「諦める力」を2025年08月08日に読んだ。
目次
- メモ
- はじめに p2
- 努力しても無理かもしれない p18
- 手段を諦めることと目的を諦めることの違い p23
- p28
- p32
- 負け戦はしない、でも戦いはやめない p36
- p46
- 「せっかくここまでやったんだから」という呪縛 p55
- 何を「普通」ととらえるかで人生が変わる p89
- 自分はどの程度自由か p100
- 論理ではなく勘にゆだねる p102
- コーチを雇う欧米人、コーチに師事する日本人 p116
- 積む努力、選ぶ努力 p140
- 「陸上なんていつやめたっていい」と言い続けた母 p146
- 不条理というものについて p162
- 生まれによる階級、才能による階級 p164
- あなたにとっての苦役は、あの人にとっての娯楽 p168
- 「リア充」なんて全体の一〇パーセントもいない p175
- 「誰とでも」は「誰でもいい」と同じ p179
- アドバイスはどこまでいってもアドバイス p187
- p201
- 「バカヤロー、おまえがなれるわけないだろ」 p207
- 「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間 p211
- モビリティを確保する p222
- どうにかなることをどうにかする p225
- p232
メモ
はじめに p2
「諦める」という言葉について、みなさんはどのような印象を持っているだろうか。
「スポーツ選手になるのを諦めた」
「一流大学に行くのを諦めた」
「夢を諦めた」
いずれも後ろ向きでネガティブなイメージである。
辞書を引くと、「諦める」とは「見込みがない、仕方がないと思って断念する」という意味だと書いてある。
しかし、「諦める」には別の意味があることを、あるお寺の住職との対談で知った。
「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だという。
仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。
そこで、漢和辞典で「諦」の字を調べてみると、「思い切る」「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されていた。
それがいつからネガティブな解釈に変化したのか、僕にはわからない。
しかし、「諦める」という言葉には、決して後ろ向きな意味しかないわけではないことは知っておいていいと思う。
さらに漢和辞典をひもとくと「諦」には「さとり」の意味もあるという。
こうした本来の意味を知ったうえで「諦める」という言葉をあらためて見つめ直すと、こんなイメージが浮かび上がってくるのではないだろうか。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
諦めるということはそこで「終わる」とか「逃げる」ということではない。
そのことを心に留めながら、本書を読んでいただければと思う。
努力しても無理かもしれない p18
四〇〇メートルを走ると明らかに自分に向いているという感触があったが、それでも僕の心のなかには、まだ一〇〇メートルに対する未練が残っていた。
なかば自分を納得させるために、さまざまな分析をして、いかに自分の選択が正しかったかを数値で確かめよう。
まずは、自分自身の分析である。
僕は早熟で、小学生のころからぐんぐん身長が伸びた。
しかし、その伸びは中学三年生でビタリと止まっていた。
中学三年生のときの身長と、三四歳で引退するときの身長は、まったく変わっていない。
ついでに言うと、体重もほとんど同じである。
肉体的な成長と歩調を合わせるように、一〇〇メートルのタイムも急激に伸びた。
ところが、高校三年のインターハイ前までに記録した自己ベスト一〇秒六は、中学三年生での自己ベストとほとんど変わらなかった。
次に、ライバル選手の分析を試みた。
中学三年生の時点で一一秒二だった選手が、高校三年生になると、僕の記録をおびやかすくらいまで駆け上ってきていた。
その時点では、僕のベストタイムを超えていなかったが、僕とライバル選手のタイムの変化をグラフ化すると、そう遠くない時期に僕を超えていくのは明らかだった。
しかも、中学三年生のときに僕より身長の低かったその選手が、高校三年生では僕よりもはるかに高くなっている。
そうした分析結果を見ても、結果は明らかだった。
「これはどう考えても抜かれるよな……」
「確かに、一〇〇メートルでの俺には先がないよな……」
陸上や水泳などのスポーツの場合、結果が数字として明確に突きつけられる。
自分の実力を把握するのは容易なことだ。
さらに世界ジュニアという大会で世界のトップクラスのアスリートを目の当たりにした。
日本一の高校生たちがまったく相手にされずに予選落ちしていくのを見て衝撃を受けた。
ジュニアといえど、世界レベルになると九秒台に近いタイムで選手たちは走る。
この衝撃は大きかった。
僕は、このとき初めて「努力しても一〇〇メートルでトップに立つのは無理かもしれない」という感覚を味わった。
高校三年生までは「がんばれば夢はかなう」という意識で生きてきた。
陸上で最も強いやつらのなかで、絶対に俺が一番になってやるという野望を持っていた。
ところが、僕はかつてのライバルや後輩たちに試合で負け、一〇〇メートルで勝てるという自信を持てなくなっていった。
そのころから、顧問の先生に勧められていた四〇〇メートルハードルという種目を意識的に見るようになった。
すると違う意味で驚かされた。
世界のトップが集う国際大会のレースだというのに、走ってきた選手がハードルの手前に来るとチョコチョコと歩幅を合わせるような動きをしている。
そういう無駄な動きをしている選手が金メダルを取っているのだ。
そのときに抱いた率直な感想はこうだ。
「一〇〇メートルでメダルを取るよりも、四〇〇メートルハードルのほうがずっと楽に取れるのではないか」
にもかかわらず、一〇〇メートルでも四〇〇メートルハードルでも、つまり楽をしようが苦労しようが、金メダルは金メダルである。
僕は次第にこう考えるようになった。
「これだったら、四〇〇メートルハードルでメダルを狙うほうが、一〇〇メートルで狙うよりよほど現実味がある」
一九九二年に開催されたバルセロナオリンピックで、四〇〇メートルの高野さんが決勝に進出した。
世間では「ファイナリスト」という言葉が盛んに使われるようになっていた。
そのころから、日本人が短距離でメダリストになることが、まったくの夢物語というわけではなくなっていた。
もちろん、世間の人から見た一〇〇メートルと四〇〇メートルハードルのインパクトはまったく異なる。
それでもメダルはメダル。
同じメダルであるにもかかわらず、取りやすさがまったく違った。
僕は体格的にもこの競技にマッチするだろうという予測もできた。
四〇〇メートルハードルなら、僕にもメダルが取れるかもしれない。
そう考えて、僕はこの競技に転向した。
ただし、感情的にはそう簡単に割り切れたわけではない。
一〇〇メートルという陸上の花形種目からマイナー種目である四〇〇メートルハードルに移った時点で、僕は一時期、強い葛藤に見舞われた。
「割り切った」
「諦めた」
「逃げた」
こうしたネガティブな感覚を持ち続けた。
それを人に言いたくなくて、心のなかに隠しておくことが大きなストレスになった。
手段を諦めることと目的を諦めることの違い p23
僕は二〇一二年のロンドンオリンピック予選に敗れて引退したが、そのときは不思議なほど迷いや葛藤はなく、スッと舞台から降りる感覚だった。
今の僕にとって、何かを「やめる」ことは「選ぶ」こと、「決める」ことに近い。
もっと若いころは「やめる」ことは「諦める」こと、「逃げる」ことだった。
そのように定義するとどうしても自分を責めてしまう。
僕は一八歳で花形種目の一〇〇メートルから四〇〇メートルハードルに転向したが、普通、一八歳といえば、夢に向かってがむしゃらにがんばっている時期だろう。
「諦めるのは早い」
一般的にも、まだまだそう言われる年齢だ。
僕は諦めたことに対する罪悪感や後ろめたさを抱きながら競技を続けていた。
しかし、時間が経つにつれて、四〇〇メートルハードルを選んだことがだんだんと腑に落ちるようになった。
「一〇〇メートルを諦めたのではなく、一〇〇メートルは僕に合わなかったんだ」
いつのまにか、無理なくそんなふうに考えられるようになっていた。
すると、自分の決断について、よりポジティブな意味を見出すことができるようになった。
「一〇〇メートルを諦めたのは、勝ちたかったからだ」
「勝つことに執着していたから、勝てないと思った一〇〇メートルを諦めた」
「勝つことを諦めたくないから、勝てる見込みのない一〇〇メートルを諦めて、四〇〇メートルハードルという勝てるフィールドに変えた」
つまりは、自分の腹の奥底にある本心を言語化することができたのである。
「勝つことを諦めたくない」
そう、僕は「AがやりたいからBを諦めるという選択」をしたに過ぎない。
誤解のないように言っておくが、僕は四〇〇メートルハードルをやりたかったから一〇〇メートルを諦めたわけではない。
初めて世界の舞台を見て、ここで勝ってみたいと思ったのだ。
しかし一〇〇メートルにこだわっているかぎり、それは絶対に無理だと思われた。
多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。
だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。
僕は四〇〇メートルハードルに移ってからほぼ三年間、いろいろなことを試行し、また、思考し続けた。
最初は自分を納得させたい一心だったが、自分の置かれた状況と自分の持っている身体や能力を客観的に分析していった結果、「四〇〇メートルハードルに移ってよかった」という結論にたどり着いた。
陸上界で最も「勝ちにくい」一〇〇メートルを諦めて、僕にとって「勝ちやすい」四〇〇メートルハードルにフィールドを変えたのは、僕が最も執着する勝利という目的を達成するために「必要だった」と納得できたからだ。
四〇〇メートルハードルは、一〇〇メートルに比べて競技人口が圧倒的に少なく、当時はまだそれほど多くの国が参入していなかったこともあって、戦略的にも洗練されていなかった。
だから「華やかさに欠け、注目されない」種目だったとも言える。
しかし、見方を変えれば「だからこそ勝ちやすい」のである。
一〇〇メートルで決勝にも出られない人間と、四〇〇メートルハードルでメダルを取れる人間。
どちらに価値があると自分は思うのだろうか。
問いを変えることで、答えも変わってくるのである。
p28
現役生活を引退してどのような業種に進もうかと考えたときも、僕は「自分が勝てる場所」をかなり意識した。
アスリートが引退したあとの進路としては、スポーツキャスターが最も脚光を浴びるフィールドだろう。
しかし、この分野は競争が激しく、なまじの実績だけでは通用しないフィールドである。
仮に勝ったところで社会にインパクトを与えるという僕自身の人生の目的に近づけるかわからない。
僕は、「スポーツ社会学」という分野に可能性を感じている。
スポーツ社会学という分野は、スポーツキャスターに比べれば、僕にとって勝ちやすい分野だろう。
にもかかわらず、社会に与えるインパクトは大きい。
スポーツ社会学は間口の広い分野だが、僕のような現役を経験した者は、座学の人にはない持ち味が出せると思う。
僕の今の目標は「勝つこと」以前に「生き延びる」ことである。
二〇一二年六月に引退して、とにかく乱れ打ちのようにいろんなことをやった。
引退特需と、それから元アスリートという肩書が使えることもあって、仕事はそれなりに回っていたけど、僕の予想だと大体一年半くらいで賞味期限がくる。
北京五輪のメダリストが何をやっているのか知っている人が少ないように、ロンドン五輪で引退したアスリートもすぐそうなる。
新しいアスリートもドラマもどんどん生まれていくから、今脚光を浴びているアスリートたちはどんどん昔の人になっていく。
「知名度があれば大丈夫」という周囲の言葉を鵜呑みにしているとあっという間に忘れ去られてしまうのだ。
メディアの仕事は数年前と比べても収入的にも厳しい時代に入っていて、これはもっと加速するだろう。
僕は、メディアに出ることを本業として生き延びる自信がない。
仮に日本である程度の知名度を保てたとしても、日本という市場自体が縮小していくことは確実である。
となると、日本における知名度の相対的価値は減るだろう。
そうすると日本での知名度をどうやって何に転換しておくか、日本の外でどう稼ぐか、会社や国が滅んでも、生き延びられる力と仕組みをどうつくるか、そんなことまで考えておく必要がありそうだ。
そんなに悲観的にならなくてもよいという意見もあるだろうが、都合の悪い未来を前にして受け入れられる人と、そうでない人の行動は往々にして逆になったりする。
楽観的にかまえすぎると危機に気づかないこともあり、悲観的になっていろいろ準備しておくことが安心を生んだりもする。
環境がどうあれ、とにかく生き延びる。
それを目標に自分の力をつけて、仕組みをつくっていきたい。
p32
世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある。
その一方で、どんなに努力しても及ばない、手の届かない範囲がある。
努力することで進める方向というのは、自分の能力に見合った方向なのだ。
自分とは違う別人をモデルにして「あの人のようになりたい」と夢想する人は多いのときに気をつけなければならないのは、その人と自分の出発点がそもそもまったく違うということだ。
それでも「似たタイプ」であれば、近づくことも、追い抜くことも可能だと思う。
しかし、純粋な憧れだけである人を目標に努力した場合、それが自分自身の成長を阻害する要因になることもありうる。
たとえば、四〇〇メートルを走る選手の走法は、一〇〇メートルの選手と比較するとおおらかな動きをする。
身体的には四〇〇メートルに適した選手が、一〇〇メートルの選手をイメージして努力を続けていくと、きびきび動こうとして自分の持つおおらかさを削っていくことになる。
これは、陸上界では陥りがちな例だ。
憧れの存在を持つなとは言わない。
ただ、自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを、しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる。
自分とはまったく接点のない人に憧れて、自分の短所を埋めているつもりが長所ごと削り取っている人はかなりの数に上ると思う。
僕はこれを「憧れの罠」と呼んでいる。
ビジネスの世界でいえば、スティーブ・ジョブズに憧れるようなものだ。
自身の創り上げたアップルという会社の絶頂の極みにおいて、五六歳という若さで亡くなったこともあって、スティーブ・ジョブズはビジネス界の不動のスーパースターとなった。
しかし、ジョブズは非常に個性の強い人だったので、彼のスタイルだけを真似ると、ただの「イヤなやつ」になってしまわないともかぎらない。
自分の能力や性格を脇に置いてジョブズを記号的に礼賛することに危うさも感じる。
多くの場合、天才の真似をしてもだいたい失敗する。
自分の体と性格に生まれついてしまった以上、なれるものとなれないものがあるのは間違いないことだ。
僕の場合、一七〇センチという身長ではおそらく水泳は無理だ。
たぶん野球も難しいだろう。
四〇〇メートルハードルは自分に合っていたが、最初はいけると思った一〇〇メートルでも、結局のところ向いていなかった。
今考えると、いっそ陸上をきっぱりとやめて、体操に移っていたらどうなっただろう、とも思う。
身体能力や競技の特性を考えると、体操は案外僕に向いていると思うのだ。
そうはいっても、体操選手で一〇歳以降から競技を始めて五輪に行った選手はほとんどいない。
ああいった空中感覚はある年齢までにつかまないと、その後に身につけることは難しい。
人生は可能性を減らしていく過程でもある。
年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞り込まれていく。
可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。
できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。
人間は物心ついたときにはすでに剪定がある程度終わっていて、自分の意思で自分が何に特化するかを選ぶことができない。
いざ人生を選ぼうというときには、ある程度枠組みが決まっている。
本当は生まれたときから無限の可能性なんてないわけだが、年を重ねると可能性が狭まっていくことをいやでも実感する。
最初は四方に散らかっている可能性が絞られていくことで、人は何をすべきか知ることができるのだ。
負け戦はしない、でも戦いはやめない p36
「勝ちたい」という目的がある人は、「自分の憧れが成功を阻害する」可能性をドライに認識すべきであろう。
だが、そうした分析の話をし始めると、急に「あの選手は自分の弱点を乗り越えて成功した」という成功例が引き合いに出される。
たとえば、バレーボールで「世界一背の低いセッターなのに、身長のハンディを乗り越えて栄冠を勝ち取りました」というような事例が出てくる。
それを真に受けた人が「自分もがんばればできるんだ」という気になってしまう。
しかしながら、適性から判断すれば短距離でオリンピックに出場していたはずのアスリートが、バレーボールのセッターに固執してしまったために才能を開花させることができなかった、といったことが、実際には数かぎりなく起きていると思う。
これはスポーツにかぎったことではない。
本当は弁護士や会計士や医者として成功するはずの人が、なまじバレーボールもうまかったために、オリンピックを目指して他の才能を開花させる機会を逸してしまうケースだってあるはずだ。
人間には変えられないことのほうが多い。
だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。
僕は、これが戦略だと思っている。
戦略とは、トレードオフである。
つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。
だめなものはだめ、無理なものは無理。
そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。
極端なことをいえば、勝ちたいから努力をするよりも、さしたる努力をすることなく勝ってしまうフィールドを探すほうが、間違いなく勝率は上がる。
「だって、僕がこの分野に行けば有利なんだよね」
そこから考えることが戦略だ。
孫子は「戦わずして勝つ」ことを善としている。
勝っためには、最初から負けるフィールドを選ばないことが重要なのだ。
最高の戦略は努力が娯楽化することである。
そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。
苦しくなければ成長できないなんてことはない。
人生は楽しんでいい、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ。
こういうことを言うと、「じゃあ、別のフィールドに移ろう」と安易に流れる人も出てくる。
さしたる努力もせずに移動を繰り返すのは、諦めていいということを何もしなくていいことだと解釈しているからだ。
「諦めてもいい」が、「そのままでいい」にすり替わっている。
僕が言いたいのは、あくまでも「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」ということである。
言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。
踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない。
負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめないということだ。
「どうせ私はだめだから」と、勝負をする前から努力することまで放棄するのは、単なる「逃げ」である。
p46
アスリートは、二十代中盤ぐらいである程度勝負が決まってしまう。
体操やフィギュアスケートのようにもっと早くに勝負がついてしまう種目もある。
その年齢から急激に成績が伸びて勝てるようになったり、ましてや世界記録を狙うレベルに飛躍的に成長したりする可能性はほとんどない。
そのあたりからの競技人生は、やってもできない自分、努力しても夢がかなわない自分との戦いになる。
どのようにして自分を納得させるか。
それでも競技を続けるためのモチベーションをいかに保っていくか。
もしくはいつ撤退するか。
こうしたことに神経を集中させていかなければならない。
ビジネスの世界では、三十代半ばから四十代前半あたりがそうした年齢に当たるだろうか。
いずれにしても「先が見えてくる」ころからは、「やればできる」「諦めなければ夢はかなう」というロジックだけでは人生はつらいものになっていくだろう。
「せっかくここまでやったんだから」という呪縛 p55
経済学に「サンクコスト」という考え方がある。
埋没費用といって、過去に出した資金のうち、何をしても回収できない資金のことをいう。
ある映画を観ようと一八〇〇円を支払って映画館に入ったが、二時間の作品の三〇分を観たところで、耐えられないほどつまらないと感じたとする。
しかし、入館して途中まで観てしまった以上、支払った一八〇〇円を取り戻すことはできない。
これがサンクコストだ。
あなただったら残りの一時間半をどのように行動するだろうか。
人はつい「せっかく一八〇〇円払ったんだから」という理由だけで、最後まで映画を観るという選択をしがちだ。
しかし、つまらない映画を観続けることで、一八〇〇円のサンクコストだけでなく、そこで映画館を出ていれば有効に使えたかもしれない一時間半という時間まで無駄にすることになる。
経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しないのが鉄則とされている。
日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向が強い。
過去の蓄積を大事にするというと聞こえはいいが、実態は過去を引きずっているにすぎないと思う。
経済活動も含めて、日本人はサンクコストを切り捨てることが苦手だし、サンクコストを振り切って前に進むのがいけないことのように考えがちだ。
何かをやめるかやめないかを決めるときのロジックとして、二つのパターンがある。
「もう少しで成功するから、諦めずにがんばろう」
「せっかくここまでやったんだから、諦めずにがんばろう」
前者は、この先成功しそうだという「未来」を見ている。
後者は、今までこれだけやってきたという「過去」を見ている。
同じ「やめる」という判断でも、どちらのロジックが背後にあるのかで、まるで異なる結果をもたらすだろう。
未来にひもづけられているのは「希望」である。
ところが、この「希望」と「願望」混同している人があまりにも多い。
「成功する確率が低いのは薄々気づいているけれども、もしかしたら成功するかもしれないから諦めずにがんばろう。今までこれだけがんばってきたんだし」
願望を希望と錯覚してズルズル続けている人は、やめ時を見失いがちだ。
なぜなら、願望は確率をねじ曲げるからである。
人は、成功の確率が一パーセントしかないのに、願望に基づいたいろいろな理屈をつけることで、一〇パーセントに水増しするということをやってしまいがちだ。
そこには「自分だけは違う」という考えが忍び込んでいる。
母親が「うちの子にかぎって」と言いきる感覚とよく似ている。
時おり、高校生のトップアスリート一〇〇人ぐらいを集めて合宿をする機会がある。
参加するのはその世代のトップ選手である。
だが、オリンピックに出場できるのは、そのうち一人ぐらいしかいない。
にもかかわらず、その段階では参加者のすべてが自分はその一人だと信じて疑っていない。
十代の若さでそう考えるのは自然であり、健全である。
ただ、しばらく競技生活を継続するうち、どこかの段階で「選ばれた一人」にはなれないと悟る時期がくる。
そのときには「選ばれた一人」になることが自分にとって希望の範囲内なのか、単なる願望で終わりそうなのか、冷静に判断すべきだ。
その時期が過ぎてしまうと、「諦めなければ可能性はゼロではない」といった理屈をこねながら一〇〇人に一人の座を狙い続ける無謀な人生になってしまう。
踏ん切りをつけるタイミングについては、この瞬間という明確なものはない。
あえて言うのであれば、やはり「体感値」でしかないのではないか。
何かを始めたばかりのころは、成功の確率は一〇〇パーセントある。
少なくとも、そのように感じる。
だが、やがてそれは九九パーセント、九八パーセントと徐々に下がってくるものだ。
そのとき、何パーセントになったら踏ん切りをつけるべきかというのを、感覚的に決めておくといいかもしれない。
そのためには、日ごろから希望と願望との違いを客観的に見る癖をつけておかなければならない。
僕は小学校などでかけっこの授業をするときに、子どもたちにハードルを跳んでもらうようにしている。
目的は二つあって、一つはハードルという目標物があると走りにリズムが生まれてかけっこにいいということ、もう一つは自分の飛べる高さはどのくらいかということを体感で知ってもらうことだ。
ハードルを全力で飛ぶと、自分で思っているよりももっと高く飛べるんだということもわかるし、今の自分では飛べない高さがあることもわかる。
人間は本気で挑んだときに、自分の範囲を知る。
手加減して飛べば本当はどのくらい飛べたのかがわからない。
だからいつも全力でやってほしいと子どもたちに言っている。
飛べるかどうかわからない高さだから引っ掛けて転ぶこともある。
そこで初めて自分の範囲を知る。
これは飛べる高さ。
これは飛べる幅。
そこがわかってくることが大切なのだ。
この目標は達成できる。
この仕事はこの期間でやりきれる。
人間はいつも自分の範囲と外的環境を見比べて、「できるかどうか」をほとんど無意識に決めている。
全力で試してみた経験が少ない人は、「自分ができる範囲」について体感値がない。
ありえない目標を掲げて自信を失ったり、低すぎる目標ばかりを立てて成長できなかったりしがちである。
転ぶことや失敗を怖れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、僕はそれこそが一番のリスクだと思っている。
何を「普通」ととらえるかで人生が変わる p89
新たな一歩を踏み出すためには環境を変えるのが手っ取り早い。
そう思うようになったのは、自分にとってまったく普通ではないことが、誰かにとってはまるで当たり前のことであると気づいたからだ。
「何となくアメリカに行く空気だったので」という理由でアメリカの高校に進んだ人の話を聞いて、僕の人生ではまったくなかった発想だなあと思った。
そもそも僕の親戚には海外に住んだことがある人が一人もいなかった。
スポーツの業績は一代で築かれるものがほとんどなので、遺伝子を受け継ぐ以外に家庭などの環境が影響する要素は比較的小さめだが、実際の社会では個人の実績のかなりの部分がその人の生まれ育った環境に影響されるのではないかと思う。
何を「普通」ととらえるかで人生は相当に変わる。
たとえば親戚にフランス人がいたり、学校に行かず独学で大学に入った人がいれば、日本で当たり前とされることを自然に疑うことができる。
僕は世界一を意識するのが遅すぎた。
日本一を目指すのと世界一を目指すのとでは、最初からやるべきことがまったく違っていて、しかも競技人生は十数年しかない。
技術論、戦略論といったものは、何を普通としている集団に属しているかで変わってくる。
守りに入っている集団の中で攻めるのは難しい。
僕は弱かったから、環境の力をてこにするために「なりたい自分」になれる場所をその都度選んできた。
人は場に染まる。
天才をのぞき、普通の人がトップレベルにいくにはトップレベルにたくさん触れることで、そこで常識とされることに自分が染まってしまうのが一番早い。
人はすごいことをやって引き上げられるというより、「こんなの普通でしょ」と思うレベルの底上げによって引き上げられると思う。
今までいた場所で、今までいっしょにいた人たちと会いながら、今までの自分ではない存在になろうとすることはとても難しい。
自分はどの程度自由か p100
最近、サブリミナルな広告の効果についての本を読んだ。
人は自分では意識しないほど瞬間的に目にしたものに対しても、再び見たときに好ましいと思う傾向があるという。
厄介なのは、過去に見たという意識がないのに好ましいという感覚が埋め込まれてしまうことだ(だからサブリミナルなのだが)。
自分ではコマーシャルなんて見た記憶がなくても、何度か視界に入っていれば自然とスーパーでその商品を手にしてしまう。
理由をたずねられれば「安いから」とか「必要だから」とかもっともなことを言うかもしれないが、実際には過去に見たことがあるから手が伸びるのだ。
僕たちはこれまで生きていくなかで、じつにさまざまなものを見聞きしているが、そのほんの一部しか記憶としては残らない。
でも、記憶にあると自覚していない経験もまた脳には残っていて、それによって今の選択が影響される。
だとしたらその選択は果たしてどの程度自分の意思なのか。
僕の考え方の癖、僕の視点、そういうものがいったいどの程度僕自身コントロールできているのか疑問に思うことがある。
もっと言えば、僕という存在は、僕に今までさまざまな影響を与えたものの集合体であるという感じが抜けない。
自分に影響を与えたものについて考える自分自身が、すでに何かに影響を受けてしまっている。
確かな自分はどこにもいない。
だからこそなるべく論理的であろうとするのだけれど、確固たる自分がいないのだから、結局仮決めの自分が仮決めの答えを出していっているにすぎない。
自分さえこんなに不確かなのだ。
そういう人間が寄り集まっている世間そのものが不確かだ。
だから不安だとか、虚しいという人もいるかもしれないが、僕は、だからこそ何をやってもリスクがないように思えて冒険しやすいと感じる。
論理ではなく勘にゆだねる p102
人間の脳には意識できる領域以外にも記憶があって、僕はそれが勘と呼ばれるものではないかと思っている。
自分でも気づかない、これまでの経験や情報の蓄積が無意識の領域で結びつき、「何となく」という感覚で私たちの意識の領域に現れる。
情報がある程度出そろっていて、変化が少ない環境では、勘に頼るよりも論理的に考えることのほうが有利かもしれないが、スポーツのような瞬間で判断せざるをえないものや、時代の変化が激しいときは、勘で判断していったほうが結果として有利なのではないだろうか。
僕の人生を振り返っても、実は勘からくるもので判断していることが案外多い。
昔は勘で決めたことをあとから論理的な理由づけをして、まるでそれを意識的に考えたものと思っていた。
今の僕には「勘にゆだねる感覚」のようなものがある。
要は意識的に考えようとする自分を制御して身体に判断させる感覚だ。
この感覚がない人は運動を修正する能力が限定される。
勘は体感的な反応なので、願望とは違う。
自意識が希薄な動物が、人間よりも生存に有利な方向に反応できることを考えると、大きな決断ほど勘にゆだねたほうがよい気がする。
どんな分野においても「あの人はすごい」と言われるような人は、無意識と意識のバランスが普通の人に比べて格段にいいように見える。
勘にゆだねるときはゆだね、論理的に詰めるときは詰める。
無意識にその塩梅を判断しているところが「すごく」見えるのだ。
能力には生まれつきの部分があるが、「勘」は経験によってしか磨かれない。
だから多様な経験、とくに頭で考えてもどうにもならない極限の経験をしている人のほうが、ここぞというときに強いのではないだろうか。
コーチを雇う欧米人、コーチに師事する日本人 p116
僕も現役時代の後半はコーチをつけなかったが、マラソンの藤原新選手をはじめ、ロンドンオリンピックでも何人かそういうアスリートがいた。
コーチをつけずに自分でコントロールすることのメリットはいくつかある。
なかでも大きかったのは、自分の肉体のどこかに痛みがあった場合の対処だった。
アスリートの状態を外から見たコーチから「痛そうだからこのメニューをやれ」と指示されて取り組む練習と、自分の肉体の痛みと向き合い、自分自身で「このメニューをやろう」と考えて取り組む練習では、まったく精度が異なるということだ。
自分の肉体の状態を、自分の脳ではなくコーチという目と感覚が判断し、実際に動くのは自分というのは非常にもどかしい。
それに対して、自分の脳でジャッジして、自分の体を動かすほうが圧倒的に精度は高くなるし、いろいろなことにフレキシブルに対応することができる。
競技に対する理解も高まっていくと思う。
とはいえ、やはりプレーヤーである自分とコーチである自分を切り離すことは、なかなかできるものではない。
自分のことを冷静に見ているつもりでも、客観的になりきれていないことも少なくない。
競技やトレーニングに対して、コーチのほうが深い知識を持っていた場合、それを有効に生かすことはできないという点がデメリットだろう。
欧米の感覚では、コーチをつけずに個人で競技に取り組むアスリートは少ない。
なぜなら、海外の選手とコーチの関係は、いわば指導のアウトソースだからだ。
「この部分は自分で客観視するのはちょっと難しそうだから、練習のプランなんかはアウトソースでコーチに任せよう」
アメリカヨーロッパ系のトップ選手はこう考えるのだ。
つまり、ちょうど企業が経営のある部分のアドバイスを求めてコンサルタントを雇うように、選手がコーチを雇っている。
コーチの指導が合わなければ、選手がコーチのクビを切るのが当たり前となっている。
日本の場合は、まったく正反対の考え方が一般的だ。
指導者と選手の関係は、先生に教えを請う生徒という、いわば師匠と門下生のような関係だ。
そんな世界にあって、僕はかつてこんな発言をした。
「コーチと選手の関係は、客観的な目と練習のプランをアウトソースしているものだ」
ずいぶんと反発を受けたことを覚えている。
日本人の感覚では、コーチと選手は二人三脚で前に進むと言ったほうが受け入れられやすいのだろう。
もちろん、その関係がうまく作用することもある。
ただ、選手にとってコーチが合わないと感じられた場合はどう判断するのだろうか。
日本の陸上界においては、そう簡単にコーチを替えることはできない。
大学のときの指導者が、そのアスリートにとって生涯の指導者となるケースが多い。
しかし、その出会いは偶然にすぎない。
合うか合わないかを判断するためには、五、六人は替えてみないとたぶんわからない。
アイススケートの世界では、頻繁にコーチが替わる。
前の年まである選手のコーチをしていた人が、翌年にはライバル選手のコーチになっているのも珍しいことではない。
日本のアスリートも、すべての競技において自由にコーチを替えられるようになればいいのではないだろうか。
そうすれば、アスリートの成長の速度や到達点が変わるかもしれない。
コーチをつけないアスリートの話に戻ると、日本人はそうした選手に対して非常に厳しい目を向ける。
ロンドンオリンピックのマラソンで四五位に終わった藤原選手の場合も、一人でやることの限界と言われてしまった。
しかし、藤原選手の結果が出なかったことは、コーチがいなかったことだけが理由ではないと僕は考えている。
積む努力、選ぶ努力 p140
日本のスポーツのシステムは型が決まっていて、次に何をやればいいかがある程度明確になっている。
だから選手の努力といえば、苦しい練習を耐え抜いたり、こつこつ積み重ねるというものが多い。
何回素振りをやった、何球投げた、何本走った、何本泳いだ、という世界である。
それとはまったく別の次元で「うまくいくように工夫する」という努力がある。
六ヶ月後に試合に勝たなければいけないとしたとき、何をやって何をやらないのか。
どういうふうにやるのか。
じつはこの作業もけっこうつらくて難しく、粘り強く考える力が必要になる。
強靭な身体、強い精神力を持った選手が、脆弱な思考力しか持ち合わせていないことも多い。
そういう選手は何をやればいいかが決まっているものに関しては、人並み以上に耐えられるけれども、何をやればいいのかを考えることに関しては、耐えきれない。
だから他者に答えを求める。
言い換えれば、努力には、「どれだけ」がんばるか以外に、「何を」がんばるか、「どう」がんばるか、という方向性があるということだ。
日本では指導者が、何をがんばるか、どうがんばるかまで決めてくれることが多い。
そうなると選手の担当はひたすらにそれを積み重ねることになる。
がんばることは重要で、日々を積み重ねることも重要なのだけれど、たとえばもう陸上では勝てる可能性がない人が陸上の努力を積み重ねていることもある。
積み重ねと違って、「何をがんばるか」という選ぶ努力には、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる。
これは、精神的にかなりつらい。
まず、目標に向かって決めたことを積み重ねられることは大事だけれども、その次に、自分で将来どうなりたくてそのために必要なものをちゃんと理解できているかどうかが問われるときがくる。
積み重ねるほうにだけ必死になっていて、選ぶ努力を怠った結果、空回りしている人も多い。
結局、「選ぶ」ことを人まかせにしてしまうと、自分にツケが回ってくる。
「陸上なんていつやめたっていい」と言い続けた母 p146
僕の母は、いつもこんなふうに言っていた。
「陸上なんて、いつやめたっていいのよ」
僕が真剣に取り組んでいる最中にも、母のスタンスは変わらなかった。
僕が一〇〇メートルをやめて四〇〇メートルハードルに移ろうとしたとき、もし母がこう言っていたらどうなっていただろうか。
「まだ一八歳なんだからわからないわよ」
「もうちょっとがんばってみたら?」
おそらく、若い僕はあの時点で一〇〇メートルをやめずに、もう少しやってみようという気になっていたかもしれない。
そして、上がる見込みのないランキングに四苦八苦するうち、陸上に対する情熱を失い、勝つことに対する意欲も失っていたかもしれない。
おかしな話だが、母の「いつやめてもいい」という言葉があったからこそ、「陸上はやめたくない」という気持ちが強く働いたのだと思う。
陸上をやめないために、一〇〇メートルをやめるのだというふうに考えることができたのだ。
僕の名前は大と書く。
ほとんど人生の価値基準のようなことを言わなかった母が唯一託したのがこの「大きい」という文字だった。
聞いただけだと抽象的でほとんど基準になっていない。
どうなれば大きくなれるかなんてわからない、ただ体が育って大人になるという意味なら、放っておいても大きくなれる。
何が求められているのか曖昧だった。
母の性格を考えるとそこまで計算していたとは思えない。
けれど、陸上で一番になりなさいと言われるよりも、大きくなりなさいと言われたほうが僕にとってはありがたかった。
基準をつくる余地がそこには残されていたからだ。
不条理というものについて p162
東日本大震災で母親を亡くした陸上部の子と話す機会があった。
彼は少しずつ震災直後の出来事を話し、こっそり家に帰って母親が亡くなったと知ったあとのことをこう表現していた。
「今もなんで僕の母親だったのかがわからないんです」
ものごとには因果があり、努力や苦労は報われると世間では言われるけれど、災害で犠牲になった人を前にして僕は因果なんて何もないと感じた。
犠牲者とそうではない人の間には特に理由がない。
何か理由があって犠牲になったわけではなく、ただそうだったとしか言えない。
日々を一生懸命に生きた漁師の方が津波で亡くなった。
そこに理由などない。
ただ不条理があるだけだ。
努力がすべてだと言われて僕は育っていたから、僕に敗れ去っていった選手に対してどこか努力が足りなかったんだろうという目で見ていた。
でも、引退近くになり自分の実力が落ちていくなかで、努力量と実力は比例しないのを知った。
スポーツはまず才能を持っ生まれないとステージにすら乗れない。
僕よりも努力した選手も一生懸命だった選手もいただろう。
でも、そういう選手が才能を持ち合わせているとはかぎらない。
そもそもこの勝利が自分でつくり上げたものでないのなら、自分の役割は何なのだろうか。
現役の最後は、もう自分の身体が自分のものだけではない感覚で競技を続けていた。
自分が自分であることに理由はなく、ものごとにも因果なんてなく、真面目な人に災害が降りかかり、何も考えず平穏無事に暮らしている人もいる。
世の中は不条理で、それでも人は生きていくしかない。
一方で、理屈ではどうしても理解できない、努力ではどうにもならないものがあるとわかるためには、一度徹底的に考え抜き、極限まで努力してみなければならない。
そして、そこに至って初めて見えてくるものもある。
生まれによる階級、才能による階級 p164
「諦める」という話を深く掘り下げていくと、どうしても「階級」という問題にいきつく裕福な家庭に生まれた人と貧しい家庭に生まれた人。
権力を持った家系に生まれた人と権力を持たない家系に生まれた人。
生まれた階級によって人生の一定の部分が決まってしまうことは否めない。
もしまったく階級がない、完全な機会平等のフラットな社会があったとしたら、成功できなかった理由についてこんなふうに言われるだろう。
「きみが成功を手にすることができなかったのは、努力と熱意が足りなかったせいだ」
階級がないのだから、人は等しくチャンスを与えられる。
それを生かすも殺すも、それは本人の努力と熱意によるという建前がある。
しかし階級があると、社会システムに対して恨みをぶつけたり攻撃することができる。
「自分が成功しなかったのは、階級があるから仕方がないことなんだ」
「俺は一生懸命やった。でも、社会のシステムがこんなだから限界があるんだ」
ノブレス・オブリージュという概念がある。
辞書的な意味は「身分の高い者、豊かな者はそれにふさわしい義務を果たす必要があるということ」である。
この考え方は、最終的に社会には階級が厳然と存在することが前提になっている。
だからこそ、ふだん優遇されている階級の人はいざというときには最も危険な場所に赴き、社会のために応分の負担をしなければならないという考え方をするようになったのだ。
勝ち組が勝ちっぱなしだったとしたら負け組は革命を起こすだろう。
つまり、ノブレス・オブリージュという考え方は、きれいごとではなく非常にドライな発想から出てきた概念ともいえる。
どこかで大衆のガス抜きをするために。
では、生まれたときの環境、生まれた場所のような階級をすべて取り払ったとして、人はすべて平等になっているのだろうか。
そうではないだろう。
生まれによる階級がなくても、才能による格差は存在するからだ。
生まれながらにして速く走れる人もいる。
さほど練習もしないのにサッカーが上手い人がいる。
努力しなくても頭がいい人もいる。
一方で、できる人の何十倍練習しても、何十倍勉強しても、絶対に追いつけない人たちがいる。
どんなに否定しようとも、才能による格差はなくならない。
僕は、物心がついたときから足が速かった。
足が速いから競争に勝つ。
勝つと褒められる。
だからもっと練習して、もっと速くなろうとする。
するとどんどんタイムがよくなっていく。
才能があるから努力することが苦にならない、だから人より多く練習できて、さらに能力が伸びていく。
僕に走る才能があったから、そういう好循環が生まれた。
一方で、僕には音楽やコンピュータのプログラミングといったことに才能があるとは思えない。
そういう方面で才能のある人は、黙っていても音楽をつくり、奏で、プログラミングし、みんながあっと驚くような作品を誰に頼まれたわけでもなくつくる。
才能があるとは、つまりはそういうことだ。
多くの指導者は、スタープレーヤーが取り組む驚異的な練習を見て、教え子たちに「見ろ。
あのぐらい練習しているからあそこまでの選手になったんだ」と諭す。
しかし、スタープレーヤーは、努力を努力と思わず、努力そのものが楽しいという星の下に生まれてきていることがほとんどだ。
才能があると思えているところからスタートしている努力と、自分にはまったく才能がないとしか思えないところからスタートしている努力は、苦しさがまったく違うのではないだろうか。
あなたにとっての苦役は、あの人にとっての娯楽 p168
意外に思うかもしれないが、球技があまり得意でない僕は、サッカーをたった一時間練習するのでさえ苦痛で仕方がなかった。
走り回る競技なのだから、同じことだろうと言われるかもしれない。
でも、陸上で走ることのほうがずっと楽しかった。
どれだけ長い時間練習しても苦にならない。
練習で同じ時間を費やしても、楽しくて仕方がない競技とそうではない競技では、その「濃度」が違う気がした。
才能のある人は、練習の一部は娯楽になっている可能性がある。
しかし、才能のない人たちにとってみたら、練習は苦役でしかない。
「ほら、イチロー選手は何千回、何万回とバットを振ったからこそあそこまでの選手になったのだから、きみたちもがんばって振りなさい」
才能のない人には、イチローと同じ練習量は苦痛であるばかりでなく、成果につながらないという意味で二重につらいことなのである。
スポーツではないが、よくこんなフレーズも耳にする。
「寝ないで取り組んだ成果です」
日本では「寝ないでやる」ことが、ともすれば勤労の美徳のようにいわれる。
だが、寝ないで取り組めるぐらいのことだから、結果としてそうなったというだけの話だろう。
そうでなければ「寝ないでやらされた」となるはずで、そのおかげで成功したという実感は湧いてこないだろう。
いくら好きでも、寝ないでやるのは体力的にもきついと思うが、そのきつさが一般の人で一〇〇だとしたら、才能のある人はおそらく三〇くらいにしか感じていない。
昔の僕は、陸上にかぎっていえばそういう状態だった。
だから、結果が出ない人に対してすごく失礼なものの言い方をしていたと思う。
「僕はきみたちより三倍も練習しているんだから、結果が出るのは当然のことだ」
ところが、三〇歳を超えて自分の競技人生が下り坂にさしかかってきたころから、努力することが苦痛に変わってきた。
結果が出ない努力の何と苦しいことか。
それを身にしみて感じるようになった。
その感覚は、高校生のときに一〇〇メートルで伸び悩んでいたときの感覚とは、また違うものだった。
僕は、ぐんぐん伸びている途中の才能を持った若手選手の姿を、昔の怖いものなしだったころの自分を見る思いで見つめるようになった。
彼らには、登りつめていく過程の若者が持つ、独特の自信に満ちた感じがあった。
「やればできる」
彼らはそう信じていることだろう。
彼らの初々しさを微笑ましく見る一方で、ある種の腹立たしさも感じていた。
そんな思いを抱えながら、競技生活の晩年にさしかかった僕は自分なりの努力を続けた。
努力なしに成功を手にすることはできない。
しかし、人によって努力が喜びに感じられる場所と、努力が苦痛にしか感じられない場所がある。
苦痛のなかで努力しているときは「がんばった」という感覚が強くなる。
それが心の支えにもなる。
ただ、がんばったという満足感と成果とは別物だ。
さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か。
今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか。
そういうことを折に触れて自分に問うことで、何かをやめたり、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う。
「リア充」なんて全体の一〇パーセントもいない p175
この原稿を書いている段階で、僕のツイッターフォロワーは一五万人を超えている。
これだけ多くの人に瞬時に自分の思っていることを発信でき、フィードバックを得られるソーシャル・メディアは、アスリートの世界からより広い世界へフィールドを広げようとしている僕にとっては、非常にありがたいツールだ。
ツイッターは、自分が他人にどのように評価されているかを知ることができる「鏡」のような存在である。
ソーシャル・メディアからの情報がなかったら、自分の立ち位置は今よりずっとわかりにくかったと思う。
一方、こういうものが出てきた結果、世の中の人の立ち位置がものすごくフラットになった。
たとえば、現職の総理大臣のことを選挙権もない若者が「おまえ」呼ばわりすることだってできる。
僕のツイートにもしばしば批判のメッセージが送られてくるが、トークイベントなどで実際に会って話すときに、ツイッターにあるような強い口調で反論してくるような人には会ったことがない。
街を歩いていて突然失礼なことを言われたりはしないのに、ネットのなかでは通りすがりに悪態をついたり、難癖をつけてくる人たちがいる。
匿名だとある種の解放感があって、日ごろ言わないようなことも言ってしまうのだろうか。
まるでネットのなかにもう一人の人格がいるかのようである。
実名のソーシャル・メディアであるフェイスブックなどにおいても、リアルの自分とは異なる人格を演じている部分がある。
フェイスブックに上げる情報は「見られてもいいもの」というより、むしろ「見てほしいもの」である。
楽しいこと、うれしかった経験、美しいもの、ためになる話……などであふれている。
参加者は、いわゆる「リア充」である側面を強く出す。
そうなると、世の中にはまるでリア充の人しかいないような錯覚をしてしまう。
だが実際は、リア充なんて全人口の一〇パーセントもいないだろう。
この一〇パーセントという数字はいい加減なものだが、ソーシャル・メディアのなかった時代と比べて、リア充の人間が急に増えたとは思えない。
参加者がお互いのリア充ぶりを共有することで、全体としての充実感は向上しているのだろうか。
僕は、むしろ逆のような気がしている。
かつて「あなたは今、幸せですか?」という問いに「そこそこ幸せです」と答えていた人たちの多くが、「あの人たちに比べたら幸せじゃないかも」という気持ちにさせられているのではないかと思うのだ。
幸福感というのは相対的なもので、自分の状況に不満はなくても、より楽しく、より豊かに暮らしている人を見ると、「自分はこの程度で満足していていいのだろうか」という気になる。
ソーシャル・メディアは、一人の人が意識的に何人もの人格を演じることを可能にした。
ツイッターでは攻撃的な人格、フェイスブックでは子煩悩なリア充、そしてリアル社会では、組織や家族のなかで期待されている自分を演じる。
僕は、それ自体をいいとも悪いとも思わない。
人間はそもそも多面的で、一人の人間はいくつもの顔を持っている。
それをかなり明確に演じ分けられるツールが出てきたというだけのことである。
だから、不満のはけ口としてツイッターに吐き出された言葉に本気で怒ったり、フェイスブック上の粉飾された他人の幸福に対して嫉妬したりするのは意味がない。
ソーシャル・メディアを通じて見える世界は、現実そのものではない。
そこで批判されていることも絶賛されていることも、ある程度修正をかけて見ていくことが必要だと思う。
「誰とでも」は「誰でもいい」と同じ p179
ソーシャル・メディアのなかったころは、自分を演じ分けつつ、会ったこともない他者と絡むことなど不可能だった。
顔と名前が一致する人だけに囲まれた、淡々とした毎日である。
もっと外に向かって出ていきたい、まだ見知らぬ面白い人とつながりたいという人にとっては、実にもどかしい社会だった。
しかし、ソーシャル・メディアの登場がそれを可能にした。
ソーシャル・メディアを縦横に駆使することによって「今ここ」を離れて自由に人とつながり、自分を表現できるようになった。
ソーシャル・メディアは、リアルの世界に比べて人間関係がすごく気楽だ。
時間や場所の制約はないし、知らない人どうしでも簡単につながることができる。
こういうものができたおかげで、コミュニケーションの総量はかなり増えていると思う。
これは、ソーシャル・メディアがもたらしたポジティブな側面だ。
しかし、それは「わざわざ会う」「あえてつながる」といったコミュニケーションが減っていくということになる。
一日は二四時間しかないから、「いつでもどこでも」のオンライン状態である時間が長ければ長いほど、密度の濃いコミュニケーションの時間は短くなっていく。
つながりやすくなったことが、かえってつながりの手触りを失わせているのではないだろうか。
シェアハウスのようなものが流行するのは、その反動でもあるような気がする。
昔、企業がやっていたような社員旅行や社内運動会に参加したがる若者が増えているのも、影響の一つだと思う。
群れのなかにいるということは、生物にとって命を長らえることにつながってきた。
誰かとつながるということは、そうした歴史をたどってきた人間の脳に、何らかの物質を出させるのかもしれない。
だからこそ、どんなかたちであれ人間は誰かとつながることを求めてきたのだろう。
ただし、リアルなつながりや絆の裏側には、同時にドロドロとした人間の嫌な面や面倒くささも存在する。
それが鬱陶しくてバーチャルな世界に行くと、いつでも替えが利く存在としての気軽さがある半面、血の通ったつながりがないという物足りなさがある。
ソーシャル・メディアがあれば何人もの自分を使い分けることができるが、それにしてもどこかで「自分はこの程度だ」という自覚が必要なのではないだろうか。
誰とでもつながれる自由や自分を発信する自由がある一方で、つながらない自由や発信しない自由もあるのだということを確認しておきたい。
さもなければ、リアルな世界とバーチャルな世界という二つの世界を生きていかなければならない今の時代、人は疲れきってしまう。
アドバイスはどこまでいってもアドバイス p187
ネット上では、顔の見えない人がいろいろなことを言う。
すべての人が親身になってアドバイスをしてくれていないわけではないだろうが、それを残らず受け止めていたら身がもたない。
仮に何千人という知らない人から送られる思い思いの意見を聞いたとしよう。
そこで言われる批判的な意見を受け入れるのは、かなりつらい作業だ。
自分に都合のいいところだけ受け入れられるのであれば、すべて聞いてもいいと思う。
しかし、マイナス面だけをシャットアウトするのは、技術的にも難しい。
そんなときは、あえて「聞き流す」ことだ。
自分が聞くのはこの範囲まで、と明確なラインを引く。
大事なのは「聞かない」ことではなく「無視をする」ことでもない。
聞いたうえで流すのだ。
僕は、何かを決断するために必要なアドバイスは、多くても五、六人からもらえば十分だと思っている。
身近で信用している人のアドバイスだとしても、間違っている可能性はある。
アドバイスは、どこまでいってもアドバイスの域を超えないのだ。
ソーシャル・メディアというツールは、アドバイスを得るには便利なものである。
ツイッターを通じて「どうしたらいいでしょう」と問えば、顔も知らない人たちが親身になって言葉を返してくれる。
面白半分に反応する人もいるだろう。
昔はアドバイスを求めるにも覚悟が必要だった。
アドバイスを求めた人にはきちんと結果を報告するという義理もあった。
それだけ人にものを聞くことが「重い」ことだったのだ。
気軽に人にものをたずねたり、その道の専門家に助言を求めたりできるネットというツールは素晴らしいが、いろんな人の意見を聞くという名目で、ただ自分のするべき決断をずるずると先延ばしにしてしまうリスクもあると思う。
ソーシャル・メディアが社会インフラとして定着していく時代には、人間関係を立体的に見るということが重要になってくる。
現実の世界では、配偶者や親兄弟の言葉と、あまり関係の濃くない人の言葉を比較した場合、同じことを言っているとしてもまったく受け取り方が異なる。
一方、ソーシャル・メディア上ではどんな関係性の人の言葉も並列に見えてしまう。
本来であれば、聞かなくてもいいようなノイズに近い言葉が、普通のボリュームで聞こえてきてしまうのだ。
そして、多くの人が聞かなくてもいい言葉に振り回されている。
僕がもしツイッターを自分で設計するとしたら、今のようなタイムラインで出てくるような形にはしない。
自分との関係性の濃さによって、流れてくるツイートの文字の大きさが違う形で出てくるような設計にするだろう。
ふだんから密接につながっている人は、大きな字で出てくるようにする。
フェイスブックのタイムラインは、すでに人間関係の濃さをある程度反映するような設計になっている。
お互いに「いいね!」を押し合っている、仲がいいと思われる人のコメントが先に出てくるようになっている。
適当な感覚で言っている一言と、ものすごく切実な気持ちで言っている一言が、図らずも同じ表現になることがある。
適当な感覚で言った人の声は聞き流してもいいが、切実な気持ちで言ってくれた人の言葉は、少し嫌だなと思っても真剣に聞くべきだ。
ソーシャル・メディア上でつながっている人が増えても、自分にとって本当に大事な人が発した言葉が、顔の見えないその他大勢の言葉に埋もれないような仕組みができたらいいと思っている。
p201
本当のところを言えば、終わり際については誰もがそれなりに察していると思う。
しかし、周囲から「ここで諦めたらもったいないよ」「うまくいっているし、みんなも喜んでいるのになんでやめるの?」という声が聞えてくると、自分の感覚のほうが間違っているような気がしてくる。
「自分はこのくらいの者だ」という感覚が洗練されていないと、たまたまうまくいっていることや、たまたまうまくいっていないことが「すべて」だと思ってしまう。
世の中の評価は移ろいやすく、褒めてくれていた人が手のひらを返したように冷たくなったり、貶しめていた人がいつのまにか持ち上げてくれていたりと、自分ではコントロールできない。
だからこそ、自分の中に軸を持つことが大事なのだ。
「バカヤロー、おまえがなれるわけないだろ」 p207
僕は手放したものの数で成功を測ったほうがいいと感じている。
そして、何かを手放すためにはある程度の経験を積まなければならない。
逆説的に聞こえるかもしれないが、人間にとっての軸というものは、たくさんのものを見ることで形成される。
昔であれば、歳を取っていくことと軸ができていくことが時間的に一致していた。
だが、今の世の中は情報が与えられすぎていて、軸ができていない段階で突然多様な選択肢を見せられる。
若い親にとっては、子どもの可能性も無限に広がっているように見えるだろう。
「この子は音楽家になるかもしれない」
「勉強ができるから学者になるかもしれない」
「金メダルを取れるかもしれない」
夢を見るのは自由だが、これらが実現する可能性はきわめて低い。
子どもは意思すらない段階で実現可能性の低い夢に向かって努力をさせられることになり、これはかなりきつい人生のスタートになると思う。
北野武さんが、あるインタビューでこんな話をしていた。
子どものころ、武さんが何かになりたいと言ったとき、武さんのお母さんがこう言ったそうだ。
「バカヤロー。おまえがなれるわけないだろ!」
武さんは、お母さんのことを「ひどいことを言う母親だろ?」と言わず、「そういう優しい時代もあったんだよ」と言った。
何にでもなれるという無限の可能性を前提にすると、その可能性をかたちにするのは本人(もしくは親)の努力次第といった話になってしまう。
しかし「おまえはそんなものにはなれない」という前提であれば、たとえ本当に何者にもなれなくても、誰からも責められない。
もしひとかどの人間になれたら、「立派だ、よくやったな」と褒められる。
武さんは、それを「優しさ」と言ったのではないだろうか。
僕の母親は、僕が何か新しいことをやろうとすると、今でもよくこういう言い方をする。
「広島の田舎から出ていって、東京のど真ん中でなんて大それたことを」
この言葉は競技人生を送るうえでも、今でも、僕をすごく楽にしてくれる。
期待値が低ければ低いほど、自由にチャレンジできる気がするからだ。
僕は「何にでもなれる」「何でもできる」という考え方には息苦しさを覚える。
本当は、何にでもなれる人なんていないはずだ。
しかし、誰もが結果的には何者かになっている。
それを「何にでもなれる」から出発すると、何かすごいものにならなくてはいけないような気になってしまう。
すると、すでに「何者か」になれている自分を、きちんと認めてあげることができなくなる。
だからといって「きみはオンリーワンだから」という話でもないと思う。
自分をほかの誰とも比べることなく「オンリーワン」などと言っているのは、単なる自己満足にすぎない。
そもそも自分の特徴が何であるのかすら、他人との比較がなければわからない。
まずは「自分はこの程度」と見極めることから始め、自分は「何にでもなれる」という考えから卒業することだ。
そこから「何かになる」第一歩を踏み出せるのではないだろうか。
「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間 p211
期待値が低いとチャレンジしやすい気持ちになるのは、成功しなければならないという義務感から解放されるからだと思う。
僕は母親から「陸上なんかいつでもやめていい」と言われていたが、それでかえってつらいときでも続けようという気になった。
「やめてもいいんだけど、やめたくない」
そんな心境だった。
「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間に「やめたくない」という心境があるのではないだろうか。
やめてはいけないことは「やらなければならない」ことだ。
つまるところ、ノルマである。
いくら好きなことでも、ノルマが課せられると楽しくなくなる。
ある心理学の実験で、子どもが自発的にやっていることに報酬を与えると、モチベーションが下がることがわかった。
報酬というのは、義務を果たしたことに対するご褒美だ。
ご褒美がもらえなくても面白いからやっていたことが、義務として強要された瞬間につまらなくなってしまう。
褒めて伸ばす、という考え方がある。
この考え方そのものは悪いことではないと思う。
ただ、たとえば「速く走れたら褒めてもらえる」という条件づけがあると、勘のいい子どもは「速く走れなかったら褒めてもらえない」と理解する。
極端にその条件づけが強いところで育ったアスリートは、外からの報酬や他者評価に対して、必要以上に敏感になっていく。
一方、そういう条件づけがないところで育ったアスリート、つまり放ったらかされて育ったアスリートは、競技に対する遊びの部分が残っている。
その遊びの部分を自分のなかで面白がりながら取り組んでいるのだ。
人は、褒められたり報酬を与えられたりすることで、遊びの感覚が薄れていく。
「今」に意識をおけば、じつは努力をしていること自体が報酬化している場合がある。
将来の結果で報われるかどうかはわからなくても、「今が楽しい」という、その状態こそが報酬になっているのだ。
皮肉なことにそのとき、楽しんでいる本人には「努力と成功の取引をしている」という感覚がない。
「それをやったら何の得になるんですか」
最近の若い人はよくこんな問いかけをしてくる。
「やめてはいけない」こと「やらなければならないこと」でがんじがらめにされている気がする。
「それをやったらこんないいことがある」と言うのではなく、「そんなことしても得にはならないよ」と言う「優しさ」もあると思う。
「得にならなくても楽しいからやりたいな」という感覚をたくさん味わうことが、自分の軸をつくっていくことにつながる。
「やめてもいいんだよ」「やっても得にはならないよ」と言われても、意に介さずにやる人に共通しているのは、他人に評価してもらわなくても幸福感が得られているということだろう。
「こんな小さな成功で満足している自分は、くだらない人間なんじゃないか」
そんなふうに思うことなく突き進める人たちだ。
わかりやすいビッグな目標、絵に描いたような幸せ。
こうしたものを求める感覚は、ソーシャル・メディアの発達によって拍車がかかっているように思える。
すべてがつながって、何でも見える世の中になったことで、町民大会で終われなくなってしまったという感じがする。
町民大会で勝ったら市大会に進む、そこで勝ったら県大会、全国大会、果てはオリンピックと、際限なく成功の階段をのぼり続けないと「こんなしょぼい成功で満足していいのか?」という罪悪感や未達成感がある。
もちろん、より高みを目指すのは価値のあることだ。
だが「自分はここまででいい」という線引きがしにくい時代になっていることは確かだと思う。
「やめてもいい」という発想は「自分がいいと思うところまででいい」ということでもある。
幸せや成功の度合いにランキングなどないのだ。
モビリティを確保する p222
モノをたくさん持つことが豊かさだという時代は過去のものになりつつある。
モノに縛られないことの豊かさや幸福感というものに、多くの人が気づき始めているのではないか。
「ほどほど」や「そこそこ」を目指す気持ちは、「縛られたくない」という感覚ともつながるのかもしれない。
僕が言っているモノには人間関係も含んでいる。
フェイスブックに友達が一人もいない寂しさもあるけれど、二〇〇〇人いることの煩わしさもあるのだ。
僕は昔から、人間関係を整理するとか、モノを整理して捨てるとか、かかっている費用を圧縮するということを定期的にやっている。
捨てることで小さくなったり、軽くなったり、安くなったりするのが好きなのだ。
しかも、モノを捨てて小さくなることで、選択肢が広がるような気になっていく。
「ああ、これがなくても生きていける」
「この程度しかかからないのなら、仕事をやめてもしばらくは大丈夫」
そういう気分だ。
いつでも舞台から降りられるという解放感が生まれる。
僕は今、フリーで仕事をしている。
幸いにもいろいろなところから声をかけてもらっているが、どこかで「身軽にしておかないと」という気持ちが働いている。
最初は「守り」のつもりで持ち物も人間関係も必要なものだけにギュッと圧縮してみたら、逆に選択肢が広がった。
やらなくてもいいことはやらない、つき合わなくてもいい人とはつき合わない。
そう割り切ると、思いもしなかった自由さが手に入った。
自由になることは、財産が増えていくことと反比例するような気がしている。
できることなら、ほとんどのことをまっさらにしておきたいくらいだ。
僕たちは生きていかなければならない。
生きていくためのサイズを小さくしておけばやらなければならないことが減っていく。
何かをやめることも、何かを変えることも容易になっていくのだ。
僕の場合、モノを捨てることは、習慣というより儀式のようになっている。
「本当に大事なものは何なのか?」ということを確認する機会なのだ。
何もしないで放っておくと、気づかないうちにいろいろなモノをどんどんためこんでいる。
だから、定期的に「禊」をしなければならないと思っている。
昨年『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻里恵著)という本が爆発的に売れた。
その前には『「捨てる!」技術』(辰巳 渚著)だっただろうか。
定期的にそういう本が売れるということは、いかにみんなが捨てることに悩んでいるかということの証拠だと思う。
人が不安になるのは「これがなくなったら大変だ」と思うからだ。
不安の種になりそうなものをあらかじめ捨てておくと、不安から自由になれる。
どうにかなることをどうにかする p225
陸上もそうだが、身体能力がかなり影響するスポーツは、成功するか否かが生まれたときに九九パーセント決まってしまう。
クラスでかけっこが一番速かった子が陸上部に入り、厳しい競争を勝ち抜いた者だけが市、県、国、そして世界へと上がっていく。
そこまで上り詰めることができるのは、ほんの少しの選ばれた人だけだ。
どんな競技でも、スポーツをやっていれば「天才」に出会う。
がんばれば夢はかなうと信じてがんばっていた僕も、どうにもならないような圧倒的な才能を目の前にして、自分の才能のなさを呪ったことがある。
しかし、僕はすぐに考えた。
「ああ、これはそもそもぜんぜんモノが違う。じゃあ、僕にできることはいったい何なんだろうか」
スポーツをやっていると本物に出会ったとき、自分の限界をはっきりと知ることができる。
本物と自分のどうにもならない「差」を認めたうえで、今の自分に何ができるのかということを考えるきっかけをもらえる。
「才能じゃない、努力が大事なんだ」
一見すると勇気づけられるこの言葉が、ある段階を過ぎると残酷な響きになってくる。
この言葉は「すべてのことが努力でどうにかなる」という意味合いを含んでいて、諦めることを許さないところがある。
挫折することも許されず、次の人生に踏み出すことのできない人を数多く生み出している。
究極の諦めとは、おそらく「死ぬこと」だと思う。
ただ、その前の段階に同じぐらい大きな「老いる」ことを通じて、多くのことを諦めなければならない。
いくら努力しても人は必ず死ぬ。
僕の現役時代の最後の四年間のコンセプトは「老いていく体でどう走るか」ということだった。
ここでいう「老い」とは、アスリートとしての身体能力の低下である。
普通に「年をとる」感覚とは少し異なるかもしれない。
ただ、まったく同じなのは、どこかで価値観を劇的に変えないと、自分ではどうすることもできない自然現象にずっと苦しめられるということだ。
その苦しみから逃れるためには、「どうしようもないことをどうにかする」という発想から、「どうにかしようがあることをどうにかする」という発想に切り替えることしかない。
今の医学では、いくらお金を積んでも一〇年前の肉体に戻ることは不可能だ。
だとしたら、そのお金を今の自分が一番大事だと思うことに使ったほうがいい。
「仕方がない」
僕は、この言葉に対して、もう少しポジティブになってもいいような気がする。
「仕方がない」で終わるのではなく、「仕方がある」ことに自分の気持ちを向けるために、あえて「仕方がない」ことを直視するのだ。
人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。
でも、「仕方がある」こともいくらでも残っている。
努力でどうにもならないことは確実にあって、しかしどうにもならないことがあると気づくことで「仕方がある」ことも存在すると気づくが財産になると思う。
そして、この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということは、私たち人間にとっての救いでもあると思う。
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「執着から離れる」などというと、宗教めいていると思われるかもしれない。
実際、僕は死ということをよく考える。
死んだら人生は終わりだが、もともと存在しなかった人間が生まれ、ある時間を生き、また無に帰っていくと考えると、ただ「もとの状態」に戻るだけという気がする。
この話をすると、ならばあなたは人生が無意味というのか、といった反応をする人がいる。
そうではない。
なぜだか自分という人生を生きる羽目になったのだから、思いっきり生きたらいいと思うだけだ。
最後には死んでチャラになるのだから、人生を全うしたらいい。
そしてそこに成功も失敗もないと思う。
たかが人生、されど人生である。
人生が重すぎるのであれば、仕事に置き換えてもいい。
就活でもいい。
「たかが仕事じゃないか」
「たかが就活じゃないか」
そんな気持ちでいられれば、結果を気にして萎縮することなく、全力を出すことができるのだ。
意味と価値が過剰に求められる現代だからこそ「たかが」「あえて」というスタンスで臨むほうが生きやすいのではないだろうか。
僕は人生において「ベストの選択」なんていうものはなくて、あるのは「ベターな選択」だけだと思う。
誰が見ても「ベスト」と思われる選択肢がどこかにあるわけではなく、他と比べて自分により合う「ベター」なものを選び続けていくうちに「これでいいのだ」という納得感が生まれてくるものだと思う。
何が自分に合うか合わないかを理解するには、一定の経験が必要だ。
若いうちは願望が先行するのはやむをえない。
自分は鹿に生まれたのに、犬のほうが人気があるからといって犬になりたいと懸命にがんばったりする。
でも、いくら努力しても鹿が犬になることはできない。
「夢はかなう」
「可能性は無限だ」
こういう考え方を完全に否定するつもりはないけれど、だめなものはだめ、というのも一つの優しさである。
自分は、どこまでいっても自分にしかなれないのである。
それに気づくと、やがて自分に合うものが見えてくる。
諦めるという言葉は、明らめることだと言った。
何かを真剣に諦めることによって、「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて、「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる。
続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと、自分というかぎりある存在の可能性を狭める結果にもなる。
前向きに、諦める――そんな心の持ちようもあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ。