「10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」」を 2,023 年 10 月 13 日に読んだ。
目次
メモ
【パターナリズム (paternalism)】 p17
「あなたにとってよい選択は私が知っているのだから、あなたはそれにしたがえばよい」という考え方を、パターナリズムと呼びます。
「パターナル(父の)」は英単語のfatherと同じ語源です。
一家の稼ぎ手である父親が、経済力を持たず自力では生活できない妻や子どもの生き方をコントロールすることを批判するために使われはじめた言葉です。
単にしたがえ、ではなく、「それがあなたにとってよいことだから」という理由が持ち出されるのが、この考え方の巧妙でずるいところです。
【トーン・ポリシング(tone policing)】 p23
主に差別(第8章参照)に反対する意見に対して、「言い方が悪い」という批判によってその力を弱めようとすることをトーン・ポリシング(言い方の取り締まり)と言います。
それ自体は差別ではないように見えるのですが、差別を維持したり、より強めたりする効果があります。
【申請主義】 p55
日本では、介護や保育、生活保護などは申請によってその保障やサービスを受けられる方式、つまり「言ってくれれば助けますよ」方式をとっています。
これが申請主義です。
でも、困っている人は申請すら難しかったりハードルが高かったりすることもあります。
また、どんな保障やサービスを受けられるかを知らないと、そもそも申請するという選択肢すら思いつきません。
そのため、行政の側から困っている人に手助けを提案する方針への転換も少しずつ検討されています。
【I have black friends 論法】 p81
黒人を差別している白人が、自分の立場を正当化するために、「黒人の友達がいる私が黒人を差別しているはずがない」と主張するその方法を指します。
もちろん、実際にはその黒人の友達が我慢しているだけかもしれませんし、
あるいはその黒人の友達にはたしかに誠実に接していても、ほかの黒人のことは差別しているかもしれません。
いずれにしても、黒人の友達がいることを口実に、自分は差別的でないと主張するそのやり方こそ、
黒人をいいように利用している点で黒人差別だと批判されることになりました。
現在では黒人に限らず、セクシュアルマイノリティや障害者などに対する差別でも同じような論法が使われていることがわかっていて、そのいずれもが批判の対象になっています。
【理性】 p93
「きちんとものを考えられる」人間の能力を、理性と言いかえてもよいかもしれません。
哲学者たちはそれぞれの方法でこの言葉を定義したり、その中身を議論したりしているので、
本当は簡単にまとめることはできないのですが、哲学者でない私は「まともに考える能力」くらいの意味で使っています。
理性は、近代的(「近代」がいつのことを指すのかも学者によって見解が異なります……なやましい)な人間のもっとも重要な性質とされてきましたが、
最近では、私たちは自分で思っているほど「きちんとものを考えられている」か、つまり理性には限界があるのではないか、とか、
理性と感情を対立するものとして考えるのは正しいのか、など、この言葉をめぐってさまざまな議論がおこなわれています。
私の個人的な感じ方にすぎませんが、私たちが人間としてちゃんとやっていくために必要な、
万能でもなくそこそこもろいけど、いのちづなないと本当に困る命綱、それが理性なのだと思います。
【偏見理論】 p147
「偏見=正しい知識にもとづかない否定的(または肯定的)な評価」によって差別が引き起こされる、という考え方が偏見理論です。
もちろん、多くの差別は偏見から起こりますが、実際にはそれ以外の原因でも起こります。
たとえば、事実無根だと知りなら周囲に同調して差別に加担した場合、その人の心の中には正しい知識があり、偏見はありません。
偏見を取りのぞいていくことは差別をなくすために必要ですが、偏見をなくしさえすれば差別はなくなる、とは考えないことが重要です。
【適応的選好形成】 p159
イソップ童話の「すっぱいぶどう」は、高い木の枝になっているるぶどうを取れなかった狐が、
「あのぶどうはきっとすっぱいにちがいない」と考えるようになる、というお話です。
このように、自分が持っていないもの、手に入れることができないものは、
そもそも価値を持たないものだったと(自分でも知らないうちに)考えてしまうことを適応的選好形成と言います。
ある対象にくわしいファンやマニアを見くだす心理の背景には、自分がどうがんばっても手に入れられなさそうな知識や経験を、
「そもそも欲しくなかったもの」にしてしまう、という適応的選好形成のメカニズムがかくれている場合もあるでしょう。
【やさしい日本語】 p179
「やさしい日本語」は、日本語を第一言語としない人(主に外国人)向けにつくられた、もうひとつの日本語です。
単に難しい言葉さいあわじ簡単な言葉に言いかえるだけでなく、あいまいな表現を避ける複雑な文構造を避ける、
重要な情報だけを伝えるなど、いくつかの原則にもとづいて使う言語です。
もとは1995年に阪神・淡路大震災が起きたとき、外国人の被災者が必要な情報を十分に得られなかったという反省からつくられたものですが、
現在では日々の生活情報を伝える言語としても用いられています。
【差別論】 p187
文字通り、差別について論じているのが差別論です。
ここでは、本文中でふれられなかったいくつかの論点を補足します。
まず、差別はマイノリティ(少数派)に対してだけおこなわれると言えるでしょうか。
そういう場合も多いですが、それだと、たとえば人口の約半分をしめ、男性とほぼ同じ人数がいる女性に対する差別はありえない、ということになります。
そこで、「構造的弱者」(社会のあり方=構造のせいで、弱い立場に置かれてしまう人々)という表現で差別の対象となる人々を指す場合もあります。
次に、差別をするのは、構造的な強者だけと言ってよいでしょうか。
実際には、社会にあふれるイメージやものの見方を受けいれてしまい、構造的弱者が同じ弱者の側の人を差別してしまう、ということもあります。
このように、差別という現象に関して丁寧に考えていくと、いくつもの論点がうかび上がります。
これらを研究するのが、差別論という分野なのです。
【統計的差別】 p199
個人の能力や適性ではなく、その個人が属する集団の(統計的に導き出された)傾向にもとづいてその人を「負の取り扱い」の対象とすることを、統計的差別と呼びます。
たとえば、女性は結婚や出産を機に仕事を辞める確率が高いので、そもそも採用しないようにしよう、という方針は、
企業の経営においては「合理的」な判断とも言えますが、それぞれの女性の能力や適性を無視した不公平な採用方針であるために、統計的差別である、と言えます。
参考文獻 p202
佐藤裕『新版 差別論 ―― 偏見理論批判』 明石書店
ロバート . K・ マートン『社会理論と社会構造』 みすず書房
江原由美子『女性解放という思想』
G.W. オルポート『偏見の心理』培風館
ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄 ―― 合理性の転覆について」
文部科学省「食に関する指導の手引(第二次改訂版)」
https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/__icsFiles/afieldfile/2019/04/19/1293002_13_1.pdf
パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』 新潮社
弘前大学人文学部社会言語学研究室減災のための「やさしい日本語」研究会
『「やさしい日本語」パンフレット』
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/ejpamphlet2.pdf
※現在閉鎖。東京メトロのHPなどで閲覧可能
国立教育政策研究所編『教員環境の国際比較
OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2018報告書――
『学び続ける教員と校長―』ぎょうせい
J. I. キツセ / M. B. スペクター
『社会問題の構築――ラベリング理論をこえて』マルジュ社
小塩真司『性格を科学する心理学のはなし――血液型性格判断に別れを告げよう』
新曜社