「カーネギー名言集」を 2,024 年 10 月 18 日に読んだ。
目次
メモ
p14
人間のできることなら何だってできるという気になれば、たとえどんな困難にあっても、いつかは必ず目標を達成できる。
これと反対に、ごく単純な事柄でさえ、自分にはとても無理だと思い込めば、たかだかモグラの積み上げた土くれに過ぎぬものが、目もくらむような高山に見える。
エミール・クーエ
p18
財産を失っても痛手は少ない。
健康を失うと痛手は大きい。
勇気を失うと、それこそ取り返しがつかない。
作者不明
p18
「やろう」と思う強い意志は、これまで行なってきた行動の回数と、その時の決意の強さによって決まります。
そして行動にかかるたびに、人間の脳は成長します。
そうなった時、本当の信念が生まれるのです。
せっかく決心しても、また美しい気持を抱きかけても、実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、その損害は機会を失った時よりはるかに大きいでしょう。
その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、心の冷たい人になってしまうからです。
口先だけなら、誰でも強そうなことが言えます。
でも実際にその場で発揮できる勇気は、いつの場合でも十分ではありません。
私たちは、勇気が毎日少しずつ蒸発するにまかせているからです。
ヘレン・ケラー
p22
この世を動かす力は希望である。
やがて成長して新しい種子が得られるという希望がなければ、農夫は畠に種子をまかない。
子供が生まれるという希望がなければ、若者は結婚できない。
利益が得られるという希望がなければ、商人は商売にとりかからない。
マルティン・ルター
p25
追いつめられた若者が意を決して、「世間」という暴れん坊の顎ひげを引っ張ると、すぽりと手の中に抜け落ちることがある。
よく見直すと、それは、臆病者を追い払うためのつけひげなのだ。
エマーソン
p26
自分を激励する秘訣は、自分に向かってこう言い聞かせることだ。
「自分と大して知能の違わない、ふつうの出来の人間でさえ、難問題を解決した者が数えきれないほどいるのに、自分にできないことがあるものか」
ウィリアム・フェザー
p28
行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、行動のないところに幸福は生まれない。
ベンジャミン・ディズレーリ
p31
目の前に多くの困難が横たわっていると、つい身をかわして他の者に仕事を代わってもらおうという気になりがちだが、私はそんな卑怯なやり方はごめんだ。
自分の職務に踏みとどまって、義務を果たすために頑張り通す覚悟だ。
ウィンストン・チャーチル
p34
長生きすればするほど、物事に没頭できる人は、人間として一番大切な資格または天性を備えている、と確信するようになった。
成功者と失敗者の実力は、技量の点でも才能の点でも、大差はないようだ。
しかし知能も技能も体力もすべて等しい二人の人間が、同時にスタートを切ったとすれば、没頭できる人間のほうが先に決勝点に入る。
また、たとえ実力は二流であっても、物事に没頭できるタイプであれば、没頭できないタイプの一流の人間に勝つことが、しばしばある。
フレデリック・ウィリアムソン
p34
愛してその人を得ることは最上である。
愛してその人を失うことは、その次によい。
ウィリアム・メークピース・サッカリ
p35
人生において重要なことは、大きな目標を持つとともに、それを達成できる能力と体力を持つことである。
ゲーテ
p36
どんな職業につこうと、成功に向かう第一歩は、その職業に興味を持つことだ。
ウィリアム・オスラー
p36
何か一つ趣味を持たない限り、人間は真の幸福も安心も得られない。
植物学、蝶や甲虫の採集、チューリップや水仙の花づくり、釣り、登山、骨董――その他どんなものに興味を持とうと、その人の人生はすばらしいものに変化する。
趣味の馬を乗りこなせる限り、何の趣味でもかまわない。
ウィリアム・オスラー
p41
美徳は自信を生み、自信は熱中を生む。
そして熱中は世界を征服する。
ウォルター・H・コティンガム
p42
一度に一つずつ事を行なえ。
あたかも自分の生死がそれにかかっているかのような気持で。
ユージェニー・グレース
p50
熱中を得る方法は、自分の手がけている事柄を正しいと信じ、自分にはそれをやり遂げる力があると信じ、積極的にそれをやり遂げたい気持になることである。
昼のあとに夜がくるように、ひとりでに熱中がやってくる。
デール・カーネギー
p54
悩み事は次の三段階の解決策によって克服することだ。
1、まず最悪の事態を考えてみる。
2、どうしても避けられないとわかったら、あっさり覚悟を決める。
3、次いで、気を落ち着けて、事態の改善に取りかかる。
デール・カーネギー
p56
時は悲しみと口論の傷を癒す。
人はみな変わる。
過去の自分はもはや現在の自分ではない。
悩む者も悩ます者も、時がたてば別人になる。
パスカル
p58
私はあきれかえった楽天家として通っているが、まさにその通りである。
私は成功のことばかり考え、決して失敗のことを考えないからだ。
こうして、知らず知らずのうちに不幸に背を向け、失敗を恐れる気持を消し去る。
私はこうして自分の人生哲学を実行している。
どんな仕事も必ず十分に検討して、自分の力でやれるのはどの程度か、はっきり見きわめることだ。
それからこの目標をどうやって遂行するか計画をたてる。
その際、他人の方法をまねてはいけない、自分独自の方法を考え出して計画することだ。
フェルディナンド・フォシュ将軍
p63
私は貧乏と病気のどん底を生き抜いてきました。
「あらゆる人にふりかかる悩みを、あなたはどうやって切り抜けてきたのですか」と尋ねる人があれば、私はいつもこう答えます。
「私は昨日耐えました。
今日も耐えることができます。
そして明日のことは決して考えないことにしています」
ドロシー・ディックス
p90
幸福は人の地位とか財産には関係がない。
まったく自分の考え方一つで、人は幸福にも不幸にもなる。
だから毎朝自分にとってありがたいもののことを考えて、一日を始めることだ。
人の未来は自分が今日考えていることに非常に大きく左右される。
だから希望と自信、愛と成功のことばかり考えるのだ。
デール・カーネギー
p96
人間は、自分で努力して得た結果の分だけ幸福になる。
ただしそのためには、何が幸福な生活に必要であるか知ることだ。
すなわち簡素な好み、ある程度の勇気、ある程度までの自己否定、仕事に対する愛情、そして何よりも、清らかな良心である。
今や私は、幸福は漠然とした夢ではないと確信している。
経験と思考を正しく用いることにより、人間は自分自身から多くのものを引き出すことができる。
決断と忍耐により、人間は自分の健康を取り戻すことすらできる――だから人生をそのあるがままに生きよう。
そして感謝を忘れないようにしよう。
ジョルジュ・サンド
p98
この世でのあなたの主な目標は幸福である。
幸福は健康とか名声には左右されない。
もっとも健康は幸福に大いに関係があるが、しかし幸福になれるかどうかを大きく左右するものがたった一つある。
それはものの考え方だ!
自分のほしいものが手に入らなければ、自分が今持っているものに対して感謝することだ。
些細なものが手に入らないからと愚痴を言わないで、自分には感謝すべき大きなものがあることを常に考えるべきだ。
デール・カーネギ
p100
人間にとって可能なあらゆる真に健康な楽しみを味わうことは、彼が初めてこの世に創造された時以来、可能であったし今でも可能である。
そしてこれらの楽しみが得られるのは主に心が平安である時である。
麦が成長するのを見守る、畠で鋤や鍬を振るって息を切らす、本を読む、考える、愛する、望む、神に祈る――これらはすべて人間を幸福にする事柄である……。
時折り疲れ果てた王や虐げられた奴隷が、この世の真の王国がどこにあるのかを見出し、庭の畠の一うねにまことの無限の領土を建設することがある。
ジョン・ラスキン
p101
環境だけで人間の幸不幸が決まるのではないことは、明らかだ。
幸福だとか不幸だとかいう気持のあり方は、こうした環境をどのように受け止めるかによって決定される。
「天国は心の中にある」とはキリストの言葉だが、地獄もまた同様である。
デール・カーネギー
p110
「幸福になる」という決心をしてその決心を貫き通せば、本当に幸福になれることをご存知だろうか。
人が幸福になるかどうかは心の持ち方次第である。
財産や名声では決して決まらない。
次に幸福になるための心得をあげてみよう。
1、あくまで自分独自の人生哲学を築き上げるように心がける。
他人の言葉や行動に動かされて、自分の信念がぐらつくようではだめだ。
2、気が滅入る時には、天気のよい日に景色のよい所へ散歩に行く。
自分の周囲にどんなに美しいものがあるか考えてみる。
これを実行すれば、その瞬間には完全な不幸はあり得ない。
この瞬間にその一日の、一週間の、一ヶ月の、あるいは一年の、心の持ちようが決まるのだ。
3、美しい詩を読み、美しい音楽に耳を傾ける。
4、(これが最も幸福を生む働きがある)他人に親切を尽くす。
5、女性の場合、家の中をきちんと整頓し、常に美しくしておく。
6、できるだけ健康を保つ。
リューマチや関節炎、神経炎、高血圧その他慢性になりやすい病気に自分でかかる必要はない。
そんな病気にかかるのは、自分の体を粗末にするからだ。
7、趣味を持つこと。
何か自分が今まで興味を抱いていたものを趣味にすることだ。
デール・カーネギー
p112
賢者は自分に与えられるより多くの機会を作る。
フランシス・ベーコン
p112
毎朝自分自身に励ましの言葉をかけるなんて、馬鹿馬鹿しい子供じみたことであろうか?
そうではない。
これこそ健全な心理学の神髄ともいうべきものだ。
「われわれの人生はわれわれの思考によってつくられる」この言葉は十八世紀前にマルクス・アウレリウスが『自省録』に書いた時と同様、今日でも真理なのである。
デール・カーネギー
p115
私は信じます。
私たちは主の教えに従うことにより、この世に生きられるのです。
そして、主の「汝の隣人を愛せよ」という言葉に従えば、この上ない幸福が世に訪れるのです。
私は信じます。
人と人との間に起こる問題はすべて宗教的問題です。
そして人間社会に起こる過ちはすべて道徳的過ちです。
私は信じます。
私たちは神の御心を成し遂げることにより、この世に生きられるのです。
天国において神の御心が成し遂げられるように、地上においてもそれが成し遂げられる時、誰もかれもが人間を自分たちの同胞として愛するようになり、自分たちにしてほしいと思うことを人に対しても行なうようになります。
お互いの幸福はすべての人の幸福と密接につながっているのです。
私は信じます。
人生は、私たちが愛を通して成長するためにあるのです。
そして、太陽が花の美しい色彩と香りの中に存在するように神が私の中に存在するのです――神は私の暗黒を照らす光であり、私の沈黙に呼びかける声なのです。
私は信じます。
「真理の太陽」はかすかな光として、人の上に輝いては消えるのです。
愛は最後には、神の王国を地上に実現するのです。
その王国の礎石は、自由・真実・兄弟愛と、奉仕です。
私は信じます。
善は決して失われません。
善を求め、望み、夢みたすべての人間は、永遠に存在するでしょう。
私は魂の不滅を信じます。
それは、私の内部に不滅へのあこがれがあるからです。
私たちが死んだ後に訪れる国は、私たち自身の動機、考え、行ないから作り出されたものに違いありません。
私は信じます。
あの世では、私がこの世で持っていない感覚が得られるのです。
そしてあの世で私の住む家には、私の愛する花々や人々の織りなす、美しい色彩、音楽、言葉が満ちています。
こうした信念がなければ、目も見えず耳も聞こえず言葉も語れない私の人生は、ほとんど無意味でしょう。
私は「暗黒の中に立つ暗黒の柱」にすぎなくなるでしょう。
肉体的感覚を十分に満喫している方々は、私を憐れだと思います。
しかしそれは、私が喜びとともに住んでいる私の人生の黄金の部屋が、その方々には見えないからです。
私の行手はこうした人々には暗黒に見えるでしょうが、私は心の中に魔法の明かりを持っています。
私の信念が精神的な探照灯となって、私の行手をあかあかと照らしてくれます。
そしてたとえ影の中に不吉な疑いが潜んでいようとも、私は恐れることなく「魅惑の森」へと入っていきます。
そこには木々の葉はいつまでも青く、喜びが常にあり、うぐいすは巣を造って歌っています。
神の存在の前では生も死も同一なのです。
ヘレン・ケラー
p125
神様という友人に対して素朴に子供のように信頼を捧げることは、ありとあらゆるところからやってくる問題を解決してくれます。
どちらの方向に足を向けても困難が私たちを待ち受けています。
人生ある限り困難は必ずついてまわります。
こうしたものはその人の人格から作り出されるのです。
困難に立ち向かう一番確実な方法は、自分は不滅であると信ずること、そして一睡もしないで見守ってくれる友人があること、その友人は信じて委ねさえすれば私たちをじっと見守ってくれ、導いてくれることを信じることです。
この考えを心の奥底にしっかり据えつけておけば、ほとんどすべての望みはかなえられます。
それは自分の考えていた事柄にとどまりません。
持てる限りの美を自分で運んでくることもできます。
どんな傷を負っても優しい共感がこれを償ってくれます。
苦痛の中から忍耐と甘美さのスミレが花を開かせます。
予言者イザヤの唇に触れ、彼の魂を燃やした聖なる火が燃え立ちます。
そして宵の明星とともに満足が訪れるのです。
もし克服できるものが無制限にあるならば、人間の経験のすばらしい豊かさは、その報われる喜びの一部を失います。
山の頂上に立つ喜びは、もしそこへ至るまでに越えるべき暗い谷間が一つもなければ、半減されるでしょう。
ヘレン・ケラー
p130
ボタン一つで、宇宙から神が願いをかなえに飛んで来るなどと思うな。
ハリー・エマソン・フォスディック
p138
後援者も実権もまだない若者が世間へ出るに際して心がけるべきことは、第一に働き場所を得ること、第二に差し出口を控えること、第三に周囲をよく観察すること、第四に誠実であること、第五に雇い主に重宝がられる人物になること、第六に礼儀正しいことである。
ラッセル・セージ
p142
新しい集団に入ったら、その集団の気風をよく見きわめて、自分をそれに合わせる。
これで交際ものびのびした屈託のないものになる。
人と語る時は、「それは、こういうことですか」、「こういうことではありませんか」といった言いまわしを多く用い、押しつけがましく断言しない。
新参者は教わるべきであり、人に教えるべきではない。
その上、このやり方でいけば、相手に対する敬意をわかってくれるし、相手は知っていることを気軽に教えやすくなる。
これがもし高飛車に出れば、相手に軽蔑され口論を招くだけである。
自分を相手より利口に見せても愚かに見せても、得るところはない。
どんな事柄でも排斥してはならない。
するならばお手柔らかに。
さもないと、突然敗北の憂き目に合う。
たとえ相手がつまらない人物であっても、額面どうりに相手をこきおろすよりは、額面以上に相手をほめるほうが安全である。
賞讃は非難ほど反発されないし、少なくとも嫌がられないからだ。
相手がお気に入りの事柄をほめちぎれば、たちまち相手は好感を持ってくれる。
ただし他人を引き合いに出してほめるのは、避けたほうがよい。
アイザック・ニュートン
p146
私はあなたの行く道をついて行こう。
手に手をたずさえよう。
あなたが私を助けてくれれば、私もあなたを助ける。
私たちはこの世に長くはいない。
間もなく「死」という優しい子守り女がやって来て、私たちを皆ゆりかごで眠らせてくれる。
だからこの世にいるうちに、人を助けよう。
ウィリアム・モリス
p147
人と交際する時に一番忘れてならぬことは、相手には相手なりの生き方があるのだから、それが他人の人生をかき乱さないように、むやみに干渉しないことだ。
ヘンリー・ジェームズ
p150
できれば、人より賢くなりなさい。
しかし、それを、人に知らせてはいけない。
チェスタフィールド
p153
一生に一度も親切な行為をせず、人に真の喜びを与えず、人助けもしないで過ごすことは、老後の人生を美しく照らしてくれる楽しい記憶を、手に入れそこなうことである。
ジョン・ワナメーカー
p156
激しい口調で性急な言葉を吐くのは愚かであるが、それを文章にするのはさらに一段と愚かである。
人から失礼な手紙を受け取ったら、すぐペンを取って、十倍も失礼な返信を書く。
両方ともくずかごに投げ入れるだけなのに。
エルバート・ハバード
p165
人の大望を鼻であしらう人間とはつき合わぬことだ。
それが小人の常だから。
しかし真の大人物に会うと、すばらしいことに、こちらも大人物になれそうな気持にしてくれる。
マーク・トウェイン
p170
人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。
この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。
しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。
すなわち、自ら動きたくなる気持を起こさせること――これが、秘訣だ。
重ねて言うが、これ以外に秘訣はない。
もちろん、相手の胸にピストルを突きつけて、腕時計を差し出したくなる気持を起こさせることはできる。
従業員を首きりでおどして、協力させることもできる少なくとも、監視の目を向けている間だけは。
鞭やおどし言葉で子供を好きなように動かすこともできる。
しかし、こういうお粗末な方法には、常に好ましくない跳ね返りがつきものだ。
人を動かすには、相手の欲しているものを与えるのが、唯一の方法である。
デール・カーネギー
p174
息子たちとの口論にほとほと手を焼いた父親が、これは言葉では駄目だと悟り、何か実例を示して納得させようと考えた。
そこで息子たちに一束の棒切れを持って来させ、一人ひとりに折らせた。
誰一人うまく折れる者はいなかった。
ところが束を解いて棒を一本ずつ折らせてみると、みな容易にやってのけた。
そこで父親は息子たちに言って聞かせた。
「息子たちよ、お前たちが兄弟力を合わせている限り、誰一人お前たちにかなう者はいない。
だが仲違いして離ればなれになれば、お前たちは立ちどころにやっつけられてしまうぞ!」
イソップ
p192
勤勉は、退屈、不品行、貧窮の三悪を寄せつけず。
ヴォルテール
p192
人生は、もっとよい世界を切り開こうと努力する場合に、初めて生き甲斐のあるものとなる。
将来にまったく不安がなくなれば、誰一人として努力しなくなり、人類は絶滅してしまうだろ。
ドワイト・アイゼンハウアー
p195
金持ちになりたい一心から出発しても成功しない。
志はもっと大きく持つべきだ。
ビジネスで成功する秘訣はごく平凡である。
……日々の仕事をとどこおりなく成し遂げ、私がいつも口を酸っぱくして言っている、「商売の法則」をよく守り、頭をいつもハッキリさせておけば、成功は間違いなしである。
ジョン・D・ロックフェラー
p197
勤勉は、まさに若返りの妙薬である。
最も忙しい人間が最も幸福なのは、そのためだ。
どんな職業の場合でも、一人前になるには、ただ精を出して働き続ける以外にない。
「これで完全だ」と決して思い込んではいけない。
何年苦労しようと、「完全だ」と思い込んだら最後、堕落が始まる。
セオドア・マーティン
p201
私はどんな目にあっても決して落胆しない。
……価値ある仕事をやり遂げるための必要条件は三つある。
第一に勤勉、第二に頑張り、第三に常識である。
トーマス・エディソン
p201
毎朝床から起きたら、たとえ好きだろうと嫌いだろうと、何か一つやるべき仕事があることを神に感謝しよう。
何が何でも働き、何が何でもベストを尽くせば、やがては節制、自制心、勤勉、強固な意志、満足感といった、怠け者には想像もつかないような、もろもろの美徳が備わるようになる。
チャールズ・キングズリ
p201
もし、勤労を頭の古い清教徒どもが押しつけた、抹香臭い義務だと考えるなら、大きな心得ちがいだ。
日々の人生を有意義に暮らしたいと願う人間の心が、勤労へ向かわせるのだ。
ハロルド・W・ドッズ
p211
早寝早起きの、勤勉で、分別があって、金を浪費せず、真っ正直な人間が、運の悪さをこぼすのを見たことがない。
人柄のすぐれた、よい習慣を持った、鋼鉄のように強く、勤勉な人間は、愚か者には想像もつかぬような悪運に見舞われたとしても、決してびくともしない。
ジョーゼフ・アディソン
p212
何事にも落胆しない――あくまでやり続ける――決して断念しない。
この三つが大体において成功者のモットーである。
もちろん意気消沈する時はあるが、要はそれを乗り越えることだ。
これさえできれば、世界はあなたのものだ。
デール・カーネギー
p218
もし道に迷った者が「よく考えてみれば、私は道に迷ったのではない、気が狂ったのでもない、むしろこの場に踏みとどまる決心をしたのだ。
そして『今のところはここに住もう。その代わり、自分の長年親しんできた場所は、もはやないものとあきらめよう』と考えているだけなのだ」と考えれば、どれだけ多くの不安と危険が除かれることだろう。
自分の足で立っている者は、決して孤立していない。
われわれの立っている地球が宇宙のどの方向へ転がってゆくのか、誰も知らないが、宇宙の迷い子になったと思う者はいない。
地球の行きたい所へ行かせておけばよい。
ソロー
p226
今や私は皆さんと同じように、人間の無知がもたらした貧乏や、数々の悲惨さとたたかっています。
しかし今一つ大事なことは、もし現状を打開することに成功できなければ、どんな状況の打開もできないということを、人類の何世紀にもわたる経験が教えているということです。
あの白百合のように、じめじめした環境にいても、清らかに、すこやかに生き抜くことができない限り、どんな環境にいても、か弱い人間にしかならないことでしょう。
自分が今いる世界を救うことができない限り、どんな世界をも救うことができないでしょう。
一番大事なことは、どんな環境が必要かということではなく、どんな考えで毎日生活しているか、どんな理想を追い求めているか、ということなのです。
一言でいえば、その人の人柄の問題なのです。
次のアラビアの格言はすばらしい真理を語っています。
「汝の今いる所が汝の世界である」
ヘレン・ケラー
p228
自分の心から好きなことをやれ。
自分の骨の味を知れ。
かみしめよ。
地面に埋めよ。
掘り出してもう一度かみしめよ。
ソロー
p233
清らかで善き人の心には、堕落も冒瀆も、その他一点の汚点も存在しない。
自分の出番がくる直前にあわてて準備を始める俳優とは異なり、このような人の人生は、何時いかなる時に死が訪れようと大丈夫である。
彼は尻込みもせず出しゃばりもしない。
人生の奴隷でもなく、人間としての義務に無関心でもない。
彼には罪に値するものも、はずかしめに値するものも、何一つない。
善き人の人生はいかにすばらしいか、試してみよ。
彼は天から与えられた身相応の分を喜んで守り、その中に満足しきって住む。
行ないはすべて正しく、あらゆる人に親切である。
毎日をあたかもこの世の最後の日のように生き、穏やかでまじめで、しかも運命に無関心でない。
これこそ道徳的に完成した人間である。
マルクス・アウレリウス
p233
人生を喜び楽しめ。
人生は人を愛し、働き、遊び、星を眺める機会を与えてくれる。
ヘンリー・ヴァン・ダイク
p235
全力を尽くして生きよ。
そうしないのは間違いだ。
人生がある限りどんな生き方をしたって大して問題ではない。
もし人生がなかったというのなら、一体何があったというのだ。
私は年を取り過ぎた。
この年になっては、もはや何を見ても楽しくない。
失ったものは永久に帰ってこない。
このことをはっきりと銘記するのだ。
それでも人間には、まだ「自由」という幻が残されている。
だから今の私のように、その幻さえ持てぬ人間になってはいけない。
私は愚かすぎたり、こざかしすぎたりで、せっかく人生が楽しめる時をふいにしてしまった。
そして今では、その時私の犯した過ちを犯さない限り、自分の好きなことをやるがよい。
やらなかったのは私の間違いだった。
生きよ!
生きよ!
ヘンリー・ジェームズ
p238
われわれの持つ可能性に比べると、現実のわれわれは、まだその半分の完成度にも達していない。
われわれは、肉体的・精神的資質のごく一部分しか活用していないのだ。
概して言えば、人間は、自分の限界よりも、ずっと狭い範囲内で生きているにすぎず、いろいろな能力を使いこなせないままに放置しているのである。
ウィリアム・ジェームズ
p243
常に何かを聞き、常に何かを考え、常に何かを学ぶ。
これが人生の真の生き方である。
何事も切望せず、何事も学ばない者は、生きる資格がない。
アーサー・ヘルプス
p246
人間の能力はいまだにその限界が知られていない。
人間に何ができるか、先例から判断することもできない。
人間の試みてきたことは、あまりにも少ないから。
ソロー
p247
「自分は結局は神の子である。だから何か大きな仕事を果たすつとめがある」と知りながらも、そうした大望を果たすために自分の魂の扉を一度もたたこうとせず、自分の現在考えている事柄、現在行なっている事柄、現在の人生にすっかり満足しきってしまう日があれば、それは何人にとっても悪しき日である。
フィリップス・ブルックス