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「パーティーが終わって、中年が始まる」を読んだ

パーティーが終わって、中年が始まる」を2025年07月25日に読んだ。

目次

メモ

p3

十代の頃はあまり楽しいことがなかったのだけど、実家を出てからの二十代はまあまあ楽しかったし、東京に来てからの三十代はさらに楽しかった。
いろんな場所に行って、いろんな人に会って、面白いことをたくさんやった。
この調子で、ずっと右上がりに楽しいことだけやって生きていけたらいいな、と思っていた。

しかし、四十代半ばの今は、三十代の後半が人生のピークだったな、と思っている。
肉体的にも精神的にも、すべてが衰えつつあるのを感じる。

p4

昔素晴らしかったものは、既にもう失われてしまった。
大事な友達は、みんないなくなってしまった。
すべては、どうしようもなく壊れてしまった。
そんな物語を好んで読んできたし、そんな歌詞の歌を繰り返し聴いてきた。
喪失感と甘い哀惜の気分を愛してきた。

「もうだめだ」が若い頃からずっと口癖だったけれど、今思うと、二十代の頃に感じていた「だめ」なんてものは大したことがない、ファッション的な「だめ」だった。
四十代からは、「だめ」がだんだん洒落にならなくなってくる。
これが本物の衰退と喪失なのだろう。

若い頃から持っていた喪失の気分に、四十代で実質が追いついてきて、ようやく気分と実質が一致した感じがある。
そう考えれば、衰えも悪くないのかもしれない。
自分がいま感じているこの衰退を、じっくり味わってみようか。

この本では、そんな四十代の自分の「衰退のスケッチ」を描いていきたい。

p11

話すよりも書くほうが好きなのは、文章にはリアルタイム性がないからだ。
失敗したら何度でも書き直して、満足が行くところまで直してから人に見せればいい。
安心感がある。

いつも、うんざりするくらい何度も書き直しをする。
一度完璧に書けたと思ったものでも、翌日に見直すととてもアラが目立つ。
そのアラを全部直しても、また次の日に読み返すと直したくなるところが出てくる。
その作業を三回くらい繰り返すと、ようやく直すところがなくなる。

p14

その頃は、現実や社会というものが怖くてしかたがなかった。
知らない人に会いたくなかった。
本やネットで得た知識だけですべてをわかったような顔をしていた。
人生というものに現実感が持てなくて、すべてテレビゲームと同じように感じていた。
人生の本番はまだ始まっていない。
今はまだ何をやったらいいかわからないけど、そのうちもうちょっとちゃんとできるようになるはずだ。
そのときがきたらがんばろう。
そんなふうにいつも思いながら、何も行動には移さず、惰性のままにだらだらと無為な毎日を送っていた。

p18

中年になって、他人と一緒に過ごすことの許容度が下がったのはなぜだろうか。
なんだか中年になると、自分も他人も、存在しているだけでうっとうしさが発生してしまっている気がする。
それは容姿が老けてきたからなのか、それとも物音や人の気配が苦手になったからなのか。

年をとってから身だしなみに少し気をつかうようになったのはそのせいだ。
少しでもうっとうしさを軽減したい。

若い頃はむしろ好きこのんでむさ苦しい格好をしていた。
ボサボサの髪でヨレヨレのシャツを着て、世の中のメインストリームから外れた感じでいるのが居心地がよかった。
社会に参加したくなかった。
まともな人たちから、どうでもいい取るに足りない存在だと見られていたかった。

そんな自分が、四十歳を超えてからは、少しちゃんとした服を着るようになった。
といってもそんなに大したことはしていなくて、あまりにもくたびれた服は捨てて、ユニクロやGUや無印良品でシンプルな服を買うようになったとか、一か月半に一度は髪を切るようになった(それまでは三、四か月経って髪が伸びすぎて洗うのが面倒になるまで放置していた)とか、それくらいのことに過ぎないのだけど。

別に、お洒落になりたい、と思ったわけではない。
中年男性があまりにもほったらかしの見た目をしていると、不審者だと思われて警戒されそうだからだ。

若い男子がボサボサの髪の毛でヨレヨレの服を着ていても、まあこの子は見た目に頓着していないんだな、と思われるだけだろう。

中年以降の男性がだらしない格好をしていると、なぜ危険な雰囲気になってしまうのだろうか。
周囲を怯えさせないためには、ある程度のこざっぱりさを身につける必要があるらしい。
面倒だけど。

ひらめきアディクション p26

暑くも寒くもない五月の夜遅く、好きな音楽をイヤフォンで聴きながら、家の近所を意味もなく歩き回る。
昔はただそれだけで楽しかった。

信号機の光、コンビニの光、自動販売機の光。
風に揺れる街路樹の影。
人の少ない夜の街は、昼とは全く違って見える。

散歩が好きなのは、歩いていればいつも何かを思いつくからだ。

頭の中にぼんやりと浮かんでいるきれいな色のもやに、手足をはやして目鼻をつけて、現実世界のものにしていく。

バラバラの要素だったAとBとCが、○と△と□が、火花を散らしながら結びついて、見たことのない何かを形作りはじめる。

何かを思いつくたびに、脳にしびれるような快感が走る。
すべてがキラキラと光って見える。
その瞬間が、生きている中で一番好きだった。

それ以外の時間は、すべてどうでもいい、と思っていた。

だけど最近、そうしたひらめきがあまり起きなくなっているような気がする。

歩いていてもあまり何も思いつかない。
そもそも散歩自体がそれほど楽しくない。

あんなに何度も聴いた好きな音楽も、心を動かさないようになった。
こんなにも季節や体調のコンディションは最高なのに。
おかしい。

昔は歩いているだけでなぜあんなに楽しかったのか、思い出せなくなってしまった。

そもそも自分が、お金や仕事や、社会的な地位や名声にあまり興味がなかったのも、頭の中で何かを思いついているときの快楽に比べれば、どれも大したことがないな、と思っていたからだ。

文章を書いたり、シェアハウスを作ったり、イベントを企画したり、友達に別の友達を紹介したりといった、世界に新しい結びつきを作ることにしか興味がなかった。

だから、自分の中ではお金よりも時間のほうが圧倒的に重要だった。
何かを思いつくのに必要なのは、お金ではなく時間だ。
お金がいくらあっても暇な時間がなければアイデアは降りてこない。
自由に物を考えられる時間さえあれば、いくらでも頭の中だけで楽しむことができる。
だから二十八歳のときに会社を辞めて、自由な時間を確保した。

そこから十五年あまりが経った。
定職につかずに物事を自由に考える生活は、予想通りにとても楽しくて、思いつくままにいろんなことをやっているうちにあっという間に年月が過ぎた。

しかし、順調だったその生活も、四十代半ばにさしかかって少しかげりが出てきた。
最近、今までと同じようにやっていてもなんだか楽しくなくなってきてしまった。

何かを自由に考えることに楽しみが見いだせないと、自分の生活の基盤が崩壊してしまう。

これは、年齢のせいでクリエイティビティが落ちてきたということなのだろうか。

p32

去年の春頃、ひらめきをひたすら追い求めるやり方に疑問を持ち始めたあたりから、生活スタイルが変わってきた。

具体的には、ひとりで何かをするのが楽しくなくなってしまった。

今までは、ひとりで本を読んだり、散歩をしたり、旅行をしたりするのが好きだった。
誰かといるよりもひとりでいるほうが、いろんなことを思いつくから楽しい、と思っていた。

それが、創作へのモチベーションが減ったとたん、楽しくなくなってしまった。

僕がひとりを楽しんでいたのは、それが創作の役に立つ、というのが前提になっていたみたいだ。
読書も散歩も旅行も、それをしているといいアイデアを思いつくからやっているところが大きかった。

自分は、創作とは関係ない純粋な楽しみを持っていなかった、ということに気づいてしまった。

そうすると急に時間が余るようになった。
ひとりで本を読んだりゲームをしたりしても楽しくない。
この空き時間を何をやって埋めていたのか、全く思い出せない。
しかたないので普段やらない家事(ガスコンロをきれいに磨いたり)をしたりしている。

昔は「ひとりでいるのが一番楽しい」と平気でうそぶいていたのに、ひとりでいる時間がやたらと寂しくてしかたなくなってしまった。

こんな状態なら、会社勤めが普通にできそうだ。
ひとりでひたすら虚無の時間を過ごすくらいだったら、会社にでも行っていたほうがいい。
そうか、みんなこんな感じで会社勤めをしていたのか。

クリエイティビティと孤独というのは表裏一体なのかもしれない。

頭の中に、作り出したいものがたくさんあるときは、ひとりでいても何も問題がなかった。
むしろ他の人間の存在はノイズだった。
ひとりのほうがいいものを作れる。
もっと、ひとりになりたい、と思って、近くにいるいろんな人を遠ざけてきたのが自分の人生だった。

創作を楽しめているときはそれでもよかった。
しかしクリエイティビティが去ってしまうと、残ったのは単なる孤独だった。

ひらめきがあまり起きなくなり、ひとりでいる時間が楽しくなくなって、世の中の人がなぜパートナーや家族を作るかが少しわかった気がした。

自分がずっとハマっていた、何かを思いついたときに脳に起こる麻薬的な快楽、それをそもそもみんな重視してないから、みんな家族を作ったり、会社に属したり、社会のために何かをやったりしていたのだ。

天才的な芸術家のように汲めども汲めども尽きない発想の泉を自分の中に持っていれば、孤独なんて感じる暇はなく、生活のことなんて放りっぱなしで、頭の中の宝石を現実化する作業をしているだけで一生が過ぎ去っていくのだろう。
そういった存在に憧れていたけれど、自分の中の発想の泉は四十歳で息切れする程度の湧出量しかなかったようだ。

それはそれで幸せなことだったのかもしれない。
電撃ではなく、もっと地道なものを追い求めてみようか。
熱に浮かされたようなうわずった表情で作り上げたものは一瞬人を幻惑するけれど、すぐに霞のように消えてしまう。
もっと粘り強くありたい。
瞬発力では絶対に若者には勝てない。
決して鋭くはないけれど、この人ならではの、言葉では説明しにくい曖昧な良さがある、そういうところを目指したい。
そういう存在を目指したい。
謎のじじい、みたいな。

p40

特別に親密な関係を持つということがよくわからないけれど性欲はあって、その二つの乖離に悩んできたのが今までの人生だったのだけど、四十代になって少し状況が変わってきた。

性欲は結構減ったと思うけど、ゼロになったわけではない。
ただ、他人と性的な関係を持つことへのハードルがかなり上がった。
具体的には、人の前で裸になるのが恥ずかしいと感じるようになった。
こんな見苦しい中年の体なんて人に見せるものじゃない、と思ってしまう。
昔は聞かれもしないのに自分から性的な話をしたりしていたけれど、今は、四十代の性の話なんて誰も聞きたくないよな、と思って、語ることも少なくなった。

性はやはり、若者のものなのだろう。
若者が誰かとセックスをした話をネットで見かけると、いいぞ、もっとやりまくれ、とこっそり応援している。

若い頃は、四十代の性の話なんて聞きたくない、と思っていた。
想像したくもなかった。
それと同じように、四十代の今は、六十代や七十代の性の話なんて聞きたくない、という気持ちがあるのだけど、実際には六十代や七十代でも完全に性から離れることはできなそうな感じもあるので、見たくない、と思って蓋をするのではなく、老境の性について今から受け入れる準備をしておいたほうがいいのかもしれない。

普段の生活の中で全般的に気力がなくなってきているのも、ひょっとしたら性欲の低下と関係しているのかもしれない、と、ときどき思う。

昔から、ネットで文章を書いたり、人を集めるイベントを企画したりしていたのは、必ずしもそれだけではないのだけど、そのことによって異性と知り合って、仲良くなりたい、ちやほやされたい、という下心がある程度のモチベーションになっていた。

という話をすると、男性は大体同意してくれるのだけど、女性には「それは別の話」「仕事がバリバリできる女はモテない」と言われることが多い。
そうなのか。
男性は仕事の評価がモテにつながりうるけれど、女性は特につながらない、ということか。
確かに一般的にはそうなのだろう。

自分が異性を好きになるときは、相手の作る作品とか、成し遂げた仕事が素晴らしいから、という憧れの気持ちで好きになることがよくあった。
自分に向けられている笑顔よりも、何かに集中しているときの横顔を、一番美しいと思っていた。
でも、今思うとそれは不純な好意だったのかもしれない。

自分にはない能力を持っている人を好きになるのは、親しくなることでその人の良さを自分に取り入れようとしているのだ。
それは純粋にその人自身に好意を持っているのではないのではないだろうか。
何か身につけたいものがあるならば努力をして身につけるべきで、そこで恋愛感情を持ってくるのは筋違いというか、ごまかしだろう。

でも、そんなことを言い出すと、純粋な好意って何なんだろう、という話になってくる。
そんなものは存在するのだろうか。
恋愛感情と、妄想や羨望や無力感やトラウマはいつも入り交じっていて、みんな何かよくわからない不純な動機をいろいろ持ちながら、人を好きになったり関係を持ったりしているのではないか、と思う。

橋本治が『失楽園の向こう側』(小学館文庫)という本で書いていた「性欲は羅針盤だ」という話が好きだ。

人は何か人生に行き詰まりを感じているとき、その状況から自分を救い出してくれそうな存在に恋をする、というのだ。
現状を変えるというのは大体の場合すごく面倒なので、理屈だけではなかなか状況を打破できない。
そんなとき、性欲という理屈では割り切れないエネルギーが、変化したい方向へと自分を後押ししてくれる。

そして十代の頃に性欲が盛んなのは、それが生物としての仕組みでもあるけれどそれだけではなく、十代の頃は人生の行く道が全く定まっていないからだ。
何もわからないままに未来を模索するしかない時期だから、性欲にもっとも振り回されてしまう、というのだ。

それならば特に未来を模索していない、自分の先行きはだいたいこんな感じだ、とわかってしまった四十代で、性欲が衰えてくるのは当然か、と納得している。

恋が多い人は、恋愛以外でも面白そうなことをたくさんしているような気がする。
恋というのは、単に性的対象に対する欲望なのではなく、すべての未知なものに対するときめきやワクワク感の基本となる感情なのかもしれない。

そう考えると、恋や性に振り回されるのはもう疲れたという気持ちもあるけれど、人生を楽しむためには、自分の中にあるときめきの種火みたいなものを大切にしていったほうがいいのだろうか。

p51

しかし、その長かったデフレ時代が終わりつつある。

そもそも経済というのは、極端なインフレはよくないけど、デフレであるのもよくなくて、ちょっとインフレくらいがちょうどいいらしい。
目安として、年に2%のインフレ率が目標とされていて、これをインフレターゲットと呼ぶ。

物価は少しずつ上がっていくけど、賃金も少しずつ上がっていく。
そうして少しずつすべての値段が上がっていきながら、経済が成長していくのが健全な状態で、この三十年ほどずっとデフレが続いていた日本経済のほうがおかしかったのだ。

そのことは理屈としてはわかる。
だけど、ずっとデフレ環境で育ってきた自分には、すべてが値上がりしていく世の中にやはり慣れない。

p54

本当かどうかは知らないけれど、最近ネットでときどき見かけるのが、「日本で安く外食ができる時代はもうすぐ終わるだろう」という意見だ。

ヨーロッパでは外食をすると安くても2000円とか3000円とかするので、庶民は自炊ばかりでほとんど外食をしないらしい。
外食というのは富裕層の文化だ。
それが普通の国で、日本もそうなっていくだろう、と言うのだ。

今まで日本の外食産業は、安い労働力をブラックな労働環境で使うことで低価格を維持してきたけれど、それは不健全な状態だった。
本来外食はもっと高い値段であるはずなのだ。

海外のことはよく知らないけれど、そう言われるとそうなのかもしれない。
外食産業のブラックさはときどき耳にするし、それが解消されるのならいいことなのだろう。

だけどそのことによって、そんなにお金がなくてもいろいろなものが気軽に食べられる庶民的な外食文化が失われてしまうとしたら、寂しいものがある。

ファミレスでドリンクバーを飲みながらだらだら喋ったり、自炊がだるいときは定食屋でごはんを食べたり、ときどき寿司や焼き肉を食べたり、そういったことはもうあまりできなくなってしまうのだろうか。

p68

それから十数年が経った。

当時よりさらにテクノロジーは進んで、ネットは便利になった。
しかし、今のネットはいつも争いや炎上があふれていて、とても疲れる場所になってしまった。

今から振り返ると、昔みんながウェブの未来に抱いていた夢は、楽観的すぎたのだろう、と思う。
あの頃はなぜ、ウェブが進化するとみんなが幸せになれると、あんなに無邪気に信じられていたのか。

結局、ウェブ2.0が描いていた理想というのは、性善説に基づいていたということなのだろう。

一部の新しいもの好きの人たちだけがネットのメインユーザーだった頃は、それでもうまく回っていた。
みんながネットがよくなるために無償で貢献し、その成果をみんなが無料で受け取ることができた。

現実の資産を全人類に平等に分類するのは難しいけれど、ネット上に置かれた知的な資産は、すべての人類が無料でアクセスできる。
そこには現実世界では実現できなかった、平等で理想的な世界が広がっているように思えた。

だけど、ネットが一般化して、ユーザーが大衆化した結果、現実世界と同じように、善意だけでは秩序を守れなくなった。

現実では出会うことのない人たちが出会ったり、現実では見ることのない本音にアクセスできるようになった結果、人々は無限にぶつかり合うことになった。
ヘイトを煽るようなコンテンツでアクセスやお金を稼ぐ人間も増えた。

ツイッターは、人間の怒りや嫉妬と相性が良すぎた。
ツイッターは、人間の集合知を集める場所ではなく、人間の負の感情を増幅させる装置になってしまった。

人間の感情や認識はネットがない世界で発達したものなので、ネットには向いていないのかもしれない。
人類にはネットは早すぎたのだ。

制限のないまま人間たちを閉じた空間に放り込むと、トラブルばかりが起こって誰も幸せにならない。
だから、システムの側で、トラブルが起きないように管理してもらったほうがいいのだろう。
AIによるおすすめを見ているほうが平和で楽しく過ごせるのなら、それでいいのかもしれない。

今はツイッターを見てもユーチューブを見ても、自分の好みのコンテンツが無限におすすめで流れてくる。
その情報の洪水から感じ取れるメッセージは「特に向上なんてしなくていい。
この無限のぬるま湯の中に浸っていればいい」というものだ。

かつてのインターネットは自分をより自由にしてくれて、よい方向へと変化させてくれるものだった。
それに対して今のインターネットは、自分をひたすら自分のままで甘やかしてくれるものになった。

今はもうそんなに成長したいとも思わない。
AIがいい感じに調整してくれたコンテンツを見ていればいい。
どうせ、AIのほうがこちらよりも有能なんだし、自分で考える必要はない。
もう、がんばらなくていい。

そんな自分を、ネットに無限の可能性を感じていた二〇〇七年の自分が見たら、堕落した、と蔑むだろう。

ただ、向上心がなくなってしまったのは、ネットの情勢の変化とは別に、自分が単に年をとって、二十代から四十代に変化してしまったせいなのかもしれない。
今の若い世代は、今のネットの状況でも、「ネットでどんどん面白いことをしていくぞ、俺たちはこれからだ」と思っているだろう。

自分の加齢による変化とネットの情勢の変化がちょうどシンクロしていて、どちらがどれだけ要因になっているのかわからない。

今わかるのは、自分がかつて信じていたやり方は時代遅れになった、ということだけだ。

どうすればいいんだろう。
わからない。
全部AIに決めてもらえばいいか。

すべてを共有したかった p72

十年くらい一緒にシェアハウスで暮らしていたけれど、最近はあまり会っていなかった友人に、数年ぶりに会った。
「とりあえず喫煙所行こうぜ」と言われたので、駅前で喫煙所を探した。

普段はあまり煙草を吸わないのだけど、吸う相手と一緒に喫煙しながら話すのは好きだ。
煙草を吸っているとそんなに話さなくても間が持つ気がする。
喫煙所という「普段いる場所とは別の、一部の人だけが集まる避難場所のような空間」も好きだ。
喫煙所にいると、そこにいる人みんなにうっすらと仲間意識が芽生えてくる。
世間では嫌がられている喫煙という時代遅れの悪弊を、未だに捨てられない、合理的ではない我々。

外界から区切られたパーティションの中で、煙をふかす。
昔はよく二人で夜中にシェアハウスのそばの川べりに行って、煙草を吸っていた。
あの頃に比べると喫煙できる場所もずいぶん減ってしまった。

昔は二人とも暇だったので、だらだらと長い時間を一緒に過ごしていたけれど、シェアハウスのようなたまり場がなくなると、わざわざ連絡をして会うのも変な感じがして、あまり会わなくなっていた。

だけど、顔を合わせるとすぐに昔の空気が戻ってきた。
お互いの近況や、共通の知人のその後などについて話した。
当時の知人たちは、ネットから姿を消してしまって、連絡が取れなくなった人も多い。

シェアハウスにいた頃は、僕も彼もまともに働いていなくて、お金はないけど時間だけはあり余っていたので、ネットに無償でいろんなものを発表したり、ネットの人を家に呼びまくったりと、ひたすらインターネットで遊んでいた。
あの頃はネットがあれば何でもできると思っていた。

p89

常に人の絶えないシェアハウス生活だったけど、そんな生活も、長く続けているうちに少しずつ飽きが出てきた。

住人や遊びに来る人も、自分より十歳以上年下の若い世代が増えてきて、「シェアハウスってやっぱり若者向けのものだよな」と感じるようになった。

そろそろ潮時かな。
そんな気持ちになったので、ちょうど四十歳のときにシェアハウスを解散して、一人暮らしを始めた。

p105

住み始めた最初のほうはシェアハウス時代の名残りで、家に人を呼んで飲み会や鍋をやってみたりもしていたけれど、そういうことをしていたのは最初の三か月くらいで、しばらくすると全く家に人を呼ばなくなってしまった。

自分以外の人間が家にいない生活は、思ったよりも静かで快適で、それにすっかり慣れてしまったのだ。

引っ越す前は、人が自由に遊びに来てもいいように合鍵をいろんな人に渡してみようか、と思っていたけれど、結局やらなかった。
誰かが急に泊まってもいいように、と予備の布団も用意していたのだけど、一回も使っていない。

そうやって、今は一人暮らしには広すぎる部屋を持て余しながら暮らしている。
シェアハウス時代のことを思い出すと、「よくあんなに騒々しく落ち着かない場所で生活ができたものだ」と不思議に思う。

今は、引っ越したいという気持ちが全くない。
今の家も街も気に入っているから、ずっとここに住んでいたい。
定期借家の契約が切れるのが本当に面倒だ。

昔は、どこか違う場所に住むことで、新しい自分と出会えるかもしれない、そうしたら人生がもっとうまくいくかもしれない、という気持ちにいつも急き立てられていた。

今は、別にどこに住んでも自分自身はあまり変わらないだろう、という気持ちになっている。
何より動くのが面倒だ。
引っ越しは労力もお金もかかる。

昔は、十年も二十年も同じ場所に住む人のことが信じられなかった。
そんな人生でいいのか、精神が停滞しないのか、と思っていた。
でも今はわかる。
そうか、みんなこういう感じだったのか。

僕がずっと、変な家に住みたいと思っていたのは、普通になりたくなかったからだ。

人間は環境が作る。
普通の環境だと普通のことしか考えないようになる。
だから、変わった人間になりたければ、変わった環境に自らを放り込めばいい。
そう考えていた。

自分の場合、その試みはうまくいって、変わった環境でいろいろと珍しい体験をして、ちょっと変わった人間になったのではないかと思う。
そして、そういうことをやり尽くした今は、もう別に普通の家でいいかな、と思っている。
やりたいような暮らしは大体やってしまった。
あとはどこに住んでも自分はあまり変わらないだろう。

p112

ここまで書いたところで、以前読んだ村中直人『ニューロダイバーシティの教科書』(金子書房)という本のことを思い出した。

この本は、ニューロダイバーシティ、訳すと「神経の多様性」についての本で、主に自閉症スペクトラム(アスペルガー、ASDとも呼ばれる)のことが扱われている。

自閉症スペクトラム者は「人間よりも人間以外のものごと(例えば論理とか法則とか分類とか)に興味を持ちやすい」といった特性がある。
それが障害だと見なされるのは、この社会の中で彼らが神経学的な少数派(ニューロマイノリティ)だからにすぎない。
自閉症スペクトラム者が多数派で、定型発達者が少数派の社会では、定型発達者のほうが「人間に興味がありすぎる」障害だと見なされるだろう。

ちなみに自閉症スペクトラムは女性より男性に圧倒的に多く、「理屈っぽい」とか「理論が好き」といった男性の男性的な面を増幅した「超男性脳」と呼ばれたりすることがある。

この本では、自閉症スペクトラム者の特性がひとつの文化だと扱われる。
また、障害と文化を結びつける別の例として、耳が聞こえないろう者の人にも特有のコミュニティがあって、それも文化だという話が紹介されている。

この本で一番面白かった部分は、自閉症スペクトラム者やろう者の文化は、必ずしもその当事者だけに閉じられていない、という話だ。

どういうことかというと、自分は自閉症スペクトラム者じゃないけれど、自閉症スペクトラム者と話すのが居心地がいい、という人がいる。
同じように、ろう者じゃないけれど、手話を使ってろう者のコミュニティにいると落ち着く、という人もいる。

それと同じように、個人的な感情を掘り下げないままでなんとなく集まれるという、男性集団のよい部分は、男性以外にも共有できるものだと思うのだ。

こういったことをよく考えるのは、孤独だった十代のときに、大学の寮に入って救われたからだ。

高校までの自分は友達を作るのがずっと苦手だった。
だけど寮では、話すのが下手でも、頭の中で危険なことを考えていたとしても、無言で麻雀を打ったりゲームをしたりしていれば、それでなんとなく人の輪の中に入ることができた。
その後シェアハウスを始めたのも、寮の経験があったからだ。

寮やシェアハウスでぐだぐだと長い時間を過ごしていた仲間たちとは、寮やシェアハウスを出たあとは、あまり会わなくなった人が多い。

寮やシェアハウスのような場所で、なんとなく大勢で一緒に過ごすのはちょうどよかったけれど、わざわざ連絡を取って会う、という感じではないのだ。
喫茶店とか飲み屋で一対一で会っても、「何を話したらいいかわからない」「特に話すことがない」という感じになってしまう。

だから、本当は話も気も合わなくて、お互いのことがあまりわかっていなかったのかもしれない。

でも、寮やシェアハウスでの人間関係が、偽物だったとも思っていない。
お互いのことがよくわからないままでも集まっていられたあの空間は、あれはあれで良いものだったと思っている。

きちんとお互いを掘り下げてわかりあえる一対一の関係を持つことはもちろん大切なことだけど、それと同時に、性格や思想が違ってもなんとなく曖昧に集まって場を共有できる場所もあるとよくて、その両方があることで、より豊かに過ごせるのではないだろうか。

p132

ただ、このあいだある記事を読んでちょっと衝撃を受けた。

それはADHDの人の話で、その人は、普段から頭の中にずっと音楽が流れているらしい。
だけどADHDの薬を飲んだら、その音楽がぴたりと止まって静かになって、他の人はみんなこんなに静かな世界で生きていたのか、と驚いていた。

それは自分と全く同じ症状だった。
常に、頭の中に断片的な音楽が流れている。
それは、たまたま耳にした音楽だったり、何か目にしたものに関連した音楽だったりする。
長い音楽がずっと流れているというよりは、短いフレーズが何度も断片的に繰り返されていて、消そうと思っても消せない。

そして、実際に耳から音楽を聴いているときだけは、頭の中の音楽が消えるのだ。
だから音楽を聴くと集中できる。
逆に言うと、音楽を聴いていないときは、常に頭の中にいろいろな音楽が流れ続けていて、無限に気が散り続けている。

その記事を読んで衝撃を受けた理由は、自分の脳内に常に音楽が流れ続けていることや、音楽を聴かないと集中できないといった自分の性質は、ひょっとして「音楽に愛されている」とか「音楽的才能」といったものではないか、と少し期待していたところがあったからだ。
しかし、それは薬を飲めば治るような、ただの「症状」だったのだ。
ちょっと、がっかりした。

その「症状」を、実際の音楽につなげられる人もいるのだろう。
音楽的な基礎をきちんと身につけている人なら、頭の中に流れてくる断片からいろんな曲を作り出したりできるのかもしれないけれど、自分にはそういった素養はないので、どこかで聴いたCMソングが延々と脳内でループするとか、そういうつまらないことにしかならない。

まあ、頭の中が常にごちゃごちゃしているという体質のせいで、音楽のことを切実に必要だと思えて、音楽に親しみを持てたことは、いいことだったのかもしれない、と思う。
そのおかげでたくさんの音楽と出会うことができたし、素晴らしい音楽を聴いているときは、いつも自分が世界にひとつだけの特別な体験をしていると思うことができたからだ。

p150

いつからか、そういうのが面倒だ、と思うようになってしまった。
環境を変えるのは疲れる。
安定したいつもの落ち着ける場所にいたい。
体力が落ちたせいなのだろうか。
自分は堕落してしまったのだろうか。
多分そうなんだろう。
しかし、その先も人生は続いていくのだ。

日々をこなしていくのが精一杯で、気を抜くといつも何かに追いつかれている。

カバンからノートとペンを取り出す。
ノートを広げてやらなきゃいけないことを全部ひとつずつ書き出していく。
大事なものは大きく、優先度の低いものは小さく。
そして、すでに終えた項目に線を引いて消していく。

やらなきゃいけないことは、いったん紙に書かないと手を付けることができない。
だから、全部書き出していく。
書いてすぐに線を引いて消す。
やることがひとつしかないときでも、そうしないとうまくできない。

ノートにふせんを貼ったり剥がしたり、丸めて捨てたり、を繰り返していると、窓際の席で新聞を広げて読んでいた年配の男性が大きなあくびをしたのが目に入った。

p154

駅から約五分、商店街の路面店なんて家賃だってそんなに安くないだろうのに、こんなに古着屋ばかりがいっぱいあってやっていけるのだろうか、そんなに古着は利益率がいいのだろうか、知らない業界の商売のことって全然わからないな、といつも考えてしまう高円寺パル商店街を抜けたところにある古いビルの二階に、小さな書店がある。
ドアの鍵を開けて店に入る。
今日は店番のシフトの日なのだ。

店内には段ボール箱がいくつか置かれている。
今日の朝に取次(書籍の流通業者)が届けてくれた本だ。
取次は店の鍵を持っているので、毎朝やってきて店の中に本を置いていってくれる。
本屋で働くまでは、書店に本がこんなふうに届けられているということを知らなかった。

白い帯でとめられている箱には今日出たばかりの新刊が入っていて、青い帯でとめられている箱には以前売れた本の補充注文をした分が入っている。
届いた本の箱を開ける瞬間はいつも少しワクワクする。
今日はこんな本が出たのか。
新刊を平台の一番いい場所にどんと積み上げる。
たくさん売れるといいな。

スピーカーの電源を入れ、BGMをかけて、店内を掃除して、レジにお金をセットする。
開店の準備が一通り終わると、お茶を淹れて、席に座って少しのんびりする。
開店前の誰もいない店を独り占めして、ゆっくり本を読んだりする時間が一番好きだ。

ずっと「働くのは嫌だ」と言ってきた自分がこんなことを思うのは過去の自分に対する後ろめたさもあるのだけど、本屋の仕事は楽しい、と感じている。
本屋が世界で一番好きな場所なので、店にいるだけで幸福感がある。
毎日いろんな新刊が届くのも楽しいし、お客さんがどんな本を選ぶかを見るのも面白い。
静かな空間に座ってゆっくりと店番をするのも性に合っている。

昔から本屋が好きだったのに、どうして本屋で働くということを今まで考えなかったのだろうか。
まあこの店みたいに小さな個人書店を手伝うのと、大きな書店に就職するのとではだいぶ違うとは思うけれど、もし大学を卒業したとき、就職先として書店業界を選んでいたら、定職につかずにふらふらと生きるのではなく、順調に会社員として働き続けていた可能性もあったのだろうか。

いや、多分だめだな。
二十代の頃の自分は本当に社会性や協調性がなかったので、どこに就職しても数年で辞めてしまっていただろう。
この店の仕事が続いているのは、四十代になった今だからだ。

昔の自分は落ち着きがなさすぎて、一日八時間同じ場所に座って勤務するのが本当に苦痛だった。
それが少し落ち着いてきたのは四十路を過ぎてからだ。
単に加齢とともに動き回るエネルギーがなくなってきただけなのかもしれないのだけど、その衰弱のせいでこういった店番ができるようになったのならそんなに悪くない。

書店員の仕事は楽しいけれど、フルタイムで働いているわけではないし、それだけで食べていける収入にはなっていない。
まあ楽しいからそれでいいかと思っている。

昔からずっとそうで、今でも相変わらずそうなのだけど、仕事とお金に関係があるということがうまく理解できない。

もちろん理屈としては、「仕事をするとお金がもらえる」という単純な因果関係はわかっている。
しかし、自分の中ではいつまで経っても「興味のあることをやっていたらなんとなくお金が入っている」という感覚で、それ以外の意識で上手く仕事ができないのだ。

三十代くらいの女性がひとりでやってきて、十五分ほど店内を見たあと、人生相談の本と台湾の本を買っていった。

本屋にふらっとやってくる人は、差し迫った切実な悩みを抱えているというよりは、何かちょっと面白いものや、日常に刺激を与えてくれるものを求めていることが多いように思う。

本屋でぶらぶらと本棚を見て回るうちに、少しずつ心の中が整理されて、自分が何に興味を持っているのか、自分の悩みとはなんだろうか、というのを自覚していくのだろう。

本屋で店番をしていると、そういう瞬間にたくさん立ち会えるのが楽しい。

ここ数年、貯金は減り続けている。
大して仕事をしていないからだ。

普通はこういうときにもっと焦るものだと思う。
だけど、なぜだか焦る気にならない。
危機感を持てない。
多分そういう回路が壊れているんだと思う。

貯金があと半分くらい減ったらさすがに尻に火のようなものがついてきて、「そろそろ真剣に考えないといけないな、人生とか」という気持ちになるのではないか、とぼんやりと期待しているのだけど、実際にそのときになったら「さらに半分くらいになるまで意外と平気だな」となりそうな気もする。

そういえば昔は、「何か本を出しませんか」というオファーが年に数件あったけれど、最近はあまり来なくなった。
それは出版不況のせいではなく、書き手としての自分の問題だろう。
自分自身がそんなにぱっとしない存在になってきているのをなんとなく感じる。
まあ、今まで十冊くらい本を出してきて、大体のことは書いてしまって、そんなに書きたいこともなくなってきた、というのもある。

いや、そもそも仕事としては、書きたいことがあるから書くというのではなく、需要のあるものを書く、というのが正しいのだろう。

電力会社の人が全員電力に興味があるわけじゃないだろう。
就職して大学職員をやっていたとき、学生の成績表の管理なんて何も面白くなかったけど、自分以外のみんなは淡々とこなしていた。
好きとか嫌いとかではなく、求められることをやるのが普通の仕事なのだ。

でも自分にはそういうのがうまくできなかった。
自分の興味のあること以外ができないからこんなよくわからない人生になって、高円寺によくいるずっと好きなことだけやってきてそうな職業不詳の胡散臭いおっさんたちに憧れてしまうのだろう。

本屋で店番をしているとき以外は、相変わらず自由というか、制限がなさすぎてだらしのない毎日を過ごしている。

適当な時間に起きて、適当なものを食べて、洗濯をして、ゴミを出す。
限りある資源をただ食い潰す、その繰り返し。

p161

SNSで、普通の人間ぽくない変なハンドルネームで(たとえば「暴れ大納言」みたいな)、生活感のない変なことをいつもつぶやいている人たちが、ときどき何かの拍子に普段は普通の社会人として働いているのを匂わせるようなことをつぶやいたとき、少し裏切られたような気持ちになる。

自分は「pha」という人間かどうかもよくわからない名前で、何をやっているのかよくわからない生活を続けているのだから、みんなももっとわけのわからない生活をしていて欲しかった。
自分以外のみんなはちゃんと人生というものを理解してしっかりと生きているのに、自分だけがいつまでも地に足の着かない生活をしている気がしてしまう。

でも、そういう生き方しかできないのだ。
先のビジョンは全くないけど目の前のことをひとつずつかろうじてこなしていく、ただひたすらそれを繰り返していって、破綻が来る前に逃げ切りたい。
もし破綻してしまったら、そのことを文章にしていろんな人に笑ってもらおうという心の準備だけはいつもしている。

p165

シェアハウスに住んでいた頃は、猫は、住人や家具やゲーム機などと同じ、シェアハウスという場を成立させるための、舞台装置のひとつという感じだった。

人間ばかりが顔を突き合わせているよりも、猫のような人間以外の存在がうろうろしていたほうが、人と人とのあいだの緩衝材になっていい。
猫がいると自然に話題ができる。
「猫を撫でたい」という理由で家に遊びに来る人も増える。
SNSで映える写真も撮りやすくて便利だ。

家に猫がいることでそんなふうに、空間運営がスムーズになると考えていた。

猫たちのことはもちろん好きだったけど、当時は自分にとってそこまで特別な存在というわけではなかった。

p167

猫のいいところは人間扱いをしないでいいところだ。
実際に、人間ではないからだ。
一方的にかわいがりまくって、奇声を発しながら毛の中に顔を埋めたりおなかを撫で回したり、勝手に写真を撮ってSNSに上げまくったりしても何の問題もない。

そういった行為は、自分の家族や恋人や友人などにすると、あまりよくない。
相手は自分とは別の人間だから、こちらの感情を一方的に押し付けてはいけない。
個人情報を勝手にネットにアップロードするのもよくない。

しかし犬や猫などのペットには一方的に愛情を注ぎ込んでもいい。
彼らはあまり複雑なことを考えていないし、SNSも見ない。
犬や猫は人間の過剰な愛情を受け止めても大丈夫なようにできている。

ペットと同じように一方的な愛情を受け止めてくれるものとして、アイドルがある。

アイドルのことは、どんなに好きだと公言してもいい。
写真を部屋中に飾りまくってもいいし、相手について「神」とか「最高」とか、SNSで勝手なことを言いまくってもいい。
妄想の中で勝手な役を演じさせてもいい。

アイドルという職業に対しては、一方的に愛情を注ぎ込んで、相手の存在を一方的に消費することが許されている。

そんな職業が存在する理由は、人間には、相手を人間扱いせずに一方的に愛情を注ぎたいという欲望があるからだろう。

その欲望を、家族や恋人などにぶつけてしまうと、迷惑がられるだろうし、行き過ぎるとDVや毒親と呼ばれる現象に近づいていく。

だから、一方的な愛情を注ぎ込んでもいい存在としてペットやアイドルがいる。

中年になってペットやアイドルにハマる人が多いのは、若い頃のように恋愛沙汰に身を投げこんで、全身が揉みくちゃにされるような元気はないけれど、自分の愛情を注ぎ込む対象はほしい、ということなのだろうか。

今の自分は、猫二匹と暮らす今の生活がずっと続いてほしい、と思っている。

これは今までになかったことだ。
僕はすごく飽きっぽくて、現状が常に変わり続けてほしいと考えていたからだ。

そんな自分が、今の生活が変化してほしくない、と思っていることに気づいたときは驚いた。
こんな気持ちになったのは生まれて初めてかもしれない。

今までの僕は常に変化を求めすぎていて、だから学校にも会社にも適応できなかった。
年をとってエネルギーが減ることで、世間の多くの人の生き方に少し近づいたのだろうか。

そして、今が続いてほしいと思うようになったのと同時に、今が失われてしまうことに恐怖を感じるようになってしまった。

一年後は今と変わらない暮らしを続けられるかもしれない。
だけど五年後は怪しい。
十年後は無理だろう。

僕自身の加齢もあるけれど、一番ネックになるのは猫の寿命だ。
うちの猫たちはもう十五歳で、老年と言っていい歳だ。
猫は長生きしたとしても二十歳ちょっとだろう。

十年後はきっと、この猫たちはもういなくて、僕は五十代半ばになっている。
五十代、重いな……。
そんな状況で一体どうやって生きていけばいいのだろうか。
全く想像ができない。
この猫たちがいなくなったら、また新しく猫を飼いなおすのだろうか。
そんな気力はない気がする。

すべてのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。

何も大切なものはなくて、とにかく変化だけが欲しかった。
この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。
喪失感さえ娯楽のひとつとしか思っていなかった。

今の生活に執着ができて初めて、世の中の多くの人々は、こんな恐怖を抱えながら生きていたのか、と思った。
みんな将来に不安があるから、その不安を乗り越えるために、家族を作ったり貯金をしたり保険に入ったりという、一見つまらないことをしていたのか。
そうか、こんな感じだったのか。

自分が家族に思い入れが全くないせいで、家族を失った人の悲しみも今まではよくわかってなかった。

例えば離婚をして落ち込んでいる人を見ても、さすがに口には出さなかったけれど、「これからは一人で自由に好きなことを何でもできるし、むしろよかったんじゃないか」というくらいに思っていた。

でも、これは僕で言うと、猫を失ったのと同じかそれ以上の悲しみなんだな。
それならわかる。
理解できる。

猫に対する自分の感情から類推することで、家族を大切にしている人に共感できるようになった。
ようやく僕は世の中の仕組みが少しわかってきたのかもしれない。

猫たちは人間が椅子に座っていると不満そうにする。
床に座っているのに比べて甘えにくいからだ。

机に向かって文章を書いていると、タマがやってきて、じとっとした目でこちらを見ながら、小さな声でニャーと鳴く。
どうしたの。
甘えたいのか。
今ちょっと作業中だから無理だよ。
相手にしないままでいると、やがて諦めて去っていく。

スンスンはもっと積極的で、椅子に座っている僕の膝に飛び乗ってくる。
そのまま机の上を歩き回ったりするので、キーボードがうまく打てない。
もう、邪魔だな。
毎日甘えてるのに本当に飽きないな。
しかたないのでスンスンを太ももの上で落ち着かせて、そのまま文章を書き続ける。
太ももに猫の体温が伝わってくる。
ゴロゴロと喉を鳴らす音を聞きながら、無言でキーボードを打つ。

今の自分は、かつて忌み嫌っていた、区別のつかないような毎日を過ごしている。

猫たちも年をとってだんだんと衰えてきた。
毛並みのツヤもなくなってきたし、昔ならジャンプして飛び乗れた椅子にも飛び乗れなくなっている。

おそらく、僕よりも猫のほうが先に死ぬのだろう。
その覚悟はちゃんとできているのだろうか。

続くあいだは最大限、今の生活を保っていたい。
朝起きて、餌をやって、トイレを掃除する。
膝の上に乗せて撫でる。
抱き上げると嫌がる。
布団に入ると寄ってくる。
そんなルーティーンを繰り返しを。
明日も、明後日も。

p176

若さというのは本当に魔法のようなもので、本当は大したことがないものを、いくらでもキラキラとしたものに見せかけてくれる。

その魔法が解けてしまうと、いつまで経っても変わらないどうしようもない自分の性格や、面倒くさいだけの人間関係や、とりたてて特別なことなんて起こらない日常などの、しょぼい現実が露わになってくる。

中年の入り口では、そんな現実に直面させられてしまって落ち込んだりもした。
だけど、魔法や幻想が解けてからのこれからこそが、等身大の自分でなんとか工夫をしながらやっていかなければいけないという、人生の本番なのかもしれない。
そんなふうに思えるようになってきた。

p178

そういえば、猫二匹のことを本文で書いたけれど、半年前と先月に、一匹ずつ死んでいなくなってしまった。
どちらも十六歳だった。
寂しい。
家に自分以外の生き物が誰もいないことに、まだ慣れていない。
そのうち慣れるのだろうか。

というか、あんなにかわいい二匹が十五年間も自分と一緒にいてくれた、そのことが嘘のような気がしてきている。
どう考えても不自然だろう。
こうやってずっとひとりで過ごしているほうが自分みたいな人間には似合っている。
これが自分の本質なのだ。

多分それは間違ってはいないのだけど、「人生に意味はない」とか「みんなそのうち死ぬ」とか、あまり本質がむき出しになってしまうと、人間は生きていけなくなるという、そんな気もしている。
みんな適度に何かで何かをごまかしているから、なんとか毎日を過ごしていけている。
難しい。
ごまかさずに向き合うべきものと、ある程度ごまかしていくべきもの。
その二つがこの世界では入り交じっていてややこしいのだ。