りのようなシステムになりかねない。
資本市場からのプレッシャーがアメリカほど強くなく、しかも過剰な報酬が経営幹部の既得権益になっていない日本にあって、経営者がステイクホルダーに対して報酬哲学を示すのは相対的に容易なはずだ。
しかも、人手不足はこれからも長く続く。
働く人々を惹きつけるのは目先の給料ではない。
その企業に固有の報酬哲学に対する共感こそが優れた人材を獲得する競争力になることを忘れてはならない。
p30
ダン・ブライスは、著書『価値ある決断 (Worth It) 』で、家族の経済的な苦労や宗教的な信念など、幼少期の経験が自分を形成したと語っている。
それと同時に、彼のビジネス上の意図も明確だった。
グラヴィティ・ベイメンツは、シアトルのいつも新鮮な薄い空気のなかで、ジェフ・ベゾスやビル・ゲイツのような地元の名士と肩を並べて競合するための地位を確立する必要があった。
グラヴィティ・ペイメンツが勝負を挑むテクノロジー業界では、多くの場合、有名であることが一流の人材を集めて生き残るための唯一の方法だ。
人工知能や機械学習のようなニッチな分野でも、平均的な技術者と一流の技術者のあいだには仕事の質に劇的な差があることを、業界関係者は知っている。
特にシアトルでは、「10xエンジニア」――同僚の10倍生産性が高いエンジニアーを求める動きが、一流の技術者を見つけて高い報酬を払おうとする企業間の熾烈な競争を招いた。
このような探求によって、テクノロジー業界全体の賃金が上昇し、20代のエンジニアたちが100万ドルの仕事のオファーを蹴るという伝説が生まれた。
2000年代初頭には競争が激化し、多くのハイテク大手企業が、明らかに給与を抑えることを意図した談合的な取り組みで、互いに“密猟禁止”の協定を設けていたとして、集団訴訟を起こされた。
アップルの偶像的存在スティーヴ・ジョブズは、裁判所への提出書類として公表された、グーグルの共同創立者セルゲイ・ブリンに宛てたメールで、「この人たちのうちひとりでも雇用するつもりなら、それは戦争を意味します」と警告した。
また、グーグルのエリック・シュミットもメールでこう述べた。
「グーグルがシリコンバレーでうわさの種になっているのは、全社的に給与を吊り上げているせいだ。みんな、わたしたちが失敗して、その“不公正な”給与体系の報いを受けることを待ち構えている」。
非武装地帯で勝手な活動をした採用担当者たちは、不服従を理由に解雇された。
p35
わたしたちの多くが最低賃金の引き上げについて誤解していたわけだが、この断絶が、悪意ある冷酷な企業の異常性や効率の追求によって形成されたものではないことも事実だ。
むしろ、そのパニックは、ふたつの要因が重なったせいだった。
ひとつめは、最低賃金の全国的な引き上げで何が起こるかについて、ほとんどエビデンスがなく、未知のものに対する恐怖があったこと。
ふたつめは、給与に関する考えの多くがずっと、職務の価値をめぐるわずかばかりの一般的な想定と、それを維持してきた人に支えられていて、そこに惰性があったこと。
給与を公正にするには、こういう想定をリセットしなくてはならない。
まずは、需要と供給だけが人々の給与を決めるという考えから検証を始めよう。
需要と供給と、その他もろもろのこと p35
給与に関する最も基本的な想定は、自由市場がいつでもあらゆる人のために、需要と供給に基づいて報酬額を決めてくれるというものだ。
わたしたちは給与について、夏に穫れるブルーベリーを冬に買えば、反対側の半球から輸入しなければならないので高くなる、というのと同じ論法で考える。
ブルーベリーの場合、需要と供給は、価格の上昇を説明するのに役立つモデルだ。
しかし、人はブルーベリーのように輸入できないし、取り替えがきかないし、毎年夏に減給されたら黙ってはいないことに気づくと、需要と供給の基本モデルは崩れてしまう。
これまでの理論によれば、仕事の技能が定義可能で、獲得しがたく、他者にとって価値があるなら、賃金は需要と供給の法則に従うはずだ。
医師は明らかに、なくてはならない仕事をしていて、仕事に必要な技能と気質を身につけるために長い年月を費やす。
医師たちが、需要と供給に基づいて高給を受け取っている理由は理解できる。
ところが近年、高齢化が進み、経済は健全だというのに、医師不足が予測されるなか、医師の賃金は低迷している。
投資銀行家や経営コンサルタントのような他の高給の仕事がこの理論に当てはまるかどうかは不明だが、それでも彼らの賃金は上がり続けている。
需要と供給は、賃金が上がる仕組みの一部にすぎないようだ。
ほかに何が起こっているのか調べるために、民間航空会社のパイロットとホテルの清掃員というふたつの職種の賃金がどうなっているのかを考察してみよう。
p52
低賃金労働者にとって、公正な給与の必要性は、重役の場合よりずっと高い。
重役たちは銀行に預金があるだろうし、自分の労働力の価格を制御できるキャリア上の選択肢も多いだろう。
会社の立場からすれば、わたしのような地位の人間が、どんなに些細だろうと支離滅裂だろうと、重役の給与問題を解決するためなら週末の予定を快くキャンセルするのが筋だと考えるのも理解できる。
なにしろ、自分の給料を決めているのは上司なのだ。
しかし相手が低賃金労働者の場合、報酬チームが同じような緊急性を持って行動することはめったにない。
重役は独自の個人的な問題を抱えた人間と見なされる一方で、低賃金労働者はその人個人とは切り離された単なるシステムの一部と見なされる。
低賃金の人がいるのは、それが世の中の仕組みであり、市場がその仕事の価値を決めているからだと人々は考える。
あるいは、初任給が安いのは価格を低く抑えるのに役立つのでよいことであり、あらゆる人のためになると考える。
誠意ある給与 p61
「誠意ある給与」と名づけたものが広まれば、企業の説明責任を問えるようになるとわたしは考えている。
では誠意ある給与とは何か。
それは、仕事をした人に給与を払うのはひとりの人間に投資することだと認識し、誰がなぜ、いくらの給与をもらうのかについて高い期待が持てるような企業を経営し、従業員がキャリアを追求できるようにする手段のことだ。
そこには、人は公正な給与を受け取るべきだという認識がある人は、生活の資を稼がなくてはならないが、基本的な人間性を働いて手に入れる必要はないからだ。
給与への誠意を持った経営とは、ごまかしや皮肉のない、思慮深く誠実な方法で給与を支払うことを意味する。
給与に関わる決定は、その人の将来の展望や可能性まで変えることができるからだ。
誠意ある給与は、双方向からめざす必要がある。
公正な給与の実現に向けた管理と義務を、トップダウンのみではなく、ボトムアップでも負えるように変えていく。
そうすれば、給与決定から取り残されていた人々も、今後は自分の権利を主張できるようになる。
誠意は追い求める価値のある美徳であり、ビジネスに適用されれば説明責任を測る指標になる。
誠意ある給与とは、公平で透明性のある給与をひたすら追求し、人間らしい生活に必要なものを提供して、
人々が自分の貢献と潜在能力に充分な報酬を求められるようにする手段のことだ。
理想的な誠意ある給与は、ブランド戦略のための試みや、1回試しただけで「完了」の印をつけて獲得できるような資格とはまったく違う。
それは、企業が重要な給与情報の共有を歓迎し、時間をかけた改善と信頼構築に継続的で誠実な投資を行えるような環境をつくり、維持していく積極的な選択なのだ。
会社の給与の支払いかたが間違っている、少なくとも給与決定が明確に伝えられていないと従業員が主張したときには、企業は忌憚のない対話の機会をもうけ、必要なら変更に応じなくてはならない。
p69
会社が従業員に安い給料を払っていれば、その代償はなんらかの形で会社に返ってくる。
もし賃金が信頼性に欠けるほど他社に劣る金額なら、人はその会社で働こうと思わないだろう。
もし社内に悪い習慣があれば、従業員との軋轢や顧客の苦情に時間が費やされ、本業がおろそかになるだろう。
そしてもし、同業者すべてが同じように安い給料を払っていれば、いずれ法律が、低賃金労働に染まっていた業界全体のビジネスモデルを根底から覆すような方法で軌道修正を求めるだろう。
言い換えるなら、きちんと支払いをしなければ、永遠に電気を止められてしまうだろう。
p84
当時、経営に関わる知識人は経営判断の原則に賛同し、経営者には、経営を任されている会社について全般的な選択をする裁量があるべきだと考えていた。
おそらく前世紀に最も影響力のある経営思家だったピーター・ドラッカーは、
さらに一歩踏み込んで、企業の最優先事項は株主に奉仕することではないとし、
1954年の著書『現代の経営』で、「企業の正当な目的はただひとつ、顧客を創造することだ」と述べている。
ドラッカーは、顧客を第一に考えるには、ビジネスリーダーが世の役に立ちたい、顧客に信頼されたいという内発的な動機を持たなければならないとした。
したがって、給与によって顧客と株主の利害を一致させる必要はなかった。
顧客を創造する活動と、株主に奉仕する活動は自然に両立するはずで、報奨金は、顧客に売り手の動機を疑わせる不必要な利益の衝突と見なされていた。
ところが、現在はその逆が真実になっていて、役員報酬のほとんどはもっぱらインセンティブを基本としている (いわゆる給料は役員報酬パッケージ全体の15%以下であることが多い) 。
しかしかつては、株主の利益を最大化するために余計なリスクと結びついた報酬を増やすことは一般的ではなく、推奨もされていなかった。
1951年の経営学の教科書にはこうある。
「一般に、役員報酬の大部分をインセンティブで構成するのは賢明ではない」。
日々の支出の選択に経営判断の原則を適用するための法的保護があったので、ビジネスリーダーたちは大きな懸念もなく、安心して賃上げに投資できた。
どのようにして従業員の給与を上げるかという哲学的な議論は、1950年代後半に登場した。
けれどもそれは、ドラッカーの先の忠告からではなく、新たな「能力給」モデルの普及によるものだった。
p87
しかし1970年代までには、能力に基づいた昇給が勝利を収めた。
能力給は一般的な慣習というだけでなく、道徳的に不可欠なこととされた。
そして、業績給への移行にとって、経済学者のミルトン・フリードマンほど重要な役割を果たした人物はいなかった。
現代の不平等についてのあらゆる論考は、つまるところフリードマンに行き着く。
本書も例外ではない。
フリードマンは1970年、《ニューヨーク・タイムズ・マガジン》に、「ビジネスの社会的責任は利益を増やすことである」と題した小論を寄稿した。
これは、株主至上主義の福音をふたたび伝えるものだった。
フリードマンは、社会的な目的を追求するというビジネスリーダーたちの欲求が高まっていることを、20世紀前半のダッジ兄弟やフォードの株主と同じく懸念していた。
この小論がその後何十年にもわたって世界のビジネスに与えた影響は、軽視できない。
フリードマンによれば、企業の「スローガン」も社会的な目的のひとつだった。
たとえば、差別の解消や公害の回避などだ。
どちらも、パフォーマンスに基づく報酬を保証してはくれない。
株主に最も直接的な利益をもたらす方策以外はなんであれ「ほとんど詐欺」であり、経営判断の原則が越えてはならない基準であり、
最も障害が多い道を選んだ者は、「知らず知らずのうちに操り人形になり (中略) 自由社会の基盤をむしばみ」、「混じりけのないまったくの社会主義を唱道しているのだ」。
ミルトン・フリードマンは婉曲な表現とは無縁で、どう考えてもパーティーの主催者には不向きだったに違いない。
フリードマンの論理では、企業が生み出すあらゆる利益は、当然のごとく株主が所有している。
ちろん法的にはそのとおりだ。
会社の利益を社会問題に費やせば、「その行動が従業員の誰かの賃金を下げるのだから、その従業員の金を使っていることになる」。
つまり、理論的には、あらゆる賃金の支出は、低賃金労働者の時給引き上げだろうと、
重役が乗りたがる社用ジェット機のような特典だろうと、優先順位づけされるべき選択肢のひとつだということだ。
最も価値のある賃金支出は、必要性とパフォーマンスを通じて――従業員個人のパフォーマンスだけでなく、予測される株価パフォーマンスとも比較して――正当化されるべきだという。
フリードマンの理論は学界の一部では共感を得ているかもしれないが、そこには企業が誰に、なぜ、いくら支払うかを決めるに際しての、現実的な判断の余地がない。
給与に関する実際の判断は、平等な評価に基づいてはいない。
わたしの経験では、給与の決定は階層に従って行われ、組織の下層へ行くほどルールはきびしくなる。
だからこそ、経営陣のなかにも、常に反対意見を唱える人がいる。
彼らは利益の追求が不可欠であることを理解しているが、フリードマンの世界観に全面的に賛同するほど愚かではない。
ゼネラル・エレクトリックの元CEOジャック・ウェルチは、株主至上主義を「世界で最もばかげた考え」と呼んだ。
ユニリーバの元CEOポール・ポールマンは、その考えを「カルト」とさえ呼んだ。
より多くの人により多くの給与を支払うということは、決して私情を交えない数学的な作業だけを指すのではないし、上層部の人たちには別のルールがある。
第6章で見ていくように、給与をどう決めるかは、どのくらい力を持っているかだけでなく、企業のプロセスの有効性やビジネスの優先順位、支障なく給与について話す許可が得られる文化にも左右される。
なにもフリードマンは、自由主義の熱に浮かされた夢ばかりを提唱していたわけではない。
ビジネスリーダーには「できるだけ多くの金を稼ぎながら、社会の基本的なルールに従う」責任がある、と言っていることも確かだ。
しかし、どうも納得できない。
まわりの人々の幸福に対する深い配慮と責任なくしては、社会の基本的なルールなど存在しえないと思うからだ。
フリードマンの考えは、誰もが自分の利益を最優先にして行動し、自分の誤りを正す力をみなが等しく持ち、それを実行するためにいつも理性的にふるまうことが前提となっている。
「民間企業が競争することの大きな美徳は、人々が自分の行動に責任を持つように仕向け、その目的が利己的であれ利他的であれ、他者を搾取しにくくすることである」とフリードマンは述べた。
つまり、フリードマンの考えがうまく機能するには、出発点となる世界観が、世界に本質的な正義が存在するという前提、あるいは世界に搾取は存在するが自ら正すことができるという前提に基づいていなければならない。
けれども、人々が現実に暮らす世界では不均衡な力が働いていて、社会からの疎外を克服し、防ぐためには、絶え間なく構造的障壁を取り除く必要がある。
p109
あなたもなんらかの形態を取った市場を信じていて、給与決定は自由市場にゆだねるのが最善だという共通の信念が出発点にあるとするなら、市場が実際に自由であることを確かめる必要がある。
ここではかなり簡略化するが、市場が自由であるためには、少なくとも条件がひとつある。
意思決定が分散化していることだ。
自由市場の参加者は全員、行動する能力を構造的な障壁に妨げられることなく、一方的に自分の利益にかなう意思決定ができなくてはならない。
自由市場は、この意思決定能力がひとつの存在に集中しすぎると自由度が低下する。
政府がその役割を踏み越えて自由市場を妨げることもあれば、経営者個人や会社全体、法制度が妨げることもある。
理論的にはまずありえないが、労働者の力が集中したときにも同じことがいえる。
毎年春に、報酬策定者は自社の給与データをいくつかの業者に提出する。
そして毎年秋に、そのデータは集計され、市場と呼ばれるもののスナップショットとして戻される。
1回の調査につき数千ドルで、企業は「市場相場」と呼んでかまわない閾値を知ることができる。
もし、わたしの会社に500人のソフトウェアエンジニアがいて、ひとり当たりの給与が12万ドルだとして、
あるマネージャーが (根拠もなく) 12万5000ドルにしたほうが他社に比べて有利だと言ったなら、
わたしは喜んで5000ドルの調査費用を払い、ひとり当たり12万5000ドル払う必要がないことを知りたいと思うだろう。
調査を購入することで、わたしは250万ドル (差額5000ドル×500人) 節約でき、投資に対する利益は500倍になった。
給与調査は、会社が従業員にすでに信頼できる市場相場を払っているかぎり、賃上げを避ける手段になる。
賃金を公正にするには、会社だけが情報を入手できる給与調査という報酬産業複合体をすり抜ける方法を見つけなければならない。
p113
上場企業は、報酬哲学を公開している。
あなたの会社が上場企業 (つまり誰でも株式を買える) だとして、
もし報酬哲学を公開していないのなら、この本をいったん置いて、「 (あなたの会社名) proxy (直近の終了した年) 」で検索してみよう。
膨大な量の文書が出てくるが、そのなかに「報酬についての議論と分析」のようなセクションがあり、重要な情報が書かれている。
ここでの文言は、会社のトップ5人の役員 (経営幹部) のことが中心だろう。
彼らの報酬と、その報酬を設定する重要な原則は、法的に開示しなければならないからだ。
この原則が、組織のあらゆるレベルに適用される。
小企業や非上場企業なら、同様の文書を会社のイントラネットのページに掲載しているかもしれない。
会社の報酬哲学が見つからなかったら、上司か人事部に訊いてみよう。
こういう基本的なことさえ人事部に訊きづらいとすれば、転職を考え始めることをお勧めする。
その会社の社風には深刻な問題があるからだ。
会社が給与をどう考えているかがわからなければ、会社の説明責任を問うことも、独自のルールに従って給与が公正に支払われているのかを知ることもむずかしくなるだろう。
ここで、現存の報酬哲学すべてを要約してみる。
会社の哲学をざっと読むと、表現は少し違うかもしれないが、次のような文章が見つかるだろう。
「当社の報酬哲学は、戦略目標を達成するのに必要な人材を誘致し、つなぎ留めるために存在する」。
p117
エリック・リースは、著書『リーン・スタートアップ――ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす』で、このエピソードとともに、アイデアをしっかり検証してから実現のために努力を尽くすことの重要性を広めた。
リースによれば、企業は実用最小限の製品 (minimum viable product) と呼ばれるものを使って、手際よく失敗を試してみるべきだという。
ドロップボックスの場合、それが動画だった。
MVPは、販売したい製品に対する市場の興味を安価にテストする手段になる。
適切なMVPは、市場での特異性をアピールできるように最終製品のかなめとなる特徴を充分に備えていながらも、製品のアイデアが不発に終わったときはすぐにあきらめがつくよう、余計な付属品は省かなければならない。
企業は、給与についても同じように考えている。
報酬チームも、手際よく安価に失敗を試したいと思っている。
これを、「実用最小限の給与 (minimum viable pay) 」アプローチと呼ぶことにしよう。
報酬チームは、その人に入社してもらい (誘致する) 、会社にとどまってもらい (つなぎ留める) 、給与に不満を持たずに業績を上げてもらうのに必要な最小限の給与を支払う。
給与は、“ちょうどよい温度のお粥”を探す「ゴルディロックスの問題」で、市場に比べて高額すぎれば、従業員は会社にとらわれ満足に浸ってしまい、低額すぎれば怒りを募らせて会社を辞めたり、そもそも入社してくれなかったりする。
会社は、礼儀上そうは言わないだろうが、従業員の仕事とその人自身に対して実用最小限の数字を持っている。
そして従業員は、会社が冷たい粥の入ったボウルを渡しているのではないことを確認するため、給与の仕組みを充分に知らなければならない。
p118
実用最小限の給与は、企業が給与面での競争をせず、かわりに社風、有意義な仕事、バランスなど、より抽象的な (そして定義しにくく説明責任を負わずにすむ) 差別化要因に頼ることにした結果生まれた。
このアプローチは有益であり、給与面での競争を避けることは、長いあいだ標準的なモデルとな1980年代の裁判ではっきりこう言った。
ジョージ・ルーカスは、1980年代の裁判ではっきりこう言った。
「わたしたちが守っていたルール、あるいはわたしがみんなに提示したルール」は、「他社と入札合戦をすることはできない、そんな余裕はないから」というものだった、と。
『スター・ウォーズ』の生みの親が、給与でうまく競争する方法を思いつけなかったのだとすれば、あなたの会社の人事部にそれより独創的な素質があることは期待できないだろう。
p120
会社の報酬哲学について尋ねたなら、自分の実用最小限の給与がいくらかを決める時だ
(以降の説明はおもに企業の仕事に適用されることに注意。低賃金の製造やサービスの仕事をしている人は、第6章で概説している戦略に従うとよい) 。
自分のMVPを知れば、公正な給与を受け取っているかを評価するのに役立つ。
次の質問から始めよう。
1. それぞれの給与プログラムは、市場の何パーセンタイル〔数量データを順位で100等分した点で、50番めが中央値にあたる〕を基準にしているのか?
2. 会社が市場との調整を行うのは、一年のうちいつなのか?
3. 会社はどの業界または企業を比較の基準にしているのか?
最初の質問はとても重要だが、またもや期待外れになる覚悟をしておいてほしい。
目新しいことが聞ける可能性は低いからだ。
哲学上でも数学上でも、企業にとって最も一般的な答えは、給与プログラムの目標を市場の中央値に照らして定めることだ。
ここでも、会社が給与では競争しようとせず、他の企業と同じ報酬額を基準にしていることがうかがえる。
市場の中央値、つまり50パーセンタイルは、給与調査が示すとおり、他社であなたと同じ仕事に就く人が得ている実際の給与の中央値だ。
求人情報で「他社に負けない給与」というフレーズを目にしたら、たいていそれは市場の中央値を意味する。
企業によっては、60あるいは70パーセンタイルなど、50パーセンタイルより高い目標を定めているところもある。
特に、インセンティブ・プログラムの基準を設定する場合だ。
一般的な方法では、決まった給与である基本給を50パーセンタイルとして、長期的な業績向上とつなぎ留めを図るため、ボーナスや株式についてはもっと高いパーセンタイルを目標とする。
50パーセンタイルと75パーセンタイルの中間を取って62.5パーセンタイルを目標とする企業もいくつかあると聞いた。
そういう細かいこだわりに惑わされてはいけない。
いかにも精密に見えるのはほぼ間違いなくうわべだけで、
いわば、中古車販売員が締めくくりにトランクをバシッとたたいて「ええもちろん、こいつにはすべてがそろってますよ」と言うようなものだ。
そうしているあいだも、ブレーキラインはネズミにかじられている。
ライン・オブ・サイト p124
もし報酬の分野にマントラ、つまり気高く誠実に生きるための知恵とつながる呪文があるとすれば、それは小声で繰り返す「ライン・オブ・サイト」という言葉だろう。
わたしたち報酬策定者は、鏡に向かって毎朝、通勤の帰り道でも毎日、同じことを自分に言い聞かせながら、高次元の意識へとのぼっていく。
「ライン・オブ・サイト、ライン・オブ・サイト、ライン・オブ・サイト」。
p125
ライン・オブ・サイトは重要な概念で、正しく理解するのがむずかしい。
この概念は、あらゆるボーナス計画の哲学的な基礎になっている。
つまり、企業が適切に設計すれば、従業員がますます仕事に励み、会社のためにもなるなら適度な新しいリスクを引き受けようとするという考えかただ。
ボーナスの支給が発案された背景には、追加の給与を払わなければ、労働者が最高の働きをすることはないという考えがある。
後述するように、これは疑わしい推論だ。
確かに、特別に努力しなければ給与の一部を失う恐れがあるなら (解雇されればすべての給与を失う恐れがあることはあまり考慮されていないようだが) 、人はその報酬を得るためになんでもするかもしれない。
鼻先にニンジンをぶら下げれば、人は設定された目標に向かって行動するのではないか?
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
リストの最後の項目 p130
給与と福利厚生は、たいていの企業にとって、毎年、群を抜いて最大の支出となる。
ほとんどの業界で成熟と安定を得た企業は売上の15~30%、サービス業では最大50%を給与と福利厚生に費やす。
個人の予算に最も近いのは、毎月の家賃や住宅ローンだろう。
そして住宅ローンの予算と同じように、時とともに会社の給与に対する支出計画も自動的になり、新たな発想がプロセスに加えられることはめったになくなる。
給与を公正にするためには、自動化されたこの方法を見直さなければならない。
5. あなたの価値はどう決まるか p139
ソフトウェアエンジニアの友人が、あるアイデアを持ってあなたのところへ来たとしよう。
「給与のフェイスブック」のようなものを使うことに人々が興味を持つかどうか試してみたいらしい。
SNSアカウントと同期して、友人たちの収入の100%正確なランキングを表示するアプリだ。
自分のことをほとんどなんでもオンラインで共有しているのだから、給与だって共有してもいいのでは?
もし機会があったら、あなたはこういうアプリを使うだろうか?
最初に誰について調べる?
そして、他の人と比べて自分の仕事にどのくらいの価値があるのかがわかれば――つまり給与の完全な透明性があれば賃金停滞と賃金格差というふたつの問題は解決すると思うだろうか?
ノルウェーは、似たようなことを試した。
そして、どちらの問題も解決しなかった。
少なくとも1882年以来、ノルウェーの納税申告書は情報公開されていた。
2001年まで、ノルウェー人なら誰でも、地元の税務署を訪れて他人の公的な所得を見ることを正式に要請できた。
2001年以降は、オンラインで検索できるデータベースが登場したことで手続きがとても簡単になり、給与をのぞき見するのに税務署まで寒い思いをして自転車で行く必要がなくなった。
短期間だが、サードパーティーの開発者が、フェイスブックのようなサイトで、そういうデータベースからの情報をまとめて、友人たちの収入ランキングを作成することもできた。
ピーク時には、それらのサイトはユーチューブよりも人気があり、ノルウェー人は天気よりも納税申告書を検索しているようだった。
楽しみは2011年まで続いたが、ついに政府が、営利目的でリストを公的に利用することを禁止した。
2014年にはさらに手綱が引き締められ、匿名での検索が禁じられた。
現在でも、上司の給与を調べることはできるが、調べたことがメールで本人に知らされるので、次回のミーティングで少し気まずい思いをするかもしれない。
p141
これからやってくる世界で、給与の透明性が高まるのは避けがたいことだ。
その世界では、賃金格差も許されないだろう。
グーグルやマイクロソフトなど、とりわけ給与の高い多くの企業の従業員は、自ら行動を起こし、密かに自分たちの給与明細を集めて公開している。
この傾向は今後も続くはずだ。
「Blind」のような匿名で給料情報の交換ができるアプリや、「Levels.fyi」、「Salary.com」、「Glassdoor」のような公開サイトは、
当初はデータの質が低いので報酬の専門家には敬遠されていたが、かなり精度が上がっている。
企業は、説明責任が増して給与に関するきびしい会話が求められる新しい常識を受け入れる必要がある。
企業だろうと、従業員だろうと (理想的にはどちらも) 勝者となるのは、しっかり準備ができている者、新たに透明化された給与データを現状のまま解釈でき、公正さに対する人々の期待を高められる者だろう。
本書の後半では、みんなでこの変革を加速させるための後押しをするつもりだが、本章では、密かに給与の集計表をつくっている人たちがもっと説得力のあるデータを作成するための手助けをしよう。
p150
本来は明白であるべきだが、あなたの会社や物知りぶった報酬策定者のあいだでは、そうではないかもしれない。
「ヘッド」、「カスタマー・エクスペリエンス・ロックスター」、「クリエイティブ」といった肩書を与える会社ではなおさらだ。
「ニンジャ」という言葉を使った職名は、2015年以来140%増えたが、オフィスで働くサムライの先行きはあまりはっきりしない。
しゃれた職名は、流行に敏感で身軽な平等主義の会社に見せてくれるかもしれないが、そういう慣習の導入には慎重にならないと、従業員に自分のジョブレベルや本当の同等者を見分けにくくさせ、公平な組織をつくる妨げになる。
意図的であろうとなかろうと、混乱は常に会社側に有利に働く。
あいまいな職名をつければ、会社は同一労働同一賃金という基準に対する説明責任を負えなくなる。
そこには、何が「同一労働」なのかという共通の理解に基づく定義がないからだ。
こういう企業は必ずと言っていいほど、職名のカーテンの裏に、他社と同じ給与調査基準に沿った影の職務階級を持っている。
p167
こういう調和の取れた考えかたは、金融界で、投資会社バンガードの創業者であるジャック・ボーグルにちなむ「ボーグルヘッド」を自称する人たちのあいだでも成功している。
ボーグルヘッドとは、個々の銘柄を選ぶのに必要とされる多大な努力をやめて、かわりに市場全体の変動を追跡するよう設計されたインデックスファンドを使うきわめてシンプルな投資戦略を選択する人たちのことだ。
この方法は、株式市場での利益が高く、管理手数料を低く抑えられるので、一般的な投資家のあいだで大成功を収めている。
ウォーレン・バフェットは、10年間でヘッジファンドがインデックスファンドをしのぐ利益を上げられるかという100万ドルの慈善事業を賭けた勝負で、金融の天才が集うヘッジファンド・マネージャーのグループが負けるほうを選び、勝利したことで有名だ。
結果は僅差とはいえず、バフェットのリターンは年率7%以上だったのに対し、ヘッジファンドのリターンは2%だった。
勝者と敗者を選ぶことや、従業員の業績やある職務の真の価値を予測することに対して自分の能力を過信すると、持続的な成功は望めなくなる。
同様に、公正で安定した一貫性のある報酬体系を維持している企業は、信頼を築いて不安を減らし、従業員の「ポートフォリオ」全体に公平なリターンを生み出すことで、長期的には優位に立つだろう。
うまくいかないときには、従業員とは業績不振の兆しが見えたとたんに投げ売りすべき個別株式ではなく、定期的に投資すれば長い目で見て価値が高まるものであることを思い出してほしい。
フェアペイ・ミックス p178
1960年、E・ジェローム・マッカーシーというマーケティング学教授が、
『ベーシック・マーケティング経営的アプローチ (Basic Marketing: A Managerial Approach)』という教科書を出版した。
この本は、最もよく売れた大学の教科書のひとつになり、現在では世界じゅうのビジネススクールで使われている。
マッカーシー屈指の歴史に残る着想「マーケティング・ミックス」は、実務家と学者のあいだの溝を埋め、企業が顧客によりよいサービスを提供できるようにした。
マッカーシーは、マーケティングの専門家が成熟して、購買や販売といった個別の活動の重視から、統合された問題解決への集中に向かう必要があると考えた。
「機能的アプローチ」から「経営的アプローチ」への移行だ。
マーケティング・ミックスという考えかたは、経営者が「4つのP」、つまり製品 (Product) 、価格 (Price) 、流通 (Place)、販売促進 (Promotion) から成る概念的な枠組みを使って意思決定するのに役立った。
p180
誠意ある給与がうまく機能するようなモデルをつくって維持するには、給与を与える側 (会社) と 受け取る側 (あなた) の両方が、独自の「4つのP」を通じた意思決定をしてほしい。
わたしはこれを、プロセス (Process) 、許可 (Permission) 、優先 (Priority) 、力 (Power) から成る「フェアペイ・ミックス」と呼んでいる。
それぞれの「P」が、給与の問題を解決するための新たな視点を与えてくれる。
昇給を求めたいときや、会社の運営方法を修正したいときには、まず、どのような給与の問題があるのかを検討してみよう。
あなたの状況には、フェアペイ・ミックスのどのP (複数の場合もある) が最も当てはまるか?
・会社が給与の設定や増額に使っているプロセスのせいで、情報が不足していたり、遅れを取っていたり、不利な立場に置かれていたりする。
・雇用や昇進などで給与について話す機会があるが、リスクや報復なしに話す許可が得られるかどうかがわからない。
・会社が公正な給与を優先しておらず、企業としての約束や価値観、報酬哲学の面で遅れを取っている。
・基本的なニーズが満たされていないが、変化を促すための力がない。
p230
賃金差別は誇張された神話であるという考えの知的な表看板 (だが発案者ではない) は、
ジョーダン・ピーターソンというカナダの心理学者だ。
ピーターソンはインパクトのある修飾語を持つ人物で、「西欧諸国で最も影響力のある公的な知識人」とも、ファシストとも呼ばれている。
ピーターソンは世界屈指の人気作家であり、ユーチューブの講義は何百万回も再生され、どこへ行っても大きなライブ会場のチケットが完売になる。
好き嫌いはともかく、ジョーダン・ピーターソンの意見が多くの人に影響を与えていることは間違いない。
p256
アメリカ人に、CEOの給料は一般労働者の何倍だと思うか尋ねると、30倍くらいという答えが返ってくる。
50年前には、それが正解だった。
現在ではその10倍、つまり一般労働者の給料の約300倍だ。
続いて、理想的な比率はどのくらいであるべきか尋ねると、7倍くらいが適当という答えだった。
21世紀のアメリカ人は、紀元前4世紀のアテネ市民と驚くほどよく似ている。
プラトンは、最高所得が最低所得の5倍以下であるべきだと考えていた。
より現代的な比較をしたのはピーター・ドラッカーで、1984年に、適切な比率は20倍であるべきだと述べた。
世界的に、CEOと労働者の給与比に大きな開きがあるのはめずらしくない。
とはいえ、どこもアメリカほど極端ではない。
自分のことを世界に通用する人材だと考えている経営幹部は、 (アメリカで) 基準が設定されれば、他の国もすべて従うべきだと思っている。
ただでさえ金持ちを食べてやりたいと思っていた人たちが、まだ前葉のメニューしか見ていなかったことに気づいたら、何が起こるだろうか?
p293
ハーバード・ビジネス・スクールのフランシス・フレイ教授は、永続的な信頼を築くには、信憑性、共感、厳格さという3つの構成要素があり、成功するには3つすべてがそろっていなければならないと言う。
給与についての信頼を築くうえでも、「品格、連携、コスト管理」の3つの要素で説明できる似たような道をたどるだろう。
品格の高い企業は、多様な人々を代表者として採用することで、信憑性を実現する。
うまく連携する企業は、力を持つ者だけでなく、あらゆる方面に耳を傾けることで共感を得られる。
そして給与への投資には、厳格な目標設定と、持続のための効率的なコスト管理が必要になる。
フレイの三位一体とわたしの三位一体のどちらか、あるいはできれば両方を選ぶにしても、公正な給与に対する立場を決めて従業員との信頼関係を築くうえで、いちばんの問題となるはずのことについて述べておきたい。
つまり、法的な影響についてだ。
p295
あなたがビジネスリーダーなら、自社で最も給与の低い人の収入はいくらか、なぜそうなっているのか、
従業員全員がきちんとした楽しい生活を送れるようにするにはどんなプロセスと方法論を採用すべきかを常に把握しておく必要がある。
意味のある変化を起こすためには、公正な給与を譲れないものとして信頼を築き、チームのメンバーにも同じことをする許可を与えなければならない。
もし、あなたが「企業文化は戦略を朝食にして食べてしまう」 (経営学者ピーター・ドラッカーの言葉とされ、企業文化は戦略にまさるという意味) という格言を信じているのなら、
最低でも従業員が朝食用のテーブルを買って、充分な食べ物を用意し、席に着いて家族と食事を楽しめるようにしてほしい。
公正な給与は競争を生み出す p296
正式に公正だと認められる給与の額や範囲はない。
したがって、わたしは公正な賃金の最低額や最高額を示したり、ネットで見つかるさまざまな生活賃金の計算表のどれかを使うよう勧めたりはしていない。
また、最上位と最下位の格差を大幅に縮めたほうがよいと考えてはいるが、役員報酬の上限を決めるべきだとか、一定の値まで下げるべきだとも言っていない。
何が公正で何が公正でないかについて、その種の発言はしないように努めてきた。
公正な給与とは、何かの達成や解決策ではなく絶えず監視を必要とするうえに、公正な給与への道のりは企業ごとに違って見えるだろうと考えているからだ。
p310
いつも本の山をそばに置いて、手本を示してくれた両親にお礼を言いたい。
本を読む人 (リーダー) が指導者 (リーダー) になり、指導者は本を読むものだと教えてくれた。
姉さんたち、いつも応援してくれてありがとう。
それに、おそらく長年にわたってしつこくからかってくれたおかげで、わたしは執筆という内面生活に目覚めたのだと思う。